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1: 日本@名無史さん 2012/06/23(土) 18:18:57.60
カッコイイほうでは
剣豪将軍義輝と武蔵坊弁慶が両横綱か。








149: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 18:38:54.69
近衛文麿
同情の余地はややあるものの、どうも残念感がぬぐえない

152: 日本@名無史さん 2013/09/18(水) 23:15:00.09
カッコいい→阿南惟幾、田中静壱
カッコ悪い→東條英機

153: 日本@名無史さん 2013/11/02(土) 20:43:00.01
補陀落を目指して海の藻屑と消えた万里小路冬房

154: 日本@名無史さん 2013/11/08(金) 14:10:09.38
知盛が有名すぎるせいで目立たないけど、平教経もかなりカッコイイ死に様

157: 日本@名無史さん 2013/11/26(火) 02:37:58.01
中川秀政
朝鮮で鷹狩やったら襲撃されて死亡

158: 日本@名無史さん 2013/12/23(月) 13:08:26.97
斎藤実盛
漢の生き様としか言いようがない
爺さんカッコつけやがって…
250px-実盛石像


斎藤 実盛(さいとう さねもり)は、平安時代末期の武将。

寿永2年(1183年)、再び維盛らと木曾義仲追討のため北陸に出陣するが、加賀国の篠原の戦いで敗北。味方が総崩れとなる中、覚悟を決めた実盛は老齢の身を押して一歩も引かず奮戦し、ついに義仲の部将・手塚光盛によって討ち取られた。

この際、出陣前からここを最期の地と覚悟しており、「最後こそ若々しく戦いたい」という思いから白髪の頭を黒く染めていた。そのため首実検の際にもすぐには実盛本人と分からなかったが、そのことを樋口兼光から聞いた義仲が首を付近の池にて洗わせたところ、みるみる白髪に変わったため、ついにその死が確認された。かつての命の恩人を討ち取ってしまったことを知った義仲は、人目もはばからず涙にむせんだという。この篠原の戦いにおける斎藤実盛の最期の様子は、『平家物語』巻第七に「実盛最期」として一章を成し、「昔の朱買臣は、錦の袂を会稽山に翻し、今の斉藤別当実盛は、その名を北国の巷に揚ぐとかや。朽ちもせぬ空しき名のみ留め置いて、骸は越路の末の塵となるこそ哀れなれ」と評している。



159: 日本@名無史さん 2013/12/23(月) 19:48:26.90
赤橋守時
鎌倉幕府最期の執権
最期の散り方は儚くもカッコいい

160: 日本@名無史さん 2013/12/23(月) 19:59:11.05
カッコいい 広田弘毅
カッコ悪い 東条英機

161: 日本@名無史さん 2013/12/27(金) 00:42:43.49
宝治合戦で敗れ法華堂で集団自決した三浦泰村、三浦光村
壮絶な散り方がカッコいい

187: 日本@名無史さん 2014/01/01(水) 16:12:47.85
木曽義仲は平家物語通りの最期だと格好悪いな

191: 日本@名無史さん 2014/01/29(水) 15:56:25.59
>>187
木曽最後。自分は逆に日本の歴史物語の中で屈指のカッコ良さと思うけどな。
人それぞれか。

189: 日本@名無史さん 2014/01/06(月) 23:34:56.11
新田義貞
少人数で出撃、田んぼに嵌まったところを射殺
あっけない最期である

195: 日本@名無史さん 2014/02/15(土) 13:34:05.70
>>187>>189
木曽義仲と新田義貞、死に方が似てるね

190: 日本@名無史さん 2014/01/12(日) 22:06:57.09
大塔宮は、足利義輝みたいな最後を遂げさせてやりたかったね。
素手だし、幽閉されて足腰が弱っていたらしいのであっさりやられたんだろうけど。

194: 日本@名無史さん 2014/02/14(金) 20:26:29.82
井上源三郎。当時から無能と言われながら新撰組の終わりの始まりを飾った。

197: 日本@名無史さん 2014/02/17(月) 23:30:10.93
森長可
小牧長久手の戦いで鎧兜の上に白鉢巻き、白たすき掛けで家康側陣地に単騎突撃したら鉄砲の集中射撃食らってひき肉のようになって死んだ‥という説があるのだが
これって格好良い・悪い?

198: sage 2014/02/18(火) 19:03:52.61
鳥居強右衛門の最期はまさに武士の亀鑑、天晴の一語。
鳥居 強右衛門?‐1575(天正3)

戦国末期の武士。名は勝商(かつあき)(?)。三河国長篠城主奥平信昌の臣で,長篠の戦の際,長篠城が武田勝頼の大軍に包囲されると,救援依頼の使者となり脱出に成功したが,帰陣の寸前で捕らえられた。武田方は強右衛門に,織田信長の援軍はなく城を明け渡すことを城兵に告げれば助命するとした。強右衛門は偽ってこれを承諾し,近日援軍のあることを知らせたため磔刑(たつけい)にされた。
【煎本 増夫】



203: 日本@名無史さん 2014/02/24(月) 02:26:35.51
悪左府 藤原頼長とか最期は悲惨だな

207: 日本@名無史さん 2014/03/15(土) 11:07:48.70
個人じゃないけど
一族なら平家はある意味潔いと言うか、壮絶な美学だろう
それに引き換え源氏はみっともないと言うか
ちなみに、平家筋の北条氏も壮絶な美学だろう

208: 日本@名無史さん 2014/03/16(日) 10:41:22.79
カッコイイ→鳥居強右衛門(長篠の戦い)
カッコ悪い→藤原信頼(平治の乱)

227: 日本@名無史さん 2014/06/14(土) 12:25:16.97
最期がカッコ悪いのは龍造寺隆信

229: 日本@名無史さん 2014/06/14(土) 14:31:44.30
今川義元はどっちになるのかな。
奇襲で打ち取られたという点ではカッコ悪いが
最期相当抵抗して意地を見せたようだし。

230: 日本@名無史さん 2014/06/14(土) 16:13:39.37
油断して大軍が小軍に敗れる失態を犯しておいてカッコいいとは言わんだろ

231: 日本@名無史さん 2014/06/14(土) 17:16:01.46
でも毛利新介の指を食いちぎるほど抵抗したらしいけどな

235: 日本@名無史さん 2014/06/14(土) 21:22:52.71
古田織部は?
利休の弟子やのに、秀吉を気にして利休が追放されるときにみんな見送りにいかへんかったのに、あえて見送りに行く
でも、今度秀頼の子供をかくまって切腹を申しつけられる
なんとなく生き方と最後はカッコええやん

239: 日本@名無史さん 2014/06/15(日) 16:06:19.54
>>235
古田切腹は秀頼の子供かくまったせいではないよ
(秀頼の子2人は淀殿の妹の婚家である京極家が預かっており、大坂の役後に家康に差し出されている)
秀吉恩雇であるために家康に内通の嫌疑をかけられ一方的に切腹を申し渡されたに近い

237: 日本@名無史さん 2014/06/15(日) 05:17:44.26
真田幸村(敢えて幸村)

250: 日本@名無史さん 2014/06/19(木) 19:27:12.29
知盛の最期はカッコ良すぎ

251: 日本@名無史さん 2014/06/20(金) 08:17:29.15
能登殿も

252: 日本@名無史さん 2014/06/20(金) 13:32:36.87
壇ノ浦の宗盛がアレなだけに二人のカッコよさが際立つ

256: 日本@名無史さん 2014/06/21(土) 12:40:47.54
>>252
宗盛は臆病だったんじゃない、息子を思ってのああいう行動だったのだ。

253: 日本@名無史さん 2014/06/20(金) 21:50:21.62
「見るべきものは見つ」

254: 日本@名無史さん 2014/06/20(金) 22:02:38.41
「さあ、きさまら、それではおまえたちが、死出の山を越える供をせよ。」

257: 日本@名無史さん 2014/06/21(土) 17:49:25.54
平維盛。
そこまでいいところ無しだったけど最期のお蔭で一気に悲劇の貴公子になった。

267: 日本@名無史さん 2014/06/24(火) 11:48:30.76
カッコいい自害というと知盛・能登殿以外に誰が思いつく?

270: 日本@名無史さん 2014/06/24(火) 19:39:23.61
>>267
地方のどうでもいい小大名なのに自害(切腹)のテンプレみたいになっちゃった清水宗治とか辞世の句一発で名が残った別所長治とかその辺かなぁ
まぁ格好いいかどうかは知らんが・・・

271: 日本@名無史さん 2014/06/24(火) 19:57:25.95
切腹なら吉川経家も忘れちゃならん。
小さい娘を含めた子供に、将兵の命を救うため、毛利家のためになる切腹だから悲しむべきではないと諭した遺書を残し、切腹は初めてだから不調法かもしれないが許して欲しいと笑いながら言って腹を切った。

275: 日本@名無史さん 2014/06/25(水) 18:45:52.98
斉藤一・・・床の間で座禅を組んだ姿勢のまま死去
川路聖謨・・・江戸城開城の直前に割腹のうえピストルで自決。

279: 日本@名無史さん 2014/06/26(木) 09:14:34.50
>川路聖謨・・・江戸城開城の直前に割腹のうえピストルで自決

いわば自分で介錯したようなもの?

282: 日本@名無史さん 2014/06/26(木) 10:10:17.65
>>279
1人で切腹する場合は割腹した上で頸動脈を自分で斬る。
ところが川路は中風で半身不随だったんで、頸動脈を斬るまでは困難と考えたんだろう。
そこで、ピストルで自ら介錯したんだろう。
この人の伝わる人柄からすると泣けて来る話。

286: 日本@名無史さん 2014/06/26(木) 20:42:18.36
カッコイイ人物:大塩平八郎

奉行所勢に潜伏場所が露見して取り囲まれるも、小屋にこもって火薬を撒いて自爆、燃え盛る火の中で咽喉を脇差で二度突いて死亡。

カコ悪い人物:大塩が現役与力の頃に糾弾した与力の弓削新左衛門

奉行の内藤矩佳の目を誤魔化して悪行三昧。その内藤が江戸に帰府する際に見送りに出たはいいものの、大坂を空けたために手下どもは大塩に一網打尽。
のこのこと帰ってきた弓削は、親類たちに押さえ込まれて無理やり腹をかっさばかれ、自決の形を装って殺される。

288: 日本@名無史さん 2014/06/27(金) 01:53:46.59
木曽義仲の心の友だった今井四郎兼平がかっこいいじゃん
「今は誰を庇わんとて戦をばすべき」
これには痺れました
義仲もちょっと間抜けなタイミングだったけど味のある最後だと思うよ

今井 兼平(いまい かねひら)は、平安時代末期の武将。元暦元年(1184年)正月20日、鎌倉軍に追われ敗走する義仲に従い、粟津の戦いで討ち死にした義仲の後を追って自害した。享年33。
その壮絶な最期は、『平家物語』あるいは『源平盛衰記』の「木曾殿最期」の山場としての乳兄弟の絆の強さを示す逸話として知られる。

『平家物語』の「木曾殿最期」の段の義仲と兼平の最期は、悲壮美に満ちている。また、この場面の兼平の矛盾した言い方や、「弓矢取りは、年頃日頃如何なる高名候へども、最後に不覚しぬれば、永き瑕(きず)にて候なり。(武士は、常日頃からいかなる名誉を得たとしても、最後に不覚を取っては、後世長い間にわたり名に傷がつきます)」の武士たる心構えを伝える言に、その情況に応じての、兼平の義仲への苦しいいたわりの気持ち、美しい主従の絆が書かれている。

「日頃は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなったるぞや(いつもは何ともない鎧が、きょうは重くなったぞ)」と言う義仲に対し、
「それは御方(みかた)に続く勢が候はねば、臆病でこそさは思し召し候らめ。兼平一騎をば、余の武者千騎と思し召し候べし。ここに射残したる矢七つ八つ候へば、暫く防矢(ふせぎや)仕り候はん。あれに見え候は、粟津の松原と申し候。君はあの松の中へ入らせ給ひて、静に御自害候へ(それは殿に続く軍勢がないので、臆病になられたのでしょう。兼平一騎を、殿の武者千騎と思ってくださいませ。ここに矢の七本や八本が残ってございますので、これでしばらくは防ぎ矢を放つこともできましょう。あちらは粟津の松原と申します。殿はあの松原の中に入られ静かに御自害なさいませ)」と述べ、
義仲が「所々で討たれんより、一所でこそ討死もせめ(ばらばらで討ち死にするより、一緒に討ち死にしよう)」と言うと、
「弓矢取りは、年頃日頃如何なる高名候へども、最後に不覚しぬれば、永き瑕(きず)にて候なり。御身も労(つか)れさせ給ひ候ひぬ。御馬も弱って候。云ふ甲斐なき人の郎等に組み落とされて、討たれさせ給ひ候ひなば、さしも日本国に鬼神と聞こえさせ給ひつる木曾殿をば、某が郎等の手に懸けて、討ち奉ったりなんぞ申されん事、口惜しかるべし。唯理を枉げて、あの松の中に入らせ給へ(武士は、常日頃からいかなる名誉を得たとしても、最後に不覚を取っては、後世長い間にわたり名に傷がつきます。殿はお疲れでございます。御馬も弱ってございます。ふがいない者が郎党に組み落とされて、討たれたりしたら、さしも日本国に鬼神と言われた木曽義仲を、だれかの郎党の手にかかって討ち取ったりと言われることは悔しいことです。そこは無理を承知であの松原にお入りくださいませ)」と述べた。

義仲が討たれると、「今は誰をかかばはんとて、軍をばすべき。これ見給へ、東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本よ(いまは誰をかばうために戦をすべきであろうか。東国の武士どもよ、これを見よ。日本一の剛の者の自害の仕方よ)」と言い、太刀の先を口の中に含み、馬上から飛び降り、太刀に貫かれ自害した。




289: 日本@名無史さん 2014/06/27(金) 09:16:17.64
今井四郎兼平の最後はかっこいいね。
壮絶すぎて自分ではとても真似したくないけど。

290: 日本@名無史さん 2014/06/27(金) 18:00:00.02
主君の最期を守って戦ってるのは格好いいね
天目山の戦いの小宮山友晴、土屋昌恒とか大寧寺の変の冷泉隆豊とか

296: 日本@名無史さん 2014/06/28(土) 11:43:43.83
忘れてた 武市半平太は?
切腹の際に腹を3回切って 介錯が出来ず介錯人が横から心臓をつくとか結構すごくない?
半平太って歴史的には間違った方向やったけど、高潔な所とかが結構あこがれてるねんか

<花は清香に依って愛せられ、人は仁義を以って栄ゆ。
幽囚、何ぞ恥ずべき、只赤心の明らかなるあり。>

297: 日本@名無史さん 2014/06/28(土) 15:38:30.91
>>296
カッコいいとかカッコ悪いとか以前に物凄く痛そうな死に方だな。

309: 日本@名無史さん 2014/06/30(月) 08:39:05.16
清水宗治の最期はカッコ良すぎ

310: 日本@名無史さん 2014/06/30(月) 09:44:59.92
別所長春も

311: 日本@名無史さん 2014/06/30(月) 18:57:43.55
部下の命を救うために切腹するのはカッコいい

316: 日本@名無史さん 2014/07/01(火) 19:07:31.30
毛利家臣として節守った清水宗治はともかく別所長治は空気読めなかっただけの気がするんだけど、
中途半端に逆らったせいで播磨中蹂躙された

334: 日本@名無史さん 2014/07/05(土) 15:35:19.69
敦盛最期

336: 日本@名無史さん 2014/07/05(土) 21:09:30.69
敦盛の最期は熊谷次郎直実の立派な行動もポイント

353: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 08:14:06.99
光秀の最期は諸説あるが、どうなんだろう。

354: 日本@名無史さん 2014/07/08(火) 09:38:31.03
>>353
与太話には事欠かない人物だが
普通は百姓に竹槍で刺されるという武家にあるまじき最期だろ

357: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 00:55:52.61
百姓とはいっても落ち武者狩り目的の連中だろ。
それなりに強いんじゃないだろうか。

366: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 20:22:09.93
梅雪もそうだけど、落武者狩りでそこらへんの農民に追われるって、ものすごい恐怖だろうね。

368: 日本@名無史さん 2014/07/09(水) 21:38:35.56
戦国時代の農民って一般的に思い浮かべる搾取される農民と違って武装して村ごとに一揆契約結んだりよっぽど強くて逞しいんだよな。

引用元: ・最期がカッコイイ人物、カコ悪い人物



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