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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2017/03/20(月) 22:49:13.76 ID:hugaVazr0
魏は国力差を活かしきれてないのか、あるいはそこまで国力差が実は無かったのか








842: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/11(火) 18:41:12.10 ID:lOFz9gIP0
曹操が戦上手の若い司馬懿を大抜擢してもっと早くから前線で指揮を取らせたら統一が果たせたかもとか?
関羽の時も呉を抱き込むアドバイスしてたっけ?

843: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/11(火) 19:23:31.35 ID:ecFk7qM90
その頃のしばちゅうさん軍司馬(高級参謀)で指揮とか自分で取ったことなかったんじゃ
しばちゅうさんが軍の指揮を任されるのは曹丕の代になってから(その頃も数千程度で本業は内政)

845: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/12(水) 20:05:51.27 ID:NhdNfhmt0
司馬懿は確かに戦上手ではあるけど
基本、攻められてから反撃するパターンが多くて
例外は孟達の裏切りを阻止したのと燕侵攻ぐらいで大規模な侵攻作戦とかやった事ないから韓信のような役割ができたかどうかは分からんよな

848: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/12(水) 20:42:32.64 ID:kxHpKwHQ0
>>845
韓信ほどかは分からんけどそんだけやってれば十分だと思う

849: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/12(水) 20:48:52.15 ID:VOHWYXnk0
大規模侵攻は相手陣営が臨戦態勢に入る前か屋台骨が腐りきってからが定石だから三国時代のように互いに陣容を整えた後ではもう無理
内部崩壊を待つしかない

851: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/12(水) 21:20:14.49 ID:jxY89AMT0
曹操が漢中行った時劉備の軍は引きこもって曹操軍ばかり損耗してったとかそういうのどっかでみたけど実際劉備の兵力ってどんなもんだったんだろ
関羽がピンチの時援軍出さずに漢中王になったりしてたがあれってまだ呉の裏切りに気づいてなかったから援軍出さなかっただ
陸遜がフタしてたから届かないだろうけど

854: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/13(木) 06:46:58.79 ID:NrgTJd1N0
>>851
中国版wikiだと劉備軍7万(多分張飛馬超等の別動隊や異民族含む)
曹操軍10万

219年05月 曹操軍漢中から撤退
219年07月 劉備漢中王僭称
219年07月 関羽軍と于禁軍が衝突
219年08月 于禁軍大雨で壊滅
219年10月 関羽軍と徐晃軍が衝突
219年閏10月 呂蒙軍荊州に侵攻
219年12月 関羽呉軍に偽降の末逃亡して処刑

さすがに劉備が本気で関羽に援軍出していたら援軍の先鋒が陸遜軍と衝突しててもおかしくないがそういう援軍の記述はない
魏の樊城への援軍や呉の後の三方面の戦いとかほぼ休みなしで連戦してたりする軍もあるので
関羽に援軍が無いのは劉備が関羽を見殺し
もしくは蜀が他国の動静に疎い情弱
もしくは蜀の国力が連戦に耐えられんぐらいの脆弱
もしくは蜀軍が連戦に耐えられんぐらいの貧弱
なんでしょうな

858: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/13(木) 18:54:50.38 ID:G3/hNCFL0
>>854の意見はかなり偏向的な物言いだが、それでも情報としてはなかなか面白いと思う。
魏は大国故に継戦能力は高いが、前線の指揮官に蜀や呉のような天下に名を轟かす豪傑や地の利を生かしたスペシャリストがおらず将として格落ちしてる部分は否めないから苦戦したんだろうな。

現に対関羽戦でも魏は于禁、曹仁、徐晃と名将三人を当ててようやく撃退に追い込むくらいしか独力では出来なかった。
圧倒的な物量が魏を支えていたんだろう。

868: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/14(金) 15:19:58.35 ID:uB6FDIxj0
>>858
さすがに于禁や曹仁や徐晃が格落ちとか有り得ん
それでは関さんが手も足も出なかった楽進よりも格下になってしまうぞ
曹洪だって絶好調だと張飛馬超を一蹴するしな
勝敗は兵家の常だよ
曹仁とか徐晃とかは関羽と戦う前に戦役有って連戦なので万全の状態ではないのは確か

870: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/14(金) 22:19:06.47 ID:nISFU8gHO
>>868
楽進には船を数隻燃やされた程度じゃなかったっけ?
それに手も足出なかったら、楽進はあっさり荊州制圧出来ているのでは。

879: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/15(土) 05:53:05.13 ID:jnzCnvA90
>>870
楽進は少なくとも2度関羽と戦っているけどいずれも関羽が攻めて楽進が守って関羽が退けられている
楽進はただ守っているだけだが楽進が生きている間は関羽は魏に侵攻成功する事は無かった

882: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/15(土) 17:33:19.32 ID:2s8uVp290
漢中の曹操もだけど、曹丕も夷陵の戦いの時に孫権の時間稼ぎを許さず呉になだれ込んでいれば天下統一の好機だったのに
本当にここぞというときにアカン親子だな。

883: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/15(土) 18:40:07.65 ID:y/QNMmmL0
>>882
夷陵は劉備が無能過ぎて曹丕もまさかの呉がほぼ無傷とは予想できんだろ

885: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/15(土) 22:47:28.50 ID:NHH91WtC0
>>882
曹丕は選択ミスしすぎだわ
夷陵後に呉を攻めるのではなく蜀を攻めるべきだった
あのボロボロ状態の蜀ならいくら戦下手な曹丕でも滅ぼせただろ

蜀を滅ぼして長江上流域を確保したら呉に対してかなり有利になった

886: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/15(土) 23:34:57.35 ID:eOJHZIEW0
劉備と陸遜が対峙している時に呉を攻めれば良かったのでは?
呉に対しては攻勢正面が広いが蜀は山だし侵入口がかなり限られる

887: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/15(土) 23:46:25.86 ID:y/QNMmmL0
>>886
それこそ、「たられば」だろ
劉備が一瞬で敗れるなんて予想できないから後手に回っただけなんだから
にらみ合ってる状態で攻め込むなんて博打を打てなかった
下手すれば呉蜀に攻められる危険があるし

891: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/16(日) 04:28:17.71 ID:iU3Er/0W0
>>887
夷陵って1年近く戦ってるから全然一瞬じゃないぞ
その間、何もしなかったのは魏側のミスだと思うわ

893: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/16(日) 22:26:27.82 ID:3ngmJGtB0
>>891
だからほぼにらみ合いだろ
陸遜の閏6月に陣への攻撃から曹丕は外交を挟んでの9月には攻め込んでるよ

894: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/16(日) 23:19:38.68 ID:iU3Er/0W0
>>893
いや普通に何回か衝突してるだろ
しかも荊州では蜀の謀略により蛮族が反乱起こしてるし

896: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/16(日) 23:23:09.28 ID:3ngmJGtB0
>>894
両軍共に元気な状態で攻め込めって事?
呉だけが反撃する根拠ってなに?
教えてくれないか

897: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/16(日) 23:26:43.71 ID:iU3Er/0W0
>>896
荊州の戦争に魏が加わるのでは無く
戦ってる間に楊州に攻めるという手もあったし、逆に益州に攻めるという手もあった

899: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/16(日) 23:32:47.82 ID:fhyiAbUP0
>>897
第1次茨州戦だと曹操が漢中侵入で戦争止めてるよね

892: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/16(日) 10:06:10.85 ID:fS5oD6mp0
曹丕即位直後から涼州でぼつぼつ反乱が起こってたからその鎮圧で手一杯だったんだろな
この時期は国内の地盤固めに必死で外征する余裕がなかったんだと思う
そうはいっても、万全を期して始めた呉討伐があの結果だから曹丕には軍事的才能がなかった、少なくとも孫権にも劣る器量だったと結論づけるしかないが

903: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/18(火) 10:38:47.81 ID:87yrz9VL0
曹丕としても呉が従属してきたからとしてと一方的に有利な状況ではなかったということか
国として不安定な時に従属国を背後から襲うなんて馬鹿な真似は出来なかったわけだ

904: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/20(木) 01:34:51.13 ID:zbmF0V5U0
孫権が臣従を申し出てきたからこそ円滑に禅譲を進めることができたのだし、曹丕が孫権に対して借りを感じるのも理解できなくはないがな
劉曄なんかにも言われてるけど曹丕は譲歩しすぎ
舐められるのも当然ですわ
曹丕と孫権、年齢差は5つしか違わないが君主として積み重ねてきた経験が違いすぎた

906: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/20(木) 06:07:25.82 ID:DTSJvstQ0
曹丕は官人としてのキャリアも浅いような気がするのよ
前線での指揮官とか経験できていたらその後の対呉戦もやり方とか変わっていたんじゃないのかな

907: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/20(木) 23:59:30.36 ID:zbmF0V5U0
曹丕が自著、典論の中で述懐してるのを見る限りだと、曹丕も幼い頃から弓馬の術を学びたびたび従軍して戦場を経験してはいるんだよな
成人してからはずっと副丞相として鄴で留守番役だったけど経験としては十分だったけど才能が足りなかったのか

908: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/22(土) 21:40:39.62 ID:thKvHFA70
>>907
曹丕は文才はあったけど軍才はからっきし
次の曹叡が前線指揮官より観察眼あったとかいう超能力者だから余計に際立つ
だから軍は司馬懿や曹真の重きが増したし、チングン重用して政治改革を押し進めた
その結果が晋まで続くシステムが王朝を保たせることになる

逆に孫権は子供の頃から政争や豪族の統率や山越への民族浄化で鍛えられ過ぎている
本人の威厳と軍才(ただし守戦のみ)と謀略があったからこそ政治改革の必要もなかった
晩年の凋落と後継者の受難は孫堅時代からの豪族集合体システムから脱却できなかったのが大きい

909: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/26(水) 22:33:46.92 ID:rMNK7qeq0
曹真や司馬懿や陳羣は曹丕からのお下がり
曹叡はコミュ障の上に短命だから自分の味方を育てられなかった

910: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/26(水) 23:39:45.84 ID:zoBNWc/50
曹叡なんてみんなが袁氏の子供って見てるのに誰も味方にはならんやろ
一番の側近のはずの孫資と劉放とか後継人事で無茶苦茶やってるし

912: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 08:03:55.66 ID:0rrpUs9R0
>>910
あまりに強権過ぎて宗族すらも一歩引いてた感はあるな
本人としては曹植の息子を登用したり後事を曹宇に託そうとしたり宗族に力を与えようと腐心したけど
そのアホ側近二人がちゃぶ台を返して最悪の結果になったと

919: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 20:27:42.31 ID:f0R/eqRy0
陳寿が正しいなら
曹叡は曹丕が甄氏と出会ってから2カ月以内に生まれていたことになるな

911: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 00:12:39.89 ID:YC8CNZky0
鄴が包囲されてた時期を考えると袁氏の子ではないだろう
袁氏の子と皆に思われている状況なら皇帝は無理
味方がいないならなおさら

912: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 08:03:55.66 ID:0rrpUs9R0
>>911
陳寿がエンキの子供説を伝の没年の最期で暗示してる
ハイショウシは曹丕の子だから年齢2歳若いと注訳したのは桓温を叩くため
(奴が禅譲させたらなら血の繋がった子孫が国を傾けるぞと言う脅し)

913: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 08:17:07.17 ID:aJss3rZs0
曹叡の子供ってことになってる曹芳が皇帝から引きずりおろされて曹叡の直系じゃない曹丕の孫の曹髦が皇帝になったのは血筋が怪しいっていう理由じゃないとは思うが多少はそういう空気があったのかな

915: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 12:40:55.29 ID:lCNCE3DC0
>>913
曹芳が権力に溺れて好き放題してるのを嫌った郭大后と、それなりに年食ってきて専断できなくなるのを危惧した司馬師の利害一致
この行動のせいで司馬懿の与力ポジだった毋丘倹が怒るあたり、魏の忠臣は賛成ではなかったようだ

曹髦が年食って司馬昭を粛清しようとしたあたり、曹一族を軟禁状態にしてなお安心はできないという意志はあったのだろう

916: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 13:17:36.01 ID:aJss3rZs0
>>915
正史を疑ったら話にならないのはわかってるんだが 幼いころから勉学に励み民や官奴婢にまで心を砕く詔勅出してた曹芳が女色にふけってまともに政治もしないダメ皇帝に成長するのが違和感ありまくりで
その↑発言した司馬師の言葉を素直に飲み込めない自分がいる

曹髦が司馬昭と皇后殺しに来たから返り討ちにしたとかその辺もそのままだとは思えない

曹爽がダメだったのはそんな気もするんだが 司馬懿の息子たちに負のバイアスかかりすぎかw

917: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/27(木) 13:57:14.41 ID:rml9UTj30
>>916
曹爽は叡のアホ側近2人の見る目のなさの末路
曹宇や秦朗と仲が悪いから誅伐されるのではと考えて、操作しやすいと考えた司馬懿(実際武官としての名声だけだった)と曹爽(曹真は司馬懿の前のナンバーワン武官だった)を据えることにした
でも曹爽の中身は武官ではなく文人で、結局政治の操作が及ばなくなり、司馬師の野望を勃発させるきっかけになったと

実際、司馬師はかなり闇深い野心家
司馬懿は軍権と名声(これは司馬孚も)を利用するために担ぎ上げてるようなものよ
だから成長した曹芳を排除したわけであって、建前こそあれど実際はどうだったかは伺い知れない

933: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/28(金) 07:03:58.84 ID:chLe5mDh0
農繁期に農民集めて労働強いるコミュ障の曹叡よりはまだ曹丕が長生きした方が可能性あるんじゃね

936: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/28(金) 09:04:17.86 ID:r8SALuLv0
>>933
しかんさんは軍才無さすぎるし粛清ばっかだから、長生きしたらしたできつい
親征したら間違いなく逆効果だろうから曹真満寵が頼りだけど、結局司馬懿が磐石なのは変わらないと思う
240年くらいまで守勢で生存したあと曹礼が継いで李淵並の実力を出せば…って感じ

938: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/28(金) 20:12:59.51 ID:AeVcH0Fz0
>>936
曹丕の粛清って楊俊と鮑クンの他に何かあったっけか
昔の恨みは忘れないしやや身内びいきが過ぎるきらいはあるものの、先代から続いていた密告政治をやめさせたり曹叡の代で覆されたものの外戚の政治介入を禁じたり、曹家三代の中では曹丕が一番まともな政治感覚を持っていたと思う

940: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/28(金) 20:43:52.82 ID:cfyAKp6g0
>>938
表沙汰になってるのは少ないが怪しいのが何人かいる

代表的なのが蘇則(対異民族のプロ)
狩りで役人が獲物を逃してしまった際にその役人を曹丕が殺そうとした
死を覚悟して蘇則は役人らを許すよう懇願した
その後左遷先に移動中死亡という悲惨な最期
病死とされてるが暗殺が濃厚

941: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/28(金) 21:45:35.09 ID:AeVcH0Fz0
>>940
の割に、蘇則には剛候って諡が追号されているがな
于禁には厲侯なんて悪諡を与えて辱めた曹丕が暗殺した相手にそんな良い諡を追号するとは思えんわ
これによらず、先入観から一周回って不当な評価がされてる例が曹丕には多いと思うんだな

942: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/28(金) 22:09:50.99 ID:p5pNVR1z0
>>941
于禁は表向きにも敵に降伏したから堂々と罵って踏みにじれたしは大きな失策もなかった

蘇則は表向きの悪行はない上223年に死んでる
この時期は曹丕が呉に力攻めして大敗して多数の死者を出す大失敗をしてるから于禁みたいな事したら蹴落とされるわ
ほうくんだってあの後曹丕が死んでなかったら、一足早い廃帝議論もあり得た

944: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/29(土) 00:29:47.59 ID:Gr5kvZjn0
曹洪も殺そうとしてなかったっけ

945: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/29(土) 01:08:44.21 ID:1pHZz1t+0
>>944
あれは周囲が止めてくれるのも計算のうちだっただろうし、結果だけを見たら本家よりも蓄財に励んでいる裕福な分家筋という危険分子を穏便な形で掣肘することが出来た、と言えなくもないかな
最大限好意的に評価するとしたらね
何にせよ、この件などで過去の恨みから根も葉もない因縁をつける陰湿な小人物というイメージが付いてしまったのもまた事実ではあるが

960: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/29(土) 22:39:00.56 ID:mx1FX5dC0
華北から江南を落とすにはやはり蜀が必要
西晋も隋も前王朝の時に蜀を獲得してなかったら統一は不可能だった

961: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/29(土) 22:41:53.78 ID:hn6I/+KQ0
蜀取られていたのに華北の南征を撃退した東晋はやっぱ凄えわ

962: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/29(土) 23:11:57.14 ID:nNkPkDRj0
>>961
江南の要は蜀ではなく江陵
ここを持ってないと安全な長江渡河ができず建業が難攻不落になる

苻堅は江陵を落せずにヒ水の戦いをした結果まんまと迎撃されて大敗
地の利がない場所に攻撃ルートを一個に絞った大兵力の侵略
このパターンは近代になるまで十中八九負けてる

964: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/30(日) 05:58:33.38 ID:6XAnHhL10
>>962
隋の滅陳なんかでは巴や江陵からの軍は陽動の役割しか果たしてなくて、建康を陥落させたのは江北から南進してきた軍なんだけどね
重要なのは華北王朝が淮南まで占領してるかどうかでしょ
苻堅や北魏と西晋・隋の南征の成否の分かれ目はそこに収斂する

曹丕の南征は時代が時代だから洗練されてないよなあ
曹魏だけはこの条件満たしていても南征に失敗まくった

965: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/30(日) 06:49:05.10 ID:DKobBMMa0
>>964
あれは川を大改造したからこそできるようになった荒業
それまでは騎兵は支流や湿地に足を取られて攻勢が難しくなったが、治水で地盤が安定した
そして陳が弛緩しきって統制が取れない国だったのも幸いしてる
どんだけ条件違うと思ってるんだ

967: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/30(日) 08:30:16.00 ID:TgZ5w0oU0
>>965
淮南の民を強制移住させたり徐州虐殺したりで自ら江南遠征のハードルを上げまくっていた王朝があると聞いたんだけど
住民がいたら運河開削できていたかもしれないね

969: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/30(日) 15:24:10.11 ID:wTyYBWIW0
>>967
そこまでやる価値がないから強制移住になったのが分からないのか
赤壁以降の曹操は中原の安定と地盤固めに力を注いでいる
結局呉は制圧するほどの価値がない辺境と見なされてるのを認めたようなものだ

隋は北魏からの念願だった鮮卑による中華征服のために島夷を討ったのであって江南に価値は見出してない
江南が本格的に栄えたのは煬帝の運河を唐が使うようになってからだしな

970: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/06/30(日) 18:00:28.89 ID:RQBhJHer0
>>969
江南に価値がないのであれば何で曹魏も北朝も江南に軍を何度も進めてその度に撃退されているの?
価値がない地域を全力で攻めて病死した曹丕さんとか意味不明過ぎないか?

973: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/01(月) 02:01:57.60 ID:QM0fQu0N0
魏は呉に対して、前漢初期の南越や閩越のように高度な自治を認めつつ冊封体制に組み込むっていう選択肢が有り得たと思う
たぶん曹丕も最初はそういう方向性を模索していたように思う
遼東公孫氏だって似たような状況だったしな
呉が夷陵で敗れていたか、その後の曹丕の南征が成功していたらそういうifも有り得たかもしれない
結果的にそうならなかったから半世紀近く三国が鼎立する状況が生まれたわけだが

974: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/01(月) 15:35:12.84 ID:TIRMS8Op0
二虎競食は夷陵まで上手くいってたが、残念なことに蜀があっさり負けたことと対呉にしか備えてなかったことが裏目に出たな
後の軍事行動の選択肢を考えるなら両方ともに攻め入れる準備をしておくべきだった
呉の臣従解消に怒って攻めて返り討ちにあった時といい、曹丕は戦略を立てる才能にも恵まれてないな

975: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/01(月) 15:50:22.09 ID:nzp0r8q70
あの時蜀に攻め込んでおけばよかったのに呉に攻め込んで蜀を救ってしまうという結果の曹丕さん

976: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/07/01(月) 16:46:47.07 ID:9+jFkNTt0
呉が蜀を取ってたらもっと面倒だったかもしれんし攻めたこと自体は間違いとは言えない。負けたのはうんち

引用元: ・何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか