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1: 人間七七四年 投稿日:2008/09/16(火) 00:35:39 ID:9tfTwIBj
公的な案件、私的な内容問わず、戦国武将たちは多くの書状を残しています。
なかには、世間一般のイメージとは大きく異なるものがあったり、意外な一面を垣間見ることができるものなど、興味深いものも多いです。

ここでは、そんな武将たちの手紙について、まったりと語り合ってみましょう。
個人的には、最上義光や上杉景勝の書状はなかなか面白いと思うのですよ








2: 人間七七四年 投稿日:2008/09/16(火) 10:31:31 ID:O/uVlN2t
最上 どんなの?
書いてくれ

3: 人間七七四年 投稿日:2008/09/16(火) 13:15:59 ID:9tfTwIBj
朝鮮出兵の際、渡海することはないだろうという話しながらも現地の情勢が怪しくなってきたころに書かれた書状のなかで

「命があるうちに、いまいちど最上の土を踏みたいです、(故郷の)水をいっぱい飲みたいです」とある。
ほかにも家臣に嫁いだ娘夫婦に会うのを楽しみにしている内容があったり、けっこう面白いものが多い。

4: 人間七七四年 投稿日:2008/09/16(火) 19:56:11 ID:COQKPhrW
>家臣に嫁いだ娘夫婦に会うのを楽しみにしている内容があったり

かわいいなぁ

5: 人間七七四年 投稿日:2008/09/16(火) 20:57:28 ID:k8TtmFPg
妹宛に
「早く顔あわせて話したいね、楽しみだね」とか
「今回の和睦は諸大名とのことを考えると屈辱的だけど、おまえのためを思って仕方なくしたのだ」とか
このへんも最上はいーね

6: 人間七七四年 投稿日:2008/09/16(火) 21:31:17 ID:XrX/QkYb
何かこれだけ読むといい人っぽいね。マイホームパパな感じ。
長男を殺した、と言っても後で讒言だったのに気が付いて讒言者を八つ裂きにしちゃうとか本当は子供たち好きでしょみたいな。
でも、長男の舅とかはあっさり殺しちゃうんだよなー。
家族好きなのに外では謀略暗殺って、東の最上義光・西の毛利元就が双璧?w

8: 人間七七四年 投稿日:2008/09/17(水) 00:57:21 ID:58ZW+2o9
最上ネタ

廣川喜右衛門の見舞状
【現代語訳】今度の戦いでの働き、よくがんばってくれた。ケガをしたということだが、大変心配している。しっかり治して元気になって欲しい。

▲「早く治して元気になってくれ」という、義光の家来へのあたたかい心づかいが伝わる手紙として有名です。

http://mogamiyoshiaki.jp/?p=log&l=65120

7: 人間七七四年 投稿日:2008/09/16(火) 22:05:50 ID:OIFMi3Z3
謙信の景勝宛の手紙も甥を可愛がる叔父さんを通り越してお母さんみたいで笑った覚えがある。

10: 人間七七四年 投稿日:2008/09/18(木) 22:49:19 ID:v+BVJtw3
謙信から景勝への書状は見ててほのぼのするのが多いなw
J( 'ー`)し 字が上手になったから手本をあげるね
J( 'ー`)し もっと練習するんだよ
とか。

11: 人間七七四年 投稿日:2008/09/19(金) 09:37:04 ID:vgHDVscD
J( 'ー`)し 雪が降るから戻っておいで

っていうのもあったかと。
一応出陣中の景勝に送った手紙だから軍令に近いと思うんだが
なんかこうもっと言い方というか、公園に遊びに行った子供に送ったメールみたいだ。

ほかにもちょっと元史料がないが
「坂戸城はもう随分と寒いでしょう。早く春日山にいらっしゃい。待ってます。そしたらまた一緒に遊ぼうね。お母さんにもよろしく伝えてください」
って感じの手紙も見たことがある。

アル中のおじちゃんが書いたかと思うとちょっとキモいw

13: 人間七七四年 投稿日:2008/09/20(土) 01:49:33 ID:xYIlr4zw
永禄十年、稲葉山城を落とし、また北伊勢を攻略した信長に、本願寺住持、顕如が出した手紙

「美濃、伊勢を平定なされた事は、比類ないお手柄です。いよいよ御上洛なされるとの事、
大変めでたい事です。」

後に血みどろの抗争を繰り広げる事になる二人であった。

14: 人間七七四年 投稿日:2008/09/20(土) 01:56:19 ID:x4SlHYz1
政宗、朝鮮から母へ
「おこづかい感激したお!母上への土産を走り回りはねまわり、頑張ってさがしたお!朝鮮木綿しかなかったけど気に入ってくれるとうれしいな!」
ホントにこの母子は謎というか…

15: 人間七七四年 投稿日:2008/09/20(土) 03:02:06 ID:xYIlr4zw
鳥取城の篭城戦で有名な、吉川経家が、城兵の命と引き換えに切腹するという事が決まったときに出した手紙。

吉川広家に

「私は、鳥取城において、お役に立つことが出来ました。こんにちの事は内心覚悟し、それを忘れずにおりました。毛利と織田との天下分け目の最前線で、切腹をする事は、末代までの名誉だと思います。これまで取り分けのご芳情を賜った事、最後まで、忘れません。わたくしの思っている事を、全て綴る事はできませんが、お頼みいたしました長光の刀は、息子亀寿丸にお渡しください。お願い申し上げます。」

そして幼い四人の子供たちに。

「あちゃこ、亀寿、亀五、徳五へ。鳥取城で父たちは、夜も昼も、200日の間耐えてきました。しかし、兵糧も尽きたので、父は一人腹を切り、城兵を助け、一門の名を上げるのです。その幸せな物語をどうか、皆から聞いてください。」

16: 人間七七四年 投稿日:2008/09/21(日) 00:00:34 ID:VFsmoCwX
>>15
泣ける(つД`)

19: 人間七七四年 投稿日:2008/09/22(月) 02:58:28 ID:4OPvX96o
武田も滅びました。もはや越後の事はお気になさいますな。
私は良い時代に生まれました。弓矢の道に携わり、越後一国をもって六十余州の兵を相手に戦い、滅亡するのは死後の思い出、身に余る幸せです。
また、もし九死に一生を得たなら、比類なき英雄となれましょう。

53: 人間七七四年 投稿日:2009/01/21(水) 20:29:34 ID:KVnfxSSH
>>19
景勝から義重への手紙だっけか

21: 人間七七四年 投稿日:2008/09/22(月) 12:24:50 ID:hzc4SQH0
「勅定があったので、この書状を出す。

関東は勿論奥州の果てまでも天下静謐となったにもかかわらず、九州では未だ戦争状態が続いているとの事、これは宜しくない状態であり、国郡の境目相論については、互いの存分を聞き、追って措置を申し付けるので、先ず、敵味方双方が弓箭を止めるように、との、天皇の叡慮である。これは当然受け入れなければならない。
もしこの事を守らないのなら、必ず御成敗がある。この書状への返答はお前たちの一大事である。きちんと分別をして、返事を言上するように。」


豊臣秀吉から島津義久への、有名な『惣無事令』の書状。

22: 人間七七四年 投稿日:2008/09/22(月) 12:39:26 ID:hzc4SQH0
>>21に対し、島津義久が長岡玄旨に出した手紙

「羽柴秀吉は、本当にいわれのない人物であると世間も噂しています。それに比べて我が島津家は、頼朝公以来の系統連綿たる家柄、その当家が羽柴に対して関白殿下扱いの手紙を書かねばならないとは、笑止千万。羽柴のような由緒もない人物に関白職を許された事はひとえに、天皇のお言葉が軽々しいからなのです。」

23: 人間七七四年 投稿日:2008/09/22(月) 17:21:53 ID:coGqUVxa
>>22
> 羽柴のような由緒もない人物に関白職を許された事はひとえに、天皇のお言葉が軽々しいからなのです。」

すげぇことをさらっと言うな。日本以外だったら易姓革命を起こすやつが言うようなことだ。

25: 人間七七四年 投稿日:2008/09/23(火) 20:18:40 ID:V3FUfrdG
家康と外様大名達がどのような書簡を交わしていたか気になるな
特に秀吉死ぬ前からの文通

26: 人間七七四年 投稿日:2008/09/23(火) 20:48:58 ID:PVmbkiBX
家康の手紙で有名な、北条への最後通牒

「そちらの御親子(氏政、氏直)の事を殿下の前で悪く申し上げたり、邪な事を考えて、北条家の分国を望んだりするような事は、全くありません。今月中に必ず、ご兄弟のうちのどなかを遣わして、京にお礼を申し上げに行くように。もし、豊臣家への出仕に納得がいかないのであれば、私の娘を送り返してください。」

35: 人間七七四年 投稿日:2008/09/27(土) 14:45:41 ID:dlwGlw7R
ご病状を、人伝えでお聞きしました。
直接お目にかかれず、妻としては、とても悲しくいたたまれぬ想いです。
密かにご様子を伺うに、日に日に弱っておられ、心配でたまりません。
同じ屋敷に居ながら、お逢いできないのは悲しゅうございます。
お許しを得て、直にお目にかかり、私の心を知っていただければ、来世までのご恩と存じ上げます。

死の床についた政宗は正妻・愛姫に面会を許さず、やむを得ず愛姫は上の手紙を出した。
しかし、妻の切実なラブレターを見ても政宗は面会を許さなかった。
見かねた家臣が理由を聞くと、政宗はこう答えた。

「恩愛深い夫婦の間だからこその未練なのだ」
つまり、長いつきあいの夫婦だからこそ、病み衰えた己の姿を晒したくない。
愛する女の思い出の中の自分は、いつも美しい姿であってほしい。
数寄大名・政宗最後の「見栄」だった。

翌日、政宗は妻に看取られること無く70歳の生涯を閉じた。

ゴメン、スレの方向性とは違ったかも知れん

36: 人間七七四年 投稿日:2008/09/27(土) 22:53:26 ID:U4yo/qgj
政宗はさんざん奥さんを泣かしてきたんだろうから願い位聞いてあげればいいのにね。もう最後なんだから
なんか愛してたんだかしてなかったんだかわからないね

37: 人間七七四年 投稿日:2008/09/28(日) 08:55:41 ID:zpy+4VWt
田村の実家を政宗に潰され、頼れるのは政宗だけになっちゃったのにかわいそう。
政宗は近くに側室を置いて看護させてたんだろうな。

38: 人間七七四年 投稿日:2008/09/28(日) 10:59:08 ID:cPOnLBxA
>37さん
女は入れなかったってなんかで見たから看病してたのは愛する小姓かも

39: 人間七七四年 投稿日:2008/09/28(日) 19:23:34 ID:rUNNH12D
政宗自身は満足かもしれないけど愛姫は救われないなぁ
政宗らしいといえばらしいけど

40: 人間七七四年 投稿日:2008/09/28(日) 20:22:03 ID:7D40D7uH
ところがその後も愛姫は政宗を愛し続けた。
瑞巌寺の有名な鎧姿の木像は、彼女が政宗17回忌を偲んで造らせたものだし、常々「殿と同じ日に死にたい」と言って、実際に祥月命日の1月24日に死んだ。
(政宗は5月24日死亡)
まあ、政宗も彼女に40歳で八男・竹松を産ませたり、嫡男忠宗の子が田村家を再興したりと彼女を愛していたのは間違いないけど(お互いの愛が等価だったかは分からん)

愛姫の手紙で言うと、聚楽第で人質になってる時に政宗に出した
「天下はまだ不安定です。殿は天命に従って進退をお決め下さい。私の事なら大丈夫です。匕首を常に持っており、決して辱めを受けません」
って意味のヤツも印象的。
政宗に過ぎたるものが二つあり、田村の姫に片倉小十ってとこか…

28: 人間七七四年 投稿日:2008/09/25(木) 01:36:27 ID:yxEA9A5x
みかんありがとう

31: 人間七七四年 投稿日:2008/09/26(金) 01:17:48 ID:Yv/HL7M7
>>28は上杉景勝が息子に送った手紙だよね。
親子の手紙というと、細川忠興・忠利や直江兼続・景明もやりとりしてるな。
ここら辺は親子で情報交換してたりするので、時の政治状況という点でも興味深い。

「甲斐長延寺の一件に関することで、武田殿がそっち(江戸)へ向かいました。なので佐渡守(本多正信)へ御状を遣わせました。千坂伊豆に持たせ、様子を報告するように言ってあります。もし、幕府から何か取調べがあったときは武田殿が対処しますが、ともかくこっちでは何もわかりません。変わったことがあったら急ぎ知らせてください(大雑把な意訳・後略)」

大久保長安事件の際に、米沢の兼続と江戸の平八(景明)間で交わされた書状。
当時の外交・情報収集のルートという点でも興味深いと思うです

32: 人間七七四年 投稿日:2008/09/27(土) 02:11:48 ID:1/R5Yh0/
信長がねねに出した手紙が好きだ。
はげねずみ。

44: 人間七七四年 投稿日:2008/10/03(金) 17:21:56 ID:qdWT5l+S
内容うろ覚えで悪いが謙信が佐竹の妹に宛てた手紙がこんなんだった。
越相同盟で佐竹と仲違いした頃。

「最近佐竹と連絡が取れません。私は関東の方々のためにと思って一生懸命頑張ってるのに、それを怒るなんて酷いです!貴方からもなんとか言ってください。身内の貴方の言葉なら聞いてくれるでしょう」

45: 人間七七四年 投稿日:2008/10/03(金) 17:44:43 ID:pFcz+0GQ
信長が謙信に出した手紙

「ボクは信玄さんとも謙信さんとも仲良しなのに、その仲良し同士の二人がケンカしてたらボクも心苦しいし外聞も悪いでしょ?だからここは仲良くしてさ、みんな将軍様の家臣なんだから、天下のために一緒に働きましょうよ。」


信玄が西上を始めた頃に、信長が謙信に出した手紙

「あんな糞野郎はこの世の中に二人といませんよ!謙信さんあいつ後ろからぶっ殺してください!」

46: 人間七七四年 投稿日:2008/10/03(金) 18:15:50 ID:rqsO1Cwq
>>45
信長www

47: 人間七七四年 投稿日:2008/10/03(金) 18:58:05 ID:PsrLHXs5
こういうの見るたびに、信長が覇王とかねーよwって思うw

48: 人間七七四年 投稿日:2008/10/04(土) 18:47:20 ID:Nt9ICge+
秀吉が天正11年賤ヶ岳の戦い後、側室・麻阿の方に出した手紙
「これ以上戦争の起きない世界にする。ボクがする。出陣なんてしない。だから、ずっと一緒にいてよ。」

同じく天正15年九州攻めの時、側室・宰相殿に出した手紙
「戦とか、心配ねーよ。じきカタ付くから。唐入りの準備とかあっからサッサと帰るし。」


いろいろツッコミたい所はあるが、こいつボスから折檻状もらっても全然懲りてねーな

49: 人間七七四年 投稿日:2009/01/03(土) 17:37:52 ID:GNtzs2ls
上杉景勝から狩野秀治宛の書状

「昨日は直江(兼続)と大酒を呑みました。まあ、お前んちでは狭いので、つまらないでしょうけどね。上方へ送る証人(上条義春の子息)について、ほぼ調ったようで嬉しく思います」

狩野あての景勝書状は結構素が出ていると言うか、打ち解けた雰囲気のものが多い

51: 人間七七四年 投稿日:2009/01/03(土) 19:46:43 ID:Z+9+ZShW
兼続から閻魔大王への手紙

拝啓閻魔大王さま
先日死んでしまい、そちらに向かった男のことですが、残された親族が大変悲しんでおるので、どうかこちらの世界へ戻してやってください。
なお、こちらからは男の親族を迎えの者として参らせます。
兼続より

54: 人間七七四年 投稿日:2009/01/22(木) 21:42:02 ID:zep3fGIE
豊臣秀頼から協力依頼の書状と正宗の脇刺のプレゼントをセットで貰った島津家久。そしてその返事。 

オヤジの義弘が関が原で西軍味方して戦後困り果てたときに家康さんは遺恨を捨てて島津の家もオヤジ義弘も赦してくれたでしょ。
故太閤へのご奉公は一度済んでるし、また家康さんに背くなんてできないし。
折角のご芳志ながらお贈りいただいた銘刀はお返ししますm(__)m

55: 人間七七四年 投稿日:2009/01/22(木) 22:10:00 ID:zep3fGIE
細川忠興の大阪夏の陣における大阪方の働きぶりを回想した手紙

真田、後藤又兵衛手柄、供に。古今にこれなき次第に候。
木村長門、明石掃部も手柄にて。
大野修理手弱き事。
真田左衛門佐、首は越前殿鉄砲頭取申し候、手負て、草臥れして居られ候を取り、手柄にも成らず候。
7日の合戦に此の方歴々の人数を持し、逃げざるはまれに候。笑止なる取り沙汰。

真田幸村、後藤又兵衛、木村重成、明石全登すげー勇戦・勇敢だった。
反対に、大野治長の弱き事。
真田幸村の首は松平忠直の鉄砲頭が取ったけど、負傷してくたびれている所を取ったんで特に手柄とは言えないな。
幸村の死を惜しみ、逆に真田勢に追いつめられて逃げた東軍の醜態をあざ笑ってる。


周防山口で落城の知らせを聞いた毛利輝元が家臣に宛てた手紙

7日の晩、秀頼御腹を召され一着の由、公私大慶に候。
秀頼(呼び捨て)死んだって!すげーめでたい!


伊達正宗が国元へ送った手紙

御ふくろもかねての御くちほどなく候て、むさと御はて候。
淀殿は日頃の口ほどもなくむざと果てたな!

57: 人間七七四年 投稿日:2009/02/11(水) 16:21:34 ID:MgniNpN9
誰にも言うなよ
水筒を作りたくなったから、良さそうな竹ニ本切って急いで持ってこいや
小十郎へ

政宗

60: 人間七七四年 投稿日:2009/02/11(水) 23:29:13 ID:yW1ZsaCU
>>57
背徳の香りがする・・・

61: 人間七七四年 投稿日:2009/02/12(木) 00:08:10 ID:alcANqqq
>>57
この最初の「誰にも言うなよ」はどういう意味で言ってるんだw

密書に見せかけたドッキリ?

58: 人間七七四年 投稿日:2009/02/11(水) 16:34:24 ID:vfik1xi6
暗号くさいなw

63: 人間七七四年 投稿日:2009/02/12(木) 20:28:05 ID:oPI4m/2+
政宗は従兄弟の成実とも「遊びにこいよ」「魚がたくさんとれたからあげる」みたいな手紙をやり取りしてなかったっけ?
ケータイ持たせたらずっとメールしてるタイプの人間だな。

64: 人間七七四年 投稿日:2009/02/12(木) 22:49:03 ID:alcANqqq
>>63
せまいトイレの個室にこもって延々ケイタイでメールしている伊達政宗の姿を想像した。

65: 人間七七四年 投稿日:2009/02/13(金) 16:45:05 ID:qTxGyWJc
(京都所司代村井から上杉景勝に宛てた手紙)
おいおい国主の佐々さんが出張中に城を奪うとはなにやってんだ
それが謙信さんの後を継いだ者のすることか?
城攻めとは戦って奪うものだろ?
佐々さんが帰ってくる前に返せよ、わかったな
お前はもう越後から出て来なくていいよ

(手紙を受け取り城から兵を退いた景勝に宛てた柴田勝家の手紙)
兵を退くとは貴殿はなかなか立派な人物だと思うよ
流石あの謙信さんの後を継いだだけの事はある
来年信長様が越中に来るから全軍連れてきなよ
そこで白黒付けようじゃまいか
お互い勝っても負けても悔いの無いよう全力で戦おうね

(そして翌年景勝公は信長のいない越中へ出陣するのであった)

大人の嘘に惑わされる子供みたいになってる;;


引用元: ・戦国武将たちの手紙


森長可の遺言状は泣ける。
親兄弟の多くを戦で失った鬼武蔵の心情を思うと
・・・




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