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1: 世界@名無史さん 2015/08/28(金) 10:31:39.75 0
ギボンにもイスラム教成立までの繋ぎ扱い
資料が少ない
華のあるビザンツ帝国のほうが面白い
と苦難だらけの西ローマ帝国を語ろう!


Wikipediaから一覧

395年 - 423年 ホノリウス(西ローマ初代・テオドシウス朝第2代)
423年 - 455年 ウァレンティニアヌス3世(テオドシウス朝最後)
455年 - 455年 ペトロニウス・マクシムス(テオドシウス朝断絶後の初代)
475年 - 476年 ロムルス・アウグストゥルス(最後)
474年 - 480年 ユリウス・ネポス(事実上最後)








134: 世界@名無史さん 2017/10/01(日) 13:17:01.42 0
シアグリウスの国が実質的に最後の西ローマ帝国と言えるのでは?
シアグリウス(430年 - 486年 あるいは 487年)は、西ローマ帝国衰亡後のガリア北部に残ったローマ人支配地域・ソワソン管区のドゥクス(領主)。ガリアにおける軍司令官(マギステル・ミリトゥム)であったアエギディウスの子。

アエギディウスは、西ローマ帝国が混乱してガリアに対する支配がゆるんだ時期に帝国の代官を追放して西ローマ帝国から独立し、ソワソン管区と呼ばれるソワソンを中心とした独自の支配地域を確立した。465年に父アエギディウスが死ぬと、シアグリウスはソワソン管区の新たな支配者となった。彼はゲルマン人からは「ローマ人たちの王」と呼ばれた。

140: 世界@名無史さん 2017/10/02(月) 22:25:10.31 0
>>134
ソワソン管区ってロマンを感じる。
本国から切り離されても西ローマの属州としてのポジションを保った。
いつかはローマが盛り返してふたたびひとつになると信じていたのだろう。

141: 世界@名無史さん 2017/10/02(月) 23:22:15.98 0
シアグリウスは親父が押さえた土地を勝手に世襲してそれまでのやり方で治めてただけで
ローマ帝国の何かの官職を持ってたとかそういう訳ではない
だからこそ「ローマ人の王」と呼ばれていたのだ

143: 世界@名無史さん 2017/10/03(火) 17:58:00.72 0
シアグリウスの支配領域は西ローマ帝国の最後の残存領土だから、西ローマ帝国の欠片とは言える。

144: 世界@名無史さん 2017/10/03(火) 20:55:31.64 0
ソワソンとローマの間には連絡は保たれていたのだろうか
蛮族うじゃうじゃの敵中を強行突破するのかなあ

145: 世界@名無史さん 2017/10/04(水) 18:37:47.25 0
シアグリウス一族って、六世紀まで活躍してるんだよね。外交官として。

146: 世界@名無史さん 2017/10/05(木) 20:39:30.84 0
>シアグリウス一族
なぜ二代目を氏族名にしてしまうのか。
ここはアエギディウス一族と言うべきである。

148: 世界@名無史さん 2017/10/06(金) 20:48:33.34 0
シアグリウスは蛮族の時代にもシーザーみたいな服装だったの?

150: 世界@名無史さん 2017/10/07(土) 08:56:10.88 0
シーザーみたいにゾロッとした布巻きつけたり、スネ丸出しだったりしたの?

152: 世界@名無史さん 2017/10/07(土) 18:04:15.93 0
トーガは、5世紀にはほとんど使われていないよ。

176: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 13:02:16.36 0
ホノリウスは馬鹿殿様の評価が不動だけど剣闘士の殺し合いショーを禁止したのは人道上の観点から評価すべき

フラウィウス・アウグストゥス・ホノリウス(384年9月9日 - 423年8月15日)は、西ローマ帝国テオドシウス王朝の皇帝(在位:393年 - 423年)。テオドシウス1世の次男。西ローマ帝国の実質的な滅亡の一因を作った暗君として知られる。


177: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 13:50:46.97 0
>>176
ホンマですか?

178: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 14:34:00.69 0
当時としてはむしろ市民が不満になりそう

179: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 17:01:30.80 0
(法令にサインしながら)だって、闘鶏の方が百倍おもしろいもんね!

180: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 17:39:02.21 0
調べたら、テレマコスという司教が剣闘士興業をやめさせようとして、怒った群衆に投石され死亡する事件が、ホノリウスの剣闘士興業禁止令につながったようです。

181: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 18:34:29.97 0
だからそういう自己犠牲に反応する感受性はあったって事だよ

182: 世界@名無史さん 2018/04/08(日) 19:18:13.89 0
>>181
スティリコ「そうか?」

183: 世界@名無史さん 2018/04/10(火) 06:33:23.82 0
不人気な政策を取ると、史書に悪く書かれるものだな

191: 世界@名無史さん 2019/01/05(土) 15:52:20.21 0
西暦476年に西ローマ帝国がゲルマン人の傭兵隊長オドアケルによって滅ぼされた際、形式上は最後の西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥスが当時の東ローマ皇帝ゼノンに帝位を返上して東西の帝国が「再統一」された(オドアケルは帝国の西半分の統治権を代理するという体裁をとった)ため、当時の国民は自らを古代のローマ帝国と一体のものと考えていた。
また、ある程度の時代が下ると民族的・文化的にはギリシャ化が進んでいったことから、同時代の西欧からは「ギリシア帝国」とも呼ばれた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD


西ローマ帝国を滅ぼした奴が国を東ローマ帝国に差し出し、自分は西を支配する。
ずいぶん虫のいい話でんなぁ。
どう見ても東の工作員が西を滅ぼして御褒美をもらったようにしか見えませんが?

ってことは逆算すると、移民の流入は東の工作だったということになる。
それは即ち、ゲルマン民族の大移動を引き起こしたフン族の襲来は、東ローマ帝国の工作だったということになる。

事件で一番得をする人間を最初に疑え、ってのは犯罪捜査の基本ですね。
ゲルマン民族の大移動は、はっきりと原因が解明されてないんだが、実は単純明快なんですよ。

193: 世界@名無史さん 2019/01/09(水) 03:24:09.86 0
そもそもテオドシウス1世死後ローマ帝国は東西分裂していなかった
テオドシウス1世が西で自立しようとしたマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒したので帝国分裂は阻止された
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に西ローマ軍は東ローマ軍との戦いで大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多くの兵を輩出するバルカン北部をスティリコが東ローマから奪おうとしたので東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥になるという事で西ゴート族を西ローマにけしかけた
もし西ゴート族がバルカンに定住し続けたのならば後のブルガリアのように東ローマの宿敵となったはず

195: 世界@名無史さん 2019/04/21(日) 08:24:05.52 0
一歩間違えばケルト人の西ローマ皇帝が出来てたりしたの??

197: 世界@名無史さん 2019/04/21(日) 08:43:24.51 0
ていうか、京都の朝廷が存続してるのに、鎌倉に武家政権ができた状況と似てるかもしれんな

どっちにしても、「ローマ帝国が滅亡した」というのは、西欧偏重史観という後付けの理屈であり、当時の人々の意識としては、コンスタンティノープルこそが「ローマ帝国」

198: 世界@名無史さん 2019/04/21(日) 19:41:17.03 0
一歩間違わなくてもユリウス朝の時代からケルト系元老院議員とかカエサルに取り立てられてユリウス氏族になってケルト人とかいるけど
そもそもローマ人は法的身分であってそういう人種がいたわけではないからな
アメリカ人と言う人種がいないのと一緒

199: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 11:50:59.58 0
じゃあフン族のローマ皇帝もアリだな。

200: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 12:19:41.18 0
フン族といえどローマ市民資格がないと皇帝になれないんじゃないの?

201: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 13:08:57.90 0
アッティラ「よこせ」
ローマ元老院「はい」

202: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 13:37:14.47 0
アッティラ自身は草原の主としての正統性にはこだわったが、ローマ皇帝はあくまでも搾取対象にしか見ておらず、自らがローマ皇帝になろうとは思ってなかったっぽい。

金貨寄越せ、絹寄越せ、ガリア寄越せ、ホノリア寄越せ、とは言ったようだが帝位を寄越せと要求したとは聞かない。

203: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 14:36:26.94 0
それらが手っ取り早く全部まとめて手に入るのだから
やれる状況ならやったんじゃね

204: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 15:23:23.83 0
アッティラはミラノを攻略した際に、フン王にローマ皇帝が黄金を貢ぐ肖像画を描かせたという伝承などからして、自らその貶めたローマ皇帝の地位になろうという考えは無かったんじゃないか?

205: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 16:46:05.99 0
ホノリアとくっつこうとしたのは帝位を狙う布石という見方もあるが
べつだん美人という話もないしな

206: 世界@名無史さん 2019/04/28(日) 19:26:22.81 0
黄金や絹と同じようにホノリアも貢物として献上させようとしてただけだと思う。

208: 世界@名無史さん 2019/07/09(火) 06:53:40.68 0
>>206
ホノリア個人には特に価値はない。皇帝に連なる血縁が重要。
となればアッティラは皇帝位に興味があったと考えるのが自然。

209: 世界@名無史さん 2019/07/09(火) 08:23:23.95 0
>>208
「ローマが俺に一族の女を貢いだんだぞ」と従属している諸部族にマウント見せつける効果を狙ったんだろ。
匈奴が漢に女を貢がせたが漢の帝位を伺ったわけではないのと同じ。

210: 世界@名無史さん 2019/10/10(木) 07:23:12.65 0
ホノリアがアッティラの関心を惹きつけたおかげで、フン大帝国の侵攻の矛先が東ローマから西ローマに変わった。
ホノリアは歴史を変えた重要人物かもしれんな。

213: 世界@名無史さん 2020/01/03(金) 12:28:49.01 0
西ローマのヨハンネス帝を東ローマのテオドシウス2世帝は認めず、将軍を送って「討伐」する。ヨハンネス帝の最後はかなり悲惨だったらしい。
このあたりから東西ローマの足の引っ張り合いが酷くなっていく。
蛮族に対して結束しないといけない場面で何やってんだ・・・

215: 世界@名無史さん 2020/01/20(月) 20:30:54.34 0
>>213
アラリックは東ローマの軍と装備を借りて西ローマを劫掠した。
アラン人アスパルに西帝ヨハンネスを殺害させたのは東帝テオドシウス2世。
ロムルスを廃位したオドアケルは東ローマ軍司令官の弟。
そのオドアケルを討伐したテオドリクスを派遣したのは東帝ゼノン。
6世紀に西ローマを徹底的に破壊しつくしたのもユスティニアヌス1世が派遣した東ローマ指揮下のゴート人やランゴバルド人。

むしろ結束するべきは蛮族とだった。

218: 世界@名無史さん 2020/09/04(金) 18:52:48.26 0
西ローマ帝国が穀倉地帯である北アフリカを失わなかったら、もう少し延命できたのかな
東ローマ帝国はエジプト・シリアを領有し続けていたから存続できた

219: 世界@名無史さん 2020/09/06(日) 19:13:43.72 0
食料を属州から輸入してイタリアの農地が荒廃→自作農衰退→ローマ軍兵力の蛮族依存高まる
というふうにローマが衰退していったのなら、むしろ属州からの食糧供給が無くなって逆コースでローマ帝国が活力を取り戻してもよさそうな。

220: 世界@名無史さん 2020/09/06(日) 19:32:54.00 0
>>219
イタリア半島では五賢帝の時代から産業の空洞化が始まっていたから無理だったのでは
そもそもイタリア半島の農地の生産性はシチリアや北アフリカよりも劣っていた

221: 世界@名無史さん 2020/09/06(日) 21:30:06.34 0
ゲルマン人みたいな野蛮な人種が文明の最先端を行っていてかつ強力な重装歩兵による兵隊を持っていたローマによく勝てたよな

222: 世界@名無史さん 2020/09/07(月) 10:28:32.50 0
ガリアだかゲルマンだったか忘れたけど、撤退したローマ兵が置いてった攻城兵器を持ち帰って改良して1年後の侵攻で逆にローマ兵に向けて使ってきたという話が好き
まあ西ローマ関係ないか

223: 世界@名無史さん 2020/09/07(月) 10:59:45.86 0
後期ローマ帝国時代になると、黒海の北岸にいたゴート人が航海術を学んで海に乗り出し、240年頃からボスフォラス・ダーダネルス両海峡をこえて、エーゲ海へと侵入してきた
蛮族も技術的に進歩している

227: 世界@名無史さん 2020/09/08(火) 05:26:19.96 0
ローマ人は、蛮族が、現実には変わっていったのに、変わらないままであると考えたがった
4世紀までに、ゲルマン人は以前より少数の、より大きな部族に組織されていた
農業の集約化は、人口の増加と経済の成長をいやがうえにも促進した
ゲルマン社会は政治的な集権化と社会的な階層分化をおしすすめ、比較的安定した王朝と「生成さなかの貴族層」のような戦士中のエリートを出現させた
そして部族民に対して行使される強制権が拡大し、それにより戦闘に際して行使されうる
指揮権と統制権も増大したらしい
ゲルマン人はより大規模なものとなり、よりよく装備され、騎兵と弓兵の数も増加した
しかしローマ人はこれらの現実を認めようとしなかった

228: 世界@名無史さん 2020/09/08(火) 05:45:27.50 0
ローマ人の間では「蛮族には建築技術が無い」という蔑視も長らく受け継がれ、419年に至っても東西ローマ帝国で「蛮族に造船技術を教えた者は死罪に処す」という意味のない勅令が下るという事態になっている。
既に一五〇年以上に渡って諸々の蛮族が海賊行為を繰り返しているのに、である。

232: 世界@名無史さん 2020/09/10(木) 22:35:42.20 0
ローマ帝国が東西に分かれても
防衛正面が多くなるだけコスト的に不利か

233: 世界@名無史さん 2020/09/10(木) 23:31:57.84 0
ローマ帝国を東西に分けるとドナウ軍団が分割されてしまう
ローマ帝国の東西分割はオクタウィアヌスとアントニウスの東西分割に由来しており当時はドナウ地方はまだローマ領ではなかった
ローマ帝国はガリアとドナウとオリエントの3分割にすると効率良く防衛する事が出来る

234: 世界@名無史さん 2020/09/11(金) 19:11:29.75 0
当初は東西の皇帝は協調路線をとり、「東」は相対的に弱体な「西」に多くの支援を行った
しかし北アフリカを占領したヴァンダル人に対する大規模な軍事作戦が468年に無惨に失敗したあとは「東」も西方に対して精力的な介入を行う余力を失った
この間に「西」の宮廷では、異民族出自の有力な軍人が傀儡皇帝を擁立して実権を握る事態が常態化していた

235: 世界@名無史さん 2020/09/14(月) 16:13:03.30 0
ローマ帝国の統一を維持し続ける唯一の方法はアウグストゥスの計画通りにエルベ河を国境にしてライン軍団とドナウ軍団をエルベ・ドナウ軍団に統合する他ない

237: 世界@名無史さん 2020/09/17(木) 18:09:20.43 0
ゴート軍は複数の部族に分かれていたから各個撃破すべき
いずれかの部族をローマ側に寝返らせれば良かった

239: 世界@名無史さん 2020/09/17(木) 22:23:39.63 0
テオドシオス法典の発布後、実際にはローマ法がローマ帝国の東西で徐々に分裂を始めた
現実問題として、東方ではローマの法が実施されなくなり、同様に西方でもコンスタンティノープルの法が実施されなくなった

241: 世界@名無史さん 2020/09/25(金) 13:57:25.29 0
>>239
テオドシウス法典は、西方でも実施されている
やがてゲルマン法と融合していった

法の分裂をいつのころに置くのかは難しいが、ユスティニアヌス法典は、東ゴート滅亡後の
イイタリア半島では適用されていたが、それ以外の西方では適用されていない
イタリア半島でもやがてユスティニアヌス法典は利用されなくなったがその時期の特定についても議論がある

最終的にランゴバルト法の適用が広まったため、以前はランゴバルド法典出現とともにローマ法は利用されなくなったと思われていたが、現在ではそのように単純には思われていない

240: 世界@名無史さん 2020/09/25(金) 11:10:40.11 0
西ローマ帝国が生き延びるには、東ローマ帝国のような皇帝の専制政治にして、蛮族出身の武官たちによる一元的な「武官政治体制」を構築するしかなかったのでは。

引用元: ・西ローマ帝国を語ろう