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1: 世界@名無史さん 2014/07/20(日) 05:09:27.61 0.net
まともに国の運営ができた女性トップって、エリザベス1世とサッチャー位しか居ないんじゃねぇ?
日本の歴史だと日野富子位か。卑弥呼は神話の域を脱しないしな。
パッと思い付いただけなんで、無学の俺に教えて。







2: 世界@名無史さん 2014/07/20(日) 05:34:04.88 0.net
武則天は名君だった説も有力だが

3: 世界@名無史さん 2014/07/20(日) 09:27:29.47 0.net
戦国時代には女大名が結構いたぞ

5: 1 2014/07/20(日) 10:45:28.99 0.net
>>2 >>3 読んだらいたなぁって思い出したけど、特に戦国時代の女大名ってどうしても無双やBASARAの印象しかないんだよなぁ。
エカチェリーナ2世やエリザベス1世と比べて、扱う国の規模が違いすぎて、している苦労は一緒なんだろうけど、どうも印象が薄い。

6: 世界@名無史さん 2014/07/20(日) 10:58:55.04 0.net
率いてた軍勢の人数だと日本は大名クラスでもヨーロッパの国王クラスに普通に匹敵するからな。

7: 世界@名無史さん 2014/07/20(日) 12:43:34.34 0.net
日本だと女帝が数人いたが、大体政治権力自体は他の人にあったか、もしくは孝謙帝みたいに無意味に政治を混乱させたか、どっちか。
北条の尼将軍はよくやったと思うが、自分の子を全員殺して家を断絶させてしまったな

9: 世界@名無史さん 2014/07/20(日) 21:46:28.48 0.net
北条政子も国土を実効支配してる集団の実質的なトップのような気がする

10: 世界@名無史さん 2014/07/21(月) 18:51:33.61 0.net
>>1
神功皇后を知らんとかこの非国民めがw
致死量の毒舌でダンナの仲哀天皇を黄泉国に送った女傑だ。DVもいいところだな。
だが三韓征伐の鮮やかな手並みは、秀吉以上だぜ。

11: 1 2014/07/21(月) 20:18:27.11 0.net
>>10
やだー、神功皇后ってヤマトノオフミやカミツコトフミに書かれているから実在かどうかわからないじゃないですかー。

27: 世界@名無史さん 2014/08/01(金) 13:43:02.54 0.net
>>11
山口~九州あたりには、神功皇后の事績に由来する地名が山ほどあってね。
とうてい非実在のお人とは思えない。

12: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2014/07/22(火) 00:20:57.94 0.net
・北魏の文成文明皇后
・クレオパトラ・テア
・パルミュラの摂政ゼノビア(アウレリアヌスが強かった)
・エイレーネー(名前が平和って何かの冗談か)
・キエフのオリガ(ジェノサイドしたが、聖人になっている)
・シャジャル・アッ=ドゥッル(『だが、エジプトを救った』と言われる)
・ラズィーヤ(インドで女君主はヒンドゥーでもイスラムでもアウト)
・サク・クック(パレンケのパカル王の母)
・光明皇后(先行する持統天皇は呂后を、娘は武則天を意識した説あり。磐之媛以来の非皇族出身の正妻。なお磐之媛も怖い。)
夫や息子を殺害した(疑惑含む)が多いのは、そうでもしないと就けないのでしょうがないか。
トミュリスあたりはよく分からないので除外で。

13: 世界@名無史さん 2014/07/22(火) 01:33:15.32 0.net
>>12
夫が殺されたので、妻が衣鉢を継いだパターンもありますよ。
フィリピンの大統領とかスリランカの首相とかいたけど、ニカラグアのチャモロ大統領もなかなかやり手だった。

59: 世界@名無史さん 2014/08/26(火) 11:32:59.13 0.net
>>12
アルゼンチンのキルチネル大統領のように、夫の存命中に政権を受け継いだ例もありますよ。
エビータの再来を国民が望んでいるんでしょうね。

14: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2014/07/22(火) 05:39:52.98 0.net
イサベル・ペロンもそうですね。
暗殺疑惑に目をつぶればゼノビアだってそうですし、キエフのオリガは正しくそう。
インディラ・ガンジーは夫(病死)というより父か。
夫が殺されたのではないものの、持統天皇も相当なやり手。
天皇号・律令・暦・年号・藤原京・上皇・火葬と国の基礎・慣例が天武・持統(+文武)朝に固まっている。

15: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2014/07/22(火) 06:59:59.46 0.net
追加。そもそも「日本」という国号もこの時期の成立でした。
そして、中国側の記録ではこれを認めたのが武則天の時代。

16: 世界@名無史さん 2014/07/23(水) 00:44:42.73 0.net
ムガール帝国のヌール・ジャハーンとアルジュマンド・バーヌー・ベーガムはただのニートである夫皇帝を尻に敷いてインド亜大陸を切り回しておった

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ヌール・ジャハー

ヌール・ジャハーン(1577年5月31日 - 1645年12月17日)は、北インド、ムガル帝国の第4代皇帝ジャハーンギールの妃。

ヌール・ジャハーンは才色兼備の女性で、皇帝ジャハーンギールの寵姫となり、健康の優れない彼に代わって事実上の皇帝として政務に携わった。のち、ジャハーンギールが死ぬと権力を失い、シャー・ジャハーンの治世では年金受給者として余生を送った。


18: 世界@名無史さん 2014/07/26(土) 08:02:39.26 i.net
エジプトのハトシェプスト

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ハトシェプス

ハトシェプスト女王は、古代エジプト第18王朝5代目のファラオ。在位は、紀元前1479年頃 - 紀元前1458年頃。

夫であるトトメス2世は妾腹の息子・トトメス3世を次の王にせよと遺言したが、トトメス3世は幼かったため、以後22年間にわたり共治王を務めた。実際には在位中、彼女が絶対的権力を保有していた。公的な場では男装し、あごに付け髭をつけていたと伝えられる。
治世は穏健で、戦争を好まずに平和外交によってエジプトを繁栄させた。しかし、それは同時にエジプトの国威の低下を招くことになるのだが、トトメスの軍事的功績の基盤を作り上げたという見方もある。


19: 世界@名無史さん 2014/07/28(月) 12:34:04.01 0.net
第一王朝のメルネイトもエジプトを統治していた可能性がある。
紀元前2900年ごろだから、このスレ的には最古の例になるかな?

メルネイト

メルネイトは、エジプト第1王朝期の王妃、摂政である。彼女自身でもエジプトの政治を行っていた期間があったと考えられており、この可能性は複数の公式な記録に基づいている。彼女の治世は、紀元前30世紀のどこかであった。



20: 山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ 2014/07/28(月) 20:50:40.20 0.net
古代エジプトですと、クトゥルー神話でネタにされたニトリクスこと第6王朝のニトケルティ、第12王朝のセベクネフェルも女王ですね。

30: 世界@名無史さん 2014/08/01(金) 17:15:27.39 0.net
カアフマヌ
ハワイ王国滅亡の遠因になったんだろうな...

カアフマヌ

カアフマヌ(1768年3月17日 - 1832年6月5日)は、ハワイ王国を統一したカメハメハ1世の王妃の一人。

カメハメハ1世の死後、副王としてカメハメハ2世およびカメハメハ3世のクヒナ・ヌイを務める。1819年、カメハメハ2世の母ケオプオラニとともにハワイ王国における土着信仰として尊重されていた禁令制度、カプ(タブー)を撤廃した。タブーの廃止は自由を享受した人々が増えた反面、従来の階層構造、社会経済を支えていた秩序の崩壊につながった。1825年、プロテスタントに改宗。ハワイ諸島からローマ・カトリック教会を排斥する。


36: 世界@名無史さん 2014/08/02(土) 01:24:31.82 0.net
神功皇后とかシバの女王とか、何か伝説の核になるような事実があったんだろうな。
全くのゼロから、想像だけでこんな話を作るのは難しい。

40: 世界@名無史さん 2014/08/07(木) 00:46:15.59 0.net
>>36
神功皇后は持統天皇が自己の正当化のため飯豊天皇+半島進出の史実で作り上げたという説

37: 世界@名無史さん 2014/08/02(土) 02:34:57.72 0.net
バルト帝国クリスティーナ女王

39: 世界@名無史さん 2014/08/06(水) 23:03:06.59 0.net
シュメールの女王ク・バウ
居酒屋の女将から女王へ異例の大出世

ク・バウ

ク・バウは、古代メソポタミア、キシュ第3王朝の伝説的な女王である。

シュメール王名表によれば彼女はキシュ第3王朝のただ一人の王であり、100年間にわたって在位したという。ク・バウは娼婦から王妃へと成り上がり、遂にはキシュの実権を握り女王に即位したと伝えられる。古代メソポタミアにおいて実権を握ったと伝えられる女性はサム・ラマトやナキア(ザクトゥ)などがいるが、正式に王として即位した女性としては彼女が唯一の存在である。

しかし、実在の人物であるのかどうなのか、はっきりしたことは何もわかっていない。


41: 世界@名無史さん 2014/08/07(木) 19:06:08.87 0.net
女傑つながりでは、古代ブリテンの女王グウェンドリン

元はブリテン王妃だったが、旦那が他に女をこさえて自分を離縁したので軍隊を編成して元旦那を戦争で破り、イギリスで最初の女王になったという。


55: 世界@名無史さん 2014/08/20(水) 09:41:14.77 0.net
エカテ>>>>>テレジア>>武則天>ザベスⅠ>>>>>>>>>>>>>>>>>>西太后

60: 世界@名無史さん 2014/08/29(金) 14:47:56.96 0.net
>>55
その中じゃテレジアがトップだろ。エカテとか勝手に略すから1世と2世を混同する。

61: 世界@名無史さん 2014/09/01(月) 10:37:28.99 O.net
>>55
容姿の比較
じゃないよね…

62: 世界@名無史さん 2014/09/05(金) 20:44:41.03 0.net
身長の比較なら、トンガ女王サローテ・トゥポウ3世が圧勝の191cm。

67: 世界@名無史さん 2014/11/30(日) 11:19:51.71 0.net
>>62
今の感覚でも巨体だな。当時はまさに女帝として恐れられただろうね。
当時の150センチしかなかった日本人がその人に会ったらホビットだわw

63: 世界@名無史さん 2014/11/01(土) 16:45:10.30 0.net
体重は?

64: 世界@名無史さん 2014/11/02(日) 14:20:04.63 0.net
それは知らんが、イギリスのアン女王は、その晩年に極端な肥満となり、歩行困難で車椅子を使用。埋葬される時の棺桶は正方形に近かったとかWikiに書かれていた。

65: 世界@名無史さん 2014/11/27(木) 13:34:29.83 0.net
奴隷制を廃止したブラジル帝国の女摂政イザベルはもっと評価されていいと思いまふ

日本からのブラジル移民が増えたのは、奴隷輸入禁止で生じた労働力不足を補うという側面もあったから、何気に日本とも関係があるでよ

イザベル・ド・ブラジル( 1846年7月29日 - 1921年11月14日)は、ブラジル帝国の皇女。ブラジル皇太女として父ペドロ2世の治世最後の10年間は摂政位にあった。

帝政廃止後はブラジル・ブラガンサ家の当主となり、1891年以降「ブラジル女帝」を名乗った。イザベルは父ペドロ2世が旅行でブラジルを離れた際に3度摂政を務めた。ブラジル政治史上、彼女は植民地後初の女性統治者である。1888年、ブラジルでの奴隷廃止法に署名した。彼女の信仰に篤い姿勢、奴隷制廃止の役割から、ローマ教皇レオ13世は「黄金のバラ」を授けた。1889年、軍事クーデターで帝政が廃止されると、フランスへ亡命した。


68: 世界@名無史さん 2014/11/30(日) 11:33:34.20 0.net
>>65
で、日本人移民が奴隷のようにこき使われたわけだがな。

71: 世界@名無史さん 2015/01/16(金) 14:57:22.87 O.net
>>68
帝国政府も棄民政策として利用したから

70: 世界@名無史さん 2014/12/06(土) 16:29:00.47 0.net
アッシリア摂政サンムラマート(セミラミス)
夫である王を殺し、息子の摂政となって絶大な権力をふるったという伝説に彩られた母后
美しく頭脳明晰であるが、奢侈を好み性欲旺盛・残虐非道と悪いエピソードには事欠かない
悪辣な女権力者イメージの、最初期の例と言えるだろう

74: 世界@名無史さん 2015/05/01(金) 23:38:20.71 0.net
>>70
ヘロドトスの残したエピソードを読むと人間への理解が深い人だったと思うなぁ、真実とも限らんけど
~ 死を迎えるにあたって、セミラミスは都の最も人通りの多い門の上に墓を作らせ墓碑に次の文を刻ませた

「われよりのち王たる者にして金子に窮するものあらば、この墓を開き欲するままに金子をとれ。しかれども窮することなくしてみだりに開くべからず。凶事あるべし。」

結局アケメネス朝のダレイオスが命じるまで、この墓には誰も手を触れることはなかった
ダレイオスは力あるものの驕りからこの墓を開けさせた
開けてみると墓の中には財宝などなく、朽ちた骸と人をくったような次のような言葉だけがあったという

「汝にして貪欲飽くなく、利を追うて恥を知らざる輩ならざりせば、死人の棺なぞ開くことなかりしものを。」

72: 世界@名無史さん 2015/04/09(木) 20:11:01.10 0.net
政治家としてもっと評価されていいのが、ネーデルラント総督マルグリット・ドートリッシュ。さらわれたお姫様が、いつしかヨーロッパを動かす大政治家に。

73: 世界@名無史さん 2015/04/29(水) 21:45:32.28 0.net
マクシミリアン1世の娘のマルガレーテ・フォン・エスターライヒのことかな。

2番目の夫のサヴォイ公フィリベルトも無能だったから、サヴォイ公国も実質取り仕切っていたらしいし、無能な兄のフィリップとは偉い違い

75: 世界@名無史さん 2015/09/05(土) 23:42:39.20 0.net
偉大なヴィクトリア女王は容姿もクールビューティーでしたね


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79: 世界@名無史さん 2015/10/14(水) 11:30:21.02 0.net
>>75
ハンサムなアルバート公とつりあわないなんて陰口もあったみたいだけど実物はどうだったんだろうね

76: 世界@名無史さん 2015/09/22(火) 09:50:18.51 0.net
パキスタンのブット首相は、よくイスラム圏でトップの座に就けたと思う。
いま中東で女性政治家が台頭しても、トップ就任前に暗殺されるだろうな。

77: 世界@名無史さん 2015/09/22(火) 17:21:47.82 0.net
そのせいでガキのころ、パキスタンってインドネシアみたいに緩いイスラム国家だと思ってたわ

80: 世界@名無史さん 2015/11/02(月) 12:39:01.92 0.net
一応マムルーク朝のシャジャル アッドゥッルがいたがかなりの例外だな

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シャジャル・アッ=ドゥッル

シャジャル・アッ=ドゥッル(? - 1257年4月28日)は、アイユーブ朝のスルタン、サーリフの夫人で、マムルーク朝の初代君主(在位1250年)。イスラム世界の歴史において稀少な女性の君主。アイユーブ朝を引き継いでエジプトを支配したマムルーク朝は、初代スルタンにシャジャル・アッ=ドゥッルを継承したイッズッディーン・アイバクを擬することも多いが、事実上は、わずか3ヶ月であっても統治を行ったシャジャル・アッ=ドゥッルが開いた王朝であると言える。



78: 世界@名無史さん 2015/09/22(火) 18:14:47.05 0.net
>>1
まともに国の運営が出来た女王は結構いるよ。
ただ国を改革しようとして成功したのはサッチャーおばあさんだけ。
鉄の女はマジ洒落にならない。
女王って保守的に国を運営するのは結構上手な人が多い。
対人関係の調整は上手いんだろう。

引用元: ・国のトップに就いた女性




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