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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/03/20(月) 22:49:13.76 ID:hugaVazr0
魏は国力差を活かしきれてないのか、あるいはそこまで国力差が実は無かったのか








566: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/16(金) 23:35:19.94 ID:QQVfbDyA0
曹操も老いてたんだろな
若かりし頃なら本拠地を襄陽に移して、敵に対してより積極的に踏み込んでいく姿勢を見せたはず
それが戦線から遠く離れたギョウで個人的安逸を貪るようになるとは…。・゚・(ノД`)・゚・。

567: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/16(金) 23:41:04.10 ID:IhHHsAVu0
武帝紀読む限りだと死ぬ間際まで兵を率いて東奔西走してるけど
まるで思いつきで行動してるかのようにいたずらに兵を動かす戦略性の無さが曹操の欠点だと思う

568: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 00:05:55.48 ID:EP7KNzTQ0
>>567
荀彧を殺しちゃったのが運の尽きだった

569: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 00:48:52.83 ID:gyqj2Jio0
赤壁から戦略的失敗を何回もするようになるんだよな曹操

571: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 06:19:32.88 ID:UvdWbkEx0
戦略的に独立して動く才能のある劉備が政治的にも独立しちゃうんだから曹操が自分で動くのはしゃーない
劉備が独立しなきゃ赤壁すら起こらずに天下統一やろ

572: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 06:31:00.76 ID:hON4iKLU0
曹操は漢朝再建の立役者に甘んじなかったのが最大の敗因だわな
霍光二世ぐらいには成れただろ

574: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 07:06:18.98 ID:b+yEXobj0
>>572
劉備の政治的基盤がもっとしっかりしていれば曹操と立場が逆になって光武帝の再来に成り得たかもしれんけどね

575: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 07:28:15.44 ID:hON4iKLU0
>>574
劉備は地方豪族成り上がりでの官僚出世コースだとほぼ上限に近いような気もするんだよなー
あれ以上狙うとしたら中央官界に基盤のある相当な上流階級に生まれないといけなかっただろうし

576: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 07:41:37.87 ID:H9UKjAgu0
>>575
そこは相対的なものだからね
曹操より無能が速攻簒奪したならまだしも曹操どころか董卓ですら漢王朝を輔弼する形で体制構築してる
そうなるとスタートの基盤が重要にならざるを得ないでしょ

573: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 07:04:00.56 ID:4JZIoCNd0
曹操の代で統一してたら曹操はたぶん漢朝の臣で終わってたんじゃ。

581: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 01:51:45.06 ID:FZXYPnR50
>>573
魏王になったり皇族に連なるものを何人か殺してるんだから
簒奪する気満々でしょ

579: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/17(土) 19:17:42.38 ID:xpHS2pG30
後漢の権威なんてあってないようなもん
劉焉も劉表も袁術も袁紹も韓遂も並みいる群雄は後漢王朝に見切りをつけてた

最たるものが黄巾の乱だけど

582: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 02:48:58.74 ID:0Z/qT2ZI0
>>579
むしろ曹操の方がどこか漢王朝に未練あるって言うか

580: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 01:19:25.45 ID:lvp0bzIn0
俺の個人的な意見に過ぎないけど、2世紀末までは漢の権威はある程度あったように思う
漢の高祖劉邦は劉氏以外が王を名乗ったら諸侯は力を合わせてこれを倒せと遺言を残している
これは呂后専横の一時期を除いて概ね守られてきた
王莽も王号を経ずに禅譲に到っているし、前後漢通じて劉姓以外の王が立てられることはなかった
新末後漢初の戦乱の時代、王や皇帝を自称する群雄はいたけれどすぐに滅ぼされた
後漢末に時代が移ってからも、位人臣を極めた董卓も王は名乗れなかった
後漢朝廷と距離を置いた袁紹も独自の王号を僭称するには踏み切れなかった
袁術は帝号を僭称した途端にその支持基盤を失った
細かく見てくと遼東王を自称した公孫度や河首平漢王を自称した宋建のように辺境で独立勢力を築いた群雄もいるけれども、劉氏以外が王を名乗ってはならないという不文律は概ね守られてきた
曹操が魏王を称するまでは

592: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/22(木) 21:00:01.94 ID:Do9CDoDJ0
>>580
>前後漢通じて劉姓以外の王が立てられることはなかった

西漢初期の頃は劉姓以外の王てんこ盛りで韓信が2人も王だったりするしなw
長沙王呉著が跡継ぎ残さず崩じた紀元前157年までは普通に劉姓以外の王が存在するので劉邦の遺言は長らく守られていない

既に魏公となっていた曹操が魏王になったのは30年近く河首平漢王を自称した宋建を亡ぼした功績からなのでそれも劉備の漢中王みたいな僭称ではなく正式に漢の皇帝から王位を贈られてるので劉姓以外の王云々の不文律は曹操の魏王就任の頃には風化しているのは確か
それを現代においてとても問題視する御仁が出てくるのは甚だ謎

583: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 10:27:10.56 ID:Rpw067SX0
なんで曹操はあんなに漢帝国の臣にこだわったのだろうか

584: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 11:10:06.40 ID:sHSWMbiy0
だって先例が王莽じゃんw
あと皇帝はお飾りにして自分は周公旦気取ってる方が楽だし。
かったるい儀礼や祭祀もやらなくて済む。

586: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 14:56:11.64 ID:RrNhDOeS0
自分が名分として担いでる漢王朝を中華統一前に廃するのって普通にリスキーでしょ、対内的にも対外的にも

588: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 16:27:04.29 ID:U8NmDSBO0
しかし曹丕が漢朝を廃してリスクがあったようにも見えないけど。
時期が違うから?

590: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 21:02:56.81 ID:RrNhDOeS0
>>588
上の方にもあったけど内的には反抗勢力が吉本、魏諷あたりと一緒に粛清されて一段落ついてたのが大きいんじゃないかな
外的には劉備が漢の後継として即位して、名分の上でも完全に独立するっていうリスクが禅譲直後に顕在化してる
まあ外的な方は曹丕が問題視しなかったか、リスクを承知の上で禅譲を迫ったんだろう
曹操が道半ばで死んじゃったせいで自身の権威付けと体制固めを急ぐ必要があったしね

593: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/22(木) 21:31:42.47 ID:pfQ8MlcV0
後漢書読んでてビックリするのが、当時は袁術陛下以外にも各地に自称皇帝だの自称王だのがゴロゴロしてる事。劉表にしても軍楽隊を皇帝に準ずるものにしたり勝手に祭祀やったりとやりたい放題。

594: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/22(木) 21:54:23.51 ID:6kcBR8Vj0
袁術みたいな貴種が皇帝を名乗るのとそこらの賊がそれやるのとでは全然違うだろ

595: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/26(月) 02:09:42.26 ID:f4QwBQDp0
何故、曹操は天下を統一できなかったのか?的な書き込みが結構多いなこのスレ

596: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/26(月) 16:05:23.43 ID:nolEQpVP0
>>595
そりゃ曹操が勢いのまま天下統一するのが一番可能性高かったんやから当たり前やろ

600: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/27(火) 09:14:28.19 ID:4blhEmPW0
大体答えが出てるからやろ
中原が一番荒廃してて回復するまで他の地域との差が少なくなってたと

597: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/26(月) 18:23:43.12 ID:31RWJ3vm0
曹操は戦闘は一流だけど戦争はなぁ

603: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/27(火) 15:14:12.87 ID:uB/uPDITO
単純に騎馬の優位が生かせない戦いに弱かっただけでは?

604: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/27(火) 15:25:33.84 ID:4blhEmPW0
>>603
同様に騎馬運用に長けた劉備軍閥が敵対し続けて最終的に蜀に篭ったのが痛かった

606: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/27(火) 22:17:43.63 ID:216BhAF+0
河南を制圧するのに手間取ってるのがマイナスなんだけど、河北の袁家に勝てたせいか、あまりマイナス扱いされてないのが不思議

612: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/07(金) 07:57:21.93 ID:8SgWuXad0
やっぱり勢いって大事
曹操は時間を掛けすぎた

615: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/07(金) 13:23:52.49 ID:Wq3wTcKQ0
>>612
赤壁のあたりは勢いに頼りすぎだろ
なにせちょうど一年前は万里の長城の向こう側に居た軍隊が長江の中流に居るんだもんな
疫病が発生したのも杜撰な行軍計画が招いたようなものだろう
郭嘉の病死も文字通りのデスマーチ環境に過労死させられたようなもの

621: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/08(土) 10:08:23.04 ID:eSpYohcS0
>>615
まあその部分だけ見ればそうなんだけどね
大半の中華統一した君主は旗揚げや勢力引継から15年以内とかで統一してるからさ
それ以上時間を掛けてしまうと情勢的にどうしても膠着状態になるし
そうなるとある程度世代が変わって内部崩壊とかを待たないといけなくなると言いたかった

613: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/07(金) 10:57:53.80 ID:29B+z7ib0
苻堅「そだねー勢いって大事だよねー」

618: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/08(土) 02:52:00.99 ID:DuGdlNv50
荊州を攻略した時点で無理して呉を攻めるべきじゃなかったな
長坂で劉備を無理やり追いかけたのも失策だったように思う

620: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/08(土) 08:31:20.35 ID:Wlt68/7h0
>>618
というか呉を後回しにしてあくまで劉備の討滅を優先する選択肢ってなかったのかね

622: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/08(土) 19:14:34.55 ID:DuGdlNv50
>>620
劉備を優先した結果が赤壁じゃない?
だから武帝紀や山陽公載記に孫権では無く赤壁で劉備と戦ったと書かれてるんだと思う

623: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/08(土) 20:27:01.01 ID:PO7WpRGr0
少し時間かけて内部を切り崩していけば
張昭らの北方名士と地元豪族が組んで、強硬派の周瑜魯粛をふん縛って終わりだったろうな
なぜ待てなかったのか

627: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/29(土) 13:17:32.98 ID:UKNpbvhK0
>>623
孫権は周瑜を信頼してたよ。
待った所で内部崩壊は無かったと思うよ。
人をまとめる能力が孫・周にはあったと思うから。

631: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 09:29:51.40 ID:eZN/CB+M0
周瑜がまとめたと言っても長対陣になったらボロボロ崩れていったと思うけどなあ

633: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/31(月) 16:07:07.03 ID:gD0UidOP0
>>631
崩れるの折込済だから黄蓋の偽降計が成功した
まあ長期対陣すると官渡みたいに両陣営崩れてお互い崩れたり登降したりするのは普通にある

636: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/01(火) 13:23:59.21 ID:mMInB3/9O
人が土地の風土に合わないっのは決定的な差だからな。
あの場で対陣を繰り返せば、曹操軍は何度でも大規模な疫病に見舞われるな。
ストレスが体調を崩して、重病にまでなるんだろう。

637: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/02(水) 01:09:45.03 ID:eqpZQ4Xn0
人口密集、不衛生な環境、不安定な食糧供給による栄養の欠乏…
軍隊生活は伝染病の集団感染を引き起こす危険要素を幾つもはらんでいる
特に、張羨の乱、赤壁の戦い、樊城の戦いなどの建安年間における荊州の戦乱では疫病の発生が史書に記録されている
傷寒雑病論の作者張仲景こと張機も、建安年間に孝廉に推挙され太守として長沙に赴任したところ、疫病によって親族二百人のうち3分の2を喪ったことから医学の道を志したという
西暦2世紀末から3世紀初頭の荊州はそれだけ疫病が蔓延する危険地帯だったってこと
余談になるけど、周瑜、魯粛、呂蒙などの呉の優秀な将軍が荊州で病死したこともこれによって説明がつくはず

660: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/08(火) 17:32:25.27 ID:cB0ycXCW0
曹操があと5年長生きしていた場合、関羽の仇討に出陣した劉備が夷陵の戦いで陸遜に大敗したという知らせを受けた曹操が、どう対応するのか気になるね
うまくいけば蜀は滅亡し、曹操が成都に入城。
陸遜なら息子の陸抗と違って永安宮(白帝城)を落とせるだろうけど、益州での戦果はそのぐらいだろう。
天下は三分せず二分(しかも圧倒的に魏が優位なまま)となる。
曹操の跡を継いだ曹丕と呉の戦いもまた、史実と違ったものになるだろう

661: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/08(火) 18:27:04.69 ID:gM0RhW5i0
曹操が健在なら、劉備が呉へ東征する前提も絶対といえるかわからん

662: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/08(火) 22:36:24.03 ID:MB8+83r00
流石に曹操が健在なら迂闊に出兵はできないんじゃないかと思ったが、その少し前に荊州兵だけで魏に喧嘩売ってるやつがいたのを思い出した

705: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/01(金) 05:39:40.10 ID:kw5MSu6+0
主要な所抑えちゃったからもういいやってなっちゃった
蛮族としか思ってなかったんだろ

706: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/02(土) 03:47:59.46 ID:Midiaszi0
普通に魏は何回も呉と蜀に侵攻かけて失敗を重ねてるんだぞ?
主要なところ抑えてたから良いやなんて思ってなかった

707: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/02(土) 06:57:14.10 ID:76wL9pTm0
>>706
蜀って2回目で落として無かったか?
そんな何回もって回数では無いだろ

709: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/02(土) 11:29:47.84 ID:Z2Vh6VYd0
>>707
230年に曹真が、244年に曹爽が征蜀の軍を率いて退いてる
なので鍾会は3回目だね

719: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/03(日) 23:27:33.44 ID:8CpH/kAa0
>>709
孔明と魏延が死んだ直後の234年、235年に魏は大軍で蜀へ攻め込んでおけと思うわ
絶好の機会を逸した
魏が天下を統一できずに三国鼎立が長引いたのは、魏が好機を逸していたからというのも一因だな

708: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/02(土) 07:59:23.80 ID:gF8zTCnw0
姜維との戦いで数万人、諸葛恪との戦いで数万人とそれぞれ損害の記録がある
戦術的には相当な打撃、当時の人口からしたら国力に響くほどだったんだろう
戦術レベルで蜀、呉は大変優秀でそれが魏の物量、人口に対抗する状態が続いたんだろうな

714: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/02(土) 21:47:33.96 ID:160wyWRU0
調べてみると曹真による太和四年の征蜀ってかなり大がかりなものだったんだな
斜谷道に曹真、子午道に張郃、西域から陸水路を通って司馬懿、武威からも兵が出てる
長雨で計画が頓挫してなかったらどうなってたかわからんね

715: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/02(土) 22:00:10.57 ID:MhaH4XcZ0
後主伝で諸葛亮が城固、赤阪で待ち受けたけど曹真は大雨で撤退した書いてあるな
肝心の諸葛亮伝ではそれさえ記述が無いから衝突は無かっただろうな

721: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/06(水) 01:28:56.83 ID:57c9RtZL0
曹真の蜀侵攻失敗は兵力では損害少なそうだが
食糧などの補給物資の損害はかなり大きそうだな

722: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/06(水) 01:58:36.68 ID:76PJ26w10
明帝曹叡の代に度支尚書司馬孚の献策で(涼州天水郡) 上邽に冀州の農民を五千人移住させて屯田兵としたと晋書司馬孚伝にあるが、これはおそらくその埋め合わせの措置なんだと思う
蜀の北伐が兵糧や輸送の問題で頓挫していたのと同じ理由で魏の蜀侵攻もまた困難であったのだろうな

723: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/02/06(水) 09:01:14.26 ID:e/o5E/Am0
>>722
埋め合わせというか
蜀の狙いの一番が涼州の安定化阻止だって事に魏もある程度気付いていたって事やろ

842: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/11(火) 18:41:12.10 ID:lOFz9gIP0
曹操が戦上手の若い司馬懿を大抜擢してもっと早くから前線で指揮を取らせたら
統一が果たせたかもとか?

845: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/12(水) 20:05:51.27 ID:NhdNfhmt0
司馬懿は確かに戦上手ではあるけど基本、攻められてから反撃するパターンが多くて例外は孟達の裏切りを阻止したのと燕侵攻ぐらいで大規模な侵攻作戦とかやった事ないから韓信のような役割ができたかどうかは分からんよな

848: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/12(水) 20:42:32.64 ID:kxHpKwHQ0
>>845
韓信ほどかは分からんけどそんだけやってれば十分だと思う

849: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/12(水) 20:48:52.15 ID:VOHWYXnk0
大規模侵攻は相手陣営が臨戦態勢に入る前か屋台骨が腐りきってからが定石だから
三国時代のように互いに陣容を整えた後ではもう無理
内部崩壊を待つしかない

引用元: ・何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか



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