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1: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/05 21:01
280年に、呉が晋に併呑された後の時代についてあまり触れられることは無い。
そんな、晋~東晋を語りつくそう。
そして、五胡の異民族も語ろう








5: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/05 21:05
何だっけ・・・晋の後、内乱が起こったり・・・
南宋とか五胡十六国とかだっけ・・・
次に統一王朝が出来たのは隋だったと思ったが。
記憶ボロボロ

7: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/05 22:29
>>5
西晋が滅亡後、五胡十六国時代へ突入(五胡;鮮卑・匈奴・ケツ・底・キョウ)
その後、北魏の華北統一後、南北朝へ突入

南朝
東晋(司馬エイ) >> 宋(劉裕) >> 斉(ショウ道成) >> 梁(ショウエン)>> 陳(不明)

五胡十六国
1;前趙(匈奴)2;成漢(テイ)3;前涼(漢民族)4;後趙(ケツ)5;前燕(鮮卑)6;前秦(テイ)7;後燕(鮮卑)8;後秦(キョウ)9;西秦(鮮卑)10;後涼(テイ)11;南涼(鮮卑)12;北涼(匈奴)13;南燕(鮮卑)14;西涼(漢民族)15;夏(匈奴)16;北燕(漢民族)

南北朝
南朝 宋(劉裕) >> 斉(ショウ道成) >> 梁(ショウエン) >> 陳(不明) 北朝 北魏   ___西魏___北周___隋
         |_東魏__北斉__|

で、隋が統一

8: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/05 22:31
>>7
乙。
八王の乱が最大の原因で、異民族を使ったのが致命的だってことだな

11: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/05 22:40
>>8
むしろ、匈奴とかを内地に移住させた曹操とかが災いの種を蒔いたわけで

13: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/06 08:21
>>11
匈奴を内地にすませるようになったのは曹操が生まれるずっと前のAD48年だよ。

まぁ五胡十六国の最初の一国はこの匈奴がそのまま独立した「北漢」だが。

14: 13 04/03/06 08:24
>>13の続き
その匈奴の「北漢」を建国した劉淵を主人公にしたのが「後三国演義」。
劉淵が蜀の劉備の志を継いで漢帝国を再建する話。
劉 淵(りゅう えん)は、五胡十六国時代の漢(後の前趙)の創建者。新興郡(現在の山西省忻州市)の出身。一説に西河郡隰城県(現在の山西省呂梁市汾陽市)出身ともされる。南匈奴の単于を輩出した屠各種攣鞮部の出身で於夫羅の孫、劉豹の嫡子。

15: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/06 09:15
まったく血縁でもなんでもないのにねぇ。>劉淵

21: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 08:47
>>15
劉禅の養子?かなんか名乗ってなかったっけ

17: 13=14 04/03/07 01:40
まぁ「演義」ですから。
「後三国演義」は劉淵が漢王朝の子孫の漢人という設定。
27: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 19:59
ってか何で匈奴なのに劉姓なの?

28: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 20:06
>>27 
漢から公主とかもらってたから、らしいよ。

29: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 20:14
確か、劉淵の父か祖父が劉豹 
で、その父がオフラ、でその父が右賢王キョウ渠(キョウキョ)、その父が南匈奴王の屠特若シ逐就(トトクジャクシチクシュウ) 
もともとオフラはそうそうと仲がよかったし、もともと匈奴系は漢王室と有効状態だったから、劉性でも、いいんでは?

30: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 21:04
ttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4497202011/250-7885836-2227424 
この本によると、 
>於扶羅の活動した二世紀後半の時期と二七〇年代後半と考えられる劉豹の死の時期の差が大きいことなどから、おそらく於扶羅の子ではなく、南匈奴単于との直接の関係はなかったといえる。 

とのこと。

22: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 13:19
司馬衷と賈南風を戦犯として告発する!

23: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 18:51
>>22
司馬衷は心神喪失状態なので無罪


24: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 19:30
米が無ければ肉粥を食え


33: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 22:05
この時代、複雑すぎて省略される事が多すぎる。
もしかすると三国時代より楽しいかもしれないのに

35: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 22:32
隋~唐は漢人政権じゃないのかね?

37: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 22:36
>>35
一応漢人だけど、楊堅や李淵は血筋的に西魏の皇帝家(鮮卑系)と縁戚関係がある

42: 流浪の民 ◆PSO7Fp0hWo 04/03/07 22:40
>>35
漢人政権の定義はともかくとして、隋の楊氏も唐の李氏も鮮卑系王朝の北周建国以来、武川鎮軍閥時代からの軍人貴族の出だから、それらの一族を漢人としない説はあるね。

41: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 22:39
西晋を滅ぼした劉裕は?晋に居たことから、漢の末だと思うんだけど?
あ、でもあれは庶民の出だっけ

45: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 22:42
>>41
劉裕は南半分だけじゃん

51: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/07 22:49
漢以前に、劉氏を名乗っている人物が少ないことから近代中国で劉を名乗っている人は、高祖の末裔なのかしら?

107: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/12 12:39
>>51
南北朝時代の宋を建国した劉裕は、
「同じ劉姓ですから、『漢』を名乗っては?」
と勧められたのだが、
「俺が漢王朝の血筋である訳がないだろう!」
と、笑って却下した。

108: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/12 12:45
>>107
ヘェ~そんな事があったのか。
匈奴のくせに漢を名乗った人も居ると言うのに……

61: 犬童知遠 ◆tmc8JAPANo 04/03/08 00:37
西晋~五胡十六国期の醍醐味と言えば、何と言っても三国時代末期の功臣たちが、政争で呆気無くポコポコと消されていくところだろう・・・。衛瓘とか、文鴦とか。

63: 犬童知遠 ◆tmc8JAPANo 04/03/08 00:40
あと、八王の乱~永嘉の乱前後での司馬氏の族滅っぷりは、どうにかならんのか、アレ。(汗

64: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/08 00:42
劉禅の子供も、一人生き残っただけで死んだし。
献帝の子孫もな

65: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/08 00:48
陳留王になった曹カンとか孫皓はどうなったのだろうか……

81: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/10 22:37
>>65
とりあえずそいつらは天寿をまっとうできたらしい

67: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/08 11:43
霊帝の子孫が日本人だって本当?

69: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/08 12:33
>>67
大霊界の人ラスィよ

71: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/08 23:07
白帝社の『中国歴史人物選 西晋の武帝・司馬炎』をおすすめする
三国時代の裏事情、そして西晋崩壊の悲劇が余すところなく活写され実に興味深かった

72: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/08 23:09
司馬炎は呉が滅んでから、典型的な暴君になったからな~
でも、西晋が崩壊し始めたのはいつ頃から?

75: 71 04/03/09 06:03
>>72
同書を読むと、呉を滅ぼすあたりですでに腐敗が始まっていることの気づく
本格的に表面化するのは、司馬炎死後諸王たちが権力の亡者になり、不毛な争いをはじめる所から

76: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/09 11:25
親族に強権を持たせて、重臣を威圧されようとしたのがまずかった。
それに司馬炎自体、名君じゃないしね。本当は司馬昭が簒奪予定だったんだけど途中で急死しちゃったからねぇ~。
魏が漢から帝位を奪った話と似てる

77: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/09 12:40
265年
司馬炎帝位につく
280年
呉滅亡、以後司馬炎遊楽にふけって衰退の原因を作る
290年
武帝(司馬炎)死去、恵帝が後を継ぐ
諸皇族が権力を求めて内乱勃発(八王の乱)
皇族の1人司馬潁が匈奴の劉淵を配下にする。
これにより劉淵が力をつける。(劉姓は高祖劉邦から娘をもらったのが由来とかなんとか)
※このとき司馬潁に陸遜の孫(陸抗の子)無実の罪で処刑され絶滅
304年
匈奴の劉淵が漢王に即位、西晋打倒・漢復興復興をスローガンに勢力拡大開始
306年
恵帝死去、弟の懐帝即位後乱は終息へ   
310年
劉淵死去、息子の劉聰が後を継いで即位
311年
劉聰が洛陽襲撃。陥落し懐帝捕らわれる(2年後に死亡)
316年
劉聰が長安襲撃。懐帝の後を継いでいた愍帝を捕らえる(永嘉の乱、西晋滅亡)
※この戦乱で劉禅の子孫絶滅
318年
劉聰死去、一族の劉曜が帝位を奪い国号を前趙とする  
329年
漢の武将(羯族出身) 石勒が前趙を滅ぼし華北全域を制圧、後趙を建国
石勒死後、石虎が跡を継ぐが石虎の死後はその子供達が帝位を争って殺し合い
最後に勝ったのは養子(漢民族)の石閔
349年
石閔は漢民族の軍隊を率いて羯族の大虐殺開始(このときの死者20万人とも)
350年
石閔、漢民族国家を標榜するため国号を魏とする。
352年
魏、鮮卑族によって滅ぼされる。  

78: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/10 14:04
>>77

劉禅の子とか絶滅したって書いてあるけどどうして?
異民族から、特に殺意を持って殺されたの?

81: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/10 22:37
>>77
あの国では王朝交代時に大量虐殺が起こるのが常
長安にいたせいで戦乱にまきこまれて全滅、てことでしょ
孫皓の子孫も絶滅したはず

晋書では、劉淵が即位したとき、「追尊劉禪為孝懷皇帝」した、って記述があるけど、これは劉禅のことかな?

79: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/10 21:01
陸遜の子孫についても詳細

111: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/13 10:12
>>79
陸遜の孫の陸機は「広辞苑」にも載っている。
陸 機(りく き、261年 - 303年)は、中国三国時代から西晋の文学者・政治家・武将。呉の丞相陸遜の孫であり、呉の大司馬陸抗の四男である。

西晋のみならず、六朝時代を代表する文学者の一人であり、同時代に活躍した潘岳と共に「潘陸」と並び称され、さらに同郡出身で同時期に入朝した顧栄(呉の丞相顧雍の孫)と弟の陸雲と共に「洛陽三俊」と呼び敬われた。特に「文賦(文の賦)」は、中国文学理論の代表的著作として名高い。また、書家としての作品「平復帖」(北京故宮博物院所蔵)は、現存する最古の有名書家による真跡とされる。


112: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/13 21:33
>>79
歴史から離れて、古典詩集なんかを読んでると、いきなり陸機の名前がでてくることが良くある・・・

84: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/11 21:25
甘寧の子孫も活躍してたな確か。
干禁とかその辺りの人はどんな活躍をしたんだろう?

86: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/11 21:35
荀彧の子孫で、荀灌というのがいるな。
この時代では、例外的に活躍したエピソードを残している女というだけかもしれないが。

115: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/17 20:08
三国時代の武将は辞書に載っていないけど、その子孫が辞典に載っている場合があるんだよな。
劉姓の人間大杉

121: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/18 15:14
八王の乱をきちんと整理して理解するのは、果てしなく不可能に近い気がする。
何回説明されても全然飲み込めんわい。

122: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/18 15:19
にしても、匈奴とか鮮卑はよく攻め込めたもんだ。
ここら辺の経緯を説明して欲しい

124: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/18 17:10
匈奴は後漢の初期(AD48)という、ずっと前から山西省に移住してたんで、八王の乱(AD300)の時にあらためて侵入してきたわけじゃない。
いわば独立(AD304)しただけ。
鮮卑が入ってきたのはさらに遅くAD350じゃないかな?

125: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/18 19:22
その辺りに居たとしても、漢人が大多数だったはず。
漢人はなにしてたの?

128: 無名武将@お腹せっぷく 04/03/19 11:01
三世紀の末に上書された江統の「徙戎論」には「関中の人口は百万、そのうち半ばが夷狄である」としています。
このように関中を初めとした中国北部は黄巾以来の戦乱による人口減少によりその多くが荒野と化し、その地へと北方の遊牧民族が流入していました。

130: 無名武将@お腹せっぷく 04/04/01 02:48
烏丸て、結局どうなったんだろうねえ。
五胡時代の鮮卑の中には、末裔らしき部族が見当たらないが。

131: 無名武将@お腹せっぷく 04/04/01 12:53
烏丸は曹操に征伐された後、曹操の騎馬隊に編入されたんじゃなかったかな。

あとアヴァールは柔然の子孫という説と烏丸の子孫という説とがあったような気がする。

でもほとんどは四散して鮮卑に同化しちゃったんじゃないかしら?

133: 無名武将@お腹せっぷく 04/04/02 22:13
烏桓は近親血族の共同体じゃないからなぁ。
別の組織に組み入れられるに応じてアッサリ雲散霧消しますよ。
漠北の諸部族は堅牢じゃないし意外と脆い。

134: 無名武将@お腹せっぷく 04/04/03 12:18
スレ趣旨と逆になんだけど、王導の先祖って三国時代に活躍していたの?

136: 無名武将@お腹せっぷく 04/04/04 13:33
>>134
直接の先祖は王祥。魏で三公(太尉)までなってる。
一族としては孫堅に殺された荊州刺史王叡、鮮卑の大人軻比能を暗殺した幽州刺史王雄なんかがいる。
王雄は王衍の方の先祖。

183: 無名武将@お腹せっぷく 04/05/09 01:20
唐の李氏は漢の名家の出身と称し、ある高僧に「陛下は鮮卑族の子孫です。」と言われて激怒している。
この時点で精神的に漢民族なんだよなあ。

自称東京生まれ東京育ちの人間が、地方を馬鹿にしまくってたところ
「君のお父さんは高校卒業後、青森から夜行列車で上京してきたんだろ。」
と痛い所を突かれてキレるのと同じ。

劉淵も漢王室の復興と称していたのだから、漢化してたのかもしれない
早くから内地に住んでたし、当然漢文化にふれてたわけで、見た目も、われわれがイメージするキョウドとは明確に異なっていたのかも。

184: 無名武将@お腹せっぷく 04/05/09 01:55
唐の李氏は太宗が歴史マニアになって南北朝期の歴史書の編纂をはじめた時に自分の先祖の系図を捏造したのがバレバレだったんで、本心では自分が鮮卑の子孫であったことは自覚していたことになる。

劉淵は中国の域内の匈奴だし、匈奴単于と漢皇帝の両方の血をひくのも事実だから、両方のプライドをもっていた。
たしか、鮮卑をひたすらおそれる晋にたよられた時に
「鮮卑なんて乞食どもは我が匈奴の奴隷みたいもんだから心配すんな」
とかいってたとかなんとか。

186: 無名武将@お腹せっぷく 04/05/16 16:03
いろいろあって現在に至る。

糸冬 了

187: 無名武将@お腹せっぷく 04/05/17 00:58
>>186 
清水義範かよ!

引用元: ・三国時代のその後を語ろう



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