二代将軍・徳川秀忠―忍耐する“凡人”の成功哲学 (幻冬舎新書)


1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/31(木) 13:30:57 ID:6GlfmSQN
徳川二代将軍について揉めてください。








664: 人間七七四年 2011/05/12(木) 18:13:20.28 ID:f27HJimN
凡将か名将か?というスレタイに違和感がある
凡君か名君か?のほうがいい気がする


665: 人間七七四年 2011/05/12(木) 20:56:39.23 ID:z2Pc6rxo
武将評価なら、悲しいけど低評価だもんね…
でも関ヶ原のあの大軍を指揮するのに、ほぼ初陣に近い秀忠ではやはり無理ゲーにもほどがあると思うんだ

そういや秀忠の初陣て、よく関ヶ原と言われるけど実際は小田原の役が初陣でいいのかな

666: 人間七七四年 2011/05/12(木) 22:02:58.02 ID:f27HJimN
>>665
小田原の前に甲冑始めしたとか
駿府にいる秀忠を秀吉が小田原に呼び出したとかいう話があるね

667: 人間七七四年 2011/05/12(木) 22:19:27.62 ID:z2Pc6rxo
>>666
甲冑始めも秀吉さんがしてくれたんだよね
諱も秀吉さんからもらって、甲冑初めも秀吉さんからかー

童門先生の書いた「徳川秀忠」で兄の秀康から
「お前も俺と同じく、秀の一字もらってるから、親父からみればお前も豊臣一門に見られてるんじゃね?」
みたいなこと言われて、「ああ、だから父上は自分を信用してくれないのか…」
と凹んでいたのを思い出した

668: 人間七七四年 2011/05/13(金) 00:31:06.73 ID:fIfLgPNg
まあ・・・・・・
豊臣と関係が深いのは事実だな

おねさんとの交流も深くて秀忠→おね宛ての手紙が残っている
おねさんが亡くなった時に甥っ子に「まことに痛ましき」とか書いた悔み状を送ってるんだっけ

嫁が秀吉の養女なんでおねは秀忠にとっては姑?

669: 人間七七四年 2011/05/13(金) 01:00:27.73 ID:Nw8rZodh
家康もおねさんと仲良かったらしいし、親子揃って仲良かったのかね
小説内でも秀忠が大坂に行って元服した時、おねさんから
「こんな可愛い子を産みたかったわあ」と気に入られてそれから交流が深まった
という展開が多いが

そういう手紙をまとめた本はないだろうか 「戦国武将の手紙を読む」みたいな
これもなかなか面白かったけど、少ないのが難点

670: 人間七七四年 2011/05/15(日) 22:32:55.33 ID:HcRqCMUK
逸話などから伺える堅苦しく真面目で懃直な秀忠も好きだが葵徳川三代のような、温厚だが少しヘタレな秀忠も好きだな
秀忠可愛いw

671: 人間七七四年 2011/05/15(日) 23:13:21.33 ID:Y2z2Teaz
10代前半くらいの時の
屋敷の中に牛が突入してきてみんなパニックになってるのに講義を聴き続けていた
という話が好きなんだが
ツッコミどころ満載で作り話臭いなw

あと少年池田光政との倹約食事話が好きだ

672: 人間七七四年 2011/05/16(月) 00:55:10.90 ID:5UnTcPGz
牛が入ってきたのに、一人静かに講義聞いてたり
秀忠も凄いがその先生も充分すごいよなw
秀忠も家康と同じく健康志向だから、普段の食事も質素だったのかなあ

673: 人間七七四年 2011/05/16(月) 11:59:01.18 ID:8CIkTGue
福田本に載ってた
同じ着物を何枚も作らせて背格好の似た家臣に着せてどんな感じが確かめていた話の出典が気になる

そういえばこの前テレビで神田上水のことがやってたんだが江戸の街づくりに秀忠はどの程度関わっていたのかなあとふと思った

674: 人間七七四年 2011/05/16(月) 19:00:58.75 ID:5UnTcPGz
小和田哲男さんの「徳川秀忠」では
江戸に移転された徳川家だけど、街普請中は唐入り時期でもあったから
家康は名護屋に滞陣 秀忠はその間江戸で留守を守りつつ、城や街づくりを督励していたと書いてあった
ちなみにその時の江戸町奉行は板倉勝重さんらしいよ

675: 人間七七四年 2011/05/18(水) 00:35:25.45 ID:Lw4/4fK9
>>674
ありがとう
江戸と上方何往復もしてるし何かしら関わってたんだろうな
まあいつまでたっても家康の功績としか紹介されないだろうが


話は変わるけど
若いころの秀忠は病気がちだったんだな・・
超健康体だと思ってたから意外だった

676: 人間七七四年 2011/05/18(水) 00:44:35.70 ID:bWGYHVey
「江の生涯」で秀忠のことも割と詳しくあったな
江と結婚する前から体調崩したり、疱瘡かかったりと
自分も割と健康体だと思っていたからびっくりした

晩年は白内障か何かで片目が見えなかったらしいね
死因はやはり胃がんになるのかな
吐血も繰り返してかなりやつれてたと聞くが

677: 人間七七四年 2011/05/18(水) 01:08:38.12 ID:Lw4/4fK9
>>676
腸炎とか咳気とか疱瘡とか色々と罹ってたみたいだね
昔「秀忠は超健康体若いころは病気なし」みたいなことがかかれた本を読んだことがあったからその本に見事に騙されていたよ・・・・・

これは10代後半から20歳くらいの話だけど20代半ばから晩年までの約30年間の間にはなにか病気の話はあったっけ?

678: 人間七七四年 2011/05/19(木) 16:35:43.71 ID:1iSUfCaE
腫れ物もあったと何かの本で書いてあったけど、年代が分からんなあ
秀忠は家康と同じく健康志向だったから、体調には気を使ってただろうし
その頃はあまり病気らしい病気もなかったかもしれんね

お江さんは火葬されたんで、死因がよく分からないな
とある小説では進行性の癌だったかも、ともあったな

679: 人間七七四年 2011/05/20(金) 01:19:15.59 ID:MKiRc1+Z
お江はいつからかはわからないが元和八年ごろは体調がすぐれなくて
体調不良→五月に回復→しかし九月にまた体調不良→十一月に回復
という感じだったようだね
「進行のゆるやかなガンだったのかもしれない」と書かれた本を前に見たんだが
どの本だったか忘れた・・・・

このころは城の改築中だったり本多正純の件やら家光嫁探しやら御台の病やらで慌ただしかっただろう
秀忠は江が回復するよう内待所で臨時神楽を催している

秀忠は症状的に胃がんらしいな
家康も胃がんらしい

687: 人間七七四年 2011/05/21(土) 23:40:51.49 ID:k4/rGy1Y
話は変わるけど
秀忠の乳母は大姥殿と井上正就の母と二人でいいのかな

688: 人間七七四年 2011/05/22(日) 12:11:28.27 ID:DY0HYLVP
土井利勝の義理妹(弟土井昌勝の嫁)の初台局も秀忠の乳母
その初台局の娘の梅園局は家光の乳母になっている

土井利勝の義理妹じゃ秀忠と数歳しか変わらんだろうに
地元の初台駅じゃそういうことになっている
徳川家康の関東転封後に200石を拝領したんだそうな

689: 人間七七四年 2011/05/22(日) 12:45:48.24 ID:s+PWtkBI
>>688
ありがとう
初台局って諏訪大明神に秀忠の成長を祈願したとかいう伝説がある人ですね
でも利勝の弟嫁というのはひっかかる
秀忠と年齢差がなさすぎる
利勝ですら秀忠と六歳しか変わらないのに

土井家とつながりのある女性が家光の乳母だったんですね
忠長の乳母も利勝の妹だし
土井さんとこは信頼されてたんだな

691: 人間七七四年 2011/05/23(月) 11:16:48.97 ID:+1GvfqZ2
乳母

秀忠 大姥殿 井上正就の母 初台局

家光 春日局 梅園局
家綱 矢島局 川崎局 岡山局 三沢局

自分が知ってるのはこれくらいだ
地元の図書館で寛政修重諸家譜を見て確認しようと思ったけど借りられてて無理だった

誰も知らなかった江に
「渓心院文作者の渓心院は家綱に仕えた年寄 川崎の娘」
と書いてあったけど
この川崎というのが家綱乳母の川崎局なのかな?

694: 人間七七四年 2011/05/23(月) 18:43:32.69 ID:rVqVOpnR
秀忠は性に関してはタンパクだったから浮気はしたけど、側室をもつまではなかったのかなあ…とふと思った
それでも毎年お江さんを孕ませてるけどw

695: 人間七七四年 2011/05/23(月) 19:07:13.23 ID:+1GvfqZ2
でも当時の権力者らしく男色の噂はあるよね

この話題で盛り上がるのもアレだから深く掘り下げないことにするけど

696: 人間七七四年 2011/05/23(月) 19:31:49.51 ID:rVqVOpnR
男色の噂は大体
「あいつあんなに贔屓されやがって、出来てんじゃねぇの!?」
という嫉妬が元というのが多いからなあ…
秀忠だと丹羽長秀とか仙石忠政とか?

あと小姓の小山長門守吉久と関係があったとか
「御当家紀年録」というのに載ってるらしい

697: 人間七七四年 2011/05/23(月) 19:35:51.93 ID:h99Qd3XT
当時は普通のことだから。そうやって主従の絆もできたと言うし。
秀忠の死後殉死した人なんか、きっとそうだったんじゃないか?

お江さんとはどんな夫婦だったのか。増上寺の合祀墓のなか、お互い今でもイチャイチャしてんのか。それとも、また一緒かとうんざりしているのか。

698: 人間七七四年 2011/05/23(月) 19:48:53.50 ID:rVqVOpnR
お江さんとは普通に仲良かったと思うなあ 
30過ぎたら閨の相手はしないと良く言われているけど
家光が生まれたその後も、二人続けて子供生まれているし

そういや小説やドラマだと、秀忠は死ぬ前に殉死は禁じているけど
やっぱり殉死した人はいたのか 何人くらいいたんだろ

699: 人間七七四年 2011/05/23(月) 20:00:06.15 ID:+1GvfqZ2
>秀忠の死後殉死した人

森川重俊か
お江と一緒の墓になったのは戦後だったか
家光孝子みたいなガチ不仲だったと語られる夫婦だったら、そういうことにはならなかっただろうから昔の人たちにも「なんだかんだ仲が良かった夫婦」と認識されていたかな
秀忠としては家康と離れた場所にいることが嬉しいかもしれんな

700: 人間七七四年 2011/05/23(月) 20:18:47.38 ID:rVqVOpnR
>>森川重俊
wiki見たが、この人も秀忠の小姓の人なんだね
でも忠長派だったから、秀忠死後自分も殺されるんじゃないのかと思って死んだ
とあるけど、同じく忠長派で忠長蟄居・自刃後、戦慄した人は多かっただろうなあ

戦災で秀忠の宝塔が燃えちゃったから
今はお江さんの石塔を秀忠・お江の墓としてるんだったね
偉大な父親と離れて夫婦水入らずなら、ゆっくり休めるかもしれんね

704: 人間七七四年 2011/05/26(木) 20:18:26.30 ID:sIT91vvi
桐野作人の「江の生涯を歩く」に載ってたんだけど
1599年頃、毛利輝元が養子の秀元に宛てた手紙(長府毛利家文書)に

「中納言殿女中(秀忠夫人江)が江戸へ下り(夫と)一緒にすごしたいと言上しました もし別腹(側室)に子供ができれば、これから気の障りになってしまうのでぜひ右の女中を(江戸へ)お下しいただけるようにと家康が申された」云々

という内容が載ってるらしい

やはり伏見と江戸と離れていたら、秀忠の女性関係が気になって仕方なかったんだろうな
当時は秀吉の命令で、人質は大阪城か伏見城に置かれることになっていたけど
江は秀吉公の養女だしーということで、秀吉公亡き後の家康の権力で江戸に行けたんだと
家康がお江さんの願い聞いてくれたってのがちょっと意外に思えた
家康もお江さんをそれなりに大切にしてくれてたのかな
しかし何で毛利輝元さんにお願いしたのか…

705: 人間七七四年 2011/05/26(木) 20:48:19.06 ID:ZrCS1jfX
>>704
江が言ったとされることが→家康→輝元というルートで伝わったんだね

(この文どおりのことを本当に江が言ったとして)この文を読んで思ったのは「別腹に子供ができたら気の障りに~」ということはこの時点では別腹に子供がいなかったということだから珠姫はやっぱり江の子供何だろうな、ということと、秀忠には正式な側室はいなくてもすでに1599年の時点で普通に妾的な人がはべっていたんだろうなということ

まあ家康が適当に書いてるだけかもしれないので
江の肉声かは完全に断定できないかもしれんけど

706: 人間七七四年 2011/05/26(木) 22:35:17.21 ID:sIT91vvi
でも実際に、お江さん江戸に行ってるから、家康の指示もあったのかなあ
嫡男がまだ生まれてないから、口実作って行かせたのかな?

それかお江さんが、離れてばかりで寂しいから側にいたい と言っただけなのが
側室が気になるんだな と家康が深読みした という図式もあるかもしれんね
妾と疑わしい人が、もしかしたら長丸の母親なのかな

707: 人間七七四年 2011/05/26(木) 23:10:54.19 ID:ZrCS1jfX
長丸 慶長五年十二月生まれだとすると
生母の懐妊が慶長五年の春ごろ
上記の江の発言が慶長四年の九月?だっけ
だから長丸母のことを気にしていたというのは有り得ると思う
一年ちかく離れ離れだったわけだから妾がいても当然だし


家康が深読みした可能性もあるかな
それかその後一年以内の動きを考えると・・・嫡男の妻を上方から離さなければいけない理由があったけど本当のことはいえないので適当な理由付でごまかしたとか

710: 人間七七四年 2011/05/27(金) 20:13:28.22 ID:6KYCUuf4
和子入内時の
秀忠と後水尾さんのやり取りがこわい

712: 人間七七四年 2011/05/27(金) 20:37:11.43 ID:zSlbSNRb
紫衣事件の時も怖い
秀忠容赦なさすぎ

713: 人間七七四年 2011/05/27(金) 21:05:08.37 ID:6KYCUuf4
別の女に子供産ませたくらいで怒るんじゃねえよそんなこというと譲位するよ譲位するよ譲位したら和子が入内できなくなるよ
と言う後水尾さんに対して
遠慮なく公家連中の風紀が乱れているからと処罰する秀忠
こわい

あと元和の大殉教だな・・・これ宗教的な話だからドラマや小説なんかで深く取り上げられないから
あんまり話題にならないけど

747: 人間七七四年 2011/06/02(木) 19:31:13.16 ID:TIYBAQXe
逸話から見ても、秀忠って絶対女性の尻に敷かれるようなタイプじゃないな
むしろ家康のように女性だろうが厳しいというイメージがある
側室持たなかったのは、単なるタンパクだったか、あえて持とうとしなかったのか
それでも何故かこういう時に、正室のせいで~なんて原因を作られるよな
そうした方が楽なんだろうが、原因にされる女性が気の毒だわ

754: 人間七七四年 2011/06/04(土) 11:35:14.63 ID:S1BPIWTP
秀忠とお江のお墓を公開

ttp://sankei.jp.msn.com/region/news/110603/tky11060322440022-n1.htm

行きたい!
増上寺は理解あるけど、寛永寺は見せてくれないよなあ

756: 人間七七四年 2011/06/04(土) 19:54:52.94 ID:RCi2ZIWU
>>754
行きたい

高野山の家康秀忠霊廟も写真で見るかぎりかなり立派なのでも生で見てみたいんだがなかなか

あと秀忠と和子関連で梅照院という寺が気になる

757: 人間七七四年 2011/06/05(日) 11:00:32.86 ID:zCCGB3PS
和子が眼を悪くして快癒祈願をしたところだっけ。
末っ子の和子は可愛かったろうなあ。苦労させるのもわかっていただろうし。
和子は両親のいいとこ取りしたようなイメージがある。素直そうで、愛嬌のありそうな、そして聡明。

758: 人間七七四年 2011/06/05(日) 11:44:29.86 ID:885qXkN6
和子は娘の中で一番苦労というか、凄い人生送ってるよなあ
でもそれを乗り越えたということは、人間的にも良いものをいっぱい持っていたんだろうね
娘が天皇になったんで徳川の血筋が途絶えちゃったのは惜しいけど、武家の娘が天皇に嫁いで
なおかつ娘が女帝なんて、歴史上色々凄い立ち位置だよね

更に今上天皇は、異父姉完子の血筋の方なんだから、もう凄いロマンを感じる

759: 人間七七四年 2011/06/05(日) 13:35:32.12 ID:FIXuU0wX
五人の娘の中で一番夫婦の手元に長くいたのが和子だね

唯一和子の悪い点といえば衣装狂いで金づかい荒かったことか
和子が朝廷に小袖を持ち込んでそれが広まったと聞いた
和子を寛永のファッションリーダーとよんでいた人がいたが
倹約好きの家康の孫 、秀忠の娘がファッションリーダーとはw

761: 人間七七四年 2011/06/05(日) 18:25:04.90 ID:885qXkN6
>>759
そらあんな所に一生閉じ込められてるんだし
衣装見立てたりするくらいしか、楽しみがないんじゃね?
それを衣装狂いとか、金遣い荒いとか批判するのは可哀相だ
天皇に嫁いだ身なんだから、質素な物に仕上げる訳にもいかんし

762: 人間七七四年 2011/06/05(日) 19:13:41.61 ID:FIXuU0wX
>>761
批判はしてないよ「あえて言うなら」だから
あれだけ大変な立場なのに人格的批判が出てこないのはすごい
将軍の娘や妻でも性格も趣味もわからない謎だらけの女性がほとんどな中で和子は性格がわかるようなもの残っているし、好きなものもわかってるから、調べがいのある面白い女性だと思う

光雲寺行きたい
なぜ通常公開しないんだ

763: 人間七七四年 2011/06/05(日) 21:41:44.36 ID:04JMxSqn
和子は姉妹たちの中でも破格の化粧料を幕府から送られていたので仕方がない
朝廷に対する権威付けのためだろうけど
和子は一度着た着物には二度と手を通さず、すべてお付きの者たちに下げ渡しだったらしい
京都の西陣は和子の生存していた時代にはそれでかなり潤っていたらしいね

764: 人間七七四年 2011/06/06(月) 00:09:41.56 ID:dD/qZXrr
隆慶先生の作品の秀忠はもの凄いド外道らしいな
怖くてまだ読んでないんだけどさ
その作品にお江さんは出てくるのかな 出そうにもないような気がするけど

765: 人間七七四年 2011/06/06(月) 00:20:40.76 ID:p1a+Yt2j
>>764
あなたがお江の方に好感持ってるなら読まないほうがいい

お江長丸殺害説を採用している作品だぞ
あと勝姫がお梶に「ママより優しいから好き」みたいなこと言うシーンがあるから・・・・

766: 人間七七四年 2011/06/06(月) 00:29:48.46 ID:dD/qZXrr
>>765
ありがとう 読まない方がいいな
長丸殺害の話って、あれ江の実子としての話じゃなかったっけ?

767: 人間七七四年 2011/06/06(月) 00:56:23.92 ID:p1a+Yt2j
>長丸殺害の話って、あれ江の実子としての話じゃなかったっけ?

実子なら殺す必要ないじゃん?

隆先生は確か「幕府祚胤伝」に長丸、灸で死亡と書かれているところから想像を膨らませて江が脇腹の長丸を灸で殺した、という展開にしているよ
そういう歴史ゴシップ大好きな人たちが信じてる長丸殺害話も同じような話
まあ祚胤伝では長丸は江の子ということになってるんだけどw

幕府祚胤伝はアレな史料だから
本当に長丸さんが灸で死んだかは・・・

768: 人間七七四年 2011/06/06(月) 18:29:37.89 ID:dD/qZXrr
>>まあ祚胤伝では長丸は江の子ということになってるんだけどw

なので、その本の中だと、何故実子の長丸を殺したのかという謎に迫る みたいな展開だと聞いたんだが
でも、実子じゃないんだから意味のない展開なのは違いない

長丸は単なる病死だと思うけどなあ 同じく早死した子なんていっぱいるのになんで長丸だけは江が殺害したなんてことにするんだろうか
その長丸の生母だってわざわざ江戸に呼んで産ませてるんだから殺すほど憎いのなら、そもそも呼ばないわな

770: 人間七七四年 2011/06/07(火) 00:41:10.10 ID:nv1JHqlJ
江戸城で生まれて九ヶ月生存してるんだから正室が嫉妬して殺したんて考えられないな
慶長五年十二月生まれなら秀忠不在時に生まれたことになるし
六年十二月ならわざわざ生母を上方から連れ帰ったことになるし
伏見生まれならさすがに手は届かないし

あと、たまに長丸を隠し子扱いにしている本があるけど、増上寺に埋葬されているから隠し子だったとは思えないし
(以上は脇腹説を採用した場合の想像)
秀忠夫妻は長丸を粗末に扱ったりしてないと思うんだけど

とりあえず長丸さんは生母は江説と脇腹説があり
生まれは慶長五年説と六年説があるから
場合分けして考える必要があるから面倒くさい・・・・

771: 人間七七四年 2011/06/07(火) 06:58:40.64 ID:wLOzL8B+
増上寺に埋葬するくらいなら、なんで生母の素性なり名前なりが伝わらなかったんだろうね?
よほど低い身分の女性だったかと思う一方で、歴代の将軍生母にはかなり低い身分の人がいて、それを隠してないのにさ。
静のことといい、長丸ママといい、秀忠の女性関係って「あ?」がいっぱい。

引用元: ・【凡将か?】徳川秀忠を本音で語れ!【名将か?】