
1: 藤
結構日本には多いらしい、瀬戸内海の水軍の末裔の一人です。
有名ところでは村上水軍なんかが有名ですね。
他に末裔としては、Canonの御手洗社長や、雅子様などなど。
水軍=海賊ですが何か?
有名ところでは村上水軍なんかが有名ですね。
他に末裔としては、Canonの御手洗社長や、雅子様などなど。
水軍=海賊ですが何か?
18: 日本@名無史さん
瀬戸内の海賊、水軍は世界レベルでみれは弱小海賊である。
信長の大船導入後完全に負けている。小さな島など順次大船で取り囲んで皆殺しにするのが信長の考えである。
実行していたら水軍はいなかっただろう。
信長の大船導入後完全に負けている。小さな島など順次大船で取り囲んで皆殺しにするのが信長の考えである。
実行していたら水軍はいなかっただろう。
19: 日本@名無史さん
風が弱く、潮の流れが複雑な瀬戸内で、大型帆船を走らせても、島影から現れた行き成り現れた小早に、乗りこまれるか、焼き討ちにされるかだよ。
21: 日本@名無史さん
一向宗、堺商人、切支丹・・・
家康時代までには、みんな制圧されたわけだが、水軍勢はどうなったのかな?
家康時代までには、みんな制圧されたわけだが、水軍勢はどうなったのかな?
22: 日本@名無史さん
海賊禁止令→あちこちへ転封→海賊としての歴史は終了
諸大名の水軍衆として残った者もいれば、完全に海を捨てた者もいる。
諸大名の水軍衆として残った者もいれば、完全に海を捨てた者もいる。
25: 日本@名無史さん
>>22
塩飽水軍は、幕末まで自治権を保持していたはず。
塩飽水軍は、幕末まで自治権を保持していたはず。
塩飽諸島(しわくしょとう)は、瀬戸内海に浮かぶ諸島。戦国時代には塩飽水軍と呼ばれ、勢力を持っていたと考えられている。
織田信長は天正5年(1577年)に堺へと入港する塩飽船に対し他国船は航路を譲る事を命じ、豊臣秀吉は天正14年(1588年)の九州征伐に際して兵を運ぶ船を出させ、天正18年(1590年)には船方650人を御用船方(ごようふなかた)とし、本島、広島、与島、櫃石島、手島、高見島、牛島の塩飽七島1250石を与える。
徳川家康も関ヶ原の戦い直後の慶長5年(1600年)9月28日に、大坂城西の丸で秀吉と同様に船方に塩飽七島を安堵し、塩飽諸島は自治領として江戸時代を過ごす事となる。
織田信長は天正5年(1577年)に堺へと入港する塩飽船に対し他国船は航路を譲る事を命じ、豊臣秀吉は天正14年(1588年)の九州征伐に際して兵を運ぶ船を出させ、天正18年(1590年)には船方650人を御用船方(ごようふなかた)とし、本島、広島、与島、櫃石島、手島、高見島、牛島の塩飽七島1250石を与える。
徳川家康も関ヶ原の戦い直後の慶長5年(1600年)9月28日に、大坂城西の丸で秀吉と同様に船方に塩飽七島を安堵し、塩飽諸島は自治領として江戸時代を過ごす事となる。
26: 日本@名無史さん
>>25
海賊衆というよりも「地元住民が船を持ってるだけ」と思われたんだね
海賊衆というよりも「地元住民が船を持ってるだけ」と思われたんだね
27: 日本@名無史さん
塩飽水軍は、江戸幕政下も船方衆による半自治組織(塩飽勤番)や周辺海域に対する入漁料(網運上銀)の徴収権を保持していたので他の水軍とは扱いが違いますね。まあ、「海賊」とは絶対に言えないけど。
31: 日本@名無史さん
>>27
江戸中期以降には少なくとも海上輸送上の特権はなくなっていたはず。
江戸中期以降には少なくとも海上輸送上の特権はなくなっていたはず。
35: 日本@名無史さん
瀬戸内水軍というと
嵯峨源氏渡辺党の水軍
伊予国大三島の越智氏の伊予水軍(藤原純友の乱の鎮圧に活躍)
伊予水軍の一派の河野水軍(元寇の時、北九州の水軍の嵯峨源氏松浦党を支援)
河野水軍の一派の村上水軍(戦国時代の水軍)
嵯峨源氏渡辺党の水軍
伊予国大三島の越智氏の伊予水軍(藤原純友の乱の鎮圧に活躍)
伊予水軍の一派の河野水軍(元寇の時、北九州の水軍の嵯峨源氏松浦党を支援)
河野水軍の一派の村上水軍(戦国時代の水軍)
38: 鄙武者
瀬戸内の水軍って比較的早く火砲(もののけ姫の石火矢みたいなの)を使ってたそうだけど正確にはいつごろから用いていたのか知ってる方教えてください。
43: 日本@名無史さん
元寇の後で火薬による漁をしていた期が残っていますよ。
結局、水軍はいかに船を沈めるかを研究したんですようね。
結局、水軍はいかに船を沈めるかを研究したんですようね。
44: 日本@名無史さん
瀬戸内や安東は有名すぎるので太平洋側の水軍について語れ
46: 日本@名無史さん
里見水軍とか?
あと、今川水軍もあるな。
なぜか摂津出身の伊丹氏が首領の。
あと、今川水軍もあるな。
なぜか摂津出身の伊丹氏が首領の。
47: 日本@名無史さん
熊野水軍和歌山南部も昔は日本の大動脈
59: 日本@名無史さん
内海で活躍した水軍は自前で大規模な船団を組まず、航路を掌握し専ら水先案内で通行料を取るだけの存在。
60: 日本@名無史さん
戦国時代には瀬戸内水軍は外海に出て世界の大明国を恐怖させました。
西国武士の鏡です。
よく源平時代を例に坂東武者を賛美してるけど戦国時代に海外で大活躍したり幕末にはたった一藩で世界帝国とわたりあったりとじつは西国武士のがすごかったりする。
西国武士の鏡です。
よく源平時代を例に坂東武者を賛美してるけど戦国時代に海外で大活躍したり幕末にはたった一藩で世界帝国とわたりあったりとじつは西国武士のがすごかったりする。
51: 日本@名無史さん
ぜーんぜん関係ないが、このまえ田舎に帰ったとき暇でしまなみ海道をドライブしてたら日本初の水城というのをたまたま発見した(多分、大三島に隣接してた思う)。
水軍が根城にしてたと説明版(錆びてぼろぼろ)に書いてあり、また一年に一度くらい歩いて島に行けると書いてあったのだが、見たことある人います?
水軍が根城にしてたと説明版(錆びてぼろぼろ)に書いてあり、また一年に一度くらい歩いて島に行けると書いてあったのだが、見たことある人います?
52: 日本@名無史さん
>>51
甘崎城のことかな?
甘崎城のことかな?
57: 日本@名無史さん
>>52
名前は忘れた。説明板には江戸時代に瀬戸内海を航行していたドイツ人が、この城を見て感嘆したと書いてあった。もし歩いて行けるなら、一度行って見たいなあ、と。
でも、なんであの島を、唐の水軍を防ぐための城にしたんだろ?あそこがそんなに要衝?
名前は忘れた。説明板には江戸時代に瀬戸内海を航行していたドイツ人が、この城を見て感嘆したと書いてあった。もし歩いて行けるなら、一度行って見たいなあ、と。
でも、なんであの島を、唐の水軍を防ぐための城にしたんだろ?あそこがそんなに要衝?
58: 日本@名無史さん
>>57
甘崎城なら白村江に敗れたあと、唐の追撃に備えて作られたものらしい。
対馬から下関、瀬戸内海を通って大阪に続くルートにいくつか作られた城の1つで、甘崎城だけで防ごうとしたわけではないよ。
年に1度だけ歩いて渡れる、か・・。行ってみたいな。
甘崎城なら白村江に敗れたあと、唐の追撃に備えて作られたものらしい。
対馬から下関、瀬戸内海を通って大阪に続くルートにいくつか作られた城の1つで、甘崎城だけで防ごうとしたわけではないよ。
年に1度だけ歩いて渡れる、か・・。行ってみたいな。
62: 日本@名無史さん
村上水軍は皇室
特に後鳥羽院なんかともつながりがあったらしい。
特に後鳥羽院なんかともつながりがあったらしい。
村上水軍は、日本中世の瀬戸内海で活動した水軍(海賊衆)である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした中国地方と四国地方の間の海域であり、その後大まかに能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家へ分かれた。
これら三つの村上家の起源ははっきりしないが、もともとは一つの家であったという。その起源として最も有力とされるのが、『尊卑分脈』に記された、河内源氏の庶流信濃村上氏を起源とする説である。平安時代末期に活躍した村上為国の弟・村上定国が保元の乱後に淡路島を経由して塩飽諸島に居を構え、平治の乱後の永暦元年(1160年)に越智大島に居を移し、伊予村上氏の祖となったとされる。
また能島村上氏の系図では、自らの出自を村上天皇の皇子具平親王の子源師房を祖とする村上源氏としている。因島村上氏にも同様の起源を主張する系図が残されている。また信濃村上氏に残る系図には、源頼信の次男源頼清が村上天皇の皇子為平親王の子源憲定(村上憲定)の娘婿として村上姓を名乗ったとする、よく似た説が伝わっている。
これら三つの村上家の起源ははっきりしないが、もともとは一つの家であったという。その起源として最も有力とされるのが、『尊卑分脈』に記された、河内源氏の庶流信濃村上氏を起源とする説である。平安時代末期に活躍した村上為国の弟・村上定国が保元の乱後に淡路島を経由して塩飽諸島に居を構え、平治の乱後の永暦元年(1160年)に越智大島に居を移し、伊予村上氏の祖となったとされる。
また能島村上氏の系図では、自らの出自を村上天皇の皇子具平親王の子源師房を祖とする村上源氏としている。因島村上氏にも同様の起源を主張する系図が残されている。また信濃村上氏に残る系図には、源頼信の次男源頼清が村上天皇の皇子為平親王の子源憲定(村上憲定)の娘婿として村上姓を名乗ったとする、よく似た説が伝わっている。
64: 日本@名無史さん
瀬戸内水軍は伊予の大三島が本拠地で、伊予親王・藤原為世の越智氏が宗家。
伊予橘氏も河野氏も村上氏もその子孫、あるいは子孫と自称。
伊予橘氏も河野氏も村上氏もその子孫、あるいは子孫と自称。
79: 日本@名無しさん
村上水軍と皇室とつながりがある文書が存在すること自体がヘン。
それって傀儡子とか卑賤視された人たちが「自分たちは〇〇親王の末裔である」とかの偽文書を作るのと同じだろ。
それって傀儡子とか卑賤視された人たちが「自分たちは〇〇親王の末裔である」とかの偽文書を作るのと同じだろ。
81: 日本@名無史さん
皇室と西国水軍は古来より深いつながりがありますが
82: 日本@名無史さん
熊野水軍なんか神武天皇以来のつながりだし。
92: 日本@名無史さん
水軍のルーツは、
一つは、嵯峨源氏の渡辺氏。滝口武者の一族として水軍を掌る。分派が松浦党。
もう一つは、伊予の越智氏。その流れを汲む伊予橘氏、河野氏、村上氏など。
一つは、嵯峨源氏の渡辺氏。滝口武者の一族として水軍を掌る。分派が松浦党。
もう一つは、伊予の越智氏。その流れを汲む伊予橘氏、河野氏、村上氏など。
115: 日本@名無史さん
三好長慶の弟の安宅冬康は淡路水軍を牛耳ってたとか。
琵琶湖の湖賊、堅田衆は戦争とかした事あるの。
琵琶湖の湖賊、堅田衆は戦争とかした事あるの。
141: 日本@名無史さん
>>115
湖族衆は新田義貞に味方して第一次、第二次の京都攻防戦に参加している。また元亀天正の乱には織田信長に味方して堅田本福寺の近江一向一揆や浅井朝倉などを相手に戦っている。
援軍に来た坂井政尚が討ち死にしている。
湖族衆は新田義貞に味方して第一次、第二次の京都攻防戦に参加している。また元亀天正の乱には織田信長に味方して堅田本福寺の近江一向一揆や浅井朝倉などを相手に戦っている。
援軍に来た坂井政尚が討ち死にしている。
125: 日本@名無史さん
斬鬼って漫画雑誌に伊豆下田の北条水軍の話が載ってたね。
あんな群雄割拠の時代に土佐から伊豆にやって来る人間がいたのか。
あんな群雄割拠の時代に土佐から伊豆にやって来る人間がいたのか。
126: 日本@名無史さん
洋上を移動すれば直行できます
129: 125
いや、土佐から伊豆まで来る事は技術的には可能だという事は解るけどさ、現に小田原攻めの時に長宗我部の水軍が関東まで来てるんだし、オレがいいたいのはあの時代に何の為に土佐からわざわざ伊豆まで来たのか、つう事。
元親が美濃の斉藤家と婚姻を結んだ事ですら常識外れの遠距離外交なのでまさか領主同士で付き合いがあった訳じゃないだろ。
ならば民間の交易船なのか、となるんだがあの時代の関東に遠隔地からも求められる他の土地では調達できない産物があったとは思えないんだが。
元親が美濃の斉藤家と婚姻を結んだ事ですら常識外れの遠距離外交なのでまさか領主同士で付き合いがあった訳じゃないだろ。
ならば民間の交易船なのか、となるんだがあの時代の関東に遠隔地からも求められる他の土地では調達できない産物があったとは思えないんだが。
172: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/08(日) 00:02:17
ロマンがあってよいのだが、オススメの入門史書などあったら教えて欲しい。
174: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/09(月) 20:39:59
>>172
海賊にロマンを求めるのはかなり勘違いな予感。
少し大きな百科事典で「海賊」の項を見るよろし。
世界の海賊と比較してみて。
海賊にロマンを求めるのはかなり勘違いな予感。
少し大きな百科事典で「海賊」の項を見るよろし。
世界の海賊と比較してみて。
173: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/09(月) 03:04:59
沖浦和光『瀬戸内の民俗誌』岩波書店
宇田川武久『瀬戸内水軍』教育社
山内譲『瀬戸内の海賊』講談社
宇田川武久『瀬戸内水軍』教育社
山内譲『瀬戸内の海賊』講談社
176: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/09(月) 23:21:00
でも、戦国の水軍の活躍は日本国内だけであって、明や朝鮮の水軍には蹴散らされたんだよね。
それを知ってからさめてしまった。
それを知ってからさめてしまった。
177: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/09(月) 23:38:26
ま、所詮島夷の海賊だから。
天朝の官軍には勝てんよ。
天朝の官軍には勝てんよ。
178: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/10(火) 00:32:10
本当の武士達は例え船に戦闘員としてのることとなっても操船には関わらない
何故なら水軍なぞ漁師でもないのに出来るかと水軍を下賤扱いしていたからなんだよな
日本は帆船が発達しなかったため、櫓による移動も多かった
戦国時代、西欧諸国から来た宣教師や交易商人達は奴隷でもなさそうなのに元気な掛け声とともに櫓を漕ぐあなた達の先祖にびっくりしたんだとさ
何故なら水軍なぞ漁師でもないのに出来るかと水軍を下賤扱いしていたからなんだよな
日本は帆船が発達しなかったため、櫓による移動も多かった
戦国時代、西欧諸国から来た宣教師や交易商人達は奴隷でもなさそうなのに元気な掛け声とともに櫓を漕ぐあなた達の先祖にびっくりしたんだとさ
180: 175 投稿日:2005/05/12(木) 23:13:04
沖浦和光『瀬戸内の民俗誌』岩波新書
読んだが、被差別漁民などのこともきちんと書いてあって面白かったよ。
他の本も読んでみるわ。
読んだが、被差別漁民などのこともきちんと書いてあって面白かったよ。
他の本も読んでみるわ。
182: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/15(日) 22:42:54
>>180
宇田川武久は『瀬戸内水軍』よりも、平凡社の『戦国水軍の興亡』のほうが、手に入りやすいし、面白い。
宇田川武久は『瀬戸内水軍』よりも、平凡社の『戦国水軍の興亡』のほうが、手に入りやすいし、面白い。
189: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/23(木) 06:56:02
村上源氏の村上水軍が最強
190: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/08(金) 23:50:20
三島水軍の鶴姫伝説が有名だね。
実在したと言われているが、伝説そのものは定かじゃないという。
三島と村上は同盟していたんだろ?
実在したと言われているが、伝説そのものは定かじゃないという。
三島と村上は同盟していたんだろ?
192: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/20(水) 21:22:32
九鬼嘉隆が自分のご先祖さんという事実が判明したんだが、喜んでいいのやら。
195: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/16(火) 22:48:34
>>192
毛利・村上水軍を撃破して、李舜臣提督にも負けなかった中世最強の船乗り。
大いに自慢してよいと思う。
毛利・村上水軍を撃破して、李舜臣提督にも負けなかった中世最強の船乗り。
大いに自慢してよいと思う。
196: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/16(火) 22:55:59
李舜臣が果たして名将なのかは疑問だが九鬼の子孫羨ましい
199: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/17(水) 22:13:53
村上水軍は藤原純友の子孫を名乗ってるんだっけ?
200: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/18(木) 22:49:16
九鬼水軍は熊野別当の子孫を名乗っている。
206: 日本@名無史さん 投稿日:2005/11/11(金) 20:43:36
水軍については、なんか美化してる人って結構いてるけど、なんで?
どう言い繕っても、結局のところ、海のヤクザじゃないか。
やっぱり、水軍は海運の人を守ってくれていた、というところにあるのかね?
でもそれって、水軍どもがおらんかったら、もともと支払う必要のないものだし。
どう言い繕っても、結局のところ、海のヤクザじゃないか。
やっぱり、水軍は海運の人を守ってくれていた、というところにあるのかね?
でもそれって、水軍どもがおらんかったら、もともと支払う必要のないものだし。
208: 日本@名無史さん 投稿日:2005/11/22(火) 00:42:36
関所と同じ
211: 日本@名無史さん 投稿日:2005/12/01(木) 09:51:44
>>206
>>208に同意。関所と同じだね。それが公共がやってるか民間がやってるのかの違い。
固定資産税だって見方変えたらショバ代だ。
国がサービス提供するのに大してヤクザは取るだけというのはあるが、今の常識と昔の常識を
見比べて、良い事悪い事、と論ずるのは詮無いこと。
公共に該当したであろう御上、藩の公共サービスが末端まで行き届いていたわきゃないし
(といっても洗練された公共サービスが存在したのは確か)
夜警国家として意味も満足にあったのかも疑問。そんな中で水軍だけを貶すのもね。
でも言いたい事も分かる。ロマンに引きずられて英雄視することは無いかもな。
水軍が民間になにかバックしていたとも考え難いしな。
>>208に同意。関所と同じだね。それが公共がやってるか民間がやってるのかの違い。
固定資産税だって見方変えたらショバ代だ。
国がサービス提供するのに大してヤクザは取るだけというのはあるが、今の常識と昔の常識を
見比べて、良い事悪い事、と論ずるのは詮無いこと。
公共に該当したであろう御上、藩の公共サービスが末端まで行き届いていたわきゃないし
(といっても洗練された公共サービスが存在したのは確か)
夜警国家として意味も満足にあったのかも疑問。そんな中で水軍だけを貶すのもね。
でも言いたい事も分かる。ロマンに引きずられて英雄視することは無いかもな。
水軍が民間になにかバックしていたとも考え難いしな。
216: 日本@名無史さん 投稿日:2005/12/20(火) 22:04:33
俺の地元岡山県南で「三宅」ちゅう姓は、たいがい海賊の末裔らしい。
219: 日本@名無史さん 投稿日:2005/12/25(日) 06:13:51
海岸部にいる豪族はみんな勢力の大小はあれ対抗上水軍を持ってるだろ。
安芸武田氏の支配下にあった川之内警固衆もその下にどれだけ水軍衆がいたと思ってるんだ。
武田氏の水軍なのに大内水軍とか毛利水軍とか言われてるんだぞチクショー。
とりあえず毛利は死ね。
うちの殿様を殺しやがって・・・・・・ウワァァァァァン
安芸武田氏の支配下にあった川之内警固衆もその下にどれだけ水軍衆がいたと思ってるんだ。
武田氏の水軍なのに大内水軍とか毛利水軍とか言われてるんだぞチクショー。
とりあえず毛利は死ね。
うちの殿様を殺しやがって・・・・・・ウワァァァァァン
220: 日本@名無史さん 投稿日:2005/12/26(月) 23:09:19
おれん家も毛利のせいで帰農する羽目に陥ったんだよ…
引用元: ・瀬戸内海-水軍スレッド
こんなのもありますね。