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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 14:29:28 ID:9OLkB/Ei
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実について語るスレ








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 14:42:42 ID:9q77r4Fb
センセイ!質問!!

戦国時代の戦場って、街道沿いとか河川敷、田畑みたいなところになるの?
雑草生い茂ったところじゃ戦闘どころじゃないよね。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 14:56:34 ID:YqF7QtWp
開けているならところ構わずってイメージはあるけど、どうなんでしょうね?

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 15:33:58 ID:YqF7QtWp
どう考えても原野で合戦しているイメージがあるので少し考えたが、ちょいと仮説
当時の雑草は今ほど背丈が高くない
何故って、セイタカアワダチソウは戦後に入ってきた植物
ススキくらいでしょ、背が高いのは

仮説ですが

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/20(火) 20:55:31 ID:BbrEmIyc
基本的に開けてるところには集落と田んぼがあるはずだから、とりあえず、ほんとの平原みたいなものは余程の僻地で無い限りありえないと思う。
わからんが。
あとは、今の山は江戸期に植林でできたもんの筈だから、当時の山は原生林みたいなものだったと予想。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/21(水) 09:20:05 ID:Z6XlPt5e
>>10
そうかも知れないし、違うかもしれない

漠然としたイメージなんだけど、江戸期以前って日本全国に原野広がっていたような
内藤新宿の話なんかを参考にすると、そう思ってしまう
当然関東平野と濃尾平野、それから山がちな地形はまた違うでしょうが

15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/28(水) 21:51:35 ID:IXCgASv2
>>10
当時は都市人口率が非常に低く人口が分散していたため、都市部でも原野があった。
原野は至る所に広がっていたよ。草原というより、ススキ野原といったところ。
今の山や森はそれまで広葉樹林主体だったところに杉を植林したもの。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 07:52:47 ID:XpzNe0Ff
品種改良される前の稲って、ほんと場所選んだからねえ。
今の米の名産地なんて、当時は米は駄目ぽってとこ多いし。
当時でも肥沃だった筈の美濃、尾張、近江ですら原野は多かった。
穀物は寒さだけがクローズアップされがちだけど、何気に水はけが結構問題なんだよね。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/06/29(木) 23:50:17 ID:jOhDEbRq
>>16
その辺は当時の治水能力というのも無視できない。
雨が降ると直ぐ洪水になるので平野部に田畑を作ることが出来なかったんだよ。
だから戦国以前は水の便のいい丘陵地帯が耕地として利用されたんだな。

うちの田舎はひどい土地で明治に入るまで平野部に田畑なんか作れなかった。
置県後、交通事業を優先するか治水事業を優先するかでもめて、分離しちゃったくらいだし。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/02(日) 05:38:08 ID:UUOiOjNX
江戸以前は関東平野もかなり湿地が多かったみたいだな。
今は郊外ならどこいってもたんぼばっかりで、それを基準に見ると相当な人口養えたんじゃないかなと思うけど、関東が乾いたのは江戸幕府が利根川を太平洋に注ぐそうにしてからっぽい。
それ以前は常陸の南部、下野の南部、下総から武蔵の江戸付近までちょっと多く雨が降ればすぐに水浸しになったようだ。
香澄浦、香取浦から今の利根川に沿って下妻付近まで沼と湿地でちょっと大げさに言えば半島状の地形といってもいいくらいだった。

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/14(金) 03:09:48 ID:tpdskg7A
戦国時代に動員された兵力の実数ってどの程度なんだろね?
関ヶ原なんか1万石当たり300人で計算して数えられているけど実際はそんな都合よくは行かなかったと思うのだけど。

少し時代を遡った英仏百年戦争あたりだとかなり細かい兵数までわかってるようで例えば1428年のオルレアン包囲の際、ソールズベリー伯が率いたのは装甲兵444人、射手2250人(ブルゴーニュの援軍などは含まない)1441年のヨーク公の遠征は装甲兵801人、射手2997人
など

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 04:51:19 ID:zb2GuJkF
当時の資料だと、単純な石高計算より多い兵力を動員しているね。
桶狭間の今川なんか好例。

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/18(火) 20:28:59 ID:OVOXh9vJ
>>58
桶狭間の今川軍だって総兵力は25000と言われてるけどそれ自体が正しいのかも疑問なんだよ。
大阪夏の陣の伊達軍なんかはかなり詳しい兵数が残ってたはずだけど・・・

ヨーロッパでも年代記なんかの記述そのまま引用するとバノックバーンなんかで30万も動員されたことになってて当てにならない。

88: 人間七七四年 2007/02/13(火) 23:11:51 ID:Y69GaKJL
>>58
たしか、朝鮮出兵のときには西国の大名は1万石につき500人動員するよう命が下っているはず。たぶんこれくらいが限界値だと思う。

90: 名無し 2007/02/28(水) 20:48:17 ID:qFpb8ts2
>>88
それだと50万石で2万5千人か
根こそぎ出陣になるのかな?

91: にゃんこ 2007/02/28(水) 22:19:38 ID:eKzyPVor
豊臣政権の検地は、実際はいい加減なとこがあったらしい。朝鮮の役も北条攻めも、エエ加減な検地を見越した動員数の割り当てなので、地域や大名によって、1万石あたりの動員割り当てもバラツキが大きいらしい。
結局、ちゃんとした検地をするためには、かなり強力な政権が成立する必要があるんだな。2代で潰れるような政権ではダメなのさ。

89: 人間七七四年 2007/02/13(火) 23:59:58 ID:LdPlqpWB
防衛戦だと百石七人役とかやる場合もあるっぽいけどな

92: にゃんこ 2007/02/28(水) 22:24:09 ID:eKzyPVor
そうだね。惣村の協力の得やすい防衛戦と、嫌がられる遠征とでは、分けて考えないとね。

ちなみに、100石7人なら、
100石は、不正確な検地に依っており、実際はプラス数十石。で、実際は100石あたり、4人~5人くらい? もっと少ないかな?

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日) 01:17:50 ID:spDMsuVy
大黒柱の働き手が怪我したら、一家壊滅なので兵士はまともに戦って無いよな。
西洋医学の到来以前は、怪我したら終わりだから、兵士は逃げまくっていたよな。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月) 03:14:13 ID:UsfwHhgZ
>>63
逃げてばかりでは、出世も出来ないからいい暮らしも出来ない。だから戦うだろ。
雑兵レベルでは家庭も持てない、次男坊以下が多いだろうし。

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/26(土) 10:36:58 ID:EzJCdDKh
基本は「相手が崩れるまで飛び道具で攻撃」だからなぁ

70: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/26(土) 15:33:28 ID:MLuv/7UO
で、双方崩れなかったら槍の叩き合いだからな。
近接戦のメインウェポンはそもそも槍だし。

85: 名無し 2007/02/10(土) 20:23:58 ID:J5lRtZwR
大河みたいに敵味方入り乱れての戦いなんてほとんどなかっただろうな
あんな激しい戦いをしていたら侍なんて怖くてやってられないよ
最前列の方だけチョコチョコやって陣が崩れた方が負け
だから関が原でも死傷者が少なかったんだと思うよ

94: 人間七七四年 2007/03/27(火) 13:04:57 ID:Y5kSxSDz
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(1333~1387年。いわゆる南北朝期)


矢傷 86.4% (462)
切傷 9.2% (53)
石傷 2.8% (16)
鑓傷 1.4% (8)
その他 0.2% (1)

()内は人数

南北朝期にはすでに刀槍併用時代が始まっていたとされていますが、接戦派の主張する切傷は全体の一割にも満たないようです。

97: 人間七七四年 2007/04/03(火) 09:28:14 ID:DZ0oHFcZ
>>94
戦傷者の傷だけ?
思うに接近戦だと死亡率高いんじゃない?
遠距離・矢戦だと怪我しても仲間が治療してくれるが接近戦・乱戦だと負傷>戦闘力低下>そのまま討ち取られるってのも多そう

まあ、遠距離戦が中心だったのは間違ってないけど結局最後の白兵戦って重要だったのでは?
最後には相手を潰走させなければならないわけでその為に遠距離戦>時期を見て白兵戦に移行はあったのでは?
白兵戦に移行した段階でほとんど勝負は決まってるから死傷者は白兵戦では少なかったのかな?

100: 人間七七四年 2007/04/03(火) 19:45:11 ID:zufrLwAv
>>97
治療ってw
傷→破風症等のコンボでの死者数>>>>>討ち死数

103: 人間七七四年 2007/04/03(火) 22:38:12 ID:UoKKfB3A
>>100
そうね~当時の医療だと
傷は軽度でも感染症なんかはヤバイね

104: 人間七七四年 2007/04/04(水) 13:59:24 ID:c0aw3GqN
>>94
さんの資料には戦闘後しばらく経ってから感染症で亡くなった人の数は入っているのだろうか?それとも、集計外なのだろうか?
確かに感染症は当時としては重要な問題ではあるが感染症にかかる可能性があるからといって治療しない(負傷者を見捨てる)などという行為を行ったとは考えにくく
そうなると戦闘直後にはそのような人はまだ生きているわけで

>>94の集計時が何時であるのかどのような人を対象に集計したのか重要と思う

あと、負傷者の感染症の発症率
また感染症にかかっても100%死ぬわけでは無いのだからその死亡率などはどのような感じだったのだろうか?

101: 人間七七四年 2007/04/03(火) 19:54:26 ID:acMOetiC
小規模な合戦(野戦)では、20%弱が石つぶてで死ぬような合戦もあったって聞いたんだけど。
攻城戦はどうだったのだろう?


102: 人間七七四年 2007/04/03(火) 21:17:11 ID:u4BSwd2q
小規模合戦だったら死者11名のうち2名が投石で死んだ、っていうことなんじゃないか? いや、マジで。

103: 人間七七四年 2007/04/03(火) 22:38:12 ID:UoKKfB3A
>>102
ありそうだ・・・参加兵力300前後とかの合戦だと

109: 人間七七四年 2007/04/05(木) 21:08:55 ID:wA0QEEE5
ハリウッド映画の「独立戦争モノ」とか「南北戦争モノ」なんかだと、敵の白目が見える距離まで近寄ってマスケットやらライフルやら撃ち合っているけど、戦国日本の場合、どの程度の距離で弓とか鉄砲とか撃ち合っていたんだろ?

110: 人間七七四年 2007/04/06(金) 05:04:08 ID:WToX/319
敵に近寄られた場合は、敵の槍の間合いの内側に入って急所を狙って射ろ、と雑兵物語にはある
これがもっとも短い距離での射撃

111: 人間七七四年 2007/04/08(日) 15:46:47 ID:xXM1V+z8
2メートルくらいか?ほとんどゼロ距離射撃だな。

120: 人間七七四年 2007/08/12(日) 09:53:06 ID:RPAC0W0j
>>111
たぶん長柄槍のことだろうから6~7mでは?

121: 人間七七四年 2007/08/14(火) 07:46:57 ID:fcAyauZH
井伊直政が関が原合戦の際に受けた鉄砲傷が原因で死んでるけど、あれって鉄砲の弾の破片みたいな物が残っていたんだろうね。
もっとも破傷風説が有力なんだけど、鉄砲の弾に使ってた鉛の毒が原因かも?

125: 人間七七四年 2007/12/12(水) 12:42:12 ID:5z9fFzOG
朝鮮人は日本の戦い方の特徴として2点をあげてるよな。
1.初っ端は鉄砲乱射
2.槍がやたら長い
3.刀がめちゃ切れる

やっぱそういうことなんじゃない?

127: 人間七七四年 2007/12/12(水) 20:56:53 ID:8CmWnPor
3点あるけれど2点て見えるけれど、きっと気のせいだろう。

……そういうつっこみはともかくとして、やっぱりそうなんだろうな。

鉄砲射撃で敵が怖気ついたら長槍で突撃。
白兵戦に持ち込んだら刀剣類で滅多切り。

あれだね。映画で日露戦争の陸戦を描いた名作に二百三高知ってあったけれど、ほぼ、あのまんまかもな。
そうすると当時の日本は三百年後にも通用する完成度の高い戦法を使っていたことになる。

129: 人間七七四年 2007/12/16(日) 11:09:02 ID:9aqf3wxZ
>>127
逆に言えば三百年も進歩して無(ry

まあ、今日定石とされてる戦術はアレキサンダーの時代に既に完成されてたって説もあるからな。
まあそう簡単に進歩するもんでも無いだろうけど

131: 人間七七四年 2007/12/18(火) 00:28:38 ID:UhuD6EkD
首とってる時って敵は何やってるの?

かかってこないの??

132: 人間七七四年 2007/12/18(火) 01:09:36 ID:Elu21v6e
敵どころか味方に殺られて奪われることもあります。

133: 人間七七四年 2007/12/19(水) 14:21:00 ID:E0ZR31B/
まあ、基本的に一人で行動しないでしょ。
郎党が付いてきて、露払いから護衛までやる。

134: 人間七七四年 2007/12/22(土) 18:16:09 ID:OFql61Df
悲しいパターンとしては、

武士A「Bの首とったりぃぃぃぃ!!」
B家来「Aの首とったりぃぃぃぃ!!」
A家来「A様の仇討ったりぃぃぃ!!」

以下エンドレス、という事もあったらしいので、割と入り乱れて互いの主従同士が殺しあっていたようだな。

137: 人間七七四年 2008/02/22(金) 09:20:40 ID:VtwWIENt
ところで戦国時代は気分が高揚する薬はあったの?

138: 人間七七四年 2008/02/22(金) 23:10:09 ID:zt68n1K0
酒。

139: 人間七七四年 2008/02/29(金) 15:11:03 ID:adQIVFhV
さすがに酒は配ってくれないと思うが、下っ端は与えられた米を使って自分達で作ったそうです。

191: 人間七七四年 2008/08/01(金) 10:13:27 ID:3P4gzojs
>>139
米があればみんな酒にしてしまうから
だから、余分な米はやらず、必要最小限だけ配ったそうだ。
みんな昔からお酒は大好きなんだよw

176: 人間七七四年 2008/03/14(金) 00:42:40 ID:EWxM/1Ew
戦死者なら長篠の戦いが一番多いんじゃない?

177: 人間七七四年 2008/03/14(金) 06:32:44 ID:kagAcCr+
>>176
天王寺・岡山の戦い

182: 人間七七四年 2008/03/14(金) 21:21:33 ID:cugaNDPF
攻城戦だと激しい戦としては、1586年の筑前の岩屋城攻防戦かな。
現在の福岡県太宰府市。

両軍あわせて死者4000近くいってるし。(ひょっとしたら越えてる?)
負傷者も加えたら5000は越えるか……。2週間の間に声がやまなかったって
どんだけだ……名将の山田有信が気が滅入るくらいキツイ戦だったらしい。

190: 人間七七四年 2008/05/05(月) 20:21:33 ID:4JmCYidm
>>182
死傷者4千~6千じゃな(島津側損害)
大友側の岩屋城は全員討ち死か自害(763人)
島津側の動員数は5万ほどだから、大損害だね。

183: 人間七七四年 2008/03/14(金) 22:11:18 ID:mMdfXMMG
まあ守将が優秀だったというのもあるし、籠城側も陥落(玉砕)前提での時間稼ぎだったからなあ。

硫黄島で米軍が大損害を出して、タイムスケジュールが狂ったような感じ。

193: 人間七七四年 2008/10/19(日) 11:36:17 ID:mqqu3zGi
陣立てとか戦いの手順とか(よくわからないけど鉄砲で撃ちあった後に足軽がぶつかるみたいな)槍の長さとかが史実に一番忠実な映画って何ですか?

196: 人間七七四年 2008/10/19(日) 12:04:40 ID:DrgsQ658
市民の娯楽にリアリィなんか追及したら本末転倒になるからな

197: 人間七七四年 2008/10/19(日) 13:10:22 ID:bicMB5tx
「影武者」とか「七人の侍」とかもデタラメなの?

198: 人間七七四年 2008/10/19(日) 13:22:00 ID:14eHSeUh
黒澤のは基本的に、時代考証も含めておとぎ話と考えるべき。

199: 人間七七四年 2008/10/20(月) 09:47:03 ID:NY7mpTiS
七人の侍は、あれは結構リアルじゃないかな。
戦争体験が生きているし。

200: 人間七七四年 2008/10/20(月) 10:11:35 ID:zp09bmjb
農村の武装が描かれてないのが残念かな。
もっともらしいけど、あくまでお話。

201: 人間七七四年 2008/10/20(月) 10:26:05 ID:atgcrood
戦国の農村は普通に傭兵も雇うし戦闘もするし、なにより足軽をはじめとする侍の供給地。
あんな無力な農村は存在しないよ。

202: 人間七七四年 2008/11/11(火) 09:54:01 ID:FtlO4zp2
>>201
その辺の事情に詳しい書籍で何がある?

203: 人間七七四年 2008/11/11(火) 14:43:25 ID:HTEg8euX
って言うか、中世のムラを扱ってるような本だったらだいたい載ってないかな。
「自力救済」が常識だった時代は、薪や柴を刈る山に他村の農民が勝手に入ったと言っては合戦、村外れの新開を他村の農民が占拠したと言っては合戦だったわけだし。
藤木久志の朝日選書の連作にはそんなのが随分描かれていたと思ったが。
ちょうど戦後の農民が農閑期に上京して出稼ぎするように、合戦に出稼ぎに行くような農民がそんな弱っちいはずがない。

204: 人間七七四年 2008/11/11(火) 15:04:35 ID:vyQfGwnI
七人の侍の村民を弱いというけれど、全部が全部そういう好戦的な村ばかりじゃないと思うんだよな。
本当に「係争地として常に緊張関係にあった」村しかなかったのかね。

205: 人間七七四年 2008/11/11(火) 16:02:00 ID:HTEg8euX
>>204
他の村と全く境目を有さず、なおかつ足軽出稼ぎもしない村だったら非好戦的かもしれないね。

206: 人間七七四年 2008/11/11(火) 17:58:27 ID:mCSSoXSO
当時の日本と今の日本じゃ国民性もだいぶ違ってるんだろうなぁ。
そういう研究ってないのか?

210: 人間七七四年 2008/11/14(金) 04:34:34 ID:RYYZqBY3
>>206
「喧嘩両成敗の誕生」(講談社選書メチ)がお勧め。
中世の人間がどれだけ殺伐として切れやすいかが良くわかる。

211: 人間七七四年 2008/11/14(金) 14:46:49 ID:TrXISmdz
村レベルでの合戦は結構熱い。死人も結構出てる。
それも基本は土地争いと報復の繰り返しだもんな。
それも土地から上がる利益よりも合戦その他の費用のが大きいといった有様。
気が荒いのもわかる。

216: 人間七七四年 2008/11/19(水) 19:35:09 ID:m0dXrwMe
>>211
そういや、爺さんの子供の頃の遊びは「石合戦」だったとかw
当然怪我人続出。
戦後しばらくして禁止されたらしいけど、今もお祭りかなんかでやってる町村があるらしい。

217: 人間七七四年 2008/11/20(木) 17:32:55 ID:qlSAZ5iY
石合戦なんてまんまガチ合戦の訓練だよなぁw
よく江戸時代に禁止されなかったもんだ。

江戸期になっても必要な訓練と考えられてたんだろうか。
娯楽的要素が大きいのはもちろんだろうけどさ。

引用元: ・日本の戦国時代 合戦の虚像と真実



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