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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 15:09:41 ID:KW5filkU0
荀彧(163年 - 212年)は中国東漢末期に曹操に仕えた政治家。字は文若で、諡は敬。
曹操の下で数々の献策を行い、曹操の覇業の基を作った。 







685: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/11/28(月) 15:27:03.58 ID:IW8cmkYOO
この人の穎川でのコネがなかったら、曹操にはヤクザもんしか集まらなかった気がする。

686: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/02(金) 03:33:58.76 ID:Zy22IYafO
それいったら劉備も諸葛亮いなかったらヤグサもんしか集まらなかった
つうか実際諸葛亮が来るまではそうだった 

688: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/03(土) 00:20:23.20 ID:XHk1JOgC0
基本、今だってコネだしね。当時は輪をかけてコネだろ。
つーか曹操自身はコネ持ってなかったのかね

689: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/03(土) 00:49:10.24 ID:fbGZcmwl0
曹操の父は夏候氏の出だから夏侯惇、夏侯淵などは曹操のコネ。

694: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/03(土) 23:50:43.94 ID:XHk1JOgC0
>>689
一族衆以外でも、学生時代とかに名士のネットワーク少しくらいは持っててもおかしくなかったと思うんだけどなあ

695: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 00:07:45.34 ID:qyjBn6mr0
>>694
袁紹・張バク。
エン州で自立するまでは荀彧の比じゃないほど役に立った。
なにしろこの人脈が無ければ曹操は群雄にすらなれてない。

690: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/03(土) 01:35:05.59 ID:+2BHPDUc0
曹操って要職につけてる面子が大体一族の中から出てるんだよね
能力主義とかうんたら言われるけど、実は三国の中でも最も血族主義な気がする

693: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/03(土) 08:09:16.27 ID:z1YW6wKRO
>>690
求賢令も屯田も兵戸制も、名士達からそっぽ向かれて仕方なく始めた事だと思うんだよなあ。
だから荀イク頼みな当初は人材が穎川に偏ったんじゃないかと。

695: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 00:07:45.34 ID:qyjBn6mr0
>>693
逆だろう。曹操には地元名士層と妥協する選択肢もあったが、辺譲を殺し張バクの乱を排して中央集権の道を取った。
求賢令は漢王朝旧来の察挙制度を無視して人事を牛耳る宣言。
屯田・兵戸は曹操が支配する軍部に兵糧と兵員の管理権を与える政策。
さらに、冀州牧・魏公王の階梯を昇り、華北最大の大州を君主権の元に所有した。
これを元手に曹操は四方を征伐し、遺産を合法的に受け継いだ曹丕の一年以内の禅譲を可能にした。

698: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 12:00:23.22 ID:qyjBn6mr0
少なくともエン州の乱の原因は徐州虐殺ではない。
漢朝廷の反曹操派とか、蜀呉の反魏論で虐殺に触れたものは無い。

唯一、袁紹の檄文がエン州の乱の原因は辺譲を殺したためと言っている。

699: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 12:04:52.43 ID:qyjBn6mr0
また、曹操は後漢朝廷と自分の丞相府に盛んに名士を招聘している。
特に丞相府掾属の名士は魏国建国の礎となった。

名士を厚遇し彼らの社会的地位を利用することに三国で最も熱心だったのが曹魏。
自分に忠誠である限りは、という条件が付くけど。

700: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 12:13:43.87 ID:cYDdbHFrO
うーん、結局曹操の元にはどれだけの名士が集まったんだっけ?
どうにもジュンイクが集めた豫州穎川の人ばっかなイメージなんだが。

701: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 12:30:23.39 ID:wecdg7T00
しかも時代が下るにつれて曹一族やその係累、もしくは曹操時代からの重臣やその係累が要職についてるパターンばっかり
人材登用の幅がかなり狭く感じるのう

703: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 15:13:12.40 ID:Wxv859F90
>>701
そんなのどこの企業でも当たり前。
20年間勤め続けた古参が2年目のペーペー以下の評価されたら、それこそやっていけないだろ
そもそも実務経験の少ない人間を軽々しく重役に付けてしまうような奴は監督者としてペケ
能力主義であろうとすれば必然的に経験と言うものは重要なファクターになってくる
そういうのはセオリーだよ。だからまあ曹操だけが特別能力主義というわけでもなんだが

707: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 15:59:47.84 ID:wecdg7T00
>>703
そういう事じゃなくて曹操一族の若いやつが要職ついたり曹操時代の功臣の係累や一族の若いのが要職ついたりしてて経験とかじゃないじゃん

710: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 16:42:04.80 ID:qyjBn6mr0
>>707
それには二つの理由がある。

一つは、漢代からの儒学的政治論
「近戚内を主り、異姓外に距ぐ。故に姦軌は萌動するを得ず、而して破滅す」。
親族や、それに準じる個人的に信頼する者、旧臣などに宮中軍権や親政の補佐をさせて、皇帝を守る藩屏とすべしというもの。
漢帝は殆どがこの規則を守り、漢の文帝のように、王時代からの臣を周囲に配した者もおり、昌邑王のようにやりすぎて霍光ら旧来の漢臣との破局に至る者もいた。
漢での外戚の隆盛の理由がこれ。

魏では外戚に政治権力を持たせなかった代わりに、曹夏侯の親族をこれに充てた。
曹丕時代に中軍の総督を曹真・司馬懿・陳羣が担ったり、曹芳を補佐する人材選びで曹宇と曹爽が軸になったのはこういう思想による。

二つめは曹魏政権の特殊事情。
曹操は軍事力によって覇権を築き、根幹となった軍部の掌握は曹夏侯氏によって行われていた。
曹操時代から魏王朝初期まで、諸軍を率いる都督となったのは殆どが曹夏侯氏。
しかし、曹魏が文字通り「軍閥集団」から官僚機構の整備された王朝へと移行するに従い、夏侯尚の世代を最後に軍部の親族支配は解消され、一般の臣下の都督制に完全に移行する。

まあ、親近者や建国の功臣の優遇という点では両漢の方がずっと上だよ。

702: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 12:56:05.12 ID:qyjBn6mr0
涼茂 国淵 王脩 ヘイ原 崔エン 徐奕 何キ ケイギョウ
鮑勛 華キン 王朗 董昭 劉曄 蒋済 劉放 孫資 劉馥 司馬朗
梁習 賈逵 鄭渾 王粲 衞覬 劉ヨク 桓階 陳矯 徐宣
和洽 韓キ 高柔 辛ピ 楊阜 牽招 徐バク 胡質 王リョウ

多すぎて拾いきれないので、
曹操が自分の公府に招いて掾属とした列伝クラスの人物だけ挙げてみた。

704: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 15:20:48.60 ID:cYDdbHFrO
>>702
あーそういう事じゃないのよ。地元の有力名士豪族が協力した風って感じじゃないって事ね。
名士は豪族と結びついて土地に根付くだろ?そういう名士の支持を失うという事は、土地そのものの支持を失うという事。
で、エン州の蜂起を見るに曹操はそういった有力名士の支持を失ってたと思うんだよね。後に豫州や徐州でも反乱が起きてるし。
実際、そこで挙げてくれた人は、多くが地元名士サロンからの人材とは言い難いだろ?

705: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 15:35:46.08 ID:qyjBn6mr0
エン州においては、その「地元名士サロン」からの支持を失ったのは「辺譲を殺したから」と、曹操側の能動的な選択の結果とされている。

その後の曹操が地元名士を尊重した例としては、
「太祖は劉曄、蒋済、胡質等五人を徴した,皆揚州名士」
と、淮南に赴いた際に揚州に名声を博していた人物を取り立てたことが劉曄伝注に記されている。
冀州・荊州を制圧する度に大量に地元人を吸収したり、中原から避難していた人材を呼び戻したりしているのも同種のことだろう。

706: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 15:57:36.36 ID:cYDdbHFrO
>>705
辺譲を殺したのは196年以降でしょ。

708: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 16:11:46.35 ID:qyjBn6mr0
>>706
建安当時書かれた袁紹の檄文の方が信憑性は高いんでないかね。
それでなくとも、曹操の当時の「悪行」の弾劾の数々に徐州の件が入っていないのは事実。

709: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 16:40:46.16 ID:cYDdbHFrO
>>708
なるほどなー。
ただ、結局曹操が名士の支持を失った理由が徐州虐殺から辺譲殺害に変わるだけで、結論は変わらないなあ。曹操が屯田始めたのは196年なんだから。

711: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 16:46:00.71 ID:qyjBn6mr0
>>709
曹操の中央集権策という視点で、反抗的な名士殺害と屯田策は一つの流れに繋がるんだよ?
徐州虐殺から名士の失望を買い、政策転換の末の屯田、という見方とは180度意味が違う。
なんで結論が変わらないのか理解に苦しむ。

712: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 16:51:12.80 ID:cYDdbHFrO
>>711
もし最初から構想として屯田するならもっと前、青州兵というお荷物を抱えたときだよ。
先に徐州へ、しかも二度も侵攻する意味が解らない。

719: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 19:13:31.89 ID:jWniCVRFO
曹操が辺譲を斬って名士豪族に拠らないシステムを構築しようとしたなら、ますます徐州侵攻はないでしょ。
それだと曹操が足元もおぼつかないまま戦いに奔走する愚か者という事になってしまう。
他の群雄達のような地元名士豪族達と結びついて地盤を築くやり方を拒否するなら、自分で戦力を維持出来るようになってからだ。
当時の曹操にそれが出来てなかったのはエン州の蜂起を見ての通り。

720: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 19:38:13.02 ID:AIRo1q190
名士豪族に拠らないシステムなんて当時不可能だし曹操もやろうとしてないよ。
利益を奪われることを恐れる豪族や思想面から権威と権力の分散を図る名士との妥協と、軍閥一点への集中。
その無限の段階のどこを取るかって話で、酷吏の曹操は集中に傾いた。

曹操は自分のエン州支配を批判し、軽侮する在野の辺譲を殺させた。
これは単に辺譲が権威の確立に邪魔だったからであり、名士が自分の支配に寄与することを否定したのではない。
たとえば毛カイ、許汜。部下ではないが張バク。
エン州の乱は、結果的にこの見込みを誤った予想外かつ痛恨の失敗ってだけ。

722: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 20:11:33.24 ID:jWniCVRFO
>>720
そんな都合の良い解釈はないと思うなあ。
見せしめのように名士を殺せば当然他の名士からの反発を生む。それを予想外で済ますのは無理があるよ。

723: 名無しさん@お腹いっぱい。 2011/12/04(日) 20:33:20.96 ID:AIRo1q190
少なくとも張バクは直前まで友好的な態度を取っていた。
しかも、曹操は以後も孔融・崔エンと同様の処遇を続けて自分への忠誠と不忠誠を選抜し、権力を固めるわけだよ。

まあ、曹操は陳寿に「嫌いな相手を我慢できない性格で」と明記されるくらい好悪の激しい人物で、人の扱いが下手な面がそうさせたとも言えるだろうけどね。

748: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/14(水) 22:41:26.96 ID:nj4zJnB40
よく名士、清流派、潁川閥のリーダー格といわれる荀彧だけど属する派閥のために集団を指導先導したりリーダーシップを発揮してる印象がない…
影響力があった、影響力を恐れられたとかじゃなくて具体的になにかある?
推挙した連中も親族も結構フリーダムだし最期もとくに誰か味方してくれたわけじゃないし
いまいちリーダーといわれてもピンとこない

750: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/03/17(土) 05:31:02.21 ID:7w1hbAs/0
まあその「推挙した」って事実だけで一生師匠格で逆らうのは非常識ってのが中国式だからなぁ。科挙はまだ先だけど
名士、潁川閥に比肩する対立派閥もねーし、政争的には影響力を保持したまま何もしないのが理想の君子なんじゃないか?
外敵には毅然とした態度を求められるけど、内部の調停に乗り出すと文句言われるのが中華クオリティだし
曹操の№2として後背地を守り、朝廷を監視し、統一への献策をし、人材を登用する一方で
上司としては部下には余計な口出しをしない、「領分を弁えた人」だから「荀公は立派だった」って事じゃないかと
それが根っからの儒教的価値観によるものか、そういう儒教的君子を演じてたかは本人のみぞ知る

752: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/29(日) 18:14:14.45 ID:Fg6Rwo8X0
文若の息子の妻は孟徳の娘ですね

753: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/05/03(木) 01:34:52.61 ID:bH8JGK8M0
そんで孫の嫁は司馬懿の娘だけど、この結婚には曹丕も絡んでるのかね。
甥っ子(荀彧孫)は可愛がってたみたいだし、四友司馬懿の娘との縁談とか。
たんに司馬懿が荀彧贔屓だからで関係ないのかな。
司馬懿は荀顗(荀彧息子)も引き立ててるし。
あんな死に方なのに、なんだかんだと魏晋を生き抜く荀彧の血筋ってすごいような。

766: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 08:54:20.60 ID:g5qxVzLj0
胡散臭い忠臣よりも野心あふれる黒い荀彧の方がいいな

767: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/18(日) 17:18:49.78 ID:m+bQWhdL0
荀彧の地元潁川は戦乱の真っただ中だから天下国家を論じるのは自然のなりゆき
色々動いてるけど、現実に即してて理想主義的じゃない

って誰かが言ってた

768: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/20(火) 12:42:35.35 ID:J/XZBtQw0
荀彧って春秋時代の晋の配下の荀息の子孫?

769: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/11/21(水) 02:58:11.11 ID:gZIrN4Cg0
荀子の子孫だぞ

778: 名無しさん@お腹いっぱい。 2019/01/02(水) 22:56:41.86 ID:NnJ64bYp0
>>769
荀子の子孫が、儒の精神に縛られて曹操と対立するのは皮肉だな。

783: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/08/18(火) 08:36:23.36 ID:vExCw2700
>>778
荀子の子孫というのは眉唾らしいね

772: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/04(火) 22:00:26.76 ID:v3+8azDH0
>>771
信憑性はいかほど?

774: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/26(水) 17:21:59.91 ID:jBVbOmxQ0
>>772
さぁ
ただ後漢書には『荀卿十一世孫也』とある

775: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/26(水) 18:07:28.14 ID:jBVbOmxQ0
荀彧の祖父の伝

773: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/24(月) 22:11:40.31 ID:snxF24RM0
荀氏は春秋期、あまり評判のいい人物はいないな 春秋左氏伝読んで、コンプレックス持っていたりしたのかな?

776: 名無しさん@お腹いっぱい。 2018/12/27(木) 07:02:24.15 ID:MghIZVe60
系図や経歴が記されていない場合は真偽が怪しい自称も多い

引用元: ・【曹操覇業の功臣】荀彧について語る