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1: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/10(日) 02:47:13 ID:ErgFT5T1
当時の日本は人口も多く武器も勝っていたのに、朝鮮すら征服できず、満州族は人口も少なく、武器も劣っていたのに、どうして比較的短期間で中国を征服できたの?。








4: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/10(日) 03:01:38 ID:1sW+53K8
玄海灘の荒波は思った以上に高く、大陸に関する認識が低く、他民族支配のKnow-howが無かったからじゃないの。

女真族は過去に金朝を建て華北を支配した実績があるしね。

18: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/12(火) 07:37:42 ID:mcTriZ8v
まず日本軍は騎兵主体でないから、大陸を制圧するだけの機動力に欠ける。
ヌルハチの跡を継いだホンタイジは、朝鮮へ攻め入った際、鴨緑江を渡ってから、わずか6日間で漢城まで進撃しているけど、これほどの進撃速度の実現は、歩兵主体の日本軍じゃ無理だろう。

それに清朝は、投降した明軍を次々と自軍に吸収したし、明朝の統治機構もほぼそのまま継承している。
日本は、大名制度を持ち込もうとしていたけど、明朝の行政システムを一度破壊するなら、新しい行政システムを構築するのに大変な手間が必要になったと思う。

何より清朝が中原へ侵入した時、明朝は既に内乱によって自壊していた。

23: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/13(水) 00:30:26 ID:enjYw1LF
順番が逆だったら?

明朝が崩壊したのはよせばいいのに、朝鮮に軍を送って疲弊したのも一因
つまり、秀吉のおかげで満人が中国を乗っ取れたわけだ。

先に明朝が満人と戦って、あとから日本が乗り込んだらどうなっていたか

25: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/13(水) 02:13:22 ID:aWJZQuRD
明は万暦に滅びたと言われてるんだから、もうどう転んでも崩壊したと思うけどな
日本軍による疲弊というよりは李自成と後金の板挟みになったことでヒーヒー
清が中原に入れたのは呉三桂が味方に付いたことが大きいだろう

日本としてはむしろ鄭成功の援軍要請に応じて台湾以下貿易拠点を南方に抑えた方が夢広がりんぐって感じだと思うが

26: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/13(水) 03:39:05 ID:ZzN8qEZF
時間じゃない。
元にしても、清にしても中国征服には何十年もかけて、子や孫の代に可能になってるんだから。
日本だったら、家光の代くらいまで粘れば、可能だったかもね。

27: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/14(木) 15:25:35 ID:lKLvM+fC
>>26
ただ、朝鮮ルートだと必然的にまずは後金・清と戦わなくちゃならないのでは?

28: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/14(木) 18:46:36 ID:/C6miocr
>>26
あとそこまで粘るだけの意欲ですかね。
清はなんだかんだで三代に渡って明征服の意思を捨てなかった。
これは代々の指導者の性格もあるだろうけど、中国本土と密接に係わっていて、日常的に接触・衝突を繰り返していたという、民族全体の状況が大きいと思う。
日本程度の係わりあい方では、征服しようという意思がそこまで継続することはありえないでしょう。

33: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/24(日) 12:25:44 ID:+ZavSDU/
中世以前の渡航能力では、日本と朝鮮半島の距離では文化や人の交流は出来ても大規模な軍事行動は出来ない
秀吉に限らず近世に入るまでどの国も成功した例がないというのが世間の常識
機動力がどうのこうのとか虐殺がどうのこうのと珍説を撒き散らしているヤツはまずは常識を学ぶべき

80: 人間七七四年 2007/05/28(月) 07:28:19 ID:K3i8ozJ4
>>33
第二次ポエニ戦争のローマ軍は?
イタリアから北アフリカまで渡洋・勝利してるが。

84: 人間七七四年 2007/05/29(火) 22:05:41 ID:6D5kY3V6
>>80
シラクサとチュニスの距離

36: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/02(金) 13:07:49 ID:qck0A3BI
それと追加するが、海峡わたってさんざんフランスに攻め込んだイギリスや海を渡ってイギリスを征服した北欧の海賊どもはどうなる?
暗黒の中世時代だぞ。

37: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/02(金) 13:18:16 ID:pmjjdxp6
>>36
規模が違う

49: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/11(日) 04:09:12 ID:7u5n7uz4
>>36
ドーバー海峡は距離も短いし波も穏やかだから
中世の未発達な渡航技術でも戦争が出来たんだよ
88: 人間七七四年 2007/08/05(日) 21:04:58 ID:aTVRh6O9
日本の水軍には何が足りなかったの?

90: 人間七七四年 2007/08/07(火) 20:40:31 ID:j3y6C7iW
>>88 
竜骨を持った戦闘艦艇。

38: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2007/02/02(金) 13:18:27 ID:H5t9s+mk
朝鮮の役の頃の秀吉の意欲と威厳はかなり低下していたと思う。
現地の武将が秀吉に無断で勝手に調停工作しているなんて普通じゃないよ。
秀吉が耄碌しているから日本軍全体のタガが緩んでいたのが勝てなかった原因だと思う。
もしも秀吉がもう少し若い頃に意欲満々で自身で全軍率いていたら明朝を滅ぼして大陸を手に入れたかもなと思う。

66: 人間七七四年 2007/03/19(月) 23:27:30 ID:yFqa6GpW
日本からすると海を越えてまで中原を手に入れたいか?
動機だと思う。

戦国期の日本はなんだかんだ言っても生産力が爆発的に伸びた時代。
そんな時代に貧しくて小汚い大陸に行って何を得る気かと。
実際問題として、秀吉没後、武将はあっさりと引き上げて、日本は世界的にも見事なほどに安定&繁栄している。家康は大陸に全く興味がなかった。
秀吉ですら、出兵の本当の狙いは肥大化した武将の武力を削ぐためだったのではないかと
いう説まである。

満州族はかつてのモンゴルと一緒で、貧しく不安定だからこそ攻め入るわけで。
何十年もかけて中原に攻めるだけの動機がそこにある。
純粋な武力衝突のみでいえば、明軍は日本軍に比べれば弱すぎて話しにならない。
陥落した倭城はひとつもないし、明軍は最終的には戦意を失い秀吉没後の日本と講和(?)に応じて終結した。

もし日本が大陸と関わって利益を得るのであれば、あんな土地を得ても仕方がない。
南蛮人と同じように海洋ルート上の港を支配してゆき、貿易で利益を得るほうが現実的だったはず。
ただその場合、キリスト教勢力といつか激突するはめになっただろうが。

67: 人間七七四年 2007/03/20(火) 15:33:25 ID:eV1GzsXH
一口に大陸と言っても千差万別なわけだけど。
少なくとも江南地域に関しては、農業生産力がある上に商業も発達して、当時の世界で最も富裕な地域の一つ。
明朝の財政は9割方この地域からの税収で賄われていたと言われるぐらいだし。
明朝を創建した朱元璋も、江南一帯の支配権を手にしたことで、ほぼ天下の権を手中にしている。
もしこの地域を直接支配することができれば、莫大な収益が望める。

地域にもよるけど、大陸に領土を得ること自体は決して損なことではない。
ただ、現実問題として、日本から遠く離れた場所の統治は難しく、維持が困難なことを、秀吉や家康も見抜いていたのかも知れない。

68: 人間七七四年 2007/03/20(火) 18:30:57 ID:IEfE/rqH
>>66
>肥大化した武将の武力を削ぐためだったのではないかと
それはあるかもな。
ちなみに武将の武力じゃなく、諸大名の武力だろうけど。
世の統治者は反乱を起こされないように芽を摘む。
もっとも名高いのは徳川の参勤交替。
秀吉も諸大名の力を押さえようと腐心してたし。
そこから黒田の野心の逸話まで生まれたわけだ。
大陸進攻に豊富の財より、諸大名に出費を強いたのが、より信憑性をもたせる。

70: 人間七七四年 2007/03/20(火) 20:13:58 ID:EimUgj6H
それだと大敵の徳川がスルーなのがおかしくね
一族扱いの宇喜多が関ケ原では疲弊してたってのもマヌケすぎるし

71: 人間七七四年 2007/03/20(火) 20:43:40 ID:IEfE/rqH
小牧・長久手の後、秀吉は政治的な謀略で家康を縛っていた。
もし内乱の火種にでもなれば、恥となるように。
推測だが、諸大名への押さえ役でも任せたかったのかも。
そのためにも、そして三河武士に不満を抱かせないためにも多少のわがままは許した、とも考えられる。
宇喜田は・・まあ豊臣性じゃないし。
権力を持つ一門が多すぎると国が割れる。
徳川が松平という家名を格下にしたのも、同じ理由。

72: 人間七七四年 2007/03/20(火) 21:56:10 ID:eV1GzsXH
この時期の秀吉は、実のところ、徳川よりも、毛利や島津への警戒心が強かったんじゃないかな。

73: 人間七七四年 2007/04/01(日) 00:17:04 ID:tRTmfZDP
唐入りが失敗したから、徳川の不参加は結果として吉と出たが、遠征が成功していれば(当然秀吉は成功させるつもりだった)
むしろ徳川の力を相対的に削ぐことになっていたはず。

75: 人間七七四年 2007/05/07(月) 23:08:29 ID:Ux7TYTID
ヌルハチは明軍に大敗した時の負傷がもとで死亡しているし、その子孫の清軍も明が李自成の乱で滅亡するまでは、結局山海関を越えることができなかった。
それに、李自成軍を駆逐してくれたのも、基本的に明軍の残党たち。
李自成滅亡後、そういった連中の三藩は、南部で独立した国のようになってしまった。

76: 人間七七四年 2007/05/17(木) 17:30:27 ID:35jHJlJL
一代だけの評価で秀吉が失敗したと言うならヌルハチも失敗した事になるわな。


93: 人間七七四年 2007/08/10(金) 21:15:53 ID:yNzOHCmV
秀吉は「面制圧」にこだわりすぎた。
半島に渡ると、異様に細かく拠点製作。

ヌルハチは元からあった都市のみを狙って「点攻略」。
これはジンギスカンも同様。

「農民出身」ゆえ、土地の面の確保にこだわった秀吉。
「遊牧民」ゆえ、都市という点を攻略することを重視したヌルハチ。

94: 人間七七四年 2007/08/10(金) 21:20:55 ID:godI1Edw
貧しい朝鮮を占領しようとしたのが失敗。
朝鮮は中継地のみ占領して、北京に攻め込めばよかったのだ

95: 人間七七四年 2007/08/20(月) 09:24:42 ID:rlOu2z1s
何で明に敗れた時の傷が原因で死んだヌルハチが、成功したことになってるんだ?

96: 人間七七四年 2007/08/20(月) 10:10:56 ID:KYNmG0Ax
そりゃ清朝の基礎を作ったからだろう
信長と同じだと思うが

97: 人間七七四年 2007/08/20(月) 14:21:27 ID:7VxMBtZ8
ヌルハチが死ぬ直前では満州を統一して遼東あたりを占領しただけ
秀吉が死ぬ直前も日本を統一して朝鮮の南部を占領

よく似たものだろ。

98: 人間七七四年 2007/08/20(月) 14:22:52 ID:7VxMBtZ8
違いといえば死後に政権が崩壊したかどうか。

99: 人間七七四年 2007/08/20(月) 18:33:03 ID:jWmsnRyS
それは極めて大きな違いだと思うけどね。

100: 人間七七四年 2007/08/20(月) 23:48:17 ID:4JyvmjUA
ヌルハチの場合は死後も明を征服しようという意志で合致していたが
豊臣政権の場合は秀吉が死んでまで明を征服しようなどと考える奴はいないし
逆に酷使された恨みで内部分裂が発生したからな

104: 人間七七四年 2007/08/22(水) 09:37:55 ID:IRe6M3dF
大陸民族である満州族には子孫の生存と繁栄のため、明を征服する大きなメリットがあり世代を越えた強烈な動機がある。
日本人にはメリットも世代を越えた強烈な動機もない。大陸侵攻は戦国の余技にすぎない。

105: 人間七七四年 2007/08/23(木) 19:56:34 ID:FcOc91Qn
>>104
同意。
満州族は金の頃に中国北部を制圧したことがあるし、明の時代には逆に実質的に分割統治をされていたように、中国との係わり合いが極めて深い。
そのため中国を征服するという目標は、広範な層に世代も超えて支持されやすい。
だからこそ3代に渡って、特に順治帝は幼少だったのに征服事業を継続することが出来た。

日本も、もちろん交易や倭寇の活動等で中国と係わりはあったが、満州族に比べれば浅いものなので、多くの人にとって中国征服は現実的なものとはなりにくい。
だから世代を重ねるうちに手を引くことになる可能性が高いと思う。

よって仮にヌルハチが先に明を攻撃し、その後日本が手を出したとしても、いずれ年代を重ねるうちに日本は手を引き、結局満州族が征服を完成するという方が、よりありえそうな展開だと思う。

106: 人間七七四年 2007/08/30(木) 11:24:47 ID:rX+Xcztz
朝鮮ルートを採ったのが最大の失敗。
あんな不毛の地では現地調達が出来ず、飢えて身動きが取れない。
ま、これは明側も同じだが。
結果、双方身動きが取れず、膠着状態に陥ると。

明征服には沖縄~台湾ルートの方が、まだ良かった気がする。
そして、明の生命線である江南を攻略。
ここを占領すれば、明の経済に大打撃を与えられたろう。

109: 人間七七四年 2007/08/30(木) 17:16:47 ID:c2/kukjL
大兵団による渡海技術が未発達だから、そもそのルートは採れない。
難破船、沈没船続出で大陸に着く頃には半数以下になってるよ。

110: 人間七七四年 2007/08/30(木) 23:55:43 ID:rX+Xcztz
>>109
短期での攻略は想定していない。
まず最初に、琉球と台湾を攻略。
これは薩摩藩が実証したように、極めて容易だろう。
そして、そこを根拠地にして明侵攻のための準備をする。
可能ならば、ベトナムの黎朝と同盟。

114: 人間七七四年 2007/08/31(金) 19:00:49 ID:3fOnMyCZ
>>110
島津が琉球を落せたのは、そこ送れるだけの少数の兵力で可能だったから。
仮に琉球台湾を少数の兵で落しても、そこに大陸へ侵攻する為に必要な、10数万になるだろう兵力を駐留させることの方が、当時の航海技術から難しい。
また、琉球・台湾の当時の生産力ではそれだけの兵力を養えないだろうから、わざわざ兵糧等も送らなければならない。
そんな無駄なことするなら、むしろ最初から一か八か本土に一気に攻め込んだ方がまし。
もちろん、それが極めて危険な賭けになったのは間違いないと思うけどね。

112: 人間七七四年 2007/08/31(金) 08:44:26 ID:etZyx8MM
有馬は余裕で台湾まで攻めたけど?

113: 人間七七四年 2007/08/31(金) 13:14:08 ID:9tHmDuOp
>>112
成功してないだろ?

マゼランが世界一周したからって当時の欧州海軍が世界のどこへでも遠征出来た証明にはならない。航海できた証明にはなるかもしれんけど。

小規模船団がたどり着くのと数万の大群が遠征するのとでは話が根本的に違ってくる

引用元: ・ なぜ秀吉は失敗しヌルハチは成功したのか



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