5107Y0OFJFL._SX342_BO1,204,203,200_



1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/19(金) 11:13:32 ID:GMGf0Uld0
なんか限定されたスレばかりのなので立てた








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/19(金) 11:26:27 ID:hZwHCzDM0
まず軍師の定義について

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/19(金) 13:24:28 ID:bit54Dk30
軍師の定義(『アジア歴史辞典』「軍師」の項目、宮崎市定氏が担当)

中国の官名。後漢ころから史上に現れる名で、三国時代に急に広く用いられた。
軍参謀ともいうべきもので、魏の曹操の軍師荀攸、呉の左軍師朱績、蜀の軍師将軍諸葛亮が特に有名である。(中略)南朝以後は置かれないことが多く、梁代を最後として消滅し、代わって御史をもって監軍とする風が起こった。

太公望、張良、劉基その他にはご退場願おうか

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/19(金) 11:45:08 ID:nRRwybXw0
実績、知名度の兼ね合いを考え、政治面での能力も加算したら、やっぱり諸葛亮になるんじゃないかな。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/19(金) 12:00:04 ID:kZaUjl26O
>>3
その基準で選ぶなら、少なくとも張良のほうが上

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/19(金) 15:44:43 ID:3l4UD9iZ0
純粋に戦場での戦術面における実績となると誰が一番になるだろう。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/19(金) 21:22:20 ID:DMR3Rd/10
張良の場合は外交顧問、ネゴシエーターとしては、中国史上右に出る者はいない怪物なのだろうけど作戦参謀、または国政のグランドデザインの立案者としては、評価できないなあ
反秦の兵を起こしてからの戦績は振るわないし、政治面に関しては完全に放り投げてるから

個人的には、万能かつ、器用貧乏に陥らなかった王猛が最高クラスかな?

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/20(土) 15:01:12 ID:EPJx1UW70
劉基
劉 基(1311年 - 1375年)は中国元末明初の軍人・政治家・詩人・軍師。朱元璋に仕えて明を建国するに際し大きな功績を上げ、その後の明を安定させることに尽力した。

軍師としての劉基は紅巾軍の名目的な首領である韓林児に対して、「牧童に過ぎない。こんな者を奉じてどうなる!」と大喝したり、朱元璋が湖南の陳友諒を措いて、蘇州の張士誠を討とうとした時に諌めて、先に陳友諒を討つべきと進言したりしている。これらの進言に対して朱元璋も劉基を厚く信頼し「我が子房(張良のこと)」と呼んでいた。


12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/20(土) 21:45:01 ID:FyIyrUhc0
諸葛亮のイメージのモデルは半分くらい劉基っぽいしなあ。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/20(土) 23:44:19 ID:1iUuGCYn0
劉基は張良を意識していたはず

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/21(日) 18:32:44 ID:LmdFOAjz0
張良と諸葛亮を比較するとどんな感じ?

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/21(日) 18:51:57 ID:hgvHPRLs0
帷幄の中で謀をめぐらせたのが張良、方面軍の総指揮官を務めたのが孔明

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/21(日) 23:45:04 ID:WOvOUoMr0
劉邦陣営には蕭何と陳平もいたからな。
張良は内政や補給は蕭何、敵を陥れる策略は陳平に任せて軍師に専念できたわけで、その3人分の仕事に加えて軍の総司令官まで全部一人でやる羽目になった孔明よりは楽な立場だったな。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/01(金) 15:39:54 ID:BkhQJDRu0
>>17
ただ、結果として、蜀漢は西漢の三分の一以下になっちゃったな。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/02(土) 02:24:32 ID:nneC/dYa0
呉起はどうだろう。

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/21(木) 23:40:06 ID:QJKmETqEO
はんれい
携帯なので漢字変換できなくてごめん

26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/22(金) 01:12:11 ID:wnGJ8HRI0
楽毅じゃね?

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/23(土) 19:47:06 ID:citfP5eB0
孫武も呉起も范蠡も楽毅も名将だとは思うんだが
名将と軍師はどう区分したもんだろうな?

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/23(土) 22:35:57 ID:yTncDHQe0
軍事面に置いて作戦を立案したら軍師でいいんじゃね?

32: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/24(日) 11:50:29 ID:zte4XQSC0
意思決定者(君主や総大将など)ではなく
補佐的立場から献策し成功せしめた人物であれば
自身有能な将軍であれ軍師と呼称されているようだ(例:山本勘助、黒田官兵衛等)

孫武

特筆すべき献策
1.漢水において楚の迂回作戦を逆用し、奇策によって撃退している
2.楚の首都・郢及び紀南を水攻めによって陥落させている
(安能務 春秋戦国志(中))

兵法の祖と呼ぶにふさわしい、また軍師とされて然るべき
冴えのある献策をしている一方、彼自身軍を率いる身であり
戦果からしても、伍子胥と並ぶ名将である

孫武は名将であり、同時に軍師と呼んでよいだろう

33: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/24(日) 12:45:12 ID:zte4XQSC0
呉起

76戦64勝12引分
秦、韓による侵攻の絶えない西河を確保し続ける
後に楚に移り富国強兵を実現する

特筆すべき策(献策ではない)
1.「長柄と赤豆」「兵と寝食を共にし、その膿を吸う」等、人心掌握/士気高揚策

2.西河の戦い 敵兵を故意に逃がし、報復の軍を誘き寄せた上で、一気に叩き無防備になった敵領を奪う

3.陽狐の戦い 千の精鋭をもって五万の鈍兵の範とさせ、五十万の敵軍を破る
(安能務 春秋戦国志(下))

奇策を使い、敵の心理を読みきった策を練っている点、軍師と呼称されておかしくないのだが呉起には参謀として献策するエピソードが見受けられない
これは長らく西河の太守として、対秦・韓防衛の意思決定者だったことが影響しているだろう
また、何よりも人心掌握の達人であり、それにより強兵化するという側面が強い点
さらには不敗の将軍としての「戦績」が残っていることから考えても彼は軍師ではなく名将、あるいは知将と呼ぶのが相応しいのではないだろうか

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/24(日) 13:45:31 ID:zte4XQSC0
范蠡

特筆すべき献策
1.対呉闔閭戦における「決死隊(罪人部隊?)」(wikiより、罪人は春秋左氏伝)
春秋戦国志(中)では、要塞を築き、前もってトンネルを掘っておきそこから夜襲をかけて闔閭を撃退したことになっている(典拠不明、グーグルでも検索できなかったため怪しいかも)

2.対呉戦略 呉に面従腹背し、裏で七術(美女計、贈賄計など)を巡らし
戦略的奇襲をかけることで呉を弱体化せしめ、後に制圧した
(安能務 春秋戦国志(中))

直接戦場で行った献策としては、典拠不明の要塞→トンネル→夜襲はともかく「決死隊」は奇策中の奇策である
さぞかし呉軍も唖然としたことであろう
また、その後においては戦術面においてこそ特筆するエピソードはないものの戦略・謀略面での献策は越の成功をもたらした主因に他ならない
対呉防衛戦で、何度も将軍として指揮をとっているものの敗北した際、呉に連れ去られた越王句践を諌め補佐し続けその後も知恵袋的な立場にあったことから考えると比較的参謀色の強い、軍師らしい軍師と呼べるかもしれない

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/24(日) 14:45:04 ID:zte4XQSC0
楽毅

特筆すべき献策
国力を高め、機訪れれば韓魏趙秦と同盟し、斉を包囲する
特筆すべき策
1.総大将として済西の戦いにおいて五カ国軍を有効に機能させ自身騎馬部隊を活用することで斉の戦略を破る

2.そのまま斉都臨淄へ奇襲をかけ、陥落には精鋭で3~5年はかかると言われた城を半年で陥とす
(安能務 春秋戦国志(下))

大局を見ることができ、かつ戦場においても戦略・戦術両面において手腕を振るうことができ弱国であった燕をして大国斉を滅ぼす直前にまでおいやらしめた彼の智謀・能力たるや比肩する者はなかなか見当たらない

国家戦略においては参謀の立場を取りながら軍事・外交の実践面においては彼と共に燕は動いていく
孫武と似た部分もあるが、燕昭王は呉王闔閭の如く親征はしていないこと
また、楽毅には伍子胥の如き同格の将軍も見受けられないことから五カ国同盟以後は、彼が意思決定者とみられる

楽毅にこそ名将の呼び名が相応しいと思われる

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/24(日) 15:00:46 ID:zte4XQSC0
元ネタのほとんどは安能務氏の春秋戦国志です
あとはwikiとグーグルでちょこちょこ調べつつ書いてみました
誰が最強の軍師か、ではなくこの人は軍師か名将か、で書かせてもらっていましたのでスレのテーマとは微妙にズレてて申し訳ありません

39: 黨國精英西門慶 2008/02/28(木) 17:09:43 ID:mk5i5YEM0
孫武 諸葛孔明 林彪 彭德懷 朱德

54: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/04(金) 07:12:16 ID:x/e9N4Gy0
>>39
林彪=張良
彭徳懐=韓信
朱徳=膨越
周恩来=蕭何
毛沢東=劉邦+呂后

せっかく同郷の友人達と天下取ったのに、最後みんな殺してしまう。そっくり。
それがなければ劉備に例えられたのにね。

数少ない天寿を全うした朱徳の方が張良かもしれんが、ゲリラ戦だしw
超現実主義者の林彪が天下取ってたら今のような中国にはなってなかった気もする。

43: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/07(金) 13:17:11 ID:v73Yscwn0
太平天国の官職”女軍師”が最強

45: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/09(日) 02:00:40 ID:G37BuGL50
洪秀全は女だけの官制持ってて女丞相とか女将軍とかの職を作ったんよ
女の兵士は10万人いたらしい

46: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/15(土) 12:24:02 ID:71EN2LLP0
しかし奴は所詮張角の生まれ変わりに過ぎなかった

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/17(月) 00:41:03 ID:/e1kUKYrO
実際に張角の生まれ変わりなら、しょせんじゃなくて、かなり凄いことなんだが。

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/01(木) 04:36:52 ID:+2GCzTrt0
みんな大事な事を忘れてるぞ。軍師とは「帷幄にあって千里の外に勝敗を決する」もの。
軍を率いる司令官は外せ。諸葛亮その他は失格。これが兵法家だったら違ったのに・・・。

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/01(木) 14:56:36 ID:1EuiXPnk0
范増亜父じゃね?
彼の献策はひとつも間違っていない

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/01(木) 15:00:39 ID:AKS8kYuV0
>>62
主君を間違えた

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/11(日) 11:26:25 ID:ZghXfkBS0
諸葛亮は政治家だろう

71: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/11(日) 16:26:04 ID:WNwlGVX/0
本来は政治家~必要性?から自ら遠征軍の指揮(総大将)に。
管・楽への憧れもあったかも。

又、彼を惜しんだ後世の人たちや、三国志の作者自身が、諸葛孔明をスーパー軍師wにしたてた。。。ってのが皆わかってるけど、つい、言ってみる。

74: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/26(木) 05:22:32 ID:NALRV+mu0
張賓だろ?居なかったら石勒は勝ち抜けてない
張 賓(ちょう ひん、? - 322年)は、五胡十六国時代後趙の政治家。漢人参謀として石勒の覇業を支え、後趙樹立の立役者となった。石勒からは絶大な信頼を寄せられ、「右侯」と呼び敬われた。『晋書』では石勒の載記に付伝されており、『十六国春秋』には単独の伝が立てられている。

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/02(水) 16:59:07 ID:8x2D6bXs0
>>74
その言い方では「張良だろ?居なかったら劉邦は勝ち抜けてない」も成立してしまう。

80: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/06(月) 21:35:55 ID:PF2cTMdP0
孫武 司馬 韓信 周喩
太公望 かな 兵法書のこっているしな。

110: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/16(日) 20:16:14 ID:ag3tOkhV0
演義孔明のモデルで実際統一を果たした劉基が最強なんでは。
しかも洪武帝ですら粛清しようとしなかったほどの人格者だったみたいだし。

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/18(火) 02:58:07 ID:1rU0FvzN0
>>110
朱元璋が功臣キラーと化す前に死んだからな。
生きてたら無事だったかどうか分からんよ。

117: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/22(土) 19:48:48 ID:dwMRG1da0
韓信みたいなのを軍師に入れるかどうかを決める必要があるな。
あいつなら劉邦の横に張り付いて作戦言うだけでも勝てそう。

118: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/22(土) 22:47:57 ID:f6vO00l/0
作戦は言っても、勝つためには、それを取り上げ実行できるだけの度量が相手に要求されるからねぇ。
張良などの意見はよく聞き入れたが、さて韓信の意見ならどうだろう。
はなれたところでの成果なら事後追認できるけど、それとは違ってくるだろうな。

119: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/23(日) 20:25:24 ID:wPqNx1lL0
韓信の采配の真骨頂は現場での状況判断だからねえ
軍師として帷幕の中にいても仕事がないと思う

121: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/11/24(月) 07:10:09 ID:M/mOal3/0
李世民は李靖の言葉を重しとしてよく用いたけど、その関係は劉邦と張良に似ているが劉邦と韓信では、そうスムースにいくか? という話。
軍師として有用になるためには、それを用いる相手が重要ってこと。

125: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/13(土) 00:03:47 ID:cpSqn8ol0
軍師は、そもそも普通の臣下とは違う。
主従関係というよりも師弟関係に近く、軍規のある将や兵とも別物。
参謀を務める説客の様な感じ。
張良の場合は、「いずれ、帝王の師となる」と言われた様に軍師である。
韓信は将であり、軍師ではない。

軍師将軍だった諸葛亮の場合、これは張良の頃と軍師の形態が変化している。
つまり、軍師が実際の参謀職として運用された時代。
軍師という立場は、その役割こそ共通点も多いが、時代によって大きく異なる。
だから、一つの定義でまとめず、時代背景を考慮して軍師かどうか判断すべき。

130: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/14(日) 09:24:31 ID:TEEPrwxE0
>>125
張良の方こそ「軍師(軍事参謀)」ではないだろ。
ありゃあ、説客・縦横家の類だ。
張良に明確な国家経営または軍事ドクトリンがあったんなら百歩譲って軍師と呼んでやってもいいが、あいつはそんなもの持ち合わせてねえ。
ひたすら、外交・調略の鬼に徹している。

それに比べたら、諸葛亮は軍師そのものだよ。
どちらかと言うと、古代における宰相に近いけどな。

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/14(日) 09:41:59 ID:mz2EQqbO0
>>130
俺は>>125じゃないが、wikiにはこう書いてあった。

「諸軍閥は軍師を文字通り「師」として、帷幄で謀略をめぐらす任務を託した。群雄と軍師との関係は君臣の間柄ではなく、軍師は起居進退の自由を有する賓客として遇された」

これだと>>125が合ってるように思われる。それに歴史的に「張良は理想的な軍師」とした上で、軍師という言葉が使われて(定義されて)きた。張良が違うってんならお前様の軍師イメージが違ってるんじゃない?

137: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/14(日) 20:17:05 ID:TEEPrwxE0
>>131
軍師観の問題ならば、論ずるまでも無くそういった制度が存在しなかった秦漢においては、間違いなく張良は分類上単なる「賓客」に過ぎない。
軍事にも口を出さない(戦下手だから出せない。)、内政問題については、言及しているところもあるが(旧六国を復興させるか否かの問題で)、実質ノータッチ

とても、軍事・政務・国家戦略すべてにおける補佐を任せれる人材とは思えんのだが。

127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/13(土) 22:12:59 ID:k98kPaVPO
マジレスすると、ジュンイクかカクカあるよ。

128: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/12/14(日) 00:38:18 ID:AjvwIDd90
荀彧よりも荀攸の方が軍師っぽいな。
政治の荀彧と軍事の荀攸、賈詡みたいな。

159: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/23(金) 13:48:31 ID:2LYAFw4I0
中国で一番人気あるのは劉基らしいけど

160: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/23(金) 20:25:51 ID:z2gEeJir0
水戸黄門の劉基バージョンがあるくらいだからな

169: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/25(日) 18:21:46 ID:TjojUm/I0
軍師の能力の一つとして忠誠心はあるだろ?
野心が高い人は知謀が冴えても軍師としてはマイナスだし
君主を度々変える人は見る目が無いと言えるだろうし

ところでこのスレの認識として李世民の軍師って李勣・李靖なの?
普通は房玄齢、杜如晦じゃね?
あれか政治家だから軍師じゃない理論?
でも君主レベルでの軍師は普通政治家じゃね?

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/25(日) 20:25:44 ID:rD3wqhx4O

夏王朝を倒し、殷の湯王を支えた伊インや、殷王朝を倒し、周の文王と武王を支えた太公望はどうなの?
こいつらも最強名軍師の一人だと思うが。 
173: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/25(日) 22:01:51 ID:eGFCuddc0
太公望、張良は軍師の代名詞みたいに語られてるよな。

175: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/26(月) 08:31:20 ID:21qwiEUk0
儒教は昔を美化するからな

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/11/18(水) 11:11:36 ID:8KDqfqli0
南方から進撃して天下統一を成し遂げた明の開祖朱元ショウを全面的に補佐し演義孔明のモデルにもなった劉基が最強。

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/02/05(金) 01:50:20 ID:BnpX5fbh0
劉基出すなら李善長はダメなん?

182: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/10(日) 17:33:03 ID:i8sWZhCN0
三国時代なら、 郭嘉 賈詡、龐統 法正 あたりじゃないかな。

中国において、偉業を成すものは軍師を必要としない場合が多い。

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/11(月) 22:49:16 ID:V5XJtcYo0
三国志では法正かなと思う
時点でカク

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/10/20(水) 05:42:36 ID:r3h3pJ3s0
最強ってんだから軍事的な功績のことを言ってるんだろうな
そうなると短命はダメかもな

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/19(土) 02:57:41 ID:79qrv1e8i
軍事的な意味合いで最強というなら、孫武だろうなぁ。
後世のお手本になってるんだからな。
理論構築して且つ実践して結果を残してる。
後世の人が優れてるというなら、その根底に孫武の理論が下敷にあるのを考慮しないと比較にならんと思う。

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/21(月) 00:51:55.72 ID:xTikyLh5O
太公望以外考えられない

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/21(月) 01:21:14.11 ID:RgZCBrYG0
俺も釣り場で見出されるのを待ってるんだがオッサンにしか声をかけられない・・・・
というわけで陳平に一票

208: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/25(月) 06:29:16.01 ID:uAc1JZC60
劉邦の参謀陳平かな
項羽を謀略で退け、劉邦死後の漢朝の危機も救った忠臣だし

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/26(火) 21:17:03.52 ID:GTNJS7XW0
王猛に一票
文武両方こなせたのは彼くらいだろ
参謀かつ将軍として当時の大国を滅ぼし、丞相として国の教育、風紀を大幅に改善した
王 猛(おう もう、325年 - 375年)は五胡十六国時代前秦の宰相。苻堅の覇業を全面的に補佐した賢臣で、華北統一に貢献した。

王猛は儒教に基づく教育の普及、戸籍制度の確立、街道整備や農業奨励など、内政の充実に力を注ぎ、氐族の力を抑えて民族間の融和を図った。軍事面でも李儼討伐や苻柳らの反乱鎮圧で功績を挙げ、前燕討伐に当たっては総大将を任され、6万の軍で敵軍40万を破り前燕を滅ぼした。王猛は重農主義への転換、官僚機構と法制の整備により国制を確立し、五胡十六国随一の強国を築き上げ、この時代ではまれにみる平和な世を築き上げた。

215: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/04/26(火) 21:36:26.87 ID:T1gWbDVd0
言うこと聞いてりゃ苻堅もあんな終わり方じゃなかったのかねえ

235: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/23(日) 23:13:37.52 ID:28mlAsCc0
結局は孫武じゃね?
楽毅、呉起とかの戦国時代の人間はもとより張良、曹操ほとんどの名将は孫子を学んでたし

みんな孫子を基準にそっからどう変えてくかって問題だったんじゃね?

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/10/23(日) 23:44:07.88 ID:0ykITLjL0
>>235
揚げ足取るようで悪いけど呉起(呉子)は違うでそ・・・
張良も太公望の六韜と言われてるし

まあでも確かに根本をつくった人がいてどれだけそれを学び応用できたかってことだね。

256: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/19(土) 03:33:52.72 ID:Jwgub5Y3O
伝説込みなら太公望
現実的に考えたら張良かな
この二人が軍師の代表だな

258: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/30(水) 15:08:31.19 ID:c1ZTiKQV0
天下統一のグランドデザインから離間工作、統一後の政治機構組み換えまでやった李斯。

264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 16:07:37.50 ID:rVgAkvlb0
范蠡に一票
謀略策略政略奇策に加えて見事な引き際
色々脚色されてるんだろうけどそれだけの異才を放ってる

273: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/26(日) 11:00:38.79 ID:Rzre5YAQ0
李衛公問対の最後で李靖は唐太宗に「歴史上誰の兵法が最も優れているか?」
と問われて「兵法には3つがあり一に道、ニに天地、三に将法だ」と答えている
そして戦わずして勝つが上、戦って必ず勝つが中、戦って決して負けないが下、としている。

この内道を知っていたのが「張良、范蠡、孫武」
天地を知っていたのが「楽毅、管仲、諸葛亮」
将法を知っていたのが「謝安、王猛」

と書かれてる。
唐代だからまだ劉基とかはいない。
演戯成立前から意外と諸葛亮の評価が高いことが分かる。
またこの中じゃ張良は相当に高く評価されている。

君主としては項羽も劉邦も駄目で劉邦が勝てたのは張良やショウカが偶然集まったからにすぎず
光武帝こそが賢明な君主だ、と言われている。

276: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/05/18(金) 14:59:48.71 ID:KABdRfH1i
>>273
王猛は君主が道も天地も知らなかったからなあ…

やっぱり成果を出せた点で張良じゃなかろうか

引用元: ・中国史上最強の軍師は誰だ?