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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/09(火) 11:57:09 ID:O4b7cx8H0
その歴史において、中国から独立していた期間も長い雲南の歴史。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/09(火) 12:00:31 ID:O4b7cx8H0
南詔って、最盛期には四川の成都を占領して、インドシナ半島のかなりの部分も制圧しているんだよね。

南詔

南詔(なんしょう)は、8世紀半ば、中国西南部、雲南地方の洱海地区に勃興したチベット・ビルマ語族の王国。最盛期には四川や東南アジアにまで勢力を拡大した

9 世紀以降、唐と吐蕃が国力を衰退させると、南詔は唐との同盟を翻し、829年に勧豊祐(中国語版、ベトナム語版)は長駆して成都を襲った。成都占領は成功 し、南詔軍は略奪の限りを尽くして引き上げた。その後、南詔軍は矛先を南に転じて、東南アジアのビルマ、タイ、ラオス、カンボジアなどを攻め、海の見える ところにまで達したという。また、ビルマのピューの人々も南詔軍に襲われ、雲南地方に移住させられたという。

859年、時の南詔王世隆はついに皇帝を自称し、国号を大礼国と名乗った。翌年、南詔軍は中国領ベトナムを攻め、交州(ハノイ)の安南都護府を攻略、おりしも唐は黄巣の乱によってなすすべもなかった。

し かし897年に隆舜も近臣に殺され、その子・舜化貞が即位すると、権臣が専横を極め、王室の権力は形骸化する。さらに902年、舜化貞が死去すると、漢人 の権臣・鄭買嗣は舜化貞の子を殺害して宮廷クーデターを発動し、南詔蒙氏王室800人を殺害し、ここに10代164年続いた南詔は滅亡した。


3: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/09(火) 14:22:10 ID:YvVnMLzZ0
山岳地帯だし、今でもいろんな民族が混住している地域だから、統治はかなり複雑だっただろうね。
地味に重要な交易路に当たっているし。

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/09(火) 15:54:52 ID:JzpYspNA0
大理と言えば段氏
段氏と言えば段正淳


1280px-南宋疆域图(简)


大理国

大理国(だいりこく)は、937年に白蛮(チベット系のペー族)出身の段思平が南詔(およびその後継国家の大長和、大天興、大義寧)にかわって樹立した国家。現在の雲南地方を主たる領域として統治していた。集権的ではなく、君主権はそれ程強くなかったと考えられている。

1253年にモンゴル帝国の雲南・大理遠征を受けると、翌年大理はモンゴル帝国に降伏。クビライがモンゴル帝国第5代皇帝となると、その地はクビライの庶子・フゲチに与えられ、雲南王国となった(のち梁王国と改称)。大理の旧主の段一族はフゲチとその子孫に仕え、子女を梁王家に嫁がせて、この地における支配階級の一員としての地位を保ち続けた。

1390年に明がこの梁王国を滅ぼした際、段一族は梁王家を裏切って明に取り入り大理国の復活を目論んだが、その領内にあった当時東アジアでも有数の銀山に目をつけていた洪武帝は段氏による王国復活を認めず、この地は中国に併合され、南詔以来の独立国家の歴史はここに終った。



6: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/09(火) 23:16:54 ID:diUSvlkd0
こういう雲南国家の軍事力の主体は歩兵になるのかな?
遊牧民系の国家だと、当然騎馬部隊が主力だけど、地勢が険しいところでは、騎兵は威力を発揮できないし。

南詔は唐ともかなり派手にやり合ったから、相当な軍事力はあったはずなんだけど。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/04(日) 04:19:00 ID:DWsYBpaK0
>>6
ネパールのグルカ兵とかスイスとか山岳地帯の軍人は屈強で強力らしいよ。
言われてみたら日本でも山岳地帯の大名は軍隊強いの多かったし。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/05(月) 16:36:25 ID:Sa0cnXZ70
>>19
ビルマ戦線で日本軍を徹底的に打ち破って追い出したのは傭兵部隊グルカ兵だったらしい。
グルカ兵は伝説が結構あるね。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/10(水) 21:55:13 ID:6QZRHWyi0
今でも少数民族のイー族とかはかなり好戦的らしいから、そういう部族が中心になったと思う。
雲南だから、象部隊なんてのもあったかも。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/11(木) 22:38:47 ID:f4Kd8aWB0
金、銀も豊富に産出したっていうし、メコン川、イラワジ川を利用した交易もさかんだったっていうし、結構おいしい土地かもな(現代は別にして)

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/11(木) 22:46:06 ID:27Qu+lRR0
中国の歴代王朝も土官や土司を置いていた地域だから、たくさんの部族をまとめ上げるには、王の資質が要求されたんじゃないかな
ちょうど遊牧民の帝国みたいに

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/13(土) 23:56:28 ID:6gd5zS2Q0
南詔時代は荒々しさが残っていたけど、大理時代はかなり落ち着いた感じ?
単に中原政権への姿勢から来るイメージに過ぎないか

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/16(火) 23:49:25 ID:hIQykCx/0
雲南って交通路はどう整備されていたんだろう。

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/17(水) 07:32:22 ID:QQje4r400
インドやチベットへの交易路が発達していたね。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/18(木) 10:41:57 ID:raHzifxd0
雲南は内陸でも塩を自給できるところが、かなりの強みだろう。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/19(金) 12:10:11 ID:nRRwybXw0
赤塩って、中原へは売れたんだろうか?

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/26(金) 16:25:20 ID:njDIJ8rY0
>>14
赤い塩は今でも売られているよ。

17: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/10/30(火) 22:55:32 ID:ODsL07ig0
雲南にイスラム教が入ってきたのっていつ頃?
大理は仏教国だし、モンゴル人に支配されて以降?

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/03(土) 23:54:53 ID:CV3L1OJz0
雲南省はかつてはイスラム教徒が多かったのに、清代に虐殺されて今はほとんどいないね。

22: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/13(火) 23:33:39 ID:vo18AWI10
唐とか、宋は本気で雲南を征服しようとは思わなかったのかな

23: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/15(木) 12:29:04 ID:DCog3M2q0
>>22
強くて征服したくても出来なかった、という考えも出来るな。
征服するには少数だし然程裕福な土地でもないし、メリット少ない、みたいな。
実際、唐はともかく、宋ごときじゃ無理だっただろうし。

65: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/03/02(土) 20:51:42.86 ID:PxCFYPn+0
>>22
宋は後蜀を滅ぼした後に雲南侵攻も検討したけど、結局大理が手強いのに匙を投げ
趙匡胤が斧で地図の大渡河のところを両断して「こっから先は手を出す必要なし」と決めた。

24: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/15(木) 15:10:57 ID:BldaNEYW0
感覚的にはどうなんだろう?

中国の一部だからどうにかして領土に編入した方がいいと思うのか、しょせんはよその国みたいな意識なのか

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/11/16(金) 22:04:39 ID:E4pt7Vcw0
唐より前の時代で、はっきりと中国と認識されていたのは、四川までだろうな。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/01(土) 00:21:17 ID:rsWtQRYd0
雲南、嶺南、遼東、河西はオマケみたいなもんだよな。
唐は雲南がなかったし宋は遼東、河西、嶺南がなかった。
明が漢の旧領を覆ったのは一時だけ。
それを考えるとやっぱ武帝はすげーと思う。
だが対匈奴戦線以外の指揮官は名前すら知らん俺

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/08(土) 23:31:52 ID:wF/75gtC0
漢代は、中原以外の地域の領土は、実質的には点と線で繋いだような感じ。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/12/25(火) 01:06:19 ID:LahAvWHQ0
>>29
辺境部はそうだけど、中原一帯はちゃんと面で押さえられたと思う。
四川盆地も成都の周辺に関しては。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/10(木) 09:52:28 ID:RiU72uz70
南詔は成都を占領したこともあったんだね。

32: ○△資格 投稿日:2008/01/11(金) 01:03:33 ID:1Uac1QgK0
南詔かぁ。
三塔のすばらしさは特別ですね。

そういえば、日本でも広まっている「獅子舞」は南詔が発祥と聞いたことがあります。

Threepagodas


崇聖寺三塔

崇聖寺三塔(すうせいじ さんとう)は、中国の雲南省大理市の郊外にある、正三角形をなすように並べられた三つの仏塔の総称。9世紀から10世紀の南詔・大理国時代に造られた。
言い伝えによれば、大理は人間が住むようになる前は竜の棲む沢であった。竜が自然災害を起こして人間を排除しようとするので、三塔は竜を鎮めるために建てられた。



33: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/11(金) 09:01:40 ID:2M5GR5c90
楊国忠は、安禄山の軍功に対抗して、南詔を討伐しようとするも大失敗。

楊国忠

ようこくちゅう(?―756)
中国、唐の玄宗朝の宰相。楊氏の一員で、則天武后の寵臣、張易は舅。楊貴妃は従祖妹にあたる。

無学のならず者で軍人となったが、楊貴妃が玄宗の寵を受けると親戚として登用され、監察御史となり、楊貴妃に帝の意向を探らせ宮中の情報を握って勢力を得、宰相李林甫と結び出世を図った。計算に明るく度支郎中となって財政手腕を発揮、玄宗から国忠の名を賜った。

751年南詔遠征に7万の軍を率いて失敗したが報告せず、李林甫が死ぬと後任として宰相に任ぜられ(752)、権勢独占を図って安禄山と対立、安史の乱を誘発した。禄山の軍が長安に迫ると都を捨てて四川に逃亡しようとし、途中、馬嵬駅で楊貴妃とともに兵士らに殺された。


34: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/13(日) 23:50:13 ID:yc4xHod70
楊国忠の時の南詔討伐戦は、戦いに負けたと言うよりは、疫病で死者が続出したみたい。
こういう、南方へ行って疫病で死ぬってパターンが、中国史には多いけど、この疫病って、マラリアかな?

43: 名無しさん 投稿日:2008/06/05(木) 21:13:09 ID:vhlZXmdc0
>>34
>こういう、南方へ行って疫病で死ぬってパターンが、中国史には多いけど、この疫病って、マラリアかな?

マラリアかどうか知らんけど、もともとモンゴル人や中国人のように寒冷地出身や乾燥地帯出身の民族は体を清潔にするとか食器や衣服を清潔にするという概念がない民族が多い。なぜなら寒冷地や乾燥地帯では別に清潔にしなくてもバイ菌は繁殖しないからだ。
そういう民族が熱帯地方のような不潔にするとたちまちバイ菌が繁殖するような土地に行くと病気にかかりやすい。ましてや軍隊は戦争をしに行くので服は着たきり寝るのは野営、しかも集団生活、たちまち病気が蔓延しやすい・・・・・・・・・・と思う・・・・・・・たぶん

36: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/01/17(木) 23:56:48 ID:KgGVOBcq0
感染症より、栄養状態の悪化とか、そんなのじゃないか?

37: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/03/05(水) 07:53:41 ID:vW5yzC4q0
大理は景色が絶勝だよなあ。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/19(月) 19:04:56 ID:xGb1Wxj9O
大理やばすぎ、、

そのかわり麗江がクソスギ

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/20(火) 23:25:49 ID:oq5JusQe0
大理と麗江はセットと考えるがよろし

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/05/25(日) 22:45:30 ID:bQ9zeEcgO
全然違う歴史て文化と民族の街じゃんww

47: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/10(火) 23:21:39 ID:Hv6f7YB80
最近、陸上の選手で雲南に合宿している人の話をよく聞くな。
いろいろとトレーニングの条件が揃っているのかな。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/06/11(水) 16:29:38 ID:+xptw12+O
いや中国では雲南は憧れのリゾート地みたいな感覚、日本でいうと沖縄。
だからがんばれば行けるっていうモチベーションアップの餌にもなってたり

しないかな

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/19(土) 23:26:33 ID:0Z9i21KM0
>>48
雲南に比べると、隣の貴州は似たような位置にありながら、あまり観光名所とかも少ない感じだね。


53: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/08/14(木) 13:30:07 ID:MzBDRRcH0
>>50
貴州 = 劣化雲南

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/10/18(火) 02:45:40.14 ID:qc28pbjD0
シルクロードの一都市ではなかったんですかね

60: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/11/05(土) 21:07:08.99 ID:vNAICgnN0
シルクロードは一本じゃないけどね。

面白いのはモンゴル系の人たちも歴史的経緯があって住んでいること。

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/11/12(土) 11:12:36.34 ID:vrR0NCfI0
大理あたりは南のシルクロードが通っていたらしいです

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/03/01(金) 02:42:38.96 ID:4WlJOmZq0
もっと気候は熱帯なのかと思ってたら高地だからそれほど温暖でもないのか

67: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/05/21(火) 21:28:38.57 ID:GyQAZ9DX0
昆明って糞寒いじゃん・・・
昔は日本人バックパッカーの楽園だったらしいけど・・・

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2013/10/18(金) 18:50:15.54 ID:xlzP0uWU0
大理とかもバッパーが集まって日本人宿でパーティ三昧だったらしいねw
73: 名無しさん@お腹いっぱい。 2015/08/24(月) 02:56:57.55 ID:vCbuKFCE0
姫姓出ではない楊氏が多い地域
祀るのも楊氏の西王母
崑崙文化

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2020/02/05(水) 11:30:01.37 ID:XEf+xbMM0
「大理」ってもともと「理国」で、それに美称で「大」をつけたのか
それとも最初から「大理」2文字で一つの地名だったの?


引用元: ・【大理】雲南の歴史【南詔】