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1: 人間七七四年 2009/09/12(土) 19:34:15 ID:eQ9MiO9N

福島正則について語りましょう。


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福島正則について語る 








305: 人間七七四年 2009/12/08(火) 00:29:55 ID:0i5P/ikH
繁栄志向、滅亡回避のために強者におもねる。

自家のためならば先見有りとされ、主家のためだと裏切り呼ばわり。
おかしな話だな。

308: 人間七七四年 2009/12/08(火) 01:37:05 ID:iGYmqQaD
福島は前者にも後者にも当てはまらないじゃないか

310: 人間七七四年 2009/12/08(火) 01:44:48 ID:0i5P/ikH
後者に当てはまるよ。

『領民、配下の将を悉く犠牲にしてでも、豊家のために家康に立ち向かうべき』
という子供の議論しか出来ないなら、わからないと思うけど。

313: 人間七七四年 2009/12/08(火) 01:53:38 ID:iGYmqQaD
>>310
大名として、家族、家臣、領民の為に所領を守るって行動は当然だと思う
そのためには裏切りを選択するのも領主としてありえる選択だが

大阪の陣に豊家への味方をしない選択をした癖に豊家が兵糧米の接収をするのを黙認して参陣を許されなかったとか中途半端に豊臣家寄りの態度を取ったりしたうえに広島城の修復や破却もうかつな対応で結局51万石から45000石まで改易されてるし養子云々もあるしでせっかくの51万石の領地を維持しきれなかったじゃないか

315: 人間七七四年 2009/12/08(火) 01:59:25 ID:0i5P/ikH
福島の改易は、豊臣恩顧云々は関係ないって。
本丸以下、修築部分を完全に破却すれば良かっただけの話。
本多正純も、土井利勝も改易には反対してるんだから。

武家諸法度(元和令)読んでみれば?

316: 人間七七四年 2009/12/08(火) 02:02:05 ID:ZI2FF4q1
>>315
だからそういう政治力の低さとか立ち回りの下手っぷりも全て含めての評価だろうが

317: 人間七七四年 2009/12/08(火) 02:02:57 ID:0i5P/ikH
↑うかつな対応とか言うけど、元和令では報告で良いことになってるんだよ。
修築の事前承諾が必要になるのは、家光の寛永令から。  

318: 人間七七四年 2009/12/08(火) 02:03:56 ID:ZI2FF4q1
だからそんな言いがかりで潰されるような立ち回りを過去してきたから
些細な事で改易されるんだろうと

344: 人間七七四年 2009/12/10(木) 02:43:56 ID:p5MYn9AH
>>318
福島や加藤の改易が全くの言いがかりってのはちょっと考え方としては古典的になってきてるかもな。
(『近世武家社会の政治構造』/吉川弘文館 に大名改易論という章があるので、これが参考になるかと)

323: 人間七七四年 2009/12/08(火) 02:07:21 ID:ZI2FF4q1
裏切りの汚名を被っても守った所領を立ち回りのまずさで失うのは結局先見の明なかったわけで

325: 人間七七四年 2009/12/08(火) 02:08:54 ID:0i5P/ikH
福島は、裏切りの汚名を被ったことなどないぞ。
是非、記載されている文献を教えてくれ。

334: 人間七七四年 2009/12/08(火) 02:22:05 ID:ZI2FF4q1
主君から大阪城への参陣要請を断るのは裏切りじゃないんですかね

335: 人間七七四年 2009/12/08(火) 02:24:19 ID:iGYmqQaD
旧政権から新政権へ立場を変えるのは旧政権側から見たら裏切りだろ

といっても裏切り自体領主としては悪ではないっていうのが俺の主張なわけで
結局命題の所領存続が出来なかった時点で評価低いのは仕方がないだろって言いたいだけ

341: 人間七七四年 2009/12/09(水) 12:49:26 ID:VqNwRxi9
清正、正則は三成と方向は違えど、豊臣存続のために尽力していた。
注意すべきは、豊臣=天下人の立場には拘っていない事。
国政に携わりたい三成が、家康と対決姿勢を示すのは当然。
忠義のみを根拠とするのは誤り。

豊臣は空気が読めず、自らの責で滅んだ。
清正・正則を裏切り扱いするのは明らかに不当。

357: 人間七七四年 2010/02/21(日) 17:49:59 ID:t0l7sFwm
「石田が決起しない方が、実は豊臣にとっては良かったんじゃないの?」
という可能性があってはならない。
石田の決起こそが、豊臣家のためであり正義。
福島は家康に騙された、という設定はどうしても必要。
そのためには、福島はトコトン単純バカになってもらわなくてはいけない。
福島は、石田再評価の最大の犠牲者。

359: 人間七七四年 2010/02/22(月) 00:37:05 ID:GToujcN2
そういうのは大体フィクションの都合上のこったしあまり真剣に被害意識を持つのもどうか
パワータイプの馬鹿キャラ便利だからねえ…
司馬遼太郎は自分で改造福島正則の使い勝手のよさに感謝すべき

368: 人間七七四年 2010/04/13(火) 15:37:18 ID:LtQekL13
誰かと一緒に行動してる間は優秀扱いだけど(福島の場合は加藤清正か)
そういう人物と切り離され、自分がリーダーとなった途端に迷走し始める
そんな人は現実でも歴史でもリアルに居るからな
福島が好きって人はそういう「人間の弱さ」みたいなものに寛容な人という気がする

374: 人間七七四年 2010/04/24(土) 11:37:58 ID:ldT5ny2w
>>368
違うと思うな。
福島擁護する人は、現実的なんだよ。

組織の中で立場が上がったり、養うべき人間を抱えれば、自分の感情とは別に身動きが取れなくなっていく。
批判してるのは、独身者か、下っ端ペーぺーのリーマンか、親の金で食ってる学生くらいだろ。

家族持ちに言わせれば、一族郎党を道連れにした三成は愚かの極み。

369: 人間七七四年 2010/04/13(火) 15:42:19 ID:g0vFKRNA
このスレではやたら福島を褒める表現が多いがこいつが失敗者である事は間違いないだろうが。

しかも悪い意味での失敗者。自分も他人も守れず、維持すら貫けない。
石田三成とかはやることはやったから評価されてるのに対して福島はついに自分を爆発させることなく終わった豊臣秀頼と同レベル。 

375: 人間七七四年 2010/04/27(火) 12:58:52 ID:h27DnY91
本当に秀吉に恩義を感じてたんなら大阪の陣の時、お家取り潰し覚悟の上でも大坂城に馳せ参じて、秀頼の為に戦うべきだったな。
そうすりゃ少なくとも清正に匹敵するぐらいの評価はあっただろうに

376: 人間七七四年 2010/04/27(火) 21:19:55 ID:b4F+YWAw
秀吉の恩義は、一個人の感情。
大名が為すべきは、配下・領民の生活保障。

378: 人間七七四年 2010/04/28(水) 06:01:31 ID:Ty653CJr
慶長4年の家康と利家が対立した時に20万石以上の大名で家康についたのって伊達・最上の東北外様組と福島くらいだったよな。
家康側についたのは政宗をはじめ黒田父子、織田有楽、金森法印なんかのクセのある連中が多い。
あるいは藤堂とか大谷とか新庄直頼とかの家康シンパ。(関ヶ原では大谷は結局は石田をとったけど元は家康シンパだし)
この時にいくら当事者だからって家康側に積極的につくなんてやっぱり豊臣家を大事に思ってたなんて嘘か、大局の見えてない馬鹿だったかのどっちかとしか思えんよ。

380: 人間七七四年 2010/04/28(水) 07:27:02 ID:DGt90TOo
>>378
大局が見えてるから、家康についたんだろ。
というか、なぜ清正と別陣営なのか想像すべき。
全ての武将が戦する気満々だったわけではあるまい。
事態の収拾を図ろうとする者がいない方が不自然。

381: 人間七七四年 2010/04/28(水) 20:16:32 ID:zv8+/HGA
福島は一方の当事者の上に家康の所に積極的に駆け込んでるから事態の収拾を図ろうとする気なんて伺えないんじゃないかな。
あと大局が見えてて家康に肩入れするって事は家康が実権を一手に握ろうとしてたのをわかったうえで、それに組するって事で、それは藤堂や黒田や伊達の事じゃないのかな。
だから豊臣政権の権力と秩序の維持と、あの時点での家康の専横に肩入れするってのは矛盾するのでは。
なにしろ政権の約定破りをしてたのが家康と福島その他でしょ。だから加藤その他は前田について前田方が優勢だったわけで。
藤堂たちみたいにわかってて謀略を働かせてたなら評価のしようもあるけど福島は中途半端に見えるんだよね。

あ、一応三中老とかは収拾に動いてたんじゃなかったっけ。大して力はなかったけど。

384: 人間七七四年 2010/04/28(水) 23:11:03 ID:7UVk+2cF
秀吉亡き後、最大の実力者が家康であり、権力を手中にしていくだろう事は当時でも容易に想像出来る事。石高250万石は、次点毛利上杉の倍。永禄元亀を生き抜いた殆ど最後の有力大名で、秀吉が力攻めで落とせなかった唯一の大名。
大局が見えるとか、そんな大層な事ではない。こんなのが生き残ってて、合議制が機能するとか思ってる方がどうかしてる。その意味で三成は正しい。
そもそも豊臣政権が法治でない以上、約定破り云々で騒いでる方がヌルい。
秀吉による織田氏への仕打ちを考えれば、何が起こり得るか想像するのは容易。

秀吉自身が実力者家康とは融和方針。豊臣家の存続を第一と考えるならば、豊臣親族たる福島の行動に矛盾はない。

386: 人間七七四年 2010/04/29(木) 00:52:39 ID:oRjwtuVz
徳川家との婚姻について、三成ならいざ知らず福島が加藤に相談していないとは思えん

その二人が別々の陣営というのは、やはり何らかの含みがあったと思う

402: 人間七七四年 2010/05/06(木) 07:02:46 ID:aviOgQi6
結局、徳川と戦争しなきゃ豊臣を守れない、てのが短絡的なんだよな。
まぁ、豊臣が天下人でなきゃ、三成は国政に参加できなくなるわけだから仕方ないんだろうけどね。

405: 人間七七四年 2010/05/07(金) 05:10:23 ID:vzV+Zo4W
加藤、福島・・・ 秀吉が子供のころから育ててた武将は徳川政権で全滅か・・・

407: 人間七七四年 2010/05/09(日) 22:31:52 ID:hIgplKXG
>>405
まあ加藤家も福島家も別に根絶やしにされたわけではない。
微封ながら子孫は存続したんだし。

413: 人間七七四年 2010/05/16(日) 17:16:18 ID:zc9mxF5s
加藤清正は熊本で「加藤清正公」って言われているけど、
福島正則は広島で「福島正則公」と敬意をもって扱われているの?

414: 人間七七四年 2010/05/16(日) 19:12:39 ID:oUKwwywp
扱われてないんじゃないかねぇ?というか、清正は特別。
熊本だけの話じゃないもの。全国的に清正公だよ。
この時期の一武将程度で神になったの清正くらいでしょ。

415: 人間七七四年 2010/05/18(火) 21:20:42 ID:E+f5+BTG
>>414
ぱっと思い出したのは島津歳久。
神というべきかはよくわからないけど坂井政尚の息子久蔵も地蔵になった。
あと生きてるうちから雷神の化身と呼ばれた人もいたな。

ところでさ、よく言う領民を守るために徳川についた云々ってでまかせもいいとこだろ。
当時の価値観と違うし、第一領民は領主が変わったら変わったで年貢の納め先が変わるだけで普通に暮らしていくだろ。
それって精々自分の家臣団の話だし、それにしたって福島家の家臣団って坂井利貞はじめ織田家の頃より代々尾張の統治者に仕える土着の連中がかなりの部分を占めてるから影響もそんなに大きくない。
事実彼らはそのまま次の清洲城主に引き継がれてる。
だいたい自分の徳川幕下の大名としての節目を大事にしました、ってんなら加藤二号さんとか脇坂さんみたいに割り切った態度でいればいいのに未練たらしく、豊臣家の事まで引きずってるから見苦しいんでしょ。
福島の行為自体は責めるべきでもないけど、そのやり方、態度がね、とても大名の器じゃないよ。

448: 人間七七四年 2010/06/07(月) 04:57:36 ID:I+kSSpBa
正則はそれなりの功績は立てたがそれに見合う報酬の働きをしたかどうかとなると疑問符がつくと思う(=尾張領)

彼の出世は豊臣家にもっとも近い譜代という身分があってこそであり、そしてその身分と立場を利用しての処世術には素晴らしい手腕を発揮したと思う。

戦関連
一定の武勲をとり、一定の補給管理をそつなくこなしてる感じ。
可もなく不可もなく粛々と落第点は取らない割と堅実な行動をしていた感じ。
無論落第点をとらないという事は重大であるが、優・良の成績が多いかとなると疑問でありそこは各々の価値観で評価がわかれると思う。
(事戦に関しては失敗が少ないのは重要)

関ヶ原の功
豊臣家に最も近い譜代でありながら秀吉死後から徳川家に近づき豊臣家譜代家臣を積極的に勧誘、要所の尾張を明け渡す(+兵糧)
これだけで相当な功。
岐阜攻めや関ヶ原本戦宇喜多の宇喜多隊への足止め突撃などこれらの功に較べれば遥かに霞む。

広島統治
一定の成果を上げた。が長年中国の覇者毛利氏の首都事業を引き継いだだけと見るか、見ないかで評価が別れる。無論引き継ぎを上手くやってる当たり無能ではない。


豊臣家の重要な譜代という立場を利用して大々名に出世して豊臣家の重要な譜代であった事が福島家の印象を芳しくない物としてしまった。
皮肉っちゃ皮肉なものだが…。

これだけ機を見る事が出来るなら早々に豊臣家を見限ればね…。

中途半端にかけた豊臣への恩情
1613年に死ねなかった
生きている内に改易された

以上が著しく印象を悪くする原因になってるよね。
政務・戦・統治
どれを見ても一丁もないが、そつもない。
そこそこの良将であり機を見る目は抜群って評価。

450: 人間七七四年 2010/06/07(月) 07:56:12 ID:JcEnT8yJ
>>448
>正則はそれなりの功績は立てたがそれに見合う報酬の働きをしたかどうかとなると疑問符がつくと思う(=尾張領)

関が原以前の福島ならそんなもんでしょ。むしろ尾張清洲なんて名誉な話し。
石高だけではなく、場所と土地が凄くいい。なにより故郷だしさ。

>これだけ機を見る事が出来るなら早々に豊臣家を見限ればね…。中途半端にかけた豊臣への恩情

福島が破綻したのは豊臣の愛情だけが全てではなかろう。
やはり伊奈事件がアカンかったよなあ。
まあ俺が家康でも「伊奈事件の恨みは晴らせ」と遺命を残すと思うが。

伊奈 昭綱(いな あきつな)は、安土桃山時代の武将。徳川氏の家臣。関ヶ原の戦いの後、山城国日岡の関の守衛となる。その際に、福島正則が家老・佐久間嘉右衛門を伏見城の家康の下へ使者として派遣した。しかし昭綱の家人は嘉右衛門が通行証を所持していないことから関の通過を認めず、嘉右衛門は正則の下へ戻り、面目を失ったとして自害した。正則は嘉右衛門の首を家康に送りつけ、関の責任者である昭綱の切腹を要求した。家康は昭綱に命じて嘉右衛門を追い返した家人を処刑させてその首を届けさせたものの、正則は要求を取り下げなかったため、家康は昭綱を切腹させ、その首を差し出すことで解決をみた。
この事件はその後に福島正則が改易される遠因となったともいわれる



452: 人間七七四年 2010/06/07(月) 10:58:09 ID:HFHTh6As
>>448
人事は過去の報酬のみの評価だけではなく、その後の働きを期待されて行われるもの。
朝鮮の役前の九州配置は正にそれ。
君の言う通り福島の関ヶ原での働きは絶大であり、中立的に考えれば尾張配置は妥当でしょ。
関ヶ原は、東西何れの側も豊臣家のために働いているわけだしね。
アンチ徳川・三成贔屓の人にしたら、感情論で許せない『裏切り』になるんだろうけど。

印象が悪いかどうかは個人差だとね。個人的には、もし福島が他の恩顧のように手の平返してたら、それこそどうなの?という気がする。福島の難しい立場を理解出来るかどうかで評価が分かれる所。
江戸期の文献は、福島の豊臣家晩年に対する忠誠心について、悲哀感を以って描かれているものが多い。
台徳院殿御実紀では、その忠誠が豊臣に害をなした、と記載されている。
全国全ての大名が、豊臣家に対し直接間接を問わず弓引く中で、最後の良心だと思う。

449: 人間七七四年 2010/06/07(月) 07:47:55 ID:JcEnT8yJ
そもそも関が原は
東軍=徳川 西軍=豊臣 ではないのだが、
どちらも豊臣の軍隊であり表向きは秀頼を護るための軍隊だが。

東軍は元は少なくとも形の上では秀頼の命令による上杉討伐軍が目的変更されて
豊臣家に仇なす石田三成一派を討っただけだしな。
福島などそういう認識で東軍についてた連中も多い。

468: 人間七七四年 2010/06/13(日) 13:44:22 ID:gm4eLEpr
「我等儀、太閤御爪ノ端ニ而候。内府公ト縁辺取組ミ、万端御意ヲ候ハヾ、 以来秀頼公御タメニモ然ルベキ儀ト存ジ」

『関原記』における伏見護衛時の記載内容。もちろん史実ではないけど、第三者的な見方という点で。
当時でも、福島の家康への接近は『豊臣家のため』だったと認識されていたと考えられるね。

469: 人間七七四年 2010/06/13(日) 16:11:12 ID:7c+uJt3K
明確に縁辺と記されてるのか。初めて知った。
確かに一次史料ではないけど、世間がどう認識してたか想像できる話だな。

引用元: ・福島正則について語るスレ3



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