51NpWwEFXKL



1: 人間七七四年 2009/10/14(水) 14:09:35 ID:ZulbfaE2
織田信長や豊臣秀吉が活躍するより少し昔
天下に号令した一族が有った、・・・地味だけど。








9: 人間七七四年 2009/10/18(日) 21:37:29 ID:DEr2ORz2
三好記 昔阿波物語 細川両家記を見てみたいな。
翻訳されてないんだっけ・・・
安宅氏関連って特に資料って残ってないよなあ

10: 人間七七四年 2009/10/18(日) 23:30:01 ID:FckBjvlU
翻訳って・・・外国語じゃ無いんだが。

12: 人間七七四年 2009/10/24(土) 01:05:57 ID:ZdQkmrsB
図書館で群書類従読めばいいんじゃね?
三好記…続群書類従22下合戦部
細川両家記…群書類従20合戦部
中学レベルの古文と古語辞典・漢和辞典があれば読める。
特殊な変体仮名は最初はわからんだろうが、そのうち読めるようになる。

自分も会津四家合考とか天正南部軍記とか読んでたときは苦労したな。
「より」を表す「n」みたいな仮名は最初どう読むかわからなくて困ったもんだw

13: 人間七七四年 2009/10/28(水) 22:46:16 ID:P3a70tHQ
俺の中の三好一味

長慶
根はお人よし、しかしやる時はやる、がやっぱり許す
義賢
根は真面目、真面目+根暗
冬康
優しすぎる漢、兄弟中一番空気が読める
一存
熱血漢でムードメーカー、空気が読めない
冬長
空気、優秀すぎる兄にコンプレックスを抱いていて空気の読める兄に泣きつく
康長
常に後手後手になり常に貧乏くじを引く、子供放任主義
長逸
めっちゃ頭悪そうに見えて実は頭もよくて器量のある人物
政康
仕事は淡々とこなす、刃物マニア(史実ですね実は刀目利き)
友通
体育会系×のに頭は良くない。にわか茶人
政勝
構ってほしい故の悪戯大好き!腋臭
政長
実はking of茶人のにわか
義興
義輝のスネオで煽て上手

長治
ヤリチン DQN親父を殺したのは長房だと思っている
自遁
ヤリチン DQN仕事が出来る兄に嫉妬!
小少将
ヤリマン DQN・モンペ 
真之
↑2名と母、自分との繋がりで精神崩壊寸前 鬱病
存保
↑の惨状から反面教師で真面目
長房
重臣 仕事人 義理100

15: 人間七七四年 2009/10/29(木) 08:49:05 ID:SM00GViH
>>13
なかなか良いセンス
長慶が生きてれば信長も即死だったのに残念だ

17: 人間七七四年 2009/10/29(木) 15:43:49 ID:QxbFhF5O
しかし長慶は松永一族を重用しすぎたな。
信用できたし優秀だったのは確かだろうか、もう少しバランスを取るべきだった。

18: 人間七七四年 2009/11/06(金) 01:22:18 ID:HXHEt1hi
>>17
家臣団では三好長逸と松永久秀のふたりが、長慶の裁許全般を取り次いでいたので、自然このふたりが台頭するんだよね。
(しかも両名とも従四位下に叙されているし)

19: 人間七七四年 2009/11/07(土) 19:48:13 ID:6cUEcbHa
今日は三好山に登ってきたー、祠があるだけで何もなかったぜ!
石垣は山麓にチョコッとしかなかった…。
三好関連でまだ行ってないのは堺方面と飯盛・多聞と京都付近のみ
三好関連で行く所が悉くしょぼすぎて涙目すぐるw
高槻の城跡とかは開発しまくりで跡形もないしw
淡路は脇坂で湧いてて安宅冬康?誰それだしw
徳島に至っては蜂須賀の方が知名度ある始末で、芝生城に至っては田んぼ
勝瑞城館付近の調査を徳島県が進めてあの付近に勝瑞城館再現して藍染・三好ブームを期待するしかないな、ないな…

22: 人間七七四年 2009/11/18(水) 15:32:50 ID:XourJ+yz
徳島の三好山ってあるんですか

23: 人間七七四年 2009/11/19(木) 17:44:38 ID:q2fLs0JL
三好山は大阪府高槻市の、芥川山城のあった場所。

33: 人間七七四年 2009/11/26(木) 23:01:00 ID:7FiLlgLs
江戸期の戦記ものには、何故か義輝を長慶が殺した事になっているものがたまにあるな。

34: 人間七七四年 2009/11/27(金) 01:24:57 ID:Bcar236w
群書類状の三好記とかには義継と義興が一緒だったり、政康辺りの記述が曖昧だ

49: 人間七七四年 2010/01/11(月) 23:20:31 ID:WNkv9BcQ
三好氏も、長慶はもっとその実像や晩年も含めて、再評価されてほしい。

松永久秀にしても、正直イメージ先行という感が強いし、三好氏を牛耳ったというのも河内飯盛山の長慶のところに、晩年まで長逸・久秀が裁決を仰いでいたことを考慮すると、せいぜい久秀が実権を持ってたのは長慶から任された大和一国の域を出ないようだし。

50: 人間七七四年 2010/01/26(火) 18:10:30 ID:cBEoQyRk
歴史本見れば見るほど三好は悉くスルーされてるのは相変わらずだな
逆に久秀の露出が増えてるのがあれだ。
まあBASARAとかに出る心配がないのが唯一の救い
長逸・政康・岩成の3人はお気の毒すぎる…

51: 人間七七四年 2010/01/26(火) 20:55:12 ID:wXTodaEZ
>>50
三人衆と比べてもそこまで弾正ってどうなんだ?という気はしてしまうんだよね。
三人衆に負けて一年くらい行方知れずになっているし、義継が久秀の所に奔った後も、三人衆とそれに与する畿内や四国の軍勢が多聞山を交代で攻めるなどしているし、基本弾正側が押されている印章を受ける。

勿論弾正は長慶の生前から御供衆になっていたり、正式に叙任されてたりするなど、他の被官と比べると別格の地位にいた確かではあるんだけど、三好氏の実権を掌握したなんて言えるレベルでは到底無いと思う。

52: 人間七七四年 2010/01/28(木) 00:57:36 ID:gb7jpn+m
長慶存命当時から三人衆で久秀と対等なのは長逸ぐらいで、政康と友通はどちらも一部将に過ぎない
(政康には兄として政成がいて、永禄五年に討ち死にしてるけどやっぱり扱いは軽い

で、一門衆筆頭として遇されてた長逸も、確固とした支配領域を与えられなかったって点で四兄弟や松永兄弟に水を空けられてる。
ていうか、摂津半国守護の松山新介あたりにすら扱いの上で負けてる。
まあ単品で行動するときの長逸は播磨といい丹波といい負け戦ばかりなんで、その辺が相当ネックだったんだろうが……

で実際問題として内乱になったあとはといえば、摂津の池田伊丹松山や、河内飯盛山城代の松山安芸守や中村新兵衛(例の鑓中村)の帰趨でおおむねの勝敗が決してるんだよね
特に内乱初期は飯盛山の松山中村が松永方についてたから畿内南部でも松永方が優勢で、内乱後期に彼らが寝返ったとたんに三人衆方が主導権を握るようになった

特に中村新兵衛の影響力は三好三人衆より大きかったようで、甫庵信長記では東大寺焼亡の時には三好方の総大将であったとしている(そしてここで討ち死に)

全般的に見て三人衆の影響力って久秀に比べても相当程度限定されてるぽい

53: 人間七七四年 2010/01/28(木) 03:36:34 ID:53EeKMrF
>>52
官途などの朝廷との関わり方を見ても、長逸は義興・久秀より先に従四位下に叙され、禁苑を拝観するなど、朝廷との関わりが緊密な模様。
領域支配という点では、長逸は山城国飯岡城主になっており、山城南半分程度を担っていたみたい。長逸と久秀については、長慶の晩年まで取次ぎを担当してたようだし三好氏家中で果たしてた役割から見るとほぼ同格とみていいんじゃないかな。
(斎藤基速も裁許の取次ぎなどはしているものの、地域支配までは任されていないからね・・・
※ただし、久秀は御供衆になり、義輝との関係が良くも悪くも密接になっており、幕府との
関係において言えば、長逸とは一線を画していると思う)

長慶没後の内乱については、松山や中村の動向もそうだけど、畠山高政(安見宗房など)や松浦氏なんかも無視できんと思うので、三人衆や久秀をどう評価するかも含めて、なかなか難しい・・・
飯盛山の松山安芸守は永禄十年に八月下旬に、久秀が畠山氏などと結んで攻勢に出た際に、久秀に呼応しているけど、三人衆方は篠原長房と共にすぐに「あつかい」という形で鎮圧しているし、件の東大寺合戦の後も、三人衆方は阿波衆、河内衆、遊佐氏、池田氏などの交代制で多聞山城を包囲してるんだよね。
まあ、三人衆の動向については、河内の三好笑岩や阿波の篠原長房が同心していたということが大きいんだけどね。

いずれにせよ、よく言われる「久秀が三好氏の実権を掌握した」とか「長慶に取って代わった」ってのはイメージ先行気味で正直適切じゃないのは確かだと思う。
十河と義興の死についても、久秀の関与はないとみてよさそうだしね。

57: 人間七七四年 2010/03/28(日) 10:56:14 ID:wHN/EDSJ
長慶一人が傑物なんだよね
政長なんかは別として

58: 人間七七四年 2010/03/31(水) 15:14:23 ID:QvtOAcqa
>>57
実休や義興なんかもすぐれた人物だったようだけど、あっさりみんな
死んでしまったからなあ・・・・・

68: 人間七七四年 2010/06/27(日) 01:14:34 ID:FOSTjSa8
質問
・三好政康って人について

「三好晴海入道」って名乗って大坂の陣に参加して戦死したってのは講談や小説とかじゃなく、信用できる資料に残っているのでしょうか?

「晴海入道」を名乗ったのか否かと
大坂の陣に参加したとされる三好某と政康は同一なの?って部分が気になります。
事実だとしたら、それなりに名のある武将であり、かなりの高齢であるので何らかの公的資料に残っていてもおかしくないと思うのですが。

政康の子とか孫、もしくは一族などが実際には参加したのに政康が参加したって事になってるとか、そういう事はないのでしょうか?

69: 人間七七四年 2010/06/27(日) 10:55:47 ID:mYbQWrB2
>>68
三好政康については、入道して釣閑(竿)斎宗渭と名乗っている。
史料上で青海入道というのは見たことがない。
フロイスの「日本史」だと、三好政康は「奇禍にあって悲惨な死」を遂げたと出てくるんだけど、秀吉・秀頼に仕え大阪の陣で戦死したという情報の史料上の出展を見たことがないんだよな。
俺も知りたい。

70: 人間七七四年 2010/06/27(日) 14:45:06 ID:FOSTjSa8
なるほど、じゃあどっちも確たる資料(根拠)は、いまのところ無いという事になるわけですね。
ありがとうございました。

74: 人間七七四年 2010/07/06(火) 01:46:43 ID:yBnGkY08
政康って、下野守だっけ?
諱以外の名とか記録に残ってないかな?

75: 人間七七四年 2010/07/06(火) 11:42:42 ID:lD9QsnzM
>>69で出てる入道名・宗渭、もしくは諱・政生が一次資料で確認できる名乗り。

77: 人間七七四年 2010/07/13(火) 10:39:40 ID:95smcBxQ
総帥の三好長慶が生きていれば三好一党は統一されているから、信長の上洛を防げたという奴もいるが無理だろ。
三好の動員兵力なんてせいぜい三万ぐらいだし。

80: 人間七七四年 2010/07/13(火) 22:30:26 ID:/QRrdR3a
>>77
そもそもの話として、長慶が存命だった場合、おそらく義輝が殺害されるということもなかったろうし、六角氏や畠山氏(ほか畿内の諸勢力)との関係もまただいぶ違ったものになってくる。
だから、よく俎上にあがる「信玄がもうちっと長生きできたら」とかいうネタと比べても、信長上洛直前のシチュエーションで長慶が存命だったらという前提自体あまり意味のあるものではないな。

81: 人間七七四年 2010/07/14(水) 00:06:35 ID:QBDvcTNu
信長上洛時の三好家のふがいなさは異常。
みんな勝手にバラバラに戦ったり、大和の松永弾正なんか信長についてるしな。
これってどうにかならなかったのかね。
長慶がもし存命だったらという仮定はなかなか面白い。
すくなくとも三好三人衆や松永弾正は従っただろうし、当たり前だが。

82: 人間七七四年 2010/07/14(水) 00:44:36 ID:wNvM7mNE
信長視点からでしか物事を考えられてない人間にとっちゃあ三好家なんてそんなもんだわな
三好家がバラバラになって滅亡の決定的要因になったのは三好義継の所為だからな
宗家の自覚があれば(無かったからだが)あんな行動は起こすべきじゃなかった
三好長逸・三好政康・岩成友通の発言権が大きかったとしても結果、三好義継の行為は勝手すぎた
少しの間だけ義継側についた大叔父の笑岩に見捨てられてるのが何よりの証拠だろう

野田福島で信長倒してる三好家連合がふがいないとは言わせないぞ


83: 人間七七四年 2010/07/15(木) 23:57:54 ID:rqj8TkIr
>>82
義継一人のせいにするのは間違いでしょう。
年齢的に考慮したら三人衆や久秀の方が大人気無いとも言える。

まあアレだ。
三好家が衰退したのは運命なんだと思う。

84: 人間七七四年 2010/07/16(金) 00:35:04 ID:v4HUzeiM
>>83
輝元と同じ様な立場でありながら求め過ぎたんだよ義継は自分の実力も時勢や大局を見れる器じゃなかった
三好三人衆と喧嘩したにしても、三好笑岩に見限られるのがあまりに早すぎる
まあ義継の支離滅裂な行動は今の子供宛らの若さ、ってのは要素の一つとして考えられるな
三好家は豊かだったからな、子供達の判断力が著しく低いのが今で言う『ゆとり』と共通しているな

85: 人間七七四年 2010/07/16(金) 01:04:38 ID:Ee9uOFUv
>>84
>輝元と同じ様な立場でありながら求め過ぎたんだよ義継は

輝元は隆元の実子だけど義継は分家からの養子。
輝元は毛利宗家として扱われているけど義継は拉致監禁状態。
それに加えて三人衆と久秀は将軍を攻め殺すような過激な行動を取るので義継も警戒している。
両派のどちらにも属さず宙ぶらりんなポジションは危険。

その当時の情勢を無視したレスは正直困るよ。



86: 人間七七四年 2010/07/16(金) 07:48:41 ID:rPy3jAhV
三人衆にしろ久秀にしろ、康長が一喝してなんとかできなかったのかな?
長慶と実休の兄弟ゲンカというラグナロクを仲裁した実績はあるんだけれど。

87: 人間七七四年 2010/07/26(月) 18:42:58 ID:lLZwP5Mi
戦国期三好政権の研究
天野 忠幸 著

定価:8925円 (税込)
発行年月:2010年06月
発売元:清文堂出版


序 章 戦国期畿内権力研究の成果と課題

第一部 国人編成と地域支配

第一章 摂津における地域形成と細川京兆家 
第二章 三好氏の摂津支配の展開
第三章 荒木村重の摂津支配と謀反
第四章 三好氏の権力基盤と阿波国人
第五章 三好氏の広域支配と和泉
補 論 三好一族の人名比定について

第二部 三好政権と畿内社会

第一章 大阪湾の港湾都市と三好政権
第二章 大阪平野の都市ネットワークと三好政権
第三章 畿内における三好政権の支配構造
第四章 三好政権と将軍・天皇

終章 結論と展望

http://www.jbook.co.jp/p/p.aspx/4005368/s/~6b19cf0ce

93: 人間七七四年 2010/07/29(木) 15:29:05 ID:G2HDIN7m
>>87
読み終えた、天野氏の出身が神戸で卒論が荒木村重なので摂津・和泉に関しては今谷氏より更に深く調べてて楽しかった
というより天野氏は今谷氏に比べると全体的に武将達の下で文書発給などで動く被官達がかなり詳しく書かれてたのが収穫だった
摂津は池田氏・伊丹氏など中央政権に縛られずに独自に成長する事が出来たのもあって摂津に住む住民たちの自立心が信長の政策に反発(一向衆ではなく農民)
摂津一下郡を治めていた荒木が農民達と同調して信長に反抗したってのが新鮮だった

他には、三好氏の影響力が畿内以外にも届いてたって新情報もあった
外交関係でも三好氏が畿内周辺だけしか影響が無かったってのは間違いでもっと資料が発見されて研究が進めば三好政権が織豊時代の『プレ統一政権』であるという事実が固まって来そうではある
・尼子氏・毛利氏・大友氏
・河野氏(三好実休の香川氏攻め関連)
・山名氏(松永長頼の丹後攻め関連)
・織田氏(松永長頼の被官が鷹を送ったらしい)

三好氏と天皇との関係とか他にも目新しい情報ばかりで三好氏研究者以外の人にも見て欲しい専門書だと感じた
今までの三好氏研究(過去の今谷・長江・秋永)とは視点が全然違うから三好好きは買って損は無いと思う。

95: 93 2010/07/30(金) 22:46:43 ID:9Vl1nCN5
あと、三好実休は三好義賢じゃなくて三好之虎でほぼ確定だと十河存保が一時期だけ三好性に戻して、その時に三好[義堅]と改名している
その時の存保の改名が軍記物での実休=義賢と混同した可能性があるらしい。

冬康の次男と言われていた清康だが、これも実休の3男との事だそうだ
天野氏は野口冬長に関しては完全スルーだったわw 

211: 人間七七四年 2011/11/05(土) 20:31:23.46 ID:pbf/wSxc
>>95
よく理解できないんだけど、三好之虎は長慶の弟でOK?
十河存保や十河一存とは別人なのかな?

217: 人間七七四年 2011/11/06(日) 21:31:50.14 ID:kqwl/+m8
>>211
三好実休=三好之虎○三好義賢×
十河存保=三好義堅(一時期三好姓に復帰した時の名前)←これが実休の三好義賢と混同され今に至る
三好義賢という人間は文献上では確認できなかったはず、逆に之虎=実休を仄めかす書状は存在。

十河一存が之虎ってのはwikiでしか見た事無いな

219: 人間七七四年 2011/11/06(日) 21:51:15.91 ID:uoDdFOSJ
>>217
感謝。十河存保の書状が実休の書状に紛れて三好義賢って人物が創作されちゃったんだね。

98: 人間七七四年 2010/08/01(日) 06:58:47 ID:M4VNh2tE
政勝・政康が三好没落後、秀吉に仕えるまでどこで何やってたのかとか

100: 人間七七四年 2010/08/01(日) 22:20:49 ID:KV0Fx1xD
>>98
政勝はともかく、政康は「奇禍に遭って悲惨な死」を遂げたなんて話が出てくるしなあ。
長逸も消息不明だけど(フロイス日本史には「財産を失って没落して死んだ」という趣旨の
事が書かれていたけど、実際のところはよくわからんし。

102: 人間七七四年 2010/08/24(火) 00:10:13 ID:rkdSgGoa
>>98の天野氏の本によると、『二條宴乗記』という史料の永禄12年5月16日条に「当月三日に遠行の由、あわ(阿波)にて言語道断之事也」とみえるとのことで、実は案外早くに没しているという可能性もあるみたい。
あと、同書では、政生、政勝の花押と「三好下野守」が発した禁制の花押とが一致するため、三好下野守(宗渭=政康)が政生、政勝と同一人物ではないかとしていた。
(したがって政勝は為三入道とは別人)

105: 人間七七四年 2010/08/31(火) 00:19:06 ID:RcmZGnNj
遅らせながら三芳野の花を読んだ、感想としては

詰め込み過ぎだな
三好長慶が主役の筈なんだが色々場面が飛ぶし目線も飛び過ぎて主役が誰なのかが非常に掴みにくい。
1522年~1579年までの物語を一冊で収めてしまった為に『歴史年表』+会話なのが殆ど箇条書きで三好氏というものを知りたいなら今谷氏の本を読んだ方がマシ…ってのを執筆者本人が言っちゃあ駄目だろうとw

106: 人間七七四年 2010/08/31(火) 00:25:40 ID:fu1ZtaOw
>>105
作家さん本人が言っちゃあおしまいだw
長慶がメインの小説って、数が少ない上に「これ!」という鉄板がない。

114: 人間七七四年 2010/09/15(水) 22:48:18 ID:X1oDq4Ss
長慶が主役になる小説ってある様で無いんだよね
妖雲(三好長慶)も主人公松永久秀だし
三善野の花は話の軸になる人間がバラバラでいないし小説というかダイジェスト物語
三好が出てくる物語で、味があるキャラだと思ったのは夏草の賦の三好笑岩位だな
てか脇役としての出演も信長・秀吉が畿内へ進出してからで、笑岩か存保位しか見せ場が無い

110: 人間七七四年 2010/09/09(木) 23:08:19 ID:a539Ma9u
肖像画から大名達の性格を読み取れる訳ないんだけど大徳寺にある長慶の肖像画は多数の大名達に比べてもかなり個性が出てると思うんだ。
なんていうか、やはりカリスマ性がずば抜けてたんだろうなぁ。

111: 人間七七四年 2010/09/12(日) 19:22:48 ID:pL6bbq+l
個性といえば之虎、冬康、一存の弟達も持っているよな。
この弟たちが謀反も起こさず付き従っただけでも、長慶のカリスマ性は評価できるはず。
かなり漠然とした私的な見解で申し訳ない。

112: 人間七七四年 2010/09/12(日) 22:45:00 ID:LTG+iM30
三好は戦国大名じゃなくて細川が持っていた領土をそのまま貰っただけ
京に無理やり入り込んで主権を奪い取って三好自身は特に何もしてなくて畿内の戦乱を引き延ばしただけの延命政権

↑って印象を持ってる人が多いと思うん(実際見た事あるし)だけど、ありえないよね…
長慶が1549~1564年まで畿内に君臨出来た理由を考えないのが悲しいよなぁ…
畿内は小豪族・小国人が多く自治体が其処等にあって民衆の支持なしでは柳本や木沢の様な末路を辿るのが普通であって強引な政権強奪を行ったのなら何故1549~1560年頃まで政権を維持出来たんだろうかって考えが無いのが悲しい
将軍に権力は殆ど残って無いが権威は残ってる訳だしね。

細川政権→三好政権に至るまでの流れは本当に流れる様に進んでいて面白いんだけどねえ
そして三好→織田に移る過程も何故か全部信長の功績にされちゃってる始末
一般人が三好を知るのは将軍殺害(暗殺と書かれている時もあるが)ありきで何故三好氏が将軍を殺害する迄に至ったのか考えない人が多すぎる(確かにややこしい部分はあるけど)
歴史は点じゃなくて流れなのは当然の事なのにね。

115: 人間七七四年 2010/09/16(木) 03:15:50 ID:m7JDhfh4
>>112
長慶(とその兄弟)が早くに死んでしまった上、その後三人衆と久秀(と義継)で割れてしまったイメージがあるのかも。
あと気になるのは、教科書なんかにある「松永久秀に実権を奪われた」という記載だけど、これも適当じゃないと思うんだよね。

117: 人間七七四年 2010/10/04(月) 14:55:04 ID:F/LMQS0W
>>112
ちょっと過大評価し過ぎな気がする。三好氏の統治が上手くいったのは当時畿内周辺に野心のある大勢力が六角くらいしかいなかったのが大きい。
これで100万石超の勢力が畿内を狙ってたら宥和政策の長慶ではあっという間に崩されてしまった気がする。能力もあるが運も良かったな

118: 人間七七四年 2010/10/04(月) 17:08:16 ID:VmCkeqMm
そもそもあなたの仮定がムチャクチャだ、ゲームじゃねえんだぞ。

統治が上手くいった理由が野心ある大勢力が六角しかいなかったからって理屈からして可笑しい。
100万石超の勢力が畿内を狙っていたらあっと言う間に崩されたと気がすると言うが歴史上でそんな大勢力と戦っていないんだから比較する事すらできん。

そもそもこの時期で畿内近辺で100万石又はそれに近い大名って尼子位
それに三好自身が近畿で摂津上下郡・山城・山科・河内・和泉・南丹・東播磨・大和
を有する大国なのに攻め込む馬鹿はこの時いないだろ。
まあぶっちゃけそういった大国との戦いifも見てみたかったがな。
その可能性があったのは尼子位しかいなかったが。
本当かどうか解らん上杉上洛で上杉が三好と正面から対決しようなんて考えてる訳が無い

119: 人間七七四年 2010/10/04(月) 18:31:06 ID:F/LMQS0W
まあ>>118とは意見が合わないようだが、見てみたいIFとしては一存、義輿 、義賢、冬康、長慶が全員長生きして且久秀が変な野望を持たず三好政権が長命になった時に義輝が美濃獲得後の織田家に逃げ込んだ場合だな。

120: 人間七七四年 2010/10/06(水) 14:50:26 ID:5ybFZYA0
>>119
信長の軌跡から見て、そんな盤石な三好政権に正面からの敵対を選ぶとは思えん。
義輝を飼っておくだけ。
で、長慶が死んだあとで義輝の存在を急速に思い出すってのが浮かんだ。

121: 人間七七四年 2010/10/06(水) 19:44:58 ID:FuYckHXC
>>120
俺は先に伊勢を攻略した後近江から上洛だと思うな。尾張、美濃、伊勢近江半国ならそれだけで180万石以上になるからそうなったら信長に軍配が上がりそう。

129: 人間七七四年 2010/11/03(水) 23:36:44 ID:8H7X3H+H
他の大名や武将達と違って三好は不幸が続いて完全に詰んだからなぁ、本当に悲劇の一族だ。
三好房一という三好笑岩の家臣だけが大坂の役の1年前までいたけど嫡男いなくて終了だし
兄弟の内だれか一人でも生きてたらまた違ったドラマになって現代にもソコソコ知名度があったろうに。
一族。親類が悉く誰も残れなかった(政勝除く)のが哀愁を誘うな…

132: 人間七七四年 2010/11/09(火) 10:31:00 ID:wHzG4OAW
三好家って、鉄砲の装備率はどうだったんだろう?
実休様を討ち取られたり、教興寺の戦いでは雑賀の鉄砲隊を警戒していたってのはあるけれど、自分が積極的に運用したって話を聞かない。
生産や運用の盛んな河内・和泉・紀伊を領有していたから、結構持っていそうなものだけれど。

133: 人間七七四年 2010/11/09(火) 16:57:26 ID:HmH2MFLB
>>132
当然鉄砲は多く装備していただろうよ。じゃないと畿内の戦で勝てないもの。

134: 人間七七四年 2010/11/09(火) 17:56:06 ID:fHtJqz7S
>>133
ああ、むしろ持ってて当然だったんですか。
信玄や謙信が数丁の鉄砲で大騒ぎしている時に畿内では近代戦が行われていたと。

140: 人間七七四年 2010/11/10(水) 19:12:40 ID:3yTtYMiJ
>>132
1566年に河内畠山氏と、それと結んだ根来衆が三好領に侵攻した際高屋城から打って出た三好勢が根来衆と壮絶な銃撃戦を行ったという記録がある。(細川両家記)
また、1570年に3000丁とも言われる鉄砲隊を率いた紀州勢が三好氏を攻めた際(野田・福島の戦い)でも、三好方も紀州勢と互角の射撃戦を演じたという記録があり
相当数の鉄砲は有していたと思われる。

148: 人間七七四年 2010/11/14(日) 23:51:28 ID:ALeic5o4
>>140
硝酸カリウムを日本の気候と地理では安定的に供給できないから、畿内(と商業先進地)を出ると鉄砲はすぐに使いにくくなると思ってた。三好方はともかく紀州勢はどうやって手に入れ取ったんじゃろ?

149: 人間七七四年 2010/11/15(月) 11:20:51 ID:OanDPp5A
>>148
紀州勢は古くから関東~四国にわたるまで傭兵業で兵を出してるしそのルートを使った海運業でも収入があった。

135: 人間七七四年 2010/11/09(火) 18:07:26 ID:gEwcV8FA
鉄砲と火薬を集めるには純粋にカネが重要で、石見銀山持っている毛利、金山持っている武田、あおその交易で大儲けの上杉はたしかにその辺有利だったけど、畿内を制覇している三好のほうがそれらの大名よりよほどカネがあっただろうしねい。

150: 人間七七四年 2010/11/15(月) 19:20:14 ID:6ql0DmmU
石山合戦の頃雑賀の傭兵連中は、本願寺からの給金を地元に送って家族養ってたらしいな。
そのため織田との講和が決まると「うちの家族これからどう養うんだ!」って不満をいう連中がかなりいたらしい。

160: 人間七七四年 2011/05/17(火) 08:48:16.01 ID:ljKTZZWF
三好長治の弟の十河存保や香西佳清なんかは讃岐でなにやってたん?
水軍使って朝鮮貿易して金貯めてただけ?
それとも香川之景とずっと抗争してただけ?

161: 人間七七四年 2011/05/17(火) 13:00:30.03 ID:R7S8eTQ9
>>160
三好政権の盤石期の十河存保は畿内へ出兵が主、留守中の讃岐は十河一之(義継の兄)が纏めていたと思われ
信長が畿内を制圧してからは長宗我部の進行もあって以前から反三好だった勢力が息を吹き返し西讃岐(香川など反三好)東讃岐(十河)の争いが表面化してくる。

その状態で三好長治が重臣の篠原長房を討伐する為に讃岐・根来軍を上桜へ出兵させる
篠原長房が死んだ事で三好から離反する阿波国人・豪族が続出し長治の法華強要が油に火を注ぐ結果に
離反した阿波国人が讃岐の十河存保に長治を諌める用に言うが十河存保や安宅信康の言う事に耳を傾けない三好長治は離反した阿波国人に担がれた細川真之に殺害される。

空になった阿波を埋めるために十河存保が勝瑞城に入り三好姓に復帰(三好義堅と名乗る)するが讃岐衆の反発を食らい再び十河姓に戻す。
織田信長の後援を受けている状況なので阿波・讃岐の両方を何とか維持しながら、畿内の大親爺である三好笑岩と神戸信孝の救援を待つ
本能寺で信長が横死し四国救援軍が撤兵、中富川の戦いで敗北
その後は東讃岐にて西讃岐と阿波の両戦線からの攻撃に対して徹底抗戦を貫く 仙石が派遣→敗北し讃岐撤退

まあジリ貧な状況で徹底抗戦しながら阿波と讃岐の維持に尽くしていたけど本能寺の影響を諸に受けたのが悪かった。

165: 人間七七四年 2011/05/17(火) 19:35:13.10 ID:LtE2l3w7
>>161
十河一之って初めて聞きましたが実在人物ですか?

168: 人間七七四年 2011/05/17(火) 20:40:35.94 ID:R7S8eTQ9
>>165
間違ました、十河存之です

162: 人間七七四年 2011/05/17(火) 14:23:09.25 ID:Oqd/ttIp
安宅信康って、三好兄弟死後は三好家の重鎮なんだろうがまともってイメージはないなあ

163: 人間七七四年 2011/05/17(火) 16:43:15.26 ID:R7S8eTQ9
安宅信康って重鎮・・・か?

164: 人間七七四年 2011/05/17(火) 17:21:22.27 ID:Oqd/ttIp
淡路水軍の大将は信康、清康でしょ?
それに、篠原長房死後の三好家はまともな人物が残ってなかったし

166: 人間七七四年 2011/05/17(火) 19:54:27.94 ID:tb9n7EpE
>>164
三人衆も前後して壊滅したし、あとは笑岩くらいしか残ってないんだよなあ。

167: 人間七七四年 2011/05/17(火) 20:39:40.26 ID:Oqd/ttIp
>>166
三好康長も戦上手って訳じゃないから、微妙だね

187: 人間七七四年 2011/09/27(火) 21:01:03.24 ID:LAdm8NTN
三好長慶は畿内においてどんな政治体制にしようと考えていたのだろうか?
やはり京兆家と同じ様に将軍家を傀儡にしたかったのだろうか?

今さら織田家や豊臣家の様な政治体制を考えていたと思っている人はいまい。

188: 人間七七四年 2011/09/27(火) 23:45:25.32 ID:RmBfPowe
まあ、長慶が生きて、義興も死なない前提だと
三好義興が本格的に京の政治をコントロールして長慶は義興のバックアップにまわって、畿内・四国の潤滑油となりながら諸国に号令を掛けてゆく、足利将軍家は次第に力を失いフェードアウトってのが理想だったんじゃないかな、と後の信長のやり方を見ていると思った。
まあ信長は力で強制排除したけど義輝と長慶の時代ではそれも難しいからね。


引用元: ・【下克上】三好氏スレ2代目【天下人】


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