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1: 世界@名無史さん 04/05/15 15:09
長い間ソ連支配下で経済が遅れてしまったが、それでもヨーロッパ随一の文化大国である偉大なチェコ共和国。
この国について何でも語れ。
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150: 世界@名無史さん 04/07/22 20:56
今更ながら・・・、チェコというのは「ボヘミア」と「モラヴィア」から成るんですよね?
ボヘミアがモラヴィアを征服したんですか?
「チェコ」という国名は、どこからきたのでしょう?

152: カラジチ ◆mWYugocC.c 04/07/22 22:23
>>150
「征服した」というと語弊があるような。
プシェミスル朝時代にはモラヴィアにボヘミア大公の支配が及んだ時期もあったようですが、ボヘミアとモラヴィアは別個の領邦として存在していたようです。
ボヘミアと神聖ローマ皇帝の力関係から、モラヴィアがボヘミアの一部になったり、帝国の直属になったりと揺れ動いてますけど、「征服」というような形式をとったわけではない。
19世紀には、ボヘミアとモラヴィアとシュレジエンを合わせた「聖ヴァーツラフの王冠」という概念のもとで、両者は一体のものと考えられるようになっていったようです。

>「チェコ」

ttp://zaqro34.hp.infoseek.co.jp/SOCCER/UEFA/czech.html
ここによれば「最初の人」という意味のようです。

155: 世界@名無史さん 04/08/10 18:14
142 :世界@名無史さん :04/07/03 19:48
少なくとも「オーストリア皇帝」の称号が生まれた18世紀初頭以降、皇帝は常にハンガリー王、ボヘミア王を兼ねてきた。

マニアックな質問でスンません。
クロアチア王位は兼ねなかったんでしょうか。

156: 世界@名無史さん 04/08/10 19:53
>>155
クロアチア王位は早くからハンガリー王位に吸収されていました。

159: 155 04/08/17 18:25
>>156
そうなんですか。

でも、クロアチア議会(サボーイ)との関係でみて、王位は、残っていなかったのかなぁ。
たしかに、クロアチアも、そしてハンガリー自体もトルコに半分くらい占領されているし、そのときこそ、王位は消えそうですけど。

ウイーン体制の成立時に、ナポレオンによって、イリリア地域に組み入れられていたクロアチア領域が、ハンガリーからオーストリアに所属替えの話があり、その際、サボーイが反対し(よくぞ、残っていたと思う)て、ハンガリーに所属することに落ち着いたと聞きましたけど。このとき、クロアチア王位は、復活させなかったのかなぁ。
また、1848年に三位一体王国が一時できたけど、こいつはどうなったんだろうと。

161: 世界@名無史さん 04/08/21 09:09
アニメが盛んな国だよね
日本でももっと上映してほしい

163: 世界@名無史さん 04/09/01 19:05
>>161
チェコのアニメは独自の味があるよね。
なにか下地になる伝統文化があるからだろうか?

165: ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 04/09/01 21:19
>>161
人形劇の伝統ではないのでしょうか?

164: 世界@名無史さん 04/09/01 20:58
>>163
有名な画家は聞いた事無いが。
書画や漫画の類かな?

166: 世界@名無史さん 04/09/01 21:43
>>164
ムハ(ミュシャ)

168: 世界@名無史さん 04/09/02 15:01
>>164
クプカ

170: 世界@名無史さん 04/09/10 21:58:20
対するスロバキアのほうはなんか話題に乏しいなあ・・・
経済的にもチェコに届かないようだし。
ここ出身の有名人いたっけ?

172: ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 04/09/10 23:23:50
>>170
ずっとハンガリー領でしたから・・。
歴史上でいうとアールパード朝の終末期からアンジュ-朝の初期にかけてトレンチーン城を根城にハンガリー王室に対抗できるほどの力を持った大豪族チャーク・マーテ(マティアス・チャーク)とか、スロバキア地域を占拠してハンガリーの摂政フニャディ・ヤーノシュと争った傭兵隊長ヤン・イスクラぐらいしか思い浮かびませんね。

最近だとプラハの春の時のドブチェク第一書記がスロバキア出身だったはずです。
あと近年スロバキアはモデルさんの産地?として有名だそうですよ。

176: 世界@名無史さん 04/10/14 23:03:10
西スラブ系の言語がキリル文字を用いなかったのは正教に対するカトリック国だったゆえ?

177: 世界@名無史さん 04/10/15 15:35:13
>>176
ラテン文字を使っているのはカトリック圏だったからだけど、別に正教に「対抗」したわけではない。
彼ら西スラブ人が「対抗」したのは、同じカトリックの、神聖ローマ帝国、つまりドイツに対して。
ドイツ人に侵略の大義名分を与えないため。
現在は東ドイツにあたる地域に存在したソルブ人の国々はキリスト教を受け入れず、侵略されてしまった。
キリスト教国家としての建国はまず、チェコのモラビアから、それからポーランドとハンガリー。特にポーランドは直接バチカンから大司教座を誘致したという。

178: ギシュクラ・ヤーノシュ ◆5i6wQS3C8w 04/10/16 01:47:27
>>177
ハンガリーも神聖ローマの影響力を排除するのに苦心してますね。
ここの場合はローマとビザンツを両天秤にかけるようなことをしています現存する聖イシュトバーン王冠と言われる王冠の下の部分はビザンツ皇帝から贈られたものです。

185: 世界@名無史さん 04/12/14 22:31:05
>>177
西スラブ人が「対抗」したのは、同じカトリックの、神聖ローマ帝国、つまりドイツに対して。
ドイツ人に侵略の大義名分を与えないため。

ドイツ人の入植はユダヤ人のそれと同様、ポーランド自身が望んだし、歓迎されたこと
現在、ポーランドが西スラブとよばれ、同族のロシア人が東スラブとして区別されるのもドイツ人の入植によって、ヨーロッパ化がすすんだためだった。
それによって経済は発展し、主主の手工業、貿易、さらに,都市の作り方もドイツ人から学んだ。
西スラブ人にとって、ドイツ人は自らを開花してくれた恩人にも等しかった。
こういった歴史の経緯がなければ、チェコ人もポーランド人もただの蛮族の一スラブ人に過ぎなかったし、ロシア人とおなじ境遇にあったのではないか。

187: 世界@名無史さん 04/12/15 00:20:11
>>185
ドイツ人の入植が始まったのは、ポーランドのグニェズノ大司教座にオットー三世が参詣し、神聖ローマ帝国とポーランド王国との関係が真に良好になってから。
ボレスワフ一世の時代に神聖ローマ帝国はポーランドをキリスト教世界の王国として承認していたが、両国の緊張関係は続いていた。

オットー三世のグニェズノ参詣があってから、ポーランドはドイツ人入植を歓迎するようになった。
ただし、13世紀から14世紀にドイツ人入植者は自治権を求めてしばしば騒乱を起こし、ポーランド政府や地方の地主と対立し、押さえ込まれた。

また、ポーランドに文化をもたらしたのはドイツより、むしろイタリア。
特に14世紀カジミェシュ大王の時にイタリアからルネサンス文化が入り、大王はポーランドを「木造の国」から「石造りの国」にした王だと言われる。
ポーランド人(特にマグナートを含む金持ちのシラフタ階級)はイタリアのものを好み、イタリアから来るものならなんでも有難がって受け入れた。
現在でもポーランドがドイツよりもイタリアとの関係が深いのはこういった歴史的経緯による。

チェコはドイツ、その後はオーストリアの影響が強いが、ヤン・フスの運動など、民族としての覚醒が早く、支配者であるドイツ系住民の下でも自己の文化を醸造していった。
さらに、西スラブというのは言語学的区分けによるもの。東スラブ、南スラブとは言語系統が異なる。

193: 世界@名無史さん 04/12/18 01:29:30
>>187
>特に14世紀カジミェシュ大王の時にイタリアからルネサンス文化が入り、

でも、ポーランドが本格的にルネサンスのイタリア文化を受け入れ始めたのは15世紀後半に入ってからで、16世紀になってはじめてその黄金時代を迎えたのではないのか
それ以前の14世紀のカジミェシュ3世の時代のドイツ人の東方殖民による農村建設、都市建設、さらに鉱山開発はこの時代頂点に達するが、それはポーランドのヨーロッパ化を意味した。(東欧を知る辞典(平凡社)より)


195: 世界@名無史さん 04/12/18 01:47:04
>>193
要は、文化はあるていど国が落ち着いてからでないと受け入れられる余裕はない

188: 世界@名無史さん 04/12/15 00:28:52
ポーランドはチェコと違って、ゴシック様式の建物がほとんどなくて、ルネサンス様式やネオ・ルネサンス様式の建物が多いと言われるよな。

189: 世界@名無史さん 04/12/15 00:44:26
>>188
トルンとかグダンスクとか、ドイツ人街のあった都市はゴシック様式の建物もある。

205: 世界@名無史さん 05/01/09 20:36:49
やぶからぼうに聞きますが、ボヘミア王国にモラビアが含まれているのは、最初からですか。
別に含まれている訳ではなく、宗主権を認めているくらいですか。

206: 世界@名無史さん 05/01/10 00:47:27
モラビアはボヘミアより早く7世紀初めに大モラヴィア帝国として存在している。
創始者はサモというスラヴ人。
だが大モラヴィアはモラヴィア、ボヘミア、スロヴァキア、オーストリア、ハンガリー、シレジア、ルサチアなどの広大な土地を支配した多民族国家。
支配層は現在のモラヴィア人とスロヴァキア人の先祖。
この大モラヴィア帝国は次第に衰退し、907年に侵入したマジャール人によって滅亡する。
その前の895年にボヘミアがフランク王国を宗主国として帝国から離脱しボヘミア王国となる。
ボヘミア王国はスラヴ人のプシェミスル家の支配下にフランク王国に従属する形で独立。
995年にはチェコ人と呼ばれるようになる。
950年にボヘミア王国はオットーI世に従う形で神聖ローマ帝国の一部となり、ボヘミア王家は神聖ローマ帝国の7つの選帝侯の一つになる。
その後ボヘミア王国がモラヴィアを支配下に治めたのは11世紀初め。
ただしモラヴィア侯として、ボヘミア王の息子達のうち年下の者が治めた。

207: 世界@名無史さん 05/01/21 20:56:56 0
>>206
大モラビア衰退の理由は何ですか?

208: 世界@名無史さん 05/01/22 04:16:08 0
>>207
相続で諸侯の領地が細分化され王権が弱体化して国家財政が貧窮してしまったからでないの?
モラビアでは王の長子だけでなく男系嫡子全てに相続権があったから。

224: 世界@名無史さん 2005/06/25(土) 16:29:09 0
モラビア国時代のチェコは東ローマ(当時のギリシャ)と関係強めようとしてたみたいだな。
モラビア国が正教系キリスト教を受容したり東ローマと同盟してたらどうなってたんだろうな。

225: 世界@名無史さん 2005/06/25(土) 17:21:02 0
変な疑問だな。
モラビア王国時代はそのまんま正教だぜ。モラビア正教。
司教はコンスタンチノープルから来ていた。
モラビア滅亡後ボヘミア王国がローマカトリックを受容してこれが国教になった。

それに東ローマ(当時のギリシャ)じゃなくてギリシャ(当時の東ローマ)だろ。

253: 世界@名無史さん 2005/09/08(木) 06:33:49 0
誰かチェコのライオンのシンボル鷹(鷲?)のシンボルの意味ご存知ですか?
あちこちでみるけれど、ライオンだけのときと、鷲だけのとき、両方あるとき、とさまざまでした。
王宮はライオンだけだったなぁ。。
200px-Coat_of_arms_of_the_Czech_Republic.svg


259: 世界@名無史さん 2005/09/13(火) 23:15:32 0
>>253
双頭の鷲は神聖ローマ帝国。
ライオンはヤゲロー朝?立ち上がったライオンはとにかくチェコのマーク。 
盾に書いてある紋章だからその辺で合体したのか?

260: 世界@名無史さん 2005/09/14(水) 05:40:52 0
>259
ありがとう!実は昨日画像検索してたら、意外なところで情報みつけたです。
www.peterstrich.com.au/wcoins/cz/cz_02.htm
チェコのシンボルの獅子、モラヴィアの鷲と、シレジアの鷲だそうです。
由来までは書いてませんが…
ヤゲロー朝ってポーランド王家でしたっけ?

273: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 04:35:09 0
プラハに、“共産主義の犠牲者の像”はまだあるのかしらん?
ほかにもブラームスとかフスとか、どうもソ連が贈ったっぽい銅像は残っているのかな、撤去したのかな?

275: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 06:16:14 0
>>273
実は評判が悪い、とうニュースをRadio Pragueで聞いた。
壊されたこともあるとか。

274: 世界@名無史さん 2005/09/28(水) 05:09:58 0
いっぱいあった。ヴァーツラフ広場にはいくつも、ずらっと。
他にもペトリンヒルの傾斜だとか、あちこち見かけた。
連れが「チェコ人って本気で共産主義嫌いなんだな」と思わず漏らしてた。

ブラームスは知らんが、フスって旧市庁舎広場の?

285: 世界@名無史さん 2005/10/05(水) 10:18:09 0
一応、キリスト教国のくせに無宗教の割合が多いのが怪しいよね

286: 世界@名無史さん 2005/10/08(土) 00:34:10 0
共産主義では宗教が弾圧されたからじゃないの?
日本も無宗教が多いというか、神道は入信とかないから、自分で自分の宗旨がわからない。キリスト教は洗礼をうけないと信者じゃない。

379: 世界@名無史さん 2006/02/15(水) 01:48:45 0
チェコ人の民族意識というのはいつごろから明確なものになるのかな?
やはり、フス戦争が経緯?

コスマス年代記?だったか、プシミシュル家のオットカル2世がドイツ系の移民を大量に受け入れて貴族達から顰蹙を買ったとかいう記述があるらしい。

381: 世界@名無史さん 2006/02/18(土) 12:41:50 0
ウドヴィト・シュトール(1815-1856)チェコ語の復興に“失敗”
偽手稿事件 1817,1819
民族劇場落成 1883
このへん。
チェコ語は一度死んだ言語。つーか文法はおおむねスラブ語で単語はドイツ語でローマ文字なので外人にはわからないんじゃないのかな?


382: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 02:01:20 0
>>381
それは民族意識といっても近代的なもんだろう。
質問はもっと素朴な次元の話だと思うが?

383: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 02:49:25 0
素朴か
それ以前は、
農奴:家畜みたいなもの 知っているのは、隣の村の教会の塔まで。
貴族:フランス語が主流 チェコとかローマ帝国とか余計なことより、自分の領地が大事。
ユダヤ人(プラハに移住):これは今でもユダヤ人。 ナチの迫害に耐えて(?)いまでもいる。

388: 世界@名無史さん 2006/02/22(水) 00:56:10 0
>>383
中世のボヘミア王国の貴族はドイツ語を話していたんじゃないか?
カレル4世は金印勅書で選定候の子弟はドイツ語のほかにラテン語、イタリア語、スラブ語の教育を受けるべきだと金印勅書で書いている。

384: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 18:28:12 0
フス戦争をチェコ人の外国に対する闘争と捕らえること自体近代民族意識だしな。

385: 世界@名無史さん 2006/02/21(火) 18:55:14 0
いやフス戦争は紛れもない民族戦争だよ。
チェコ人のスラブとしての覚醒によってドイツゲルマンに対し起こされた戦争。

387: 世界@名無史さん 2006/02/22(水) 00:49:25 0
>>385
そういう側面もないではないと思う。
ただ、ターボル派の総指揮官だったプロコプはドイツ系の人間だったのも事実です。

391: 世界@名無史さん 2006/03/10(金) 06:56:45 0
チェコの鉱山は銀山だっけ?

393: 世界@名無史さん 2006/03/10(金) 12:37:46 0
金が出るところには銀もある。
銀が採れても、金があるとはかぎらない。

394: 世界@名無史さん 2006/03/17(金) 19:46:59 0
アレクサンドロスの資金源はパンガイオン金山と言われている。
フス派の資金源は、銀山?そんな単純な話じゃないのかな?

399: 世界@名無史さん 2006/03/28(火) 14:52:24 0
チェコの工業化は何が原因でしょうか?

401: 世界@名無史さん 2006/03/28(火) 17:53:55 0
>>399
それはオーストリア時代の投資です。
ポーランドでもオーストリア支配下の南部地域一帯は工業化されてます。
スロバキアはハンガリーの支配下にあったので工業化が遅れました。

402: 世界@名無史さん 2006/03/29(水) 06:14:36 0
じゃあ、ケプラーがいたのは関係ないのかな。

397: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 18:33:59 0
中公新書で入門書がでましたね。

398: ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. 2006/03/27(月) 23:36:50 0
薩摩先生の「物語チェコの歴史」ですね。

405: 世界@名無史さん 2006/04/04(火) 21:50:10 0
>>397-398
ボヘミアのことも「チェコ」と呼んでますけど、あれで正しいんですか?
それとも入門書だからあえてそうしたのでしょうか?

406: ギシュクラ・ヤーノシュ ◆4yzbf0MFE. 2006/04/04(火) 23:22:00 0
ボヘミアはチェコの英語名で、独語名がベーメンだったかと思います。

407: 世界@名無史さん 2006/04/05(水) 01:58:54 0
で、ボヘミア王を「チェコ王」、「ボヘミアとモラヴィア」の代わりに「チェコとモラヴィア」と表記するのはありなんですか?

409: 世界@名無史さん 2006/04/05(水) 09:58:05 0
>>407
ボヘミアは地名でチェコは「チェク人の国」の意味だから、特に神聖ローマ帝国関係でかの地に言及する時はチェコは使わないほうがいいと思う。

412: 世界@名無史さん 2006/04/05(水) 23:07:43 0
>>407
チェコの領域はボヘミアとモラヴィアの一部だから、「チェコとモラヴィア」という言い方はおかしいな。

チェコは16世紀から徐々に成立した西スラヴの一民族名(およびその言語)、あるいは第一次大戦後のチェコスロヴァキア共和国成立以降のチェコ共和国を指すから、ボヘミア王を「チェコ王」とするのもおかしい。

534: 世界@名無史さん 2007/05/11(金) 14:34:22 0
ロシア革命直後のチェコでは、ロマノフ家を救いだして統一スラブ帝国を作ろうという動きがあったらしい。

引用元: ・●●●チェコ総合スレ●●●




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