1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/29(火) 19:04:00 ID:vqoDtz6a
「雑賀衆を味方にすれば必ず勝ち、敵にすれば必ず負ける―。」

鉄砲を使った先進的な戦術で、周囲にその名を轟かせた紀州の傭兵集団を語りましょう。

湯川衆についての話題もどうぞ。








5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/29(火) 20:04:16 ID:+sG1XI6J
まずどうして紀州に大名家が育たなかったのか詳らかにして頂きたい

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/29(火) 20:27:39 ID:AabMrtDX
土豪(小領主、小大名)はたくさんいたよ。
前提として大きな大名家がなかった国はたくさんあります。
自分が考える理由としては
①それぞれの土豪の力(独立心)が強かった。②寺領が強かった。
③本願寺勢力が強かった。④畿内に紀伊を狙う大勢力が無かった。
⑤畠山氏があぼーん!⑥南国なんで人心が御気楽?
といろいろな理由があるのでは?

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/08/30(水) 00:53:17 ID:gT0UUybQ
とりあえず戦国時代の紀伊国は雑賀衆、根来衆、
南紀白浜(和歌山県新宮市から三重県尾鷲市)のほうは熊野大社、九鬼氏(海賊さん)と小勢力の乱立で紀伊国内での統一は難しかったと思われます。

381: 人間七七四年 2012/07/16(月) 15:58:29.17 ID:Orn/HqUl
宮郷住みです(中郷寄り)
今じゃほとんど住宅街です

384: 人間七七四年 2012/07/21(土) 11:56:44.11 ID:jl/1O8ep
>>381
今も宮郷、中郷って呼び方で通じるんだな
宮郷は戦国時代末期までは神郷、神宮郷、社家郷とも呼ばれ、郷の領域がそのまま紀伊国造の子孫、紀氏が代々宮司を司った日前神宮・國懸神宮の神領だった
この神領を鎮護していたのが、同じく紀氏の一族で雑賀衆の一派の太田党
宮郷の歴史はとても古くて、紀元前に木ノ国といわれた頃から古代豪族紀氏の本拠地として、宮郷一帯は木ノ国の中心地だったらしい

388: 人間七七四年 2012/07/21(土) 13:52:31.32 ID:rKZ76MaG
>>384
正確には宮地区と呼ばれ、宮のほか太田など5地区で旧宮郷だと思われます
かつて治めていた土豪の名前がそのまま地名で残っています
旧宮郷と旧中郷の間には現在でも住所が飛び地になってる場所も存在したりします

390: 人間七七四年 2012/07/21(土) 22:19:34.95 ID:4Y/C9SZK
>>388
太田党の有力な土豪は十ヶ郷や雑賀荘の境界争いになると、太田氏の太田城や、堀内氏の秋月城などに集まって、戦を行っていたらしい
特に仲が悪かったのが、十ヶ郷の鈴木氏、雑賀荘の岡氏や湊衆
それとご指摘の通り、中郷や雑賀荘、南郷にも飛び地があり、太田城を中心とする地域一帯は上宮といわれ太田氏の太田党がこれを治め、雑賀荘の毛見、南郷の吉礼といった飛び地は下宮と呼ばれてそれぞれの在地の土豪が神領鎮護の任務にあたっていた
太田党は岩出の根来衆とも関係が深く、鳴神氏や神前氏などが根来寺に氏人を派遣していた関係もあるらしい
また、敵対する雑賀衆や湊衆からも、雑賀に反目する人々を受け入れていた
(湊衆の植松彦次郎、雑賀荘の嶋掃部、藤田六郎などの名が伝わっている)

391: 人間七七四年 2012/07/21(土) 22:20:31.60 ID:4Y/C9SZK
太田党を構成した氏族が以下の通り

太田氏(居城:太田城(太田)太田党頭目)
黒田氏(住居:黒田村、代々太田党家老職)
神前氏(居城:神前城(神前)代々中務丞を継ぐ)
嶋村氏(住居:神前)
堀内氏(住居:秋月)
村上氏(住居:秋月)
吉田氏(住居:吉田)
戸口氏(住居:有家)
有家氏(住居:有家)
鳴神氏(住居:鳴神)
坂氏
家永氏
戸田氏
木村氏(居城:吉礼城(吉礼))
前岸氏(居城:冬野城(冬野))
若林氏

394: 人間七七四年 2012/07/22(日) 15:22:17.79 ID:OJJooya/
>>390
すごく詳しいですね
湯川直春起請文では野上若林、南郷吉礼となってるのですが、後に太田党へ移ったんでしょうか

396: 人間七七四年 2012/07/22(日) 23:03:46.28 ID:C2ykbg5H
>>394
吉礼(きれ)は宮郷の紀氏が一族の太田氏に指示して太田党が結成された15世紀末頃に、太田、秋月、三葛に城を作り、吉礼にも砦を作って三葛と共に南郷の飛び地を鎮護していたという伝承がある
当時太田党に与力した吉礼は木村氏というのがいたらしいが、詳しいことはよくわからない
野上の若林氏は、1585年の太田城水攻めの際に太田党に加担した若林万助という人物の名が伝わっている
このほかにも太田党に加担した南郷の人々には野上溝ノ口の山本氏、大野坂井村の藤田氏、三葛の田所氏が知られていて、おそらく宮郷の飛び地経営に関わった現地の土豪だったのでしょう

ただ、このあたりの人々というか、当時の雑賀地方は所属する組織が複雑で、土橋氏や鈴木氏、岩橋氏のように、複数の組織や惣に所属している例がとても多い
(たとえば、土橋氏は根来衆であり、雑賀衆でもあり、浄土衆を信奉する家なのに、新義真言宗の根来寺に一族を派遣したり、鈴木孫一率いる一向門徒と共に石山合戦の主力として参加している)
おそらく吉礼にも南郷の大野十番頭に所属する雑賀衆がいる一方、太田党に所属する雑賀衆や、一向門徒として鈴木孫一などに従った人々、根来衆に氏人を派遣して坊院を経営していた人々、またはこのどれにも所属していた人々が、それぞれの利益・立場で動いていたのでしょう

実際に野上の若林氏の例を挙げると、石山本願寺に出仕し、雑賀荘の鈴木出羽守(重泰)と共に、加賀や越前の一揆を指導した若林長門守という人物がいて、この人物もおそらく野上・亀野川の若林氏の出でしょう
当時の吉礼や野上には雑賀湊衆の実力者で、一向門徒のまとめ役の一人だった宮本平大夫高秀を代表者に頂く性応寺末の一向門徒の拠点があったことが知られている

397: 人間七七四年 2012/07/23(月) 02:00:23.61 ID:xS7CAOyW
>>394
湯川直春起請文に記されている雑賀衆の面々の正体が判明すれば雑賀衆研究はかなり進むと思う
何人かは特定されてるけど、まだまだ謎が多い

382: 人間七七四年 2012/07/16(月) 19:54:01.01 ID:oM7dZORd
重朝が一時期伊達家で何してたのか?
ホイホイ銃術伝授してたのか

385: 人間七七四年 2012/07/21(土) 12:15:03.32 ID:jl/1O8ep
>>382
鈴木重朝が伊達氏に庇護されたのは、おそらく西軍に加勢したからでしょう
では、なぜ庇護されたかというと、この鈴木孫三郎重朝というのは実は徳川家康の庶子という伝説が昔から伝わっているのだ
重朝の別名は鈴木一蔵重康といい、はじめ徳川氏の重臣・三河鈴木氏に養育され、雑賀衆の一部が徳川家康と盟約を結んだ1580年前後に雑賀十ヶ郷平井の鈴木孫一の養子に出されたと推測されている
雑賀鈴木氏と三河鈴木氏は、共に紀伊国藤白穂積鈴木庄司を祖とする遠縁の同族にあたり、その縁によって遠方に養子に出された可能性もある
重朝が後に水戸に使えた後、その子供や同族に一蔵の名前が見えたり、水戸藩主徳川頼房の息子が重朝の家(雑賀孫市家)に養子に入ったりするのを見ると重朝はかなりワケありな人物だったと考えられる

383: 人間七七四年 2012/07/20(金) 18:12:35.49 ID:9LPLkYLf
この時代の紀南には何があったの?
那智あたりはわかるけど串本あたりとか何もなかったのかな?

386: 人間七七四年 2012/07/21(土) 12:34:42.06 ID:jl/1O8ep
>>383
戦国時代の南紀地方には、熊野八庄司(八庄司といいながら、実はたくさんある、10~20家ぐらい)とよばれた平家由来の御家人の末裔や熊野別当の宮司・国人が割拠していた
串本や古座などの牟婁郡あたりには、山本氏、小山氏、高河原氏、周参見氏、安宅氏、野長瀬氏、愛洲氏らが割拠して、守護畠山氏や伊勢の北畠氏に属し、当時南紀で勢力をのばしていた新宮熊野三山の堀内氏と戦っていた
那智の滝のあたりは、これも熊野別当の色川氏というのがいて、前述の山本氏や小山氏と同盟して堀内氏と戦っていた
この新宮堀内氏と熊野八庄司連合の戦いでも、多くの雑賀衆や根来衆が敵味方に分かれて参戦していて、中之島の佐武伊賀守は堀氏氏の軍師として数年間出仕している
また、このあたりの土豪・国人の一族の一部は、家元を離れて雑賀衆に属して石山合戦で織田信長と戦ったりもしている
特に山本氏、小山氏は一族の多くが雑賀地方に移住して石山合戦に従軍したことが知られている

387: 人間七七四年 2012/07/21(土) 12:56:26.06 ID:jl/1O8ep
紀伊中部の有田郡には守護畠山氏が本拠地を構えていたが戦国時代になるとその勢力は衰えた
替わって台頭したのが、鎌倉以来の御家人の末裔、熊野八庄司の面々で、畠山氏の被官の立場を保ちつつ、国人領主としての道を歩んでいた
その中心が畠山氏の紀伊国支配の代理人になった有田郡の湯川氏で、それに続くのが日高郡の玉置氏、目良氏、横矢氏、真砂氏、竜神氏、貴志氏など、これらもすべて守護畠山氏の被官でありながら、湯川氏の有力な家臣として三好氏や織田信長、豊臣秀吉と戦った
この紀中の湯川氏を中心とする集団は「湯川党」といわれ、紀伊国人衆の有力な外征部隊として、雑賀衆、根来衆と共に戦った

389: 人間七七四年 2012/07/21(土) 15:33:49.53 ID:0NrcMUru
>>386
詳しくありがとう!ぐぐっても情報少ないし気になってたんだ!!

392: 人間七七四年 2012/07/21(土) 22:41:18.53 ID:4Y/C9SZK
>>389
戦国時代の紀伊国の勢力

【紀北】雑賀地方(現在の和歌山市)を中心とする紀北は、基本的に在地の海賊衆や寺領に出仕した地侍、土豪の連合体が多い
守護は畠山氏の動員にも従い、雑賀衆は紀中の湯川氏とは軍事同盟を結んでいる

雑賀衆
(雑賀荘、十ヶ郷、湊衆、門徒衆の連合体や太田党、南郷大野十番頭など)
根来衆(
雑賀荘、中郷、那賀郡、和泉国の土豪の連合体)
粉河衆
高野山(那賀郡、伊都郡の土豪の連合体)

【紀中】
有田郡の熊野八庄司筆頭・湯川氏を中心に、畠山氏被官の国人領主が多く、畠山氏の動員に従って、河内、摂津、和泉への出征も多い。これらの集団は湯川党と呼ばれる

湯川氏、玉置氏、目良氏、横矢氏、真砂氏、竜神氏、貴志氏など

【紀南】
新宮熊野三山の堀内氏が最も大きな勢力で、山本氏、小山氏がこれに次ぐ勢力。熊野を押さえた堀内氏に、周辺の国人、土豪が敵対するという構図

新宮堀内氏、山本氏、小山氏、高河原氏、 周参見氏、安宅氏、野長瀬氏、愛洲氏、野辺氏、色川氏、神保氏など

393: 人間七七四年 2012/07/21(土) 22:54:19.81 ID:4Y/C9SZK
よく石山合戦や畠山氏の動員の記録に表れる「紀伊国人衆」というのは紀中、紀南の土豪や国人のことを指す
紀北の動員は主に「雑賀衆」や「雑賀惣中」「根来衆」「行人衆」と呼ばれることが多い

401: 人間七七四年 2013/01/24(木) 03:18:01.27 ID:+RuM5Qnd
紀州徳川時代に雑賀衆や根来衆の末裔は何してたの?
お庭番(隠密)を率いてたというのは事実?

和歌山城から東、三年坂通りバス停留所に「雑賀道」、城の鬼門の位置に「雑賀町」「雑賀橋」といった名残が散見されるけど、江戸時代はこの付近に居住してたのかな?

403: 人間七七四年 2013/01/26(土) 22:06:16.82 ID:+GBIOoXh
>>401
和歌山城は元々雑賀衆の岡氏が居城にしてた岡城という館だった
この城は若山(伏虎山とも、雑賀衆には伏山を名乗る人も大勢いた)と呼ばれ、和歌山城の名前の直接のルーツにもなっている
1585年の秀吉の紀州攻めで岡氏の降伏後、秀吉によって没収され家臣の藤堂氏によって和歌山城に改築された
雑賀町は雑賀衆の子孫で紀州徳川に仕えた人々が住んでいた地域といわれている

有名な雑賀鈴木氏の本拠地は現在の秋葉山周辺に鈴木孫一の拠点は紀ノ川の北にある平井谷にあった

407: 人間七七四年 2013/07/10(水) NY:AN:NY.AN ID:1GlQv+NA
孫一は関東や東北の戦国大名に請われて紀州を出て行った・・・
みたいなことヒストリアで言ってたが本当なの?

408: 人間七七四年 2013/07/11(木) NY:AN:NY.AN ID:13XDUvCd
関ヶ原の合戦のあとで伊達政宗や徳川家康のもとに行って最終的に水戸家に仕えた、という話なら聞いたことがある

409: 人間七七四年 2013/10/07(月) 16:05:36.66 ID:8iWTD3Q1
政宗が鉄砲騎馬つくる際に、鉄砲の使い方指南したって話はあるな
雨天でも問題なく鉄砲使える技術与えたりとか

413: 人間七七四年 2014/02/02(日) 15:35:30.43 ID:UF3eQG/1
鈴木重秀が鉄砲の名手って記述されてる史料って何?

414: 人間七七四年 2014/03/01(土) 04:37:19.36 ID:UvHyrh01
毛利の陰徳太平記かな

417: 人間七七四年 2014/03/16(日) 14:24:46.97 ID:YT//KJJs
戦国時代最大の鉄砲集団なのは間違いない

419: 人間七七四年 2014/04/15(火) 16:46:54.72 ID:gIoHcTN4
一番気になるのは資金力が信長より大きく劣るのに、どうやって鉄砲や火薬を潤沢に揃えられたのかだよな。
何らかの方法で当時高額な火薬を自前生産してた可能性がある。
同盟相手の本願寺も火薬自前生産技術を確立してたし。
そして安価で製造した火薬を高値で売って儲けた金で鉄砲を買い揃えた可能性がある。

420: 人間七七四年 2014/04/16(水) 01:50:14.53 ID:yt/GKHlU
海運だろ

421: 人間七七四年 2014/04/17(木) 21:15:49.86 ID:0XCuS9C3
鉄砲は自主生産
火薬原料の硫黄は仕入れ
硝石は代用品を自作

423: 人間七七四年 2014/10/26(日) 23:00:48.21 ID:e9aYr/hx
近所の根来さん家には徳川から貰ったというてる家紋が家の塀にあるんだけど意味が分からないw
雑賀衆の生き残りが根来と行動共にしていたとも言うていたよw本当かな~www

448: 人間七七四年 2014/12/07(日) 06:10:52.23 ID:2wmkS6dc
>>423
天正十二年(1584)に徳川家康とよしみを結んだ雑賀衆の棟梁であり根来衆の泉職坊の頭首でもある土橋重治が家康の命を受け雑賀衆・根来衆ら三万の軍勢を率いて岸和田城と大阪城を攻撃している
そのよしみで天正十三年(1585)の秀吉の紀州討伐の後、五十数家の根来衆が徳川家康に召抱えられている
名前は津田、田中、赤井、井沢といった感じだが江戸時代に入るとほとんどが根来姓に改名した
近所の根来さんはそのとき家康に帰順した根来衆の末裔だろう

484: 八幡太郎 2018/08/11(土) 10:15:44.11 ID:uHUlIFd9
>>448
そうそう賀田氏の自宅の庭に、源平合戦時落ち延びた平氏の武者が、そこで亡くなり墓が造られています。
そこから田辺に平氏を賀田氏の水軍で落ち延びさせたと聞いてます。三つ墓があります。

433: 人間七七四年 2014/11/13(木) 22:17:03.18 ID:7jKBrpSS
戦国時代の雑賀とかって傭兵業ってのもしてた?

例えばの話になるけど
・金次第で多数の兵を長期契約出来た?
・同上で自国兵に鉄砲の指南を依頼で来た?

441: 人間七七四年 2014/12/04(木) 03:05:32.93 ID:1/f9prpw
>>433
雑賀衆の傭兵稼業の報酬は雇い先の畑(知行)や加地子(田畑の収入)
土地債権など借地権がメインの報酬である程度の縁故で敵味方につく。
現物品では刀、槍、甲冑、鞍などの武具、馬、錦など。金品は少ない

435: 人間七七四年 2014/11/15(土) 02:33:38.89 ID:FA8la/SC
http://www.nobunaga-lab.com/labo/05_seisaku/05-03_sougou/tenka-002.html
信長の文通によると、73年の織田包囲網の際に足利義昭は紀伊熊野に流浪してたらしい
当時は堀内氏善もまだ隆盛してない頃だろうし、北畠でも頼ったのかな
んでその後に中国地方に渡ったんだっけ。本願寺とか雑賀経由で毛利に渡ったのかなと妄想したりした

438: 人間七七四年 2014/12/02(火) 19:50:22.51 ID:NlEwRkUN
>>435
義昭が紀州に下って滞在したのは由良の興国寺という寺で、国人湯河氏を頼ったといわれる。
湯河氏は奉公衆を務めてきた家なのでその縁でと思われる。
話によっては更に南下して田辺は芳養の泊城に滞在したとも伝わるけれど、(芳養は当時、湯河氏の勢力下だったという)それは確証のある話ではないようだ。

紀州滞在中、道成寺から「道成寺縁起絵巻」を取り寄せて読んだりもしていて、その時の花押も残されているそうな。

451: 人間七七四年 2014/12/08(月) 19:02:37.64 ID:bDPMuref
>>438
芳養(はや)は紀伊湯川氏発祥の地で戦国時代には紀南一の町があったそうな

422: 人間七七四年 2014/08/14(木) 02:47:32.59 ID:wW5QIISD
熊野水軍は瀬戸内海まで行動範囲があったとみたんだけど、雑賀水軍のテリトリーとぶつかったりしたんだろうか

442: 人間七七四年 2014/12/06(土) 00:25:05.95 ID:dGccGMbs
雑賀衆に熊野水軍
地理的に歴史的必然で誕生している

444: 人間七七四年 2014/12/06(土) 23:37:45.99 ID:pRkzbbom
>>442
紀北と紀南はそうだけど紀中の存在感のなさったら

445: 人間七七四年 2014/12/07(日) 04:29:35.19 ID:2wmkS6dc
熊野水軍は紀南から伊勢南部、志摩の海賊たちの総称で日置川の安宅氏、田辺の田辺氏(湊氏)、周参見の周参見氏、新宮の鵜殿氏(新宮氏家臣)、尾鷲九鬼浦の九鬼氏、二鬼氏、三鬼氏、尾鷲浦の向井氏などで構成されていた
全盛期は源平合戦の頃で、源氏系の新宮氏と平氏系の田辺氏の熊野両別当が熊野水軍を指揮していたが南北朝~戦国時代になるとその支配力は弱まった
変わって台頭したのが日置の安宅氏や九鬼氏などで安宅氏は淡路に進出し、九鬼氏は尾鷲の棟梁として信長などに服属する
雑賀衆の中にも安宅氏、周参見氏、向井氏、湊氏の名が見えるが彼らは熊野水軍の一族の出だろう

446: 人間七七四年 2014/12/07(日) 05:22:25.40 ID:2wmkS6dc
新宮堀内氏は熊野三山の庶流で一説には一介の山伏から興ったともいわれている
戦国時代の熊野は三つの大社が勢力を持ち熊野新宮、熊野本宮、那智大社の三つを総じて
熊野三山といい、戦国時代にはそれぞれが大きな武力を持っていた
当時熊野三山を統括し、最も力があったのは本宮でこの本宮の棟梁は新屋・芝・宮崎・滝本・矢倉・中曽・蓑島という七家で構成され、この七家一党を七人上綱といい、南北朝末から戦国時代まで熊野で最も大きな勢力を持っていた
しかし、天文年間に突如堀氏氏善の父・堀内氏虎が新宮の新宮氏の家臣として現れ、この七家に従い数々の懐柔や代行戦争によって功績を挙げ、旧来の新宮氏を下克上で乗っ取って新宮を治めるようになり、次第に本宮の七人上綱もしのぐ勢力を築いて下熊野の実質的な支配者となった
残る那智大社には那智三坊のひとつ実報院と婚姻を結び、ほかの二つの坊院である文善坊、廊ノ坊を倒して堀内氏は1581年に熊野三山を統一した
この三山統一の過程で堀内氏の書状の中に雑賀衆の佐武伊賀守や湊衆の植松氏などの名が見える
このあたりでも雑賀衆の傭兵稼業は活発だった模様

447: 人間七七四年 2014/12/07(日) 05:54:28.83 ID:2wmkS6dc
紀中亀山城の湯河(湯川)氏は戦国大名になれなかったものの、戦国時代の紀伊国内では最も勢力の大きかった在地の武家で、南北朝より金吾畠山氏の家老を代々つとめ、出自は源氏に味方した熊野八庄司、河内守護代も勤めた家格も高い
武門の家柄といってもいい
戦国時代には十二代目の湯河直光が出るが、文武にすぐれた武将で難しいとされていた雑賀衆や根来衆、熊野三山などの調停役を何度も勤め、細川氏や三好氏との数度の戦いでは畠山勢の主力として、雑賀衆・根来衆、紀伊国人衆を直接動員するほどの力を持っていた
家臣団や被官も日高の竜神氏、泊の湊氏、旧御家人の貴志氏、熊野水軍の安宅氏、熊野那智文善院の目良氏など強力な国人や水軍で構成され、湯河衆として紀中一の勢力を持っていた

456: 人間七七四年 2016/02/17(水) 20:03:54.81 ID:VM9kUwUm
孫一って襲名するんじゃろ
同時期に二人、三人名乗ってることって無いんか?

458: 人間七七四年 2016/06/20(月) 00:36:30.30 ID:vUcV+WIX
孫一に限らず通称は親から子へ受け継がれるもんだし
そして主家や本家に力が無いと分家がみんな長男に孫一と付けちゃうので孫一たくさん
良くある話

459: 人間七七四年 2016/11/25(金) 07:10:12.46 ID:B190HYes
少なくとも信長と戦って苦戦させた孫一は重秀しか確認できてない

461: 人間七七四年 2017/03/18(土) 19:20:54.76 ID:GywwphhD
野球の筒香って今は10人しかいない雑賀衆の名残の名字らしいな

462: 人間七七四年 2017/03/19(日) 19:16:16.95 ID:nWRxge1r
地名のほうは”つつが”だけどな
477: 人間七七四年 2018/06/13(水) 03:42:55.68 ID:Xp9+1Cv4
筒香は昔は「つつが」と読み元は筒川(筒河)という高野山を守る地侍の一家だったが戦国時代に一部が根来衆や雑賀衆に入りこんだ
名前や在地を推察するに鉄や丹を産出する冶金業従事者か関連組織の出で冶金業で雑賀地方に進出した可能性もアリ

463: 人間七七四年 2017/07/16(日) 09:56:04.94 ID:Wsn69oaR
最近和歌山市内にある射矢頭八幡神社から有岡城主荒木村重からの援軍依頼の書き物が出てきました。雑賀衆十ヶ郷の中村左右衛門九郎が3000の兵を連れ支城である花隈城に入城しています。
尼崎市博物館にもこの書き物がありかなり勢力があったものと考えられるます。
中村左右衛門九郎は書き物にあまり出てきませんがどうなんでしょうか。
教えてください。

464: 人間七七四年 2017/07/16(日) 22:42:06.53 ID:w20bCFSI
子孫が浄光寺の住持をしてる中村左衛門九郎吉正か?
援軍要請の書状なら2000年発行の本願寺史料研究所報に神社に伝来してるって書いてあるし最近でもないんじゃないか?

466: 人間七七四年 2017/07/23(日) 12:28:23.71 ID:IRsN3QCK
>>464
質問があります。
雑賀衆は郷士ですか、豪族ですか。
小領主とあるので郷士ですか。

467: 人間七七四年 2017/09/28(木) 15:42:21.77 ID:RNJS/vA8
いろいろいたけど、国人や土豪、地侍とされることが多いよ


495: 太郎 2020/01/12(日) 10:25:20.80 ID:itm9jwmS
雑賀衆の大河やらないかな。
あまりにも資料がなさすぎるみたいですね。

497: 人間七七四年 2020/01/12(日) 17:42:30.64 ID:D8Q5b2cr
>>495
大河は無理でも司馬遼太郎の作品を単発ドラマにするくらいはできそう。

引用元: ・雑賀衆・根来衆