51SCFRXE4KL



1: 世界@名無史さん 2006/04/22(土) 21:47:41 0
黄河文化と起源を別にし、次第に中原文化に組み込まれて行き。
晋代以降、中華文化の中心地として栄えた長江流域。

を好きなだけ語ってください。








3: 世界@名無史さん 2006/04/22(土) 22:04:43 0
楚や呉越について語るマイナースレですか?

4: 1 2006/04/23(日) 09:49:31 0
>>3
そう。
あと越族とかの周辺民族。
マイナーだけど、煮詰めれば濃い話ができそうだから。

9: 世界@名無史さん 2006/04/24(月) 17:15:23 0
めんたま飛び出ます。

11: 世界@名無史さん 2006/04/29(土) 16:39:05 0
>>9
三星堆遺跡の青銅人面のアレかね?
縦目の王は蚕叢だったっけな。

青铜纵目面具B


三星堆遺跡(さんせいたいいせき)は、長江文明に属する古代中国の遺跡の一つである。紀元前2000年頃もしくはそれ以前と考えられる極めて古い時代に属する三星堆遺跡とその文化は、約5000年前から約3000年前頃に栄えた古蜀文化のものである。

10: 世界@名無史さん 2006/04/29(土) 09:03:08 0
古代には象がいたらしい

13: 世界@名無史さん 2006/04/29(土) 23:40:36 0
ここで訊いていいのかわからんのですが、楚など南方にいたという「ジ」という動物は今のサイとは違うんですかね?
どんな動物なんでしょ?



こんな漢字です。

19: 世界@名無史さん 2006/05/06(土) 06:54:02 0
>>13
青木良輔『ワニと龍』平凡社新書によると、
-----------------------------------------------------------------
また、「龍」と同じように、姿を消したことによって字が交替したと見られる例が他にもある。「兕」というのがそれで、殷の頃には黄河流域にもいたサイのことである。現在、この動物は「犀」と表記されているが、やはり寒冷化による接触の途絶が字の交替をもたらしたらしい。(P.76)
-----------------------------------------------------------------
とのこと。当初は「兕」と表記されていたサイが、気候の寒冷化によって中原から消滅。
その後、一時的に温暖化した際にサイの生息圏が北上、あるいは逆に、中原文化圏が南方に拡大したことによって、再びサイと接触。その時は「犀」の字を当てたらしい。

30: 世界@名無史さん 2006/07/02(日) 00:55:40 0
「土地は湿地多く、虫けらどもの群がり生じ、瘴気のたちこめた風土。蛙と亀は穴を共にし、人と鳥は群れを同じくしておる。ざんばら髪の君には長者の相なく、入墨(いれずみ)の民は貧相な体つき呉人の亡者、建康(今の南京)に住まいし、ちっぽけな冠帽に、ちんちくりんの着物。おのれを阿イ農{人ベンに農}(おいら)と言 ふた言めには阿(お)、お{返事などの時}の連発。菰(まこも)の芽と稗(ひえ)が代用飯、茶が飲物代わり。じゅんさいの羹(あつもの)をガブガブ、蟹の黄(こ)をクチャクチャ。手には豆寇{共にクサかんむり}(ずく)をつかみ、口にはビンロウを噛む。
中州のところで、魚に網うち、すっぽん掬い、菱の実、蓮の根にかじりつき、鶏頭(みずふき)フキを採り歩いて、蛙やアサリの吸い物のご馳走。」

* 六世紀に書かれた「洛陽伽藍記」より *

華北出身の楊元慎が、江南出身の高官張景仁を批判した言葉です、まるで現在の日本人が、批判されてる様な気に成りませんか、どれも美味そう!

34: 世界@名無史さん 2006/07/02(日) 01:22:07 0
アジアで鵜飼い漁と、れんこんを食べる民族は日本人と江南人だけやと、聞いた事有るな?

これ、ほんとの話

43: 世界@名無史さん 2006/07/04(火) 00:54:32 0
9世紀だったかな倭名類ジュウ鈔とか言う本に鬼を呉人はオニと言い越人はキと発音すると書いてるな。

44: 世界@名無史さん 2006/07/04(火) 07:31:56 0
へー。そうだったっけ?
余談だけど、「倭名類聚抄」では、トラの語源は楚語の「於兔(オト)」に由来するとも
書かれているよ。

45: 世界@名無史さん 2006/07/04(火) 07:49:32 0
>>44
やっぱり長江流域の人たちと関係があるのかな・・・

他人の空似だったらそれはそれで面白いけどw

48: 世界@名無史さん 2006/07/05(水) 21:16:50 0
比叡山延暦寺の伝教大師最澄も江南天台山で修行してるしな
日本人にとって先祖の土地って感覚かな、この前の戦争で上海、南京、爆撃したんで先祖のばち当たった。

51: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 12:00:45 0
長江文明は黄河文明に同化吸収されて滅んだと聞く。
太古の昔、黄河発祥の権力に長江のそれが負け、逃げ惑ったいくつかの部族が黒潮(対馬海流)に乗り九州までたどり着き、土着の倭政権を打ち倒し、「大和」を作ったのかも試練

52: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 16:38:46 0
別に滅ぼされたとしても海まで渡って逃げようとはせんだろう

54: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 18:23:41 0
>>52
越南やタイのほうに逃げる罠。

56: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 18:27:16 0
遺伝子を調べると日本の米のルーツは長江河口域らしいな。
それと、九州北部と朝鮮半島南部に対馬海峡を挟んで初期の弥生文化が栄えている。
弥生人は越から来て対馬海峡の両側に住み着いたのかも。

62: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 18:34:30 0
そんな時代は漢民族はまだ長江河口域に勢力を伸ばしていない。
いくらもしないうちに漢民族に攻められて越が滅亡するが、越人は漢人とは全く違う言葉を話していたという。

どんな言葉か判然としないが、シナ系ではないだろう。

60: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 18:31:54 0
地図で見ると上海と九州は案外近い。

65: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 20:09:22 0
>>60
鎌倉時代の僧円月が博多と寧波を行き来してるんだけど、その時の記録に4~5日で渡航出来ると書いてるな(波静かで順風の時)
黒潮の支流、対馬暖流と西風に乗れば寝てても九州につくよ
今でも上海のごみが対馬あたりに流れつくよ、越前クラゲも中国春秋時代の呉、越の海軍力なら訳ないよ。「赤壁の戦い」「呉越同船」で世界一の操船技術がある。「臥薪嘗胆」の忍耐力もあるし日本人も辛抱強いだろ!

66: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 20:37:56 0
>>65
「赤壁の戦い」は春秋時代じゃないぞ・・・

海流に乗れば簡単に九州に着くのか、遠いようで近かったんだな。

70: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 21:20:12 0
>>65
確かに寝ていても着く場合もあるが、季節風の吹く時期とかはかなり厳しいよ。
一番いいのは、半島をつたい、渤海へ到達するコースだと思うがな。

72: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 22:01:44 0
>>70
あるいはそのコースを取ったのかもしれない。
ただ、それだと朝鮮半島北半に着いてしまい、当時の米作には季候風土が適していない。
他者を受け入れない因業で好戦的な原住民もいただろうし。
その場合、結局は半島西岸を南下したと思う。
彼らが徐福の率いる一団だとすれば、平原広沢を求めていたから、なおさら半島北半に定住したとは考えにくい。

74: 世界@名無史さん 2006/07/06(木) 22:31:42 0
>>72
徐福は知らないが、半島国家同士でも、内陸を通らずに海岸線を辿って移動するのは、新羅・百済の時代か行われていたように思ったが、思い違いか?
東シナ海ぶっちぎりルートは、極めて危険。
東シナ海航路が一般化したのは、造船技術と航海技術が進歩してからだと思うけど。

79: 世界@名無史さん 2006/07/07(金) 14:25:17 0
>>74
>造船技術と航海技術が進歩してからだと思うけど。

いや、これらはむしろ退化している。
遣隋使や遣唐使に使われた船は大きいが非常に不安定だったし船足もノロかった。

大昔の、丸木舟におそらくアウトリガーの付いたタイプが一番安定して効率的だった。

85: 世界@名無史さん 2006/07/08(土) 12:45:07 0
弥生開始以前に列島以外のどこか別の場所からの渡来が相次いだということは、当時の丸木舟に毛が生えたような舟の方が、転覆もせず、小回りも聞いて操縦しやすかったのかもナ。

147: 世界@名無史さん 2006/07/13(木) 16:06:26 0
『呉』(ゴ、グ)は、どうして和語で(くれ)と言うのかな?
日暮れ、夕暮れ、日が沈む方の国、日が沈む方向を目指せば着く国、西は琉球では(いり)日が海に入る方向
倭国は日が出る方角の国、日の生まれ出る本の国、『日本』

154: 世界@名無史さん 2006/07/14(金) 14:43:29 0
>>147
呉(くれ)

イ)昔、日本で中国を指して呼んだ呼び名。日の暮れる西方の国の意。
奈良時代の日本では、江南の呉の地方を中国の代表と考えたので、呉の字を用いた。

ロ)中国から渡ってきたものをあらわすことば。「呉竹(くれたけ)」、「呉服(くれはとり・ゴフク)」
『漢語林』


「呉(くれ)」というのは、いわゆる『日の没する処』という意味だそうです。
日が暮れるの「くれる」から来ているらしい。

163: 世界@名無史さん 2006/07/16(日) 00:08:03 0
>>154
呉服(くれはとり)
はとり=「機織」の意味。
秦氏、服部氏なども「機織」関係に由来すると思われる。

これねぇ、「呉○○というのは、朝鮮半島から伝わった文化です」
と高校時代の日本史の授業などで教わったのだが、 奈良時代から江南を正統視していたということは、直接呉地方と関係があると見て正解だったのだろう…

165: 世界@名無史さん 2006/07/16(日) 21:30:01 0
距離的に九州よりも華南に近い沖縄には同じ時代に渡来した形跡は特に見付かってないんですよね。海流の関係なんでしょうか。
漢代の古銭はときおり出土するようでが。

166: 世界@名無史さん 2006/07/16(日) 23:02:38 0
中国本土から半島を南下して日本にたどり着くコースが最も安全で多用されたからだと思いますけど。

167: 世界@名無史さん 2006/07/16(日) 23:15:39 0
>>166
たしか、九州北部の勢力(朝鮮半島南端も含む)がそのコースで魏と通じていたので、奈良の勢力が太平洋側から呉に通じていた、
というのが古田説にあったような記憶が・・・。

169: 世界@名無史さん 2006/07/17(月) 06:37:53 0
>>167
奈良時代の倭国が呉を偏愛していたのはその為なのか?

177: 世界@名無史さん 2006/07/17(月) 20:39:06 0
>>169
日本は平安時代「姫氏国」と言う、うわさが広まってたみたい
「日本書紀 私記」に書かれて意るな,当時の人は別に疑問を感じなかったんだろうな。

178: 世界@名無史さん 2006/07/18(火) 12:41:46 0
>>177
“姫氏国”に関する具体的な資料を探そうと思うとなかなかヒットしないのだ。
ポルトガル人が、「中国人が日本の事を姫氏国と呼んでいたのを聞いた」とか、「日本書紀 私記」とか、「野馬台詩」などといった、伝聞や日本側の資料ばかりが見つかる。
「野馬台詩」が、あれだけ日本人の恐怖心をかき立て続けたということは、かなりのショックだったのだろうとは思われるのだが・・・(歌舞伎の演目や、地方のお祭りにまで発展してしまっている。)

中国側の資料希望。
野馬台詩(野馬臺詩、耶馬台詩、やばたいし、やまたいし)とは、日本の平安時代から室町時代に掛けて流行した予言詩。中国・梁の予言者、宝誌和尚の作とされるが、偽書の可能性が高い。偽作者については不明で、日本で作られた可能性はあるが、中国で作られたのは本当とする説もある。平安時代後期から、終末論の一種として、天皇は百代で終わるという「百王説」が流布するようになった。
鎌倉時代初期成立の慈円の『愚管抄』には、「人代トナリテ神武天皇ノ御後百王トキコユル。スデニノコリスクナク八十四代ニモナリニケル中ニ。保元ノ乱イデキテ後ノコトモ。又世継ガ物ガタリト申物ヲカキツギタル人ナシ。少少アルトカヤウケタマハレドモ。イマダエ見侍ラズ。」とあり、百王説が説得力を持っていたことがわかる。


181: 世界@名無史さん 2006/07/18(火) 23:03:31 0
>>178
「野馬台詩」というのはかなり陰惨かつ不愉快な詩で、東海姫氏国(日本)が、天皇100代目にして国家滅亡し、最後は壊滅状態になり何も無くなってしまう事を予言したものらしい。
吉備真備が唐で読むように指示されたものだそうで、この詩の解釈をめぐって、日本中がちょっとしたパニックに陥った形跡がある。もっとも、現在の天皇は100代を経過しているし、もし本当にそういうものが存在したとしたら、日本人に対する中国人の嫌がらせかも知れない。
なんか恨まれる事でもしたのかなあ?

185: 世界@名無史さん 2006/07/19(水) 02:28:11 0
>>181
>なんか恨まれる事でもしたのかなあ?

やっぱ聖徳太子の例の隋の煬帝への手紙を中国人は根に持っていたんじゃねーの?

野馬台詩だと立教の小峰先生の本がいいらしいね。
みんなのネタ元はそこから?

187: 世界@名無史さん 2006/07/21(金) 16:37:43 0
>>185
根に持つとしたら、白村江の戦い(663年、天智2年)の方じゃないか?
聖徳太子は古過ぎる。
日本は、702年に栗田真人を派遣して、中国と正式に国交回復している。
(ついでに国号を、倭国から「日本」へと正式に改める。)
吉備真備が遣唐使として渡ったのが、716年だ。

200: 世界@名無史さん 2006/07/23(日) 16:16:31 0
>>181
「野馬台詩」(の全文と解釈)
http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/jpn59.htm
東海姫氏国、百世代天工。
右司為輔翼、衡主建元功。(ry

実に酷い詩だ…
当時の日中関係も、現在と同じように殺伐としたものだったんだろうか?

182: 世界@名無史さん 2006/07/18(火) 23:32:59 0
誰が詠んだか知らないけど、外国人が詠んだものは高尚なものってのが基本でしょ。それに末法思想にも受けたんじゃないの。

214: 世界@名無史さん 2006/08/03(木) 21:11:23 0
倭人伝に出てくる邪馬台国の国名とか官名、呉音っぽいな
「奴」漢音ではド、な、の、「馬」バ、ま、「母」ボ、も倭人は呉音に近い発音、発声してたんかな?
となると江南地方出身て事になるな、呉音は仏教からと習ったが。

215: 世界@名無史さん 2006/08/03(木) 21:17:46 0
いやmかbか、nかdかについて言うと漢音ってかなりローカルだから。

216: 2006/08/05(土) 18:16:08 0
詳しい説明キボンヌ。

225: 世界@名無史さん 2006/08/06(日) 12:25:36 0
>>216
日本漢音は唐代長安音を元にしており、「馬」バ「梅」バイ「母」ボなどがbで始まるのは陝西省近辺のmb-という特徴(今もある)の名残り。
この特徴は福建語などの例外を除いて結局中国では全国には広まらなかった。

漢~三国の江南音と朝鮮漢字音と日本呉音が似ているのはよく言われるね。呉音は仏教を通じて伝わったというより、その前はみんな呉音だったのが、遣唐使以後漢音を使うよう勅令が出たものの徹底せず、特に寺院では仏教用語によって大量に保存されたとみるのが正確。

227: 世界@名無史さん 2006/08/06(日) 14:05:59 0
>>225
日本を「ジッポン」って発音するのは、何音になるの?

228: 世界@名無史さん 2006/08/06(日) 15:03:48 0
>>227

不思議な事は、古くからあった呉音系の「ニッポン」「ニホン」が現存し、新しく発生した漢音系の「ジッポン」が消えてしまった事です。
これは推測に過ぎませんが、日本人は、外国人に対する時にだけ、中国語を意識して、自国の事を「ジッポン」と言い、自分たち同士では、「ニッポン」「ニホン」と、言い続けていたのかも知れません。

現代の北京語では「リーベン」と発音しますが、南部では「ジッポン」と発音している 地域も残っているようです。 ジャパンのルーツは「ジッポン」を「ジパング」に聞き 間違えたまま世界に広めてしまったのは、マルコ・ポーロだったのです。 ...
http://toron.pepper.jp/jp/kodai/kigen/japan.html
http://blogs.yahoo.co.jp/chiebukurar/9040049.html

引用元: ・【江東】長江流域の歴史【江南】



長江文明の曙 (長江文明の探求)
梅原 猛 樋口 隆康 厳 文明
角川書店
売り上げランキング: 996,648