1920px-Battle_of_Lepanto_1571



1: 世界@名無史さん 03/11/25 00:51
東地中海において15世紀から18世紀まで続いたヴェネツィア共和国とオスマン帝国との攻防戦について語りましょう。
片や交易国家。片や覇権国家。
片やシーパワー。片やランドパワー。

この二つの強大な勢力の攻防戦が、キリスト教世界とイスラム教世界の関係にどう影響を及ぼしたのか。
軍事・経済、文化面での影響も踏まえて語れると嬉しいです。








3: カラジチ ◆mWYugocC.c 03/11/25 01:06
面白い視点ですね。
バルカン半島スキーの視点からいえば、戦争のたびに住民が難民化してあっちこっちに移住したという点に興味があります。
イタリア半島にアルバニア人が住んでたり、ギリシア人が住んでたり。

5: 世界@名無史さん 03/11/25 01:10
>>3
オスマン帝国の攻撃でかなりの数の難民がバルカン半島のアドリア海沿岸に逃れたそうです。
ヴェネツィアの陸上部隊はその大部分をダルマティア(アドリア海沿岸の地名)傭兵が占めたようですが、彼らはオスマン帝国に恨みを抱いていたのでヴェネツィアに協力したようです。

13: 世界@名無史さん 03/11/25 09:39
>>3
>イタリア半島にアルバニア人が住んでたり

南イタリアやシチリアを中心に移住したんだよね。
イタリア系アメリカ人の多くは南イタリアやシチリアからの移民が多いそうだがその中にもアルバニア人を先祖に持つ人はいたんだろうかね。

6: 世界@名無史さん 03/11/25 01:16
1416年 ヴェネツィア共和国の艦隊がオスマン帝国(以下トルコ)艦隊との初めての海戦に勝利

1430年 トルコ軍、ヴェネツィア領のテッサロニキを攻撃し征服

1453年5月29日 トルコ軍、コンスタンティノープルを征服。ビザンティン帝国が滅亡
その後、黒海、ギリシア半島、バルカン半島へ侵攻

1470年 トルコ軍、ヴェネツィアの拠点であるエーゲ海の要衝ネグロポンテを攻撃、陥落させる

1475年 トルコ軍、イタリア北部ヴェネツィア領を攻撃

1479年 ヴェネツィア共和国・オスマン帝国講和、ヴェネツィアはネグロポンテ、ペロポネソス半島内陸部、アルバニアを失う

1499年 トルコ軍がギリシア半島のモドーネ、コローネを攻撃

1538年 トルコ軍がギリシア半島、クレタ島、ボスニアへ侵攻、プレヴェザ海戦でトルコ軍がキリスト教国連合艦隊を破る

1645年 クレタ島攻防戦開始 トルコ軍、クレタ島西部の都市カネアを攻撃し占領

1648年 クレタ首都カンディアへの攻撃を開始

1667年 カンディアへの総攻撃失敗

1669年 ヴェネツィア共和国・オスマン帝国講和、ヴェネツィアはクレタ島の支配権を失う

1699年 ヴェネツィア・オスマン帝国講和、ヴェネツィアはギリシア、ペロポネソス半島などの領有権を回復

1714年 トルコ軍、ヴェネツィア領へ侵攻 モドーネ、コローネ、ギリシア諸都市を奪回

14: 世界@名無史さん 03/11/25 16:49
>>6
レパント海戦が抜けてないか?

16: 6 03/11/26 00:48
>>14
ほんとだ、1571年のレパント海戦が抜けてますた。
もう少し落ち着いて書くべきですた。 


23: 世界@名無史さん 03/11/28 19:55
オスマン艦隊はほぼ全滅してコーランの刺繍入りの軍旗を奪われたんだっけか・・・

46: 世界@名無史さん 03/12/02 20:27
イタリア政府はトルコ軍の軍旗を返還したというのは本当ですか?

47: 世界@名無史さん 03/12/03 00:35
>>46 
イタリア政府じゃなくてバチカンじゃなかったかしら。

48: 46 03/12/03 00:55
>>47 
ヴァチカン政府が保有していたとは知りませんでした 
塩婆の小説が情報ソースでしたから詳しい事は知らないもので・・・

53: 世界@名無史さん 03/12/08 00:46
がんばれ塩婆 
なんだかんだ言って、みんな塩婆の著作を読んで歴史マニアになるんだ。(一部)

54: 例の170 ◆vBOFA0jTOg 03/12/08 00:58
時々大嘘付くけどな(つД`)

15: 世界@名無史さん 03/11/25 23:48
>>6 >>14
マルタの「大包囲戦」もいれとけ。
ヴェネツィアは直接関与していないが、あれは、トルコの勢力拡張の折り返し点だ。

16: 6 03/11/26 00:48
>>15
そうすね。マルタ島を諦めたから代替行為としてトルコはキプロス島狙ったそうだし。

1565年 トルコ軍マルタ島攻略に失敗
1571年 トルコ軍キプロス島を占領

これを足すべきでしたね

7: 世界@名無史さん 03/11/25 01:18
オスマン帝国とヴェネツィア共和国はほぼ同じ時代に繁栄し、同じ時期に衰退していったという印象があります。

25: 世界@名無史さん 03/11/28 20:54
>>7
新航路発見による地中海の戦略的価値の低下&西ヨーロッパ諸国の強国化が原因だったんだろうねえ
両国とも根っこの所では利害は一致していたってことなんでしょうか

26: 世界@名無史さん 03/11/28 22:06
>>25
トルコとヴェネツィアは必ずしも利害が一致していたわけではないですが、トルコが紅海でポルトガルに圧迫を加えたことはヴェネツィアにとっては有利に働いたようです。

ところで西欧諸国を大航海時代へと追い立て、列強となるきっかけを与えたのは他でもないトルコ自身だと思います。

8: 世界@名無史さん 03/11/25 01:54
『紅の豚』はアドリア海の島々にイタリア領土があったことを反映しているのか?
戦後はユーゴに取られたが。

9: 世界@名無史さん 03/11/25 01:59
>>8
あれドブロヴニクっぽいねえ。「魔女の宅急便」の舞台も。

11: 世界@名無史さん 03/11/25 02:18
ドブロブニク(ラグーザ)はヴェネツィアと仲が悪かったらしいね。

13: 世界@名無史さん 03/11/25 09:39
>>11
ドブロブニクはヴェネツィアとの対抗上、トルコに保護を求めたとか。世界史板のバルカンスレによる
とトルコの保護下にはあるが比較的高度な自治が認められてたそうだ。近年の香港(ただし英領時代まで)みたいなものだろうか。
また、ドブロブニクと他のダルマチア地域がボスニア領のネウムを挟んで分断されてるのは、ダルマチアを支配するヴェネツィアと、ドブロブニクとの争いを避けるための緩衝地帯として当時ボスニアを支配していたトルコがネウムの地を管理することになったためとか。




22: 世界@名無史さん 03/11/28 15:18
15世紀イタリア半島にもオスマン帝国領があったのは本当?

24: 世界@名無史さん 03/11/28 20:01
>>22
1480年にオトラント海峡をトルコ軍が押し渡り、ローマ侵攻を企てましたが、時の皇帝メフメトが死んだため、おじゃんになったと、塩野七生の『コンスタンティノープルの陥落』に書いてあったと記憶・・・

27: 世界@名無史さん 03/11/29 00:06
オトラントはトルコの歴史地図ではオスマン帝国領に色分けされてます。

28: 世界@名無史さん 03/11/29 02:32
>>27
実際にトルコが南イタリアのオトラントを併合した事実はあるの?

34: 世界@名無史さん 03/11/29 23:39
>>28
確か、メフメト2世が死ぬ直前にちょっと派兵して占領してただけで領有してたというほどのことはほとんどないと思う。

36: Krt 03/11/30 00:29
>>28
Lord Kinross は彼の、The Ottoman Centuries: Quill において、1481年5月4日におけるメフメッド二世の病死(まだ49歳だったが、長年の暴飲暴食や荒淫、そして遺伝による持病の関節炎と痛風に加えて、大腸炎と阿片の過剰投与によるとされる腸閉塞による)の後、征服から免れた西欧の安堵を記述しつつ、彼の征服事業についてこう評している。

In fact Sultan Mehmed II in a generation of campaigning had not greatly extended
his imperial frontiers. He had failed before Belgrade, before Rhodes, and before
<<Otranto>>. He had nontheless, as he claimed, become the master of two seas and
two continents.... ( << 、>>での強調は私による)

だからこの時、オトラント征服はならなかった、という評価なわけだね。

37: 世界@名無史さん 03/11/30 02:29
>>36
なるほど。
もしメフメト2世の病死がそれよりもっと後で、トルコ軍によるローマ包囲、そして陥落があったなら歴史はどう変わったであろうか。

38: 世界@名無史さん 03/11/30 16:25
>>37
メフメト二世が長生きしたってアドリア海を握ってるのがヴェネチアなんだからローマ包囲なんて絶対無理。

39: 世界@名無史さん 03/11/30 16:46
オスマン皇帝、特にスレイマン大帝はローマ+東方の王アレキサンダーを意識していたそうだから
ローマ攻略の意志はじゅうぶんあり得る。

40: 世界@名無史さん 03/11/30 16:49
スレイマンにとってカール5世はローマ皇帝を自称するスペイン王。

武威に屈服させなくてはならない相手だった。

42: 世界@名無史さん 03/11/30 23:09
>>40
当時のスペインは「日の没することのない帝国」、「スペインが動けば世界が震える」と言われたほどの大国だから、オスマン帝国といえども侮れないはず。

44: 世界@名無史さん 03/12/01 03:36
>>42
それはあくまで当時のヨ-ロッパでの評価では?


56: 世界@名無史さん 03/12/08 01:17
しかし、そもそもヴェネツイア対オスマン帝国という図式そのものに、どの程度妥当性があるのかな。
東地中海の局所的な政治力学ならともかく、全地中海、ないしヨーロッパ的には、あきらかにハプスブルク(海ではスペイン)対オスマン帝国だと思うんだけど。

68: 世界@名無史さん 04/02/24 10:38
海ではスペインっていうが
当時のスペイン海軍にしても主力はジェノバ傭兵どもだしな。
スペインの強みは地中海を軽視する戦略にあったわけで、ハプスブルク→オスマンの構図をスペイン→オスマンと同一視するのは無理がある。

スペインが見ていたのはせいぜいアルジェ海賊どもくらいでそれも西地中海の局所的な政治力学に過ぎんよ。

70: 68 04/02/25 12:04
ただまあ、56の意見っつーか煽りを建設的に解釈すると、
「東地中海の局所的な政治力学」でも
ヴェネツィアVSオスマン帝国って単純な見方はどうなんだよ?
ってことだな。

例えば、完全な大陸国家ハンガリー。
ヴェネツィアの海運基地ともいえるダルマツィアへの影響力などを介して、あるいはヴェネツィアとオスマン帝国の間に存在する「壁」として、あくまで両者が海洋で激突する状況を作り出したとも見える。
ハンガリーの動き次第でヴェネツィアの海洋政策は大きく左右される。

常識で考えてもヴェネツィアが独力でオスマン帝国と激突したって見方には無理がある。
ヴェネツィアの武器が外交手腕と情報機関にあったことでもそれは証明される。
正面きってぶつかるのが無理だから、そういう手段に走るわけで。

ヴェネツィアは「オスマン帝国と戦った」というかもしれないが、オスマン帝国はやや誇張を含めて「ヨーロッパと戦っていた」というのだろうな。

61: 世界@名無史さん 03/12/09 00:55
とりあえずマクニールの『ヴェネツィア』を読もうぜ。

でもこういう面白い本を読むとトルコ側からの視点のも読みたくなるんだよね。

引用元: ・【東地中海攻防戦】ヴェネツィアVSオスマン帝国