1: 人間七七四年 2010/10/25(月) 18:30:51 ID:N3OKq0mh
伊達と葦名、佐竹の間で翻弄された南陸奥の国人・豪族・小大名を語りましょう。 







2: 人間七七四年 2010/10/25(月) 18:34:46 ID:N3OKq0mh
岩城は何とか残ったが、後の連中は単独大名として江戸時代まで残れなかったな……。

3: 人間七七四年 2010/10/25(月) 18:57:16 ID:5gf0kgkA
畠山なのか二本松なのかどっちなんだ

5: 人間七七四年 2010/10/25(月) 21:06:23 ID:1L4j7dhe
>>3
『文書等では正式名称の「畠山」と俗称の「二本松」の両方がしばしば併用されているが、あくまでも「畠山氏」が二本松城主であった時代(第16代義綱まで)の正確な名称であって、』
(wikipediaより)

4: 人間七七四年 2010/10/25(月) 19:37:34 ID:6eMl8ZrP
なぜ石川を除外するかな…

7: 人間七七四年 2010/10/25(月) 21:21:43 ID:fewD1nnO
田村は一応再興して一関藩として続いたんだな
田村氏(たむらし)は、坂上田村麻呂の末裔ともいわれ、陸奥国の田村郡を支配していた戦国大名の氏族。

豊臣秀吉の奥州仕置により改易となるが、後に仙台藩伊達家の内分分家大名として再興される。明治以降は子爵となり華族に列せられた。家紋は坂上氏の代表紋である車前草。ほかに桐、巻龍、蝶、巴を替紋とし、再興された近世大名田村家は伊達氏との縁から縦三つ引両も用いる。通字は「顕」(あき)、また近世大名田村家では代々仙台藩主から偏諱を授けられていた。

8: 勇魚 ◆Cl39TXJnDE 2010/10/25(月) 22:01:49 ID:DvVreUOD

一関田村藩は、忠臣蔵の田村右京大夫邸今生の別れの場面でお馴染みかと。
陪臣ではありませんよね(●^ー^●)

水沢の留守氏や岩城親隆系の岩谷堂伊達氏の格がどうだったのかは…思いうかばないです。

出羽亀田藩に養子入り出来た訳ですから、岩谷堂伊達氏も家格は高かったとは思うのですが(^^ゞ

12: 人間七七四年 2010/10/26(火) 17:38:26 ID:Jn003Myo
ファミコン版独眼竜政宗でこの地方の小大名がたくさん登場します。
芦名、相馬、小野寺、大崎
最上、田村・・・

13: 人間七七四年 2010/10/26(火) 19:35:26 ID:zcKgrO4c
最上は改易されたわりに人気高いよな
田村なんか伊達と関係あっても全く取り上げられない
留守も国分もだけど、マイナーな家の本でも出してくれればいいのに

14: 人間七七四年 2010/10/26(火) 20:20:37 ID:Ldwj/ghL
人気って言うか知名度な。
最上はDQN流政宗の大河での義光役の原田芳雄の怖いキチガイ演技のおかげだよな。 荒れ狂う最上の血を引き継いだ政宗に輝宗も驚いてたしね。

15: 人間七七四年 2010/10/26(火) 20:44:05 ID:zcKgrO4c
あー原田芳雄の最上義光格好良かったもんなあ
悪役といえどあんな味のあるキャラにしてもらって羨ましいぜ
山形県民は喜ぶべき

16: 人間七七四年 2010/10/27(水) 00:29:52 ID:LlHdoTaK
田村って、坂上田村麻呂が祖って幾ら何でもネタだよなw

17: 人間七七四年 2010/10/27(水) 14:45:13 ID:Dxpy3EAr
田村荘司は室町時代後期あたりで滅亡して戦国期は別姓田村になってるから婚姻関係はわからないが血のつながりはないかもね。
だから田村の地を引き継いでない一関田村はさらに関係ない。
ただ家を引き継ぎ、先祖を祀ると言う意味では田村は存続していると言えるかも知れない。

18: 人間七七四年 2010/10/27(水) 17:14:04 ID:DxWgXdXO
坂上田村麻呂の末裔ではなかった説と、なんだかんだで末裔な説があるんだよな。
当時は子孫として認識されていたみたいだが一応土地は変われど細々と田村の血は続いていたでFA?
途中で養子とか入ったっけ?

21: 人間七七四年 2010/11/09(火) 20:25:29 ID:nQ+eGteV
仮冒やろ

22: 人間七七四年 2010/11/25(木) 03:13:45 ID:RT169Rrl
仮冒なら仮冒で、何でわざわざ坂上氏を遠祖に持ってくるのかという理由が知りたい。

23: 人間七七四年 2010/12/25(土) 22:19:27 ID:4b3Uz4kw
陸奥大内って、中国地方の大内と同祖?

24: 勇魚 ◆Cl39TXJnDE 2010/12/25(土) 23:36:42 ID:d0f2IdR8
塩松石橋の庶子家ではないかな?という気がします。
多々良流を称していたようですが、疑問視されている事が多いような…。

25: 人間七七四年 2010/12/29(水) 14:15:43 ID:90jVp0OA
だとすると相続争いであって下克上じゃなくなっちゃうね。
奥羽じゃ稀少価値の下克上武将なのに…
下手すると津軽為信さえ南部関係者っぽいのに。

26: 人間七七四年 2010/12/29(水) 17:25:13 ID:BNeBUM9g
本家筋ならともかく、傍流なんだから下克上で良いんじゃねぇの。

41: 人間七七四年 2016/11/11(金) 12:13:34.40 ID:+Sewy7yX
坂上田村麻呂の三男とされる坂上浄野の系統から田村荘司「浄野―内野―顕麿―(改姓田村)古哲」が出てるけど

同じ浄野流で、内野の兄から山本荘司「浄野―当道―恒蔭―頼次」の流れになってる
坂上氏の正嫡で全国の坂上党武家団の棟梁、坂家長者として坂上本家と呼ばれてたのがこの山本荘司家
坂上頼次は坂上是則と従兄弟の関係にあたる

初代の坂上頼次が源満仲に摂津介に任じられて、代々摂津源氏の御家人となった
三代坂上季猛が源頼光に仕えて、卜部季武のモデルとされてる
戦国時代は三十二代坂上頼泰の頃で、秀吉に仕えていたが、最後は隠居して接ぎ木を発明したり山本郷の大庄屋になってる

この初代山本荘司の頼次直系の子孫に坂上尚親がいて、仁和年間に平姓を賜ってる
だから坂上党の田村氏が平姓を名乗ったってのが真相なんじゃないかな?
平尚親の子孫は坂上姓に復姓して、今出川家諸大夫山本家として幕末まで続いてる

藤原姓田村氏については知らん

43: 人間七七四年 2017/11/23(木) 22:04:14.49 ID:hafxNb+1
中畑清のファミリーヒストリーで集落で一番古い中畑家に伝わる中畑(畠)氏の系図が出てたけど中畠氏が結城氏っていうのは相当信憑性低いと思う

44: 人間七七四年 2017/11/23(木) 22:27:51.99 ID:hafxNb+1
系線がなく書写した人物は読み書きが出来ないのか記号のような誤字も多いが
中畑晴辰の右隣りに「女晴辰ノ室ノヨシ」とあるから原本では義綱か義親の妹婿という位置づけだったようだ

48: 人間七七四年 2020/01/04(土) 08:43:10.34 ID:SDStu+c/
田村氏が坂上田村麻呂の子孫を称したのはそこに田村荘を正当性する理由があっただけで
仮冒であっても坂上田村麻呂の子孫って部分が大事だった

奥州藤原氏も鎌倉幕府も伊達も南部もみんな何かしら坂上田村麻呂を利用してる
延暦寺と長谷寺が諸悪の根元だけど

引用元: ・南陸奥の小勢力 田村・岩城・留守・国分らを語る