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1: 世界@名無史さん 2009/02/26(木) 00:59:33 0
正史に沿った話しならOK








322: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 17:05:59 0
三国志武将で非漢民族らしいのは馬超だけ?

326: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 20:17:48 0
>>322
胡車児だな
胡姓はあやしい

330: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 22:49:29 0
>>326
ああ、胡昭とか胡烈とかね

327: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 21:33:42 0
杜コ、朴胡が巴夷だな。高定が南蛮人。沙摩柯も蛮夷だったはず。
攴胡赤児もいるし、軻比能とか蘇僕延とか…きりがないな。
>>322が聞きたいのはそういう意味じゃないと思うんだが。

328: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 22:07:05 O
じゃ>>322はどういうこと聞きたいと思うん?

329: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 22:48:20 0
>>328
漢人の社会、価値観、文明、官僚機構に組み込まれ、漢人と変わらぬ人生を生きた人物のことじゃないの、たぶん?
だとしたら少数民族の首魁をいくら挙げても意味無いなと思ってな。

323: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 17:11:37 0
異民族の血が混じっていると明記されてるのは確かに馬騰の血統くらいかな
ただ辺境で蜂起した豪族達にはそんな感じの人間が結構いたかもしれない

324: 世界@名無史さん 2009/04/26(日) 17:11:50 0
いや、馬家は漢人の系譜だよ。
漢人の定義がわからんが、異民族の血がはいっていると思しき者なら何人もいるし。
あと劉豹とかの匈奴系も出ているじゃん。

336: 世界@名無史さん 2009/04/27(月) 03:20:01 0
司馬懿には、非常にユニークな身体的特徴があったと言われています。すなわち、首を180度後方に曲げられるというのです。お前、人間かい!

337: 世界@名無史さん 2009/04/27(月) 03:31:28 0
まさに、我が知略に死角なし!ってとこか。

曹爽の使者に対して痴呆のふりをして油断させたとかいうし…

338: 世界@名無史さん 2009/04/27(月) 17:02:02 0
まあ首の関節可動域が広いってのはあるかもしれんが
180℃回るってのは多分>>337的な意味の隠喩じゃないかな

340: 世界@名無史さん 2009/04/27(月) 17:57:47 0
>>338
劉邦や項羽、さらには孔子なんかもそうだけど、天下を取るような奴はありえないような身体的特徴を持ってるものなんだよ、中国の伝統的に

341: 世界@名無史さん 2009/04/27(月) 23:34:44 O
>>340
手長耳長でタク郡の生まれだったりな。

343: 世界@名無史さん 2009/04/28(火) 02:26:03 0
孫文や毛沢東には(人格的にはあったろうが)身体的特徴あったか?

361: 世界@名無史さん 2009/04/28(火) 23:52:28 0
漢書を見ると、劉邦以外冒頭に外見の特徴がある皇帝はいないみたい
裴松之が引用しなかったのは、「魏書」や「魏略」も魏皇帝の特徴を書かなかったんだろう
「三国志」の時点では、陳寿が暗に劉邦に準える意図を込めた劉備の例が特殊なんだろうな

363: 世界@名無史さん 2009/04/28(火) 23:58:09 0
>>361
光武帝や晋武帝にはあるから、創業者特有のものなんだろう
だから漢書のほかの皇帝を見てもしょうがないと思うよ

365: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 00:03:26 0
>>363
そうなんだけど、三国志が書かれた時点で後漢書も晋書も成立していないから、その伝統もまだ成立していないんだ。
…はず。散逸したほかの史書でどうだったのかわからないけど。

366: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 00:18:42 0
>>365
班固の「白虎通」の時点で「聖人皆異表有り」と言われてる
厳密には特殊な身体を持つのは創業の君主ではなく「聖人」(五帝、殷湯、周文武、周公、孔子など)で、劉邦や光武帝や晋武帝もそれになぞらえたんだと思われる
劉備ももちろんその一環だろう
「異表」から曹氏の創業者親子が排除されてるのは、ちょっと奇異な印象だね
聖人度において劉備に劣るものということになるからね

367: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 00:27:42 0
「異表有り」はわかるんだけど、
この場合は、歴代始祖の紀の冒頭にその異表を記すのを慣習にしたのは、もしかしたら陳寿以降なんじゃないか?と言いたい。確証なんて無いけどね。
「魏略」や「魏書」は先に成立していて、その慣習を持たなかったので記されず、裴松之も引用できなかった、と。

とするなら、曹操の異表を記さず劉備のを記すなんて横車が罷り通ったのも頷ける。
この時点ではその慣習は無かったのだから非難しようがない。

368: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 00:31:41 0
>>367
史書の創業者の表記法としての成立はそうだとしても、陳寿の段階で
劉備=異表→聖人
曹操=異表なし→ただの人
ってほとんど明言したも同然だってことになるよね
これを非難したり反論したりした形跡がないってのはすごく面白いことだと思う

369: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 00:41:23 0
>>368
まあ、非難されなかったかはわからないけどね
荀勗のように気に食わなかった人間もいたようだし(でもこれは荀彧絡みか?)
でも「統一王朝の天命は魏晋に譲るよ。でもうちの皇帝も天命は他所へ移ったけど漢を受け継いだんだよ」という
暗の陳寿の姿勢を、故国を思うものとして認めた人もいたかもしれないなあ

371: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 10:11:16 O
陳寿の忠義に配慮ってのと、魏成立当時中原に現れた聖人は司馬懿だけとなってたから憚ったというのはどうかな。

372: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 10:13:19 O
と思ったけど、よく考えたら王莽も異相あったような?

374: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 17:24:35 0
>>372
おっと髪型についての話題はよしてもらおうか。

375: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 18:26:23 0
次の部分は正史ではどのような記述になっているのでしょうか

呂伯奢の家族殺害の部分
自分の意見に反発する軍師を殺したのかどうか?
荀彧との亀裂の真相
華佗の殺害の部分
徐州虐殺
孔明は曹操に心酔してたか

377: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 20:45:32 O
>呂伯奢の家族殺害の部分
正史には存在しない。
注に引いて『魏書』では正当防衛、『世語』では家の人を勝手に疑って、『雑記』では食器の音で勘違いしてそれぞれ家の人を殺している。
ただ『魏書』は自国史なので客観性に若干疑問あり。
陳寿が載せなかったのは、人によって意見がわかれたからか、重要でないからか、あるいはその両方かと。

荀彧との亀裂の真相
荀イクとの亀裂の真相よく議論にはなる。
真相とよべる程の決め手となる記述はない。
ぶっちゃけ大昔の歴史家達の間でも漢の忠臣か魏の謀臣かで意見が分かれてる。 
>徐州虐殺
復征陶謙、拔五城、遂略地東海。還過[炎β]、謙將曹豹與劉備屯[炎β]東、要太祖。
太祖撃破之、遂攻拔襄賁、所過多所殘戮。

まあ要するに曹操は五城を攻略して東海に達し、[炎β]という土地を過ぎたところで、陶謙が曹豹と劉備を率いて迎え撃ったんだけどこれも撃破して、襄賁を攻略、通り過ぎた所では殺戮が多かったという話かと。

>孔明は曹操に心酔してたか
法家系政治家として見習った部分はあるかも知れんけど、多分ないと思われ。
注の亮集より諸葛亮の魏評要約
「項羽は徳によらず挙兵して横死したが魏はそれを追おうとしている。 …(中略)…世祖(光武帝)は数千で四十万を破ったように悪を討つのに数は関係無い。 現に曹操は数十万揃えても我々に勝てなかった。 (以下数は関係無いということを例えを尽くすだけなんで後略)」
ってな調子なんで。

378: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 21:12:31 0
>>徐州虐殺
後漢書陶謙伝の方にある。一度目の攻撃のとき。
・陶謙は退いて[炎β](タン)を保った。曹操はこれを攻めたが落とせず帰還した。通過するところで、取慮、雎陵、夏丘を抜き、皆これを屠った。
およそ男女数十万人を殺し、鶏犬も余すところ無く,泗水はこれにより流れによりながれなくなった。
これより五縣城にまた行跡なくなった。はじめ三輔(長安周辺は)は李カクの乱に遭い、民衆は流れ移って陶謙に依ったが、みな殲(ほろぼ)された。

379: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 21:27:31 0
心酔してたかどうかまでは分からないけど、孔明が鶏舌香という口臭を消す香草を曹操に贈ったという話がある。
クローブの実らしい。

380: 世界@名無史さん 2009/04/29(水) 21:33:12 0
>>379
つまり「曹操お前口臭い」っていう罵倒の意味か

382: 世界@名無史さん 2009/04/30(木) 04:47:04 0
>>380
だったら面白いけどねw
鶏舌香っていうのは尚書郎が皇帝の御前に出て報告する際に含む決まりのもので、後漢桓帝は年老いて口臭のある侍中にも、直々に賜ったという記録があるね。
つまり孔明は「皇帝陛下に忠実でいてください」という気持ちを伝えるとともに、曹操の老いをいたわってるわけ。

曹操が「鶏舌香を5斤も贈ってくれてありがとう」と孔明に感謝する手紙を書いてて
『三曹集』59ページ目の「与諸葛亮書」に収録されてる。
http://fliiby.com/file/43800/3bcaydvwki.html

383: 世界@名無史さん 2009/04/30(木) 10:32:09 0
漢帝国の臣下どうしという建前が生きていたんだね。

385: 382 2009/04/30(木) 20:02:25 0
> 曹操が「鶏舌香を5斤も贈ってくれてありがとう」と孔明に感謝する手紙を書いてて

さっき読み返してみたけど、これ話が逆になってるね。
曹操が孔明に手紙を送ったのは事実だけど、
「いま鶏舌香を5斤お贈りして感謝の気持ちに代えさせていただきます」
って言ってるみたい。
最初に孔明の方から曹操に何かの品物を贈って、曹操はその返礼として孔明に鶏舌香を贈ったんだ。 

388: 世界@名無史さん 2009/04/30(木) 21:16:44 0
>>385
それだと桓帝の故事に倣って俺こそが皇帝という意思表示になるな

389: 世界@名無史さん 2009/04/30(木) 22:07:09 0
美談だと思って紹介したらとんだ横柄さだったでござるの巻

390: 世界@名無史さん 2009/04/30(木) 22:11:42 0
孔明は何を送ったのだろうか。でも意外だな、二人に接点があったんだ。

391: 世界@名無史さん 2009/04/30(木) 22:33:35 0
オレこそが皇帝、と言う見方もあるかもだけど、独立なんぞせずに臣従してこっちに来て皇帝に見えよ、と言う風にも取れないかね。

392: 382 2009/05/01(金) 00:32:50 0
>>391が正解に近いんじゃないかなぁ。
昔、太史慈に当帰を贈って謎かけしたみたいに、
「鶏舌香をあげるから、一度こっちの皇帝陛下にご挨拶においで」っていう感じ。
孔明は孟達からも玉ケツ、蘇合香、織成を贈られてるね。これも謎かけだった。

394: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 08:58:07 0
劉備の漢中王即位には献帝の承認は得たの?

395: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 09:19:42 0
勿論得てない。
上表はしただろうけど、曹操派が尚書を掌握しているのだから握り潰されたか、折り返しで賊認定の詔勅が出されただろう。

399: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 12:09:10 0
蜀では魏の簒奪時に皇帝が殺されたと伝わったらしい

400: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 14:18:46 0
字に孟がつく場合は庶子、ってどこかで聞いたんだけど本当?
曹操とか馬超とかそうなの?

401: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 20:06:17 0
>>400
礼緯に「伯は嫡流の長子、孟は妾腹の長子にすべき」と書いてあるそうだ
後漢くらいまでは緯書が大人気だから、この時期の「孟」は字面通り妾腹じゃないかな

402: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 20:59:12 0
じゃあ誰が嫡子だったのだろうか?

404: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 21:27:12 0
>>402
曹嵩といっしょに殺された者の中に実兄がいたのでは?
実は曹嵩殺害の件も、曹操による暗殺(実兄の)だったのでは?

407: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 22:07:38 0
>>404
いや、伯・孟の関係でいうなら曹操は庶兄ということになる
つまり曹嵩と一緒だった曹徳の方が嫡男(曹操の弟)だったということだな

408: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 22:40:27 0
>>407
兄弟で徳操セットなのな
曹操は字にも徳使ってるし、案外曹徳は伯操とかだったりして

411: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 22:46:57 0
>>410
仲がいいというか「徳操」という儒学の重要単語があって
両者ともにそこから名付けられてるっぽいのでそういう可能性もある
曹徳も別に嫡男で無い可能性だってあるしな

412: 世界@名無史さん 2009/05/01(金) 22:52:19 0
仲いいなは無論冗談だよ
で、避諱の点から操はないだろう

413: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 00:06:05 0
>>412
曹徳が弟でも嫡子だった場合、曹操のが立場が下だから
曹徳が弟の場合は嫡子の場合に限り、ありえるかな
曹徳が兄の場合、嫡庶関係なくありえる

414: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 00:15:08 0
曹操の立場が下だったら、孟「徳」がまず有り得ないって

419: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 13:30:50 0
>>414
兄弟間で避諱するなんて聞いた事ないけどな

420: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 13:36:26 0
>>419
趙匡義は兄貴が皇帝になったら光義に変えてるじゃん
姓と氏が適当になったみたいに避諱も適当になったんじゃないの
今でも続いてるなら「沢」とか「東」が避諱されてもおかしくない

421: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 13:38:37 0
>>420
趙光義の場合は皇帝に対する避諱なので兄弟間ではないです
むしろ最初は匡義だったので兄弟間で避諱してない

415: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 07:30:11 0
趙「匡」胤
趙「匡」義

の兄弟の場合、何で諱被ってんの?

418: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 11:14:41 0
>>415
そもそも、親がつける分には避ける必要はないだろう。

あと、最近の話題全般についてのことだが、避けなければならないのは直系親族だけじゃないかな。
漢皇族だけで同名がかなりいる。
光武帝の息子劉焉と劉璋の父の劉焉、劉備の祖先の劉勝と、和帝の息子劉勝、
後漢の宗室で二十八将の一人劉隆と後漢の殤帝劉隆、恵帝の長子劉彊と光武帝の長子劉彊…
数えるのがうんざりしてきたからこの辺で。
ちなみに劉勝の例は明確に祖先の兄の諱を犯している。

417: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 10:06:32 0
華佗が外科手術を行ったなる記録は正史には記述されていない。
明代の演義のなかでの話。
明に渡来したポルトガル人の外科手術をみて恐怖に思った話を混ぜたのかも。

418: 世界@名無史さん 2009/05/02(土) 11:14:41 0
>>417
若病結積在內、針藥所不能及、當須刳割者、便飲其麻沸散、須臾便如醉死無所知、因破取。
病若在腸中、便斷腸湔洗、縫腹膏摩、四五日差、不痛、人亦不自寤、一月之間、即平復矣。

開腹手術、恐らく盲腸の記録。
正史の方技伝から。

434: 世界@名無史さん 2009/05/03(日) 13:21:18 0
黄巾には貧民だけで、士夫人、豪族は参加していなかったのですか?

436: 世界@名無史さん 2009/05/03(日) 14:37:07 0
>>434
参加してると考える方が妥当
というか黄巾が農民反乱と見るのは演義だけで実際はもっと別のもの

437: 世界@名無史さん 2009/05/03(日) 19:54:53 O
首謀者が将軍号を初めから名乗っていたり、反乱の理論が王朝交替説の知識に基づいていたり、少なくとも知識人だわな。

引用元: ・正史『三国志』 十四巻