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1: 世界@名無史さん 2005/07/12(火) 15:23:06 0
スラブ民族の東漸、ヴァイキングの植民、キエフ・ルーシ、タタールのくびき、
モスクワvsトヴェリ、モスクワvsリトアニア、等。
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ロシア古代中世史








86: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 17:09:52 0
どっかのスレで、中国が小国分立でなく帝国化したのは、遊牧民の圧力に対抗するためと書いてあったが、ロシアの場合はどうなんだろ?

87: 世界@名無史さん 2005/08/07(日) 16:11:30 0
>>86
モスクワ大公家が「全ルーシのツァーリ」になれたのは、タタールの力をうまく利用してライバルを潰してきたというのも大きいのでは?
イヴァン銭袋公なんかはヴィホード(ハンへの貢税)の徴収者として力をつけた訳だし。

農耕社会にたいする遊牧民の脅威は、ふつうは騎馬軍団による略奪行という形で現れるけど金帳汗国が健在だった頃はむしろ、ルーシ諸公の内訌にタタールが武力介入してきてその結果ロシアが荒廃するパターンが多かったようですね。

88: 世界@名無史さん 2005/08/07(日) 16:40:09 0
府主教ピョートルがロシア正教会の中心をウラジーミルからモスクワに移したのは、イヴァン銭袋公の時代だったっけ?

89: 世界@名無史さん 2005/08/07(日) 16:52:11 0
>>88
たしかそうだったと思う・・・
中心を移したというより緊急避難みたいな感じだったらしいですが。

90: 世界@名無史さん 2005/08/08(月) 13:55:19 0
ロシアの場合西と東からまったく別のタイプの軍隊が攻めてくるのがキツい。

91: 世界@名無史さん 2005/08/08(月) 14:48:18 0
>>90
中世では、ロシア=弱小国、ポーランド=強大国。
スウェーデンやドイツ騎士修道会も攻めてくるし。

92: 世界@名無史さん 2005/08/08(月) 16:38:00 0
スウェーデンのノヴゴロド侵略って地味に「十字軍」なんだよな(w

93: 世界@名無史さん 2005/08/08(月) 16:44:55 0
>>92
アレクサンドル・ネフスキーが最初に直面した敵はモンゴルではなく、この十字軍だった。
スウェーデン十字軍はリガをロシアでの根拠地とし、ノヴゴロドとプスコフをおさえようとしていた。
結局アレクサンドル・ネフスキーが1240年と1242年の2回にわたって勝利。

94: 世界@名無史さん 2005/08/09(火) 11:55:19 0
チュード湖の戦いの十字軍は100人程度だったっていう人いるけどどうなん?
それは騎士だけの数じゃないのかって以前から疑問に思ってたが。

95: 世界@名無史さん 2005/08/09(火) 13:13:40 0
>>94
正確な数はわからんが、ロシア側に比べて劣勢だったのは確からしい。
もともと騎士修道会はローマ教皇の呼びかけに義理で応じて、本気でノヴゴロドの征服を目指していたわけではないから。

97: 世界@名無史さん 2005/08/10(水) 00:06:22 0
エイゼンシュテインの「アレクサンドル・ネフスキー」に出てきた十字軍は思いっきり邪教徒扱いされててかなり笑えたな。

106: 世界@名無史さん 2005/08/11(木) 21:07:44 0
クリコヴォの戦いでは、モンゴル軍にリトアニアやジェノヴァが加勢していた。
クリコヴォの戦いは、1380年、モスクワ大公ドミートリー1世(ドミートリー・ドンスコイ)の率いるルーシ諸侯連合軍が、ジョチ・ウルスの事実上の支配者ママイの軍とそれに同盟したリトアニア大公国・ルーシ諸侯などの連合軍を破った戦い。

107: 世界@名無史さん 2005/08/12(金) 12:53:55 0
>>106
モルドヴィンやチェルケス人、アラン人も加わった寄せ集めの軍隊だったらしい。
ちなみにヴォルガ流域にいた謎の種族「ブルタス」もママイ側に参戦してるが彼らについての記録はこれを最後に途絶える・・・

109: 世界@名無史さん 2005/08/12(金) 18:00:10 0
>>106-107
彼らがモンゴル側に味方したのは、「敵の敵は味方」という発想から?

110: 世界@名無史さん 2005/08/13(土) 00:43:07 0
ただ動員されて、戦利品につられて

113: 世界@名無史さん 2005/08/14(日) 21:41:25 0
「イヴァン雷帝の書庫」は単なる伝説?

114: 世界@名無史さん 2005/08/16(火) 23:01:34 0
>>113
アンリ・トロワイヤの本にちらっと出てた気がするが
たしかテーマ別に4つの部屋があったってやつ?

117: 世界@名無史さん 2005/08/17(水) 18:43:09 0
>>114
ビザンツ皇女が、古代ギリシアの貴重な文献を持参金として持ってきたそうな。

126: 世界@名無史さん 2005/08/23(火) 17:14:38 0
イヴァン雷帝は玉座をカザン皇子シメオン・ベクブラートヴィチに一時譲ったことがある。
いったい何がやりたかったんだろうか?

127: 世界@名無史さん 2005/08/24(水) 11:20:26 0
>>126
1.狂人のきまぐれ
2.チンギス裔から帝位を禅譲されることによってハクつけ

この二つ以外の説もあるかも知れないけど見たことないなー

129: 世界@名無史さん 2005/08/24(水) 16:24:13 0
>>127
3.佯狂者に「一年以内に大公の命が失われる」と預言され、身代わりをたてた
4.オプリチニナ廃止後、「非常大権」が使えなくなったので、嘆願書を傀儡大公に提出することによって、実質的な勅令を貴族・聖職者会議の意向を気にすることなく出せるようにした。

という説もある。

130: 世界@名無史さん 2005/08/24(水) 16:32:25 0
>>129
4だったらせこいですね。
治世の初期にも退位すると脅して貴族の力を弱めたらしいけど。

128: 世界@名無史さん 2005/08/24(水) 15:59:29 0
スクルィンニコフの「イヴァン雷帝」にシメオンへの禅譲について触れてる箇所があったか思い出せない

132: 世界@名無史さん 2005/08/24(水) 20:28:12 0
『ラドネジの聖セルギイ伝』に、聖者がパンを二つに裂いて一つを熊に渡してやった、というエピソードが紹介されている。
三浦清美氏いわく、異教的な霊威を敵意をもって撲滅するのではなく、祝福によってキリスト教の信仰の中へと取り込むのだそうで。

ロシア人の「二重信仰」について、宗教改革を経験しなかったからだという人がいるが、東方正教会の、「キリスト教化しても既存の文化を全面的に継承する」という考え方も影響しているかもしれない。
だからビザンティン帝国では古典ギリシャの文化が否定されなかった。

134: 世界@名無史さん 2005/08/25(木) 19:10:42 0
>>132
宗教改革というか魔女狩りがなかったせいでは。
「ウシの乳が出なくなったのは隣のババアが呪いをかけたからだ」みたいなレベルの「魔女狩り」はあったらしいが・・・

135: 世界@名無史さん 2005/08/25(木) 20:29:38 0
フィンランドの叙事詩『カレワラ』が今日まで伝わったのは、あの地域がロシアに支配されていたからだという説をどっかで読んだことがある。

136: 世界@名無史さん 2005/08/26(金) 11:46:28 0
阿部勤也『西欧中世の罪と罰』(弘文堂)に、ローマ・カトリック圏で使われていた「贖罪規定書」の内容が紹介されている。
そこでは異教の迷信・呪術・魔術のたぐいが、司祭に告解し、贖罪をしなければならない罪として事細かに記されている。
ロシア正教会の場合、司祭が信者にこういう指導を行っていたんだろうか?

141: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 11:46:24 0
>>136
ロシアの場合、広大な地域に人口が拡散してたので聖職者の数が足りなくて農民は地面に掘った穴に口をつけて告解してたとか・・・
大地崇拝とキリスト教の習合だという話。

142: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 13:03:48 0
>>141
『カラマーゾフの兄弟』で、アリョーシャが大地に接吻する場面が出てくるけど、あれもそうなの?

143: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 13:36:19 0
>>142
そういうニュアンスだったと思う。
「悪霊」でテロリストの名前がピョートルなのも伝統文化を破壊したピョートル大帝を意識してつけたんだとか。

137: 世界@名無史さん 2005/08/27(土) 20:19:26 0
ゲルマン人の王たちは、ゲルマンの神々の末裔ということになっていたけど、東スラヴの公たちはどうだったの?

139: 世界@名無史さん 2005/08/28(日) 01:27:12 0
>>137
フセスラフ人狼公は、「母親が魔術によって生んだ」ということにされていたはず。

157: 世界@名無史さん 2005/08/30(火) 00:05:02 0
不浄の死者って吸血鬼と違うの?

159: 世界@名無史さん 2005/08/30(火) 13:52:41 0
>>157
不浄の死者の一種が西欧に伝わってポピュラーになったのがいわゆるヴァンパイアでは。

平賀英一郎の「吸血鬼伝承」によると、中世初期には西欧にも、悪人や異常な死を遂げた者の死体が死後も生命を保ち災いをなす(吸血など)という信仰があったようです。
カソリック圏で煉獄の概念が生まれてから消えていったらしい。

160: 世界@名無史さん 2005/08/30(火) 14:33:27 0
ヴァムピールと同系統のロシア語「ウプィリ」が中世においてどういう実体を指していたのかはよく分からないようです。

ウプィリという語の初出は1047年の記録で、ノヴゴロドの聖職者か公のひとりの名前としてあらわれるらしい。
英語圏のサイトで検索すると「"Upir Lichy"すなわち邪悪な吸血鬼の意」と解説されてるのがほとんどだけれども、おそらくそれらが典拠にしていると思われるJan L. Perkowskiの"The Darkling"を読んでみても何を根拠にそういってるのかは分からない。
ちなみにロシア語で検索するとなぜかУпырь Лихой(ウプィリ・リホーイ)として出てくる。

161: 世界@名無史さん 2005/08/30(火) 15:58:57 0
http://www.schemer.org/ars/temp/vampire.php
語源をスラヴ諸語に求める説は現在もっとも広く受け入れられている。
例えば、ポーランド語の「翼をそなえた」 upierzyc または「翼ある亡霊」 upior であるとするものがある。
『ポーランド帝国自然史』(1721)の著者ルツァチンスキーによると「屍衣を食べ、己が肉を食らい、墓場から蘇り、人に襲いかかり首を絞める怪物を、男ならウピール upir、女ならウピールチカ Upierzyca と呼んでいる」のであり、更に「ウピールとは、翼の生えた、容易に動き回ることのできる人体という意味である」。
また、ロシアの言語学者ソボレフスキーやフランスのスラヴ語学者ヴァイヤンは -pir をロシア語の「飛翔する」parit’、「羽」pero に結び付けた.
一方、セルビア語の vampir の綴りから、「飛ぶ」 pir と否定を表すvam が組み合わさったとする説もある。
スラヴ祖語の形からのアプローチとして、ポーランドの言語学者ブリュックナーは、『ポーランド語語源辞典』(1957)において -pyr’ に注目し、それを 「飛ぶ」per という動詞の語根と関係付けた。彼は、「大蝙蝠」を意味するロシア語の netophy’(ne-to-phy’)、ポーランド語の nietoperz(nie-to-perz)が、否定詞的接頭辞と「飛ぶもの」との結合から「鳥ではないもの」という意味になっている語構成法の類推から、 吸血鬼の原語を「鳥に似て非なるもの」の意に解釈し、「原初的なヴァムピールは長い鋭い嘴をもって、犠牲者の血を吸う夜鳥の姿をしていたからである」と説明している。

162: 世界@名無史さん 2005/08/30(火) 16:33:15 0
>>161
平賀英一郎さんの「吸血鬼伝承」からの抜粋ですね。
ちなみにその本ではUpyr系統の語のテュルク語源説も紹介してました。
タタール人などの間にはテュルク語のop「飲み込む」を語源とするウベル、オブル等の言葉があり「魔女、悪霊、食らうもの」といった意味があるそうです。
あまり主流の説ではないようですが。

ちなみにロシアでウプィリが吸血鬼を表すようになったのは、西欧の吸血鬼小説の流行でヴァンピールという言葉が逆輸入されてからの現象らしいです。

163: 世界@名無史さん 2005/08/30(火) 18:55:50 0
東方正教会では、聖堂は神の小宇宙が地上に降り立ったものと考えられ、柱は建物を支えるものではなく、天上から下がる蔦のようなものとみなされた。
宇宙を象徴する形がドームである。

ちなみに、ロシアの農家も宇宙の構造をモデルとしている。
居間の四隅のうちの一角は「美しの隅」と呼ばれ、三角形の神棚の上にイコンが置かれる。
その対角線上に「ペーチ(竈)のある隅」があり、そこには祖先の霊が宿ると信じられた。
また、地下室と屋根裏は家の中の「異界」であって、ドモヴォイ(家の精)が好む居場所である。

164: 世界@名無史さん 2005/09/01(木) 16:46:02 0
ロシアの佯狂者(ユロージヴイ)は、ビザンツが起源?
佯狂者(ようきょうしゃ、ロシア語:юро́дивый(男性)/ юро́дивая(女性), 英語:yurodivy or "holy fool for Christ")は、正教会における聖人の称号。

俗世に心を煩わされずに専ら神に仕え、祈祷と斎(ものいみ)のうちに功を積んだ正教会の聖人は勤行者と呼ばれるが、そうした人々のうち、世を離れず、昼は市井にあってボロをまとって徘徊し、寒さ・暑さ・飢え・辱めを忍び、夜は聖堂の軒下などに野宿して祈る聖人がこの称号で呼ばれる。
「佯」とは見せかけの意であり馬鹿を装いハリストス(キリスト)の真理を明らかにする者であるとされる。


165: 世界@名無史さん 2005/09/02(金) 20:25:39 0
>>164
俺が読んだ本ではロシアの特殊な現象とか書いてたけど。
アジアには結構あるんじゃない? 古代中国とか。

166: 世界@名無史さん 2005/09/02(金) 22:36:04 0
>>165
ビザンツ帝国には「サロイ」と呼ばれた「聖なる愚者」がいたそうだよ。

404: 世界@名無史さん 2006/07/05(水) 19:36:12 0
>>166
イスラム圏の「マジュヌーン」もそう。

167: 世界@名無史さん 2005/09/03(土) 20:36:01 0
ロシアの酒といえばウォッカを思い浮かべる人が多いが、キエフ・ルーシの時代に飲まれていたのは蜂蜜酒で、ウォッカはまだ存在していなかった。
ウォッカについては、ポーランド起源説とロシア起源説の二つがあり、ロシアで広く飲まれるようになったのは12世紀ごろ。

209: 世界@名無史さん 2005/09/22(木) 08:14:57 0
>>167
回教徒が化学・製薬の手法として開発したランビキでの蒸留法を、韃靼人を介して知ったものだろう。

168: 世界@名無史さん 2005/09/03(土) 20:49:54 0
「クワス」っていうビールもどきのような酒もあったとか。
黒パンから作れるらしいけど。

169: 世界@名無史さん 2005/09/03(土) 23:27:48 0
ウォッカの起源については、ソ連共産主義時代の1977年、ソ連の衛星国であるはずのポーランドが「ウォッカの起源は我が国にあり!」との主張のもと、他国の蒸留酒に対する「ウォッカ」の名称の使用を違法であるとして、ハーグ国際裁判所に訴えた、という経緯がある。

結局はソ連側が「ウォッカの起源は1446年・ロシア」という調査結果を提出し、これが認められてポーランドの訴えは棄却された。

170: 世界@名無史さん 2005/09/04(日) 22:35:19 0
キエフ・ルーシ時代の「従士」は、西欧の騎士や日本の武士みたいなもの?

171: 世界@名無史さん 2005/09/04(日) 22:52:17 0
従士はむしろヤクザの子分の方に近いかもしれん。

172: 世界@名無史さん 2005/09/05(月) 14:44:53 0
ルーシの公は従士たちに対して常に気前よくなければならなかった。
年代記やブィリーナにはウラジーミル公が酒宴を行う場面がよく出てくる。
もっともこれはゲルマンの王たちも同じで、遠征から戻った王は大宴会を催して戦利品を分け与えた。
惜しげもなく戦利品を分け与える能力こそ王の権威を高め、多くの部下を引き付けたのである。

173: 世界@名無史さん 2005/09/05(月) 19:19:22 0
少なくともキエフ・ルーシの初期には、西欧の封建社会のような軍事奉仕と引き換えに封土を授与するようなシステムはなかった。
クニャージはドルジーナの軍事力によって戦利品を獲得し、また冬にスラヴやフィンの諸部族から貢税を集めて回り、春になると物資を搭載した船団を編成してビザンツ帝国で交易した。
従士はそうした活動から分け前を得ていた。


175: 世界@名無史さん 2005/09/05(月) 19:46:30 0
日本の武士に近いのはむしろ16世紀の「ドヴォリャンストヴォ」(士族)かもしれない。
彼らは封地を受けるかわりにツァーリ権力の支柱として軍役を担った。
174: 世界@名無史さん 2005/09/05(月) 19:29:03 0
山川「ロシア史」の昔の版によると、スヴャトスラフやウラジーミル大公の頃のドルジーナは鎖帷子と大盾、槍などを装備した重装歩兵で、密集陣を組んで戦ったらしい。

176: 世界@名無史さん 2005/09/06(火) 15:47:13 0
戦闘スタイルで西欧のナイトのようなものがロシアにあったかというとキエフ公国の初期から騎乗して戦うドルジーナは存在していたけど、遊牧民の影響を受けた軽装弓騎兵だったようだ。
その後、11世紀ごろから西欧やビザンツの影響で、重装甲をつけてランスで戦う騎兵が主流になったらしい。ヨーロッパ風の鎖鎧のうえにラメラー・アーマーまでつけてたので西欧の騎士より重装甲だったとか。
モンゴル征服後はふたたび遊牧民のスタイルの影響が強くなった。
16世紀モスクワ大公国の勤務士族はタタールやオスマン・トルコ風の装備をした弓騎兵が多数だったという。

177: 世界@名無史さん 2005/09/06(火) 18:27:21 0
キエフ・ルーシ以来、ロシアの貴族は土地を世襲地(ヴォチナ)として所有しており、自分の上級の君主から自由に離脱する権利を持っていた。
14世紀なかばのイヴァーン・カリターの息子たちのあいだの条約文書にも、「大貴族と自由身分の家臣は自由である。われらを離れて、汝のもとに赴こうと、汝を離れてわれらのもとに来ようと、われらは悪意を持たぬ」
とある。

178: 世界@名無史さん 2005/09/06(火) 23:04:29 0
>>177
貴族は世襲地をそもそもどうやって手に入れたの?

179: 世界@名無史さん 2005/09/08(木) 13:24:28 0
>>178
従士が公への奉仕から得た富で土地を買ったりとか部族の酋長クラスの連中が土地貴族になったり。
そういう連中がのちに「ボヤール(大貴族)」になった。

イワン雷帝はそいつらが邪魔でぬっ殺した。

183: 世界@名無史さん 2005/09/10(土) 00:22:06 0
西欧・ロシア・日本の封建制度の違いを説明してくれ

184: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2005/09/11(日) 18:23:28 0
>>183
ものすごく簡単に西欧の封建領主と中世ロシアの土地貴族を比較すると・・・
ロシアの貴族は地代徴収、領主裁判権、領民の賦役などの権利はあったけど、その領地は完全な私有地で、軍役と引き換えに安堵されたものではなかった。
そのため主君をかえても領地を保持する権利があった。
農民もある領主の土地から別の領主の土地へ自由に移住する権利があった。
奴隷や債務者なら別だが。

ちなみにこれはモスクワ大公国が「大ロシア」を統一して中央集権化をすすめる以前の話です。

192: 世界@名無史さん 2005/09/14(水) 00:05:51 0
カルロ・ギンズブルクのベナンダンティに関する記述を読むと、宗教改革・魔女狩りが行われる前の西欧はロシアとあまり変わらない
社会だったみたいですね。

193: 世界@名無史さん 2005/09/14(水) 00:17:39 0
>>192
ロシアにも魔女裁判はあったらしいけど、サバトの観念がなかったとか。
サバトはシャーマニズムと関係があるとかいわれてるらしいけど、ロシア人もフィン人やタタール人からシャーマニズムの影響を受けてるらしいので、妙な話。

ギンズブルクの「闇の歴史」を読むとコーカサスあたりでも「夜の戦い」があったらしいけど・・・

194: 世界@名無史さん 2005/09/14(水) 00:49:08 0
ウンベルト・エーコの『薔薇の名前』に、目をつけた者を誰でも異端にしてしまう恐ろしい異端審問間が出てくるが、東方正教圏では、このような異端審問の制度はほとんど存在しなかった。
ボゴミル派にしても、指導者バシレイオス一人が処刑されて終わりだったし、バシレイオスに対しても最後まで皇帝が正統派への復帰をうながしている。

195: 世界@名無史さん 2005/09/14(水) 18:47:33 0
古儀式派なんかは拷問をうけたり大量処刑されたりしたようだけど。

198: 世界@名無史さん 2005/09/15(木) 15:21:31 0
>>195
古儀式派の場合、小屋に火を放って集団自殺というパターンが多い。
ニコンに敵対したアヴァクームは流刑の末、火あぶりの刑に処せられた

205: 世界@名無史さん 2005/09/21(水) 09:05:01 0
>>198
ビザンチンの坊主がバチカンより無教養だったと言うことかな?

208: 世界@名無史さん 2005/09/21(水) 20:21:11 0
>>205
ビザンティン帝国の高位聖職者(総主教など)は、事実上、官僚が僧服をまとっているようなものだった。
したがって古典教養は身につけていた。
これに対し修道士は、ヘシュカスモスの例にも見られるように、古典教養を不要なものと考えていた。

196: 世界@名無史さん 2005/09/14(水) 20:42:30 0
西欧の異端審問は、緻密で、システム化された印象を与えるな。
ロシアにおける異端迫害はどうだったんだろうか?

197: 世界@名無史さん 2005/09/15(木) 12:45:07 0
修道士なんかで異端思想に取りつかれた人は修道院内で監禁されたらしい。
基本的に発狂したヤシと同じような扱い?

198: 世界@名無史さん 2005/09/15(木) 15:21:31 0
>>197
西欧だと、罪(同性愛など)を犯した修道士は、修道院内の牢に閉じ込められた。
東方正教圏では、修道士はあまり教養が高くなく、聖書も典礼に必要な箇所しか読まないという者が多かった。

引用元: ・ロシア古代中世史