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1: 世界@名無史さん 2020/09/11(金) 19:19:28.32 0
海洋国家と海軍の歴史について語るスレです。








2: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 11:46:56.15 0
インドには、チョーラ朝以外に海洋国家が出現しなかったのは、なぜなんだろう?
インド洋に面していて、海岸線も長いから、もっとたくさんの海洋国家が出現していてもよさそうなもんだが

3: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 18:14:25.02 0
同じような産物を作っているので交易する必要があまりない

4: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 18:48:52.92 0
ムガル帝国は独自の強力な艦隊を持たなかったので、ポルトガルに対抗するためオランダやイギリスの進出に期待を寄せた
何でも自国でやらずに、異民族を利用すればいいという考え方だったのかな?

6: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 19:22:39.90 0
ムガル帝国の第三代皇帝アクバルは、30歳になって初めて海を見たといわれている
ムガル軍の主力は華麗な騎兵隊にあり、ムガル帝国は海軍という名に値するような海軍力はもっていなかった

18: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 05:21:34.63 0
ムガル帝国は、ポルトガルの活動にまったく無関心だった
年代記の類にもほとんど記録を残していない
影響を受けたのは、カリカットの王のようにインド西海岸で海上貿易に力を入れていた小支配者に限られた
これは、1600年のインドの人口約1億人に対して、ポルトガルの人口わずかに150万人、という数字を考えても、納得のいくところであろう
要するに、インド史の展開においては、ポルトガルの「帝国」も、「黄金のゴア」とポルトガル人が呼んだゴアの繁栄も、周辺的な意味しか持たなかったのである

19: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 07:41:05.55 0
なんか支那と似てるな
清朝もアヘン戦争で負けて香港分取られてもまだ辺境の話として深刻に受け止めてなかった
その後のアロー戦争で北京天津に攻め込まれて初めて危機感を覚えたらしい

7: 世界@名無史さん 2020/09/12(土) 23:17:44.33 0
オマーン海上帝国も海洋国家だが、オマーンではシヴジ一族を筆頭とするインド商人が活躍していた

8: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 06:34:14.96 0
インドのグジャラート朝は同じイスラムのマムルーク朝と組んでポルトガル艦隊を撃破したこともあった(1508年のチャウル海戦)。
インド洋貿易で栄えかなりの海軍力を持っていたのだ。

9: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 10:45:57.36 0
オスマン帝国のスルタンやカリカットの王も船隊を編成してポルトガルの船隊に戦いを挑むこともあった

11: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 14:42:26.64 0
オスマン帝国は、アチェ王国への軍事支援や技術支援も行っているんだよな
地中海方面ばかり向いていたわけではない

28: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 18:21:04.50 0
オスマン帝国の海軍は、ギリシャ人をはじめとするキリスト教徒が担当していた
もともとモンゴル人やトルコ人などの遊牧民は、すべてを自分たちでやるのではなく、不得手な部分は支配下の民族を取り立ててやらせるという習慣がある

海賊バルバロス・ハイレッディンはレスボス島の生まれだが、スレイマン大帝の招きに応じ、配下のガレー船を従えてイスタンブルを訪れ、そのまま
オスマン帝国に帰順し、カプダン・パシャ(大提督)に任命された

10: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 13:21:26.06 0
東南アジアではアユタヤやパガン朝が率先してポルトガル水軍を傭兵として使った
ところが双方ともポルトガル人だったから彼らは真面目に戦おうとしなかった
痺れを切らしたアユタヤはポルトガルを捨てて日本人の傭兵を使うようになった

その名残でアユタヤではポルトガル人街と日本人街が隣り合ってる

14: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 22:11:49.38 0
>>10
アユタヤ朝のナレースワン王はまず、現在のベトナム南部に居住していた海洋民族チャム人を移住させて海軍を創設。
海軍を率いてビルマに奪われていたマレー半島西岸の港市テナセリムとタヴォイの2都市を奪還し、インド洋と南シナ海を結ぶ中継港としての機能を回復した。

16: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 23:39:20.51 0
>>10
日本人町と日本人、当時の東南アジアでは嫌われてたらしい
日本人町そのものがいざとなったら武装集団と化すうえ、やたらと戦争慣れしていて、態度がでかく乱暴、クーデターの片棒担いで王宮を占拠したこともある

17: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 00:18:06.81 0
>>16
東南アジアではってえらい大きく出たけどそれアユタヤだけちゃうんか
アユタヤでさえ実在したかどうかも分からん山田長政ぐらいしかそんな話無いし

12: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 20:06:21.47 0
このスレタイでイギリスでもカルタゴでもヴェネツィアでもなくインドから話題が始まってるの面白いな

15: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 22:26:38.07 0
シュリーヴィジャヤ王国も海洋国家だな

この王国の成立は東南アジア群島部の歴史にとって画期的なことだった
シュリーヴィジャヤはインド洋方面から貿易船が来航し、東南アジア群島部の各地との間を往復する貿易船との間で貿易を行う中継貿易の基地だった

シュリーヴィジャヤ王国の成立とともに、同地を中心とする東南アジア貿易圏が成立したといえる

21: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 09:01:31.34 0
ではそろそろ内陸国の「海軍」の話を・・・

37: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 16:33:20.19 0
>>21
ハンガリー海軍省とソ連文化省

22: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 09:15:17.21 0
ボリビア海軍とか

ボリビアはチリとの争いに敗れて太平洋沿岸の国土を失ったが、その後も海軍は維持され続けている

23: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 10:21:04.51 0
エチオピアでは、エリトリアと連邦を解消するまでは海軍が存在していた

24: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 11:21:43.37 0
カスピ海艦隊は内陸国の海軍と呼んでいいのかな

27: 世界@名無史さん 2020/09/15(火) 16:36:56.89 0
モンゴルにも過去には海軍が存在していた
今は民営化されて湖で観光客の案内をやっている

35: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 16:01:04.06 0
エリザベス1世時代のイギリスは海賊を海軍として登用してるけどその頭目ドレイクは傭兵隊長やね

36: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 16:16:53.65 0
>>35
そもそも近世のヨーロッパではまだ掠奪が悪いことだという観念が存在しないからな
だから私掠船というものがあった

38: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 16:35:15.67 0
楠木正成とかロビンフッドみたいな義賊として美化されてそう>ドレイク

39: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 16:50:59.72 0
ドレークはその功績から、イングランド人には英雄とみなされる一方、海賊行為で苦しめられていたスペイン人からは、悪魔の化身であるドラゴンを指す「ドラコ」の呼び名で知られた

40: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 18:13:54.92 0
戦前の日本人は倭寇=カッコイイ、という感覚だったらしい
日本人の海外雄飛の象徴、とでも考えていたのだろう
で、中国人は日本人のそういう価値観に触れて違和感を覚えたとか

44: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 19:39:13.31 0
ドイツを陸軍の手本とした他の国々だが海軍のほうは日本同様イギリスを手本にしてたんかね

45: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 19:53:42.42 0
>>44
オスマン帝国海軍は、最初はフランスから軍事顧問を招いたが、マフムト2世の時代にはアメリカ人が招かれてオスマン海軍に近代的な造船技術を伝えた
やがてタンズィマート期に入り、オスマン帝国とイギリスとの間がかつてないほど親密なものになると、海軍のお雇い外国人の主役の座もイギリス人によって占められるようになる

49: 世界@名無史さん 2020/09/16(水) 22:29:19.34 0
1571年のレパントの海戦の敗北は、オスマン側にとって、西欧側が想像したほど深刻なものではなかった
主力艦隊の喪失に動揺する海軍長官クルチ・アリ・パシャに対して、大宰相ソコルル・メフメト・パシャは、
「そなたはこの国の底力を知らぬとみえる。そなたが望むならば、すべての軍艦の錨を銀で、ロープを絹糸で、帆を綸子でつくることもできるのだ」
と豪語し、わずか5か月で艦隊を再建したという

ムガル帝国の歴史もそうだが、西欧側からの視点だけだと偏る

52: 世界@名無史さん 2020/09/17(木) 18:10:24.96 0
ヴェネツィア共和国のガレー船は、初期には自国の自由民が漕ぎ手の中核をなしていたが、レパントの海戦の時代には、手工業の発展により漕ぎ手になる国民が激減し、貧者、浮浪者、移民が仕方なく行う仕事
もしくは犯罪者が釈放の条件としてやる仕事になっていたとか

59: 世界@名無史さん 2020/09/18(金) 14:46:55.13 0
オスマン帝国は、長年海軍をギリシャ人に任せてきたため、ギリシャ独立後は、昨日までアナトリアの草原で羊を追っていた若者たちを徴兵によって海軍に放り込んだ
彼らはそれまで海を見たこともない連中だった

60: 世界@名無史さん 2020/09/19(土) 02:24:32.29 0
かつてのポルトガルも海洋国家か

61: 世界@名無史さん 2020/09/19(土) 10:48:38.66 0
>>60
スペインは大陸国家なのにうっかり海上帝国になってしまった感を感じますね

62: 世界@名無史さん 2020/09/19(土) 10:52:51.72 0
>>61
スペイン、とくにカスティーリャは大陸国家です
スペインにとって海は本国と新大陸を結ぶ交通手段にすぎず、海軍は商船を敵国や海賊から守ることが目的でした

63: 世界@名無史さん 2020/09/19(土) 21:23:50.52 0
個人的には近世の海上帝国より、中世の海洋民族国家のがワクワク感あるな
交易や略奪も行う遊牧民みたいに、勢いに乗ると拡大しちゃうあたり

64: 世界@名無史さん 2020/09/19(土) 22:12:07.06 0
オマーンは一時ポルトガルの支配下に入ったが、17世紀に ヤアーリバ朝がポルトガルからマスカットを奪回し、オマーン全土を回復
この後19世紀末まで、オマーンの商船はインド洋全域を商圏とし、東アフリカ海岸部を勢力下に置いた
この時期がオマーン海上帝国の最盛期

1817年までに、100隻以上の帆船(400の大砲を装備)を保有、サイード王自身も1826年にボンベイの造船所で1800トンの旗艦を建造させている

65: 世界@名無史さん 2020/09/20(日) 10:43:14.09 0
そのオマーンはザンジバルに通商王国を作ったね

66: 世界@名無史さん 2020/09/20(日) 10:57:31.19 0
オマーン移民は10世紀以前からスワヒリ諸都市に住み着いて土着化していたんだよね
ポルトガルがスワヒリ海岸から駆逐され、おもな港に総督が配置されると、オマーンからの移住も一気に増加した

67: 世界@名無史さん 2020/09/20(日) 18:51:05.85 0
アケメネス朝ペルシアは、海戦には不慣れだったので、支配下の諸民族から軍船と乗組員の提供を受けて、帝国海軍の骨格をなした
その中でもっとも優秀だったのはフェニキアが派遣した艦隊だった

ユーラシア大陸の大帝国は異民族を活用するのにためらいがないな
こういうのは日本人が苦手とするところ
日本人は良くも悪くも自分たちですべてやろうとする

68: 世界@名無史さん 2020/09/21(月) 11:35:57.74 0
鄭和の遠征は過大評価されているように思える
14世紀後半に成立した東南アジアの諸政権は、マラッカ王国を除いて、その建国神話の中で鄭和の遠征について言及したものはない
つまり、鄭和の遠征は、東南アジアにおける新しい政権の形成に対してほとんど影響を与えなかった

71: 世界@名無史さん 2020/09/21(月) 14:36:42.94 0
鄭和の遠征の目的は、東南アジア海域世界を、明朝を頂点とする朝貢体制のなかに組み込むことだった

72: 世界@名無史さん 2020/09/21(月) 18:27:37.63 0
鄭和は支那世界とイスラム世界とを結びつけたことに大きな意味があった
その上で鄭和の威光は東南アジア内陸部の仏教圏にも及んでて、タイでは鄭和は三寶宮っていう仏様として敬われてる
三寶宮はアユタヤのものが有名やけどバンコクはじめ全国各地にある

73: 世界@名無史さん 2020/09/21(月) 18:35:53.61 0
ムラカ(マラッカ)王国は、はじめのうちはアユタヤ朝に服属していたが、明の鄭和の7回に及ぶ来航遠征時の補給基地をも提供し、さらに香辛料の需要拡大という時代の波に乗って、
ヨーロッパ―インド―中国を結ぶ国際貿易港として繁栄した
そしてこの王国は、東南アジアのイスラーム教伝播の基地を提供していた スーフィーたちがイスラーム商人の出先まで入り込み、現地社会がやがてイスラームを信仰していく
ムラカ王国は1511年にポルトガルに占領されてしまったが

74: 世界@名無史さん 2020/09/21(月) 19:51:00.68 0
フェニキアといえばハンニバルを輩出したカルタゴって海洋国家だった?
ついでながらそこの海軍も強かったんかな

77: 世界@名無史さん 2020/09/22(火) 20:41:22.24 0
>>74
西地中海の覇者だった
造船技術にも優れていたらしい
第一次ポエニ戦争ではガレー船の先にハシゴのようなものをつけて海戦を陸戦に変えるローマの奇策にやられた

82: 世界@名無史さん 2020/09/23(水) 07:52:06.50 0
>>77
カルタゴは海洋国家だったけど、戦史ではハンニバルがローマ軍相手に陸で勝利したカンナエの戦いがやたら有名だよね
包囲殲滅戦のお手本

91: 世界@名無史さん 2020/09/24(木) 22:21:14.05 0
古代地中海世界の海戦は、船の舳先に衝角をつけた手漕ぎの軍船同士の激突だったから、船の性能とともに漕ぎ手の熟練がスピードを左右し、敵艦にうまく衝角をぶつけて撃沈できるかどうかの決め手になったとか

ローマとカルタゴが戦ったミュライの海戦では、ローマ側はカラスと呼ばれる敵船が接近してきたときに相手の船に乗り込んで戦うための可動式の通路を使ってカルタゴ船の甲板に次々と乗り込み、あっという間に甲板は白兵戦の場となった

92: 世界@名無史さん 2020/09/24(木) 23:06:03.08 0
東南アジアのチャンパー王国の戦舟は、一段櫂座の漕ぎ手と陸兵を乗せ、速力と機動性において大きな威力を発揮したとか

https://4travel.jp/travelogue/10967657
チャンパーの戦舟

93: 世界@名無史さん 2020/09/24(木) 23:14:07.98 0
>>92
おお、まさにこれ

アジアだとガレー船に相当するものがどうなってたか知りたかった

船の構造は単純そうですね
外洋は厳しかったのでは

95: 世界@名無史さん 2020/09/25(金) 11:25:34.11 0
>>93
東南アジアの帆船
Borobudur_ship


シャイレーンドラ朝が建立したボロブドゥールの浮彫に描かれた船のひとつ
大型帆船だがアウトリッガー(舷外浮材)がついている

97: 世界@名無史さん 2020/09/27(日) 01:02:18.79 0
アメリカは例外として海洋国家の多くは国土が狭いよね

98: 世界@名無史さん 2020/09/27(日) 06:31:41.27 0
>>97
ポルトガルがその典型だけど、内陸部は山がちで農業に適さず、人々はリスボン、オポルト、ラゴスなどの港市がある海岸地方に集まり、生活の基盤を海に置いた

アメリカは大陸国家と海洋国家、両方の要素を兼ね備えた「世界史の例外」

99: 世界@名無史さん 2020/09/27(日) 09:28:18.40 0
ヴェネツィアやオランダなんかは海を埋め立てて国土にしてたくらいだからな

100: 世界@名無史さん 2020/09/27(日) 10:05:01.78 0
ギリシャの場合、恵みをもたらす大河もなく、痩せた石ころだらけの土地
だから海に出ていくしかなかった

引用元: ・海洋国家と海軍の歴史