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1: 柳生千兵衛 2007/03/12(月) 18:11:43 ID:9oIqjtKD
厨房歓迎!
著名なマンガでも出てんだから皆さんご存知のはず。








10: 人間七七四年 2007/04/07(土) 15:32:57 ID:7zDojS0+
宗矩は強い

12: リアル柳生 2007/04/18(水) 12:59:28 ID:hfgeUUuj
私、宗矩の子孫です。

62: 人間七七四年 2007/04/28(土) 14:05:57 ID:mdDaIhnY
>>12
宗矩の血筋は絶えたのでそれはない
江戸の柳生家はある時期からずっと養子。松前藩主の血が入ってる

13: 人間七七四年 2007/04/18(水) 13:01:43 ID:r0nbzIe0
柳生の剣士は幕末で活躍した話をあまり聞かない
江戸期中で弱体化した?
逆に小野派一刀流は分派も沢山出来て大流行

79: 人間七七四年 2007/10/09(火) 18:28:55 ID:yN9UTD+T
>>13
弱体化どころか、連也の代には初心者用の取り上げ遣い等が考案され、幕末くらいにも長岡房成によって従来の型に比べ、より激しく打ち合う試合勢法なんかが考案されたり教授体勢もしっかり整っていったんじゃないかな。
ただそれでも幕末流行の竹刀での試合なんかは邪道とされてたし、何よりも身体の遣い方が恐ろしく細かく難しいし、免許も貰い難いっていうんで、当時の血気盛んな志士の性に合わなかったのかも。
それに、幕末は紫ちりめん事件で新陰流の高弟の方々が次々粛清されちゃったりと…。

でも何気に高杉晋作って新陰流の免許持ってるんだよね。

17: 人間七七四年 2007/04/18(水) 16:40:35 ID:Nf1wU7Na
柳生十兵衛と柳生連也斎ではどっちが強いの?
柳生 厳包

柳生 厳包(やぎゅう としかね、寛永2年(1625年) - 元禄7年10月11日(1694年11月27日))は、江戸時代前期の剣術家、新陰流第五世。柳生利厳(兵庫助)の三男で母・珠(利厳の継室)は島清興(左近)の末娘である。号は連也斎。

幼少より剣術の才能に恵まれ、利厳の高弟、高田三之丞により指導を受ける。初めは母方の実家である島家を再興させる予定であったが、その才能が評価されて正室の子であった異母兄柳生利方をさしおき流派を継承する(尾張柳生家の家督は利方に譲られた)。流祖、上泉信綱より柳生宗厳(石舟斎)、柳生利厳と連なる新陰流の剣術を完成させたのは厳包であると言われている(六世は、尾張藩藩主徳川光友に伝授)。



18: リアル柳生 2007/04/18(水) 16:48:49 ID:hfgeUUuj
連也斎ですね。
たぶん…。

21: 会津藩の末裔 2007/04/18(水) 22:17:03 ID:hZCpl2Ap
ところで、子連れ狼でも出てた柳生列堂は実在の人物か?
だとしたらその剣の腕前は? 拝み一刀に本当に斬られたのか?

25: 人間七七四年 2007/04/19(木) 06:28:27 ID:4uby8Koq
>>21
いる。でも拝一刀はいない
列堂義仙

列堂義仙(れつどうぎせん、寛永12年(1635年) - 元禄15年7月24日(1702年8月17日))は、江戸時代の臨済宗の僧。大和国柳生藩初代藩主柳生宗矩(但馬守)の子で、柳生家菩提寺の芳徳寺の第一世住持となった。

小池一夫の漫画および時代劇『子連れ狼』において、悪役「柳生烈堂」のモデルとなったため、現在ではそのイメージが強くなり、隆慶一郎の小説『吉原御免状』『かくれさと苦界行』やすずきあきらのライトノベル『百花繚乱 SAMURAI GIRLS』での「柳生義仙」など悪役として描かれる傾向にある。



24: 人間七七四年 2007/04/19(木) 05:51:20 ID:PGmVro83
十兵衛ちゃん最強

26: 人間七七四年 2007/04/19(木) 06:37:46 ID:LB0DwPYE
肖像画は隻眼じゃないんだけど本当のところどうなの?
教えてエロい人

27: リアル柳生 2007/04/19(木) 09:14:31 ID:GUB3p2lY
実際には眼帯は付けてませんでした。
両目ともにきちんと見えていたはずです。
片目の怪我は後生の小説家が考えた創作話です。

28: 人間七七四年 2007/04/19(木) 13:38:20 ID:iqwGvUAc
いや、柳生家の家伝にも隻眼だったと書いてあるから嘘ではない
ただし時期が不詳。一般の創作イメージだと青年期にはすでに隻眼眼帯がデフォとされているが

29: リアル柳生 2007/04/19(木) 19:09:34 ID:GUB3p2lY
>>28
片目だと距離感が測れないので剣術家になれるはずがないんです。
もし本当に十兵衛が片目だったとしたら、刀を持たなくなった晩年の事だと思います。

62: 人間七七四年 2007/04/28(土) 14:05:57 ID:mdDaIhnY
>>29
隻眼の不利を克服して剣の腕に達したとか考えちゃ駄目?

155: 人間七七四年 2011/04/21(木) 00:08:36.77 ID:4mq2Lb5R
>>29
片目でも大丈夫だよ。
でも、片目を失ってから数ヶ月は遠近感がつかめない。
俺も片目の視力無くなった当時はコップにジュースも注げなかったが、すぐ慣れて球技も余裕でした。今は視力が多少回復したけど。 
102: 人間七七四年 2008/11/06(木) 21:11:45 ID:tzZlh4Iq
>>28
十兵衛隻眼説はあの時代に流行った講談の逸話だよ。片目、片腕、片足等、異形のヒーローが幕府に立ち向かい成敗するような講談が町民達の鬱積の捌け口だった。

39: 人間七七四年 2007/04/22(日) 10:39:40 ID:2vgOuhLT
十兵衛の死亡原因は落馬ってことになってるけど、俺は落馬なんかではないと思ってる。みんなはどう思う?

42: リアル柳生 2007/04/22(日) 11:27:26 ID:A6FYMn14
>>39
死因は梅毒のはずです。
十兵衛はすごい女好きだったし当時梅毒で死ぬのは珍しくなっかたと思います。

62: 人間七七四年 2007/04/28(土) 14:05:57 ID:mdDaIhnY
>>42
十兵衛は鷹狩中に横死で死因は不明となっているはず

40: バロン曽志崎 2007/04/22(日) 11:17:27 ID:ZPSe4JOD
爺ちゃんの宗厳は落馬してあやうく死ぬとこだったよね。

41: 人間七七四年 2007/04/22(日) 11:24:20 ID:Vwms6vO6
柳生家最強って言えば普通、利厳か厳包じゃないの?
個人的には何のかんの言っても実戦では開祖石舟斎が最強じゃないかとは思うのだけどね。

柳生 利厳

柳生 利厳(やぎゅう としとし/としよし、天正7年(1579年)- 慶安3年1月16日(1650年2月16日))は、江戸時代初期の剣術家。

幼児期から祖父・石舟斎のもとで剣術を学んだほか、阿多棒庵より新当流槍術・長太刀術(穴沢流薙刀術)の皆伝を授かるなど、その腕前には定評があった。はじめ肥後熊本の加藤清正に仕えたが逐電し、廻国修行を経て尾張徳川家に仕えた。尾張藩では藩主・徳川義直の師範として剣術・槍術・長刀術を相伝するなど30年にわたって兵法指南役を務め、現代まで新陰流を伝える尾張柳生家の礎を築いた。


43: 人間七七四年 2007/04/22(日) 12:21:30 ID:QC+Df9qG
石舟斎って上泉と初めて会ったときに疋田と試合してまったく相手にならなかったけどその後、実力的に疋田に追いついたの?

46: 人間七七四年 2007/04/22(日) 18:32:05 ID:jKI3+Jbc
江戸より尾張のが強かったのは確かだよな

47: 人間七七四年 2007/04/22(日) 21:26:19 ID:iNeEWmi0
>>46
創作説が強いけど、寛永御前試合で巌包が宗冬に勝ったらしいね。
確か巌包は宗冬の小指の骨折ったとか
ということで尾張>>>>江戸はガチ

62: 人間七七四年 2007/04/28(土) 14:05:57 ID:mdDaIhnY
>>47
連也と宗冬の試合は寛永ではなく慶安で、実在の出来事

63: 人間七七四年 2007/04/29(日) 01:50:13 ID:DnOeNgDs
>>62
宗冬と連也の試合は、史実と断じて良いの?
八日後にも宗冬は型を披露したともいうし、後世発生した伝説の可能性もあるんじゃないかな。

64: 62 2007/05/01(火) 06:52:43 ID:TK9/9F0h
うっかりした……徳川実紀には「二人が試合をした」という記述はないです
宗冬と利方・厳知が別々に演武をしたことは間違いないが。
試合については、伝説の可能性は大いにあると思われる

49: 人間七七四年 2007/04/23(月) 00:07:39 ID:4U98JB3K
宗冬に厳包は創作じゃない。
柳生延春氏の出てくる記事でその試合(名目は稽古だったかもしれん。家光の御前だった)で使われた小太刀が今も残ってて、その小太刀には宗冬の血の痕が残っているというのを見たことがある。

沈なる身の構えと直ぐ立ったる構えの違いで、圧倒したとのこと。
宗矩と利厳の工夫の差が大きい。

65: 人間七七四年 2007/05/04(金) 23:26:18 ID:vqznTX59
>>49がいうのと同じなのかはわからんが、津本陽氏が柳生延春氏にインタビューするという形の記事で、(自分が読んだのは剣客物の短編集でその中の一つだったと思う)試合に使われた木刀(小太刀だったかな)が残っててそれには血の痕もあるんだと。
とりあえず柳生家には事実として伝わってる模様。

それが本当に真実かは確かめようがないけど。

66: 人間七七四年 2007/05/05(土) 01:38:40 ID:W8QHDrbv
てかさ、宗冬の墓は区画整理だかの関係で一回開けたんだよね?
その木刀の血痕と、墓の中に入っていた品でDNA鑑定とか出来ないのかね?
それが出来れば、その木刀は本当に宗冬を撃ったものなのかどうかは判るのに。

まあ、事実その血痕が宗冬のものだったところで、事故説もあるわけだけど…

70: 人間七七四年 2007/07/14(土) 15:01:14 ID:9hChnY6t
江戸柳生と尾張柳生がマジで勝負するわけもなく、やったとしたら形の演武で木刀の血がマジだとしたら当てちゃった連也のミスって話も聞いたことあるが。

71: 人間七七四年 2007/07/15(日) 22:28:12 ID:7EfMB2ub
>>70
あの時期にわざわざさせる理由もないしね。
血染めの木刀が伝わってることがまず胡散臭い気もする。

54: 人間七七四年 2007/04/25(水) 01:38:00 ID:8JBBcMwq
個人的に宗冬が好きだ。
後世「あいつ運よかったから家を継げたんだぜ」とか史家に書かれてしまうあたりが好きだ。
家光の前で宗矩に打たれて失神する逸話や、厳包に負ける逸話等、噛ませ犬キャラを割り振られてしまうキャラクターが好きだ。
そのわりに、遺書で「義仙マジでキチガイ。芳徳寺の住職にはするな。文句言ってきたら監禁するか殺せ」とか書いちゃう激情家な一面もあって好きだ。

56: 人間七七四年 2007/04/25(水) 08:59:34 ID:mEPKGUtQ
>>54
俺が昔は興味が無かった片桐且元を好きになったのと似たような理由だな。

58: 人間七七四年 2007/04/26(木) 01:07:40 ID:l2gSYhDm
結局、柳生一族って千葉真一のお陰で有名になったんでしょ?

59: 人間七七四年 2007/04/26(木) 04:44:45 ID:zmhs4X+S
柳生武芸帳とか春の坂道のおかげじゃないか?

60: 人間七七四年 2007/04/27(金) 03:06:53 ID:5n1770V5
柳生=忍者の構図で有名にしたのは、五味康祐と小池一夫だろうね。

68: 人間七七四年 2007/06/19(火) 16:13:21 ID:JsgsUhup
津本陽さんの「柳生兵庫介」を読んだら良く分かるよ。それにとっても面白い。

72: 人間七七四年 2007/08/14(火) 01:56:46 ID:lBU3dI23
山岡荘八作品だと宗矩は政治にかなり関わってるな。ただ、勝海舟が柳生の偉いところは功績を残そうとしないというぐらい、よくわからない人物。
家光の死に際の扱いから、それなりに重要な人物だった、はずだが。

75: 人間七七四年 2007/09/24(月) 10:21:57 ID:kNUtWSph
司馬だったか山岡だったか南條だったか海音寺だったか忘れたけど自分の顔の骨を削って人相変えたりするヒトが昭和初期くらいまで柳生の里に居たような話が合ったね。

あと、柳生の直系って江戸じゃなく尾張だよね?

76: 人間七七四年 2007/09/24(月) 18:42:34 ID:9RXOC9ey
>>75
戸部新十郎の本の話じゃないかな
肩を自在に外したり戻したりできるような老人が結構いたとか何とか

直参だし大名だしで江戸に眼が行きがちだけど、尾張の方が嫡流だし新陰流の正統なんだよね
尾張は陪臣だし、江戸柳生を支流というのは違和感あるけど

77: 人間七七四年 2007/09/25(火) 05:10:08 ID:oL18aLIG
尾張は兵庫助が石舟斎から相伝を受けた内容通りに次代に伝えたからほぼその通りに伝わったけど(尾張独自の改良も含めて)江戸柳生は支流だからかどうか判らないけど、宗矩の代で既にかなり独自の形に変えられちゃってるよね。
目録内容も伊勢守のと違うし。十兵衛なんかもだから、独自に研究しなくちゃいけなかったんだと思う。
尾張の兵庫助に師事を仰いだ可能性も指摘されてるけど、兵庫助が同族とはいえ、直門以外の者に大事な事まで教えたとは思えないし。

79: 人間七七四年 2007/10/09(火) 18:28:55 ID:yN9UTD+T
>>77
尾張と江戸って仲悪いように書かれてるけど実際にはお互いによく出稽古をしたりする仲で交流もちゃんと取ってたらしいからその可能性もあるんじゃないかな。

94: 人間七七四年 2008/09/06(土) 07:05:24 ID:iv+bemIb
江戸柳生は途中で稲葉氏や柳沢氏から養子が入って血筋が絶えてしまうが、そういう場合養子で相続した人物も剣は使えたのかな?

96: 人間七七四年 2008/09/08(月) 21:12:32 ID:gM10eg6s
>>94
そりゃ先代が叩き込むんでしょ。
血筋だろうが養子だろうが、教え方と本人の素質とだろうし。
ちなみに養子は松平氏、真田氏、松前氏、柳沢氏、田沼氏と続いて最後の2代は、武田氏。あの武田信玄の直系。 (目が見えずに海野家を継いだ信玄の次男の子孫)

112: 人間七七四年 2009/04/21(火) 18:27:34 ID:jov0xtxm
質問です。
江戸初期の柳生では、江戸と尾張だとどちらの方が権威があったのでしょうか?
地位は確かに江戸の方が高かったかもしれないけど、実際に新陰の正統を継いだ柳生家の正統は尾張の兵庫助ですし、真の権威は尾張の方で、実は江戸の宗矩の方こそ、兵庫助の「新陰流正統」の威を借りていた、ということはないのでしょうか?
当時から、尾張の方が実力は上だと言われているわけですし、実力的にも将軍家指南役としては兵庫助の方が適役ではないかと思うのですが、何故そうならなかったのか不思議なのです。
やはり政治力の差ということなのでしょうか?

113: 人間七七四年 2009/04/22(水) 10:40:49 ID:4Zj/S6eK
>>113
とりあえずざっくりと。

・幕府に仕えて20年以上経つ宗矩と、一時期を除いてずっと浪人してた兵庫助では扱いが違って当然。
・柳生の本家は宗矩が継いでいる。家の正統は江戸の方。兵庫助の父は廃嫡されている。
・この時期、「新陰流の正統」という概念自体、存在していたかどうか不明。
・そもそも剣術自体、それほど大した扱いを受けていない。

平たく言えば、

・江戸と尾張なら、権威は圧倒的に江戸の方が上。
 宗矩が兵庫助の威を借りるというのは考えづらい。逆ならまだ有り得る

ということ。
あと、とりあえず「政治力」と言うのはやめておいた方がいいと思う。
論拠も無いのにそれを言うのは、陰謀論と大して変わらんから。

118: 人間七七四年 2009/05/31(日) 10:21:56 ID:t9lA98n9
有名な話では、タイ捨流開祖 丸目長恵(まるめながよし)が押しかけてます
この人は新陰流開祖 上泉信綱の弟子達の中でも、最強と言われていました。師が亡くなった後は、「もう俺に剣を教えられる男はいない」として、新流派を開きました
一方、柳生新陰流開祖 柳生石舟斎は同じく上泉の弟子ですが、門下の中では丸目の方が格上でした。ところが、その息子の宗矩が将軍家の剣術指南役となった事から、「俺を差し置いてふざけんな」と道場やぶりに押しかけたわけです
宗矩は、丸目を奥に通し、「先生の方がお強いのは充分承知してます。しかし、柳生の剣が敗れれば、将軍家の威信にも傷がつきます。どうでしょうか、東では柳生が、西では丸目先生が天下一と言うことにして頂けないでしょうか」
と頼みました
丸目は機嫌を直し、こころよく承諾して引き下がったそうです
さて、これはどちらの勝ちなんでしょうね・・・

119: 人間七七四年 2009/06/01(月) 11:11:02 ID:jL3SyrmI
>>118
何かと思ったら丸目蔵人と宗矩の問答か。
これって確か球磨群誌あたりに載ってるやつだっけ。

まあ、よくあるタイプの「我が流派の始祖は柳生宗矩より凄いのだ」だな。
特に根拠なく「丸目蔵人が最強」「石舟斎より格上」とか書いてるし。
(蔵人が「西国の御指南は貴殿に任せおき候」という書状を受けていて、伊勢守の高弟の一人だったのは事実だけど)

単純に考えれて、九州の小大名の陪臣の隠居が、ホイホイ三千石の直参旗本に会えると思ってんのか?
宗矩からすればツラも見たことない爺だから普通に門前払いして終了だろ。

120: 人間七七四年 2009/06/08(月) 00:06:37 ID:zJfjI/2t
柳生の高弟で薩摩の東郷重位に負けて亡くなった二人ってどの程度の剣士だったの?

122: 人間七七四年 2009/06/09(火) 10:22:57 ID:NddrH5NV
>>120
元和の頃、柳生新陰流の高弟である旗本の福町七郎右衛門と寺田小助が島津藩江戸屋敷で重位と仕合って敗れて重位の門人になった。でも寺田は翌日死亡…っていう話のこと?
とりあえず、示現流の逸話にしか出てこない「柳生の高弟」だから、実力の程は不明としか言いようがないかなあ。

そもそも、この2人が実在したかどうか、こんな試合が実際にあったかどうか自体不明瞭だし。
「旗本」って書いてあるから、徳川実紀か寛政重修諸家譜でも探れば実在したかどうかわかると思うけど。大名の陪臣が直参旗本を殺しておいて、記録が一切残ってない、なんてことは考えづらいしね。

127: 人間七七四年 2009/10/19(月) 21:24:46 ID:N0Lrj1hT
質問。
裏柳生って実在したの?

128: 人間七七四年 2009/10/20(火) 02:10:28 ID:X3SvKpqu
いわゆる「裏柳生」という単語はドラマの産物。
確か子連れ狼が初出だったはず。

そうではなく、江戸柳生家の家臣や門弟たちが、惣目付但馬守宗矩の手足耳目となって諸大名を監視していた、という説を指すのであれば信憑性は微妙。
少なくとも史料上で立証できるというものではない。
基本的に講談話の類。

129: 人間七七四年 2009/10/21(水) 10:36:34 ID:EonE6pIT
惣目付も宗矩だけじゃなくて、他に3人も同時に就任してるからな。
役職を元に特別視するのは難しいんじゃないか?

130: 人間七七四年 2009/10/24(土) 20:41:06 ID:fB74L59U
裏柳生という設定は秀逸だけど、忍び頭巾を剥いだら柳生の道場で見た顔、とかやっぱり忍びとしてはムチャだよなw

135: 人間七七四年 2009/11/27(金) 18:49:03 ID:Mmq2d7rX
師弟の縁で各大名家に仕官した連中に話を聞くくらいならありそうだが明確に隠密目的でやっていたかというと疑問だな。
宗矩の大目付在任期間自体、かなり短いし・・・。

136: 人間七七四年 2009/11/30(月) 13:21:43 ID:GG2GY7tc
兵庫助の話

加藤清正が客分として彼を迎えたいと石舟斎に願った時、
「兵庫助は気が短いから必ず揉め事を起こすでしょう。どうしてもといわれるなら、3度までは許していただきたい。」
と条件を出した。

石舟斎の危惧はあたった。
清正の領内で一揆が起こった時である。
伊藤光兼が鎮圧に向かったが一向に成果があがらない。
清正は兵庫助に「全権を与えるから鎮圧してまいれ」と命じた。
兵庫助は伊藤に「本陣へ突っ込み鎮圧を」と提案したが、伊藤は新参者の言葉に耳をかさなかった。
兵庫助は即座に伊藤を切り捨て、一揆の本陣に攻撃をかけ鎮圧してしまった。

清正は石舟斎との約束どおり罪を問わなかった。
兵庫助は加藤家を辞して10年間修行の旅を続け、尾張徳川家に500石で兵法指南として召抱えられる。

137: 人間七七四年 2009/11/30(月) 16:53:48 ID:Psvtb3+d
兵庫助って九州行ってた時、疋田や丸目と接触無かったのかな?

139: 人間七七四年 2010/02/10(水) 00:48:55 ID:qpoKfo8n
あってもおかしくはないだろ。
記録がないからなんとも言えないけど。

150: 人間七七四年 2010/09/02(木) 07:15:35 ID:tNJSj03w
島左近の孫で柳生の血が流れてる連也ってすごくない?

151: 人間七七四年 2010/09/03(金) 17:33:09 ID:OK0XLBYD
連也斎は柳生一族のリーサルウェポン
って言うとどこぞ愚地克巳のになるかもしれないので言いませんよ

159: 人間七七四年 2011/12/30(金) 06:32:26.03 ID:s0uV/cS1
柳生は、もともとは槍の達人だった。

160: 人間七七四年 2011/12/30(金) 14:55:45.62 ID:m2UmfssA
槍の前に弓術だね。柳生の別表記に「楊弓」があり、宗厳の四・五代前の家宗・光家親子が弓矢の名人だった。

162: 人間七七四年 2011/12/31(土) 16:43:33.35 ID:zuozaAxa
宗厳の槍術は、宝蔵院に伝わっている。

172: 人間七七四年 2013/04/08(月) 13:10:58.55 ID:+d+BSVLn
宝蔵院さんとは仲いいの?

173: 人間七七四年 2013/04/09(火) 12:29:12.48 ID:i3ZZclb8
住んでる場所も近いし、胤栄が宝蔵院流を創始する時、石舟斎も協力したって言うから結構仲は良かったんじゃないかな。

167: 人間七七四年 2013/02/13(水) 23:53:53.71 ID:MTwiqK3f
上泉信綱をグーグル検索したら残念な結果だった

170: 人間七七四年 2013/03/07(木) 02:29:07.47 ID:vq+YJGUN
>>167
石舟斎が憤死するレベル

168: 人間七七四年 2013/02/25(月) 10:21:50.72 ID:L5f5F2CF
それ言ったら十兵衛の方が画像検索したら更にひどい状態に。
どうしてこうなった。

171: 人間七七四年 2013/03/08(金) 14:20:51.32 ID:uby1OWGB
関羽に比べればたいしたこと無い

引用元: ■熱く語ろうや柳生一族 ■





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