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1: 世界@名無史さん 2008/09/03(水) 11:27:45 0
学校の教師は賛美してたが、よく調べると最悪じゃねえか
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フランス革命は最悪  









384: 世界@名無史さん 2009/02/25(水) 21:24:08 0
フランス革命が、取り返しのつかないぐらい急進化しましたからフランス経済の実害は多きいですね。

私個人の見解ですが、やはり“ヴァレンヌ逃亡事件”は良くなかった、ロベスピエールが共和制を唱え始めるのは、この事件以降ですし、民衆レベルでも「国王がいなくても太陽が上がるのか!」と驚いたとか。
この逃亡事件で国内の国王の信頼は崩れたと思います。

また完全に逃亡が実現出来ていれば話は違うのでしょう。

ただ“ヴァレンヌ逃亡事件”を急進派・コルドリエクラブが国王の国外逃亡事件として喧伝したのは濡れ衣であり、フイヤン派への攻撃でしょう。メッスを要塞化しブイエ将軍を司令官に篭城するのが、本来の目的のようです。

また、始めに国王に逃亡を進めたのは、ミラボー伯で、かれは国王がコンピーニュの森に逃げ込み、近衛隊やスイス人衛兵、王党派の国民衛兵隊を終結してサンキュロット対決する計画のようでしたし、他にもミラボーは、ルーアンに逃亡を薦めた事もあるようです。

ヴァレンヌ事件

ヴァレンヌ事件は、フランス革命時の1791年6月20日から翌朝にかけて国王ルイ16世一家がパリを脱出し、22日に東部国境に近いヴァレンヌで逮捕された事件である。

厳密には国外を目指していたわけではないが、亡命未遂事件と当時の人々に断定され、衝撃をもって喧伝された。結果としてフランスにおける国王の権威は失墜し、共和派が台頭して立憲王政の成立する見込みがなくなっただけでなく、反革命側にルイ16世がいるという認識が広まったことは国王処刑の原因にもなった。

385: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/02/25(水) 22:41:21 O
>>384
ヴァレンヌ逃亡事件の前に既に共和制を訴えていたのはマラー、エベール、ジャック・ルー、ショーメットぐらいだったようですね。4人ともコルドリエ・クラブ。
同会員でもダントンやデムーランはどう主張していたのかは知りませんが。
ロベスピエールやブリッソはまだ立憲王制の枠内での民主化を主張してましたね。しかし、この事件を機に・・・

事件後、シャンド・マルスで共和制移行誓願署名をしていた人たちに対して何でラ・ファイエットは発砲させたのか?
ロベスピエール、ブリッソ、クートン、ベルニオら主要な?にわか共和派はまだそこまで急進化していなかったから不参加だったし、シャンド・マルスに集まった人数もべらぼうなもんではなく、暴徒化もしていなかったのに。
国王の逃亡失敗も痛いですが、ラ・ファイエットによる虐殺も立憲王制並びに立憲王制派への人々の反感を強めたと思います。

388: 世界@名無史さん 2009/02/27(金) 01:18:11 0
>>385
>事件後、シャンド・マルスで共和制移行誓願署名をしていた人たちに対して何でラ・ファイエットは発砲させたのか?

やはり、フランス革命は、上級ブルジョワジーによる政治権力の掌握であり、サンキュロット=プチブル・事実上のプロレタリアートはお呼びではないと言う事なのでしょうね。

絶対王政下の大商人は、政治権力を握る宮廷貴族(アルトワ伯・プロヴァンス伯・ポリニャック夫人等々)を追い出して、代わりに上級ブルジョワジーが国王を支えつつ国王も彼らの保護育成を図るブルジョワ王政を求めていたのだと思います。ルイ16世自身もこれを目標にしていました。経済活性化による財政再建のためであり、イギリスの産業革命に対抗する為の産業政策でもあったと思います。
そういう意味ではルイ16世と上級ブルジョアジーの間には暗黙の了解があり、その時々の政局を乗り越える為に両者が取引する事はいわば当たり前だったのかもしれません。
ミラボー伯がその典型で、王室からかなりの機密費をもらって、ロビイストみたいな事をしていました。

そうなるとフランス革命で邪魔なのは、サンキュロット(事実上の社会主義)とエミグレ(絶対王政復活派)なので、革命戦争でエミグレとそれを支援する欧州君主国(ハプスブルグ家)を追っ払い、サンキュロットは、治安部隊(国民衛兵隊)で押さえ込むと言う事なんでしょう。しかし実際の政局では、パリ市内の貧困市民層がサンキュロットとして大衆武装デモ隊として政治力を握ってしまい、上級ブルジョアジーを圧倒したと言う事でしょう。特に対サンキュロット用の治安部隊として地方貴族や上級ブルジョアから期待されていたパリ国民衛兵隊がサンキュロットに同調する傾向があったのが致命的です。

こうなると、対サンキュロット用の治安部隊として期待できるのは、なんと国王の近衛隊と外人傭兵のスイス人衛兵隊となり、王党派vsサンキュロットといういわば抜き差しならぬ対決の構図が出来上がります。
8月10日事件の背景の一部にもこの構図が当てはまります。

389: 世界@名無史さん 2009/02/27(金) 01:18:34 0
>国王の逃亡失敗も痛いですが、ラ・ファイエットによる虐殺も立憲王制並びに立憲王制派への人々の反感を強めたと思います。

91年7月にラファイエットはこの件で、ジロンド派とジャコバン派から攻撃され中央政界では事実上の失脚、パリ国民衛兵隊司令官を解任されます。
翌年の革命戦争開始までラファイエットは逼塞していますから、相当の批判を浴びたのでしょう。しかし革命戦争では結局中央方面軍司令官として復活しますから、国王や軍人やブルジョアからは完全には見放された訳でもないのでしょう。

王妃アントワネットとの不仲は有る政治的にはプラスで、そのあたりでもラファイエットは、ブルジョアジーから常に一定の支持があるのだと思います。
逆に貧困層やエミグレからは恨まれる事になるのかも知れませんが。

398: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/03/01(日) 14:06:46 0
>>388>>389
フランス革命の目標がブルジョワ革命だったことに異議はありません。
それが一時脱線してから一応は元に戻ったことも。
ただ、フイヤン派はジロンド派内部や山岳派内部と比べても内部で協調が足りなかったような・・・
また、シャン・ド・マルス事件はラ・ファイエットの暴走ですよ。
それ以前にサン・キュロットを好きか嫌いかは別にして、彼らはパリにおいては無視し得ない勢力になっていて、同時に政府に彼らを抑えるだけの軍事力・警察力がなかったのですから、平原派や山岳派右派が非常措置としてサン・キュロットの要求をある程度呑んだのは賢明だったと思います。
その時期(1792年末~1793年)はフイヤン派が大きな力を持っていた時よりも戦局が悪く、さらに内乱まで起きていましたら当然ですが(戦局が好転し内乱もほとんど鎮定された1794年春から恐怖政治が無用となりロベスピエールを倒し、サン・キュロットとも絶縁したのも当然)。
また、揚げ足を取るつもりじゃありませんが、サン・キュロットを事実上の社会主義と言うのはちょいと・・・
彼らは一つの階級を成していたわけではありませんが、多くは下層プチブルで、彼らの代表者格はより裕福なプチブルでした。本当の極貧層や少数ながらいたプロレタリアとは一線を画し、資本主義の進展を恐れる一方で、ジャック・ルーらアンラージェが極貧層・プロレタリアの権利をも代弁するようになるとアンラージェを嫌いました。
エベール派が兵器工場の労働者たちのストを支持すると、サン・キュロットはエベール派からもひきました。
それらは、資本主義の発展と同様にサン・キュロットの財産を脅かしかねないと危惧したからのようです。

404: 世界@名無史さん 2009/03/02(月) 01:39:09 0
>>398
>サンキュロットはパリにおいては無視し得ない勢力になっていて、同時に政府に彼らを抑えるだけの軍事力・警察力がなかったのですから

そういう意味では、8月10日事件では、国王の断固とした抗戦姿勢が必要でしたね。スイス人衛兵1000人と王党派貴族300人だけなのか近衛隊1000人もプラスされるのかで戦闘結果がだいぶ違いますが・・・・

もし仮にスイス人衛兵隊と近衛隊が両方居ればテュイルリー宮殿防衛側は、2000人以上の戦力になりサンキュロット2万人と連盟兵1100人 脱走国民衛兵隊1500人を撃退できたでしょうし、連中がここまで逆上せ上がる事は無かったでしょう。

8月10日事件では、戦闘開始直後にスイス人衛兵隊の一斉射撃でサンキュロット側が数百人の死者を出して一度撤退しています。既にこの時に脱走した国民衛兵隊はサンキュロットに合流していました。

しかし連盟兵が到着したので再度サンキュロットがテュイルリー宮殿を攻撃し、サンキュロット側が庭園を突っ切って宮殿内に突入しようとします。宮殿裏側の厩舎やルーブル宮殿のある方にもサンキュロットが殺到します。
しかし、スイス人衛兵や近衛兵の一斉射撃と12門の宮殿側の砲撃で宮殿庭園側も裏側もなかなかサンキュロットは突入できません。

386: 世界@名無史さん 2009/02/25(水) 22:54:44 0
>>384
>ただ“ヴァレンヌ逃亡事件”を急進派・コルドリエクラブが国王の国外逃亡事件として喧伝したのは濡れ衣であり、フイヤン派への攻撃でしょう。メッスを要塞化しブイエ将軍を司令官に篭城するのが、本来の目的のようです。

そうなんですか?知らなかった。そう書いてる本は読んだこと無いんですが勉強不足でしょうか
ベルギーに行く途中だとばかり思ってました
よければ詳しく聞かせてください

461: 世界@名無史さん 2009/03/23(月) 15:37:19 0
ルイ16世はドイツ国境近くのメッスに籠城する予定だったようです。
しかしアントワネットは、マジで国外に脱出するつもりだったようです。
ドイツ国境には1万2千の亡命貴族軍が集結していたため、彼らをメッスに引き入れようという考えもあったようです。

いずれにせよ、ヴァレンヌ近郊には、ブイエ将軍の子息が指揮するロワイヤル ドイツ騎馬連隊500騎が居ましたので、彼らがベルリン馬車と合流できれば付近の農民連中が集結しても発砲・突撃で蹴散らせるはずでした。

ブイエ将軍はラファイエットの叔父でありラメット兄弟と共に革命初期の軍部の代表者でした。革命後1790年にナンシー軍部反乱事件が発生すると苛烈な弾圧で反乱を起こした下士官と兵士を鎮圧・処分しフイヤン派や国王側から高い評価を得ます。

ベルサイユのバラでもブイエ将軍は出てきます。
革命に反対する強硬派軍人の役でヴァレンヌ事件のシーンでも出ますね。

397: 世界@名無史さん 2009/03/01(日) 02:20:32 0
フェルゼンとアントワネットのラインで始まった。
あんまりルイ16世は乗り気じゃないみたい。

しかし・・・・・

別口で王党派貴族(聖ルイ騎士団)のラインで、フランス西部や南部(リヨン) 北部(ルーアンやフランドル地方)逃げる話もあり、ミラボー伯の話もこちらのラインと通じている。
いくつものグループが国王に逃亡を提案しているから、横のつながりは無い。
バラバラ、これの逃亡失敗の原因のヒトツ。

逃げた後の国王の行動をどうするかでもグループごとに考えは違う。

410: 世界@名無史さん 2009/03/03(火) 18:34:43 0
なぜ、ロベスピエールは独裁政治に陥ってしまったのでしょうか。

421: 世界@名無史さん 2009/03/04(水) 20:06:06 0
>>410
国家存亡の非常時だから。
意思決定が遅くて負ければ理想もクソもない。
勝つが故に或いは負けざるは故に正しい。
だからナポレオンみたいな勝利による正義の実現者が指導者に推された。

422: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/03/04(水) 20:34:35 0
私も>>421さんと同意見です。
善いかか悪いかよりも国家存亡の危機の際には勝つか負けるかが最優先されます。
「国破れて山河あり」は通じませんからね。

また、戦時には国民の愛国心(この時期のフランスでは愛国心=革命精神)を鼓舞するためにプロパガンダ(宣伝)が不可欠ですから、様々な祭典も行われました。
そのうちの一つで最大規模の「最高存在(カトリック用語で神)の祭典」はロベスピエール個人の宗教観(神の存在と霊魂の不滅を前提としたルソー流の有神論的理神論で、ボルテールらの理性万能の理神論―「神が存在しないのなら創ればよい」―とは全く違う)が
色濃く出ていますが、これまたロベスピエールの自己顕示欲だけではなく、諸外国にフランス共和国が無神論やボルテール流理神論の国ではないことを示し、知識層の支持・安堵を取り付けること―
事実、ドイツ諸国の知識人たちに大変な感銘を与えたようです―、
フランス国民に宗教心で連帯意識も持たせる狙いがありました。

424: 世界@名無史さん 2009/03/05(木) 20:57:40 0
ビクトル・ユゴーも、霊魂の存在を信じていましたが、ルソーに近かったのでしょうか?

いや、それ以前にナポレオンか

425: 世界@名無史さん 2009/03/05(木) 21:13:08 0
というか霊魂の存在を信じない連中の方が異様なだけ。
霊魂不滅はキリスト教世界の基本的な考え方
エベール派主導の理性崇拝や派遣議員の非キリスト教化運動ではこれを極端に否定したけど(例えば当時派遣議員だったフーシェが出した「墓地令」で、墓場の入り口に「死は永遠の眠りなり」とかいう看板を出させたり)、ロベスピエールの最高存在崇拝では再び霊魂の存在を認めてる。
エベール派に対する当てこすりもあるんだろうけど、わざわざ演説の中で「国民公会は最高存在と霊魂の不滅を公認する」なんて言うぐらい。
その後のテルミドール派では再びキリスト教が宗教的主導権を獲得するから霊魂不滅はずっと主流のまま。

427: 世界@名無史さん 2009/03/06(金) 12:44:36 0
フランス革命は啓蒙主義の総括
啓蒙主義はルネサンスの産物
ルネサンスは神を否定したわけではない
理性を協調してるうちに無神論に辿り着いた人もいるけど
別に革命精神とキリスト教が混在していてもいいんじゃないの?

431: 世界@名無史さん 2009/03/12(木) 01:50:20 0
革命何だから既存の秩序や制度をぶっ潰す
皆で仲良くじっくり話し合っていたら革命なんて出来ない
当然のことながら反対する奴も多いし武力も持ってる
周りの国も干渉してくる
時間かけてたら反対する奴が結集して負けちゃう
サクッとぬっ殺してケリつけるしかない。

平和友愛協調は革命の敵

432: 世界@名無史さん 2009/03/12(木) 02:09:40 0
>>431
そういう「革命は何をやってもいい」って、不思議なテンプレートを作ったのもフランス革命なんだよねえ。

「反革命罪」の発明とか。

これがどれだけの人間を無駄に殺した事やら。

433: 世界@名無史さん 2009/03/12(木) 23:37:23 0
フランス革命は、社会の底辺層には決して優しくなかったよね。

443: 世界@名無史さん 2009/03/16(月) 18:28:52 0
>>433
革命後に貴族の土地保有面積が増えている時点で経済的平等は実現していないのが当たり前に判る。
ロベスピエールが経済的平等を図ろうとした時点でテルミドールの反動が発生する。
例のヴァントゥーズ法施行で平原派と対立。
腐敗した派遣議員の摘発準備で山岳派からも浮いてしまいアボーン!

446: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 17:41:12 0
地方で王党派の反乱を起こした連中でさえ国有地買取人である現実。

447: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 18:15:49 0
フランス革命の意義さえ見出せない保守主義者は現代に生きる価値なし

448: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 19:42:10 0
>>447
価値は認めるが、負の側面が重すぎるという話だろ。イギリスのようにゆるやかに立憲君主制に移行するのが成功してるし。王様殺しは必要なかった。

452: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 17:51:43 0
>>448
最近のフランス人もそう言うな。
特に右の人達は。
フランスでの革命馬鹿騒ぎに平行して、イギリスは産業革命だからな。
文化大革命をやっている最中に隣で高度成長しているようなもんだw

449: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 20:13:00 0
殺されたのはルイ16世の自業自得だろ。ヴァレンヌ逃亡とかいうみじめな喜劇が無ければ殺されずに済んだはずだ
国王とは別に、貴族や王党派は社会の発展のためには排除しなければならない存在だった。
バラ戦争以来貴族が大した利権を持ってなかったために穏健に済ませられたイギリスのケースとは違う。

まあ、ヴァレンヌ事件は誰も得しなかったよな。あれがなければ王族は追放ぐらいで済んだかもしれない。
これのおかげで処刑せざるを得なくなって、結果諸外国の反発を招き、革命を守るために恐怖政治が必要となった。
あるいは逃亡を成功させてれば、王族は悠々自適の亡命暮らしをしながら憎まれ役を引き受けてフランスを団結させられただろう
アホみたいな巨大ベルリン馬車とかワイン樽だの無駄な荷物を積んでたりしたのも失敗の一因だし。
つまりはルイ・カペーが魯鈍じゃなければよかったという話

452: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 17:51:43 0
>>449
ルイ16世の性格的なグズは認めるが、死刑になるほどのモノかね?

そもそもイギリスの産業革命に対抗する為に王政改革を始めたのは彼だしね。
絶対王政からブルジョア王政(開発独裁)に体制変換しようとしたのは政策判断としては正しい。
その足を引っ張ったのは宮廷貴族。
ルイ15世は何にもしてないよ。
その分の苦労が一気にルイ16世に来ている感じ。

450: 世界@名無史さん 2009/03/17(火) 21:33:56 0
マリー・アントワネット処刑はさすがに行き過ぎだろ
アントワネットは言われているほど極悪人じゃなかった
飢餓のときは食料を貧乏人に分け与えているし
アントワネットの悪事は外国に対するスパイぐらい、まあこれは重罪かもしれんが

453: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 20:52:38 O
マリー・アントワネットに同情する人は、アントワネットがちょっと贅沢しすぎたせいで殺されたみたいな言い方するけど、アントワネットの罪は、今で言う外患誘致罪。決して、贅沢したくらいの事で死刑になったわけではない。

455: 世界@名無史さん 2009/03/18(水) 22:46:25 0
ラファイエットもアントワネットをルイ17世ごと実家に追い返そうとしているから、よほど邪魔だったんだろう。

458: 世界@名無史さん 2009/03/21(土) 10:39:14 O
アントワネットをハプスブルグ家に対する人質として生かしておく選択肢は無かったのかな?

459: 世界@名無史さん 2009/03/22(日) 01:24:05 0
王族なら死刑、王族でなければ死刑
そういう状況では厳しいな

いっそ殺さず実家に送り返せばハプスブルクも財政圧迫してフランスに貢献しただろうに

460: 世界@名無史さん 2009/03/22(日) 10:34:41 0
ヴァレンヌ事件は王政にとっては確かに致命的だったよな。
最近の研究では国外逃亡ではなく、ブイエ将軍率いる軍と統合して体制を立て直す、というのが有力だそうだね。

ただいずれにせよ、国王が反革命に走った事実は否定できないね。

465: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 12:36:44 0
女っつうのはいつの時代でも保守的なんだよな。
自分の生活さえ守れれば時の権力とか関係ないし。
パンさえあれば、王政でも共和制でもどちらでも構わなかっただろうな。

468: 世界@名無史さん 2009/03/25(水) 16:54:51 0
フランス革命陰でささえたのも婦人会や女は権力闘争の裏に常にいる
女だから保守か革新かなんてナンセンス

469: 【^▽^】シモン・ジョーカー@コルドリエ ◆.5DV4fMpf6 2009/03/27(金) 06:16:01 O
女=保守なんて限らん。
ただ、フランス革命は古いブルジョワ革命だったから、革命派でも婦人参政権を主張したのはアンラージェ、エベール派、一部の山岳党左派ぐらい。
重要人物のロラン夫人も表舞台には立とうとせず、婦人参政権を考えもしなかったようだし、ジロンド党と決裂するまで同婦人のサロンに出入りしていたロベスピエールも婦人参政権反対派。
コルドリエ・クラブは女性も入会できたが、ジャコバン・クラブは最後まで不可。
フイヤン・クラブももちろん不可。

470: 世界@名無史さん 2009/03/27(金) 06:27:45 0
前提としてる保守の意味合いが違う気がするが、初期の反革命暴動は女の参加者が多かった
ただしそれはあくまで敬虔な(啓蒙思想家から見れば理性の光を浴びてない蒙昧な狂信的)キリスト教徒として、カトリックの保護者たる王のためのものだったようだが
あの時代は啓蒙思想が一般民衆にも広まり始めてたから、男よりもむしろ教育水準が低い女の方が信心深かったし
さらに男は教会が無くても酒場なりカフェなり市場めぐりなりすればよかったが、女は休日は教会に行く以外にやることがなかったからとか。
エベール派の非キリスト教化運動で教会が閉鎖されると、地方ではそういう暇な女が主導する小規模な反革命暴動が多発してる。
そういう鬱憤の矛先を女権の主張ではなくてむしろ逆に反革命に向けるあたりは近代の夜明けとはいえ時代の古さを感じさせる。
まあスタール夫人は現代の糞フェミまんまで好きになれないけどな

471: 世界@名無史さん 2009/03/27(金) 07:01:12 0
アンシャンレジーム時代に女性の政治に及ぼす影響が大きくなりすぎたので、革命ではそれに対する反動で、女性の影響力が低下したって読んだことがある。

472: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/03/27(金) 23:55:26 O
それはポンパドゥール夫人を代表とする国王の公の妾(公称は忘れた)がアンシャン・レジーム期には大きな力を持っていたから。ルイ16世には愛人はいなかったけどね。
そういった一握りの女以外はアンシャン・レジーム期も力なんて持っちゃいなかった。
ただ、フランス革命は明治維新とチと似たところがあって、進歩と復古(フランス革命なら共和制ローマ、明治維新なら神武創業)の考えも同居していたから、極左以外は革命家たちも女権を否定し、賢妻良母が理想とした。
古今東西、女の方が信仰心が篤いからね。
現代日本でも宗教だの占いだのにはハマるのも男よりも女が多いし。

473: 【^▽^】酔鯨ジョーカー土佐守ジーモン ◆.5DV4fMpf6 2009/03/28(土) 00:06:37 O
誤字だらけスマソ

一部補足すると、古今東西、女の方が信仰心が篤いから、と言ったのは、当時、確かに非キリスト教化運動に反発したのも女の方が多かったってこと。
ロベスピエール個人が女性人気があったからか、その宗旨が「神の存在と霊魂の不滅」だったからか、最高存在(神)の祭典は男よりも女により感銘を与えたらしい。
あれはNHK教育テレビのフランス革命200年って番組で観たけど、ゴセック作曲の音楽からしてグレゴリオ聖歌そっくりで荘厳だった。

引用元: ・フランス革命は最悪



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