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1: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 11:35:10.91 0
どこから来たのか・どこへ行ったのか分からない人物について推測を交えて語りましょう。








3: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 12:49:30.39 0
左慈とかサンジェルマン伯とかラスプーチンとか
得体の知れない連中しか浮かばん

4: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 13:08:43.82 0
やっぱボルマンだろ
あれだけの有名人&大物なのに未だ定説がない
しかも20世紀の話だ

300px-Bundesarchiv_Bild_183-R14128A,_Martin_Bormann


マルティン・ルートヴィヒ・ボルマン
(1900年6月17日 - 1945年5月2日)は、ドイツの政治家。

ヒトラーの政治的遺書によって党担当大臣として指名されたが、ベルリン陥落の混乱の中で消息を絶った。戦後長い間行方不明とされてきたが、総統地下壕脱出の際に青酸で服毒自殺していた事が近年証明された。


9: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 15:49:38.47 0
明の建文帝
建文帝は、明朝の第2代皇帝。諱は允炆(いんぶん)。靖難の変により永楽帝に帝位を簒奪されたため、明代には皇帝としての在位が否定されていた。

建文5年(1402年)、燕王軍は南京を陥落させ、建文帝はその際の混乱により行方不明となった。当時は僧に変装して逃亡したとも言われている(先帝の洪武帝から「身の危険があったときに開けるように」と渡された箱を、このとき開けると剃刀と金子が入っていたという)。ただし、逃亡説は伝説的なものに近く、殺されたか自殺したと考えるのが通説である。

10: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/28(木) 16:07:11.42 0
オスマン帝国の軍人で青年トルコ革命やその後の政治に関わった、エンヴェル・パシャは近代の人にも関わらず出生に割りと謎が多い。
出生年月日や両親の名前や6人兄弟という事などは分かってるけど、いまいち不明な点も多い。どういう家の出だったのかとか諸説あるし。

11: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 16:20:16.70 0
それ言ったらケマルだってそうだ
ケマルも隠れユダヤ疑惑があるしな

13: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/28(木) 16:29:40.51 0
>>11
ケマルはエンヴェルよりはまだ分かってる部分が多いとは思うけどね。
ケマルもエンヴェルも中流階級の出身でさほど裕福じゃなかったしね。
まぁケマルのほうが少し裕福だったらしいし、生家も残ってるんだけど。

14: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 17:48:37.06 0
信長に献上された黒人奴隷「弥助」

22: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 21:31:06.59 0
>>14
家康のブレーンだった金地院崇伝は別名「黒衣の宰相」と呼ばれていて、肌が非常に黒い大男で、出自が京都という以外は良くわかっていない。

崇伝は、もう一人の家康ブレーンだった南光坊天海と覇権を争っていたが、この人物も出自が謎に包まれており、一説には本能寺の変の後に突然失踪した明智光秀ではないかとみられている。

更に言うと、家康の徳川家自体も唐突に三河の地に出現した土豪であり、系譜も捏造された臭い。

ともかく、江戸幕府を創始したこの三人ともが出自に謎が多いのは大変興味深い。

24: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2011/07/28(木) 22:09:19.35 0
>>22
松永久秀も、よく分からない様ですね。

・伴善男
→応天門の変で失脚した大納言。古代の名族伴氏最期の大物。佐渡の百姓が成り上がったとする異説があった。

・菅原道真
→もはや説明不要の文人貴族。右大臣。後世神格化されたせいか、6歳ぐらいの童子が出現して菅原氏に養われたとする伝承が生まれている。

・大江時棟
→文人貴族大江匡衡の息子。どうも養子であったらしく、藤原道長が路上で牛を曳いている童子が項籍と同じ重瞳であったのを見つけて見込みありと考え、養子にさせたともいう、なお、匡衡の妻は才女として著名な赤染衛門であるが、彼女の出身である赤染氏というのも、よく分からない。

16: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2011/07/28(木) 20:07:33.31 0
・高岳親王
→平城天皇の皇子。真言宗の僧侶。天竺を目指して大陸に渡ったが、途中 羅越国で流砂に呑まれたという。また、虎に食われたとの異説もある。

・石田玉山
→大坂の絵師で、法橋に任ぜられた。人物画を得意とし、上方で高評価を得た後に江戸に移住した。ある日家を出たまま、遂に帰らなかった。

・メネス
→古代エジプトの王。カバに襲われて水中へ消え、そのまま見えなくなった。

・能海寛
→河口慧海と同時代に、チベットを目指した日本人の僧侶。途中で消息を絶つが、近年では山賊に襲われたものと見られている。

・宗不旱
→熊本の歌人。昭和17年、阿蘇山中で行方不明となる。

・藤牧義夫
→版画家。24歳で突如失踪した。

・ロムルス
→言わずと知れたローマの王。豪雨の中で消えた。

17: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/28(木) 20:14:45.71 0
>>16
>・ロムルス
>→言わずと知れたローマの王。豪雨の中で消えた。


ローマ帝国最後の皇帝であるコンスタンティノス11世もコンスタンティノープルが、陥落する時に、戦禍の中に自ら突っ込んでいったから行方不明に近いんだよね。
ローマ帝国の最初も最後も行方不明の人物というのは偶然とは言え少し面白い。

28: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 22:52:07.28 0
>>16
高岳親王って60過ぎて冒険の旅に出たんだな。現代でも驚く歳だし、どうやって死んだかという情報が日本に伝わったのもすごい。
羅越国はジョホールバルあたりで、熱帯雨林気候の土地のはずだけど流砂って...砂丘とか?
サラディンも生没年はわかってても何でクルド人ってわかるんだ?とずっと思ってて調べたら叔父の名前にクルド語の「シールクーフ」(山の獅子)というのが出てきて状況証拠だけじゃないんだと納得した。でも、一族はさらにさかのぼるとアラブ系らしい

29: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2011/07/28(木) 23:03:25.28 0
仰る通り、今ではマレー半島あたりとする説が一般的です。
平安時代後期には、マレー語も断片的に日本に伝わっていたらしい。
(但し、通常はペルシャとされる「波斯」国語とされている)
しかし、正史には流砂とあります。
地名の推定が違うのか、死因が違うのか、それとも地名が誤報であったのか。

出身不明といえば、唐代に金剛三昧という日本僧がいました。
四川にも行った事があり、中天竺にも二度行って唐に帰還したそうです。
事実とすれば、日本人で最初にインドまで行った人物でしょう。

31: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 23:15:25.62 0
高岳親王が雇った船主はインドではなく、オーストラリアへ行ったという説もあるね。
今でもそうだが旅先では言葉が通じ難く、自分の意志と違う意味で伝わってしまったのだろう。
インドへ行くはずがスマトラを超え、豪州のカーペンタリア湾付近に到達したらしい。
その後、行者(アボリジニ)の案内で須弥山(エアーズロック)に行き、読経や瞑想に耽ったり、コアラやカンガルーなど不思議な動物と触れ合ったりして豪州を満喫したが、幻の仏典があるという蓬莱島(タスマニア島)に向かうために通過中のシンプソン砂漠で流砂に巻き込まれて行方不明となったそうだ。

18: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 20:24:40.62 0
ここまで辻政信の名前なし
20世紀で謎の失踪を遂げた人物と言えば真っ先に出てきそうなものだが。

174: 世界@名無史さん 2011/08/25(木) 00:00:15.40 0
>>18
> ここまで辻政信の名前なし
> 20世紀で謎の失踪を遂げた人物と言えば真っ先に出てきそうなものだが。

ラオス王国最後の国王サワンワッタナーも、病死と発表されたが、どうなったかの真相は不明。
墓も無い。

19: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2011/07/28(木) 20:26:31.40 0
出自不明
・桂昌院
→徳川綱吉の母。父は京都の公家とされるが、織屋の娘、大根売りの娘などの諸説が同時代からあり、母は朝鮮人ともいわれた。

・唐の武宗の妃
→誰かは判然としないが(候補は二名)、父は寺院に来て大根などを売っていた野菜売りであったのが、娘のお陰で金吾大将軍となったという。

・空也
→平安中期の念仏聖。死の前後から皇族に連なるという噂があり、後世には醍醐天皇の皇子であるなどの諸説が生まれた。

・韓志和
→唐の穆宗に飛竜衛士として仕えた日本人。カラクリ細工の名手であり、皇帝を驚かせ、かつ満足させた。最期は何処かへ消えてしまったという。

・テォファノ
→東ローマ皇帝ニケフォロス・フォカスの皇后。「酒を売る家」の出身。最期は不明。

・ゼノビア
→ローマと戦った、パルミラの「女王」。前半生がよく分からず、最期も不明。

・西太后
→血筋も父も分かっているが、出生地不明。子供時代を語るのを好まなかったという。

26: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 22:31:18.74 0
・ヤンセン親子
→スウェーデン出身の漁師。ノルウェー沖でタラ漁をしている最中に嵐に遭い その後息子のO・ヤンセンのみが発見される。巨人の国へ迷い込んだとの異説もある。

27: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 22:32:28.28 0
正体不明といえば、華国鋒もそうだな
経歴不詳で毛沢東の隠し子説や失踪した三男の後身説もある
権力を掌握した決め手となった「あなたがやれば私は安心だ」も作り話だし、出世できた理由や、失脚後も派閥を背負っていないにもかかわらず、痛烈な体制批判を長年にわたって公然と展開できるほど強い立場にあった理由など、ひじょうに謎が多い

32: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 23:21:38.64 0
ナチス親衛隊には行方不明者がたくさんいる
ハインリヒ・ミュラー
リヒャルト・グリュックス
ハンス・カムラー
のような超大物から末端の雑魚まで。
終戦と同時に一斉に姿を消すところがホロコーストが紛れも無い事実であることを物語ってるw

34: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 23:26:49.09 0
ミュラーはソ連に「窮鳥懐へ」をやって成功して
むこうの秘密警察で働いた、って説がある。

95: 世界@名無史さん 2011/08/06(土) 22:16:25.25 0
>>34
ミュラーはローマの寺院で余生を送ったんだよ
昔ミュラーの隠し子が親父を探すっていう番組があってミュラーの墓碑もそこに立っていた

35: 世界@名無史さん 2011/07/28(木) 23:38:59.57 0
そういわれると、敗戦で逃亡・亡命した日本軍の将校って聞かないな。

45: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 14:11:47.06 0
>>35
特攻兵器桜花を作った大田正一なんて国内亡命してたよ
戦後50年死んだことにしていた
あと731部隊の医者は全員教授サマになっちまったからなあw

38: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 00:26:50.43 0
探険家については行方不明になるのがごく普通
ヘンリー・ハドソンとその息子がどのような最後を遂げたのか、今でも気になる 



ヘンリー・ハドソン(1560年代~70年頃 - 1611年?)はイングランドの航海士、探検家。北アメリカ東海岸やカナダ北東部を探検した。ハドソン湾、ハドソン海峡、ハドソン川は彼の名にちなむ。

1610年にはヴァージニア会社とイギリス東インド会社の出資により、4度目の航海を行った。彼は新しい船ディスカバリー号を使用し、再度北西航路の開拓を目指して北米大陸を探検することとなった。

北へ向かった彼は5月にアイスランドに到達、6月にはグリーンランドに到達し、最南端を回って西へ出た。彼はアメリカの北を迂回する北西航路をついに発見したことに興奮する。7月25日にはハドソン海峡に達し、「怒り狂う逆波」と後に呼ばれるほどの流れの激しい海峡を通り抜けることに成功してラブラドル半島の北端を越えた。11月ごろに海が氷に閉ざされたため、ハドソン湾南端のジェームズ湾に上陸し越冬を余儀なくされる。その際、出航時に必要量を少なく見積もったことで食料が著しく欠乏したために乗組員に突き上げを食らう。翌1611年の春にやっと氷が解け、航海を再開しようとしたが、この際に更なる探検を画策するハドソンと本国帰還を求める乗組員との間に不和が発生したとみられる。

その後6月22日に乗組員が反乱をおこし、ハドソンと息子ジョン、さらに乗組員のうち彼に従う者と病気で衰弱した者の6人が本船を下ろされ、小舟に置き去りにされた。乗組員の日誌によると彼らには毛布、火薬、弾薬、槍、鉄製のポットにわずかな食料などが与えられたという。その後ハドソン達はしばらく本船の後を追ったが、そのまま消息不明となった。

41: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/29(金) 08:27:24.62 0
>>38
そっち方面だと女性飛行家のアメリア・イアハートも、行方不明になってるね。そうなりやすい職種だからね。

39: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 00:50:44.35 0
孫ピンも突然表舞台から姿を消した一人だな

42: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 09:29:16.51 O
足利直冬
貞治6年以後、消息不明

43: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 10:22:52.28 0
ここまでアンブローズ・ビアスなし

人物だけでなく集団・民族単位でも
メソポタミア文明を築いたシュメール人をはじめ出身や行方がわからないのは多いね
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アンブローズ・ギンネット・ビアス
(1842年6月24日 - ?)は、アメリカの作家、ジャーナリスト、コラムニスト。代表的な著作に、風刺辞書『悪魔の辞典』、短編小説「アウル・クリーク橋の一事件」がある。人間の本質を冷笑をもって見据え、容赦ない毒舌をふるったことから、「辛辣なビアス 」と渾名された。

1913年10月、71歳のビアスはワシントンD.C.を発ち、かつて関わった南北戦争の旧戦場をめぐる旅に出た。12月までの間にルイジアナ、テキサスを通過。エルパソを抜け、当時メキシコ革命のために混乱状態にあったメキシコに入国した。シウダー・フアレスでパンチョ・ビリャ軍にオブザーバーとして加入し、その立場でティエラ・ビアンカの戦いを取材した。チワワ州チワワまではビリャ軍と行動をともにしていたことが知られている。この街から古馴染みのブランシュ・パーティントンに1913年12月26日付で宛てた「私自身もまた、明日ここを去ればその先どこに向かうかはわからない」と記した手紙を最後に消息を絶った。ビアスの失踪はアメリカ文学史上もっとも有名な失踪事件のひとつとなった。


47: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 15:46:52.81 0
>>43
エトルリア人やメロエ人だな。後者なんか現存する周辺の民族(ヌビア、ヌバ、ベジャetc)の言語から解読への糸口がつかめそうな気がするんだけど....できないということはまったくの別系統か。(ナイルサハラ、アフロアジアとは)
まさか今ははるか南方にしかいないコイサン系の民族だったとか?

48: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 17:15:57.03 0
少年十字軍を呼び掛けたとされるエティエンヌなる少年。
フランスかドイツで啓示を受けたらしいという事しかわからん。
消息も不明。そもそも実在したかどうかも怪しいけど。

49: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 19:12:14.99 0
アッバース朝のムスタアスィム
処刑の記録があいまいで、実は幽閉されたとか追放されたとか

51: 世界@名無史さん 2011/07/29(金) 20:07:53.98 0
源義経と那須与一

56: 世界@名無史さん 2011/07/30(土) 01:18:03.81 0
補陀落渡海で流れていった人は最終的にはどこに辿り付いたのだろうか?

59: カス月豕 2011/07/30(土) 17:05:54.08 0
遣唐使船もかなり行方不明になってるが、どこへ流れ着いたのだろうか?
阿倍仲麻呂の船は唐からの帰路、琉球まで他の船と一緒に着いてきたが、その一隻だけ流されて、ルソン島に辿り付いたそうだね。
ルソン島には唐王朝の駐在員がいたので長安まで帰ることができたが、日本へは二度と帰れなかった。

62: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2011/07/31(日) 00:01:19.42 0
カエサルの生年も二説あるね。紀元前100年と102年。
役職に就ける年齢の関係で紀元前102年でないと「法を無視した」ことになるってんで未だに決着してない。

ガリア戦記に出てくるガリア人の有力者たちはほぼ生年不明。
二十歳くらいだったと言われるウェルキンゲトリクスですら
ガリア戦記に年齢が書かれてるわけではない。ローマだと青年というのは30歳くらいまで含むからね。

67: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2011/07/31(日) 10:14:39.50 0
朱元璋とかどうなんだろう。
何しろ凌遅三千刀、滅九族のお方だからいろいろ都合の悪い記録が抹消されてそうだ。

70: 世界@名無史さん 2011/07/31(日) 12:24:20.24 0
>>67
朱元璋は完全な貧農。
食うに困って僧になって最低限の文才は身につけたが、教養は低かったと考えられる。

71: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 2011/07/31(日) 12:44:43.94 0
親や兄が餓死した様ですからね。
他に王胤の出身でなく、若い自分に貧乏だったり苦労したりした王は、チャンドラグプタ(カーストが低かった)、イヴァイロ(豚飼い)、馬殷(木工)、劉邦の弟の子孫と自称した宋の高祖(父に間引きされそうになった)、エカチェリーナ1世(農婦→娼婦)、ディオクレティアヌス(兵卒)、バシレイオス1世(農民)など。

75: レリン 2011/07/31(日) 20:09:05.34 0
>>71

> イヴァイロ(豚飼い)

イヴァイロについては資料がほとんど存在していない為その出生は謎に包まれており、民主化後のブルガリアではイヴァイロは実は貧困層出身ではないのではとの説が出始めています。
聖キリル・メトディー大の故アンドレーエフ教授によるとイヴァイロはむしろ重武装も可能なオヴェチ(現在のプロヴァディア近辺)の豪農だったのではないかと問題提起しました。ボジダール・ディミトロフ国立歴史学博物館館長は更に踏み込み、イヴァイロはオヴェチを支配していた貴族と断定しました。ただ、これらの説も一次資料の不足という問題がある為、科学アカデミーから支持されているとは言えません。
また、ディミトロフに至っては普段から暴論も多い上に共産党、社会党、そして現在の与党であるГЕРБの歴史イデオローグを務めていました。これは通常の歴史研究以上に歴史の曲解や改竄を行っていたと言うことでもあり、彼の言説を真に受けるのは危険ということでもあります。実際に、政府の威を借り自分の学説に同意しなかった学者に対し恐喝まがいの言動を行ったり、秘密警察協力者だったと言う文章も暴露されました。
ちなみに、数年前に偶然ブルガリアの受験生用参考書(執筆は聖キリル・メトディー大の教授陣)を入手しましたが、見事にイヴァイロに関する記述がありませんでしたw

78: 世界@名無史さん 2011/08/01(月) 09:19:37.69 0
魏の斉王・曹芳
皇帝なのに正史にまで父親不明と書かれてる有様

79: 世界@名無史さん 2011/08/01(月) 20:44:08.10 0
ホークウッドやヤンジュシュカなど戦で名を挙げた人は産まれの話とか聞かないなぁ

80: Ryuju ◆RlujhF6VrA 2011/08/04(木) 18:42:53.75 0
>>79
それでもヨーロッパの場合は生まれてそう時間経たずに洗礼受けるからその記録が残ってれば一応生まれた年と場所くらいは分かったりするんだけどね。

ダルタニャンなんかその記録もないから名前だけは有名なのに1610~23年と生まれた年に諸説があって大体1615年頃ということしか分かってない。

83: 世界@名無史さん 2011/08/04(木) 21:47:39.21 0
ローマといえは皇女ホノリア。
いろいろあって幽閉されていたが、アッティラ大王に救いの手紙と指輪を送ってフン族のローマ侵攻の口実を与えてしまう。
混乱の中、ホノリアのその後は不明。

91: 世界@名無史さん 2011/08/06(土) 19:52:56.44 0
元朝に行方不明になった少年皇帝がいたよな。
いくら内乱の渦中とはいえ、
なんでユーラシアをまたぐ大帝国の皇帝が行方不明になれるんだ。

97: 世界@名無史さん 2011/08/07(日) 09:46:07.75 0
だれか鉄仮面の男の正体を教えてくれ~

引用元: ・出身/行方が分からない歴史上の人物



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