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1: 人間七七四年 2017/02/09(木) 17:05:56.59 ID:6Z0xMexy
明智 光秀(あけち みつひで)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。

通称は十兵衛。
父は明智光綱のほか、明智光国や明智光隆の説もある。
さらに信長に仕えるまでの前半生には不明な点が多いが、
明智軍記では美濃明智城主として斉藤道三に仕え、その没後は諸国を遍歴したとされる。
-------以上wikipediaより転載---------

その他秀満や光忠などの明智一族、斎藤や妻木や溝尾や藤田などの家臣も話題も歓迎。

■武家家伝_明智氏
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/aketi_k.html








594: 人間七七四年 2018/10/18(木) 08:32:42.62 ID:Gs0tuKU5
光秀が信長の首を挙げられなくて、信長の死が確定しなかったのが不運だったな。

そのせいで信長は死んでないという猿の風説がもっともらしくなり中国大返しまでの時間稼ぎに繋がってしまった。細川や高山が動けなかったのもそのせい。

595: 人間七七四年 2018/10/18(木) 19:48:22.62 ID:mUf15AOl
首なんて有っても特別な効果は無いと思うけどな
みんな手紙だけで実際にその首を見てから去就を決めるわけじゃないんだし

599: 人間七七四年 2018/10/20(土) 02:09:46.50 ID:a3I6z0Sa
信長の死体も光秀の死体も見つかってないってなんなのな
斎藤利三は磔にされてその娘が天下人の乳母とかなんなのな

600: 人間七七四年 2018/10/20(土) 04:59:22.65 ID:JlAACN4f
>>599
本能寺の変自体が大半が猿による虚構なのかもな。あの日京都周辺にいた大名は居なかった訳だし

620: 人間七七四年 2018/11/15(木) 07:49:25.05 ID:khRCOEww
生年に諸説あるのは知ってたが1540年説という信長よりも年下ということになる説があったのはつい最近知ったわ
大河ドラマで言えば、「秀吉」での信長と光秀みたいなイメージになってくるな

661: 人間七七四年 2019/01/20(日) 16:44:06.23 ID:r9zTdaGg
美濃住みの一応郷土史研究している者ですが、明智家に関する文献、まだ多く眠っているかと思います。

東大教授の山本先生が、信長死亡による天皇家後ろ盾の喪失につい論じられています。
つまり光秀が自分の強み(朝廷・武家との橋渡し的存在)を、自ら破壊・放棄することになるわけです。
光秀が事後どうなるか、外様から司令官まで短期で駆け上がった者が、慎重さを失い短慮に走ることは考えづらいですね。

間接的に否定していることになります。

自ら強みである

662: 人間七七四年 2019/01/21(月) 00:06:10.35 ID:4SVqnA59
娯楽作品の中の光秀は別にして史実の光秀は朝廷に対して何の尊敬もないし思い入れもない、将軍家に対しても同様
だからあんな乱暴なことやれちゃった

そんなわけで、光秀は明智を偽称してただけの謎の人物って捉えた方が自然

665: sage 2019/01/26(土) 11:04:06.23 ID:MaiqLeCG
>>662
確かにそうかもな
乗っ取りそのまま明智を語ったってのもありか
少なくとも公家との折衝は信長に任されていて、ノウハウだけはあったのか

土岐明智の妻木に娘?だして、家中に肥田玄蕃・池田織部と土岐一族を配下にしてんだよな
美濃、特に東濃に縁があるのは信長公記にも出てるしなぁ

やり手だわ

666: 人間七七四年 2019/01/26(土) 15:26:19.23 ID:dIDXKHGU
>>665
美濃に縁があるって、具体的にどんなんだっけ?

公家との折衝は主に村井貞勝、松井友閑

667: 人間七七四年 2019/01/26(土) 18:22:42.88 ID:MaiqLeCG
>>666
ああ、村井と松井か

美濃との縁は、山岸信周の子と伝える(明智憲三郎氏は否定してる)宮城系図・可児市羽崎の林家所蔵/明智光秀公家譜古文書。
これに「天文二十年十二月五日、一族土岐郡妻木ノ城主、妻木勘解由左右衛門尉範熈ノ女ヲ娶り、室トス。其名、於牧ノ方ト云。」とある。

他にも、じいちゃんとされる光継の姉妹が、池田織部の爺ちゃん(年代的に)池田蔵人輝綱室だったりとか
東美濃の土岐一族には縁がある

。。。系図が正しければねw

668: 666 2019/01/27(日) 21:06:46.94 ID:nDC+WjJp
>>667
返答サンクス

んん…ただ光秀偽称説を否定する材料にはならないな

664: 人間七七四年 2019/01/22(火) 21:58:51.58 ID:N8Br+ZlS
今日の朝日新聞滋賀版で明智光秀が滋賀で生まれたかもって説の書かれた本があるって記事が載ってたわ
明智氏は美濃が本国だが土岐氏に背いて浪人し近江の六角氏を頼ってニ三代の間犬上郡左目に住んだと書いてあるらしい
初耳だったけと光秀ファンの間では知られた話なの?

669: 人間七七四年 2019/01/28(月) 02:36:26.24 ID:99haY88d
>>664
「淡海温故録」の話だね
光秀が土岐氏に背いて近江国犬上郡左目村に親子で住んでいたエピソードは「近江輿地誌略」にもある
「近江輿地誌略」は享保十九年(1733)成立
記事で紹介されてる貞享年間の「淡海温故録」の方が50年ほど早い

別の系統のエピソードだけど
光秀が近江にいたという話は『若州観跡録』など若狭の伝承を伝える史料にもある
若狭国小浜の鍛冶職人の子だったが鍛冶職を嫌い六角氏に仕えて、使者の時に信長に見出されて織田家に仕官するエピソード
若狭大掾藤原冬廣という刀匠の作品が丹波に多いのは、光秀が亀山時代に冬廣を呼び寄せて作った太刀を皆に与えたからで
その冬廣は光秀の甥だったという伝承もついてる

もう1つ「淡海温故録」にあるエピソード

光秀が越前朝倉時代に川で大黒天を拾った
他の人は「おめでとう!この大黒天は幸福の神様であなたは1000人の大将になれるよ!」と言って祝福した
光秀は「たった1000人の大将にしかなれないのか!」と言ってもとの川に大黒天を戻した
後に信長に仕えて大名になりましたとさ

このエピソードは『武者物語抄』にも同様の話がある
『武者物語抄』の成立は承応から寛文のあたりだから大黒天を拾うエピソードはこっちの方が早い
「淡海温故録」の作者はおそらく『武者物語抄』を見て採用したと思うけど、近江国犬上郡に居住してた話は「淡海温故録」が今の所最古
他に元ネタの本があったかもしれないし、「淡海温故録」の作者が近江を訪ね歩いて見聞きした話かもしれない

673: 人間七七四年 2019/02/09(土) 22:07:40.26 ID:hwLcqe9J
>>664
ネタ元が『淡海温故録』だから江戸時代から知ってる人は知ってると思うけどネット上で調べて書いてる人が何人かいる
記事にもある十兵衛屋敷の地に住む見津(けんつ)さんとも現地で直接話を聞いた人がいた
このブログの人の方が数年早い
https://blog.goo.ne.jp/kkkk_015/e/b72e6cde0e23433a325a26141f7a4b45

670: 人間七七四年 2019/01/28(月) 20:16:57.45 ID:HoYjf1Ux
光秀関連は、同時代史料がもっと欲しいところ

671: 人間七七四年 2019/02/07(木) 21:32:25.21 ID:cFAK9pzn
同時代史料が少ないのは次の豊臣や徳川に都合が悪いことでもあんのかねぇ

674: 人間七七四年 2019/02/10(日) 21:15:16.98 ID:OHx8nN5T
>>671
そもそも初期徳川幕府の史料でさえ明暦の大火で壊滅。
家康の生涯でさえディテールは仮説に頼ってるところがある。
秀吉の出自に至ってはそこそこ信用できる史料が2世代後の太閤素性記ぐらいしかない。
日本は基本的に史料が残らない国。
400年前の税務記録が街ごと残って出てくるヨーロッパとは大違い。

672: 人間七七四年 2019/02/07(木) 21:42:35.10 ID:7/uXVKav
ちょっと考えればわかる話だけど
家康みたいな最終的な勝利者に関連した史料は持ってれば箔が付くから門外漢にも価値がわかるけど途中離脱した人物の史料なんて価値のわかる人間じゃないと無意味な存在だからな
史料が代々引き継がれていく中で処分されたり再利用されたりで散逸することはざらにあるだろうよ

683: 人間七七四年 2019/02/21(木) 22:40:08.30 ID:Oh0XRz1L
光秀史料、上では捨てられちゃった的な話になってるけど、史料厨の自分が思うに
「最初から誰も書かなかった」
つまり当時の人、光秀にあまり関心ない

いや史料見てると「あ~この人多分、小説とかで光秀のモデルにされた人かな?」っていう人物には出会う
しかし光秀本人の記事はほんと出てこない

716: 人間七七四年 2019/07/21(日) 15:19:20.51 ID:gKYN8gSe
大河の主役に抜擢されちゃったけど

717: 人間七七四年 2019/07/29(月) 16:39:46.44 ID:3gxazFmR
明智光秀の年齢については諸説あって、信長より若かった説もあるらしいよ それでいくかも

718: 人間七七四年 2019/07/30(火) 00:38:57.31 ID:LPQ+HdSk
どう見ても信長役の方が若い
若すぎるくらい若い
本能寺までやらないの?ってくらい若い

745: 人間七七四年 2020/01/05(日) 21:29:03.26 ID:fYZ4oU3t
視聴率の数字的には麒麟が来るよりもダーウィンが来たのキリン回の方がよさそう

746: 人間七七四年 2020/01/06(月) 00:52:49.63 ID:gFsW6wpj
正月の光秀特番いくつも観たけど、細川宛の書状を根拠に「光秀に野心はなく、すぐ若手に譲るつもりだった」 とか言ってて はぁ? となった。
そんなの細川を味方につけるために言ってるだけだろ。真に受けてどうすんだ。

750: 人間七七四年 2020/01/07(火) 20:17:22.13 ID:X/jDwbpQ
>>746
>そんなの細川を味方につけるために言ってるだけだろ。真に受けてどうすんだ。

前後の状況を承知の上で普通に考えれば、どう考えてもそうなんだけど、先日の「本能寺の変サミット」だったか、本郷先生が、「歴史学者は心情までは考慮しない」みたいに言ってて、文書に書いてあったら「書いてあるまんま」だとする見方もあるんだなぁ、と思った
その文書が本物かニセモノか、は考えても、その文書を書いた本人がどういう心情で書いたかまでは、踏み込まない、みたいな研究者って、ずいぶんと不便よね
「こう書いてあるけど、真意は違う」
「その具体的な証拠は?」
なんてなっちゃったら困るんだろう

748: 人間七七四年 2020/01/06(月) 08:16:26.22 ID:0ag6FkKH
大河ドラマはその無理やり解釈でやりそうな

「上様我々は無駄な血を流し過ぎました。隠遁して次の世代に任せるのです」
「戯けたことを申すな。儂は辞めんぞ」
「・・・もう止めるにはこうするしか」

みたいな

754: 人間七七四年 2020/01/08(水) 00:23:44.08 ID:GvnMv0Lc
この場合「光秀は苦し紛れにそう書いただけ」とも
「実際に若い世代のために動いた」とも
どちらとも研究者は断定しないと言うことでしょ

実際光秀の心情がどうあれ細川がその約束で参戦し勝った場合は明智は細川を政権に参与させざる得ないか影響力を拭い去りたきゃ対立することになる
その意味では心情は関係ないというのはその通り

755: 人間七七四年 2020/01/08(水) 01:14:24.02 ID:dWFiR3kT
研究者にとっては、「その文書を届けることによって、どうなったか」が大事なんであって、「何を考えて書いたのか」はどうでもいいことなんだよねぇ
どうでもいいというか、想像しかできないし永遠に確認のしようが無いというか
本能寺の変は重大事件でも、「それによって歴史がどう動いたか」が大事で、光秀の「動機」は大した問題じゃない、って言ってるし

756: 人間七七四年 2020/01/08(水) 01:37:41.67 ID:3DSohc+M
でもこの場合幕府の為とか忠興の為とか相手によって言ってることが変わってるからとりあえず光秀が耳障りのいい事言って味方を増やそうとしていたとは言えるのでは

757: 人間七七四年 2020/01/08(水) 03:39:57.23 ID:uw96JDvZ
そもそもその細川宛文書は筆跡的に怪しいと言われてた様な

758: 人間七七四年 2020/01/08(水) 06:39:05.30 ID:7stoACtZ
筆跡じゃなくて花押の書き順が違うから怪しいって立花京子が難癖つけてただけ

764: 人間七七四年 2020/01/19(日) 12:25:52.14 ID:Sr6klm52
ようやく今日から 麒麟がくる が始まるな

766: 人間七七四年 2020/01/19(日) 20:49:50.00 ID:c/CYABxo
光秀と久秀がこの頃から面識があったのは創作なのかねぇ
酔いつぶれたスキにカネをだまし取ろうなんて何て奴だ
…と思わせといて貴重な鉄砲を置いておくとは

768: 人間七七四年 2020/01/19(日) 21:08:35.85 ID:dYnLjdZA
>>766
織田に仕えるまでは創作
前半全部創作

777: 人間七七四年 2020/01/20(月) 08:45:33.93 ID:YQ1mYBgn
なんで齋藤義龍にタメ口なん?

778: 人間七七四年 2020/01/20(月) 15:51:37.90 ID:lpG2vecQ
幼い頃に寺で共に学んだマブダチだから

780: 人間七七四年 2020/01/21(火) 01:50:37.36 ID:wB4psLBO
大河ドラマ版にも書いたけど岡村の役って後の明智秀満と予想する
スレでは皆、最後に竹槍で光秀殺す農民役とか言ってるけど

781: 人間七七四年 2020/01/21(火) 02:51:01.90 ID:eElMHHi5
秀満も来歴謎なんだっけ
岡村に娘嫁がせたくないなー

788: 人間七七四年 2020/01/21(火) 20:36:35.23 ID:bN3YPuGR
先日のBSでやってた「歴史捜査2020」、今回の「麒麟がくる」で今川義元役を演じておられる片岡愛之助さんがチーフの番組で、平山優先生が、織田家と武田家の同盟存続のために、信長の嫡男信忠と武田信玄の娘の婚姻を進める担当として明智光秀が奔走した、と言ってたけど、どの史料に出てる話なんだろうか
坂本城を建設する傍らがんばったのに、信玄の側から一方的に同盟を切って三方ヶ原に攻めてきた、光秀は面目を失った、と考えられる、とか

たしか甲陽軍監か何かで、「安土城に徳川家康と穴山梅雪が招待されたとき、光秀が武田家に密かに通じていたことが、穴山梅雪の口から洩れるのを恐れて、先手を打って本能寺の変を起こしたのだ!」みたいに書かれてて、武田家と光秀がなんの関係があると思ってたが、一応接点はあったということだろうか

あと、四国政策の変更で、長宗我部氏との取次だった光秀が面目を失った、とか言われてるけど、それくらいのことで謀反まで起こすかいな、と思ってたけど、どちらも自分のせいではないとはいえ、武田氏との交渉で面目をつぶされ、そしてまた長宗我部氏との交渉でも立場を無くされたら確かにキレるかも、と思った

794: 人間七七四年 2020/01/22(水) 20:40:30.97 ID:yEMGwtQO
歴史人でもまたまた本能寺の変特集だけど、なんで昔から○○説が唱えられてるのか理解できん 別に怨恨でも野望でも同じじゃね?
それ明らかになってなんか歴史的に価値あるのか?邪馬台国の場所はどこだってなら話はわかるんだけどさ

795: 人間七七四年 2020/01/22(水) 20:57:21.68 ID:bMz8wnuL
>>794
磯田先生と呉座先生の対談とか、本郷先生のインタビューとかだと、歴史学者の間では、本能寺の変は、犯人も被害者も分かりきってるってことで、学問上の謎はないんだとか光秀が勝ち残ってたならともかく、負けちゃったので、動機はどうでもよくて関係史料の少なさもあって学者としては特に扱うことは以前はなかったそうな
磯田先生と呉座先生は、坂本龍馬の暗殺事件と同じで、事件そのものはともかく、動機に関しては歴史上とくに影響が無い話と言ってた

1990年代に、歴史雑誌で、主にエンタメ系よりのノリでいろんな作家に陰謀説を挙げてもらってから、メディアの注目を集めるようになった、と洋泉社「明智光秀とは何者なのか?」に書いてある

796: 人間七七四年 2020/01/22(水) 21:03:53.36 ID:PK3Wyh2A
内面を探るのは歴史学者の仕事ではないからな

799: 人間七七四年 2020/01/23(木) 00:00:15.52 ID:QXb0IFeS
小和田先生がよくコメントで出してたけど、どんな形であれ、歴史に興味を持つきっかけになってくれればなんでもいいんじゃないの
俗なレベルだと、歴史学者の人もテレビや雑誌や著作の仕事が増えるわけだし、大河ドラマでとりあげられるたびに新史料が発見されたり
注目されることでたしかに研究は進むと思う
無視されれば衰退していくだけ
以前いた職場の同僚は、遺跡発掘のニュースの話すると「過去のことにいつまでもこだわっても仕方ない」とか真顔で言う人だった

803: 人間七七四年 2020/01/23(木) 00:33:12.78 ID:NEvlwmy+
山本勘助なんかも大河ドラマがきっかけで結構重要な資料が見つかったんだっけ

811: 人間七七四年 2020/01/24(金) 21:04:39.42 ID:ofISpnGk
光秀の出身地については一通り語られた?
例の新説が出たあとだけど。

812: 人間七七四年 2020/01/24(金) 21:08:07.35 ID:pagmFntC
例の新説は光秀の出生に関する最古の文献(最古の文献とは言ってない)って時点で何ともかんとも

813: 人間七七四年 2020/01/24(金) 22:20:34.47 ID:ofISpnGk
あれは年次が怪しいね。
ただ土岐との関連はかなり確定っぽいような。

818: 人間七七四年 2020/01/26(日) 01:20:17.88 ID:ZEsf3vSY
光秀って末期かなりぼけてたんじゃないか?
見ただけで信長討ち取ったって分かる密書を毛利に送ってその使者が秀吉に捕まるとか
戦国期の書状って挨拶の後は
「詳しくは使者から話します」
とか書いてあるのが結構あって機密保持に努めてるのに

819: 人間七七四年 2020/01/26(日) 01:51:02.60 ID:C9Ka3hvM
>>818
>見ただけで信長討ち取ったって分かる密書を毛利に送ってその使者が秀吉に捕まるとか

これは、後世の編纂物による創作な気がする
もちろん、光秀から毛利側へなんらかの連絡を取ろうとはしただろうけど

実際は、そもそも信長へ援軍要請をしてたんだから、もっと頻繁に使者のやり取りをしていたはず
あと、有名な秀吉による中川清秀宛ての「信長さまは生きてます」という手紙、あれにも、中川清秀から情報が送られたことが書かれてるので、他にも秀吉へ通報した織田方の武将がいたのではなかろうか

820: 人間七七四年 2020/01/26(日) 08:06:23.43 ID:ahRUBnt2
よく考えれば信長が死んだからって毛利が一気に京の都まで武装上洛できるわけがない
姫路どころか岡山突破も難しい 
信長がどうも死んだらしいとわかっても、戦闘やめて引き返した可能性は高い
とりあえず様子見が無難 

821: 人間七七四年 2020/01/26(日) 08:43:50.06 ID:BEaBtsuR
大内が大失敗しとるからね
上洛中に尼子が領地を侵食するし
この前例があるから動けるわけがないのよ

822: 人間七七四年 2020/01/26(日) 10:18:55.18 ID:C/bnIGB1
攪乱のための偽文書の可能性を疑わずに割とさっさと撤退決めてるよね
輝元じゃなくて元就だったら偽文書の計略やりそうだけど

830: 人間七七四年 2020/01/26(日) 21:20:08.79 ID:DoSK7eDy
本能寺の変を起こした理由なんだが、シンプルに信長のパワハラがムカついたからじゃないのか?
お前らだって会社に死ねばいいのにって思う上司いるだろ?
サラリーマンなら上司の机にうんこする位でスカッとするけど、戦国だからその手は使えない。

833: 人間七七四年 2020/01/26(日) 22:58:05.80 ID:4LyCIxGM
>>830
この前やったヒストリアで、珍しく本能寺前夜の織田家の内部事情を(サラッと)ピックアップしていたけど、
当時、織田家の信長から信忠への代替わりが行われるなかで、織田一門とそれを支える次代の幹部候補で京を中心とした畿内を固める動きがあったのは事実
それに対して、信長の日本統一行動の拡大に伴って、古参の武将がだんだんと遠地に追いやられていくという事情が存在した
光秀からすれば、本能寺の時点でけっこうな年齢なのに、さらに困難が予想される九州征討の先鋒にされそうな上、結局信長でも自分のお家大事かよ、という現実を見せられ失望したであろうというのは容易に想像できる
だったら、織田家のために使い潰されるより先にこっちがやってやれ!と考え実行した結果が本能寺だった、と
いわゆる、「将来に希望が持てなくなったから」説ですね

835: 人間七七四年 2020/01/27(月) 00:45:48.48 ID:PPGlH2WJ
「将来に希望を持てなくなったから」「自らと家族の将来を棒に振る」
というのはやはり筋が通ってるとは言い難い
保身でなく自暴自棄、所謂無敵の人状態ならわかるが有能な武将像にそぐわない

本能寺における光秀の動機や陰謀説が取り沙汰されるの何故かって言うと結局 光秀があまりにあっさり滅ぼされて勝算がどこにあったかわからないからに尽きる

837: 人間七七四年 2020/01/27(月) 01:25:35.77 ID:MMFX+HlS
無計画や勝算が無い、というよりは、秀吉の中国大がえしと、細川・筒井が味方につかなかったのが、完全に想定外だったんじゃなかろうか
あと、信長の首と多分信忠の首とを確保できなかったことも
いや、時間があれば細川・筒井については味方についたかもしれないが

フロイスの「日本史」では、山崎の合戦の時点で、秀吉軍本隊は中国大がえしの影響でクタクタになってて、実際の戦闘は、先鋒の中川・高山・池田ら摂津衆の奮戦によって勝利するという状態だったとあるらしい
なんにせよ、右往左往する織田家の家臣をまとめる重臣の「存在」がありさえすればよかったわけで、いかに秀吉が大ばくちを打ったのか、ってのがよくわかるね
軍団が使い物にならなくてもいいから、スピード優先という・・・

838: 人間七七四年 2020/01/27(月) 09:42:54.74 ID:PPGlH2WJ
>>837
大返しは秀吉にとって討伐軍の手柄を独占できた大きな出来事
でもそれがなかったら明智が負けなかったかというとそれはだいぶ無理があるでしょう
大返しが異常なスピードと言っても勝家も10日には北ノ庄
秀吉が数日遅れても結局双方から攻められて終わりだったよ

筒井細川は息子が信忠の偏諱を受けたり信長の娘婿だったり織田政権内に根を張りつつあった
突然の暗殺行為に走った明智の味方と言える状況ではない

その辺の「明智の誤算」がクローズアップされるのも裏を返せば信じられないくらい勝算が薄く見えるからだな

852: 人間七七四年 2020/01/29(水) 09:15:42.18 ID:ucfyN1Tj
安土城に入った光秀に朝廷が吉田兼見を勅使に送っているのは史実なんでこの時点では京都支配を認められている
むしろ光秀の誤算は朝敵となっても秀吉が攻め入ってきたことだと思う
光秀死後はいくらでも歴史は書き換えられるんで謀反人を討ち取ったという歴史になったんだと思う

853: 人間七七四年 2020/01/29(水) 11:34:36.00 ID:GZmC5v3J
そのレベルで朝敵になると二の足踏むというのは考えにくいよ
信長だって京都押さえて朝廷に認められて使者だってきてる
それでもどれだけ周囲と戦い続けてたし背かれ攻められてる

857: 人間七七四年 2020/01/29(水) 19:27:56.26 ID:61Wwk3D+
というより朝敵ってのはわざわざ奏上して勅書が出ない限り生まれない

単に朝廷の使者を迎えたことがあるだけの人を攻撃しても朝廷にはならんのよ
それで朝敵なら前右大臣、中将を相次いで殺害した光秀の立場はどうなる?

863: 人間七七四年 2020/01/30(木) 18:53:28.54 ID:Xt7Yd0o4
朝廷の意向なんてそれまでも無視されまくりだろ

865: 人間七七四年 2020/01/30(木) 22:30:01.18 ID:pDwpW24M
信長の朝廷ないがしろ説を信じてる?

あと6/9に光秀が上洛したときに公家たちが白川まで光秀のお出迎えに来てるね

869: 人間七七四年 2020/01/31(金) 01:10:57.45 ID:8Hs3fovW
支配を任されたにしろ、騒乱を抑えるにしろ歴史を通じて京にいる勢力にはほぼ例外なく送られた使者

でも戦国時代を通じて京に騒乱が耐えなかった訳でな
そもそも直前までそのお墨付きをもらってたの信長でそれを光秀がどうしたと思ってるのか

874: 人間七七四年 2020/01/31(金) 12:46:17.28 ID:7NnFqoNh
ちなみに戦国時代後期に朝敵とされたのは
82年織田による甲州征伐時の武田
85年秀吉の九州征伐時の島津
90年の小田原征伐時の北条

たったの3例しかない
観たらわかるが何れも混乱のどさくさで出されるようなものではなく畿内に盤石の政権築いて圧倒的な状況でないと出ていないしそこに至るまでの畿内政権の敵対者が朝敵扱いされたりそれを恐れて敵対しなかったりという現象は起きてない
あくまで武力闘争によって実現した政権の活動を承認したものでしよ

本能寺当時に遡って考えてみよう
朝敵とされた勢力は直前の一列のみそれによって滅んだけど朝廷がお墨付きを与えた信長は明智自身が生害
それ以前の例だと足利将軍家と対立し正式に朝敵とされたなに自力で上洛して覆した大内義興
その前だと南北朝が互いに敵対する方を朝敵として結局勝った北朝方が残った例
200年以上にわたって武力で覆ってる例が続く

とてもじゃないが勅使を一度迎えたくらいで周りが敵対を諦めるような先例ではない
明智がそれを期待してたと考えられるような状況でもない

885: 人間七七四年 2020/02/03(月) 16:57:47.99 ID:6D+v441Z
朝廷から一回使者が来た上に公家たちが京都の白川まで来て光秀をお出迎えだぞ
それに朝廷の勅使は信長信忠殺害から5日後で朝廷の動きはかなり早い
史実から目を逸らしてはいけないねえ

886: 人間七七四年 2020/02/03(月) 17:25:56.43 ID:ZNI6Ulxr
だからって明智と対立したら朝敵だと織田家の武将が躊躇った?
それはないでしょって話をしてるだけだよ

実際にその時点で周囲が明智の天下を認めてたという認識ならそれはちょっと拡大解釈だと思うぞ

引用元: ・【本能寺の変】明智光秀/惟任日向守を語る9