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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/09/16(土) 20:07:32 ID:2kl/Yh2s
彼が生きていたら、豊臣家の運命も変わっていたのでは?








227: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/17(火) 01:37:36 ID:Ww7Hgvk6
秀長が病気にかかった時には、秀吉は祈祷したりして回復するように祈ってたんじゃなかったっけ?
当時は、まだ大政所も健在だったし、秀長は有能で権勢欲もあまり強くないから、秀吉は頼りにしてたのかも?

秀長が死んでから、秀吉は目に見えて狂ってるね

234: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/17(火) 13:18:00 ID:UWoN0LQW
家族に対する愛情が深いからこそ、家族を脅かす危険のある人間に冷徹になれる、とも言える
秀次粛清も結局のところは実子の秀頼可愛さから出たもの
秀吉の家族愛は愚かではあったが自分本位だったとは思わない

250: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/19(木) 19:22:04 ID:CSLSn4Jp
極めて貴重な親族一家を皆殺しにして、結局羽柴家は断絶
なぜ筑前は頼朝の轍を踏んでしまったんだ

251: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/19(木) 20:28:25 ID:7TVutE0l
>>250
個人うんぬんよりも、家臣団の方が力が強い連合政権的な政府は、結局長続きしない、ってことじゃないかな?
鎌倉幕府が安定したのは北条氏の絶対的指導力が確立してからだし、徳川幕府は配下の親藩、譜代、外様にそれぞれ権威、権力、財力、を分散させる事により将軍家への求心力を高め、長期安定政権を築いた。

そういう意味で秀吉の政権には知恵が無いわな。室町幕府の延長線上にしか過ぎないように見えるよ。

257: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 14:53:30 ID:orKJgOx5
>>251
秀吉時代は別に家臣団の力は強くない、少なくとも室町・鎌倉に比べれば遥かに秀吉の独裁といえる、家臣団の力が向上するのは秀頼が幼君であったために権力が家臣の手に委ねられてしまったから、秀頼を補佐できる親族も居なかったし。
豊臣政権の泣き所はよく言われるように結局は親族の少なさと譜代の臣が居ないことでしょう、特に晩年まで子供が居ないのは痛かった、家康みたいに息子達に領土を与える事も出来なかったし。
まあ秀頼の誕生も最悪のタイミングだったけどね。
あと徳川も豊臣の延長線みたいなもんで、言われてるほどの差は無い。

258: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 16:00:53 ID:y060xk8F
>>257
親族の少なさと譜代が居ないのは、そのまま豊臣家と徳川家の政権構造の差であって、それは大きな違いがあると思うんだけど?

264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/22(日) 02:42:43 ID:+35mQxNP
>>258
譜代がいないってのは、徳川みたいな古くからの譜代が居ないって事ね、豊臣家に譜代が居ないわけじゃない、親族も同じく少ないけど存在する、ただそれは程度問題の話であり、政権構造自体の差異という程ではない。

265: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/22(日) 16:14:23 ID:6QhAzCkO
>>264
同盟ではないが、ナンバー2を二精力作ってバランスを取ろうとしていた。
豊臣本家220万石
徳川256万石
毛利120+小早川36万石+吉川14万石+毛利秀包13万石=183万石

小早川隆景が生きていれば、東:徳川、西:毛利でバランスを取ろうとしていたのがわかる。
隆景が死んで、ぜんぶおじゃん。

秀吉のナンバー2模索は、秀長の死から始まり、
・秀長
・秀次(←ここまでは身内)
・徳川と毛利with小早川隆景
・徳川と前田
の流れになっている。
優柔不断かつ日和見と言う点では毛利以上、味方としては一番できの悪い前田に運命を託したところで、ジ・エンド。

267: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/23(月) 02:04:31 ID:C3UZwvNc
>>265
まぁ、それじゃあ良くっても三国志にしかならんわな。
実際は、豊臣家を蚊帳の外においての東西決戦だったが。

253: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/19(木) 21:31:34 ID:cGkSMPFP
もっと早いうちから秀吉の養子になってれば、情も移ったのかもしれないが・・・
初期の扱いは数少ない一門の有効利用って感じだったしな。

259: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 16:16:12 ID:9DQTzJrR
そういう欠点がわかってたからこそ秀吉は豊臣賜姓による擬似親族の構築、子飼いの七本槍や奉行衆の登用で親族・譜代の薄さを補おうとしたわけで・・・
そういう様々な工夫で辛うじて成立してたのが豊臣政権なわけよ
結局後継者が幼いため外様の中央への介入を黙認する羽目になり、秀吉死後脆くも瓦解してしまうわけだが、逆に言えばその脆いバランスの政権を生前ともかくも保っていた秀吉はやはり一流の政治感覚の持ち主だったと言うしかない
少なくとも豊臣政権を室町幕府の延長線上に捉えたりするのは誤り

260: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 17:08:11 ID:MOq6L5ml
>>259
つーか、五大老なんて機構を作って、それにたよっている時点でもう…。

例えば徳川幕府の時代に、老中筆頭に前田家とか伊達家の人間が着いたら普通政権簒奪されたって理解するでしょ。どんな人でも。

261: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 17:29:32 ID:9DQTzJrR
秀吉が五大老というシステムを作ったのは秀長急死・秀次粛清後のこと
一族に人材が無く、跡継ぎが幼君である秀頼を支えるために秀吉が最晩年に構築したもの
五大老は外様の有力大名を中央に参画させることで政権運営をさせると同時に、お互いに監視させることで特定大名が権力を濫用することを防ぐ狙いがあった
この五大老の人選はなかなか秀吉も考えたようで、実力ナンバーワンの家康に対して前田=宇喜多、毛利=小早川の縁戚大名が合同して対立するように作られてる
まあ所詮は一時凌ぎの苦肉の策、秀吉死後に野望を露にした家康に速攻で無効にされてしまうが、当時の秀吉には他に取る手段が無かったんだろう
秀次さえ存命ならこんなものに頼る必要は無かったんだけどね、こればかりは自業自得としか言い様がない

262: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 21:27:19 ID:hk1HkIGT
というか秀吉のあのタイミングで天下を統一するには徳川毛利上杉などの巨大な大名を政治的に抑えるしかなかったしな。

263: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/20(金) 22:36:58 ID:MOq6L5ml
>>262
むしろ秀吉の体制って、西日本は羽柴(豊臣)-毛利同盟で、東日本は豊臣-徳川同盟で押さえた体制、ってふうにも見れるな。んで、秀吉がやじろべえの真ん中。

264: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/10/22(日) 02:42:43 ID:+35mQxNP
>>263
秀吉存命中は徳川も毛利も秀吉の同盟相手と言えるほどの力は無いでしょ。

291: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/03(日) 04:20:57 ID:Zg5Di7dP
この人の存在って一般層には殆ど知られてないよね。

292: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/04(月) 00:29:27 ID:MX9b6EZW
秀次は関連エピソードに陰惨なものが多いから、あまり一般的には取り上げられないんじゃないか
殺生関白とか畜生塚の話とかドン引きだろ
けど知名度自体は実績と比較したらこんなもんじゃないの
秀吉の後を継いで関白になったといっても実権は殆ど秀吉が握ってたし、統治期間も短かった
日本史の用語集で取り上げられるくらいの評価で妥当

293: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/04(月) 19:36:35 ID:5nsco84/
殺生関白は有名じゃないの?
加藤清正や小早川秀秋は知らなかったが秀次は知っていた。
見てた大河ドラマとかにもよるか。

294: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/04(月) 21:57:30 ID:j43Ho1HQ
秀次は太字ではないが教科書に出てるな。
清正や秀秋は用語集には出てるが教科書には出てなかったはず。
今はどうか知らないけど。

298: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/04(日) 09:30:48 ID:A4IVu1Q4
もし秀吉が秀頼が生まれてから史実より早死にして、豊臣政権の2代目が豊臣秀次になった場合まず息子達の多さからして秀次の家系を豊臣宗家にするよう計るし、その場合豊臣秀頼を徳川家の結城秀康の様に別の大大名にする、後宇喜多秀家や小早川秀秋達をうまく黙らせる、そして秀次家臣団と五奉行をうまく使う。
後は2代目としては徳川秀忠よりは条件はかなり悪いことは確か、特に徳川家康には警戒が必要だ、また史実同様に淀&秀頼が秀次政権に歯向かった」場合取り潰しか、秀次が秀頼を攻めると思う
その時豊臣家蔵入地は秀次と秀頼でどう分割するのだろうか。

299: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/04(日) 09:38:59 ID:A4IVu1Q4
秀頼が大坂城、秀次が聚楽第&伏見城という感じで相続すると面白いけど。
後々問題が起こりそう。あと豊臣秀次が2代目の場合キリスト巨布教を認めていれば面白いけど。

300: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/04(日) 12:57:12 ID:vJSDrkNm
小牧・長久手の戦いの秀次をどう思う?

301: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/04(日) 14:14:18 ID:eLNBWP5l
敵地深くに侵入してるのに斥候を出さず、徳川軍に不意を突かれて壊滅、後詰の秀次軍の敗走により先鋒の池田勝入・森長可隊が孤立して全滅する羽目になったと若輩の身だったとはいえ秀次の小牧・長久手における失態は非常に大きい
彼の経歴に後々まで暗い影を及ぼした気がする

302: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/04(日) 15:28:27 ID:K/VCQpqv
若年だし仕方ない面はあると思う。
補佐の池田は母のコネで出世したさして才覚はない人物だし、森も勇猛だが戦が巧いとは言い難い人物。
それなりに高い身分で老練な人物を補佐につけるべきだったな。

304: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/05(月) 17:21:37 ID:Io8dqC6i
木下一族から何人か補佐についてたが、小牧・長久手で秀次を逃がすために揃って討ち死にしたんだよね・・・
有能でも身分が高くもなかったかもしれんが、彼らが生きていて秀次を支え続けていれば後年の秀吉との衝突の際に何らかの助けになったかもしれない
ていうかそういう人材自体が豊臣家に不足してるのが一番の問題だったか

306: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/08(木) 05:22:52 ID:teXP1HcS
秀次の側近や一時彼と近かった黒田如水なんかが秀吉の機嫌をとるために朝鮮出兵の総大将として渡海すべき、と助言しても相手にしなかったらしいな>秀次
秀吉の猜疑心から逃れるには確かにそれしかないし、いざ秀吉と対決する際にも朝鮮出兵で築くであろう、外征軍総大将としての戦績と人脈は決して無駄にはならないと思うんだが何で拒否したか謎、心底から腑抜けてたのかね

308: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/08(木) 08:08:09 ID:xI3sjT0K
秀吉と対立したとき、公家に贈り物したりしたのは返ってまずかったと思われ。

319: 人間七七四年 2007/07/07(土) 04:14:05 ID:XOfMh9AX
この人の最大の才能は豊臣家にあって子沢山だった事だな。
同じ失脚させるにしろ、もう少し上手くやって姫ぐらい残しておけば豊臣の力になったのに・・・

320: 人間七七四年 2007/07/07(土) 04:28:23 ID:/quwE60v
>>319
秀吉は当事既に、豊臣一門の事よりも秀頼の将来の事のみしか考えて無いのだから仕方あるまい。
豊臣権力を秀頼から奪う第一候補は身内なのだから。

321: 人間七七四年 2007/07/07(土) 04:41:09 ID:bsG2QP2L
実際娘が何人か助命されて一人は真田幸村の側室になってる>秀次の娘
隆精院がそうだな
つうか姫なんか残しても豊臣家には大して影響しないだろ
影響しないから助命したわけで

322: 人間七七四年 2007/07/07(土) 06:09:24 ID:Tzz/nJlm
>>321
この隆精院ってこの事件のとき何歳だったのかな?
真田信繁と婚姻してたのだから相応の年齢じゃないとおかしいけど
秀次自身が28歳だったんだから、彼女の年齢は・・・

323: 人間七七四年 2007/07/07(土) 06:37:20 ID:bsG2QP2L
隆精院が何年生まれで事件の時何歳だったか不勉強なので知らないが、彼女の旦那である幸村自身隆精院の父親である秀次より一歳年長なわけで、親子ほど年の離れた夫婦関係だったことは間違いないよ

328: 人間七七四年 2007/07/09(月) 02:09:42 ID:7MFjgl2D
しかしだ、ただでさえ貴重な男系血族を皆殺しにしてしまったら羽柴家が断絶する危険性が高まることも分からなかったのかな?
不可解なほど負の部分ばかりが増幅されているあの足利義教だって永享の乱や結城合戦の戦後処理で持氏一族を皆殺しにしようとはしなかった。持氏の末っ子・永寿王は(側近たちの説得で渋々とはいえ)助命したし持氏の妻妾や娘たちにいたっては最初から殺す気も無かった。彼が永寿王を助命したのは室町将軍家断絶時の受け皿を確保するためであったはず。
仮に秀次が本当に叛乱なり秀吉暗殺などを計画していたとしても秀次の子たちは絶対に殺してはいけなかった。親族を粛清しまくって源氏宗家の断絶を早めてしまった源頼朝の轍を秀吉は頼朝を遥かに上回る悪辣なやり方で踏んでしまったわけだ。

329: 人間七七四年 2007/07/09(月) 03:14:41 ID:wkFueev2
>>328
まあ頼朝の方は、それなりに成長した子供が何人かいたから、流石に断絶するとは思わなかっただろうけどなw

足利はやっぱり強固な一門意識があるけど、秀吉にはそう言う一門意識ってものを一切感じないな。
そのあたりは所詮地生えの領主ではなく、織田家の軍務官僚の世界でのみのし上がってきた人間だったから、と見えなくもない。

330: 人間七七四年 2007/07/09(月) 20:25:44 ID:zENkm0c7
秀次の子を織田家における津田信澄みたいな立場に置けなかったのは失敗だよな。
まあ年齢的に関が原の時点では何の力にも無らなかったかもしれんが。

331: 人間七七四年 2007/07/09(月) 20:51:24 ID:DEScSDfk
秀次生きてても家康の傀儡にされてたろ

332: 人間七七四年 2007/07/09(月) 22:10:40 ID:wkFueev2
>>331
個人の能力じゃなくて、もし秀次事件がなかったら、「豊臣家世継ぎ」としても秀次家には無傷なまま数カ国にまたがる大領と、豊臣家子飼いの直属軍民官僚群と、秀頼に何があってもその後をしっかりと固められる多くの後継者候補(秀次の子供達)がいた。

秀吉後の政権安定感が違うわな。

334: 人間七七四年 2007/07/10(火) 02:25:36 ID:/rD1dhYg
大義名分の意味でも全然違うな、秀次は一応豊臣家を関白と共に継いでしまっているからね、その時点で本来ならば、秀頼は大御所の息子であって、「秀次の次の後継者候補」の一人に過ぎない。
にもかかわらず無理矢理剥奪して継がせようとしてしまった時点で立つべき名分は地に落ちた訳だ。
そこで今更、家康が力任せに何しようが豊臣家が何か言える義理はなくなってしまった。

だが結局傀儡にされようと後継者争いが起ころうと、秀次が関白のままで残るのであれば、あくまで豊臣家内の名分が立ったままになってしまう、となれば家康も史実ほど力づくではいけなくなるだろね。

それでも家康の実力を考えれば結局権力は握ってしまうだろうし、秀次は傀儡かもしれんが、傀儡だとしても残ると言う事は権威が残ると言う事、全然意味が違う。

秀次と家康では実力の桁が違っても子々孫々そうだという保証はどこにも無い。

335: 人間七七四年 2007/07/11(水) 00:34:44 ID:HlR1g5AK
しかし天下人の甥っ子兄弟全滅ってのも凄いな。
たとえ暗愚でも誰か一人でも生き残ってたら、歴史は変わっていただろうに。

336: 人間七七四年 2007/07/11(水) 01:25:59 ID:oiJG5YfF
少なくとも羽柴家が消滅することはなかっただろうね

340: 人間七七四年 2007/07/16(月) 00:21:59 ID:ZDWh70O6
秀次系が残るには秀次自身が出家、そしてその系統が小大名として残るか、秀吉を追放或いは殺すしかなかったのではないか?
ただこれをしたら内乱状態になってしまう・・・
秀次付きで山内、田中、堀尾などは残ったのに前野や木村が駄目だった理由は何でしょう?

341: 人間七七四年 2007/07/16(月) 03:05:59 ID:hZ5ceL6q
>>340
> 秀次付きで山内、田中、堀尾などは残ったのに前野や木村が駄目だった理由は何でしょう?

生かしておいても(秀頼にとって)害がないと判断されたかどうか。前野や木村は大物だから変な政治力を発揮される事を恐れたんでしょ。

342: 人間七七四年 2007/07/16(月) 03:20:33 ID:DSTbIXxg
秀次出家しても生き残れなかったわけで。

343: 人間七七四年 2007/07/16(月) 04:46:13 ID:NYc/smhg
とりあえず義父の秀吉が唐入りで忙しい時に朝廷に内緒で献金したり、諸大名から自分に忠誠を誓わせる誓紙をとったりするのは止めた方が良かったな
秀次には秀吉への叛意は無かったと部下だった甫庵は記してるが、こんなことしてたら疑われても仕方ない
如水の勧めどおり自分から外征軍の総大将買ってでるなり、ともかく秀吉に二心の無いことを示さなきゃいけなかった

344: 人間七七四年 2007/07/16(月) 05:16:03 ID:hZ5ceL6q
>>343
> とりあえず義父の秀吉が唐入りで忙しい時に朝廷に内緒で献金したり、諸大名から自分に忠誠を誓わせる誓紙をとったりするのは止めた方が良かったな

その辺は本当に秀吉にナイショでやったかどうかなんて怪しいものだ。
秀次の周りは秀吉の目が光りすぎるほどひかっていた訳で。秀吉の意向に反した行為をそんなホイホイと行えたなんて、先ず信用できない。
秀次荒淫説と一緒で、後付の理屈と考えた方が自然だろう。

345: 人間七七四年 2007/07/16(月) 05:28:58 ID:NYc/smhg
秀次の周囲に秀吉の目が光ってたからすぐに秀吉の知るところとなって問題になったのでは?
単に秀次が不注意だったとする方が理にかなってるだろう
あと秀次の嗜好殺人というのは怪しいものだが、彼が精力絶倫だったと言うのは間違いない事実
そのことを注意した秀吉の書状が現存してるし、六条河原で処刑された秀次の女房連中は30人以上だった

347: 人間七七四年 2007/07/16(月) 09:56:59 ID:Ajc3IZeH
秀次は実際叔父同様、策略家で好色な所もあったのだろう
一方的な被害者とするのは、秀頼貧弱説と同じく構成の後付けに過ぎない

348: 人間七七四年 2007/07/16(月) 12:13:28 ID:DSTbIXxg
というか秀頼が生まれた後は自分が逆風の中に居るのがわかって焦ったんだろう、その中で少しでも自分の身を守ろうとしてただけに過ぎない、そういうのは策略とは言わない。

一族の少ない豊臣家にとって、秀次の子が多いことはむしろ歓迎すべきだったのにな。

349: 人間七七四年 2007/07/16(月) 16:37:07 ID:5XjpreNU
焦って下手打ったんだろうな。
気の毒だが浅慮というか・・・。
秀次生きてても豊臣だめになったんじゃない?

374: 人間七七四年 2007/07/23(月) 10:53:32 ID:gsgZXEtv
つうか秀次って処刑の前に関白左大臣を辞職してたんだな
てっきり現職のまま処刑されたと思ってたよ

386: 人間七七四年 2007/10/15(月) 18:30:40 ID:aN+BSLdj
正室側室ほとんど皆殺しにしたのは妊娠してて男児を生むのを恐れたのだろうか

387: 人間七七四年 2007/10/15(月) 19:58:52 ID:gPSXc6lf
>>386
刑を執行する方が後ろ暗いからな。徹底的にやらないと安心出来ないさ。

401: 人間七七四年 2008/04/02(水) 20:20:38 ID:jGQp5njD
けっきょく秀次事件を仕組んだのは誰なん?

402: 人間七七四年 2008/04/02(水) 22:20:04 ID:Biq04Euf
>>401
一義的には秀吉だろ

403: 人間七七四年 2008/04/02(水) 23:36:51 ID:3RmTcOhx
三成、淀殿、他の奉行、山内・田中・あと一人名前忘れた、家康
あたりはどうなんだろうな

407: 人間七七四年 2008/05/04(日) 22:29:48 ID:u0ieMDfe
>>403
三成は秀次擁護派だろ

413: 人間七七四年 2008/08/21(木) 07:24:02 ID:f6hTsHWJ
>>407
妻妾(有力者の子女が殆ど)皆殺しの現場に立ち会ってる人が、「実は僕秀次擁護派です」って言っても信用はされん罠。

子女を殺された有力者達や、秀次と仲が良かった有力者や、秀次に金を借り睨まれた有力者は、みんなアンチ三成派となって家康とつるんでしまった。
結果論だが余りにも豊臣家にとって痛かったわな。

414: 人間七七四年 2008/08/21(木) 11:51:54 ID:noARoO42
というか三成が妻子処刑現場に立ち会ったかも怪しいんじゃなかったっけ
小瀬甫奄の太閤記にはそう記されているが、そのネタ本の大田牛一の大かうさまぐんきのうちじゃ書かれてないとかどっかのスレで見たが
まあ現物をどっちも確認してないのでわからんけど

引用元: ・▼殺生関白▼羽柴秀次▼



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