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1: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:06:50 ID:cFY
洗衣院はもういいから...








10: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:09:55 ID:gI2
殷の前って結局あるんか?
高校でならって以来中国史触れてすらないわ

12: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:10:50 ID:sDz
>>10
夏王朝が実在するのが有力らしい

13: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:10:51 ID:X3p
>>10
二里頭遺跡がその証拠かも?みたいなことは資料集にのってるな

二里头一号宫殿平面图_zh_hans


二里頭遺跡
(にりとういせき)は、中国の河南省洛陽市偃師市翟鎮二里頭村で発見された新石器時代末期から青銅器時代にかけての都市・宮殿遺跡である。

二里頭遺跡は紀元前1800年から紀元前1500年頃の遺跡と見られ、中国の史書の夏の時期に相当するため、中国ではこの遺跡は夏王朝の都の一つと考えられている。しかし都城・城壁の跡は発見されていない。また文字資料は出土していない。


11: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:10:15 ID:Agy
太平天国の乱でえげつないくらい人死んでる

15: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:11:37 ID:c5Y
馬陵の戦いという小説以上のレジェンド

18: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:12:13 ID:cFY
>>15
どういう風にレジェンドなんや?

20: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:12:43 ID:c5Y
>>18
ウィキでもいいから見てみるとええで
お話でもあんな劇的な勝利はない

27: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:15:12 ID:cFY
>>20
そこで馬陵の街道脇の大樹の木肌を削り、白木に墨で「龐涓この樹下に死す」と大書し、周囲に弩を持たせた一万の兵を伏せた。
伏兵には、夕闇の中で火がともるのが見えたら、その火めがけて一斉に箭を放つように命令した。
果たして魏軍は日没後に馬陵に到達し、指揮官の龐涓は道端の大木になにやら字が記されているのを見つけたが、すでにあたりは暗くてよく見えない。
そこで松明を持ってこさせ、火をつけて字を読もうとした瞬間、周りから一斉に矢が飛んできた。
龐涓は満身に無数の矢を受け「遂に豎子の名を成せり(あの小僧に、名を挙げさせてしまったか)」と叫んで絶命した。

no title

31: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:16:11 ID:c5Y
>>27
そもそも孫臏が足を失ったのは龐涓の策略やし
因縁が深いんやで
馬陵の戦い

魏の将軍・龐涓は、若いころは孫臏と机を並べ兵法を学んでいた同門であった。孫臏が龐涓の招きを受けて食客として魏にやってきたとき、以前から自分の才が孫臏に及ばないことを知っていた龐涓は、地位を脅かされることをおそれ、孫臏を罠にかけて冤罪陥れた。そのため孫臏は脚切りの刑(両足を切断する刑。これを臏といった)に処された上、面に黥(いれずみ)を入れられて獄中に幽閉された。その後、斉の使者が魏に来たとき、孫臏は計略を用いひそかに使者と面会し、共に魏から斉に脱出した。こうして孫臏は斉国の軍師となり、龐涓に復讐する機会を待った。


16: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:11:52 ID:BD8
孔子と劉備は人間の肉を食べた

17: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:12:11 ID:c5Y
>>16
劉備のは三国志平話の創作やで

21: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:13:12 ID:wYV
清帝国はトータルで見れば世界史レジェンド

25: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:14:16 ID:wME
害鳥だ
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四害駆除運動

1958年2月から、四害(伝染病を媒介するハエ、カ、ネズミと、農作物を食い荒らすスズメ)の大量捕獲作戦が展開された。

正式には「除四害運動」と呼ばれたが、スズメを大量に駆除したことから、「打麻雀運動」、「消滅麻雀運動」とも呼ばれる。しかしスズメの駆除は、かえってハエ、カ、イナゴ(蝗害)、ウンカなどの害虫の大量発生を招き、農業生産は大打撃を被った。スズメは、農作物を食べると同時に害虫となる昆虫類も食べ、特に繁殖期には雛の餌として大量の昆虫を消費している。指導層の無知が故に、食物連鎖の生態バランスを完全に無視した結果だったのである。


29: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:15:48 ID:krs
五胡十六国とかいうカオス

32: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:16:18 ID:YzM
>>29
宇宙大将軍すき
なお、戦の腕前は本物な模様

33: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:16:27 ID:c5Y
>>29
苻堅カワイソス
苻 堅

苻 堅(ふ けん)は、五胡十六国時代の前秦の第3代皇帝(大秦天王)。

氐族である苻堅は、宰相の王猛を重用して前燕や前涼等を滅ぼし、五胡十六国時代において唯一の例である華北統一に成功した上に東晋の益州を征服して前秦の最盛期を築いた。中国統一を目指して383年に大軍を南下させたが、諸因により淝水の戦いで東晋に大敗した。以後統治下の諸部族が反乱・自立すると前秦は衰退し、苻堅は385年に独立した羌族の部下姚萇に殺害された。

苻堅は王猛のおかげで五胡十六国時代の中で唯一華北を統一する王にまでなったが、それは苻堅自身の才覚というよりは王猛の補佐によるところが非常に大きく[要出典]、王猛没後に苻堅は没落して殺害されている。これは王猛の生前に苻堅が極端に異民族を優遇したためであり、また滅ぼした旧皇族をそれぞれ重用するなど余りに苻堅は諸民族を糾合するという理想に駆られていた感があった。苻融などはこの施策を危険と見て諌めたが、苻堅は当時としては信じられないほど極端な理想を述べて聞き入れなかった。

101: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:47:00 ID:wYV
五胡十六国時代とかいう応仁の乱並みにパッとしない時代

105: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:48:16 ID:c5Y
>>101
苻堅を忘れないで

112: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)20:46:15 ID:BXB
>>101
むしろ盛り下がるところがなくて情報過多なんだよなあ

36: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:17:54 ID:hQy
朱元璋とかいう超有能

39: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:18:52 ID:c5Y
>>36
朱棣というジェノサイダー

44: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:19:24 ID:krs
>>36
中国どころか世界でみても屈指の成り上がり

48: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:19:58 ID:c5Y
>>44
固有の名前を持たない劉邦と双璧をなすな

37: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:18:25 ID:YzM
李世民とかいう兄殺しと弟殺しを同時にやった男

40: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:19:07 ID:c5Y
>>37
妹は無事だった模様

51: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:21:03 ID:YzM
劉秀とかいう元祖なろう主人公

62: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:23:40 ID:YzM
南蛮制圧出てくる蛮族は孟獲以外全員フィクションでしかも史実の孟獲は蛮族とは程遠いインテリ

64: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:24:43 ID:nnE
軍神関羽は商業の神となった

67: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:25:12 ID:c5Y
>>64
実は安徽省と江蘇省では甘寧も神様になっている

69: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:25:20 ID:wYV
宦官とかいう悪役

70: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:25:38 ID:c5Y
>>69
鄭和「せやろか?」

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鄭 和
(てい わ、1371年 - 1434年)は、中国明代の武将。12歳の時に永楽帝に宦官として仕えた。

軍功をあげて重用され、1405年から1433年までの南海への7度の大航海の指揮を委ねられた。鄭和の船団は東南アジア、インド、セイロン島からアラビア半島、アフリカにまで航海し、最も遠い地点ではアフリカ東海岸のマリンディ(現ケニアのマリンディ)まで到達した。


75: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:28:11 ID:wYV
>>70
スタートだけ教科書に載ってるけどそれっきりやったな

77: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:29:05 ID:cFY
普通に15世紀初頭にアフリカまで行くってすごいなぁ。

79: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:31:12 ID:cFY
ジャワ島のマジャパヒト王国に滞在中には、宮廷は東王宮と西王宮に別れ内戦(パルグルグ戦争(英語版))に巻込まれた。
東王宮の所に滞在していた鄭和の部下が西王宮の襲撃時に死亡した為、鄭和が抗議し、西王宮に賠償金の支払いを約束させた。
マラッカ海峡に近いスマトラ島のパレンバン寄港中には、同地における華僑間の勢力争いに巻き込まれた
施進卿派は鄭和と協力関係を結び、陳祖義を牽制したが、これに対し陳祖義は鄭和艦隊を攻撃したものの大敗し、陳祖義は捕らえられて南京まで連行され、その地で斬首された。
一方、施進卿は朝貢を約して明によって官位を与えられ、パレンバンは明の影響下に置かれることとなった[19]。

ワンピかな?

81: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:32:29 ID:c5Y
>>79
鄭和にごめんなさいするわ
大活躍やんか

82: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:32:34 ID:X3p
中国唯一の女皇帝、則天武后は現代になって再評価されつつあるらしい
フェミさん取り上げてええんやで

83: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:32:50 ID:c5Y
>>82
子殺しやで

87: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:34:54 ID:X3p
>>83
科挙官僚をまともに活用したとかで評価されることもあるらしい
でも自分の子供殺して皇帝って狂ってるわ

88: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:35:24 ID:YzM
秦良玉とかいう女性で唯一自伝がある女傑

94: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:39:22 ID:wYV
秦はあっさり滅んだみたいに思われてるけど実際は名将も出てきてワンチャンあった

95: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:39:55 ID:cFY
>>94
項羽と劉邦で読んだなぁ 商鞅みたいな名前やなかったっけ

98: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:42:26 ID:wYV
>>95
章邯や
そっちは秦をもり立てた人やね

99: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:45:21 ID:nnE
章邯が都に呆れている頃、鉅鹿にて別働隊が壊滅していた

97: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:41:54 ID:YzM
趙常とかいう黄皓がかわいく見えるレベルの畜生


104: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:48:07 ID:YzM
章邯の山中鹿之助感は異常

106: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)19:48:30 ID:c5Y
>>104
鹿之助はあんな堕落したりしないぞ

113: 名無しさん@おーぷん 20/01/14(火)20:49:04 ID:BXB
南北朝後期が最高に面白いんじゃ

引用元: ・中国史で知ってること書いてけ



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