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1: 世界@名無史さん 05/02/23 20:38:41 0
有史以来26度に渉って流路を変えた黄河、中国の経済構造を変えた大運河を語れ。








2: 煬帝 05/02/23 21:45:23 0
大運河を造った朕に対する評価はいかほどかな?

270px-Modern_Course_of_Grand_Canal_of_China


京杭大運河

京杭大運河(けいこうだいうんが)は、中国の北京から杭州までを結ぶ、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河である。途中で、黄河と揚子江を横断している。

戦国時代より部分的には開削されてきたが、隋の文帝と煬帝がこれを整備した。完成は610年。運河建設は人民に負担を強いて隋末の反乱の原因となったが、運河によって政治の中心地華北と経済の中心地江南、さらに軍事上の要地涿郡が結合して、中国統一の基盤が整備された。この運河は、その後の歴代王朝でもおおいに活用され、現在も中国の大動脈として利用されている。


8: 世界@名無史さん 05/02/24 13:03:19 0
>>2
運河を開くと運が開くと思ったのでせうか。

3: 世界@名無史さん 05/02/23 21:50:16 0
民百姓のために造ったんじゃなくておのれの遊びのためだろうが。

5: 世界@名無史さん 05/02/23 21:58:23 0
春秋戦国時代、黄河は天津市付近を流れていた。
その流路は明の大運河で再利用された。

6: 世界@名無史さん 05/02/23 22:31:12 0
開封の街は、何度も黄河の洪水であぼーんした。
宋時代の開封は、地下15mに埋もれているという。

7: 世界@名無史さん 05/02/24 06:39:10 0
黄河は長江の支流だったことがある。確か元の時代?

9: 世界@名無史さん 05/02/24 14:42:25 0
元代は大運河が埋まってしまい、海運で揚州から山東半島を迂回、天津付近から河川に入り、大都まで産物を運んだ。
明代に再び運河を使えるようにしたけどね。

10: 世界@名無史さん 05/02/24 14:52:59 0
随の大運河と明の大運河は揚州以北は別のルート。
「再び使えるように」ではなく「新たに開削」。

12: 世界@名無史さん 05/02/24 21:59:18 0
世界の5大運河
中国の大運河
スエズ運河
パナマ運河
ボルガ=ドン運河
ライン=マイン=ドナウ運河

21: 世界@名無史さん 05/03/18 19:22:45 0
>>12
ボルガ=ドン運河って、ソ連が元気な頃の教科書では評価が高かったが今はどう書かれているのかな?

VolgoDon_Open_Street_Map_2016


ヴォルガ・ドン運河

ヴォルガ・ドン運河とは、ヴォルガ川とドン川を最短距離で結ぶ運河である。水路の総延長は101kmで、そのうち45kmが川と貯水池である。

この2つの川の接続は、はるか昔からの課題であった。1569年には、オスマン帝国の大宰相ソコルル・メフメト・パシャにより、対ロシア諸国および敵対するサファヴィー朝を牽制するため、艦隊を黒海からカスピ海あるいはヴォルガ川流域に送る目的で、初めての運河建設工事が行われたが、工事の難航と莫大な工費負担による財政悪化のため挫折した。また17世紀後半にはピョートル1世が建設を試みたが未完成に終わった。その後、いくつかの計画が考え出されたが、いずれも実行に移されることはなかった。

実際の建設が始まったのは1941年から1945年まで続いた大祖国戦争の前で、中断があったのち、1948年から1952年に完成した。


70: 世界@名無史さん 2005/10/08(土) 03:14:28 0
>>21
もともとあの辺に連水陸路があったはず。
ヴァイキング時代から使われていた。

13: 世界@名無史さん 05/03/04 02:31:40 0
カラクム運河はやはり結局「巨大空堀」?

カラクーム運河

カラクーム運河は、トルクメニスタンにある世界最大の灌漑および水道用の運河である。1954年に建設が開始され、1959年に運用開始、1986年に現在運用されている部分が完成した。

ソビエト連邦は、この運河によって棉花のモノカルチャー大農場の建設を推進し、「砂漠を緑豊かな農地に変えた『社会主義の勝利』である」として喧伝した。しかし、運河は原始的な工法(手掘りで、河床の防水対策がなされていない)で構築されており、流れ込んだ水の半分が灌漑目的地に至る前に失われる構造となっていたことから、地下水位の上昇により大規模な塩害を引き起こした。スターリンの死後、運河の建設計画はほとんど破棄状態になり、またいったん開発された農地も、この塩害により現在では広範囲にわたって放棄されてしまっている。

さらに、アラル海の縮小という地球規模の環境破壊の主要因ともなってしまっている。


14: 世界@名無史さん 05/03/04 08:56:29 0
カラクム運河はむしろ農工業用水ではないかと思う。

25: 世界@名無史さん 2005/04/08(金) 20:42:39 0
ボルガ川のように大運河にも船曳きを職業とする人夫っていたの?

26: 世界@名無史さん 2005/04/08(金) 23:26:55 0
運河は要所ごとに水位調整堰があったんですよね?
自然水位差だけであの長距離を渡れるわけない気がするし。
とすれば>>25の船曳は当然必要と思うが

35: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 18:39:28 0
>>25
船曳きは牛馬にやらせてたんじゃないの?

37: 世界@名無史さん 2005/04/29(金) 19:36:21 0
>>35
淀川や木津川も人足がいたはず。

36: ハリネズミ ◆qBLXpo7Q9Y 2005/04/29(金) 19:13:53 0
>>25
イリヤ・レーピンの『ボルガの船曳』が非常に有名ですが。

yjujuyd



29: 世界@名無史さん 2005/04/23(土) 13:36:32 0
冬季は凍結する地域はなかったんでしたっけ?

38: 世界@名無史さん 2005/04/30(土) 00:50:00 0
>>29
寒さの厳しい黄土高原あたりは、当然凍結する。
春先には、解けた氷のせいで流れが詰まり、洪水が発生することがある。
氷塊を含んだ濁流はとにかく破壊力が大きく、恐れられた。

39: 世界@名無史さん 2005/05/01(日) 03:20:43 0
>>38
凍った黄河の氷を村人が爆破するのは晩冬~早春の風物詩だったそうで、漢詩にも春の訪れを待ちわびる場面で登場するとのこと。

40: 世界@名無史さん 2005/05/01(日) 12:41:43 0
>>39
凍った黄河の氷を村人が……爆破!? 
「氷を村人が爆破」と「漢詩」のギャップがすごいが、宋代から中国には火薬があったぐらいだから、あり得ない話ではないかも。

現在では凍結した黄河を春先に中国軍が戦闘機から爆撃して氷を砕き、水害を防いでいるという話は聞いたことがある。

30: 世界@名無史さん 2005/04/23(土) 15:20:38 0
北京・天津近くは凍った記憶が。
船を荷橇に替えて運搬してたのはもっと北のほうかなあ。

41: 世界@名無史さん 2005/05/06(金) 18:48:50 0
水量を調節する取水口にあたる川が凍結すると、運河の水量も不足する事態も招くのです。
故に、冬季も運河を使うためには氷結した川を砕いて砕いて……
大変な労働です

ちなみに金と南宋に二分割された運河は当然南北(漕運)交通の必要性も薄れたために放置された場所もあり荒れるに任せたり、運河を埋めて麦を植えた耕作地、住居地へ有効利用をはかる有様が垣間見えます。

42: 世界@名無史さん 2005/05/14(土) 19:13:50 0
埋め立てされた地域もあるんですかあ・・・
お役ご免とはいえ寂しいねえ。

48: 世界@名無史さん 2005/06/18(土) 19:32:32 0
>>42
埋め立てされたというよりも、放置してたら自然と川底が埋まったのでそういう使い方ができたということ。東京の首都高速道路の一部は堀・水路だった場所を道としたように、天然道路に変わったりとか。
元代に海運が叫ばれ、明代に新しく運河がつくられたのも、ねぇ?

52: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 00:11:29 0
考えてみれば、黄河のほとりに首都があったのは北宋の汴京が最後なわけか。

53: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 10:12:48 0
>>52 
当時は100キロほど離れていたのだが。
それから金の都も一応は汴京。

54: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 14:44:26 0
宋代は汴京の少し上流あたりで黄河が分岐して淮水に合流していたようだけど、そのころは汴京も分岐したほうの川のほとりに位置してはいなかったのかな。

汴京を除外するなら、後唐(923-926)が都した洛陽になるのかな。

57: 世界@名無史さん 2005/08/06(土) 19:36:13 0
>>54 
>黄河が分岐して淮水に合流していたようだけど、

それは隋代に掘られた大運河・通済渠。
標高差があって汴州で荷物を積み替える必要があった。
それで唐の時代に汴州が繁盛し、五代~宋~金の都となる基礎となったんだけどね。
元の時代は、黄河が氾濫して流路が変わってこの通済渠がそのまま黄河となって汴梁が泥に埋まり、再建したけど黄河に直に面してはかつての繁栄は無理。

58: 世界@名無史さん 2005/08/21(日) 21:48:41 0
大運河は軍隊の移動にも効果を発揮していたの?

59: 世界@名無史さん 2005/08/22(月) 14:30:55 0
後周の世宗は南唐の征服には大運河で行った。

61: 世界@名無史さん 2005/08/23(火) 10:05:01 0
平時から、地方の財物を中央に納める際は運河が重要な役割を果たしていました。軍への支給物資も同様です
北宋末期・南宋初めは?京の底が詰まってろくに使えませんでした。

78: 世界@名無史さん 2006/01/14(土) 20:41:39 0
元朝が滅びたのも運河工事がきっかけだったな。

79: 世界@名無史さん 2006/01/15(日) 13:21:40 0
黄河から長江へ合流していた時代の河道はいまどんな状態になっているんだろう。
地形すら残っていないのかな。
運河として再利用ってのは無理?

80: 世界@名無史さん 2006/01/15(日) 17:41:40 0
元の時代に通済渠が黄河の本流となったのが清代に現在の流路に替わったあと、廃黄河という細流。
天井川になっていると聞いた覚え有り。

81: 世界@名無史さん 2006/01/16(月) 17:11:15 0
日本の感覚で考えちゃだめなんだよな。
イギリスもそうだけど、平坦な地形だから運河を作るのは比較的楽。

82: 世界@名無史さん 2006/01/19(木) 21:34:20 0
いくら平坦でも固い岩盤の場合は大変だと思うよ。 by PROJECT X

83: 世界@名無史さん 2006/01/21(土) 11:15:14 0
黄河、淮河、長江の下流地域は、網の目のように分流し木の枝のように広がっており、互いに重なっていた。だから、黄河周辺から、長江周辺まで、もともと小船で航行することができた。
それに手を加え運河とするのは秦から始められている。
隋は、体系化大規模化した。
で、固い岩盤か。まあ、どっかにはあったろうが・・・。

85: 世界@名無史さん 2006/02/22(水) 11:35:46 0
大運河の様子を見た人物には、乾隆帝に謁見したG.マカートニーもいる。
90: 世界@名無史さん 2006/03/01(水) 00:46:15 0
世界的に見ても大運河は今なお世界最長の運河に入るんじゃない? 

92: 世界@名無史さん 2006/03/01(水) 15:36:42 0
揚子江で終わりでなくて杭州あたりまで行ってたのか?

93: 世界@名無史さん 2006/03/14(火) 06:09:32 0
地図を見ると杭州まで伸びているな。

94: 世界@名無史さん 2006/03/14(火) 10:30:55 0
大運河のあるあたりはあまり硬い岩盤は無いような気がします。 
安徽省から湖北省にかけて大別山山脈というか山系というかがあって、あそこは地質学などで興味のある土地らしい。隆起の仕方が特異なのかもしれません。

86: 世界@名無史さん 2006/02/24(金) 07:54:22 0
日本でこけた運河プランといえば
琵琶湖と日本海を直結するものや戦後高度成長期陸奥湾太平洋を結ぶという運河とか(石油ショックが無かったらぞっとするw)

88: 世界@名無史さん 2006/02/27(月) 06:06:22 0
>琵琶湖と日本海を直結するもの

小さいやつは戦国時代末期にできたみたいだけどね。
遺構はほとんどドブ川でした

89: 世界@名無史さん 2006/02/27(月) 06:24:28 0
琵琶湖-日本海運河については
ttp://www.koti.jp/marco/unga_hyou.htm
ttp://www.koti.jp/fukasaka/index.html
ttp://www.jic-gifu.or.jp/np/newspaper/kikaku/umi/tori9.htm
参照


96: 世界@名無史さん 2006/03/16(木) 16:20:49 0
NHK・BSで大運河を特集したのによれば黄河~北京間は概ね干上がっているらしい。

98: 世界@名無史さん 2006/03/16(木) 17:09:13 0
黄河暖流ってやつだね。
森林の乱伐が原因とかっていわれているらしいが。

99: 世界@名無史さん 2006/03/16(木) 17:23:26 0
黄河断流は、人口増加での華北平野の住民による水の取り過ぎが原因。
大運河北部の干上がりは、黄河から泥水が流れ込んで溜まり、くわえて黄河の水位が下がり、戦争によるメンテナンスの怠りなどとか。

102: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 12:18:56 0
773 :韋駄天はふと考えた :2006/03/25(土) 00:31:42 0

※サハラ計画とは、人類の食料ダム計画のことで、砂漠の中央部に巨大な人工湖を作り、そこから人工河川を流して、砂漠全体を森林にして、生物や人間がたくさん住める環境にして、戦争難民を一時的に受け入れたり、世界的食料危機の回避に使ったり、世界的人口増加を食い止めるため一時的に移住したり、森林の断熱効果による世界的気候不順を解消したり、仕事がなく暴動に発展するのをサハラ計画に参加する事で防いだり、、世界中の生物や民族が共存していくために、何千年もかけて建設する人類初の壮大な試みです。
 

103: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 16:10:38 0
で、その巨大な人工湖の水源はどうするのか、と・・・

そういう水があれば沙漠にならないのは餓鬼でもわかる理屈。

104: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 17:29:25 0
>>103
ザイール川をダムでせき止めてコンゴ盆地を巨大な「コンゴ湖」に。
チャド湖へ北流するシャリ川へ運河をドッキングさせてチャド湖へ導水、と。
かつて巨大な淡水湖だったチャド湖は元の面積を取り戻し、サヘルを潤おす、という計画だそうな。

サハラ計画とセットで唱えられる「コンゴ湖計画」ってやつです。

105: 世界@名無史さん 2006/03/26(日) 20:27:50 0
チャド湖の再生とコンゴ盆地の熱帯雨林の喪失とどっちが大事か、と

107: 世界@名無史さん 2006/05/05(金) 18:41:37 0
冗談抜きで黄河がワジと化す悪寒・・・

108: 世界@名無史さん 2006/05/09(火) 20:50:28 0
山東省の河口付近、河道に雑草が生えて橋のないところを人々が歩いて渡ってたぞw

144: 世界@名無史さん 2007/03/24(土) 11:17:08 0
>>108
NHK特集で、もと黄河の川底だった場所を開墾して畑にしている農家を取材してたなw
羊まで放牧してた。もと川底の泥だから、肥えた土壌かもしれないな。

110: 世界@名無史さん 2006/05/28(日) 23:50:02 0
黄河の水が黄色く濁りだしたのが有史時代に入ってからのことって本当ですか?
だとしたら人為的な理由であんな泥水川になっちゃったのだろうか・・・

112: 世界@名無史さん 2006/05/29(月) 15:34:23 0
>>110 
黄土高原の森を切り尽くして裸地にしてから。
「黄河」という呼び方は2000年前にはまだ無い。
その前は「河」「河水」。

113: 世界@名無史さん 2006/05/30(火) 01:51:38 0
>>110
ちなみに秦の象徴の色は黒、役人や軍人に黒い制服をやたら着せていたらしい。
当時の黄河が黒かったから、黒になったんだといわれている。

116: 世界@名無史さん 2006/06/11(日) 22:44:16 0
>>113
全国統一以前から黒衣だったらしいから、黄河上流からしてもう黒かったんだろうな。

114: 世界@名無史さん 2006/05/30(火) 10:38:10 0
「黄河」という文字は南北朝のころから、とうろ覚え・・・

117: 世界@名無史さん 2006/06/12(月) 08:22:18 0
今の黄河どこからもう黄色くなっているのかねぇ
あと何年で年がら年中水が断流するようになるのだろうか
今でも場所によっては、半年くらい水が断流していると聞いたような気がする。

140: 世界@名無史さん 2006/12/30(土) 00:29:59 0
昭和61年にNHKで放映されたドキュメンタリー、『大黄河』。
最終回、河口の場面では黄河は広大な干潟に阻まれて海に流れ込まず、潮が満ちて干潟が水没してようやく海とつながっていた。

つまり、「絶流」はこの時代から起こっていた、ということ?

141: 世界@名無史さん 2007/01/08(月) 03:59:20 0
げ、そんな前から始まっていたのか・・・
あの大人口を支えてきたんだ、無理もないか。

引用元: ・黄河、大運河をめぐる歴史