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1: 世界@名無史さん 2007/07/31(火) 16:35:32 0
だよな?






第4回十字軍(1202年 - 1204年)は、インノケンティウス3世によって呼びかけられ、フランスの諸侯とヴェネツィアを中心として行われた十字軍。当初の目的であった聖地には向かわず、キリスト教国の東ローマ帝国を攻略し、コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル・現イスタンブール)を陥落させ、略奪・殺戮の限りを尽くしたため、最も悪名の高い十字軍として知られる。





4: 世界@名無史さん 2007/07/31(火) 17:46:51 0
傍目からみればどれも似たようなもんでね

5: 世界@名無史さん 2007/07/31(火) 18:25:53 0
西洋史的には重要な事件だな。カトリック、十字軍というもへの疑問が芽生えた。

6: 世界@名無史さん 2007/08/01(水) 15:48:07 0
普通に馬鹿じゃね?
コンスタンティノープルいった時点で。

7: 世界@名無史さん 2007/08/01(水) 15:51:15 0
>>6
だってビザンツの元皇太子が「オレを皇帝にするのに協力すれば、軍資金出してやる」って言ったんだもん。

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イサキオス2世アンゲロス
(1156年9月 - 1204年1月28日)は、東ローマ帝国アンゲロス王朝の初代皇帝(在位:1185年 - 1195年、1203年)。

1195年、3度目のブルガリア遠征を計画したが、反対した弟のアレクシオスによって廃位・幽閉されて皇位を奪われた。

後にイサキオスは弟によって盲目にされた。イサキオスの息子で神聖ローマ帝国に亡命していたアレクシオス4世は、軍資金の調達が困難で遠征できなかった第4回十字軍に対して資金援助や東西教会の統一などを条件に味方に引き込み、帝国の首都・コンスタンティノポリスに侵攻した。1203年7月にアレクシオス3世は皇位を追われて逃亡し、アレクシオス4世は幽閉された父・イサキオスを助け出して、父と共に共同皇帝として即位した。

しかし復位にあたってアレクシオス4世が命じた軍資金供出の負担は国民に重く圧し掛かり、1204年、皇族のアレクシオス5世ドゥーカスの反乱を招いた。この反乱により、イサキオス2世とアレクシオス4世は共に殺害され、皇位はアレクシオス5世に簒奪された。49歳であった。


8: 世界@名無史さん 2007/08/01(水) 17:31:57 O
ビザンツ帝国を潰したのは馬鹿。

9: 世界@名無史さん 2007/08/01(水) 17:54:00 0
このおかげでトレビゾンド帝国やエピルス帝国などというマニア受けするのが出来たのだ。

10: 世界@名無史さん 2007/08/02(木) 11:00:13 O
難攻不落のコンスタンティノープルを落としたというのは軍事的には画期的事件

まあ第4次十字軍の伏線ともいうべきビザンツのマヌイル1世の一方的なヴェネツィア人の一斉逮捕事件も考慮すべきだな
第4次十字軍時のヴェネツィア総督ダンドロは先の事件時には在コンスタンティノープル大使でこの事件がもとで失明したといわれる

ヴェネツィアにとってはビザンツに対する報復をうかがっていたとこだろう

14: 世界@名無史さん 2007/08/14(火) 01:19:51 0
>>10
1171年初頭、金角湾沿いのジェノヴァ人居留地に対してヴェネツィア人が襲撃をかけ、施設を破壊し多数のジェノヴァ人を殺傷しました。
マヌエル1世はヴェネツィア人に対して損害を賠償するよう命じましたが逆にヴェネツィア人はマヌエル1世に対してヨハネス2世の時と同じことをしてやろうかと恫喝しました。

ヴェネツィア人の狼藉に対して慎重な姿勢で臨んできたマヌエル1世の忍耐もここに至り限界に達しました。
http://www5c.biglobe.ne.jp/~paruwees/Histoly_37_40.html

ヴェネツィアがやられたにはそれなりの理由がある
さらにヴェネツィアと東ローマはイサキオス2世の時に和解している
マヌエルの復習ではなくアレクシオス3世のヴェネツィア断行が原因ではないか

11: 世界@名無史さん 2007/08/02(木) 11:15:49 0
この事あんまり詳しくないけど十字軍はよくコンスタンティノープル落とせたね
トルコはあれだけ苦労してたのに

12: 世界@名無史さん 2007/08/02(木) 16:51:45 0
十字軍が陸から、ヴェネツィアが海から攻撃
海からの攻撃で塔を二つ占領
恐怖に駆られたムルツプロスが逃亡して、陥落

であってたっけ?

しかし、コンスタンティノープルが陥落したのってこれとメフメット2世の2回くらいじゃない?
ニケーア帝国は守備兵のいない隙をついての占領だったし

13: 世界@名無史さん 2007/08/04(土) 08:12:37 0
「キプロス、ギリシャ、エーゲ海の十字軍城塞」って本ではギリシャを占領したラテン人は土着の職人や建築家によって城塞を建てたので、単純で時代遅れな後期ロマネスク様式のものしか出来なかった、などと書いていた。
もうこの頃では築城技術も西欧に抜かれてたんだろうか。

16: 世界@名無史さん 2007/08/14(火) 08:45:00 0
ハンガリーのザラを最初に奪いとった時点で歴史上最も馬鹿な軍隊
というかヴェネツィアの私兵軍隊だろ

ヴェネツィア

1201年に十字軍参加者はヴェネツィアに集結し始めたが、予定した3万人の約1/3しか集まらなかった。このため、参加者の有り金を全部集めてもヴェネツィアに支払う船賃が大幅に不足し、出航できなかった。そこでヴェネツィア側との協議の結果、かつてのヴェネツィア領で当時はハンガリー王保護下にあったザラ市(現在はクロアチアの都市ザダル)を攻略することで、船賃の補填とすることにした。カトリックであるザラの攻略には、十字軍内にも大きな抵抗があったが、結局ザラを攻撃し、数日でこれを降伏させた。

知らせを聞いたインノケンティウス3世は激怒し、十字軍を破門にしたが、弁明を受けて破門を解いた。


19: 世界@名無史さん 2007/10/14(日) 17:54:18 0
当初は異教徒達をやっつけてやるという意気込みが、いつの間にかその矛先がビザンツに変わっている。

21: 世界@名無史さん 2007/10/14(日) 21:13:55 0
まあでもビザンツ帝国の首都を制覇する元気があるのだから、あのままエジプトへ遠征できていればイスラム軍を壊滅できたかな?

22: 世界@名無史さん 2007/10/14(日) 21:24:50 0
その前にハンガリーのザラも制圧したからね

25: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 10:44:55 0
みんなベネチアンを悪者扱いしすぎ

48: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 15:58:04 0
そもそも十字軍がヴェネチアとの契約の時に必要とする船の数を間違わなければこんなことにならなかった。

50: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 20:30:34 0
ヴェネチアもヴェネチアで「今回の十字軍は全員ヴェネチアの船使うから!」って十字軍側のヨタ話をホイホイ信じなければこんな事にはならなかった。

53: 世界@名無史さん 2007/10/17(水) 09:41:34 0
>>50 
客の要望に応えるのが商人ってもんだろ

30: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 13:52:23 0
「ビザンツ帝国史」では第二回十字軍の頃からコンスタンティノポリス制圧の話が出ていたらしい

32: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 16:44:14 0
>>30
バルバロッサも十字軍への妨害をするビザンツにイラついて本気でコンスタンチノープルへの侵攻を考えてたらしい。

34: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 17:28:28 0
>>32
正しくはイサキオスだな
サラディンとひそかに同盟を結んだらしい

44: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 01:17:44 0
>>32
十字軍でビザンツ領を通過するとき「どっちがローマ皇帝か」って揉めたんだっけ>バルバロッサ

47: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 11:33:53 0
>>44
イサキオス2世が同盟関係にあったサラディンに十字軍の動向をちくったからもめた

35: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 17:51:53 0
ヴェネツィアもマムルークと裏で取引があったと思ったが

39: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 18:12:52 0
この時の東ローマ軍とは他民族の混合で一次大戦の時のオーストリア軍のように言語の違いで連携もろくに取れなかったという

40: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 19:07:12 O
西ローマ帝国はゲルマン人に侵食されて滅ぼされたが、東ローマ帝国もゲルマンの末裔たちやノルマン、ヴェネチアの蛮族に侵食されて、滅んだんだな。
オドアケルと東ゴートに該当するのがオスマントルコになるのか。
オスマン皇帝がキリスト教徒に対してビザンツ皇帝の後継者を自称したこともあったし。

41: 世界@名無史さん 2007/10/15(月) 19:26:26 0
復活した東ローマを蝕んだのは
セルビアとオスマンでしょ

45: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 04:58:35 O
第4回十字軍を語る時はその約20年位前のビザンツ皇帝マヌエル1世によるヴェネツィア人一斉逮捕事件に留意すべきです
逮捕といってもかなり暴力的に行われ、唯一逃れたヴェネツィア人が1隻の船に乗り込んで逃げた際にはビザンツ海軍の船舶が執拗に追い掛け、火炎放射を浴びせた程です(ヴェネツィア人はとっさに船体に酢に浸した毛皮で覆い逃れたが)
この事件の際、在コンスタンティノープル大使ダンドロが失明
そのダンドロが第4回十字軍時のヴェネツィア総督です
ダンドロ以外のヴェネツィア人もビザンツに対し深い恨みを抱きました
マヌエルはこの事件の理由に帝都内でのヴェネツィア人によるライバルのジェノヴァ人への暴行を挙げますが
マヌエルはノルマン両シチリア王国への侵略へ失敗し、それまでの同盟国の神聖ローマ帝国、ヴェネツィアを突如切り、仏、ジェノヴァ、ノルマンと組んだこととヴェネツィアによる帝国内交易独占を排除したいがためと言われています

46: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 05:34:35 0
>>45
> この事件の際、在コンスタンティノープル大使ダンドロが失明

それは嘘。この事件の後もダンドロの目が見えていた記録がちゃんと残ってる。

47: 世界@名無史さん 2007/10/16(火) 11:33:53 0
>>45
マヌエル没後に皇帝になったイサキオス2世はヴェネツィアとの関係を修復している。
ヴェネツィアがアレクシオス4世に力を貸したのも親がイサキオスだったからということも大きかったと思われる
(ついでにイサキオスにクーデターをおこしたアレクシオス3世は反ヴェネツィアであり、ヴェネツィアの敵だった、確かジェノヴァだったかピサだったかと修好を結んでいた)


61: 世界@名無史さん 2007/12/18(火) 12:05:51 0
当時のビザンツの支配層も皇帝の地位争いで滅茶苦茶だったしな、コンスタンチノープル陥落は起こるべきして起こった

64: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 00:21:26 0
>>61
オクタヴィアヌスの頃から皇帝争い、内乱は日常茶飯事だよ
何であんなに争いがあったのに1400年国が続いたのかふしぎなくらい

63: 世界@名無史さん 2008/01/02(水) 20:19:05 0
しかしこの時の十字軍の所業は「これぞ野蛮人!」って感じだな。
東方から蔑まれて来たフランクの面目躍如たるものがあるw

64: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 00:21:26 0
>>63
1回目と3回目の十字軍だってすごいぞ

65: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 01:23:47 0
カトリックであるハンガリーを攻撃したことは容認されない

66: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 08:59:41 0
>>65
ヴェネチア「うるせえ!オレの商売敵は皆異端だ!」

67: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 14:11:27 0
>>66
むしろヴェネツィアが異端扱いされても平気な顔をしていられるからカトリック国への攻撃がありうるわけで。

68: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 21:50:28 0
当時のビザンツ兵の格好って、ドングリ型の兜に鎖帷子やスケールアーマー、カイトシールド、肩と腰に変な革製のビラビラ、みたいな感じで間違いないですか?

69: 世界@名無史さん 2008/01/03(木) 22:07:25 0
>>68
テマ制が崩壊していこう傭兵だらけ
装備もばらばら

71: 世界@名無史さん 2008/01/04(金) 08:43:26 0
>>69
ばらばらっていってもあの辺の武装の再現図とか見ると独特なビザンツ色があるじゃないですか。
まあ戦士聖人のイコンとかソースにしてて、あのビラビラとか(肩のはプテルゲスとかいうらしい、腰のほうの名前は忘れた)なぜか胸に巻いてる革帯とか、その描写のどこまでが様式でどこまでが当時実際にみられたものなのか議論の余地はあるらしいですけど。
メンアットアームズでも、邦訳された「ビザンツ軍」の著者のイアン・ヒースなんかはイコンの描写を信用してるようだけど、Romano-Byzantine Armiesを書いたデヴィッド・ニコルは信用してないみたい。

そういやデヴィッド・ニコルのHungary and the Fall of Eastern Europeで14世紀前半の「プロノイア騎兵」がタタール人と戦ってるイラストがあったけど、頭にはシャペル・ド・フェールみたいのを被って膝から顔面までメイルで覆い、その下にラメラー装甲をつけているようだった。

引用元: ・第4回十字軍は歴史上一番馬鹿な軍隊



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