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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/03(土) 14:52:33 ID:8GpvuftV0
五胡十六国時代の最大の英雄。文盲の後趙の創設者。
奴隷から盗賊、盗賊から皇帝になった男








3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/03(土) 16:18:30 ID:h8+xsO/m0
石勒(274~333)
字は世龍。後趙の初代高祖明帝。在位319~333。上党郡武郷の人。周曷朱の子。
羯族の部族長の子であったが、窮乏したため漢人に売られ、山東の民家の奴隷となった。
太安年間に飢饉のために山野に逃れて、馬賊の首領となり、諸勢力の下を転々とした。のちに、漢の劉淵に帰属し、河南・山東の経略を任された。
 
永嘉三年(309)、鉅鹿・常山を攻め、君子営を作って漢人の知識人を集め、その中から張賓を抜擢した。劉聡が即位すると、并州刺史となり、汲郡公に封ぜられた。
五年(311)、西晋の太尉・王衍を捕らえ殺した。
光初元年(318)、劉曜が即位すると、大司馬・大将軍に上った。翌年、靳準の乱を平定し、趙王を自称した。
趙王の十年(328)、太和と建元し、前趙の軍を破った。
翌太和二年(329)、前趙を滅ぼし、劉曜を殺すと、天王を称し、のちに帝位についた。
羯族を軍事基盤として、華北の大半を平定し、華南の東晋と対峙した。漢人士大夫を登用して、律令・官制を整えた。『趙書』などの史書を編纂させたといわれる。仏教を崇拝し、仏図澄を信奉したことでも知られる。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/03(土) 17:57:19 ID:QjlfWj9G0
石虎ってやっぱり駄目君主なのかな

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/03(土) 21:02:40 ID:bM+eqh0B0
石勒配下の将帥としては、トップだろうね>>石虎
何か、後趙政権は養子関係が多いよなあ
唐末五代を彷彿とさせるくらい、養子がらみのトラブルが多い
田堪や冉良(石瞻)みたいに良い拾い物だったりすることもあるが

石生と郭権のコンビも好きだがやっぱ孔萇が一番かな
経歴がよく分からないが、先鋒として幽、冀、并州を荒らしまわった軍事手腕は凄い

石勒配下の将軍達は、結構胡散臭い出身が多いよな
羯族+十八騎+君子営+乞活集団等々、寄せ集めというかイロモノというか
こういう連中が晋正規軍を壊滅させたり、匈奴部族を撃滅させたりと、いやはや痛快だ

103: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 11:08:37 ID:/3+LfRm40
石勒十八騎って、全員の名前って判明してんの?

石勒十八騎(せきろくじゅうはっき)とは、五胡十六国時代後趙の創建者である石勒に、その活動初期の段階から付き従った18人の総称。

石勒が傭兵を生業としていた頃、王陽を始めとした8人を集めて群盗となり、各地を荒らし回った。その後、郭敖を始めとした10人が加えられて総勢18人となると、石勒はこれを十八騎と号した。彼らは馬を略奪して移動手段を手に入れると、広範囲に渡り遠征を行い、絹や宝玉を略奪して回ったという。やがて石勒は漢の将軍となったが、それ以降も十八騎は彼に付き従い、その覇業を支える存在となった。

104: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 11:42:50 ID:vxQssXga0
>>103

王陽、夔安、支雄、冀保、吳豫、劉膺、桃豹、逯明、郭敖、劉徴、劉寶、張曀僕、呼延莫、郭黑略、張越、孔豚、趙鹿、支屈六

やっぱり、ネット上で翻訳がないのは痛いな

105: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 14:57:01 ID:/3+LfRm40
>>104
サンクス

支雄、桃豹とかは名前聞いたことある。奴隷時代に知り合って、従っていく過程とか考えると面白そう。

106: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 17:50:15 ID:vxQssXga0
初期の頃の石勒腹心は

謀主・張賓
股肱・刁膺、
爪牙・夔安・孔萇・支雄・桃豹・逯明
だったらしい
(資治通鑑より)

107: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 18:14:34 ID:U8WBvCKo0
>>106
311年の葛陂での長期滞陣による疲弊時に、張賓が名実共に「右腕」になるんよね
それまでは、軍略自体にはあまり口出ししていなかったみたいだけど(謀略、政略の助言はあった)
段部や王浚との戦いでは、ビシバシ妙手指してくるんだから、「何で、はじめから重用しなかったの?」という疑問符はつく

仏図澄も一応参謀とか政治顧問になるんか?
張 賓(ちょう ひん、? - 322年)は、五胡十六国時代後趙の政治家。漢人参謀として石勒の覇業を支え、後趙樹立の立役者となった。石勒からは絶大な信頼を寄せられ、「右侯」と呼び敬われた。『晋書』では石勒の載記に付伝されており、『十六国春秋』には単独の伝が立てられている。


108: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/13(日) 21:34:35 ID:3NnUPsCu0
>>108
仏図澄は、顧問格だったと思う。予言とかをしたりして、戦いにも参加したらしい。
石虎にも重用されてたらしいし。
仏図澄(ぶっとちょう、232年 - 349年1月13日(永和4年12月8日))は五胡十六国時代の西域からの渡来僧。姓は白、亀茲国の出身であるという。

仏図澄がやって来た当時の中国は、永嘉の乱等の動乱によって西晋が滅亡し、南には東晋が成立し、北では塞外より侵入した五胡と総称される異民族が各地に国を建て分裂していた時代、いわゆる五胡十六国時代であった。仏図澄は後趙の将軍郭黒略を介して石勒に接見し、戦地において数々の予言を行った事から大いに重用された。これにより石勒や、凶暴な性格として知られる石虎からも信頼を獲得し、高邁な教理ではなく、日常的な点などにおいて彼らを教え導いたと、『高僧伝』や『晋書』の本伝では伝えている。

109: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 17:48:41 ID:/JXZk9+SO
石やんと慕容の恪ちゃんならどっちが強えの?

110: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 21:23:05 ID:uzUhLFEZ0
恪ちゃん

111: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 21:57:47 ID:/JXZk9+SO
それじゃあ劉家の千里駒がもしアル中じゃなかったら
328年に洛陽を攻められた石やんは千里駒を撃退することは厳しかったの?
劉 曜(りゅう よう)は、五胡十六国時代の前趙(漢)の第5代皇帝。漢の初代皇帝劉淵の族子であり、3代皇帝劉聡の族弟。漢の皇族として、長安を攻め落として西晋を滅ぼした。皇帝に即位すると、靳準の乱を平定して国家を再興し、石勒と華北の覇権を争った。劉淵からは「劉家の千里駒」と呼ばれた。

若くして酒の味を覚え、年を経るほどに量が増え、晩年に至っては尋常ではない量となっていた。

112: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 22:22:00 ID:N4LSbOcz0
>>111
千里駒のアル中は筋金入りだから、328年のときじゃなくても石さんには勝てないんでないか?

アル中じゃなくても、勝てないかもしれない。千里駒には、共に事を諮る家臣がそばにいないから。

113: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 22:30:18 ID:o8slkPoB0
西晋を滅亡に追い込んだ劉曜では、結局江南の東晋と連携して石勒に圧力を加えることは不可能に近いから劉曜正面の戦いに集中しやすい石勒に比べると、後背に前涼を背負っている分だけ相当不利。

まあ、そもそも本拠地を青天の霹靂によって失陥した上、宗家は滅亡、人民と領土は先手を打った石勒に掠め取られ、仕方なく征服したばかりの関中に引き籠もって流遇政権を運営していかなければならなかった劉曜の苦労は、想像を絶する。
キン準の乱を受けての皇位継承は、はっきり言って貧乏籤もいいところなのに、短期間で関中の民衆の心を捉え、国を富ませ、たびたび河南へ侵攻できるくらいまで国力を拡大させているんだから、こと統治手腕に関しては、実は十六国君主随一だと思ってる。

石勒は凶運、劉曜は不運としか言いようがない、決して幸福にはなれない。

114: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 22:44:45 ID:/JXZk9+SO
>>112-113 サンクス
ブレーンというか知恵袋な人物がいないんすか?・・・劉曜
自身はかなり有能なんだとは思うだけどな・・・千里駒

116: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/15(火) 00:07:03 ID:zBsi7seL0
>>114
小姑みたいな政策ブレーン游子遠、勇猛果敢な従弟劉岳、前涼を脅かした庶長子劉胤、匈奴貴族で洛陽攻略の先鋒呼延晏などほかにも劉淵時代からの漢人官僚や匈奴貴族はそこそこいたはず。
蒲洪や姚弋仲も劉曜健在時は前趙に従っていたりする。

115: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/14(月) 23:04:47 ID:N4LSbOcz0
劉曜と石勒が交わした重門の誓いって何を誓ったんだろう。捕らえられたときに劉曜が石勒に言ったらしいが。
おそらく、仲はよかったんではないかなと思ってる。劉曜が使者を処刑するまでは、けっこううまくいってたと思ってるんだが。
石勒の前に引っ立てられた劉曜は「石王(石勒)よ、重門の盟(310年に共同で河内を包囲した時に交わした誓い)を忘れたか」と問うと、石勒は徐光を介して「今日の事は天がそうさせたのだ。他に何を言うことがあるか」と伝えた。劉曜は河南の丞廨に置かれ、傷が激しかったので金瘡医の李永によって傷の治療を受けた。石勒は劉曜を李氷と共に馬輿へ乗せ、征東将軍石邃に騎兵を与えて劉曜の護衛をさせながら、襄国へと送った。

帰国すると、石勒は前趙皇太子劉煕への降伏勧告の書を劉曜に書かせようとしたが、劉曜は「諸大臣と共に社稷を維持せよ。我が意に背くことの無い様に」とだけ記した勅書を書いた。石勒がこれを見ると、大いに気分を害し、しばらくしてから劉曜を暗殺した。

171: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/02(土) 10:14:13 ID:llfI/jNi0
『石勒伝』
(なお、晋書の本文では『注』がうってあるがほとんで文字の異同なので削除した)

石勒上
石勒字世龍,初名※上黨武郷羯人也.其先匈奴別部羌渠之冑.祖耶奕于,父周曷朱,一名乞翼加,
並為部落小率.勒生時赤光滿室,白氣自天屬于中庭,見者咸異之.
年十四,隨邑人行販洛陽,倚嘯上東門,王衍見而異之,顧謂左右曰:
「向者胡雛,吾觀其聲視有奇志,恐將為天下之患.」馳遣收之,會勒已去.
長而壯健有膽力,雄武好騎射.曷朱性凶粗,不為群胡所附,毎使勒代己督攝,部胡愛信之.
所居武郷北原山下草木皆有鐵騎之象,家園中生人參,花葉甚茂,悉成人狀.父老及相者皆曰:
「此胡狀貌奇異,志度非常,其終不可量也.」勸邑人厚遇之.
時多嗤笑,唯鄔人郭敬、陽曲甯驅以為信然,並加資贍.勒亦感其恩,為之力耕.
毎聞鞞鐸之音,歸以告其母,母曰:「作勞耳鳴,非不祥也.」

177: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/09(土) 17:16:06 ID:7RgRoE/a0
石勒、字は世龍。初めの名は背(つつみがまえ付き)といった。上党武郷の羯族の人である。
先祖は匈奴の別部である羌渠族の冑である。祖父の名を耶奕于といい、父の名を周曷朱もしくは乞翼加といった。
ともに少数部落の族長で、石勒が生まれたときには赤光が部屋に満ち、白気が天から中庭に降りてきた。
十四歳の時、邑の人に従い、洛陽にまで商売に来て、上東門に寄り掛かり鼻歌を歌っていた。
その時、王衍が彼をただ者でないと見て、側近を見て言った。
「向かいにいる胡人の子供は、私が声・姿を見るにたぐいまれなる志がある。天下に災いになることが恐ろしい」。
側近をつかわし、捕らえようとしたが、石勒はすでに去っていた。
長じるに体は丈夫で力・度胸はあり、武芸に優れ、騎射を好んだ。
周曷朱の性格は凶暴でおおざっぱで、胡人たちが従わず、いつも自分の代理として石勒に(部族を)統括、監督させた。
部族の胡人たちは石勒を信愛していた。
居住していた武郷の北側の台地にある山の草木はみな鉄騎のような形をしており、家の庭に生えた人参は花葉がとても生い茂り、全て人間のような形をしていた。
石勒とあった長老たちは皆、こういった。
「この胡人の容貌はただ者ではなく、志が常人とは違う。死ぬまでにどれほどの人間になるか、想像もできない」。
(長老たちは)邑の人に厚遇するように勧めたが、その時はほとんどのものが笑い飛ばした。
ただ鄔人の郭敬と陽曲の甯駆だけが、長老の言葉に同意し信じ、(石勒に)資金をめぐんだ。
石勒は恩を感じ、二人のために全力で畑を耕した。
その度に鐘の音が聞こえ、帰ってから母のそのことを告げた。母は言った。
「苦労して農作業をして耳が鳴るのは、悪いことじゃないよ」

※『悉成人状』が訳せません。(-_-)

178: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/09(土) 17:27:36 ID:7RgRoE/a0
太安中,并州飢亂,勒與諸小胡亡散,乃自雁門還依甯驅.北澤都尉劉監欲縛賣之,驅匿之,獲免.
勒於是潛詣納降都尉李川,路逢郭敬,泣拜言飢寒.敬對之流涕,以帶貨鬻食之,并給以衣服.勒謂敬曰:
「今者大餓,不可守窮.諸胡飢甚,宜誘將冀州就穀,因執賣之,可以兩濟.」
敬深然之.會建威將軍閻粹説并州刺史、東嬴公騰執諸胡於山東賣充軍實,
騰使將軍郭陽、張隆虜群胡將詣冀州,兩胡一枷.
勒時年二十餘,亦在其中,數為隆所敺辱.敬先以勒屬郭陽及兄子時,陽,敬族兄也,
是以陽、時毎為解請,道路飢病,賴陽、時而濟.
既而賣與仕(草かんむりつき)平人師懽為奴.有一老父謂勒曰:
「君魚龍髮際上四道已成,當貴為人主.甲戌之歲,王彭祖可圖.」
勒曰:「若如公言,弗敢忘德.」忽然不見.毎耕作於野,常聞鼓角之聲.
勒以告諸奴,諸奴亦聞之,因曰:「吾幼來在家恒聞如是.」諸奴歸以告懽,懽亦奇其状貌而免之.

179: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/09(土) 17:37:19 ID:7RgRoE/a0
一つ失敗。
甲戌之歲→甲戌之歳

で、翻訳。

太安年間(302~303年)。并州で飢饉が起き、石勒は若い胡人とともに遠くに散っていった。のちに雁門郡から帰り、甯駆を頼っていった。北沢都尉の劉監が石勒を捕らえ売ろうとしたところ(甯驅が)を匿ってくれ、とらえらえずに済んだのである。
石勒は事態がここに至ったので、ひそかに、都尉の李川のところに行き自首した。
路上で郭敬に会い、拝み泣いて寒さと飢えを訴えた。
郭敬も石勒に向かって涙を流し、持っていた金と食料と衣服を与えた。石勒は郭敬に言った。
「今は大飢饉です。困窮するのを待つばかりではいけません。多くの胡人たちはとても飢えています。冀州に食料があるといって誘導し、捕らえて売ってしまうべきです。それで、あなたと胡人ともに助かるでしょう」。
郭敬は石勒の言葉に大いに同意した。并州刺史、東嬴公の司馬騰が建威將軍・閻粹に、胡人たちを捕らえ、山東に売り、軍資金にあてるように説かれ、(派遣された)将軍の郭陽と張隆が胡人たちを捕らえ二人一枷にして冀州に赴いているのに会った。
石勒はその時、二十数歳であり、その中にいれられて、何度も張隆に殴られ、辱められた。 それ以前に郭敬は、郭陽が自分の兄筋の親戚だったので、石勒を郭陽と兄の子、郭時に所属させるようにさせていた。
それで郭敬、郭時はいつも(張隆に石勒をいたぶるのを)やめるように頼んでいた。
途上で、飢え、病にかかったが、郭陽を頼り、なんとか助かった。
仕(草かんむりつき)平の人、師懽に売られ、その奴隷となった。ある老人が石勒に言った。
「あなたは、人の主となる貴い相をしている。甲戌の歳、王彭祖、図るべし」
石勒は答えた。「もし、その言葉どおりならば、あなたの徳を忘れることはないだろう」。
(老人は)ふいに姿を消した。野を耕作する度に、太鼓と角笛の音が聞こえた。
石勒は他の奴隷たちに(そのことを)告げると、奴隷たちにも聞こえていた。それで石勒は言った。
「私は幼いとき、家にいる時からこれが聞こえていた」。
奴隷たちは帰ってから師懽に(そのことを)告げた。
師懽も(石勒の)姿形からただ者ではないと思い、耕作させるのを免除させた。

※『潛詣納降』が自信がない(>_<)

※『君魚龍髮際上四道已成』が訳せない。事例は探したけど……(-_-)

で、今週はここまで。
この謎の老人の正体はなんだったのだろう?
次回、ハードラックな我らが石やんの逆襲がはじまります。

180: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/09(土) 21:40:27 ID:iwQEHJnd0
郭敬(季子)は、その後乞活集団に合流して激戦の末に石勒に降伏したんだっけ
乞活集団をことごとく坑殺しようとヤル気満々だった石勒が郭敬見つけた途端に手のひら返して安堵を約束するあたりは、石勒の単純明快な性格が出ていて面白い

石勒の逆境の最高潮は、貧乏所帯時代でも奴隷時代でもなく兄貴分の汲桑を失って流軍化していたときじゃないだろうか?
まだ、この頃の石勒は臧覇レベル(もしかするとそれ以下)の群盗の一味でしかないよね
この挫折から脅威の立ち直りを見せて、紆余曲折を経ながら捲土重来を果たしていくんだろうけど
先は長いなあ >>現代語訳事業
まあ、頑張ってください

183: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 16:10:52 ID:jyzavwd/0
『君魚龍髮際上四道已成』は人相学だから、学者先生でも難しいだろう。
分かった人は書き込んでね。石やんの人相が分かる貴重な手がかりであるから

それで、また、続き。

懽家鄰於馬牧,與牧率魏郡汲桑往來,勒以能相馬自託於桑.嘗傭於武安臨水,為遊軍所囚.
會有群鹿旁過,軍人競逐之,勒乃獲免.俄而又見一父老,謂勒曰:
「向群鹿者我也,君應為中州主,故相救爾.」勒拜而受命.
遂招集王陽、夔安、支雄、冀保、呉豫、劉膺、桃豹、逯明等八騎為群盜.
後郭敖、劉徴、劉寶、張曀僕、呼延莫、郭黑略、張越、孔豚、趙鹿、支屈六等又赴之,號為十八騎.
復東如赤龍、騄驥諸苑中,乘苑馬遠掠繒寶,以賂汲桑.

184: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 16:24:01 ID:jyzavwd/0
で、翻訳。

師懽の家は馬牧と隣り合っており、馬牧を率いていた魏郡の汲桑とは往来があった。
石勒は馬の扱いに長けていることで汲桑に売り込んだ。武安の臨水で雇われている時、遊軍に捕らえられた。
その時、鹿の群れがそばを通りがかり、軍人らがこれを追いかけ、石勒は逃げることができた。
突然、またあの老人に会った。老人は石勒に語った。
「鹿の群れを向かわせたのは私である。あなたは中州の主となるべきだ。だから助けただけだ」。
石勒は拝んで天命を受けた。そして、王陽、夔安、支雄、冀保、呉予、劉膺、桃豹、逯明という八騎と群盜となり、後に、郭敖、劉徴、劉宝、張曀僕、呼延莫、郭黒略、張越、孔豚、趙鹿、支屈六もまた集まってきて、十八騎と号した。赤龍のように東に戻り、様々な牧場にいた駿馬に乗って、遠出して絹や宝を掠めてきて、汲桑に上納した。

※『以能相馬自託於桑』と『如赤龍、騄驥諸苑中』が余り自信がない

『赤龍』は劉邦を意識しているのかな?
ここで遂に汲桑と『十八騎』が登場。孔萇はこの中に名前はないのに今、気づいた。
石勒軍の幹部となる夔安、支雄、桃豹、逯明がすでに入っているけど。
やっぱり、この老人は何者だったのかな

185: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 16:44:02 ID:HXj1Fd5D0
怪異説話の一環でしょ
劉曜が「朝鮮」から中原に帰還した後、一時期引き籠もっていたがそのときに童子の精霊?から名剣を渡された話と同じで、箔をつけるためのエピソードか何かじゃないかな?

石勒は奴隷に売り飛ばされたものの、遊牧民の出自だけあって牧業に秀でていたおかげで
わりかしましな生活送れていたと思う
家内奴隷の中でも、専門職を任されていた奴隷や家僕は零細農民よりも地位が高いのが多かったらしいから
石勒のイメージだと奴隷闘士の方が似合っていそうだが

187: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 22:30:32 ID:jyzavwd/0
>怪異説話の一環でしょ
>箔をつけるためのエピソードか何かじゃないかな?

確かに、自分もそう思うけど、(若き英雄の道筋を老人が示すのは神話などのパターン)
中国の仙人あるいは隠者伝説に関係あるのかなと思って。

胡人の奴隷から(当時)世界最大の国家の皇帝になる。
ううん、まさに英雄(大殺戮者)だ。まるで物語のような生涯だな

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 22:55:06 ID:yiaZh3HI0
石勒ってまさに「報恩」と「報復」を徹底した人物だよな

186: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 19:20:57 ID:V7ZvnpaL0
如ゆく
赤龍とか騄驥とかの苑に行って、そこの馬をパクって…

でも、赤龍にも騄驥にも横に線引いてないんだよな。

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/16(土) 23:19:38 ID:V7ZvnpaL0
後漢書に「騄驥,善馬也」
呂布の赤兎、冉閔の朱龍、趙匡胤の赤麒麟から考えると赤龍も名馬(汗血馬)
「赤龍,騄驥」じゃなくて「赤龍、騄驥」だから並列
名馬の苑

196: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/17(火) 09:34:34 ID:yQWuSGSS0
>>189
レス。ありがとう。それで翻訳修正

師懽の家は馬牧と隣り合っており、馬牧を率いていた魏郡の汲桑とは往来があった。
石勒は馬の扱いに長けていることで汲桑に売り込んだ。武安の臨水で雇われている時、遊軍に捕らえられた。
その時、鹿の群れがそばを通りがかり、軍人らがこれを追いかけ、石勒は逃げることができた。
突然、またあの老人に会った。老人は石勒に語った。
「鹿の群れを向かわせたのは私である。あなたは中州の主となるべきだ。だから助けただけだ」。
石勒は拝んで天命を受けた。そして、王陽、夔安、支雄、冀保、呉予、劉膺、桃豹、逯明という八騎と群盜となり、後に、郭敖、劉徴、劉宝、張曀僕、呼延莫、郭黒略、張越、孔豚、趙鹿、支屈六もまた集まってきて、十八騎と号した。
再び東へ行き、赤龍、騄驥といった名馬を扱うあちこちの牧場の馬に乗り、遠出して絹や宝を掠めてきて、汲桑に上納した。

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/17(日) 22:00:37 ID:5NEwzA3P0
翻訳乙です。

最初の石勒に付いていた八騎は有名な人がいるけど、後からの十騎はあまり有名な人はいないんだね。

193: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/03(火) 00:27:36 ID:DnkLglcS0
十八騎って全員胡人?

194: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/03(火) 15:10:41 ID:b7TRdU1v0
王陽(?~?)
永嘉元年(307)、石勒に従って起兵し、十八騎のひとりとなる。
石勒が河北に勢力を伸ばすと、遊撃将軍となった。石勒が趙王を称すると、胡漢分治を実行し、支雄とともに門臣祭酒となり、胡人の争訟を担当した。東晋の祖逖が没すると、石勒の命を受けて豫州に屯し、祖約を圧迫した。また石勒の次男石弘の教育にあたった。趙王の八年(326)、石弘が鄴に鎮すると、驍騎将軍となり、門臣祭酒を領した。

夔安(?~340)
永嘉元年(307)、石勒に従って起兵し、十八騎のひとりとなる。
石勒が河北に勢力を伸ばすと、中堅将軍となった。石勒に従って寿春を攻め、また王浚を攻めた。石勒が趙天王を称すると、左司馬から尚書になった。石弘が立ち、石虎が専権を握ると、鎮軍将軍・左僕射となる。石虎が石弘を廃して立つと、侍中・太尉・尚書令となり、のち太保に進んだ。百官とともに石虎に帝を称するよう勧めた。建武五年(339)、征討大都督となり、歩騎七万を率いて、東晋の荊州・揚州の北部を攻め、七万戸を掠めて凱旋した。

支雄(?~?)
祖先は月氏の出身という。永興二年(305)、石勒に従って起兵し、十八騎のひとりとなる。王浚・劉演を攻めて功を重ね、中塁将軍となる。石勒が趙王を称すると、門臣祭酒となり、胡人の争訟を担当した。
後趙の建武四年(338)、龍驤大将軍
となり、石虎に従って遼西鮮卑の段部を攻め、長駆して薊に入った。漁陽など遼西の諸郡を降らせ、段部を滅ぼした。

195: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/03(火) 16:03:09 ID:b7TRdU1v0
孔萇(?~?)
石勒が河北で勢力を伸ばすと、その爪牙となった。
晋の王衍の軍を破って捕らえたとき、石勒に王衍を殺すよう勧めた。劉琨・卲続・段匹テイ※1らを攻め、
幽州諸郡を平定するのに功績があった。

http://ww1.enjoy.ne.jp/~nagaichi/chuframe.html

197: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/17(火) 09:37:28 ID:yQWuSGSS0
で、また、続き

 及成都王穎敗乘輿于蕩陰,逼帝如鄴宮,王浚以穎陵辱天子,使鮮卑擊之,穎懼,挾惠帝南奔洛陽.
帝復為張方所逼,遷于長安.關東所在兵起,皆以誅穎為名.河間王顒懼東師之盛,欲輯懷東夏,乃奏議廢穎.
是歳,劉元海稱漢王于黎亭,穎故將陽平人公師藩等自稱將軍,起兵趙魏,眾至數萬.
勒與汲桑帥牧人乘苑馬數百騎以赴之.桑始命勒以石為姓,勒為名焉.藩拜勒為前隊督,從攻平昌公模於鄴.
模使將軍馮嵩逆戰,敗之.藩濟自白馬而南,濮陽太守苟晞討藩斬之.
勒與桑亡潛苑中,桑以勒為伏夜牙門,帥牧人劫掠郡縣繫囚,又招山澤亡命,多附勒,勒率以應之.
桑乃自號大將軍,稱為成都王穎誅東海王越、東嬴公騰為名.桑以勒為前驅,屢有戰功,署為掃虜將軍、忠明亭侯.
桑進軍攻鄴,以勒為前鋒都督,大敗騰將馮嵩,因長驅入鄴,遂害騰,殺萬餘人,掠婦女珍寶而去.
濟自延津,南擊兗州,越大懼,使苟晞、王讚等討之.

198: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/17(火) 09:41:51 ID:yQWuSGSS0
さらに翻訳。

成都王・司馬穎が恵帝をつれて蕩陰において敗北し、恵帝は鄴にある宮廷に押し込められ、王浚が司馬穎が天子を陵辱しているとして、鮮卑をつかわして、司馬穎を攻撃させた。
司馬穎は怖れて、恵帝を連れ、南・洛陽に逃げ、恵帝は今度は張方に押し込められ、長安に移された。
関東で兵を起こすものは、皆、司馬穎を殺すことを名目とした。
河間王・司馬顒は東の軍の勢いが盛んなのを怖れて、東のいる晋人をなだめようと、司馬穎を廃することを奏上し議題にあげた。
この年に、劉淵が黎亭において漢王を名乗り、司馬穎の武将であった公師藩が将軍を自称し、趙魏地方において、挙兵し、数万の衆となっていた。
石勒は牧人の総帥である汲桑とともに牧場の馬に乗り、数百騎で公師藩の軍に赴いた。
汲桑はこの時、初めて石勒に石姓を与え、勒を名とさせた。
公師藩は石勒を前隊の督に任命し、鄴において平昌公・司馬模を攻めた。
司馬模は将軍の馮嵩に迎え撃たせ、公師藩を破った。
公師藩は白馬の南から(黄河を)渡ろうとしたが、濮陽太守・苟晞が公師藩を討ち、斬った。
石勒は汲桑と牧場に逃れて潜み、汲桑は石勒を伏夜牙門に任命した。
牧人たちを率い、郡県の囚人を攻め取り、山にいる亡命者を招き寄せ、多数が石勒についた。
汲桑は大将軍を自称し、成都王・司馬穎のために東海王・司馬越、東嬴公・司馬騰を誅することを名目とした。
汲桑は石勒を先鋒とし、しばしば功績をあげたので、掃虜將軍・忠明亭侯に任命した。
汲桑は進軍して鄴を攻め、石勒を前鋒都督にし、司馬騰の武将・馮嵩を大いに破り、長駆して、鄴に入り、遂に司馬騰を殺し、一万余人も殺して、婦女子や珍宝を掠めとって去っていった。
延津から(黄河を)渡り、南に行き、兗州を攻撃し、司馬越は大いに怖れ、苟晞と王讚に命じて、汲桑を討たせた。

199: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/17(火) 09:51:59 ID:yQWuSGSS0
今回は特に難しいと思えるところはなし。多分、大丈夫だと思う。

前回の分は186氏の解釈どおり馬をパクったのだろうか。
『汲桑帥牧人』である汲桑が、乱世の到来に備えて牧人たちに石勒に馬を提供させたとも解釈できる。

そして、今回、石やんは、早くも司馬騰に報復を果たす(映画並の速さ!)
そして敵の総帥・司馬越と宿敵・苟晞と王讚がついに姿をあらわす
ほとんどドラマ仕立ての石やんの物語。次回はさらなる苦難がふりかかります。

200: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/18(水) 19:48:53 ID:HezPz3Wm0
>>196-199乙です
ほんと石勒の人生は波乱続きで面白いですね

201: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/21(土) 19:17:23 ID:ycu5vFB10
この時期の快進撃は、実際問題朝廷側の軍事力が壊滅状態という幸運があったからだと思う
もう、諸王の軍閥も決定的な軍事力は阻喪していて、王浚率いる幽州勢力が八王の乱に幕を引いていたことを考慮すれば、中央から派遣された刺史や県令にどれほどの軍権があったことやら

貧乏くじ引きまくりの苟晞には心から同情する
タイプ的に後漢末期の皇甫嵩と被るんだな、軍事の才はあっても政界遊泳術にうといところなんかはこの時期の晋側の名将て、性格に難ありなヤツが多いな(特に祖逖や陶侃、劉コンは癖が強い)

202: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 05:18:17 ID:ELGNQXfY0
>>201
貧乏くじなのは認めるけど、そうでなくては、世にでることはなかったかも知れないし自分は、『屠伯』苟晞は司馬懿タイプだと思っている。
(司馬懿が自立して半群雄になったら、あんな感じって印象)

政界遊泳術にうといかなあ。失脚しても、また、登用されるねばり強さがあると思うけどなにげに山東の軍事力をまとめ、司馬越を憤死させているところも皇甫嵩とはひと味違うところじゃないかな

ちなみに、ご存じであると思うが、苟晞伝の翻訳は【解體晉書】のサイトにある。
王浚伝や祖逖伝もだして欲しいなあ


207: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 10:36:33 ID:whadn3t80
>>202
この時期の王浚は寧朔将軍、持節、都督幽州諸軍事だったような気がする(詳しく調べていないからあやふや)。
ほぼ温存されている軍事力に加えて、鮮卑最強の段部と婚姻外交による強固な同盟を結んでいた点で、他の群雄よりもはるかに天下人に近かったと思われる(家柄も庶流とは言え太原王氏の出身だし)。
成都王、河間王、石勒、王彌と数多の群雄が、王浚股肱の鮮卑・烏丸に蹴散らされていることから、本人の軍事的才能とは別にしても、当時最強の勢力であったことは疑う余地もない。

石勒の立場で就職活動するなら、地元の老舗企業「漢」か、新興で上り調子の「王浚」か
はたまた国家公務員になって「朝廷」に仕えるか

211: 207 2007/07/22(日) 23:21:51 ID:TcNpQoKm0
>>207の誤りを訂正
自分で書いといて気づいたが、永嘉年間の王浚の官位は基本的に「司空、驃騎大將軍、都督東夷河北諸軍事、領幽州刺史、領烏丸校尉」になるのかな?

203: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 05:20:16 ID:ELGNQXfY0
それで、前回からの続き。

 桑、勒攻幽州刺史石尟於樂陵,尟死之.乞活田禋帥眾五萬救尟,勒逆戰,敗禋,與晞等相持于平原、陽平間數月,
大小三十餘戰,互有勝負.越懼,次於官渡,為晞聲援.桑、勒為晞所敗,死者萬餘人,乃收餘眾,將奔劉元海.
冀州刺史丁紹要之于赤橋,又大敗之.桑奔馬牧,勒奔樂平.王師斬桑于平原.

204: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 05:22:23 ID:ELGNQXfY0
汲桑と石勒は幽州刺史・石尟を楽陵に攻め、石尟は戦死した。
乞活の田禋が五万の衆を率いて石尟を救いにきて、石勒は迎え撃ち、田禋を破り、苟晞と平原、陽平の間で数ヶ月、相対した。
大小あわせて三十数回戦い、互いに勝ち負けがあった。
司馬越は怖れて、官渡に軍を宿営させ、苟晞のために(汲桑を)牽制させた。
汲桑と石勒は苟晞に敗れ、死者一万余人を出し、残った衆を集め、率いて劉淵のもとに逃げていった。
冀州刺史・丁紹が赤橋においてこれを阻み、大いに破った。汲桑は馬牧に逃げ、石勒は楽平に逃げた。
晋軍が汲桑を平原において斬った。

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 05:37:07 ID:ELGNQXfY0
今回も難しいと思えるところはなし。
今週はもう一段、行う予定。

快進撃のすえ、幽州刺史を倒し、大軍の乞活も破る。
(しかし、幽州刺史は王浚がいるはずなのに、この石尟は誰から任じられていたのであろうか?)
そして、苟晞と対戦。敗北の末、兄貴分の汲桑が死ぬ。
丁紹も有能な官僚で正史に伝がある人物。この頃の晋は威光はまだあったと思う。

またも大ピンチの石やん。もちろん、このままでは終わらない。

206: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/22(日) 07:25:50 ID:whadn3t80
ここは、劉淵、王彌の動きも結構重要なあたりだと思う。
確かに洛陽にとって切迫していた脅威は公師藩-汲桑-石勒の賊軍であったかもしれないが山東(青、?、豫)一帯で厳然たる独立勢力を築きつつあった王彌こそが苟晞(ひいては司馬越)の最大の主目標であったと思われる。

山西に劉淵率いる匈奴軍閥
山東に王彌を中心とした叛乱軍
そして魏郡一帯を飛蝗のごとく荒らしまわる盗賊石勒
幽州には洞ヶ峠を決め込む、野心の塊王浚
関中では司馬模を派遣するも、現地の漢人豪族は独立の意思を漂わせ始める
江南はほぼ完全にコントロール不能(面従腹背とはまさにこのこと)

司馬越も憤死するわな(権力者なんかになったのは自業自得なんだが)
ぶっちゃけ、この時点で晋の切り札が苟晞一枚という破滅的な状況なのが、何とも……

212: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/23(月) 22:08:04 ID:hnzvmQvb0
翻訳続き、行きます。

時胡部大張※督、馮莫突等擁眾數千,壁于上黨,勒往從之,深為所昵,因説※督曰:
「劉單于舉兵誅晉,部大距而不從,豈能獨立乎?」曰:「不能.」勒曰:
「如其不能者,兵馬當有所屬.今部落皆已被單于賞募,往往聚議欲叛部大而歸單于矣,宜早為之計.」
※督等素無智略,懼部眾之貳己也,乃潛隨勒單騎歸元海.元海署※督為親漢王,莫突為都督部大,
以勒為輔漢將軍、平晉王以統之.勒於是命※督為兄,賜姓石氏,名之曰會,言其遇己也.

※背(つつみがまえ付き)

266: 213 2007/08/25(土) 18:30:40 ID:0nWhF8OI0
時に、胡族の酋長、張背(つつみがまえ付き)督、馮莫突は衆数千を擁して、上党に籠もっていたので、石勒はそこに赴き、昵懇の仲となり、張背督に言った。
「劉単于(劉淵)は挙兵して、晋を滅ぼそうしているのに、酋長は従属することを拒んでいる。独立できると思っているのか?」。
(張背督が)答えるには「できないだろう」。石勒は言った。
「そのようにできない者が、兵馬を所有している。今、全部族が単于の懸賞募集にかかっており、酋長に反乱して、単于に従いたいと何度も議論している。すぐに考えて決断するべきだろう」。
張背督たちは元々、知略が無く、部族のものの二心を怖れ、ひそかに石勒に従い、単騎で劉淵のもとに帰順した。
劉淵は張背督を親漢王に任じ、馮莫突を都督部大にした。石勒を輔漢將軍、平晉王として、二人を統率させた。
石勒は張背督を兄とし、石姓を与え、名を会とさせ、彼が自分を(よく)待遇してくれたからだ、と言った。

214: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/23(月) 22:23:58 ID:hnzvmQvb0
今回はちょっと難しかった。

さすが、石やん。手ぶらで劉淵のところにはいかずに、半ば詐欺と脅迫でそれなりの部族の長を、弟分にして、労せずにみやげを持っていく。
(一気に輔漢將軍、平晉王! 空手形かも知れないが名称がすごい。国号が漢、敵国が晋だからね)

さて、石やんはいかに207氏のいう老舗企業(やくざ?)の親分・劉淵のもとでのしあがるか次回をお楽しみに。

222: 214 2007/07/27(金) 23:35:11 ID:bNqkmAA00
烏丸張伏利度亦有眾二千,壁于樂平,元海屢招而不能致.勒偽獲罪于元海,因奔伏利度.
伏利度大悅,結為兄弟,使勒率諸胡寇掠,所向無前,諸胡畏服.
勒知眾心之附己也,乃因會執伏利度,告諸胡曰:「今起大事,我與伏利度孰堪為主?」諸胡咸以推勒.
勒於是釋伏利度,率其部眾歸元海.元海加勒督山東征討諸軍事,以伏利度眾配之.

223: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/27(金) 23:38:06 ID:bNqkmAA00
で、訳

烏丸の張伏利度が衆二千をもっており、楽平に籠もっていた。劉淵は何度も招安しようとしたが、来させられなかった。石勒は偽って、劉淵から罪を得た形にして、張伏利度のところに逃げた。
張伏利度は大いに喜び、結んで兄弟となり、石勒に胡人たちを率いさせて、攻めさせた。
向かうところ敵無く、胡人たちは畏れ、心服した。
石勒はみなの心が自分についたのを確認すると、張伏利度を捕らえ、胡人たちに言った。
「今、大事を起こす時に、私と張伏利度、どちらが主となるに堪えようか?」。
胡人たちは石勒を推し、石勒は張伏利度を解放した。その部族を率い、劉淵のもとに帰順した。
劉淵は石勒の職に、督山東征討諸軍事を加え、張伏利度の衆を配下にした。

224: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/27(金) 23:45:21 ID:bNqkmAA00
今回は難しいところはなし。(前回の分とあわせて指摘があったら、お願いします)

劉淵のもとで初手柄の石やん。損害は少なく、利は多し。
石やんがただの武将ではないことがこれで分かる。

次回は劉淵・劉聰のもとで強敵の一人、劉琨と戦います。

231: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/04(土) 11:40:47 ID:aHwwYmJj0
石勒伝の続き
元海使劉聰攻壺關,命勒率所統七千為前鋒都督.劉琨遣護軍黄秀等救壺關,勒敗秀於白田,
秀死之,勒遂陷壺關.元海命勒與劉零、閻羆等七將率眾三萬寇魏郡、頓丘諸壘壁,多陷之,
假壘主將軍、都尉,簡強壯五萬為軍士,老弱安堵如故,軍無私掠,百姓懷之.

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/04(土) 11:43:06 ID:aHwwYmJj0
劉淵は劉聡に壺關を攻めさせ、石勒に七千を統率させ、前鋒都督に命じた。
劉琨は護軍の黄秀らに壺關を救援させ、石勒は黄秀を白田で破った。
黄秀は戦死し、石勒は壺關を陥れた。劉淵は石勒に劉零、閻羆ら七將、衆三万を率いさせ、魏郡を攻めさせた。
頓丘のたくさんの壘壁をいくつも陥れ、壘主を仮の将軍や都尉とし、すぐに強壮なもの五万を兵士にし、老弱はもとのようにして安堵させ、軍は私的な略奪はせず、百姓を懐柔した。

233: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/04(土) 12:20:58 ID:aHwwYmJj0
今回も難しいところはなし。大丈夫なはず

劉淵の配下、劉聡の先鋒として劉琨に一勝。長い戦いの端緒を飾る。
>軍は私的な略奪はせず
これは本当か、と思うが。

次回からはまた石やんの快進撃と報復の嵐が始まります

236: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/09(木) 06:24:40 ID:OqZhuj7d0
石虎ってものすごい残虐な事したと書かれてるけどさ、
なぜか石邃だけに異常に寛大だよね?? 

自分と口利いただけでも家臣殺してそうな男なのに、なぜか彼だけ謀反しでかしたり罵ったりしても本人は赦されたり殺されてないのが不思議。

家臣が許可しないので殺したくなかったけど殺したとか記述もあるけど、石虎て実際にはどんくらいヤバイ奴だったんだろう・・
史実どおりなのかなにか脚色されているのか・・

237: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/10(金) 02:50:42 ID:4zEllKJBO
>>236
かなり脚色されてると思う。
石虎に限らず必要以上に脚色される事は多いよ。

239: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/11(土) 09:22:12 ID:hw1xb7ki0
>>236
脚色もあるだろうけど、石虎の治世がかなりひどかったのは確かだろうな
もし、異民族だからといって晋書が貶めているなら、石勒や苻堅ももっと批判的に書かれているだろうし。(結構、この二人の政治は好意的に書かれている)

晋書が書かれた唐の時代は北朝流れなので正統を南朝とはしていても、十六国政権を少なくても歴史家としては故意に悪くは脚色しようとしていないと思う。

上のレスで石虎政権の時は反乱の記述が少ないとあったが、これは石勒の時に政権の基礎が固まったことと少なくても石虎の代は恐怖政策がうまくいっていたということだろう
(こういうのはその独裁者の死後、反動が来るけどね)

石邃の件に関しては、非人間的な虐殺者に限って、親子の情や家族愛にしがみつくという映画や漫画の悪役によくいるタイプという解釈でいいんじゃない?

まあ、伝聞も入るだろうから、真実は分からないけど

>簒奪後の軍事行動の拙さを見てると、石虎も石勒の「軍事代行者」としては有能であってもトップとしての展望や指揮采配能力には欠けていたんだろうなあ

これには全面同意。石虎は名将かも知れないが英雄ではないと思ってる

あれほどの国土・兵力を持っておきながら、涼州や慕容氏に負ける。正直、ださい
こいつって、ひょっとして中国史上最も弱い中央政権の主じゃないか

238: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/11(土) 09:00:21 ID:2yKHpLlL0
石虎なんて、石勒の遺骸を「秘葬」したことを、あたかも山奥に捨ててきたみたいな記述だからな
どうも、石虎も石勒の母王氏も山野への秘葬だったことを考えると、羯族にはそういう風習があったと見るべきだろう

しかし、簒奪後の軍事行動の拙さを見てると、石虎も石勒の「軍事代行者」としては有能であってもトップとしての展望や指揮采配能力には欠けていたんだろうなあ
張賓のような参謀を得られなかったことも、そういう欠点に拍車をかけているっぽい

240: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/11(土) 09:26:34 ID:hw1xb7ki0
また翻訳。今回は少し長い。


及元海僭號,遣使授勒持節、平東大將軍,校尉、都督、王如故.勒并軍寇鄴,鄴潰,和郁奔于衛國.
執魏郡太守王粹于三臺.進攻趙郡,害冀州西部都尉馮沖.
攻乞活赦亭、田禋于中丘,皆殺之.元海授勒安東大將軍、開府,置左右長史、司馬、從事中郎.
進軍攻鉅鹿、常山,害二郡守將.陷冀州郡縣堡壁百餘,眾至十餘萬,其衣冠人物集為君子營.
乃引張賓為謀主,始署軍功曹,以刁膺、張敬為股肱,夔安、孔萇為爪牙,
支雄、呼延莫、王陽、桃豹、逯明、呉豫等為將率.使其將張斯率騎詣并州山北諸郡縣,說諸胡羯,曉以安危.
諸胡懼勒威名,多有附者.進軍常山,分遣諸將攻中山、博陵、高陽諸縣,降之者數萬人.

241: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/11(土) 09:28:53 ID:hw1xb7ki0
劉淵が皇帝を自称するに及んで、石勒に使者をだし、持節を授け、平東大將軍、校尉、都督にし、王号はもとのとおりとさせた。
石勒の軍は鄴を攻め、壊滅させて、和郁は衛国まで逃げた。魏郡太守・王粹を三台において捕らえた。
趙郡に侵攻し、冀州西部都尉・馮沖を殺した。乞活を赦亭に攻め、田禋を中丘において、皆殺しにした。
劉淵は石勒に安東大將軍、開府,置左右長史、司馬、從事中郎を授けた。進軍して鉅鹿、常山を攻め、二郡の守將を殺した。
冀州の郡県堡壁を百以上陥れ、衆は十数万に至り、衣冠をつけた人物(士大夫)を集め、君子営とした。
張賓を登用して、謀主にし、始めは軍の功曹に任じた。
刁膺、張敬を股肱とし、夔安、孔萇を爪牙とし、支雄、呼延莫、王陽、桃豹、逯明、呉予らを将にし、率いた。
武将の張斯に騎兵を率いさせて、并州の山北諸郡県を訪れさせて、羯族の胡人たちを説得させ、安危をさとさせた。
胡人たちは石勒の威名を怖れ、多くの者がついた。
常山に進軍し、諸将を分けて遣わし、中山、博陵、高陽の諸々の県を攻めさせ、数万人を降伏させた。

242: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/11(土) 09:45:47 ID:hw1xb7ki0
特に難しいところはなし。今回の記述は結構、重要。

まず、汲桑の時におとした鄴を再び落とす。
さらに汲桑を直接、殺した乞活を皆殺しにして、報復の二段階を果たす。
(残る報復リストは王衍、司馬越、苟晞か。丁紹はこの前後に死亡)
丁紹不在の冀州は石やんに切り取られ放題。

さらにこの頃、張賓が加わる。(まだ、君子営の末席だろうけど)
ここで、いつの間にか刁膺、張敬という二軍師と(この二人って出自はなんであろう。特に張敬は武将なのか士大夫なのかも謎)名将・孔萇が加わっている。
以前、石勒陣営を聞きたがっていた人はこの節を見るといい。初期はこのメンバーが中核。

次回、快進撃を続ける石やんに新たなる宿敵が現れる(バレバレ)

256: 213 2007/08/17(金) 09:11:08 ID:TkxtcYEY0
それでは前回からの続き

王浚使其將祁弘帥鮮卑段務塵等十餘萬騎討勒,大敗勒于飛龍山,死者萬餘.
勒退屯黎陽,分命諸將攻諸未下及叛者,降三十餘壁,置守宰以撫之.進寇信都,害冀州刺史王斌.
於是車騎將軍王堪、北中郎將裴憲自洛陽率眾討勒,勒燒營并糧,迴軍距之,次于黃牛壘.
魏郡太守劉矩以郡附于勒,勒使矩統其壘眾為中軍左翼.勒至黎陽,裴憲棄其軍奔于淮南,王堪退堡倉垣.
元海授勒鎮東大將軍,封汲郡公,持節、都督、王如故.勒固讓公不受.
與閻羆攻※圈、苑市二壘,陷之,羆中流矢死,勒并統其眾.潛自石橋濟河,攻陷白馬,坑男女三千餘口.
東襲鄄城,害兗州刺史袁孚.因攻倉垣,陷之,遂害堪.渡河攻廣宗、清河、平原、陽平諸縣,降勒者九萬餘口.
復南濟河,滎陽太守裴純奔于建業.

※ 者(にちへん付き)

257: 213 2007/08/17(金) 09:15:56 ID:TkxtcYEY0
一つ失敗。
次于黃牛壘→次于黄牛壘


王浚は武将の祁弘に鮮卑の段務塵ら十数万騎の大将にし、石勒を討たせ、石勒は飛龍山において大敗し、戦死者は一万人以上にのぼった。
石勒は黎陽にまで退いて駐屯し、諸将を分け、命じて、まだ降伏させていないところや反乱を起こした者を攻めさせ、三十以上の壁を降伏させ、守宰を置き、慰撫した。
信都を攻め、冀州刺史・王斌を殺した。この時、車騎將軍・王堪、北中郎將・裴憲は洛陽から兵を率いて、石勒を討ち、石勒は陣営と兵糧を焼き、軍を引き返して防ぎ、黄牛壘に宿営した。
魏郡太守・劉矩は郡ごと石勒に降伏し、石勒は劉矩にその壘と衆を統率させて、中軍左翼にした。
石勒が黎陽につくと、裴憲は軍隊を捨てて、淮南に逃げていき、王堪は退いて倉垣を守った。
劉淵は石勒に鎮東大將軍を授け、汲郡公,持節、都督に封じ、王号はもとのままとした。石勒は固く辞退し、受けなかった。
閻羆と者(にちへん付き)圈、苑市の二壘を攻め、陥れたが、閻羆は流れ矢にあたり戦死し、石勒はその衆を統合した。
石橋から密かに黄河を渡り、白馬を攻め落とし、男女三千人以上を穴埋めにした。
東に行き、鄄城を陥れ、兗州刺史・袁孚を殺した。
それから倉垣を攻め、陥れ、王堪を殺した。黄河を渡り、広宗、清河、平原、陽平の諸県を攻め、九万人以上を降伏させた。
また、南へと黄河を渡り、滎陽太守・裴純を建業へと逃亡させた。

258: 213 2007/08/17(金) 09:25:53 ID:TkxtcYEY0
ついに、第二の宿敵・王浚登場。
祁弘と段氏という統率された騎兵軍団に寄せ集めの石やん軍は蹴散らされる。
黄河の北岸まで逃亡。(幽州の騎兵のすさまじさが分かる)
だが、ここから復活! 王斌・袁孚を殺し、刺吏キラーぶりを発揮。
中央からの討伐軍も壊滅させ、(ここの裴憲は王浚配下の?)黄河を南へ渡る

>男女三千人以上を穴埋めにした
やっぱり石やんはこれですな

267: 213 2007/08/25(土) 18:33:15 ID:0nWhF8OI0
さらに>>256-257の続き
今回は二段。

時劉聰攻河内,勒率騎會之,攻冠軍將軍梁巨于武德,懷帝遣兵救之.勒留諸將守武德,與王桑逆巨於長陵.
巨請降,勒弗許,巨踰城而遁,軍人執之.勒馳如武德,坑降卒萬餘,數梁巨罪而害之.
王師退還,河北諸堡壁大震,皆請降送任于勒.
 及元海死,劉聰授勒征東大將軍、并州刺史、汲郡公,持節、開府、都督、校尉、王如故.勒固辭將軍,乃止.

268: 213 2007/08/25(土) 18:36:58 ID:0nWhF8OI0
その時、劉聡が河内を攻めており、石勒は騎兵を率いて合流し、冠軍將軍・梁巨を武德において攻め、懐帝は兵を遣わし(梁巨を)救援させた。石勒は諸将を武德に留め、王桑とともに梁巨を長陵において迎え撃った。
梁巨は降伏を求めたが、石勒は許さず、梁巨は城を越えて逃げようとしたが、軍の人に捕らえられた。
石勒は武德にまで馳せ、降伏した兵士、一万人以上を穴埋めにし、梁巨の罪を数え上げ殺した。
晋軍は退き帰り、河北のもろもろの堡壁は大いに動揺し、皆、石勒に降伏を求め、人質を送ってきた。
劉淵が死ぬに至って、劉聡は石勒を征東大將軍、并州刺史、汲郡公,持節、開府、都督、校尉に任じ、王号を元のままにした。
石勒は(征東大)将軍を固辞し、取りやめとなった。

269: 213 2007/08/25(土) 18:44:02 ID:0nWhF8OI0
残酷行為が続く石やん。
なぜ、梁巨の降伏を認めなかったか。数え上げるほどの罪とは何か。謎のままだ。
(梁巨はここしかでてこない)
そして、ついに劉淵が死亡。将軍号を固持したところに、劉淵以外を主君とあおぐ気がないのがかいまみえる。

次回は強敵たちとの戦いが石やんを待っています。

276: 213 2007/09/01(土) 18:03:47 ID:QQA6e4aV0
で、今回はここ

劉粲率眾四萬寇洛陽,勒留輜重于重門,率騎二萬會粲於大陽,大敗王師於澠池,遂至洛川.
粲出轘轅,勒出成皋關,圍陳留太守王讚於倉垣,為讚所敗,退屯文石津.
將北攻王浚,會浚將王甲始率遼西鮮卑萬餘騎敗趙固于津北,勒乃燒船棄營,引軍向柏門,
迎重門輜重,至于石門,濟河,攻襄城太守崔曠於繁昌,害之.

277: 213 2007/09/01(土) 18:06:06 ID:QQA6e4aV0
劉粲は四万の衆を率いて、洛陽を攻め、石勒は重門に輜重をとどめ、騎兵二万を率いて、大陽において、劉粲と合流し、晋軍を澠池において大いに破り、洛川にまで至った。
劉粲は轘轅から出て、石勒は成皋関から出て、陳留太守・王讚を倉垣において囲み、王讚に敗北し、退いて、文石津に駐屯した。
それから北上し、王浚を攻め、王浚の武将・王甲始が遼西鮮卑の騎兵一万人以上を率い、趙固を津北において破ったので、石勒は船を焼き、陣営を捨て、軍を率いて柏門に向かい、重門の輜重を迎え入れ、石門に至ってから、黄河を渡り、襄城太守・崔昿を繁昌において攻め、殺した。

278: 213 2007/09/01(土) 18:18:50 ID:QQA6e4aV0
正直、位置関係があまりよくわからないが、悪戦苦闘が続く石やん。
宿敵・苟晞の配下、王讚に敗北、もう一人の宿敵・王浚の配下、王甲始に転進に追い込まれる
黄河をはさんでの戦い、北に王浚、東に苟晞。西晋の二枚看板が石やんに迫る。

>>277の五行、『王浚を攻め』→『王浚を攻めようとした時』に訂正。 『將』にがついているからね)

次回は、南方の群雄と石やんの戦い。

279: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/01(土) 18:39:03 ID:n8ElYltI0
常勝不敗が名将の条件と言うのであれば、石勒は間違いなく名将の範疇からは外れてしまう
まあ、名将というには品位なんて微塵も持ち合わせていないし、騎士道精神みたいな美学も理解する気なんて端からないくらい、戦闘においては残虐行為に躊躇無く手を染めている

カテゴリー的には、猛将……ではないな、調略、奇策、使える手段であれば、どんな汚い策でも平気で仕掛けてくるし、盟約破りなんか朝飯前
謀将と言うには余りにも純朴すぎるし、陽気な感じ
何つーか、客観的に評価すれば均衡の取れた良将に落ち着くんだがやはり奴隷時代、穴埋め、虐殺、強制移住等のせいで、ブラックな印象が憑いて回っちまうな

280: 213 2007/09/08(土) 08:53:03 ID:3Mr+cItM0
で前の続き。

 先是,雍州流人王如、侯脱、嚴嶷等起兵江淮間,聞勒之來也,懼,遣眾一萬屯襄城以距,勒擊敗之,盡俘其眾.
勒至南陽,屯于宛北山.如懼勒之攻襄也,使送珍寶車馬犒師,結為兄弟,勒納之.如與侯脱不平,説勒攻脱.
勒夜令三軍雞鳴而駕,晨壓宛門,攻之,旬有二日而克.嚴嶷率眾救脱,至則無及,遂降于勒.
勒斬脱,囚嶷送于平陽,盡并其眾,軍勢彌盛.

281: 213 2007/09/08(土) 08:55:34 ID:3Mr+cItM0
それより先に、雍州の流人・王如、侯脱、厳嶷らが長江と淮河の間で挙兵していて、石勒がやって来たのを知り、怖れ、衆一万を遣わし、襄城に駐屯させ(石勒を)防がせたが、石勒はこれをうち破り、その衆を全て捕らえた。
石勒は南陽につき、宛北山に駐屯した。
王如は石勒が襄城を攻めたことで怖れ、珍宝や車馬を贈り、(石勒の)軍をごちそうでねぎらい、結んで兄弟となり、石勒はこれを承諾した。
王如は侯脱と不仲で、石勒を説いて侯脱を攻めさせた。
石勒は夜、命令を下し、三軍に鶏鳴とともに出発させ、朝には宛門に迫り、攻めて十二日で勝った。
厳嶷は衆を率い、侯脱を救援しようとしたが、間に合わず、石勒に降伏した。
石勒は侯脱を斬り、厳嶷をとらえて平陽に送り、その衆を全て組み入れ、軍勢はますます盛んとなった。

282: 213 2007/09/08(土) 09:06:56 ID:3Mr+cItM0
石やん、南陽方面にいた雍州の流人勢力と戦い、圧勝。圧倒的軍才をみせつける。
(これって張繍と同じパターンだよね。 李特・李雄親子も雍州の流人だったけ。王如は晋書に列伝がある人物)

厳嶷のその後の運命は・・・(T_T)

次回は南方の戦い、その続き。

286: 213 2007/09/15(土) 07:34:13 ID:WdnRTCch0
で、続き。

 勒南寇襄陽,攻陷江西壘壁三十餘所,留刁膺守襄陽,躬帥精騎三萬還攻王如.憚如之盛,遂趣襄城.
如知之,遣弟璃率騎二萬五千,詐言犒軍,實欲襲勒.勒逆擊,滅之,復屯江西,蓋欲有雄據江漢之志也.
張賓以為不可,勸勒北還,弗從,以賓為參軍都尉,領記室,位次司馬,專居中總事.

287: 213 2007/09/15(土) 07:36:37 ID:WdnRTCch0
石勒は南下し、襄陽を攻め、江西の壘壁を三十カ所以上も攻め落とし、刁膺を襄陽の守備にとどめ、自身は精鋭の騎兵三万の将として帰還して、王如を攻めた。王如は(石勒の)勢い盛んなのを怖れ、襄城に赴いた。
(王如は)弟の王璃を騎兵二万五千を率いて遣わし、いつわって軍をねぎらいの言葉を与えて、石勒を襲撃しようとした。
石勒は迎え撃ち、(王璃の軍を)滅ぼし、また江西に駐屯し、江漢により自立しようという志を持った。
張賓は無理であるといって、石勒に北に帰ることを進めたが、(石勒は)従わず、張賓を參軍都尉にし,記室を領せしめ,位を次司馬にして、陣営の中のことに専任させた。

※ 『領記室,位次司馬,專居中總事』に自信がない。
   ご教示お願いしますm(_ _)m

288: 213 2007/09/15(土) 07:48:46 ID:WdnRTCch0
前回の兄弟のちぎりはなんだったのか、と小一時間問いつめたくなるような石やんの行動。さっそく王如を裏切り、攻めまくる。
続いてなにを思ったか、江漢地方(漢水と長江の間にある地域のことだろう)に自立しようとする。
王浚、苟晞、劉琨みたいな強敵がおらず、王彌と劉聡と勢力圏が重なる地域を避けたのだと思う。
このころの荊州刺吏は山簡だろうから切り取り放題だったろうな。

次回は南方の戦い、その3。司馬睿と初の接触をする。

289: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/15(土) 09:11:14 ID:hI+8/q0+0
江漢平野で自立するメリットは、それほど有力な晋側の軍閥がいないこと
より一層開発の進んだ肥沃な平野部とそこそこの人口を有すること(また、流民が多く流入していた)
三国時代に軍事都市として発達した、襄陽(樊城)、江陵の存在

こんなところかな、目の付け所は悪くない
魏晋南北朝時代を通じて、江陵に拠る勢力は、たとえ官軍であろうと事実上一軍閥として
他の勢力に拮抗できるほどの実力を誇っていた

でも、張賓はそれを捨てて「(たとえ群雄が犇めいていようと)河北で割拠するべきです。」と主張するわけだ

295: 213 2007/10/13(土) 23:59:20 ID:zq/o7Xkk0
元帝慮勒南寇,使王導率眾討勒.勒軍糧不接,死疫太半,納張賓之策,乃焚輜重,裹糧卷甲,渡沔,寇江夏,太守楊岠棄郡而走.北寇新蔡,害新蔡王確于南頓,朗陵公何襲、廣陵公陳眕、上黨太守羊綜、廣平太守邵肇等率眾降于勒.勒進陷許昌,害平東將軍王康.


司馬睿は南へと攻めてくると考え、王導に衆を率いて石勒を討たせた。石勒軍は兵糧がつづかず、(軍の)死すもの、病気になるものが大半となり、張賓の献策をいれ、輜重を焼いて、兵糧を持たせ鎧を脱がせ、漢水を渡り、江夏を攻めて掠めた。
太守の楊岠は郡を棄てて逃げた。北に行き、新蔡を攻め、新蔡王・司馬確(司馬騰の子)を南頓において殺し、朗陵公・何襲、広陵公・陳眕、上党太守・羊綜、広平太守・邵肇は衆を率いて、石勒に降伏した。石勒は進軍し、許昌を攻め落とし、平東將軍・王康を殺した。

296: 213 2007/09/22(土) 06:53:05 ID:zGYKkJFQ0
さっそく、張賓の危惧はあたり、兵糧が確保できず、(なんでこうなったかはよく分からないが)危機に陥る石やん。(こういう機動戦を得意とするタイプが陥りやすい罠だよな)といいつつ、前回あたりから張賓が頭角を現し初めているのに気づく。

張賓に従い、江夏をおとし、あの自分を奴隷にした司馬騰の子・司馬確(残りは全て死亡)を殺し、家を断絶においこみ、報復を完成させる。
さらに三太守を降伏させ、許昌を落とす。

次回、有名なあのエピソード。『晋の半分』との決着。

300: 213 2007/10/14(日) 00:06:44 ID:yWpUPzXu0
で、また、続き。石勒の話で最も有名な部分。

 先是,東海王越率洛陽之眾二十餘萬討勒,越薨于軍,眾推太尉王衍為主,率眾東下,勒輕騎追及之.
衍遣將軍錢端與勒戰,為勒所敗,端死之,衍軍大潰,勒分騎圍而射之,相登如山,無一免者.
於是執衍及襄陽王範、任城王濟、西河王喜、梁王禧、齊王超、吏部尚書劉望、豫州刺史劉喬、太傅長史庾※等,坐之于幕下,問以晉故.
衍、濟等懼死,多自陳說,惟範神色儼然,意氣自若,顧呵之曰:
「今日之事,何復紛紜!」勒甚奇之.勒於是引諸王公卿士於外害之,死者甚眾.勒重衍清辨,奇範神氣,不能加之兵刃,夜使人排牆填殺之.
左何倫、右李惲聞越薨,奉越妃裴氏及越世子※出自洛陽.勒逆※於洧倉,軍復大潰,執毗及諸王公卿士,皆害之,死者甚眾.
因率精騎三萬,入自成皋關.會劉曜、王彌寇洛陽,洛陽既陷,勒歸功彌、曜,遂出轘轅,屯于許昌.劉聰署勒征東大將軍,勒固辭不受.

301: 213 2007/10/14(日) 00:13:41 ID:yWpUPzXu0
で、翻訳。

これより先、東海王・司馬越は洛陽の衆二十万余を率い、石勒を討とうとしたが、軍中で司馬越は死に、衆は太尉・王衍を主に推した。衆を率い、東に下り、石勒は軽騎兵でこれを追い、追いついた。
王衍は将軍の銭端を遣わして石勒と戦わせたが、石勒に敗れ、銭端は戦死し、王衍の軍は壊滅して、石勒を騎兵を分け囲んで射撃し、山のように倒れ、一人も逃れられるものはいなかった。
ついに王衍と襄陽王・司馬範、任城王・司馬済、西河王・司馬喜、梁王・司馬禧、斉王・司馬超、吏部尚書・劉望、予州刺史・劉喬、太傅長史・庾ガイ(山:左上、豆:左下、攵:右)らを捕らえ、幕下に座らせ、晋がここに至った原因を問うた。
王衍や司馬済は死ぬことを怖れ、自分から色々話したが、ただ、司馬範だけ顔色一つ変えず、意気を落ち着けながら、二人を顧みて言った。
「本日のこと、いまさら何をいおうや!」。
石勒は(司馬範を)とても傑出した人物とみなした。
石勒はもろもろの王公卿士を引き出して殺し、死者はとても多かった。
石勒は王衍が清談がたつのを重んじ、司馬範の神のような気力をすばらしいとし、刃を下すことができず、夜、人を使わし、壁をおさせ、(二人を)つぶし殺した。
(司馬越の)左腕・何倫、右腕李惲は司馬越が死んだと聞き、司馬越の妃・裴氏と司馬越の世子・司馬ヒ(田:左、比:右)を奉じて洛陽を出て、石勒は洧倉において、迎え撃った。
晋軍はまた壊滅し、司馬ヒ(田:左、比:右)ともろもろの王公卿士は皆、殺され、死者はとても多かった。
精鋭の騎兵三万を率いて、成皋関に入り、劉曜、王弥と合流し、洛陽を攻めて、洛陽を陥れた。
石勒は王弥の功績にし、劉曜は轘轅から出て、許昌に駐屯した。
劉聡は石勒を征東大將軍に任命したが、石勒は固く辞退し、受けなかった。

302: 213 2007/10/14(日) 10:46:03 ID:krmbsCOE0
今回で、因縁の報復リスト第一・王衍をぬっ殺し、司馬越の残党である西晋の半分を潰す。
20万人を越える大量虐殺を行い、司馬一族も半分以上始末する。
(しかし、銭端って陳敏配下だった武将? だったら、珍しい起用だな)
さらに今回で洛陽も陥落。西晋は実質的に滅亡。

敵軍はつぶしたものの、勢力はいまだ定まらない石やん。
劉曜、王彌というかつての味方とも新たな戦いが予見される。
大量を勢力空白地帯をめぐり、石やんはかつての宿敵と決着をつける。

303: 213 2007/10/20(土) 19:19:12 ID:3OMbrcX60
それでは今回分。

 先是,平陽人李洪有眾數千,壘于舞陽,苟晞假洪雍州刺史.勒進寇穀陽,害冠軍將軍王茲.
破王讚于陽夏,獲讚,以為從事中郎.
襲破大將軍苟晞于蒙城,執晞,署為左司馬.劉聰授勒征東大將軍、幽州牧,固辭將軍不受.

304: 213 2007/10/20(土) 19:21:43 ID:3OMbrcX60
これより先、平陽の人・李洪が数千の衆を擁し、舞陽に籠もっていて、苟晞は彼を仮の雍州刺史に任じていた。
石勒は穀陽を攻めて掠め、冠軍將軍・王茲を殺した。王讚を陽夏に破り、捕らえ、従事中郎に任じた。
大將軍・苟晞を蒙城に攻撃し、苟晞を捕らえ、左司馬に任命した。
劉聡は征東大將軍、幽州牧を石勒に授けたが、石勒は固辞して受けなかった。

(一行目と他とのつながりがわかりにくいが、逸文があるのかもしれない)

305: 213 2007/10/20(土) 19:37:47 ID:3OMbrcX60
ついに(あまりにもあっけなさすぎるが)宿敵・苟晞と自分を敗北させた王讚を捕らえる。
多分、洛陽の司馬熾に山東方面の諸軍事に任じられていたので求心力を保っていただけで、苟晞自身の魅力ではなかったのだろう。
軍律が厳しく、殺しすぎという評判の苟晞は洛陽の陥落後、支配地域の地方官・豪族から
そっぽを向かれたのだと思う。
苟晞はやはり司馬懿に似たタイプだろう。バックに大国があって、初めて力が発揮できるタイプ。
ピンでは英雄というには厳しい。

次回はかなりの長文。まさに乱世というエピソード。

306: 213 2007/10/27(土) 19:26:47 ID:0XBlnpFz0
で、また、今回の分。かなり長い。

 先是,王彌納劉暾之説,將先誅勒,東王青州,使暾徴其將曹嶷於齊.
勒遊騎獲暾,得彌所與嶷書,勒殺之,密有圖彌之計矣.會彌將徐邈輒引部兵去彌,彌漸削弱.
及勒之獲苟晞也,彌惡之,偽卑辭使謂勒曰:
「公獲苟晞而赦之,何其神也!使晞為公左,彌為公右,天下不足定.」
勒謂張賓曰:「王彌位重言卑,恐其遂成前狗意也.」
賓曰:「觀王公有青州之心,桑梓本邦,固人情之所樂,明公獨無并州之思乎?王公遲迴未發者,
懼明公踵其後,已有規明公之志,但未獲便爾.今不圖之,恐曹嶷復至,共為羽翼,後雖欲悔,何所及邪!
徐邈既去,軍勢稍弱,觀其控御之懷猶盛,可誘而滅之.」
勒以為然.勒時與陳午相攻于蓬關,王彌亦與劉瑞相持甚急.彌請救于勒,勒未之許.
張賓進曰:「明公常恐不得王公之便,今天以其便授我矣.陳午小豎,何能為寇?王彌人傑,將為我害.」
勒因迴軍擊瑞,斬之.彌大悅,謂勒深心推奉,無復疑也.勒引師攻陳午于肥澤,午司馬上黨李頭説勒曰:
「公天生神武,當平定四海,四海士庶皆仰屬明公,望濟于塗炭.有與公爭天下者,公不早圖之,而返攻我曹流人.
我曹郷黨,終當奉戴,何遽見逼乎!」勒心然之,詰朝引退.
詭請王彌讌于已吾,彌長史張嵩諫彌勿就,恐有專諸、孫峻之禍,彌不從.
既入,酒酣,勒手斬彌而并其眾,※聰稱彌叛逆之状.
聰署勒鎮東大將軍、督并幽二州諸軍事、領并州刺史,持節、征討都督、校尉、開府、幽州牧、公如故.

※ケイという字。ユニコード555F

307: 213 2007/10/27(土) 19:35:07 ID:0XBlnpFz0
訳の前半。

それより先、王彌は劉暾の進言をいれ、まず石勒を殺し、東に行き青州の王になろうとして、劉暾を遣わし斉地方にいた配下の武将・曹嶷をよぼうとした。
石勒の遊騎兵が劉暾を捕らえ、王彌が曹嶷に与えようとした手紙を見つけ、石勒は王彌を殺すことにし、密かに王彌をはめる計略を練った。
たまたま王彌の武将・徐邈が自分の部隊を率いて、王彌のもとを去り、王彌は次第に弱っていった。
石勒が苟晞を捕らえたと聞き、王彌は石勒を憎悪し、使者を遣わし、偽って言葉を卑しくさせて石勒に伝えた
「公(石勒)は苟晞を捕らえて、さらに、許しました。何と、神業なのでしょう! 苟晞を公の左翼とし、王彌を公の右翼とするならば、天下が定まらないということがありましょうか」。
石勒は張賓に言った。「王彌は位は重いのに、言葉はへりくだっている。本気で(自分の)先陣をいく犬となるつもりなのかと怖れている」
張賓は言った。「王公(王彌)は、青州をとろうという意志が伺えます。故郷や本籍地を(所有することは)人の情として楽しいものでありまして、明公(石勒)だけは并州を思慕しないでしょうか? 王公は決断が遅く、まだ行動していませんが、明公の動きがその後を追うことになることを怖れます。すでに明公の志は決まっており、ただ、巧みにだまし(王彌を)まだ捕らえていないだけです。今、王彌を謀らず、曹嶷がまた戻ってきて、(王彌の)羽翼となるのが恐れます。(その時には)後悔したくても、なんで間に合いましょうか!徐邈がすでに去って、軍勢はやや弱まっていますが、(王彌の)人を操る力がまだまだ盛んなのを見るに、誘い出して殺すのがよいでしょう」。
石勒は同意した。
その時、石勒は蓬關において、陳午を攻めていて、王彌は劉瑞と相対して、とても危急(な状況)であった。

308: 213 2007/10/27(土) 19:38:08 ID:0XBlnpFz0
王彌は石勒に助けを求め、石勒は許可をだしていなかった。張賓は進言した。
「明公はいつも王公を巧みにだますことができないのを怖れてますが、今こそ天が巧みにだます(機会を)我らに授けてくれたのです。陳午は小僧っこで、なんで、攻め掠めることができましょう? 王彌は人傑であり、我らは殺すべきです」。
そこで、石勒は軍を転進し、劉瑞を撃破し、斬った。
王彌はとても喜び、石勒を心底、奉ると言い、再び疑うことはなかった。
石勒は軍を引き返して、陳午を肥沢に攻めた。陳午は司馬・上黨の李頭に石勒を説かせ、言わせた。
「公(石勒)は天来、神のような武勇がありまして、四海を平定するべき人で、四海の士大夫や庶人は皆、明公を仰ぎ、属し、塗炭(の苦しみ)が終わるのを望んでいます。公と天下を争う者があるのに、公はこれをすぐに図ろうとせずに、かえって我ら流人のともがらを攻めています。我らともがらは(石勒と)同郷のもので、最終的には(皇帝を)奉戴するものです。なぜ、迫ってくるのですか!」。
石勒は心では同意したが、(李頭を)なじって幕府から引き下がらせた。
いつわって、王彌に自分だけと(二人きりで)酒盛りを請うた。
王彌の長史・張嵩は王彌に專諸、孫峻(が起こしたような)禍があるから行かないように諫めたが、王彌はきかなかった。
王彌が(石勒の幕府に)入り、酒盛りの最中に、石勒は自ら王彌を斬り、その衆も一緒に殺し、劉聡に王弥が反逆のようすがあったと上書した。
劉聡は、石勒を鎮東大將軍、督并幽二州諸軍事、領并州刺史,持節、征討都督、校尉、開府、幽州牧に任命し、公であることは元のようにした。

※ 曹はともがらと解釈。朝は朝廷ではないだろうから、幕府と解釈。

309: 213 2007/10/27(土) 19:48:23 ID:0XBlnpFz0
自信がないところ

※ 成前狗意也 

※ 固人情之所樂

※ 但未獲便爾 

※ 公不早圖之,而返攻我曹流人.我曹鄉黨,終當奉戴,何遽見逼乎

よろしくお願いします。m(_ _)m
今回は長文なのである程度、目処がついてから次に進みます。

ついに、内ゲバで石やん、奸雄・王彌を殺害。
まだ、敵対することは決定的ではなかったのに、『殺られる前に殺れ』の論理で謀殺する。
石やんも気にしていたが、張賓はリアリズムから殺害を指示。
曹操や劉備ならとりあえず受け入れてたような気もするが・・。
こういう大らかさやロマンがないところが、この時代の好みの分かれるところだろう。
中国でこの時代を舞台にした講談がない要因になっていると思う。

彼らのような飾りや偽善はないが、天下を目指す英雄として肯定しがたいものもある

310: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/05(月) 19:50:46 ID:2cYyYCGp0
>恐其遂成前狗意也。

前狗意は以前、劉暾を捕らえて露見した王弥の謀略を指しているのかもしれません。
狗は貶語で、「糞~」などという意味でしょうか。^^;適訳が思いつきません。「つまらない企て」ぐらいの意味でしょうか。
固い訳ですが、直訳すると、彼(王弥)は、以前、私(石勒)を殺害しようとしたつまらない企てを成し遂げようとしているのではないか、という意味でしょうか。

後は213さんの訳をお待ちしています。
改悪になるかもしれませんので、試訳は致しません。

311: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/06(火) 17:25:28 ID:HkTnPmxE0
石勒伝の翻訳ありがとうございます。

謂勒深心推奉,無復疑也
王彌はとても喜び、石勒を心底、奉ると言い、再び疑うことはなかった。

石勒を心底、奉ると言い、
という訳は、少し不自然ではないでしょうか。

(王弥は)石勒が自分を推戴していると思い込み、(石勒を)再び疑うことはなかった
という意味だと思いますよ。

313: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/06(火) 18:36:16 ID:LouKK0+C0
>詭請王彌讌于已吾,
いつわって、王彌に自分だけと(二人きりで)酒盛りを請うた。

少し調べたのですが、已吾は、地名のようです。現在の河南省の睢県の付近のようです。
いつわって、王弥を已吾へ酒宴に招いたという意味だと思います。
間違っているかもしれませんが、ご覧いただければ幸いです。

314: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/06(火) 18:56:10 ID:LouKK0+C0
>既入,酒酣,勒手斬彌而并其眾
王彌が(石勒の幕府に)入り、酒盛りの最中に、石勒は自ら王彌を斬り、その衆も一緒に殺し、

想像ですが、石勒と王弥は、軍勢を引き連れて会合し、テントのような場所で酒宴を開いたのでしょうかね。
その意味で、幕府としてもいいと思います。建物の中ではない気がします。

「その衆」までは多分、殺していないのでは(王弥だけではないにしても)
石勒の潔さ(?)は恐ろしいですね。
文脈から、王弥は石勒を殆ど信用していたようですね。青州に派遣した劉暾のことは忘れてしまったのでしょうか。

320: 213 2007/11/24(土) 17:23:05 ID:oqbUfSzy0
>>310-314
(同じ方か分かりませんけど)ご指摘ありがとうございます。


324: 213 2007/11/24(土) 18:11:21 ID:oqbUfSzy0
で、今回の訳。短い。

 苟晞、王讚謀叛勒,勒害之.以將軍左伏肅為前鋒都尉,攻掠豫州諸郡,臨江而還,屯于葛陂,
降諸夷楚,署將軍二千石以下,税其義穀,以供軍士.

苟晞、王讚が石勒に謀反を計ったので、石勒は(二人を)殺した。
将軍の左伏肅を前鋒都尉となし、予州の諸郡を攻め掠めさせ、臨江のところで戻らせ、葛陂に駐屯させて、諸々の楚地方の夷を降伏させ、將軍や二千石以下の官位を与え、税として義穀を献上させ、軍の兵士に提供した。


短いが、せっかく降伏させた強敵の苟晞、王讚をあっさり殺してしまう。
三国時代なら、ありえん(-_-)
多分、この段階ではまだ噂に過ぎなかったのだろうな。
石やんの思い切りのよさには、怖ろしさと清々しさを同時に感じるが。


325: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/11/24(土) 19:29:55 ID:OqqSir7I0
王彌としては、酒宴を幾度か開いて友好ムードを醸成してから、石勒を騙し討ちしようとしていた可能性もある、まあ、単なる時間稼ぎのポーズの可能性が一番高そうだが。

劉聡の最大の弱みは、単于勢力はよいとして、左賢王ポジションにいる劉粲(+補佐で劉曜)と右賢王以下のポジションにいる王彌、石勒らがまったく思い通りに動かないことだわな。
劉粲は独断でポカして期待はずれ、王彌、石勒らは自分らの勢力拡大にばかり熱心で、国家戦略を理解しようともしない。
洛陽攻略も、総司令官だった劉曜が何とか力づくでまとめあげていたから成功したようなもので劉曜以外が総司令官であれば、前年の劉聡のように部隊が勝って気ままに動いて油断したところで瓦解という可能性も十分に孕んでいた。
まあ、この支配体制を見ていれば、なぜ匈奴帝国の勢力が拡大縮小を幾度となく繰り返したのか何となく分かるなあ。

330: 213 2007/12/01(土) 00:45:45 ID:TfHplfQ90
それでは翻訳の続き。劉琨からの手紙の話し。かなり長い。

初,勒被鬻平原,與母王相失.至是,劉琨遣張儒送王于勒,遺勒書曰:
「將軍發跡河朔,席卷兗豫,飲馬江淮,折衝漢沔,雖自古名將,未足為諭.
所以攻城而不有其人,略地而不有其土,翕爾雲合,忽復星散,將軍豈知其然哉?
存亡決在得主,成敗要在所附;得主則為義兵,附逆則為賊眾.
義兵雖敗,而功業必成;賊眾雖克,而終歸殄滅.昔赤眉、黄巾橫逆宇宙,所以一旦敗亡者,正以兵出無名,聚而為亂.
將軍以天挺之質,威振宇内,擇有德而推崇,隨時望而歸之,勳義堂堂,長享遐貴.背聰則禍除,向主則福至.
採納往誨,翻然改圖,天下不足定,螘寇不足掃.
今相授侍中、持節、車騎大將軍、領護匈奴中郎將、襄城郡公,總内外之任,
兼華戎之號,顯封大郡,以表殊能,將軍其受之,副遠近之望也.
自古以來誠無戎人而為帝王者,至於名臣建功業者,則有之矣.
今之遲想,蓋以天下大亂,當須雄才.
遙聞將軍攻城野戰,合於機神,雖不視兵書,闇與孫呉同契,所謂生而知之者上,學而知之者次.
但得精騎五千,以將軍之才,何向不摧!至心實事,皆張儒所具.」
勒報琨曰:「事功殊途,非腐儒所聞.君當逞節本朝,吾自夷,難為效.」
遺琨名馬珍寶,厚賓其使,謝歸以絶之.

331: 213 2007/12/01(土) 00:49:18 ID:TfHplfQ90
で、訳。

はじめ、石勒が平原において捕らえられてから母・王氏と離ればなれになっていた。
このころ、劉琨は張儒を派遣して石勒のもとへ王氏を送り、石勒に手紙を送った。その内容は
「将軍(石勒)は河朔地方から軍をあげ、兗州・予州を席巻し、江淮地方で馬に水を飲ませ漢水沔水の地までたどり着きまして、古の名将といえども、(あなたに)教えることはないでしょう。(ですが)城を攻めても、民を有しておらず、土地を制圧しても、その土地を有しておらず、ただ、雲のように集まってまた星のように散り、(これでは)将軍の知略は正しいといえるのでしょうか? 
存亡はその主君により決し、成敗はその所属するところにあるのです。 正しい)主君をえれば義兵となり、逆賊につけば賊となります。義兵は敗れても、その功業は必ず成ります。賊は勝ったとしても、終わりには必ず殲滅されます。
昔、赤眉や黄巾は天下中で謀反しましたが、一旦、敗北者となると、兵を挙げる大義名分がないために、集まって乱を起こしただけ(という結果)でした。
将軍は天から抜きんでる才能で、威を(晋)全土に振るい、有德(の人)を選んで(その人を)推しあがめば、時代の希望は、(その有徳の人の)ものになり、勲功も正義も堂々としたものとなり、長い大きな富貴をうけることでしょう。劉聡に反すれば、禍は除かれ、(有徳の)主に向えば、福がやってきます。

332: 213 2007/12/01(土) 00:52:19 ID:TfHplfQ90
続き。

今、侍中、持節車騎大將軍、領護匈奴中郎將、襄城郡公を授け,内外の任を統べて,晋人と胡人の号を兼ねてもらい,大郡に封じ、(将軍の)優れた能力を表彰します。将軍はこれを受けて、遠近の望みをかなえて下さい。
古来から、誠に胡人から帝王になった人はおりませんが、名臣になり功業をたてたものはおります。将軍が城を攻めること、野に戦うことにおいて機を見ること神と同じく、兵書は見ていないといっても、孫子・呉子が書き付けたことと同じくし、いわゆる生まれつき物事を知っているものを上とし、学んで知るのを次ということそのものです。
(論語より。石勒は生まれつき兵法を知っているので、自分たちより上と言いたいらしい)
ただ、精鋭の騎兵五千を得て、将軍の才を以てすれば、向うところ砕けないものがありましょうか!本心からのことです。みな、張儒が詳しく知っています」。
石勒は劉琨に返答した。
「功をたてる道が(あなたとは)異なり、腐れ儒者の知ったことではない。あなたは本朝(晋)に忠節を尽くしてくれ。私はもとから胡人であり、(晋のために)功績をたてるのはできない」。
(石勒は)劉琨に名馬と珍宝を送り、使者を厚く歓待し、礼を言って帰し、劉琨との関係を絶った。

333: 213 2007/12/01(土) 00:54:53 ID:TfHplfQ90
訳できなかったところ

※ 採納往誨,翻然改圖,天下不足定,螘寇不足掃.

※ 今之遲想,蓋以天下大亂,當須雄才.

自信がないところ

※ 翕爾

※ 正以兵出無名,聚而為亂

※ 闇與孫吳同契の『闇』

※ 皆張儒所具の『所具』

※ 難為效

何度、翻訳をこれで断念しようと思ったことか……。
これ以外でも間違いがあったらご指摘お願いします。m(_ _)m
今回も分かるまで日をおかせてもらいたい。

しかし、劉琨、書きながら自分の文章に、かなり興奮しているのが分かるよな。
石勒に授けると言った地位は、はたして、晋の朝廷にかけあって、もらえる自信があったのだろうか?
石勒も劉琨からだけの手紙じゃ劉聡を裏切ることはできないことは承知していたろうに。
ダメもとか、離間策か、それとも本気で説得が可能と思っていたのか。
よく分からない。

340: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/01(土) 21:07:30 ID:CZjzxA1T0
>>333
劉琨は「北伐表」、「勧進表」と名文のオンパレードだからな
実行動が伴う表文に熱さが感じられるのは当然のこと

334: 213 2007/12/01(土) 01:08:53 ID:TfHplfQ90
で、とにかく、石やん、劉琨の誘いを断り、晋にはつかず。
とりあえず、劉琨と和平し、晋から官位をもらう道は絶ってしまう。
まあ、このままじゃ無理だろうけど、劉琨を通して晋に掛け合う方策もあったのは間違いない。
一応、うけたように見せて、他勢力との戦いに専念する策もあっただろうが、あえて取らず。

外交において、卑劣な策をとらず、堂々と腐れ儒者と言ってのけるところに石やんなりの美学があると思う。劉琨の日頃の態度にも問題があったのかも知れない。
王弥・苟晞が消え、劉聡に臣下であることは一応、維持し、残る強敵は、王浚、劉琨のみ。
劉琨とは今回で一応、停戦状態にはなったと思う。
次回は、苦戦が続く江南侵略戦。

335: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/01(土) 01:22:51 ID:rsWtQRYd0
石勒≒シャルルマーニュ

336: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/01(土) 11:00:49 ID:uKgqqtVuO
それはあんめえ。ガイセリックくらいだろ。

341: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/18(火) 22:01:12 ID:l5Pv4wr+0
劉琨…
相手と時代が悪かったのかな…

342: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/19(水) 22:23:42 ID:xhRirn5gO
北の劉王昆と、南の祖逖。彼らは友人同士だったみたいだけど、連合して石勒と戦うという考えはなかったんかな?石勒の領土を通らないといけないから、無理かな。

346: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/23(日) 10:15:12 ID:jKGhVX+q0
>>342
これほど方向性の違う友人も珍しいよな
方や超一流の文人(簡潔明瞭なレポートも故実を織り交ぜた美文も何でもござれ)、実務官僚一家
此方、二十歳過ぎるまで勉強しなかった田舎の豪族のやんちゃ坊主
おお、東晋版ふたりはプリ(ry

考えれば考えるほど、石勒は悪の親玉だなぁ
ダークヒーローもいいとこだ

344: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/20(木) 20:26:33 ID:G+q41ihK0
劉琨と祖逖の場合は、両勢力とも軍閥というには余りにも弱小勢力
一州すらまともに治められていない上に、劉琨に至っては軍事力は当初拓跋部、爾後段部からの借り物に過ぎず、完全に統制しきれていない状況
祖逖は祖逖で、中央政権からのまともなバックアップは受けられず あろうことか電撃解任までされてしまうんだから、悲惨すぎる

王浚の勢力であれば、どの時期においても比較的南進は可能であっただろう
それを困難にしたのは、ひとつは石勒の軍事的才能と謀略
もうひとつが、冀州大殺戮だと考えられる

362: 213 2008/02/02(土) 00:56:10 ID:XdQxC+zO0
で今回、久々に翻訳

 勒於葛陂繕室宇,課農造舟,將寇建鄴.會霖雨歴三月不止,元帝使諸將率江南之眾大集壽春,勒軍中飢疫死者太半.
檄書朝夕繼至,勒會諸將計之.右長史刁膺諫勒先送款於帝,求掃平河朔,待軍退之後徐更計之.勒愀然長嘯.
中堅夔安勸勒就高避水,勒曰:「將軍何其怯乎!」
孔萇、支雄等三十餘將進曰:
「及呉軍未集,萇等請各將三百歩卒,乘船三十餘道,夜登其城,斬呉將頭,得其城,食其倉米.
今年要當破丹楊,定江南,盡生縛取司馬家兒輩.」
勒笑曰:「是勇將之計也.」各賜鎧馬一匹.
顧問張賓曰:「於君計何如?」
賓曰:「將軍攻陷帝都,囚執天子,殺害王侯,妻略妃主,擢將軍之髮不足以數將軍之罪,奈何復還相臣奉乎!
去年誅王彌之後,不宜於此營建.
天降霖雨方數百里中,示將軍不應留也.鄴有三臺之固,西接平陽,四塞山河,有喉衿之勢,宜北徙據之.
伐叛懷服,河朔既定,莫有處將軍之右者.晉之保壽春,懼將軍之往擊爾,今卒聞迴軍,必欣於敵去,未遑奇兵掎擊也.
輜重逕從北道,大軍向壽春,輜重既過,大軍徐迴,何懼進退無地乎!」勒攘袂鼓髯曰:「賓之計是也.」
責刁膺曰:「君共相輔佐,當規成功業,如何便相勸降!此計應斬.然相明性怯,所以宥君.」
於是退膺為將軍,擢賓為右長史,加中壘將軍,號曰「右侯」.

363: 213 2008/02/02(土) 00:59:46 ID:XdQxC+zO0
石勒は葛陂において屋敷(陣営?)を繕い、農家に課して船を造り、建業を攻め掠めようとした。
たまたま、霖雨が降り、三か月続けて止まなかった。
司馬睿(元帝)は諸将を使わし、江南の衆を率いさせ、寿春に大軍を集め、石勒の軍は、飢餓と病気による死者が大半にのぼった。
檄文は朝、夕に継ぎ至り、石勒は諸将に(この事態に対する)計略をはかった。
右長史・刁膺は石勒を諫め、司馬睿によしみを通じる(使者を)送り、河北・朔方地方を払い平らげることを求めて、(司馬睿の)軍が退くのを待ってから、徐々に(司馬睿軍?今後の進退?)を図るように諫めた。
石勒は顔色を変え、長いうなり声をあげた。
中堅将軍・夔安は、石勒に水を避けて、高台にのぼるように勧めた。
石勒は言った。「将軍はなんでそんなに臆病なのだ!」。
孔萇、支雄ら三十数将は進言した。「呉軍が集まりきらないうちに、孔萇たち将におのおの三百人の歩兵を与えてください。
船に乗り、三十余の道を通り、夜に城壁にのぼり、呉将の首を斬り、城を得て、そこの倉の米を食べます。
今年には丹楊を破り、江南を定め、司馬一族のガキどもを全て生け捕りにします」。
石勒は笑って言った。「これは勇将のはかりごとだ」。各々に鎧馬を一匹ずつ与えた。

364: 213 2008/02/02(土) 01:02:32 ID:XdQxC+zO0
顧問の張賓に言った。「君はどのような計略があるかな?」。
張賓は言った。「将軍は帝都(洛陽)を攻め落とし、天子(司馬熾)を捕まえ、王侯を殺害し、(彼らの)妃や妻を略奪し、将軍を髪を抜いて数えても、将軍の罪は足りないほどで、なんで、今さら、戻って臣として(晋王朝を)奉じられましょうや!昨年、王彌を殺してからは、ここに陣営を建てるべきではなかったのです。天が霖雨を数百里四方に降らせ、将軍が留まるべきではないことを示しています。
鄴は三臺の固い守りがあり、西は平陽に接し、四方は山河にふさがれ、要害の地形をしており、北に移ってここに拠るべきです。
逆らうものを討って、懐柔・服従させ、河北・朔方地方を定めれば、将軍の右にでるものはいません。
晋(軍)は寿春を保ち、将軍が攻めてくるのを怖れているだけで、今すぐに軍を反転したと聞けば、必ず敵が去ったのを喜んで、すぐに奇兵をだして攻撃してくることはないでしょう。輜重を北道に沿って行かせ、本隊は寿春に向い、輜重が進んだ時点で、本隊を次第に反転させれば、なにを進退に怖れるところがありましょうか!」
石勒は袂をふるい、髭をたたいて言った。「張賓の計略が良い」。
(石勒は)刁膺を責めて言った。「君は(私と)力をあわせ、補佐の任にあたらせ、功業を建てる方策をはかるべきなのに、なぜ降伏させようと勧めたのか!この計略は斬刑にあたる。だが、性格が明らかに臆病なのに(免じて)君を許してやろう」
この時から刁膺は将軍に格下げされ、張賓が選ばれて右長史となり、中壘將軍の地位が加えられ、呼ぶ際には「右侯」と言われた。

365: 213 2008/02/02(土) 01:12:43 ID:XdQxC+zO0
自信がないところ
※室宇

※奈何復還相臣奉乎

※ 不宜於此營建

※ 三臺之固

間違いがありましたら、よろしくお願いしますm(_ _)m

今回は重要な一節。赤壁以来の江南軍の戦法に足をとどめられた石やん。
ついに、方針を変更し、河北に戻ることを決意する。
前回の人質返還が石やんに劉琨との戦いをためらわせたなら、あながち、劉琨の手紙も無益ではなかったということか。だが、これで、王浚、劉琨、曹嶷との戦いは必至になる。
いずれは劉聡、劉曜との戦いも視野にいれねばならないことも想定できる。
さらに、これを機会に「君子営」のリーダーと思われる刁膺が降格させられ、張賓が筆頭軍師におどりでる。

次回は江南軍からの退却戦

366: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 17:05:15 ID:t+xP2LFn0
發自葛陂,遣石季龍率騎二千距壽春.會江南運船至,獲米布數十艘,將士爭之,不設備.
晉伏兵大發,敗季龍于巨靈口,赴水死者五百餘人,奔退百里,及于勒軍.
軍中震擾,謂王師大至,勒陣以待之.晉懼有伏兵,退還壽春.
勒所過路次,皆堅壁清野,採掠無所獲,軍中大飢,士眾相食.
行達東燕,聞汲郡向冰有眾數千,壁于枋頭,勒將於棘津北渡,懼冰邀之,會諸將問計.張賓進曰:
「如聞冰船盡在瀆中,未上枋内,可簡壯勇者千人,詭道潛渡,襲取其船,以濟大軍.大軍既濟,冰必可擒也.」
勒從之,使支雄、孔萇等從文石津縛筏潛渡,勒引其眾自酸棗向棘津.冰聞勒軍至,始欲内其船.
會雄等已渡,屯其壘門,下船三十餘艘以濟其軍,令主簿鮮于豐挑戰,設三伏以待之.
冰怒,乃出軍,將戰,而三伏齊發,夾擊攻之,又因其資,軍遂豐振.長驅寇鄴,攻北中郎將劉演于三臺.
演部將臨深、牟穆等率眾數萬降于勒.

367: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 17:06:52 ID:t+xP2LFn0
葛陂より出発し、石虎に騎兵二千を率いさせ、寿春まで派遣した。
たまたま江南の運搬船が来るのに会い、米と布を積んだ数十艘を奪い、将士は(戦利品を)争い、(攻撃への)備えをしなかった。
晋の伏兵が大勢出てきて、石虎は巨靈口で敗れ、水に落ちた死者が五百人以上もだし、百里も敗走し、石勒の軍に追いついた。
(石勒)軍は動揺し、晋の大軍が来ると思い、石勒は陣を構え、晋軍を待った。晋軍は伏兵を怖れ、寿春まで引き返した。
石勒が通り過ぎる路は、城壁は堅く守り、野は清められ、略奪して得るものはなく、軍はとても飢え、兵士たちは互いに食い合った。

368: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/02/09(土) 17:09:32 ID:t+xP2LFn0
行軍して、東燕に達したところで汲郡の向冰が数千の衆で枋頭を守っているのを聞き、石勒が将を棘津から(黄河)を北に渡らせると、向冰は怖れて、迎え撃ってきた。(石勒は)諸将を集め、計略を問うた。
張賓が進言した。「向冰の船は全て瀆中にあり、まだ枋内に来ていないと聞いております。壮健な勇者千人を選び、細い道をとらせ、(黄河を)秘かに渡らせ、船を奪い取り、それから本隊に黄河を渡らせるべきです。向冰は必ず捕らえられるでしょう」
石勒は(張賓の進言に)従い、支雄、孔萇たちを使わして、文石津から筏で秘かに渡らせ、石勒は衆を率い、酸棗から棘津に向った。
向冰が石勒の軍が来たと聞き、初めて船を中に入れようと考えた。支雄らはすでに黄河を渡り、壘門をつくって駐屯し、船・三十余艘を降伏させ、軍を渡らせてから、主簿・鮮于豐に命じて挑戦させ、三方に伏兵を設けて(向冰を)待った。
向冰は怒って、軍を出撃させ、戦おうとしたとき、三方から伏兵に一斉に出て、(向冰軍を)挟んで攻め打ち、(向冰軍の)資力で、軍がとても振るった。
長駆して鄴を襲い、北中郎將・劉演を三臺において攻め、劉演の武将・臨深、牟穆らは数万の衆を率いて、石勒に降伏した。

369: 213 2008/02/09(土) 17:16:55 ID:t+xP2LFn0
今回は、『筏潛』が自信がないぐらいであとは大丈夫だと思う。

で、今回は撤退戦。
石虎、江南軍にあっさり敗北し、平地戦と勝手が違うことが推測できる。
>略奪して得るものはなく、軍はとても飢え、兵士たちは互いに食い合った。
悲惨なる退却。当時の社会と軍の実態がうかがえる。
弱ったついていけなくなったものは片端から仲間に食べられたのだろう。

そして、黄河を渡り、河北に帰る。これから根拠地奪取戦がはじまる。

372: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/15(土) 20:04:30 ID:PECspyJdO
213さんの訳では、南から北へ転進して本拠地を築こうとしているところなんだけど、そもそも何故南下したのかな?
まだ独立できず、命令に従わざるを得なかったのか。
王彌殺害後、残党がいるとはいえ、弱った青州に向かうのが楽な展開だったと思うが。

374: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/03/23(日) 22:17:11 ID:49h3LyfI0
>>372
この時代で、この時の石勒と似たような状況に置かれたのが350年代の姚氏集団だな。
結果はご存知の通り、大迷走の挙句族長姚襄が前秦に討たれて降伏というものだった。
勢力の空白地域が華北にはいくつかあったが、大勢力である慕容部との直接対決は避けるわ、後趙時代に長年駐屯していた清河への割拠は考えないわで、およそ、石勒のような大博打を打つことができなかったのは、本人の器量の限界か?

青州に話を移すと、王彌から派遣された曹嶷が地盤固めしていた真っ最中。
勝てる算段もあるだろうけど、後の曹嶷自身の行動を鑑みるに、東晋に寝返り
或いは亡命しそうな感じだから、結構グダグダ長引きそう。
まあ、どっちにしろ言語的、宗教的な問題から難治の地方だからな、地盤固めが襄国ほど上手くいくとは思えんが。

襄国割拠は君子営の漢人たちが主に鉅鹿・常山で集められたことを考えれば、彼らからの要望が強く働いたんだと思うんだがなあ。
石勒の足が当初江南に向いたのは、姚襄と同じで逃避行動じゃなかろうか。
とりあえず、距離を取って態勢を整えてから行動を開始しようという。
でも張賓にケツ叩かれて河北にUターンという感じか。

383: 213 2008/04/19(土) 20:45:40 ID:skpF6YeE0
>>372
石やんは劉淵に一応の恩義があるし、勢力圏が他の漢軍の軍閥と重なって、匈奴が分裂するのをおそれていたのではないだろうか。数的には晋人の方が圧倒的に多いし。
劉曜が楽に勝てる相手とは思えないし。
とりあえず、晋を滅ぼすことを優先したのでは。
この時点では一地方の王として終わればいいなんて考えていたのかもしれない。
(劉邦に仕えたい石勒だから、野心はそこまで大きくなかったと思う)

385: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/04/21(月) 23:00:36 ID:PL5NAfFA0
石勒は力こそが全てみたいな殺伐とした集団の頭領なのに、文治に目覚めるとは奇特な人だ。
外敵さえいなければ、配下のDQN集団は誅殺されていたかな。

387: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/01(木) 02:41:31 ID:mhPlRsyb0
だれか石勒の小説とか書かないかな 
めちゃくちゃ面白い思うんだけど

388: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/05(月) 09:59:10 ID:dS0CzOkD0
>>387
もし石勒の小説が成功したら、その後の五胡十六国関連の小説もどんどん出てくる
だろうね。スピンオフで、その前後の劉淵・劉曜とかも書きやすそう。

395: 213 2008/05/06(火) 11:02:29 ID:M4tM8yrR0
で、原文

 時諸將佐議欲攻取三臺以據之,張賓進曰:
「劉演眾猶數千,三臺險固,攻守未可卒下,舍之則能自潰.王彭祖、劉越石大敵也,宜及其未有備,密規進據罕城,
廣運糧儲,西稟平陽,掃定并薊,桓文之業可以濟也.且今天下鼎沸,戰爭方始,遊行羇旅,人無定志,難以保萬全、制天下也.
夫得地者昌,失地者亡.邯鄲、襄國,趙之舊都,依山憑險,形勝之國,可擇此二邑而都之,
然後命將四出,授以奇略,推亡固存,兼弱攻昧,則群凶可除,王業可圖矣.」
勒曰:「右侯之計是也.」
於是進據襄國.賓又言於勒曰:「今我都此,越石、彭祖深所忌也,恐及吾城池未固,資儲未廣,送死於我.
聞廣平諸縣秋稼大成,可分遣諸將收掠野穀.遣使平陽,陳宜鎮此之意.」
勒又然之.於是上表於劉聰,分命諸將攻冀州郡縣壘壁,率多降附,運糧以輸勒.
劉聰署勒使持節、散騎常侍、都督冀幽并營四州雜夷、征討諸軍事、冀州牧,
進封本國上黨郡公,邑五萬戸,開府、幽州牧、東夷校尉如故.

396: 213 2008/05/06(火) 11:06:30 ID:M4tM8yrR0
この頃、(石勒の)将佐は、三臺を攻め取って、拠ろうと議論していた。
張賓が進言した。
「劉演の衆は、まだ数千はいて、三臺が険固であり、決着はすぐにはつかないでしょう。捨てておけば、自潰するでしょう。王浚、劉琨は大敵ですが、守備はまだ整えられておりません。密かに牢城に進軍し、そこに拠り、兵糧を運び込み、西の平陽に供給して、并薊地方を平定しましょう。
これで桓王・文王の業をなせます。今、天下は鼎沸しており、戦争が今にも始まろうとしています。遊行や羇旅では、人に決意を固めさせることはできません。万全を保ち、天下を制することは難しいでしょう。
そもそも、地を得た者は栄え、地を失った者は亡びます。邯鄲、襄國は、趙の旧都で、険阻な山を頼みとした形勝の国であり、この二邑から一つを選んで(攻め取って)都とし、それから將軍を四方に放ち、奇略を授け、推して滅び、固めて存します。弱勢でも合わされば、混乱した国を攻め落とせます。群凶を除ければ、王業は図れます」
石勒は言った。
「右侯の計が正しい」

397: 213 2008/05/06(火) 11:08:36 ID:M4tM8yrR0
襄國に進み、拠点した。張賓がまた石勒に進言した。
「今、我らがここを都とした事で、劉琨と王浚はとても恐れているでしょう。我らが城池が固めず、資儲が豊富にない内に、我らに死戦をかけてこられるのが怖いです。聞くところでは、廣平の諸県はこの秋、豊作との事で、諸将を分けて遣わし、野穀を略奪させましょう。その上で、使者を平陽に遣って、この地を鎮めるという意志を伝えるのです」
石勒は、これにも同意した。
そこで、劉聡に上表し、諸將に命じ、冀州郡県やその地方の壘壁を攻撃させ、多くが降服し、兵糧を石勒の下に送った。
劉聡は、石勒を使持節、散騎常侍、都督冀幽并營四州雜夷、征討諸軍事、冀州牧に任命すると、本国である上党郡公に進封し、邑五万戸とされた。開府、幽州牧、東夷校尉は、そのままとされた。

398: 213 2008/05/06(火) 12:58:23 ID:M4tM8yrR0
ついに、襄国に拠点とし、王業を図ることを決定する。
桓王・文王といっているから、目標は実質的な天下の覇者といったところらしい。
さっそく、基盤を固めようとする石やん。
しかし、王浚もまた、ただものではない。手をすばやく打ってくる。

それより、劉聡と劉曜はいったい、こんなに河北地帯が空白状況なのに、なんで長安攻撃にこだわっていたのであろうか?
洛陽を落とし、晋を解体させる戦略は分かるが、足下に劉琨、段部、拓バツ部がいて、東に王浚をいる状況で、関西兵も精強であり、守りも固いことが予想される長安攻撃をするメリットがよく分からない。足下を固めるのが先だと思うが。
(しかも、洛陽も統治できていない段階で、李矩からの反撃にあっている)

劉聡、劉曜には石やんみたいな戦略的視点はなかったのだろうか

次回は石やん、ついに、王浚と本格的に激突。また、危機におちいる。

409: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/11(日) 23:20:34 ID:2cWu4tfo0
>>398
劉聡にしてみれば、王浚相手に河北で消耗戦をする気はさらさらなかったってことでしょう。石勒が奇跡的な快進撃・大番狂わせを演じたから、王浚がただの驕慢な野心家扱いされてしまっているけれども、実際関東勢力の大本命は王浚以外考えられない情勢だった。
これで、漢が河北制圧の戦略を採っていたら、泥沼の長期戦に陥っていた可能性が高い。

そもそも幽州一州で、成都王、河間王勢力を壊滅させるくらい軍事的には他を圧倒していたわけだから、匈奴としては正面切って決戦しかけるには余りにもリスクが高すぎる。
むしろ、中原の生産力の高い地域、労働人口を収奪して、物資や兵力を確保してから戦いを挑んだ方が、まだ勝ち目はあったように思える。
劉淵時代から一貫して生産力及び人口の貧弱さに匈奴は悩まされ続けていたわけだから南進策を採るのは責められる点ではないと思うがね。

405: 213 2008/05/11(日) 09:58:27 ID:BzgGi0EX0
 廣平游綸、張豺擁眾數萬,受王浚假署,保據苑郷.勒使夔安、支雄等七將攻之,破其外壘.
浚遣督護王昌及鮮卑段就六眷、末杯、匹彈等部眾五萬餘以討勒.時城隍未修,
乃於襄國築隔城重柵,設鄣以待之.
就六眷屯于渚陽,勒分遣諸將連出挑戰,頻為就六眷所敗,又聞其大造攻具,勒顧謂其將佐曰:
「今寇來轉逼,彼眾我寡,恐攻圍不解,外救不至,内糧罄絶,縱孫呉重生,亦不能固也.
吾將簡練將士,大陳於野以決之,何如?」諸將皆曰:
「宜固守以疲寇,彼師老自退,追而擊之,蔑不克矣.」勒顧謂張賓、孔萇曰:
「君以為何如?」賓、萇倶曰:
「聞就六眷剋來月上旬送死北城,其大眾遠來,戰守連日,以我軍勢寡弱,謂不敢出戰,意必懈怠.
今段氏種眾之悍,末杯尤最,其卒之精勇,悉在末杯所,可勿復出戰,示之以弱.
速鑿北壘為突門二十餘道,候賊列守未定,出其不意,直衝末杯帳,敵必震惶,計不及設,
所謂迅雷不及掩耳.末杯之眾既奔,餘自摧散.擒末杯之後,彭祖可指辰而定.」
勒笑而納之,即以萇為攻戰都督,造突門于北城.鮮卑入屯北壘,勒候其陣未定,躬率將士鼓譟于城上.
會孔萇督諸突門伏兵倶出擊之,生摛末柸,就六眷等眾遂奔散.萇乘勝追擊,枕尸三十餘里,獲鎧馬五千匹.
就六眷收其遺眾,屯于渚陽,遺使求和,送鎧馬金銀,并以末杯三弟為質而請末杯.諸將并勸勒殺末杯以挫之,勒曰:
「遼西鮮卑,健國也,與我素無怨讎,為王浚所使耳.今殺一人,結怨一國,非計也.放之必悅,不復為王浚用矣.」
於是納其質,遣石季龍盟就六眷于渚陽,結為兄弟,就六眷等引還.使參軍閻綜獻捷於劉聰.
於是游綸、張豺請降稱藩,勒將襲幽州,務養將士,權宜許之,皆就署將軍.於是遣眾寇信都,害冀州刺史王象.
王浚復以邵舉行冀州刺史,保于信都.

※ 段末杯の杯は本当は右が丕
※ 段匹弾の弾は本当は偏が石

406: 213 2008/05/11(日) 10:06:46 ID:BzgGi0EX0
一つ、失敗か。
生摛末・→生摛末杯

で翻訳

廣平の游綸と張豺は、衆数万を擁しており、王浚から任命を受け、苑郷に拠って守っていた。
石勒は、夔安、支雄ら七將を遣わして攻めさせ、その外壘を撃ち破った。
王浚は、督護の王昌と鮮卑の段就六眷、段末杯、段匹弾らに部衆五万余で、石勒を討たせた。
この時、城の堀の改修が終了しておらず、襄国の城から離れた所に柵を幾重にも築かせ、砦を設けて(王浚軍を)待った。
段就六眷は渚陽に軍を止めると、石勒は諸將を遣わし、続け様に挑戦させたが、全て、段就六眷に敗れてしまった。
また、攻城兵器が大増産されていると聞き、石勒は将佐を集めて言った。
「今、敵がすぐそこまで迫っている。我が軍は少なく、敵は多い。包囲攻撃を受け、解く事ができぬようにされるのが怖い。外からの援軍は来ず、城内の兵糧は尽きかけている。たとえ、孫子・呉子が生き返ったとしても、守り切る事は出来ぬ。そこで私は、將士を選抜して、野戦で決しようと思うのだが、どうか?」
諸將は皆な進言した。
「守りを固めて、敵が疲れ、軍が弱り、自ずと退くのを待ち、そこを追撃しましょう。これで勝てないわけがありません」
石勒は張賓、孔萇をかえりみって言った。
「君たちはどう考える?」
張賓、孔萇はともに言った。
「聞くところでは、段就六眷は、来月上旬にも北城に決死戦を仕掛けるとの事です。今、後続の大軍が迫っており、連日の戦闘で、我らが軍勢の寡弱なるを知り、『あえて、撃って出るまでも無い』と言っているようです。必ず注意を怠っているでしょう。今、勇敢で強い段部の種にあって、段末杯が最たるものです。
(段部の)精鋭部隊は段末杯のもとに配されており、今、撃って出ない選択は、我が軍が弱い事を、示す事に他なりません。すぐに、北壘に穴を開けて二十余道の突門を造らせ、賊が陣立てが定まる前に、その不意を出て、そのまま段末杯の本陣を直撃すれば、敵は必ずやおそれおののき、計略を設けることはできないでしょう。いわゆる『迅雷は耳に及ばず(物事があっという間に起きて、これを防ぐひまがないこと)』です。
段末杯の軍が敗れ去ったとなれば、他は自ずと砕け散るでしょう。段末杯さえ生け捕ったならば、王浚は遠からずして平定しましょう」

407: 213 2008/05/11(日) 10:11:18 ID:BzgGi0EX0
石勒は、笑って、この意見をいれ、すぐに、孔萇を攻戦都督に任じて、北城に突門を造らせた。
段就六眷は北壘の近くに布陣を開始し、石勒は、布陣が整っていないのを、伺い見て、引き連れていた將士に城壁の上で鼓譟させた。
その時、孔萇が諸突門に配していた伏兵を一斉に出撃させた。
段末杯を生け捕りにし、段就六眷らは、散り散りに逃げ去った。
孔萇は勝ちに乗り、追撃し、三十余里に渡って尸が転がり、鎧馬五千匹を獲得した。
段就六眷は、敗残の衆を収め、渚陽に兵を留め、使者を遣わして和を求めた。
また鎧馬と金銀を送り、合わせて段末杯の三弟を人質に出して、段末杯との交換を求めた。
諸將は、石勒に段末杯を殺して、敵を挫く事を勧めた。石勒は言った。
「遼西の鮮卑は、強兵の国であり、我らとは素より怨讐は無い。ただ王浚に使わされたに過ぎない。今、一人を殺して、一国から怨みを買うのは、良計ではない。段末杯を解放すれば、必ずや悅び、二度と王浚に利用される事も無いだろう」
ここで、人質交換に応じた。石虎を渚陽にいる段就六眷の下に派遣して、兄弟の契りを結ばせた。段就六眷らは軍を返した。參軍の閻綜を劉聡に使わし、勝利を上奏した。ここに至ると游綸と張豺は、降伏して称藩してきた。
石勒は幽州を襲撃しようとし、將士に休養を取らせ、許可して、皆な將軍に任じた。さらに、信都を攻撃させ、冀州刺史の王象を殺した。王浚は、邵舉に冀州刺史を代行させ、信都を保持させた。

自信がないところ
※ 務養將士,權宜許之,皆就署將軍
 「之」とか「皆」とか誰? 将士は直属部隊のことかな

408: 213 2008/05/11(日) 10:26:05 ID:BzgGi0EX0
で、今回。
石やん、兵を二分し、根拠地を固めようとするも、王浚、精鋭部隊を派遣してくる
(これって、石やんと張賓のミスじゃ・・。ここは王浚をほめるべきか)

早速、ピンチ。戦うが、さすがは、本場の騎兵部隊。
半減した味方では勝てず。援軍もなし。
(夔安には結局、撤退命令はださなかったのかな? はじめから援軍を期待されない劉聡って・・)

ここで突門をつかった計略が行い、成功。(「資治通鑑」ではもっと苦戦しているけどね)
段部を王浚から引き離すことに成功。苑郷を奪取。
さらに冀州刺史の王象を殺し、刺史キラーが健在であることを示す。
(で、結局、なんで、信都は占領しなかったの?)

次回はなつかしい人の登場

412: 213 2008/05/17(土) 17:49:35 ID:H9eMYMWf0
建興元年,石季龍攻鄴三臺,鄴潰,劉演奔于廩丘,
將軍謝胥、田青、郎牧等率三臺流人降于勒,勒以桃豹為魏郡太守以撫之.
命段末杯為子,署為使持節、安北將軍、北平公,遣還遼西.
末杯感勒厚恩,在途日南面而拜者三,段氏遂專心歸附,自是王浚威勢漸衰.
 勒襲苑郷,執游綸以為主簿.攻乞活李惲于上白,斬之,將坑其降卒,見郭敬而識之,
曰:「汝郭季子乎?」
敬叩頭曰:「是也.」
勒下馬執其手,泣曰:「今日相遇,豈非天邪!」賜衣服車馬,署敬上將軍,悉免降者以配之.
其將孔萇寇定陵,害兗州刺史田徽.
烏丸薄盛執渤海太守劉既,率戸五千降于勒.
劉聰授勒侍中、征東大將軍,餘如故,拜其母王氏為上黨國太夫人,妻劉氏上黨國夫人,章綬首飾一同王妃.

413: 213 2008/05/17(土) 17:51:52 ID:H9eMYMWf0
建興元年(313年)、石虎が鄴と三臺に攻め、鄴は潰滅し、劉演は廩丘へと逃げた。
将軍の謝胥、田青、郎牧は、三臺の流人を率い、石勒に降服した。
石勒は桃豹を魏郡太守に任命して、彼らを慰撫させた。
段末杯と、父子の誓を交わし、使持節、安北將軍、北平公に任じ、遼西へと帰還させた。
段末杯は石勒の厚恩に感動し、帰路、日南に向かって三度拝した。
段氏は心から石勒に従う事を決め、これより、王浚の威勢は次第に衰えていった。

414: 213 2008/05/17(土) 17:53:41 ID:H9eMYMWf0
石勒は苑郷を強襲して、游綸を捕らえ、主簿に任じた。乞活の李惲と上白に攻め、李惲を斬った。
降服した兵を生き埋めにしようとした時、(兵の中に)郭敬を見つけ、話した。「お前は郭季子か?」
郭敬は叩頭して言った。
「そうです」
石勒は、下馬して、彼の手を取り、泣いて言った。
「今日、相見みえたのは、天意であることに疑いない!」
衣服と車馬を与え、上將軍に任命し、降服した兵も全て放免にし、郭敬に配した。
将の孔萇が定陵を攻め犯し、兗州刺史の田徽を殺した。
烏丸の薄盛は、渤海太守の劉既を捕え、五千戸を率いて石勒に降伏した。
劉聡は、石勒に侍中、征東大將軍を授け、それ以外は本は同じとし、母の王氏が上党国太夫人、妻の劉氏が上党国夫人と拝し、章綬首飾も王妃と同じとした。

415: 213 2008/05/17(土) 18:04:27 ID:H9eMYMWf0
で、今回、二段いった。
まず、冀州にある劉琨勢力を駆逐。一時的な和戦を破り、鄴を奪う。
段部を味方にし、王浚の勢力は減退。苑郷を正式に奪う。
(盟約を破ったのは石やんか、游綸か?)

そして、あの汲桑(憶えてる?)の仇、乞活を正式に撃破。
劇的な再会を恩人・郭敬と果たす
(でも、素直に良かったといっていいのかな? これって)
今度は、兗州刺史を殺害。地盤を固めはじめる。

次回はなかなか考えさせてくれるエピソード

416: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/18(日) 13:48:22 ID:yxN3NSFc0
この時代の騎兵は、重装騎兵が主らしいんだけど、石勒軍は重装騎兵が主になってるんだろうか。それとも、軽装騎兵との混合なんだろうか。

417: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/05/18(日) 14:45:01 ID:bGhhFxcr0
>>417
歩騎混成が主体
王浚戦では、軽騎兵で一挙に幽州(しかも薊)を陥落させるという荒業を見せている。
逆に、重騎兵を活用した話はあんまないんだよなあ。
鮮卑の方は、結構重装騎兵運用の話はあるんだが。

421: 213 2008/06/01(日) 10:04:35 ID:Ykljmxpr0
>>416
417氏の言うとおりだと思う。あれだけの大移動を行うのだから、軽騎兵の方が便利だろうね
幽州騎兵や鮮卑に正面激突で敗走が多いのも、それが原因かもしれない

422: 213 2008/06/01(日) 10:08:35 ID:Ykljmxpr0
 段末杯任弟亡歸遼西,勒大怒,所經令尉皆殺之.
 烏丸審廣、漸裳、郝襲背王浚,密遣使降于勒,勒厚加撫納.
司冀漸寧,人始租賦.立太學,簡明經善書吏署為文學掾,選將佐子弟三百人教之.
勒母王氏死,潛窆山谷,莫詳其所.既而備九命之禮,虚葬于襄國城南.

423: 213 2008/06/01(日) 10:10:24 ID:Ykljmxpr0
段末杯の人質である弟が、遼西へと逃亡した。石勒は激怒し、通ったところの令や尉を皆殺しにした。
審広、漸裳、郝襲の烏丸は、王浚に背いて、密かに石勒に降伏の使者をつかわしてきたので、石勒は手厚く慰撫した。
司州や冀州が次第に安寧し、人民は租賦を納めはじめた。
太学を設置し、経書に明るく書に通じている吏を文学掾に任命し、将佐の子弟から選び出した三百人に教授させた。
石勒の母・王氏が死に、その亡骸を山谷深くに埋葬し、その詳しい場所を知る者はいなかった。
九命の礼を備え、襄国城の南に虚葬した。

424: 213 2008/06/01(日) 10:25:47 ID:Ykljmxpr0
って、ことで今回は戦争なし
石やんの怒りは爆発。多分、国家体制を整えるためのひきしめもある。かなり気合い入っている
衰える王浚、上昇する石やん。意外に内政上手な石やん
(というか、西晋の王族がアホすぎ・・)
>太学を設置し、経書に明るく書に通じている吏を文学掾に任命し、将佐の子弟から選び出した三百人に教授させた。
これって、文字から教える段階の連中も多かっただろうな

しかし、母の葬儀は羯族方式なんだろうけど、匈奴って鳥葬だったけ?
手元の資料では確認できないのだが。後の契丹の葬儀に似ているから、実は羯族は烏丸系なのか?
烏丸が妙に石やんに甘い気がするのはそのせいか?
(契丹は鮮卑起源説もあるけど)
とにかく、いまだ、匈奴であることを石やんが捨てようとしていないのが分かるエピソード。

次回は、いよいよあの男が台頭してくる

425: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/06/01(日) 21:32:08 ID:7RqNWIW/0
>>424
風葬・鳥葬と言えばもちろんゾロアスター教で、そして中国の一番近くにいる教徒はソグド人であり、なおかつ羯族にはソグド系商業遊牧民説があるから、もしかしたら石やん家はゾロアスター教徒だったのかもしれん。

426: 213 2008/06/08(日) 10:20:47 ID:L00ydiF20
 勒謂張賓曰:「鄴,魏之舊都,吾將營建.既風俗殷雜,須賢望以綏之,誰可任也?」
賓曰:「晉故東萊太守南陽趙彭忠亮篤敏,有佐時良榦,將軍若任之,必能允副神規.」
勒於是徴彭,署為魏郡太守.彭至,入泣而辭曰:
「臣往策名晉室,食其祿矣.犬馬戀主,切不敢忘.誠知晉之宗廟鞠為茂草,亦猶洪川東逝,往而不還.
明公應符受命,可謂攀龍之會.但受人之榮,復事二姓,臣志所不為,恐亦明公之所不許.
若賜臣餘年、全臣一介之願者,明公大造之惠也.」
勒默然.張賓進曰:「自將軍神旗所經,衣冠之士靡不變節,未有能以大義進退者.至如此賢,以將軍為高祖,
自擬為四公,所謂君臣相知,此亦足成將軍不世之高,何必吏之.」
勒大悅,曰:「右侯之言得孤心矣.」
於是賜安車駟馬,養以卿祿,辟其子明為參軍.
勒以石季龍為魏郡太守,鎮鄴三臺,季龍簒奪之萌兆于此矣.

427: 213 2008/06/08(日) 10:23:14 ID:L00ydiF20
石勒は張賓に問うた。
「鄴は、魏の旧都であり、私は営宮を建てようと思う。(しかし)現在、風俗が甚だ乱れ、賢望に安んじさせるべきであろう。誰が適任だろうか?」
張賓は言った。
「晋の元の東萊太守で南陽の趙彭は、忠亮にして篤敏であり、補佐の任にあった時、良幹がありました。將軍がもし彼を任じましたらば、必ずや神規に沿って行ってくれるでしょう」
石勒は同意して、趙彭を召し出し、魏郡太守に任命することにした。
趙彭は、石勒の前に出ると泣いて辞退し、言った。
「臣は、往時には晋室のために働き、その祿を食んでいた者です。犬馬は主を慕い、決して忘れないそうです。晉の宗廟の菊が茂みとなったのを痛感しております。川の氾濫が東に向かったように、行ったまま戻れなくなったのです。
明公が符に応じて天命を受けたならば、攀龍の会と言えましょう。しかし、この栄を受けると言う事は、二姓に仕える事になり、臣の志す所ではなく、明公からも許されないと怖れます。もし、臣に余年を与えていただけるなら、一介の願いは、明公の大いなる恵みであります」

428: 213 2008/06/08(日) 10:24:59 ID:L00ydiF20
石勒は黙然とした。張賓が進み出て言った。
「将軍の神旗が通り過ぎた所は、衣冠の士はなびくばかりで、節を変えなかった者、大義を以って進退を決めた者はおりません。このような賢人は、将軍を高祖となれば、四公のような存在になり、いわゆる君臣相知るものです。これも将軍を不世の高みに達するに必要な事であり、必ずこのものを官吏とする必要はありません」
石勒は大いに喜んで言った。
「右侯の言葉は私の心にかなったものだ」
そこで、趙彭に安車駟馬を下賜し、卿祿で養わせ、その子の趙明を参軍に任命した。
石勒は、石虎を魏郡太守に任命して、鄴と三臺の統治させた。石虎の簒奪は、ここにその兆しが萌芽したのだ。

自信がないところ
※宗廟鞠為茂草
 宗廟には菊畑でもつくる習慣があったの?

429: 213 2008/06/08(日) 10:31:54 ID:L00ydiF20
鄴、三臺の人、大ショック!
趙彭が辞退したために、石虎が統治者に・・(^^;)
まあ、威名と厳格さで治安部門はすごく優秀かもしれんけど・・
とにかく、石虎が石やんの片腕として台頭しはじめているのは分かる
母・王氏も死んで、ストッパーはもうおらんし・・

いよいよ臨戦態勢も整い、宿敵・王浚との決戦が迫る
しかし、王浚配下の幽州騎兵は健在。正面から戦えば、五年、十年はかかる
はたして石勒はいかように戦うか

432: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/06(日) 06:56:52 ID:K7Zl95550
石勒て中国での評価てどんなもんなんだろう?

433: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/07/06(日) 09:37:52 ID:aoezTqLu0
やっぱ、奴隷出身+文盲という点がクローズアップされてるみたい
あと、祖逖の宿敵(北伐は教科書に載ってる)、仏図澄の庇護者というあたりか

世界史的な評価は、多分ドマイナーな人物だと思うが、匈奴という帝国・民族に止めを刺した人物と見ることも出来なくはない
晋の皇族も軒並みブチ殺しまくってるし
東アジアの旧来の価値観を徹底的に破壊した奴隷皇帝
シュールすぎるなあ

436: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/02(土) 16:00:50 ID:O8Q+buYS0
2chで石勒の人気高いから多少調べてみたけどあんま魅力感じないなあ
苻堅の方が親近感もてる
俺、変?

440: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/02(土) 18:13:42 ID:jqiNJ0ML0
石勒は、奴隷として売り飛ばされなきゃ、あんな畜生道には落ちなかったと思うけど
小部族の長として、平々凡々に暮らせたはずなのに自分自身をあんな境遇に落とした当時の社会に対し、復讐心を煮え滾らしたことは確かにやり過ぎかもしれないが、同情の余地は十分にある

苻堅の場合は、慕容部に嵌り始めてからの盲目っぷりが目に余る
慕容垂に対する態度は異常
ホストにはまったおばさんみたいだ

442: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/08/09(土) 18:15:14 ID:5zJuQXRZ0
しかし、石勒→石虎→苻洪→苻健→苻堅の流れは結構重要だと思うんだがな
特に、石虎時代の中原の政情安定がどれだけ後の華北に影響を与えたか
「暴君」石虎の時代があってこその、前秦という多民族融合国家だったわけで

474: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/17(土) 21:36:10 ID:R4HTDZAc0
石勒配下の将軍って影が薄いよな(前趙にも同じことが言えるが)
まともな出自の連中がいないのが大きいんだろうな
赤眉や黄巣あたりの連中も似たような感じ
彼らと後趙政権の明暗を分けたのはいったい何だったんだろうか?

475: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/01/17(土) 21:44:00 ID:R4HTDZAc0
連投になるが

王浚がいつまで経っても、幽州に居座ったままで中原進出に積極的に乗り出さなかった理由が不明瞭だ
たまに冀州に出張っても、鮮卑・烏桓たちの出稼ぎぐらいですぐに帰ってきちゃうし、よく分からん

まあ、漢民族の軍閥として評価すると何考えているか分からんただの有力な軍閥の領袖なんだろうが 漠北の遊牧世界の覇者として見れば、久方ぶりの大権力者にも見えなくもない
中原進出よりも、草原世界での覇権確立に興味があったんかな?


593: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/07/09(金) 14:54:55 ID:5ApESdbuO
寝返りを受け入れる場合と拒否する場合があるけど違いはなんだろう
祖逖の場合は何となくわかるけど他の基準がイマイチわかりません
王彌の時も最終的に殺しているし

594: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/07/09(金) 17:55:51 ID:fbBJSOrf0
>>593
王彌はあからさまに札付きの危険人物だからだろ?
やばくなさそうなのは受け入れて、やばそうなのは受け入れない。
それだけじゃないか?

595: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/07/09(金) 19:10:29 ID:5ApESdbuO
王彌じゃなくて王浚でした…(游統の件)
王彌は劉聡も嫌っていたのかな?

603: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/28(月) 14:35:19.45 ID:sj9idQIwO
石虎を斬らなかったのが石勒最大の失敗だな
徐光の言うこと聞いとけ

604: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/02/28(月) 19:33:53.33 ID:XdJ8Y/300
いくら乱暴とはいえ可愛い弟分を危険分子って理由で殺せないだろ
年の離れた実の弟みたいな存在だし
彼を奴隷にさせた責任感とか色々あるだろ…
そこら辺の人情味が石勒の魅力じゃないの?

605: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/03(木) 23:12:00.91 ID:yPLzIzH20
結果を知っていればともかく、未来がわからない軍部は石虎が、これといった理由もなく処分されたら、軍部の離反を招いた可能性がある。
徐光も未来が読めていたわけではなく、シビリアンコントロールと皇帝権の増大、漢人勢力の増大をより考えていた可能性は否定できないし。

未来が読めない石勒には、あれが限界だったんだろうな。

606: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/03/26(土) 12:23:36.17 ID:zne4y0cP0
でも粗暴だったのはわかってるし、何らかの手は打っておいて良かったのでは?

609: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/07/28(木) 10:06:20.95 ID:Q7KkIIs10
石勒の行動はベースが保守というか安全で、身内が生き残るのが最優先だったし、出自を考えれば当然の行動だと思うんだけど劉曜や段文鴦を捕まえたあたりになるとちょっと変わってくるけど
転機はどこだったのかな

614: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/14(水) 18:47:37.11 ID:/0cCXYF2O
張賓以外の漢人ブレーンって誰がいる?

626: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/02/06(月) 00:32:11.63 ID:OK1Ls5pC0
>>614
王浚や劉琨経由だけど、裴憲・荀綽・崔悦もそうだな。
でも後趙ぐらいまでの漢人文臣はあくまで魏晋以来の名族が主で、各地域に根差した豪族が参画しだすのはやっぱ前燕以降だなぁ。
北平陽氏とか渤海封氏とか。

643: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/05/27(日) 12:47:06.29 ID:xjtQGQ9YO
石勒は石虎と実力が拮抗する人物を作れなかったのも失策だな。

姚弋仲がそれにあたる人物ではと思う。石虎に対しても、けっこうタメ口きいてたりしてもOKだったみたいだし。そして後趙への忠義も厚い。

ただ、後趙へ仕えたのが前趙滅亡してからなんだよな。せめて石勒があと10年生きてくれたら、影響力ある地位につけて、石虎と姚弋仲が並び立てば、後趙も永らえたのではないかと。

644: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/05/28(月) 10:23:25.94 ID:yrSsHXUb0
もうこの時代の軍人は独立独歩志向しかしないしそうしなければ生きていけないよ。

引用元: ・石勒



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