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1: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/09(火) 22:55:23.22
モンゴル帝国は中国をはじめ全世界の大半を支配した。
ヨーロッパでもまだ見ぬ東方アジア系の異民族の侵攻だった。
しかし軍事力で勝っても文化的には融合することが多かった。
そこんとこ考えていきましょう。








2: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/09(火) 23:01:29.25
黄禍論か。現在の日本も、その影響からは逃れられない。

4: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/09(火) 23:26:13.23
モンゴルとイスラムに蹂躙された地域の民族は全てクソだな
西欧と日本は本当に幸運だった

8: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/10(水) 01:03:23.91
>>4
イスラムもモンゴルに蹂躙されたから糞化したんだろ。
モンゴルに蹂躙されたのはマーワラン・ナハルとホラーサーン、それにガズウィンやバグダッド。イスラム世界の経済文化や学術の最先進地帯ばかり。そんなところで皆殺しの嵐。
ロシアも苛烈な専制帝国化。中国は宋代から強まっていた中華思想が決定的に強固で頑迷な代物に。

10: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/10(水) 07:56:27.57
>>8
てかイスラムはそれ以前から既に分裂衰退しており学術も普通にモンゴル支配下でも発展しているから全然的外れ
中国やロシアの専制化は寧ろ脱モンゴルの一環として遊牧民の特徴である分権志向から定住国家の特徴である集権化を目指したものだ

7: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/10(水) 00:32:38.51
モンゴル・フランス同盟により、ウィリアム・ルブルックが火薬の知識をフランスに導入
テンプル騎士団の総長ペドロ・デ・モンタギューがペルシアに行き、モンゴル人から羅針盤を入手

15: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/10(水) 21:34:28.32
モンゴルはマムルーク朝には負けたけどね
アイン・ジャールートの戦い

アイン・ジャールートの戦いは、1260年9月3日、シリア・パレスチナのアイン・ジャールート で行われた会戦。クトゥズ率いるマムルーク朝軍が、キト・ブカ率いるシリア駐留のモンゴル帝国軍およびキリスト教徒諸侯連合軍を破り、モンゴル帝国の西進を阻止した。


16: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/10(水) 21:43:56.24
でも、マムルークってエジプトだぞ??
そこまで進撃したのがすごい。
連絡網が伸びすぎたんだろ
暑さに弱いのがモンゴル軍の欠点
ベトナム遠征に失敗したのも、暑さのせいって言われているし

38: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 14:43:25.73
>>16
戦った場所は、今の国でいうとヨルダンとかイラクのあたり。

18: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2011/08/10(水) 21:54:02.12
戦ったのは、フラグが撤退した後に残留した軍勢で、数の上ではマムルーク朝が有利だった様ですし。

日本に攻め込んだモンゴル軍も混成軍でしたが、マムルーク朝と戦った際のモンゴル軍も、アラブ人・アルメニア人・トルコ人に十字軍国家の軍勢まで加えた勢力でしたから、単に暑さに弱かったからとは言えないかと。

19: 山野野衾 ◆m6VSXsNcBYte 投稿日:2011/08/10(水) 21:59:44.07
混成軍を使う様になって昔の様な(遊牧国家としての)強みを発揮出来なくなった点もあるでしょうし、まとまりを欠いた点はあるかもしれませんが。
日本との戦いでは、金で使用されていた火器や集団戦を行う歩兵など、チンギス・カンの時代にはなかったやり方が目立っている。
そうした点を「成果」と見てもいいと思います。

23: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/10(水) 23:43:06.68
インド・・熱帯
チベット・・高地
インドシナ・・密林
エジプト・・砂漠
日本、ジャワ・・海洋
が助かった地域なんだけど、改めて西欧が侵略されなったのが奇跡だ

24: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 00:19:34.92
>>23
オゴデイの崩御だろ
奴が死ななかったら、ほぼ間違いなく西欧はやばい。
蒙古軍が活躍できる平原だし。
フンだって、それで活躍できた

25: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 00:25:16.17
>>24
だから奇跡って言ってるじゃん
フン族以来ピレネーからウィーンまでの地域は何故か奇跡が重なって一回もイスラムや遊牧民に支配されずに済んだ
正にgod bless europaだw

40: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 16:02:43.73
>>23
おそらく都市の城壁の材質が大きな原因だろうね。
華北からイランやイラクは版築や日干し煉瓦、ロシア東欧は木、華南や西欧、地中海沿岸は石や焼き煉瓦で城壁が作られていた。
モンゴル軍に対して、日干し煉瓦や木の城壁は全く無力だった。
版築や日干し煉瓦は,風雨で劣化するので、こまめに修築し続けなければならないとされる。
アッバース朝初期に建設されたされるバグダッドの円城も、フラグの遠征時には、既に風化して跡形もなかったとされる。
後の明王朝はこれらの戦訓から焼き煉瓦による城壁建設に邁進した。

41: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 16:08:11.68
>>40
つか、やっぱオゴデイの死だろ。
オゴデイがあと20年長生きしたら年齢的には実際に可能なはず。
西欧の征服は理論上可能。
スペインぐらいまでは余裕

27: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 02:38:21.04
西欧は侵略されなかったが、東欧は侵略されたよね。
ロシアとフィンランドのあたり。

31: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 09:42:24.87
>>27
東欧と言っても直接統治したのはロシア南部くらいでキエフですら放棄された
そもそもモンゴルによって完全に滅ぼされ支配された国家て南宋、金、西夏、ホラズム、アッバースくらいか?

30: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 09:36:00.22
西欧は兵站の問題で征服出来たかどうか微妙な所だ

モンゴルが攻め落とせなかった地域

東南アジア
アフガン
インド
日本
西欧

33: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 09:52:53.16
>>30
あとアラビア半島も地図で見ると凄まじい広さだし何で攻めないのと誰もが疑問に思うけど

34: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/11(木) 10:13:11.43
遊牧民が砂漠に魅力を感じるのは無理だろ
っていうか石油が湧き出るまでは誰も関心もたなかったぞ

52: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/12(金) 02:33:53.28
なんで東アジア最大の金や南宋は滅ぼされ高麗は存続されたのか?

698: 世界@名無史さん 投稿日:2011/09/19(月) 02:03:04.43
>>52
存続したとも言えないけどな
法令は出せない、人事権もダルガチの専権、下の方の実務しか出来ない
金宋と大して変わらん

53: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/12(金) 07:47:54.72
南宋滅亡はいたすぎた

66: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/12(金) 18:32:32.11
アレクサンドロス大王は世界中で英雄扱いなのにチンギスハーンはなんでこんなにイメージ悪いんだろうな

68: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/12(金) 19:06:25.84
アレクサンドロスの征服物語にはロマンがあるけど
チンギスハーンは蛮族が都市文明を破壊しただけって感じ

69: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/12(金) 19:07:42.30
イスラム世界で不人気だったらエジプトのアレクサンドリアは名前変わってるだろうしな

70: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/12(金) 19:38:25.44
モンゴル帝国も所詮は過去にあった遊牧国家の焼き直しに過ぎないだろ?
元朝=隋唐
イルハン朝=セルジューク
チャガタイハン=カラハン国
キプチャクハン=ハザール
別に言われるほど影響力があったわけじゃないな

71: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/12(金) 19:47:03.70
ヘレニズムみたいな文化的影響なんてほとんど与えてなさそうだよな

93: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/13(土) 09:17:10.21
抵抗して負ければ破壊、降伏して貢物を出すか抵抗して持ちこたえるかすれれば破壊を免れる。
これは、古今東西、城市を築いて住むところの慣わしで、なにもジンギスカンだけがやったわけではなく、繰り返しおこなわれてきたことだ。

97: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/13(土) 10:09:29.90
>>93
古代中国は違っただろ。
もともと中国は負けても、諸侯になるだけで殺されることは無かったはずだけど。
いずれにせよ、チンギスはやりすぎ
キリスト教圏でも教会に住民を押し込んで、火をつけたり(キエフの例)
イスラム教圏でも、膨大な科学資料を破壊したり(バグダード)
ただの住民虐殺だけでなく、明らかに異常なやり過ぎ。
西夏だって、文字も文化も伝わらないぐらいに破壊されたのは有名だろ

103: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/13(土) 19:42:15.69
>>97
史記でも三国志でも、城市丸ごと虐殺略奪する話なんて、いっぱい出てくるよ。

98: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/13(土) 10:14:44.30
十字軍のこと知ってる?
チンギスハーンなみにメチャクチャなことやってるで

99: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/13(土) 10:58:34.75
>>98
十字軍もひどかったけど一応建前上は違ってただろ。
騎士道精神もってとか、表向きは野蛮な行動は禁止してた。
十字軍だって、食糧不足で起こった面もある
それにキリスト教でも十字軍の蛮行を批判してる奴もいた。

チンギスの場合は、敵を皆殺しにしてその妻をレ○プすることが一番の楽しみ。て答えるやつだぞ

戦争で野蛮な行動が行われるのは事実だが国際法で建前は禁止してるのと、奨励してるのとは、レベルが違う。
むしろ、モンゴルの場合、殺さない奴、奪わない奴、レ○プしない奴が精神異常者だしな。
モンゴルでは、今でもチンギスは英雄。これがモンゴルクオリティ

※チンギス・ハンの問答について、他スレでの議論を引用します

229: 世界@名無史さん 2005/07/22(金) 00:40:20 0
で、誰が蒙古族はレ○プが生きがいの虐殺の権化のように言い出したのですか? 
元朝の後の明朝の歴史書ですか?

233: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 01:07:16 0
直接のソースは多分ドーソンの邦訳の文章で、それをどっかで読んだ連中が鬼の首をとったみたいに騒々しく喧伝してるのだろう。 

取りあえずドーソンが述べてる『集史』の当該個所を見つけたが、今はちと余裕がないので書くのは別の機会にしようかと思う。

254: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 20:29:36 0
参考になるか知れないけど、>>233で少し触れたドーソンの情報の元ネタになった『集史』の記述についてちょっと書いてみる。そんなに長い内容でもないのだが、ドーソンはそこそこ端折っている。これは、 

「チンギス・ハン紀第三部;称讃すべき性格と品行、彼の選ばれた習慣と各々の時期のために言い命じた良い金言と言葉とビリクと命令の数々、及び先の二つの部に入らなかったものについて良く知られたことで各々の人物や各々の本から散乱し整理されなかったために単独で書かれてしまった彼の治世中に生じた逸話と出来事について」

255: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 20:36:42 0
というやたらと長い題名の一章に出てくる逸話集の最後のエピソードなのだが、面倒なので訳をそのまま載せてみる。必要そうな箇所は()で補った。 

次に曰く。チンギス・ハンがある日、諸将の首長であったボオルチュ・ノヤンに「男子の快楽とジルガミシュ(=テュルク語で「快楽」の意味。同義語反復の例)は何であるか?」 
と尋ねた。

ボオルチュが曰くに、 
「男子のそれ(快楽)とはこれであります。すなわち、己の色の紺青なる鷹をその肩に食い込ませ(ペルシア語で鷹を肩にのせることをこのように言う)、冬には羽毛を生えさせ、取り巻きの全てを手にとり(?)、太らせた良い去勢した速く静かに走る馬に跨がり、春の緑には紺青なる頭の鳥ども(ワシタカの類いか)で狩猟し、立派な衣と衣服を着ることです」
  
チンギス・ハンはボログル(ボロウル)にも言った。 
「汝もまた言え」 

ボロウルが曰くに、 
「男子のジルガミシュとはこれであります。すなわちソンコル(白ハヤブサ)に似た動物どもを灰色の鶴の上に飛ばし、それらのカギヅメの傷によって空から落ちて捕らえるまで(行うこと)です」 
 
そしてその後ドゥラダイ、クビライにも尋ねたが、「男子のジルガミシュは狩猟と動物を飛ばすことです」と言った。 
  
その時チンギス・ハンが仰せられることには、 
「汝らは良しとすることを言わなかった。(=自分の望みに適うことを言わなかった)男子の快楽とジルガミシュとはこれである。すなわち謀叛人を粉砕し、敵に勝利を納め、彼を根こそぎに覆滅し、その持てる物を征服することである。そして彼らのボグタクを持てる者(既婚女性のこと)たちをの眼を涙ぐませ、彼(女)らの鼻の面の上に涙を流させ、彼らの尻の太った態度の良好な去勢馬どもに跨がり、彼らの見目の麗しいハトゥンたちの腹と臍に眠りと寝床の衣服を設け(着させる?)、彼(女)らのバラ色の頬を見ながら口付けし、彼女らの砂糖のナツメ木色の(ペルシア語で恋人の唇を指す詩的な言い方)唇を吸うことである」 
  
『イスラームの民のうえに平安あれ』 

256: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 20:38:49 0
ここでのボオルチュとは、モンゴル帝国の勲臣第一等アルラト部族のボオルチュ・ノヤンのこと。 
チンギス・ハンの青年時代から幕僚となった帝国の最古参のひとり。 
ボログルとは、幼少時代ジュルキン部族から拾われてチンギス・ハンの養子となった、ムカリ、ボオルチュ、チラウン・バアトルと並ぶチンギス・ハン四傑(ドルベン・キュルウド)のひとりボロウルのこと。 
 
ドゥラダイは主要な勲臣のひとりだとは思うが、特定はできなかった 
クビライとはジェベ、ジュルメ、スブタイらとともに勇名を馳せた、チンギス・ハン麾下の四狗(ドルベン・ノガイ)のひとりクビライ・ノヤンのこと。 

いづれも帝国の筆頭と呼ぶべき名のある勲臣たちだが、そのどれもが鷹狩りをあげていることから当時モンゴルの人士の内では鷹狩りによる狩猟が最大の娯楽だったことがわかる。要は鷹狩りなどの遊技を「男子の快楽」とすべきでなく、征戦による武功とそれにより馬匹と子女とを獲得しこれを愛でるこそ「男子の快楽=本懐」たるを心せよとのことだと見るのが穏当だろう。 

ボオルチュが自分の去勢馬を~というところを、対してチンギスは征戦によって獲得した敵の去勢馬を駆ることにこそ上とすべきと述べているが、これによってもとくに良好な去勢馬が珍重されていたことが見て取れる。 

257: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 20:42:43 0

さて、肝心の「陵辱・レ○プ」問題だが、チンギスの言葉それ自体からはそれらしい文言は出ていない。チンギスが「男子の快楽」として述べた文言の内容は、

1)敵対者に対する征戦とこれの撃滅すること 
2)それによる敵対者の財物を制圧すること
3)敵対者のハトゥンたちを獲得してこれを愛でること
である。 

婦人達に涙を流させることが「陵辱」の見ることもできそうだが、財物の征服と良好な去勢馬を駆ることの間に述べらおり、テュルク・モンゴル系の遊牧諸族では家産の管理を各家の婦人たちが担っていたのでこれはむしろ敵対者家族の財物を容赦なく制圧し、もう少し穿ってみれば虜囚として家族が分散されことで「婦人達の涙を流させる」ということではないかと思われる。 

さらに最後の部分だが、「ハトゥン」とは「ハン」の女性形、「妃」とか「王妃」に類するような王侯貴族の婦人や子女のこと。ようするに「妃、姫君」のような高貴な女性たちのこと。 
「砂糖のナツメ木色の唇」とか「バラ色の頬」とかいった表現はペルシア語文学のロマンスものでも頻繁にでてくる表現で、「バラ色の頬」などは『元朝秘史』でも似た表現がある。 

つまりここでは、敵対勢力から勝利して獲得した姫君を飽くまで「愛でること」が主眼となる。 
同盟者や敵対者の頭目からその子女を獲得することはモンゴルに限らず日本でも欧州でも中世期では一般的だったので、ここではチンギス・ハンが何か特殊なことを言ったわけでもなければ、強〇らしいことを奨励したわけでもないと見てとったほうが妥当だろう。

もっとも中世には君主が有力勢力の子女を妻君や側室として獲得することは一般的だったし、これと睦むことがレ○プだと言うのであれば別だが。 

258: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 20:46:28 0
>>254-257の結論からすると、 
チンギス・ハンは、敵対者を征戦によって打倒しその家産を略奪しその后妃・姫君を愛でることこそ男子の快楽とは述べてはいるが、婦女子を陵辱し蹂躙することこそが快楽、などとは全く言っていない。

259: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 21:29:54 0
長文での回答、ありがたく存じ上げます。 
>彼女らの砂糖のナツメ木色の(ペルシア語で恋人の唇を指す詩的な言い方)唇を吸うことである 

ここでの唇=女陰の隠喩だと意図的に解釈されたような感じですね。 
やはり後々統治しなければならない土地を荒らすなんてことは、普通に考えたらありえませんもんね。 
・・・このような流言で誰が利益を得たのだろう?

260: 世界@名無史さん 2005/07/23(土) 23:01:59 0
もちろん女陰を表す隠喩もペルシア文学の世界ではあるのだが、わざわざ「砂糖の」と形容して言ってることからも分かるように、ここでは単純に口唇同士による接吻を典型的な詩的表現で表している。 

ちなみに女陰の隠喩は、日本の好色・恋愛文学にも見られるような、バラの花や蕾で形容したりしている。無論そんなドギツイ隠喩表現はここでは出てこないし、そもそも『集史』のペルシア語は、テュルク語モンゴル語の簡単な形容をそのままペルシア語に翻訳して載せてる場合が多いので、ロマンス文学のように回りくどい隠喩や形容は用いられていない。大体文言通りに解釈して差し支えない。 

265: 世界@名無史さん 2005/07/24(日) 01:09:10 0
正直なところ、当時の史料を見る限り略奪や殺戮についての記述であれば、それこそどこそこの都市では何百万人も殺されたとか信じられないような数字が飛び交うのだが、レ○プとか婦女暴行とかの記述はあまり出てこない。 

虜囚が男と婦女子に振り分けられ、男は殲滅されたり補助軍として徴発されたりし、婦女子は隷民として遠征軍傘下の諸部族に分配されたり奴隷として売却されたりという記事は頻繁に出てくる。 
無論、婦女暴行の記述がないわけではない。しかしその場合はモンゴル勃興時代の部族同士の戦争だったり、支配地域で政権の統制がとれず無政府状態でモンゴル軍民が野盗化して定住民の村落を略奪したりするような場面でないと出てこないように感じられる。 

遠征中の行動では反抗した勢力に対して殺戮や略奪が行われるのが常だが、敵勢力への報復と討滅としての殺戮と、戦利品の獲得とその分配のための略奪とか強奪を迅速に行われるのが「殺戮と略奪」の主眼なので、勝手にレ○プなどと定住民的な悠長なことをやっていて良い状況とは個人的には思えない。 
略奪とはそもそも遠征軍を指揮している将帥によって、参戦した軍士に公平に分与されることを大前提としていた。野盗化しているならともかく、遠征軍として組織されている状況で、一軍民が勝手に戦利品の一部である婦女子を手込めにしてしまっては、略奪品の集計に時間がかかり、また分配の公平性にかかわるからだ。戦利品の分配の公平性についてはその軍の将帥の資質に関わる問題で、これはペルシア語文献での史書では特に重要とされて、縷々戦時には述べられているものでもある。 

266: 世界@名無史さん 2005/07/24(日) 01:10:23 0
フレグの遠征などで中央アジア、イランの諸都市が降伏したり陥落したりしているが、はじめ守備軍が抗戦しのちに住民側が降伏したときは一旦全住民を都市から全部だしてのちの収税のために人口統計をとり、空になった都市で軍が略奪を行っている。上述のように抗戦しても虜囚は男と婦女子に振り分けられ、 
男は場合によっては虐殺または補助軍として遠征軍に徴発、婦女子は隷民として遠征軍に参加した諸部族に分配され、あるいは奴隷として売却されたされるのが常であったことが記載されている。 
勿論抵抗して略奪と虐殺の対象となった都市もあったが、中央アジア、イラン、シリアの諸都市では反抗するか帰順するかは半々くらいで、しかも住民虐殺までに至った都市は征服した地域の2割も行くか知れない状況。しかもそこでの文言はやはり報復としての「殺戮と略奪」が主眼であって「レ○プ」の言葉は見えない。「恐らくあったのだろう」的推量はできるかも知れないが、史料的裏づけは難しいように思える。 

アラビア語文献でのモンゴル遠征について現地の情報であれば、それなりに説得力があるが、混乱した中央アジアから伝え聞いた情報などであったらソース的にどこまで信用したら良いのか注意が必要だろう。 
ロシアの『ガリーチ=ヴォイニ年代記』などの同時代的な史料であれば傾聴に値するだろうが、後世の伝聞でモンゴルが語られる場合でもやはり最悪眉唾ものと覚悟して史料をみる必要もあろう。 

267: 世界@名無史さん 2005/07/24(日) 01:14:30 0
そんなわけで長々となってしまったが、 
「モンゴル=殺戮&略奪」という図式はまあ実際そう書いてあるので不思議ではないと納得は行くのだが、最近世界史板で流行ってるような「モンゴル=レ○プ」というのは、史料的に眼にする場合がほとんどない、ひどく今風の勇み足が過ぎる見解だなと首を傾げてしまう。 

あるいは欧州のほかの同時代の、例えばバトゥの遠征を受けた地域の年代記にそのような記述があるのであれば、それはそれで別の問題だろうけども。


100: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/13(土) 11:13:34.04
>>99
モンゴルでも軍規違反犯せば諸将でも厳しく罰せられる
無駄な攻撃で被害受けるより降伏勧告で敵をさっさと自軍の戦力に取りこんだから勢力拡大できた

104: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/13(土) 19:50:43.17
>>99
行きがけの駄賃がわりに味方のはずのビザンチン領の城市を襲って略奪して金品や穀物を奪い街に火を放ち人民を略取してこともあろうか敵の回教徒に奴隷として売り飛ばしたりまでしている。

パレスチナに着いたら着いたで、膝まで血に浸かりながら異教徒を虐殺して城市丸一つ分の異教徒を殲滅できたことを歓喜に満ちた表現で本国や法王庁に報告しているし。

101: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/13(土) 14:50:21.22
>>98
十字軍の場合は、7世紀以来のイスラムによる侵略に対する憎悪の蓄積があったから、当然だろうね。
モンゴルの場合も金帝国に対しては、カルデア対アッシリアや項羽対秦、ローマ対カルタゴと同じくごくあたりまえの復讐と言えるだろうね。
モンゴルはチンギス・ハーンらは、オトラル事件以後極秘に重大な方針転換をしたようだ。
オトラル事件以前には、モンゴルは西夏やカラ・キタイの住民を皆殺しにしたりしていない。
おそらく、モンゴル軍を道案内したイスラム商人らは、殺されるのはイナルチュクらトルコ将兵だけで、
自分達の同胞には危害が及ばないと楽観視していたから、安心してモンゴルに協力したのであろう。

114: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/14(日) 20:18:06.39
日本を征服したらどうするつもりなんだろう。
日本国王のリクエストに答え(たという形をとっ)て、アイヌ侵略かな。

117: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/14(日) 22:21:03.17
>>114
旧南宋の兵隊さんたちをそのまま日本に定住させていたのではないかな
そして、日本は流刑地指定されていたのではないかな

120: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/15(月) 00:20:55.94
>>117
そうだよね。
元船引き上げて調査したら鍬とか見つかって、植民しようとしたらしいって説がある。

反乱起こしそうな連中を外部に追いやるのはモンゴルの政策であるし

141: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/17(水) 10:52:53.43
オゴデイが急死しなければ、ヨーロッパは滅んでユーラシア大陸横断のモンゴル帝国がコンプリートしたのに。

143: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/17(水) 11:20:06.28
モンゴル帝国が西欧も制覇していたらおもしろかったのにな。
どうやって文化融合していったのだろうって妄想できる。

159: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/17(水) 21:33:44.31
>>143
西欧諸国がロシアやスペインみたいになるだろうから、科学が発達せず産業革命は起きないだろうね。
西欧人は蒸気船を開発せず帆船で満足し続けたと思う。

160: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/17(水) 21:40:09.60
オゴデイが死ななかったら、西欧の中でどこは間違いなく堕ちた?神聖ローマはほぼ確実?
個人的にはイギリス落として欲しかったな。世界一プライドの高いアングロサクソンがどんな民族に変わったのか見たかったなw
アメリカも誕生してなさそうだよな。少なくともWASPが主流じゃ無さそう

161: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/17(水) 21:52:46.76
島国のイギリスは侵略を免れただろうね。イギリスは西欧で世界で唯一の近代国家となったかも。
フランスやドイツがポーランドやトルコ・レベルで停滞するだろうから、イギリスと互角の列強が存在しないので激しい競争がなく科学技術の進歩もかなり遅れるだろう。

165: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/18(木) 10:11:49.51
イギリスはモンゴル軍2万人が上陸したら確実に征服されてたよね。
ウィリアム征服王の時だってそんなもんだったし。

181: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/18(木) 22:40:49.55
パクス・ロマーナもパクス・ブリタニカもパクス・アメリカーナも文化的な功績を多大に残してるけど、パクス・モンゴリカは何も残さなかったな。

182: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/18(木) 23:05:45.77
ユーラシア大陸の東西の安全を保障したという点から、「パクス・モンゴリカ=モンゴルの平和」という言葉も生まれたほどです。

186: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/19(金) 00:20:28.70
>>181
マルコ・ポーロとコロンブス

201: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/20(土) 11:40:58.80
「モンゴルがロシア支配した影響で牧歌的だったロシア人気質が拡張的・陰謀的・暴力的に変わった」
「モンゴルが世界をネットワークで繋いだことで西欧が外の世界を意識する事になり、大航海時代→列強帝国主義に進んだ」

って聞いてなんでもアジアのせいかよって思ったが、戦国日本が火あぶり・磔を宣教師から学んだ事からすればあながち異文化圏からの悪影響として外れではないのかもな

203: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/20(土) 14:54:10.54
>>201
そもそもロシア南部って昔から遊牧民が住んでいた地域だろ
スキタイだってそのあたり
だからモンゴルもキプチャク高原に住み着いたわけでモンゴルとは親和性高いんじゃないのかな

209: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/20(土) 17:26:19.82
>>201
モンゴルの支配を受けてないスラブ人も拡張陰謀暴力じゃんよ

214: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/20(土) 21:51:24.91
>>201
放歌的で分権志向な気質はむしろ遊牧民の特徴だから逆じゃないの
中央集権と国家意識はやっぱり農耕社会が由来でしょ

212: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/20(土) 18:31:14.29
ロシア人が陰湿ってのはスターリンの虐殺のイメージと西側諸国による東側諸国のバッシングが大きいんじゃないかと思うけど

219: ◆axCVsGomao 投稿日:2011/08/20(土) 23:43:05.03
モンゴルの支配って500年以上前だからな
ヨーロッパはフン族の影響はないのかよw
似たようなもんだろw

223: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 00:17:07.74
>>219
フン族ってせいぜい100年間だけだしなあ
強勢を誇ったのはその内の20年ほどで、アッティラ死後は、すぐにゲピダエにやられてしまって残党(デンキジック)が東ローマにときどきちょっかいかけていたレベル

224: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 00:22:50.38
ロシアの場合、モンゴル帝国の前にも、ハザール、クン、ポロウェツ、ブルガル、突厥、ウゴル、バシキル
というような中央アジアの遊牧集団がとっかえひっかえやってきて圧迫しているし。

227: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 01:00:06.07
>>224
中国も遊牧民とは古代からの関係
ただ江南まで支配したのはモンゴルだけだな
ロシアはモンゴルでも北西地域までは進出できなかったな
やっぱり暑さよりも寒さの方が人間にとっては苦痛何だよね

228: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 01:15:02.98
>>227
えー。
鮮卑拓跋部を忘れてないかい?
日本とも関わりの深い、隋と唐だよ。

231: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 08:43:17.96
>>228
北朝の鮮卑拓跋部も漢民族化が進んでただろうし隋と唐の創始者一族は正史では漢民族ということになってるだろ

225: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 00:33:31.23
ところでモンゴル帝国って東は極東アジア、西は東ヨーロッパまで支配したけど、20世紀初頭に世界の陸地の4分の1を支配していた大英帝国とどっちがすごかったのかな。

226: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 00:50:07.80
大英帝国は今の世界の基盤をほとんど作ってる。政治にしろ経済にしろ。第二のローマ帝国と呼べるレベル。

230: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 01:16:41.55
モンゴルの方が上だろうな。
支配面積の広さに加え、GDPが世界の半分といわれた当時の中国に加えロシア、中東まで占領している。
世界の総GDPの七割くらい押さえてたんじゃない。

235: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 12:32:20.08
治安が良かったってのは本当?
「女独りで金を担いで旅しても大丈夫」って、比喩にしたって・・・
13世紀のユーラシア大陸で日本並みの治安が整備されてたとはトンデモなんだが

236: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 13:38:42.37
>>235
そこはかなり大げさだと思うけど、
完全ペーパーマネーの管理通貨制度を運営できた実績からすると当時としてはかなり治安がよかった部類になるのではないかな
あの完全ペーパーマネーは受け取りを拒むと首をはねたそうだから

237: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 14:23:31.37
>>236
それも伝統なんじゃないの?
今の中華人民共和国、物資不足で一時期貨幣は全部紙幣になったけれど硬貨の供出に応じなかった人は銃殺刑だったし、こんどはインフレで1分とか2角とかの紙幣は問答無用で流通停止したし。

238: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 14:48:27.59
紙幣はいつ紙切れになってもおかしくない制度。ユーロやドルだって紙切れとまではいかなくても価値が大幅に下落する可能性はある。
青木雄二は缶詰を買えと言ってたな。
金の価格が一グラム4500円と10年前の四倍になってるが、これは紙幣から物への逃避でもあるし、金に対して紙幣の価値が四分の一に下落したと見ることもできる。
華橋は象牙やら金やらの資産をよく蓄えてるが、まあ紙幣の危うさを分かってるんだろうな。

240: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 18:01:08.58
北欧と西欧以外のヨーロッパってフン・アヴァール・モンゴルなどのアジア系遊牧民に蹂躙・征服された地域なんだよな。
そんでもって、かつて共産圏だった地域とかぶってるのも面白い。

241: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2011/08/21(日) 18:41:43.57
>>240
ていうか、モンゴルに征服された地域って中東以外はほとんど共産圏になってるよね。
モンゴル自体も共産国家だったしロシアや中国もそうだからね。まぁ無関係だろうけど。

242: 世界@名無史さん 投稿日:2011/08/21(日) 18:54:26.83
>>241
ガッチリ大ハーンの荘園になっていた朝鮮半島も南半分はなってないし、モンゴルの侵攻をはね返したインドシナ方面では、ベトナム、カンボジア、ラオス、ミャンマーが共産化した。
国土の過半がイル・ハン国に支配されたアフガニスタン、パキスタン、トルコ、シリアも共産化していない。
念のため言っとくが、アフガニスタン、パキスタンは極東だし、トルコ、シリアは近東だからな。

243: オツガイ ◆EAbyJft1LY 投稿日:2011/08/21(日) 19:02:26.56
>>242
まぁ、確かに細かいところをつけば共産圏じゃないところも多いか。
一応「ほとんど」って言ってるからそこら辺は分かったうえで半分、思いつきで言っただけだから・・。別にモンゴル帝国と共産主義は、全く関係ないだろうしね。それと、最近は中東と呼ばれてる範囲が曖昧になってきてるから世間一般の認識としてはアフガニスタンや、トルコやシリアも中東と言って特に問題ないと思うよ。

引用元: ・モンゴル帝国の侵攻が世界に与えた影響



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