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2: 世界@名無史さん 2020/10/26(月) 02:11:15.52 0
1773年クック、南極圏に到達
1820年南極大陸発見、発見者不明
1911年アムンセン、南極点到達

6: 世界@名無史さん 2020/10/29(木) 23:05:06.68 0
>>2
海底二万海里だとまだ南極は大陸かどうかよく分かってない記述だから
(作品ではノーチラス号が見つけた事になっている。勿論架空の話)
19世紀中ごろまではまだ大陸とかはっきりしてなかったと思う

7: 世界@名無史さん 2020/11/02(月) 17:39:35.50 0
>>6
ベルヌの海底二万マイルだと、ノーチラス号は南極点付近まで潜水して浮上してたよね。

8: 世界@名無史さん 2020/11/03(火) 22:36:53.00 0
>>7
1820年の発見てのは南緯60度以南での陸地を発見したというだけであって当時はそれが島なのか大陸なのかもわからんしその時点では南極圏に陸地があったというだけで後から大陸だと分かったんだろうね。
19世紀中ごろまでははっきりしておらず、恐らく20世紀初頭でも大陸の形はよく分かってなかった可能性が高い。
白瀬が領土宣言した大和雪原は棚氷でありそれを知らなかった事でも伺われる。

余談だが、南極大陸は現在条約で領有権は棚上げされてるが、それがなくても日本は戦後権利を放棄してる上に上述の通り陸地ではないので領土になることはどうあがいても無かった
しかし、白瀬の名称や大和雪原の名がその領域に残った事は評価したい

3: 世界@名無史さん 2020/10/26(月) 03:03:36.13 0
誰が発見したかはっきりしないところがいい

4: 世界@名無史さん 2020/10/26(月) 08:00:43.64 0
発見者に関しては、同じぐらいの時期に
「新大陸を発見した!」
と言ってた人が3人程いた様子。

9: 世界@名無史さん 2020/11/07(土) 21:31:29.49 0
フランスは南方大陸の探索で
南方大陸見つけた!→大陸じゃなかった島だった orz
ってのを少なくとも2回繰り返している。
ブーヴェ島とケルゲレン諸島で

11: 世界@名無史さん 2020/11/08(日) 11:11:47.11 0
アムンゼンとスコットもさることながらシャクルトンの漂流物語めちゃくちゃ面白いよな

220px-Sir_Ernest_Henry_Shackleton_in_1917_(cropped)


サー・アーネスト・ヘンリー・シャクルトン(1874年2月15日 - 1922年1月5日)は、三度、イギリスの南極探検隊を率いた極地探検家で、南極探検の英雄時代の主役の一人である。

1907-09年のニムロド遠征では、彼と3人の隊員は探検史上最も極点へ接近し、最南端到達の新記録である南緯88度、南極点までわずか97地理マイル(112法定マイル、180km)の地点に到達。また、他の隊員が南極で最も活発な火山であるエレバス山への登山を行った。

1911年12月、ロアール・アムンセンの成功により南極点へのレースが終了すると、シャクルトンは南極点経由の南極大陸横断に関心を向けた。この準備を進め、1914-17年の帝国南極横断探検隊として実現する。この遠征は、エンデュアランス号が流氷に閉じ込められ、隊が上陸する前に船が破壊されるという災難に襲われた。隊員は海氷上にキャンプを張り、そして救命ボートでエレファント島へたどり着き、最後はシャクルトンの最も有名な偉業である、サウスジョージア島までの嵐の海720海里の航海を行い脱出を果たした。


12: 世界@名無史さん 2020/11/08(日) 21:49:25.04 0
ごく初期の探検では防寒装備が必要ということが認識されていなかった。
南にいくのだからあったかくなると思っていた。

13: 世界@名無史さん 2020/11/09(月) 18:39:43.90 0
ジェームズ・クックの南方大陸探索は確かに偉大な航海だった。
しかし、彼がついにその探索を打ち切って次のように述べたのは端的に言って間違っていた。
「私が到達した場所より先に進む者はこれからも現れない、南に存在すると思われる陸地はこれからも探検されない」

15: 世界@名無史さん 2020/11/09(月) 21:56:04.53 0
アムンゼン・スコット基地

no title


高床式なのは雪に埋もれないようにするため?

16: 世界@名無史さん 2020/11/10(火) 04:52:17.54 0
いまや南極基地の建物に「足」がついているのは普通っすよ。
イギリスのハリー基地なんか歩き出しそう。
https://togetter.com/li/935513

17: 世界@名無史さん 2020/11/10(火) 18:32:42.93 0
アイヌの住居は高床ではなかった。下から入る冷気で家の中が寒くなってしまうからだそうだ。
明治期に北海道に移住した人たちは内地の仕様で家を作ったため寒さで大変な目にあったが、伊達市の人々はアイヌの生活を見習って高床にしなかったから環境になじめたらしい。

31: 世界@名無史さん 2020/12/13(日) 20:15:06.10 0
ノイマイヤー3基地
http://elisabeth-schlosser.com/8-2-18-the-base/
neumayerplan

基礎がわかる

20: 世界@名無史さん 2020/12/06(日) 21:11:52.43 0
スコット隊は雪上車が最後まで故障せず重いソリを人力で運ばなくても良かったのなら全滅することはなかったしひょっとするとアムンゼンにも勝てたな
冬の間に南緯80度を越えた食糧庫を作ることもできていたであろう
ロバート・ファルコン・スコット(Robert Falcon Scott, 1868年6月6日 - 1912年3月29日)は、イギリスの海軍軍人、探検家。南極探検家として知られ、1912年に南極点到達を果たすが、帰途遭難し、死亡した。

21: 世界@名無史さん 2020/12/07(月) 14:17:28.46 0
それは無意味な話だ。当時の技術ではそんな雪上車が作れたとは思えない
アムンゼンのように犬ぞりを使っておけば、よりも馬鹿げた話だ
実際それしか無かったと思うね
ロアール・アムンセン(1872年7月16日 - 1928年6月18日前後)は、ノルウェーの探検家。主に極地に挑んだ探検家として知られる。

イギリス海軍大佐のロバート・スコットと人類初の南極点到達を競い、1911年12月14日には探検隊を率いて人類史上初めて南極点への到達に成功。また、1926年には飛行船で北極点へ到達し、同行者のオスカー・ウィスチングと共に人類史上初めて両極点への到達を果たした人物となった。

22: 世界@名無史さん 2020/12/07(月) 16:55:47.63 0
スコット隊も小規模だが犬ぞりを使っていた事は、意外と知られてないんだよな。
スコツトが最初の南極探検の時に犬ぞりを使ったんだが、その時にあまりいい印象を犬ぞりに対して持たなかったので、その後のスコットの南極探検の時も、スコットは犬ぞりに対してあまり力を入れなかった様子。

アムンゼンの様に、荷物が少なくなって不要になった犬は他の元気な犬の餌にする、なんてなかなか割り切れないのは理解は出来るつもりだけど。

23: 世界@名無史さん 2020/12/07(月) 20:58:48.99 0
単純に負けただけならスコットの名前は忘れ去られていただろう

26: 世界@名無史さん 2020/12/08(火) 16:42:35.53 0
>>23
実際、”2番目”って有名にならないんだよね。
とある政党の人が言った
「2番目じゃダメなんですか?」
ってセリフが有名だけど、2番目の人はたいていの場合名前すら残らないんだよな。

例えばの話だけど、アポロ12で月面に降りた宇宙飛行士の名前、知ってる人はかなり少ないと思う。
AMEXカードのCM”有名じゃない人シリーズ”にアポロ12の船長が出てた事で、それが判る。
「ぼく知ってる? 月に行ったんだ」
とか言うネタだったか、と聞いてる。

24: 世界@名無史さん 2020/12/07(月) 22:57:20.88 0
「恐ろしい失望。忠実なる隊員諸君には、心から済まぬと思う。すべての夢は終った。帰路の辛さが思われる」
「おお神よ、ここはただ恐怖の地なり。言語を絶する苦難の後、一番乗りの栄誉さえ報いられず、恐ろしさの極みなり。さらば白日夢のすべてよ!」

28: 世界@名無史さん 2020/12/08(火) 23:25:06.67 0
no title

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スコット隊はこの延々とも続くように感じられる氷河を人力で250キロものソリを引きながら南極点目指していったわけだが一番乗りのモチベーションがないととてもやれないな
クレバスもあちこちにあるし気が狂いそうになるだろう
シャクルトンからこの氷河の過酷さを聞いてなかったのかな?
アムンセンのアクセルハイベルグ氷河も同じくキツいんだがエスキモー犬が優秀だったな

29: 世界@名無史さん 2020/12/09(水) 15:39:15.72 0
>>28
ベアドモア氷河が大変な事をスコット隊は知ってたから、その氷河がある所までは馬や機械ぞりを使って荷物を運び、その先は人力にしたんだろうと考える。

>シャクルトンからこの氷河の過酷さを聞いてなかったのかな?
昔は一緒に南極を歩いた仲だったんだけど、その後二人の仲は険悪になった様子。

30: 世界@名無史さん 2020/12/10(木) 17:01:27.09 0
スコット隊が使ったルートは、過去に何度か使ったルート。
アムンゼン隊が使ったルートは、人跡未踏なルート。
結果的にだが、アムンゼン隊のルートが比較的なだらかで天候も良くて、南極点への距離が短かった。
しかし、そのルートが酷い地形だった可能性もあったんだ。
まぁ、たらればの話だけどね。

スコットとアムンゼンの冬営地の違い、ってのもある。
スコット隊が越冬した場所は島の上で、現在でもその小屋は残ってる。
アムンゼン隊が越冬した場所は氷の上で、現在その場所には何も残ってない。
アムンゼン隊が冬営地ごと流されるシナリオ、なんての考えられたわけだ。

33: 世界@名無史さん 2020/12/20(日) 01:18:51.43 0
補給所設置隊が南緯80度に近づいたとき、スコットは隊が即座に基地に引き返さない限り、残っているポニーが基地まで戻れなくなることを心配した。
前進を望んだオーツの助言に逆らい、倒れたポニーを殺して肉にし、南緯79度29分に1トン・デポを置くことに決めた。そこは前もって意図した場所よりも30マイル (50 km) 以上北だった。

スコットは、クレバスに落ちた犬のチームを救うために自分の生命を危険に曝した後で、犬を連れてセイフティ・キャンプに戻った。
鈍いポニーの隊が到着したとき、その内の1頭が大変悪い状態にあり、間もなく死んだ。
その後、残っていたポニーが近くのハットポイントまで海氷を渡っているときに、氷が割れた。
決死の救援活動を行ったが、さらに3頭のポニーが死んだ。
補給所設置の旅に出た8頭のポニーのうち、戻ってこれたのは2頭だけだった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%A9%E3%83%8E%E3%83%90%E9%81%A0%E5%BE%81

結果論から言えば南緯80度に近づいた時に残ってるポニーで戻ってこれたのは2頭だけ、その2頭もその後あまり活躍できなかったのだから、オーツの言う通りポニーのことを考えずに50キロ南進した地点に1トンデポを設置すべきだったな

帰路でそのオーツが凍傷に掛かった我が身が足手纏いになってるのを感じて「ちょっと外に出てきます、少し経ったら戻ります」の遺言を残した地点は1トンデポから50キロ位内だった
オーツのいうことを聞いて50キロ南進した地点に1トンデポを築いていれば、オーツは充分な燃料と食料で体力を回復できてたし、何より体力回復後は迎えのチームの犬ぞりで医師が待つ木屋に真っ先に連れ戻されていただろう(他のスコット隊の三人もそうされたと思うが)
繰り返すがデポ建設でオーツのいうことをスコットが聞いていればオーツはおろか先に死んだエバンス以外の全員が助かったであろう

オーツは陸軍だったが1000ポンドをスコットに協賛金として出して南極調査隊への入隊を認められたという
そのオーツが南極点まで到達した5人の中の一人となり、最後の死に場所が海難とかではなく南極だったのをせめてもの救いと思うしかない

42: 世界@名無史さん 2021/01/05(火) 20:17:56.42 0
アムンゼン
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スコット
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スコット隊の雪上車(ちなみに改良されて第一次世界大戦では戦車という兵器となる)は最初だけで、あとは人力で高低差三千メートル以上を重い橇を引きながら進んでいった。
その根性たるや凄まじいな、流石は海軍で鍛えられただけはあるわ。
しかも年齢は43歳くらいで初老だったからな。

太平洋戦争のインパールやポートモレスビー攻略に勝るとも劣らない過酷さだっただろう。

43: 世界@名無史さん 2021/01/06(水) 16:05:19.15 0
>>42
シャクルトン:「・・・

38: 世界@名無史さん 2020/12/21(月) 11:54:29.63 0
シャクルトンて若いころすごく目がでかいイケメン?だったな
年取ったら紫外線のせいか皺だらけになっちゃったようだが 

44: 世界@名無史さん 2021/01/08(金) 21:19:32.77 0
シャクルトンは南極点から僅か180㎞しか離れてない場所まで到達したと言われてるけど180㎞って結構長いよね。
スコット隊にとっては最後は18㎞でも長かったのに。

47: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 18:45:25.03 0
スコット隊が使ってたルートは、以前に何回か使ったルートだからね。
道程に何があるか大体わかってたし、ベアドモア氷河につくまでは機械力や馬、犬を使って、そこから人力での移動になったのは全て予定通りの行動だったんだ、1㌧デボの位置が少しだけ北寄りになった以外は。

もっとも、そのせいで極点隊が全滅したんだが。

48: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 18:56:54.06 0
シャクルトン隊が南極点手前で引き返したのは、資金不足で十分な物資を持ち込めなかったのが理由の一つ。
この”ニムロド遠征”では国の援助が受けられず、主に民間からの援助と借金で費用を用意したんだとか。

49: 世界@名無史さん 2021/01/09(土) 21:54:09.51 0
南極に資源が無いと分かった途端、援助が受けられないんだからさもしいよな。

51: 世界@名無史さん 2021/01/10(日) 12:00:27.48 0
https://i.imgur.com/ljV8MQl.jpg
ベルドモア氷河の頂部だがこの時点で海抜2200m
そこから先の平原が南極高原だが南極点は海抜3000mだからあと800mは登らないといけないわけだ
しかもスキーを履いて重い橇を引いてだから厳しいわな

南極高原の南極点まであと270kmの時点で8人いたスコット隊から3人が返されるわけだがこの時点でエバンスという隊員は手を負傷していたので代わりにこの隊員を連れていけば良かった、結果論だが
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/トム・クリーン

エバンスもこの時の負傷が凍傷へとつながりその凍傷が元で最初に死んでしまうのだから何とも不幸なものだ

「エヴァンズの指爪すべて剥がれて痛み壮絶」
「オーツの足は黒くなり鼻と頬は黄色くなっている」「エヴァンズの指はうみが潰れ、鼻は醜くコチコチになる」
「隊員の健康状態好転せず。特にエヴァンズは倦怠、気力全くなし」
(スコットの日記より)

52: 世界@名無史さん 2021/01/11(月) 00:42:35.18 0
アムンセンが南極高原に登るのに通ったアクセル・ハイベルグ氷河は全長56kmとベルドモア氷河の180kmよりもずっと短い分より急斜面だった

この動画はアクセル・ハイベルグ氷河でも下流のほうで比較的傾斜は緩やかであるようだが
https://youtu.be/Na96AzGr1jI


この氷河をアムンセンは犬ソリを使って僅か4日で通過してしまうんだから流石だよな
もしスコットがアクセル・ハイベルグ氷河を人力で登ろうと思っても角度が急すぎて無理だったと思われる

56: 55 2021/01/12(火) 17:26:46.85 0
アムンゼンの冬営地が、少なくともアムンゼンがいる間は流れなかった、と言うのも運が良かったし。

スコット隊の冬営地は、今でもマクマード基地に存在してて見学ぐらいは出来る様だが、アムンゼン隊の冬営地は数年後に存在すらわからなくなってたそうだ。

日本の昭和基地でさえ、海氷上に置いておいた雪上車がインド洋に沈んだ、なんて話があったようですし。

57: 世界@名無史さん 2021/01/12(火) 18:52:57.04 0

60: 世界@名無史さん 2021/01/13(水) 11:06:55.30 0
>>57
スコット隊が南極に向かうルートを示す地形図
no title


通常氷河の河口はクレバスが多いので通過できない。
しかしビアードモア氷河の河口の北側の岬は、山の主部との間が滑らかな氷となっている狭い通路を持つマウントホープ(希望山)であり、スコット隊やそれ以前のシャクルトン隊はこの狭間を通ってビアードモア氷河に入る。
no title


12/17までにスコット隊は、ビアードモア氷河の尾根に沿って南に向かう。
尾根は雪が多くあまりクレバスされていない。
写真では下方(北側)には雲海が見える。
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12/20までに、スコット隊はビアードモア氷河の先頭にある、岩の露頭の最後であるマウントダーウィンに到着する。
その先に横たわっていたのは、極地の高原と不確実性であった。
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65: 世界@名無史さん 2021/01/19(火) 10:17:20.66 0
今日はまた寒くて北国のこちらでは外回りも吹雪の中でままならないけど

スコット隊のチェリーガラードの回想本によると南極の冬場のようなマイナス50度くらいの寒さの中でも動けば汗をかくもんなんだと
息(や鼻水もあったかな)も含めて人間の老廃物がいかに多いのか極地探検で初めて分かったと

問題はスコット隊も着ていた英国隊の極地探検用の服で服の下でその汗が凍るので足が凍傷になってしまうのだそうな
寝袋もマイナス40度くらいになるとカチカチに凍ったのを一時間くらいかけて揉み解してから寝ても全然暖かくなく寒さにガチガチ震えながら寝ていた
朝に寝袋から出られるのが嬉しかったと書いてあったな

極地探検の過酷さを思えばこの程度の寒さでどうこういってられないな
ただ吹雪いているのと積雪路面なので運転には注意しよう
以上休憩で立ち寄ったコンビニ駐車場より

66: 世界@名無史さん 2021/01/19(火) 17:06:58.43 0
>>65
スコット隊が使ってた服ってのが、布や毛糸を何枚も重ねた様な服なんだそうだ。
通気性が悪いので、何日もそれを着てると内部に水分が溜まってそれが凍り付くんだとか。
で、その凍った衣服が溶けるのに結構なエネルギーが必要で、人体が発する熱がその為だけに無駄に使われている事になるそうだ。

チェリー・ガラードの”世界最悪の旅”にも、
「テントから出たら、しばらくは橇引きの為の格好をしている」
みたいな事が書いてあったと記憶してるんだ。
テント内で氷が解けた服がテント外で凍る際に変な格好をしてると、その格好でその日1日変な格好で橇を曳かなくちゃならなくなった、とか書いてあったと記憶してる。

67: 世界@名無史さん 2021/01/19(火) 23:55:28.90 0
うん、ウィルソンを中心にガラードとバワーズの三人で皇帝ペンギンの卵を取りに行った最悪の旅ー冬の遠征のまさに「凍る服」の章の前後にそう書かれていたね

しかしシャクルトンのニムロド遠征の時の衣服も同じに見えるけど
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この時の遠征ではそのような欠陥は現れなかったのかな?
また、その時から何の改良も施されていなかったよだろうか?

68: 世界@名無史さん 2021/01/20(水) 17:36:15.62 0
>>67
どうなんだろうね。
英国人は保守的だから、あえて新しい装具を使おうとは思わなかったとか。
あるいは、ニムロド遠征のデータを生かせるほど時間が無かったとか。
もしかしたら、シャクルトンの成果をスコットが評価したくなかったとか(シャクルトンとスコットは、意外と中が悪かった様子)。

意外と知られてないのが、極地で最高な服装ってのがイヌイットの伝統的な服装だったりする事なんだ。作れる人が減ったのが問題なんだが。
アザラシの皮をなめして作るんだが、そのなめし方が非常に原始的で、固くなった皮を噛んで柔らかくするという・・・

そういえば、アムンセン隊が着てた防寒服ってのが、ノルウェーの先住民が着てた毛皮の服だと言う話だ。
その他の隊員が着てた防寒服も、ウールの毛布を防寒服に仕立て直した物だったとか。
(アムンセンの本に書いてあったんだ、海軍払い下げの毛布を染め直して防寒服にしたとか)

70: 世界@名無史さん 2021/01/20(水) 23:09:31.69 0
イギリス隊の防寒着について
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結局この時にイギリス隊が持ち込んだ最先端の技術は、テストでは上手く行ってても想像を絶する過酷な環境にある南極では悉く上手くいかなかった…

75: 世界@名無史さん 2021/01/21(木) 16:34:14.93 0
>>70
燃料缶の破損については、アムンセン隊も悩まされてた様子。
アムンセンの手記には、隊員がはんだごてを使って燃料缶を修理してる事が書かれている。
英国隊が使ってた燃料缶ってのが、我々が知ってるエンジンオイル缶みたいな物だった様子。
アムンセン隊が使ってた燃料缶は知らないけど。

76: 世界@名無史さん 2021/01/21(木) 18:52:52.26 0
>>75
>英国隊が使ってた燃料缶ってのが、我々が知ってるエンジンオイル缶みたいな物だった様子。

革製のワッシャーが寒さで破損してそこから燃料が揮発していったみたいだね

77: 世界@名無史さん 2021/01/22(金) 17:00:53.44 0
>>76
”世界最悪の旅”に書いてあったんだけど、スコット隊のデボに問題があった様子。
スコット隊のデボは、雪の下に食料などを置いて、その上に燃料缶を置いて、その上にケルンを積んでた様なんだ。
で、南極でも天気がいい時はあるんで、そのせいでケルンが溶けてその下にあった燃料缶が熱せられて中身が漏れ出し、燃料缶の下にあった食料が燃料で汚染されて食えなくなった、なんて事があった様子。

71: 世界@名無史さん 2021/01/20(水) 23:13:09.54 0
アムンセンの方は、南極に来る前には北極を探検しながら、現地でイヌイットの娘と結婚してイヌイットの生活習慣や移動方法を身につけるなど、北極探検のスペシャリストとして名を馳せていた。

78: 世界@名無史さん 2021/01/22(金) 17:47:53.56 0
ケルンて何?

79: 世界@名無史さん 2021/01/22(金) 20:15:28.66 0
ケルンとは、石や雪などで作った塔の様な物。

で、良いんだよな?

80: 世界@名無史さん 2021/01/23(土) 06:05:01.64 0
燃料を下に置いておけばよかったのに

82: 世界@名無史さん 2021/01/26(火) 20:39:14.78 0
ガラードもスコットも一日の中で暖かい飲み物を飲むとようやく寒さから解放される、体に熱が入る、みたいなことを回想録や日記に書いてるな。

南極とは気温に於いても耐えてる時間に於いても寒さのスケールでは比較にならないほど緩い日本の冬だが、それでも冬場に冷たいものは極力飲まない方が体には良いのだろうと改めておもし知らされる。

スコットは最後の方は燃料不足から暖かい飲食物が取れなくなってこれも全滅の一因とされてる。

83: 世界@名無史さん 2021/01/27(水) 16:28:02.39 0
>>82
植村直己氏の本に書いてあったけど、その日の行動を終えてテントを立てて、それから
最初にストーブへ火を点けるんだってね。
植村さんは灯油ストーブを使ってたからプレヒートも大変で、
「寒いな~、寒いな~」
とか言いながら、通常1回で済むプレヒートを2回やってなんとか火がついたストーブで、一番最初にお湯を沸かして紅茶を入れたんだそうだ。
で、大量に砂糖を入れた紅茶を飲んで、やっと体が暖まったとかいう話。

行動中に凍った肉を食うと体が温まる、とかも書いてあったけど、凍った肉を食うと体がが冷えそうで中々食えなかった、とかも書いてあったな。
両方とも、犬ぞりで北極を冒険してた時の話だけど。

92: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 00:28:41.51 0
すでに16世紀の地図には巨大なテラ・アウストラリスが描かれている

300px-Mercator_World_Map


メガラニカ、マガラニカ(Magallanica)は、かつて南極を中心として南半球の大部分を占めると推測された仮説上の大陸のことである。テラ・アウストラリス(ラテン語 Terra Australis、南方大陸)ともいうが、この語はのちにオーストラリア大陸を指すようになり、現在でも雅語・文語的に使われることがある。

17世紀の中国で作られたマテオ・リッチの『坤輿万国全図』や、その影響を受けた『三才図会』の「山海輿地全図」、ジュリオ・アレーニの『万国全図』でこの名が使われていたため、日本では「テラ・アウストラリス」よりも広く知られた名前となった。


93: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 08:34:20.01 0
それくらい大陸がデカかったら、中心部の気温、マイナス100℃くらいになってたかもな

94: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 09:52:09.37 0
ゲラルドゥス・メルカトルの世界地図
製作時期 1569年
no title

95: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 09:53:29.22 0
メルカトルの地図には北極にも大陸があるね
ナンセンの探検でないことが証明されたけど

97: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 13:04:26.01 0
”テラ・オーストラリス”に関しては、
「世界地図を作ってみたら、北半球は陸ばかりで南半球は海しか無いのはバランス悪くね?」
と言う事で陸を付け加えた、と言う話を聞いた事がある。

99: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 16:19:52.67 0
北極は年間を通じて溶けないぶ厚い冠氷に覆われているからむかしの探検家にとっては大陸があるのと同じことだったろう。
いまは地球温暖化であやしくなってきたが。

100: 世界@名無史さん 2021/01/31(日) 22:19:48.56 0
そもそもよく分からんしね
グリーンランド北部やアラスカ北部とか行った人ほとんどいなかったろうし
いったとしても氷ばかりでよく分からなかったとしても無理はない
南極大陸が最初はどういうものだったかわからないのと一緒

104: 世界@名無史さん 2021/02/01(月) 11:39:55.06 0
>>100
確かに、北極海といっても一面真っ白で海氷なのか氷山なのか、陸地なのかって悪条件の元で確かめるのは昔の人にとっては困難極まっただろうな

引用元: ・南極大陸の歴史