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1: 世界@名無史さん 2016/03/21(月) 20:16:44.09 0
名君も賢君も暴君も暗君も







2: 世界@名無史さん 2016/03/21(月) 20:19:34.08 0
古代ローマ時代区分

・王政期
紀元前753年(建国)から紀元前509年まで、ロムルスに始まる伝説上の七人の王が治めていた期間(伝承による)。

・共和政期
紀元前509年から紀元前27年まで、イタリア半島の一都市国家から地中海の全域に属州を持つ帝政になるまでの期間。

・帝政期
オクタウィアヌスがアウグストゥスの尊称を与えられた紀元前27年から、テオドシウス1世が死に際して帝国を東西に分けた紀元後395年までの期間。

・東西分裂後
西ローマ帝国(395年 - 476年)と東ローマ帝国(395年 - 1453年)に分裂した時代。 ※一般的に古代ローマとは呼ばれない事が多い。

3: 世界@名無史さん 2016/03/21(月) 20:24:14.46 0
なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。

最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。

しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。

中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。

その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。

110: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 22:34:32.18 0
>>3
キリスト教化は農村じゃなくて都市から始まったし別に貧しくもないシリアやエジプトや中東の国々、北アフリカもキリスト教を受け入れてたことについてはどう解釈してんの?

147: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 21:52:10.34 0
>>3
全く違います
キリスト教が流行ったのはローマ時代です
セルビア生まれのコンスタンティヌスはローマ元老院に政治的足がかりが無く軍部の将校達の支持から皇帝になっています
歴代のローマ皇帝は半数以上が暗殺で死んでいるので政治的な基盤を得るためにキリスト教を利用することにします
キリスト教司祭には税金免除をするといった政策です
そこで元老院所属の議員はこぞって司祭になります
当時の司祭は金持ちか貴族が殆どで1週間の講習で慣れました
つまり当時の司祭は地域の有力者でもあったわけです

その為地域住民も必然的にキリスト教徒になっただけです
言ってみれば或る日突然領主が司祭になってこの街の宗教はキリスト教ですよと布告したようなものです
その後正式にローマの国教となりキリスト教以外は異端としました
キリスト教以外は罰せらるわけですから当然それまでの宗教は鳴りを潜めます
ローマが滅びたのはその後ですね

148: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 22:12:15.21 0
因みに王権の正当性を謳い始めるのもコンスタンティヌス以降からキリスト教を使って神から与えられたーなんて言い出す訳です

コンスタンティヌス以前も王位争いを避ける為に血統で継ぐ傾向はあったけど大抵3代前後で終わって血の繋がりが全く無い人間が皇帝についてた
中には奴隷から皇帝になった人もいるしコンスタンティヌス自体どこの誰ともわからないセルビア出身ですからね

ローマ滅亡後にヨーロッパ各地を襲った山賊達も土地に居着くと勝手に王族を名乗って中世のヨーロッパ貴族が生まれる
ヨーロッパ貴族は例外なくローマ皇帝と血縁関係がないゲルマンの山賊出身てのが笑える
それでいてどの国もローマの後継を名乗るしキリスト教はその後ろ盾となって王位の血統による継承の正当性を神の思し召しっていうんだから

149: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 22:32:33.01 0
更にローマが滅んだ一因が王権の血族による継承が一因になっている
コンスタンティヌス以前は政治的に最も勢力を持っている人物か前線で武功を挙げて軍部に推挙された叩き上げの将軍のどちらかが皇帝になっていた
その為戦争になれば前線で指揮するなり政治で主導をとって国政を切り盛りできた

しかしコンスタンティヌスの息子達の代からは血統による継承になって前線にも政治にも関わらなくなる
謂わば無能な王が気まぐれに家臣や親族を暗殺して身を守り贅沢することにしか興味がなくなってしまった

結果的にイエスマンが王の周りを固めて有能な人材は左遷させられるか妬まれて暗殺されるようになり政治が腐敗していく
その結果経済が立て直せなくなり軍隊も維持できなくなる
その結果国境線が維持できなくなって高々数千人の山賊にすら対応できなくなって空中分解
その後はキリスト教司祭や領主が各自で統治していたけど次から次へとくるゲルマンの山賊に襲われてゲルマンに乗っ取られヨーロッパが誕生した訳ですねー

キリスト教が勢力を得た5世紀では宗教といっても現代のイメージとは全く違い
司教は政治家であり貴族だったんですよね~
民衆が本当に信仰に目覚めた時代があったのか
案外熱心なのは貴族・司教達だけで民衆は踏み絵をやらされ続けていたってのが実情ではないのでしょうか

150: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 22:48:29.03 0
踏み絵と書いてしまったけど逆ですね
祈らなきゃ異端、つまり王権に逆らうのかって脅され続けていたのかなと

またローマは貧民向けに小麦やパンを配給して餓死を出さないようにしていた
その社会福祉をコンスタンティヌスはキリスト教会の役目として国から購入費などを提供した
その慣習はゲルマンの支配以降も続けられてキリスト教会は市民から支持を得るようになった
これは現代でも続いている慣習
キリスト教会への信仰ってのは実に現金な理由があるんですよ

151: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 22:55:54.29 0
塩野さん曰くだと、カラカラのやった、無条件でローマ市民権を全員に与えたことで、市民権自体が無意味になり、身分が固定化され、衰退を招いたって感じだったかな。
キリスト教の国教化は直接的原因とは見てなかったように思う。

153: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 23:04:50.40 0
末期ローマはすでに崩壊しかかってる国をキリスト教の神権政治で繋ぎとめてたからキリスト教取り入れてなかったらむしろ寿命が縮まってたと思う。
東ローマも一応の大国として存続できたかあやしい

152: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 22:57:25.24 0
>>147
キリスト教の国教化はその頃すでに膨大な信者数になってたキリスト教の追認から更に一歩踏み込んだだけだからそんなにぶっとんだ事でもない。

むしろ当時は皇帝が現れては殺されてっていう実力主義の悪い面が100年くらい続いてて政治が混乱しまくりだったから「今度から統治の権利は実力じゃなくて神の意思ってことにすっから」ってルールに変えたのは混乱を終息させるのには一役買った。
これがなければ東ローマの1000年はなかったと思う。

ただそれやっちゃうともうローマじゃねえじゃんそれって事になって、実際世界史だとキリスト教ローマ帝国の系譜を引き継いだ東ローマ帝国はビザンツ帝国って名前になってて古代ローマとは別の扱いになってる(ビザンツ帝国側の自称は滅ぶまでローマ帝国だった)

12: 世界@名無史さん 2016/03/22(火) 17:22:49.79 0
何故ローマ帝国の分裂というとテオドシウスの2子の最終分割ばかりいうのかな
ヴァレンティニアヌス/ヴァレンスの分割のほうがよっぽど重要だと思うだが

16: 世界@名無史さん 2016/03/23(水) 00:59:38.33 0
>>12
それ以降ずっと分裂してしまったからなあ 

17: 世界@名無史さん 2016/03/23(水) 02:59:19.28 0
西ローマって東ローマと敵対していたわけではなく東から何度も西へ皇帝とかが送り込まれていたし実質的には分裂していなかったと思う
ディオクレティアヌス退位後とかはマクセンティウスとコンスタンティヌスらは東に敵対独立していたから名実ともに分裂していたと思う
もしアルボガステスがテオドシウス軍を撃退する事に成功していたのならば完全に東西分裂していたな

19: 世界@名無史さん 2016/03/23(水) 09:34:23.59 0
ウァレンティニアヌス1世とウァレンスの時が何故か例外だったね
兄のウァレンティニアヌス1世が西で弟のウァレンスが東だった

23: 世界@名無史さん 2016/03/23(水) 21:21:35.20 0
ハンニバルとスキピオが活躍した時代はローマ市民の間で貧富の差が未だ小さかったけれどスッラの時代ともなると、金貸しが現れてローマ市民の間でも勝ち組負け組がはっきり分かれてしまうんだよな

24: 世界@名無史さん 2016/03/24(木) 10:58:40.94 0
一般的にはシチリアの領有で安い小麦が入って市民の担い手である中小農園が没落したからと説明されるけどな

小農園でも人を使ってること前提の一種の企業ですけどね

25: 世界@名無史さん 2016/03/24(木) 23:33:38.37 0
今のコロンブス以来現在に至るグローバリゼーションと発想はまったく同じだよねえ
本土産業空洞化、格差拡大、

26: 世界@名無史さん 2016/03/25(金) 23:56:13.43 0
そして移民

27: 世界@名無史さん 2016/03/26(土) 03:26:17.88 0
ラティフンディウムやエンクロージャーで土地を追われた元農民らが兵士や船乗りになって領土拡大に活躍して国外へ移住していった

33: 世界@名無史さん 2016/03/26(土) 21:12:58.84 0
高度な文化を持つギリシアではなく、驚異的な経済力を持つカルタゴでもなく、ローマが覇権を握れた理由は何?

36: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 04:38:19.23 0
>>33
組織と団結と軍事力

61: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 22:34:08.50 0
>>33
動員可能兵力が大きかったから
さらにいえば、ギリシア世界とほどよく近くて農業技術・軍事技術・社会制度などを参照することができたから

114: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 23:30:03.91 0
>>33
ギリシアって文芸美術哲学思想は優れていたが実学はてんでだめだった
その点で圧倒的だったのがローマ人
建築等の工学、それを兵器に応用する発展性があった

116: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 23:37:25.98 0
でもギリシャ人にもアルキメデスとかいるじゃん?
思うにローマ人が圧倒的な国力を持つようになったからその実学を大規模に活かせたって面が大きいんじゃね?

117: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 23:44:43.08 0
アルキメデスは浮力の原理を「発見しただけ」で満足した人
それを応用工学に移さなきゃ発展はないよ

要はサイエンティストだけじゃ進歩はない
それを応用してくれるエンジニアがいないと

119: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 23:53:29.30 0
ちゅーかローマが最終的に地中海の覇者になれたのって広大な人口を維持できた環境と時期的にうまく機能してた政治システムのおかげじゃん
ポエニ戦争なんて、数字鵜呑みにしたらローマ軍だけで数十万人も死んでるのに
なおローマ市には約70万の潜在兵力抱えてたとか、どんだけ人口多いねんという話になる

この数字も鵜呑みにして良いのか俺には判断つかんけどさ

405: 世界@名無史さん 2016/05/08(日) 09:56:24.85 0
>>33
ローマ人が地中海制覇出来たのは他の民族の技術や文化制度などの良いところを真似して自分好みに改良して使い続けてたからとか塩野婆さんが書いてたな

北には獰猛だが団結力はバラバラのゲルマン諸民族
東には文化と哲学のギリシャ
東南は経済力はあるが戦争嫌いのカルタゴ

そりゃローマが覇権を握るわな

415: 世界@名無史さん 2016/05/09(月) 07:12:50.13 0
>>405
それよりも有事の際には貴賎の区別なく民が団結できた事の方がデカイだろう。

38: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 11:34:58.33 0
古代ローマの奴隷、中世の農奴、ソ連時代の労働者、現代日本のブラック企業社員

どれが一番悲惨?

40: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 11:45:18.59 0
>>38

古代ローマの奴隷
時代や奴隷の職業によって違うが、後世になれば結構いい扱い。自由奴隷にしてもらい、自由になる事も出来た。ギリシャと違って(当時としては)結構悪くないかも

中世の農奴
こっちも色々だけど、基本モノとあんま変わらない扱い。土地に縛られてて離れる事は基本的に出来ない。土地が売られればそれに附いて農奴も売られる。収穫は半分程取られ、主人には逆らえない。まだジャガイモが無かったから飯もショボい。結構きついかも

ソ連時代の労働者
ノルマさえ達成すれば結構楽だったという話。労働英雄とかを作ってノルマ向上をしようとしたけど、実際は”ある熟練の旋盤工がゆっくり仕事をやっているので、少年工が「なんでそんなにゆっくりやってんの?」と聞くと「もっと早く出来るが、それは黙っている。ノルマ上がるとヤバいし」と答えた”との事。仕事は案外楽かも。
でもあらゆる日常品は行列して買わないといけない。それも何時間も。仕事はいいけど買い物で死にそう。

現代日本のブラック企業社員
24時間働けますか?

41: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 11:46:29.04 0
酒と女と入浴が体に悪いのは判っている。
でも酒と女と入浴が無いのは人生ではない。
そう思って酒と女と入浴を続けたら人生が53年でオワタ

ある古代ローマ人の墓標だそうで

43: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 11:56:24.09 0
>>41
当時としては問題ない年齢だなw
やや早いけど

しかし入浴も悪いとされたのか

42: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 11:47:37.37 0
古代ローマの奴隷って日本語に対応する単語が「奴隷」しかないだけで、実際には知識階級の家庭教師やってたり、仕事は夕方までで実に楽な仕事だったと聞く

45: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 11:57:07.62 0
>>42
ガレー船や鉱山の奴隷は悲惨

44: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 11:56:28.96 0
「奴隷と言っても楽な仕事も実入りのいい仕事もあった」ってだけで、鉱山奴隷とかに当たったら悲惨そのものだろ。

ソ連時代の労働者は時代による。ブレジネフ時代なら閉そく感に耐えられれば、仕事サボってアル中になる自由くらいはあった。パン、牛乳、ジャガイモ、タマネギ、ニンジン、イワシの缶詰、密造酒(ウォッカは比較的貴重品)くらいならいくらでも安く手に入ったし。

テレビ、肉製品、オーディオ、自家用車、毛皮製品、ジーンズ、あらゆる西側製品など、気のきいたものを入手したければ、コネなり立ち回りなり、それなりの努力が必要になった。

46: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 12:00:17.01 0
古代末期の混乱期には、進んで有力者の隷属身分に身を落とす自由民もいたそうだから、その頃には奴隷と下層自由民ではたいして違いは無くなっていたんだろう。

共和制末期には借財で奴隷身分になる市民の存在が問題視されてるくらいだから、奴隷なんて進んでなりたいはずもない、平均的に見ればかなり悲惨な生活を強いられる身分だったんだろうな。

53: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 15:00:10.39 0
古代ギリシア、ローマでは当初は市民権を有する者が自発的に軍に参加する市民兵が主力であったが、やがて市民兵制は衰退し、傭兵に頼る割合が増加していった。
辺境の民族が傭兵となることが多く、北アフリカ諸部族やガリア人など、のちにゲルマン人の移動が始まると、これを盛んに傭兵として雇ったが、後には国境近辺に定住させ、屯田兵のような形にすることが多くなった。
またマラトンの戦いで重装歩兵の威力を知ったペルシア帝国においても多数のギリシア人傭兵が雇用された時期がある。
兵士の不足したローマ帝国では市民権を得るために補助兵となる植民市民や属州民が多数存在したが、カラカラ帝によるアントニヌス勅令を受けてそうした自由民が市民権を得ると、兵のなり手が不足してローマ帝国はその兵力の多くを傭兵に頼ることとなった。

中世においては、西欧の戦闘の主力は騎士を中心とした封建軍であったが、国王の直属軍の補強や戦争時の臨時の援軍として傭兵が利用された。傭兵となるのは初期にはノルマン人、後には王制の未発達なフランドル、スペイン、ブルゴーニュ、イタリア人などが多かった。
ビザンティン帝国では主力としてフランク人、ノルマン人、アングロ・サクソン人傭兵が使われた。
この時期の傭兵は敵を倒して雇用主から得る報酬だけでなく、戦場での略奪や敵有力者の誘拐身代金なども収入としていて、戦争を長引かせるヤラセ戦争も行なっていた。傭兵の雇用は契約によって成立していたので、敵味方陣営に関わらず最も高値の雇用主と契約することなども行なわれ、「主君の主君は主君ではない」という言葉がこの時代の傭兵の立場を表している。

58: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 17:07:51.07 0
古代ローマのグラックス兄弟から始まる内戦の時代は、こういった議論をしていたのだろうな。
で、マリウスやスラは世の中が変わったから、制度も変化しなければいけないと言って、徴兵から傭兵の志願兵に移行したのだけどな。
昭和の戦後の時代は、終身雇用制の建前が有効だったから、若いうちは滅私奉公して、年寄りになって報いるのだったけど、正直昭和末年の頃に名の通った大企業に勤めていて、定年退職まで会社に残れた奴なんでどれくらいいるのやら。
それでも、名の通った大教に関しては、40代でリストラされても、田舎で道楽できるだけの退職金はもらえたから、みんなまだ我慢していたけど、今は一億の貯金で利息がどれくらいつくの?の時代だからな。
だから、この際使い捨てで良いから、同一労働、同一賃金にして、その代わり滅私奉公の社畜生活から解放すべきなんだよ。

59: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 17:43:39.71 0
雇用観念が変化するところは通じるが
マリウスの軍政改革はむしろ貧窮者を厚く遇して老後も保障することで兵卒を獲得するやり方だろう

64: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 23:26:12.93 0
☆月名の由来☆

【1月】
JanuaryはJanus(ヤヌス神)から来ています。
万物の支配を表す、光の源初神Dianus(ディアヌス)が、ラテンではヤヌス、ギリシアではZan(=ゼウス)となりました。

【2月】
Februaryは、februs(酒を献上する)と、februere(浄化する)のふたつの由来が考えられるとか。
Februereは斎戒や葬儀を意味し、古代ローマ暦で2月が最後(12番目)に当たることから来ているのではないかということです。

【3月】
古代ローマ暦では最初の月でした。March は、農業と戦争の神Mars(マルス ギリシア神話ではアレス)から。
3月は風が吹き荒れることから、軍神マルスの月とされたという説もあります。

【4月】
Aprilは、大地における1年の始まりaperioに由来するという説が強いようです。

【5月】
Mayは、繁殖・成長を司るMaia(マイア女神)に豊穣祈願の生け贄を捧げる月からという説があります。
5月は死者を悼む月で、結婚するには縁起の悪い月とされました。古代ローマでは、レムリア祭(死霊祭)は、5月9、11、13日に行なわれました。

【6月】
Juneは、ユピテルの妻Juno(ユノ ギリシア神話ではヘラ)あるいはJunius(ユニウス)・ブルートゥスの執政に由来するそうです。
古代ローマでは国の守護神である、家族とかまどの女神ウェスタ(ギリシア神話ではヘスティア)の月とされました。

65: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 23:26:32.81 0
【7月】
Julyは、ユリウス暦を制定したJulius Caesar ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)が、誕生月に自分の名をつけました。
古代ローマ暦では元々、Quintilis(第5の月)でした。

【8月】
Augustは、初代ローマ皇帝Gaius Octavianus(ガイウス・オクタヴィアヌス)ことAugustus(アウグストゥス)が誕生月に自分の名をつけました。
養父ユリウス・カエサルに倣ったとか。

【9月】
Septemberは、そのまま「第7の月」。ラテン語のSeptemは「7」の意味です。
守護神は火の神ウルカヌス(ギリシア神話ではヘパイトス)。

【10月】
Octoberは「第8の月」。ラテン語のOctoは「8」の意味です。守護神は軍神マルス。

【11月】
Novemberは、「第9の月」。ラテン語のNovemは「9」の意味です。

【12月】
古代ローマ暦では最後の月。Decemberは「第10の月」。ラテン語のDecemは「10」の意味です。
かまどと家族の守護女神ウェスタの月であり、農耕神で時間の神でもあるサトゥルヌス(ギリシア神話ではクロノス)の祭りSaturnaliaの月。

66: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 23:30:17.94 0
北欧神話やケルト神話はキリスト教に駆逐されたのになぜギリシア神話だけ生き残れたの?

67: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 23:36:31.67 0
>>66
北欧神話やケルト神話だって完全に駆逐された訳じゃないからRPGやファンタジーが出来ている
逆に異端審問官の時代だったらハリーポッターの作者やTRPGをやる奴はドルイド・魔女として弾圧されるだろう
魔法使いになるのは架空の世界だけだと言ってもあの時代は通用しないし、全部没収される

70: 世界@名無史さん 2016/03/27(日) 23:59:43.70 0
>>66
ギリシャ・ローマの世界のなかで、キリスト教が公認されたから神話(フィクション)として終わった。
ケルトの世界の中で、キリスト教が公認されたのならケルト神話として終わりギリシャ・ローマは敵視されただろう。

80: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 18:04:13.12 0
>>66
西洋社交界ではギリシャローマ神話の知識は必須だと聞く。
その辺で生き残ったというのかな?

最近オーシャンのスペルを見ててオケアノスだこれ! とうなった。

82: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 18:18:43.97 0
>>80
中世はラテン語が公用語だったんだから(ギリシア・)ローマの古典が読まれてたのは不思議でも何でもないわな

逆にいうとラテン語を読めた上流階級以外(人口の大多数)はギリシア神話より昔ながらの北欧・ケルト神話のほうに詳しかったんじゃないの

83: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 18:32:10.47 0
歴史的にいえば、まずはケルト民族がヨーロッパ全土に進出、その後、ラテン系の民族がこれを辺境に追いやり、その過程でケルト神話も部分的に失われた(島のケルト、大陸のケルトだけ残る)ので、ケルト神話に関してはまだわかるが、北欧神話なんかはよく残されてるだろう。 

まあ、文書として記録されたのは10世紀以後で新しいとはいえるが、言い換えればそれまでも口承物語として残されてきたからね

268: 世界@名無史さん 2016/04/21(木) 20:16:22.49 0
>>83 
遺伝子研究によると島ケルトとされている集団は大陸のケルトと違うそうだ。イベリア半島の方が近いとのこと。 
ケルト人の大量移住はなかったと見られている。 
考古学的にはブリテンのケルト文化とされてきたものはケルトに少し似た別のものらしい。
ブリテン島で独自に発展するはずがないという偏見によりケルトだと思い込んでいたとのこと。

74: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 00:43:56.38 0
ヨーロッパにおける長期安定の大帝国は結局ローマ帝国だけな気がする
フランス第一帝政やドイツ第三帝国は欧州をほぼ統一したけどあくまで一時的な征服で終わったし

77: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 01:27:49.06 0
>>74
フランスもドイツもロシアへ大遠征して元の木阿弥になった
ローマもアレクサンドロス大王のようにインダス河まで大遠征したのならばもっと早期に滅亡していただろう

87: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 20:11:21.78 0
>>74
ハプスブルクとカトリックによる大帝国の復活を否定したところから近代ヨーロッパが始まる。
帝国による安定よりバランスオブパワーを取った 。

91: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 21:02:12.26 0
>>87
ヴェストファーレン条約のことかな

79: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 09:38:59.41 0
ナポレオンやヒトラーはブリテン島上陸がついぞできなかった
一方で苦戦しつつも上陸を遂げたカエサル
まぁ状況が違うから単純な比較はできないけど

89: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 20:25:16.83 0
各国のイメージ

イギリス
海賊、大英帝国、ロイヤルネイビー、料理が不味い

フランス
プライドが高い、高級料理、農業、原発

ドイツ
軍事、科学、高級車、ジャガイモ

イタリア
ローマ帝国の遺産、文化芸術、料理が美味い

スペイン
太陽の沈まない国、パエリア、サッカーが強い

ポルトガル
かつて世界の半分を支配、今は欧州最貧国?、マカオ

オランダ
風車、チューリップ、日蘭関係

ベルギー
チョコレート

ギリシア
哲学、古代は凄かった、東ローマもすごかった、トルコに支配されてからは・・・、財政破綻、怠惰

90: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 20:31:04.92 0
周りがスラブ系国家なのにそのど真ん中にいるラテン系のルーマニア
ヒントはトラヤヌス帝

92: 世界@名無史さん 2016/03/28(月) 21:03:08.93 0
ダキア軍は歩兵が主力で騎兵は同盟していたサルマタイが担当していたからダキア人は農民で人口が多かったのだろう

スラブ化したイリュリアとトラキアとかは牧畜が盛んで住民が乗馬が得意なので騎兵化したローマ軍に多くの将兵を供給しさらに多くの皇帝を輩出した
牧畜が盛んで人口が少なかっただろうから農耕民のスラブ人が移住してくるとイリュリアとトラキアはスラブ化してしまったのだろう

96: 世界@名無史さん 2016/03/29(火) 18:58:05.01 0
>>92
ダコ・ロマン人か

ブルガリア(ブルガール人)もハンガリー(マジャール人)もトルコ系が入り込んで支配層になったが、支配層の言語がそのままお国の言葉になったハンガリーと支配層の方が言語を捨てて多数民族と同化したブルガリア
対照的だ

一口にスラブといっても成り立ちはさまざま

93: 世界@名無史さん 2016/03/29(火) 01:08:54.91 0
イリュリアとトラキアとかは牧畜が盛んで住民は乗馬が得意なので騎兵化したローマ軍に多くの将兵を供給しさらに多くの皇帝を輩出した
牧畜が盛んで人口が少なかっただろうから農耕民のスラブ人が移住してくるとイリュリアとトラキアはスラブ化してしまったのだろう

113: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 23:15:01.30 0
フン族が西進してた頃、中国では五胡十六国時代だったし、この遊牧民が東西で活躍してたのってやっぱ関係あるの?

118: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 23:45:34.68 0
>>113
噂によると4世紀ごろ、地球全体が寒冷化したという説が
そして騎馬民族たちが暖地へ大移動、ローマや中国では不作も発生し大いに荒れたと

135: 世界@名無史さん 2016/04/06(水) 22:36:28.08 0
>>113
中国における寒冷期は後漢当初から始まっているらしいので寒冷化が民族大移動の引き金だったと言い切れないところもある
どちらかと言えば人口動態で匈奴、烏桓、鮮卑の人口増大が起きた可能性の方が大きいのでは?
オルドス~モンゴル高原でそれらの人口を許容できなくなった結果騎馬遊牧民族の南下が起きたのではないかと

三国時代に結構な人口が日本や朝鮮半島、モンゴル高原に吸収された可能性も考えてみてもいいかもしれない

136: 世界@名無史さん 2016/04/06(水) 22:39:25.88 0
>>135
91年まで続いた後漢の(北)匈奴撲滅キャンペーンも重要だろう
プラス寒冷化か

162: 世界@名無史さん 2016/04/10(日) 11:56:39.57 0
>>113
ローマやサーサーン朝、曹魏で顕著立ったけど軍の編成において騎兵、特に重装騎兵の役割が増大したことで騎馬遊牧民の傭兵化・文明圏内地移住が大々的に行われていったことがその後の民族大移動の遠因になっているんじゃねーかな?

121: 世界@名無史さん 2016/04/04(月) 23:58:04.62 0
ゲルマンは強いのか弱いのかよく分からん
ローマを苦戦させたかと思いきや、フン族にはあっさりやられてるし

123: 世界@名無史さん 2016/04/05(火) 00:04:53.81 0
>>121
攻撃にまわると強い
防御にまわると弱い

ローマを苦戦させるときはまずゲルマンが攻める側
フンにボコられたのはフンが電撃戦で攻めてきたから
またドルスス・ティベリウスによるゲルマニア侵攻時のようにローマ相手でも電撃戦されるとやっぱりゲルマンはやられる側
マルコマンニ戦争でも後半から報復侵攻はじめたローマ軍にボッコボコにされたり

アルミニウスのようなぶっ飛んだ軍才もちがいないと防御側のときは大抵大敗するのがゲルマン

122: 世界@名無史さん 2016/04/05(火) 00:02:02.22 0
そりゃガチ遊牧民の弓騎兵と平原でまともに戦ったら勝てるわけなくね?
ゴート族はサルマタイとかの影響で重装騎兵を一部持ってたらしいがアランやフンみたいな本職の遊牧民とステップ地帯でやりあうには分が悪い

126: 世界@名無史さん 2016/04/05(火) 00:15:02.14 0
アルミニウスはホント奇跡のようなタイミングで現れた男
神さんから送り込まれてきたんじゃねというほどに能力も人生もすべて対ローマに特化してる

127: 世界@名無史さん 2016/04/05(火) 00:21:35.18 0
アルミニウスはゲルマニア地方に不慣れなヴァルスさんが相手で救われた面もある

137: 世界@名無史さん 2016/04/06(水) 23:04:41.79 0
そういやおなじ1世紀にローマ側でも後漢の匈奴戦ほど大々的ではないにせよゲルマニア世界に西からけっこう圧力かけてたよね
1世紀前半のゲルマニア侵攻戦では東へ逃げる者たちも多かったり
(マルコマンニはそれの吸収に成功して繁栄)

ドミティアヌス時代になるとシュヴァルツヴァルトでブルドーザー作戦やって追いだしたりライン沿いのガス抜き目的で中規模侵攻も頻繁に繰りかえされたり
(即位前のトラヤヌスもこれでスエビ系ボコって大手柄)

その影響か2世紀前半からジワジワはじまるゲルマン部族移住の初動はまず東や南東むき
これが西や南西むきに変わるはローマが弱体化しだす3世紀から

138: 世界@名無史さん 2016/04/06(水) 23:18:16.45 0
ゲルマニア内の人口増大をうけてちょうど西や南に進出しつつあった前1世紀にローマがド~ンとあらわれて西と南を完全封鎖しやがってさらに2世紀までゴッリゴリ圧力くわえてきてたからな
そんでローマ衰退しだして寒冷化も重なったらもうお祭り騒ぎよ

139: 世界@名無史さん 2016/04/07(木) 00:21:14.35 0
記録に残るフン族長としてバランベルの前にカーマ・タルハンって君主がいたようだが、ここらへんが匈奴からフンの過渡期?

141: 世界@名無史さん 2016/04/09(土) 12:15:56.24 0
>>139
ローマ側の記録としては1世紀ころクーノイ族とかフルノイ族って記されたのが最初かな

172: 世界@名無史さん 2016/04/10(日) 21:19:08.86 0
割と敗者に寛容なローマ人だがカルタゴにだけは容赦しなかったな

176: 世界@名無史さん 2016/04/10(日) 23:46:00.76 0
>>172
カルタゴは当時のローマにとって大国過ぎたのでしょう
民族的差異もおおきかったでしょうし

177: 世界@名無史さん 2016/04/11(月) 00:21:44.30 0
ハンニバルが恐怖を植え付け過ぎたのもありそう
カルタゴが健在だと第2・第3のハンニバルが登場しかねんし

183: 世界@名無史さん 2016/04/11(月) 10:40:59.83 0
大も小もカトーひたすらポジショントーカーってイメージなんだよなー
私生活もそれに準ずるあたりが並の人ではないのだが

それはともかく大カトーはなんでカルタゴ潰すことに全力を投入していたのだろう

184: 世界@名無史さん 2016/04/11(月) 13:24:51.54 0
実際危ないと思ってただけかね

195: 世界@名無史さん 2016/04/12(火) 18:26:37.30 0
自分がローマ帝国にタイムスリップしたらどうしようとか無駄なこと考えたことがあるんだけど
あんまり、役に立たないから良くて鉱山の奴隷かなぁとなって辛い

196: 世界@名無史さん 2016/04/12(火) 18:35:30.74 0
>>195
コロッセウムの余興で猛獣に食い殺される役が君にはふさわしかろう

198: 世界@名無史さん 2016/04/12(火) 18:56:10.84 0
ローマ全盛時代ならガチの東アジア人って珍しいだろうから
運がよかったら物好きな金持ちの目にとまって家内奴隷になれたりするかも
珍しい異国の存在を保有するのも上流社会でステータスだったから

201: 世界@名無史さん 2016/04/12(火) 20:19:30.64 0
>>198
そういえば信長が所有してた黒人奴隷なんてのもあったな

200: 世界@名無史さん 2016/04/12(火) 20:14:27.21 0
返信ありがとう
割と辛辣な意見ですね・・・・

紙とかボールペンとかその他、雑貨なんかも持って行けても製造法なんて知らないから全く相手にされないだろうなぁ
ちょっと役立つのは腕時計ぐらいか?
ローマの時間の概念って全く知らないけど

後はアラビア数字とか掛け算割り算 筆算ぐらいの知識かな? ローマの市民は頭いいだろうから、そろばんもびっくりな暗算してそう

長文ごめん

202: 世界@名無史さん 2016/04/12(火) 20:49:11.10 0
必要は発明の母って言葉あるけど、これは意味深な言葉でね
例えば蒸気機関は、産業革命の時に発明されたと思ってる人も多いが、実際は古代ローマの時点で発明されてるけど当時は労働力>>>燃料だったから、誰も必死こいて実用化・量産化しようなんて思わず、忘れ去られた

まして鐙のような単純な道具を数百年誰も思いつかないとは考えられない
思いついたのは誰ってよりも、鐙が普及する社会情勢とはなんだったのか(というか三国時代以前はなぜ出てこなかったのか)
を考える方が重要だと思う
特に歴史を語る上に於いては

204: 世界@名無史さん 2016/04/12(火) 21:15:34.30 0
>>202
片鐙は紀元前から存在していたはずだから、両鐙が普及するブレイクスルーがあったのだろうね

歩兵の対騎兵戦法を突き崩す凄まじい衝撃力としての重装騎兵のニーズから一気に普及したんじゃないのかな?
前漢か~後漢を通じて漢民族の対騎兵戦法はそこそこ進歩していたのは事実で
騎兵側からのカウンターとして両鐙による衝撃力増大という図式

235: 世界@名無史さん 2016/04/16(土) 08:48:16.56 0
チート建築力を持つローマが本気を出したら万里の長城以上のものを造れそう

236: 世界@名無史さん 2016/04/16(土) 09:13:49.17 0
>>235
ローマの長城ならあちこちに残ってるやん

237: 世界@名無史さん 2016/04/16(土) 09:52:17.26 0
建築素材として住民に解体される運命にあるのは英の長城も、ドイツのリメスも中国の万里の長城もおなじ

ハドリアヌス壁の復元をやったらおもろいのに

238: 世界@名無史さん 2016/04/16(土) 10:48:39.98 0
ドナウラインという自然の障壁があるから、リーメスはそこまで大規模には作る必要なかったんだろう。
品質は長城(のなかのかなり上質な部分)に劣らず立派だと思うけど。

中国人は黄河まで下がるわけには行かないからな。



引用元: ・【四皇帝】ローマ帝国2【五賢帝】


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