51h06UfGvrL



1: 世界@名無史さん 02/11/25 17:02

貨幣の事なら何でも、、、、








2: 世界@名無史さん 02/11/25 17:04

昔の金貨って偽造されたりしなかったんですか?
特に江戸時代の小判とか

3: 山野野衾 ◆W7NDQJtGoM 02/11/25 17:06

古代から偽造貨幣並びにそれを製造する犯罪者が居ましたよ。
彼らが後に本物の貨幣造りに従事させられた事もありました。

4: 世界@名無史さん 02/11/25 17:07

なるほど―、でもそれでインフレとか起きなかったんですか?

5: 山野野衾 ◆W7NDQJtGoM 02/11/25 17:10

>4
インフレというか・・・あまり流通しなかったので「多くの銭を所有すれば位が上がる」ようにしたところ貯め込む事ばかりが行われてちっとも流通しなかった事がありました。
また宋銭を輸入したところ本国で足りなくなるという事態があった。

11: とてた 02/12/09 23:43

偽造貨幣な私鋳銭。 
けど、質がよかったら普通に流通。 
質が悪くても4枚で1枚として流通。 

なんだかな…。 

8: 世界@名無史さん 02/11/28 00:35

新の王莽の銭には萌えるものがあるなあ。

S-148_Wang_Mang_huo_bu
貨布(王莽銭)※画像はwikipediaから引用



386: 世界@名無史さん 2006/01/14(土) 18:57:31 0

激しく同意


14: 日本@名無史さん 02/12/10 11:26

ポルポトは貨幣を廃止したな。

15: 世界@名無史さん 02/12/10 13:18

>>14
俺、1975年及び1979年に発行されたポルポト紙幣持っているよ。
貨幣制度は口先では廃止したが、実際は崩壊までずっと作られていたんだYO

17: 世界@名無史さん 02/12/10 21:45

中国ではいつから貨幣が使用されたの?
インドでは?
オリエントでは?
世界最初の貨幣は?

18: 山野野衾 ◆W7NDQJtGoM 02/12/10 21:48

>17
世界最古の金属貨幣は小アジアのリディアのものでしょう。紀元前7世紀のもの。

19: 世界@名無史さん 02/12/10 22:06

>18
リディアの世界初の金属貨幣は
それは金貨?銀貨?銅貨?鉄貨?ウラン貨?鉛貨?プラチナ貨?水銀貨?ニッケル貨?
ブリキ貨?トタン貨?タングステン貨?カドミウム貨?プルトニウム貨?

22: 世界@名無史さん 02/12/10 22:12

>19
金と銀との自然合金で、「エレクトロン」と呼ばれていたそうです。

BMC_06


エレクトロン貨

エレクトロン貨(エレクトロンか、Electrum )とは、紀元前670年頃にアナトリア半島のリディア王国(リュディア王国)で発明された、世界最古の硬貨(コイン)の一つである。打印貨幣、打刻貨幣、計数打刻貨幣に分類される。
エレクトロン貨は紀元前7世紀のリディア王ギゲス(ギュゲス)の時代に発明されたとされる。紀元前6世紀の中頃、リディア王クロイソスは、それまでのエレクトロン貨を廃し、金貨・銀貨を発行したとされる。

この硬貨(コイン)というアイディアはギリシア・ローマ世界に広まり、ペルシアやインドなど、西アジア・南アジア世界にも広まったとされる。


23: 世界@名無史さん 02/12/10 22:16

そういや中国じゃ乾物のことを干貨と呼んでますが
昔は貨幣の代わりになってたから、と聞きました
ホントなんすかねぇ?

26: 世界@名無史さん 02/12/10 22:51

マヤ文明のお金はカカオ豆

28: 世界@名無史さん 02/12/11 00:47

古代中国では奇妙な形の金属貨幣が有るけど、何世紀に発明されたの?
貝が貨幣の起源というのは本当ですか?

29: 世界@名無史さん 02/12/11 00:49

中国である、円に四角の孔という形の
いわゆる「銭」は何世紀に出来た物ですか
31: 世界@名無史さん 02/12/11 01:08

>>28・29
高校の世界史レベルの話を、おぼろげな記憶で書き込むのは気が引けますが・・・

東周期には、各諸侯国で独自の青銅貨幣が発行されてました。
例:布銭・刀銭・蟻鼻銭
秦の中国統一後、始皇帝が貨幣の統一を行います。
名づけて「半両銭」。
これが本格流通した最古の“円形方孔銭”のはず。
その後、前漢では「五しゅ(金偏に朱)銭」が発行されます。

32: 山野野衾 ◆W7NDQJtGoM 02/12/11 12:49

>31
従来は「漢書」にある通りそれが正しいとされていましたが、最近の発掘調査によれば半両銭の流通はごく限られたものであり、各地域ではまだローカル貨幣が使用されていたようです。
秦が貨幣を発行したのが始皇帝の没年で、その2年後には陳勝・呉広の乱が起きている。とても流通まで進める暇は無かった。

33: 22ですが 02/12/11 21:18

>32
そうなのですか、勉強になります。

そういえば、圜銭(カンセン)は戦国期の魏国から始まって(円形円孔)、その便利さからその周囲の趙、秦、周王畿に普及したそうです。
秦が魏の貨幣を真似たのは商鞅の改革後で(まだ円形円孔)、秦が強大になるに伴い、東方にあって刀幣を用いていた斉、燕も圜銭(円形方孔)を用いたそうです。
あと、楚は金貨を用いていたそうです。

36: 世界@名無史さん 02/12/12 22:32

大陸にしろ、中世の日本にしろ額面に数字が無く、幾らに相当するとかわどのやうに判断してたんスか?単に枚数揃えりゃよかったん?
58: 世界@名無史さん 02/12/29 18:09

>>36 
日本にはしばらく1文銭しかなかったのであえて額面を入れる必要がなかったのです。 
大陸では2文銭や10文銭などあったけど、何故か日本には浸透しなかった。 
文久永宝(4文)のような複数額面の銭が出てくるのは、江戸中期からです。

37: 世界@名無史さん 02/12/12 23:12

>>36
アバウトなレスだけど、地金の重量が重要でしたよ。
後は地金の質なんかかな?
後、大陸のでかい穴銭には背面に「当十」「当五十」という文字があるのが結構ありますよ(特に明、清朝かな?あ、南宋鉄銭の背面にも数字はあるけど、ちょっと意味の違うものもある)。 

38: 36 02/12/13 00:33

>>37
「古代における」と言う表現にすべきでした。確かに、明・清頃になると、現代の貨幣の意味合いの数字、入って来ますね。そー言えば、徳川綱吉(犬公)代のインフレも、地金率を低くした、混ざりモノ小判を、乱発した為でしたね、確か…。

39: 世界@名無史さん 02/12/13 00:33

>>37
なるほど、「質量」とは良く出来た言葉です。すると、始皇帝時代の基準は、質量だった訳ですね?何時頃から、額面の数字が信用を得るようになったんでしょうか?

42: 37 02/12/13 20:02

>>39
秦の半両なんだけど、半両=12銖、周・戦国時代の1銖=0.67g
んで半両は大体8gになります。でも必ずしも表記どおりではなく、ちょっと軽めで、初鋳品より後鋳品は軽くなる傾向があります。
実際の半両も6.8~8gの間に大体収まっています。でも、たまに20~30gのバケモンもあるけどなんだろ?

後は全くの個人的な意見だけど、日本で銀貨は秤量貨幣(重さがナンボってやつ、切銀や丁銀)だったけど、明和期から銀の定位貨幣(額面が明記、一分銀なんか)が出てきて、天保期に天保通寶(百文銭、でも地金の量は一文銭の6枚程度だったっけな?)が出てきたんでこのあたりかなぁ?
一分「金」=一分「銀」になっちゃってるし。天保通寶もすんなり庶民に受け入れられた、ってゆうし。(明、清では「当百」「当千」銭を乱発してインフレのもとになったりもした)本当にいいかげんなレスでごめん。詳しい人に訂正、補記求む、、、

43: アマノウヅメ ◆3O/knRokaQ 02/12/13 21:08

>>39
全然、詳しくありませんが。
日本では小判は1両と決まってます。
天保の改革で貨幣のふきかえをやったとき、金の含有量の多い慶長小判なんかは金持ちはこっそりしまっておいたくらいです。
天保銭は「当百」といって、百文に値するんですが、実際には百文では通用しなかった
ようです。頭の働きの鈍い人を「天保銭」といって、この言葉は昭和30年代まで年寄りは使っていました。

44: 37 02/12/14 01:02

>>43
どうもです。>>39さんの質問で何となく「貨幣の地金の質、重量に頼らず、為政者の信用で貨幣の価値を保たせること(信用貨幣と言うのかな?)」についてと解釈して、「古南鐐二朱銀」を思い出してしまいました。
この貨幣の斬新なところは、従来銀相場は変動していたのですが、この「古南鐐二朱銀」には「南鐐(良質の銀)八片を以って小判一両に換える=二朱に当たる」と打刻されていたことです。(おっと、明和9年9月発行)
つまり銀相場にかかわらず、この銀貨は「二朱」として流通させたのです。
この銀貨は最初関東では受け入れられ、後に秤量銀貨を用いていた関西でも流通するようになりました。
あと、この銀貨は純銀量は10.1gしかなく8枚(一両)でも80gで、この地金の量は当時の銀相場よりも2割以上も少ない悪貨だったのです。
この銀貨は3000万枚程製造され、天明8年に銀相場高騰により製造停止となりましたが、同様の銀貨は量目を落として発行されていきます。
41: 世界@名無史さん 02/12/13 07:47

初期の貨幣は貴金属を計量しやすいように定型サイズに鋳造したものでしかなかった。
この時代の銀貨十枚は「銀貨十枚ぶんの銀」でしかなかったわけだ。 
貨幣経済が広く浸透し、人々が貨幣の扱いになれてくると貨幣は「定型化された貴金属」ではなくもっと抽象的な価値単位になった。 
貨幣に額面が刻印されるようになったのは貨幣経済が広く浸透して当たり前のものになってから。 

47: 世界@名無史さん 02/12/16 19:24

高校生に江戸幕府の貨幣改鋳を説明するの、大変ですよ。 
なんで新しい小判が質が悪いとインフレになるか、分数使って汗だくでやらないと連中わからんですな。 
お金ってお札だと思ってるからねえ。 

48: 世界@名無史さん 02/12/16 19:32

現代人の感覚だと「小判がどんなに豪華だろうと粗末だろうと1両は1両」と考えがちだね。 

40: 世界@名無史さん 02/12/13 02:23

明治日本は、新しい貨幣単位「圓」を導入した。
この単位の使用は東アジア全域にひろまり、現在にいたっている。

日本
昭和25年、「当用漢字」の採用により「圓」は「円」と表記されることに。

韓国・朝鮮
圓」の朝鮮読みが「ウォン」

台湾
圓」をそのまま使用。発音は「ユェン」

中国
略字として、文章では「元(ユェン)」が使用されるが、札 自体には「圓」が使用されている。

モンゴル国
「トゥグリク」は「球体」を意味し、下記の傍証より、「圓」の訳語であることが分かる。
傍証1・満洲国の圓札では同時に満州文字・モンゴル文字で「トゥグリク」と記されていた。
傍証2・中国の圓札でも小さなモンゴル文字の表記が、トゥグリク。

55: ど~でもいいけど 02/12/16 21:07

>>40
根本的なところで大きな勘違いが入っています。
まず、圓と元は同義です。
そして、圓は日本が最初に採用したのではなく、香港で英国が発行した極東貿易銀が先で、その額面表示は「壱圓」です。
このイギリス極東貿易銀は名称のとおり、メキシコ銀貨に対抗して、貿易決済を行うための銀貨として発行されていました。
明治維新時の日本の貨幣である「両」がたまたまほぼこの貿易決済用の壱圓と均しく、1両≒1ドル(メキシコ銀貨)≒壱圓であったため、東アジアの市場における信用を得るためもあって、圓を貨幣単位と定めたものです。
ちなみに、明治初期の本位貨幣は金ですが、貿易決済用は銀本位で、貿易銀として発行された1圓銀貨の価値は金本位の1圓とは1%ほどの価値の違いがあります。
なお、イキリス極東貿易銀にしても、日本の圓銀にしても、当時の大市場である支那に受け入れられやすいように、表記を漢字にしたり、図柄を龍などに設定しています。

60: 世界@名無史さん 03/01/03 19:51

中国では銀をちぎって使っていたの?

61: 世界@名無史さん 03/01/03 21:02

>>60
なんでそう思ったの?

62: 世界@名無史さん 03/01/04 20:02

戦前中国に行った人がそういっていた

63: 世界@名無史さん 03/01/04 22:40

ちぎって使えるほどには銀はやわらかくないですけどね

64: 世界@名無史さん 03/01/05 00:42

>>60-63
中国じゃないけど、日本では戦国~江戸初期に「切銀」ってのがありました。
切って、重さ量ってなんぼってやつです。古丁銀にもぶった切られたのがあります。
後の江戸期の丁銀では切るのが面倒くさいのか、微調整用に豆板銀、露銀(1g以下のミニ豆板銀)が出ました。って、後の丁銀は銀の純度悪いわ、厚いやらでとても切れるもんじゃないですけど。(でも、たまに叩き割られた丁銀もある。微調整の為ならなら根性だなぁ)
中国では納税用、宋代には遼や金への献上用にも銀が用いられたけど(銀錠)ちぎって使った、って話はあんまり聞かないなぁ。でも日本も中国も銀は秤量貨幣(重さでなんぼ)だったんで、中国でも微調整のためにやるときはやったと思う。(自分もそれほど多く実物見てないんではっきり言えない。) 

66: 世界@名無史さん 03/01/05 19:59

戦前中国に行った人の話では
日本の銀貨を器用に真っ二つに手でちぎって使う人を見たそうです

67: 世界@名無史さん 03/01/05 20:49

>>66
日本の銀貨って、一円銀貨(円銀)の事?
だとしたら(それじゃなくても)凄いな、信じられん、、、
でも、荘印メッタ打ちのボロってるのなら何とかなるかも。

69: 世界@名無史さん 03/01/05 21:16

イギリスの通貨単位とヤードポンド法の重量単位が両方ともポンドなのも、重量=価値だった頃の名残なのかなぁ

74: 世界@名無史さん 03/01/08 21:13

>>69
そだよ。
重量のポンド(トロイポンド)は240ペニーウェイトで、1970年までのイギリスの通貨システムでも、1ポンドは240ペンス(ペニーの複数形)になってるからね。
でも今は1ポンドは100ペンスになってます。

70: 世界@名無史さん 03/01/08 08:54

中国に金貨は無かったのですか?

111: 世界@名無史さん 03/06/13 19:33

>>70
戦国時代の楚で金貨が使用されてますよ。
それから宋代に「金銭」「銀銭」という名前で金貨が鋳造されてます。
ですけど「金銀銭」は主に宮中儀礼に使用されたり、まじないに使われていたそうです。
とはいえ、取引に使用され例もみられますよ。

159: 世界@名無史さん 03/12/21 12:11

>>111
確か孔子が金銀で貨幣を作ると「本業」である農業を商工業が圧迫するので作るべきでないと主張したようなことを本で読んだ記憶がありますが。

71: 世界@名無史さん 03/01/08 10:26

銅銭の背に金を塗ったやつはあるよ。
そのまま「金背」っていうやつ。

72: 世界@名無史さん 03/01/08 11:28

中国は銀本位制だったから、金貨無かったの?
でもゴールド自体には貴金属としての価値はあったの?

73: 世界@名無史さん 03/01/08 11:34

清朝末から試鋳品らしき打製金貨は出てくるけど、まともに金貨が一定の額面をもった金貨として通用することはほとんどなかったのでは。 

78: 世界@名無史さん 03/01/12 03:50

清末は、もう世界経済が金本位制だから、近代国家を目指すうえで、いやでも金貨つくらにゃならんかったんじゃないかなぁ?
そのへんの事情に詳しい方教えてたも。

79: 世界@名無史さん 03/01/12 21:36

>>78
古代はともかく、中国で金本位制が採用されたことはないのでは。

82: 世界@名無史さん 03/01/15 00:52

じゃぁ、なんで阿片戦争以後、中国の銀の保有量が極端に減ったの?
結局清朝が国内市場の銀の価格を統制できなかったからではない?
明以来、中国は貨幣としての銀の流通量を国家の統制下にいれていなかたことが最大の要因なのでhないでしょうか。

83: 79 03/01/15 19:23

>>82
これは>>79に対する質問なのでしょうか。
まず、明清代の貨幣の基本は銅銭だと説明していますね。流入した銀は流通よりも軍資金用の馬蹄銀などの形で退蔵されることが多かったのです。
ですから、意図的な統制であったかどうかはともかく、銀の価格は流入した銀の全量が自由に国内で流通した場合を想定すれば、はるかに安定していたと言えます。
次に、アヘン戦争の少し前から、清国内に蓄積された銀の流出が始まっていますが、これは、アヘン戦争の経緯を考えればすぐわかることです。
清との貿易で、東インド会社は利益をあげたものの、イギリス本国から銀の流出を非難されます。清から銀を還流させるには、清に売り込む商品が必要ですが、当時の清は実用品にせよ、嗜好品、奢侈品にせよ、西欧や東南アジアから輸入しなければ賄えない品は少なかったのです。
これを解決するための決め手がアヘンの輸出でした。清末の支那のイメージと切り離せない阿片の流行により、清から銀が大量に流出しはじめます。
このアヘンの流入と銀の流出を阻止しようとして始まったのが、アヘン戦争で、結果としてアヘンの輸入を黙認せざるを得なかったのですから、さらに銀流出が加速されたということですね。

84: 世界@名無史さん 03/01/15 23:01

>>83ご返答ありがとうございます。
清朝がヨーロッパ(イギリスが中心か)からの商品輸入の必然性に乏しかったこと、イギリス側の打開策がアヘン輸出であったこと、それはわかりました。
 
ただお聞きしたかったことはアヘン戦争の意義や経緯ではなく清朝からの銀流出の、清朝国内の経済構造をお聞きしたかったのです。
清は国内の流通貨幣であるところの銀の量を国家として管理していなかったから、流出に対して林則徐のような行動に出る以外になかったのではないか、すなわち、清朝の国内問題として、アヘン戦争に至る過程をご存知なのではないかと思い、「結局清朝が国内市場の銀の価格を統制できなかったからではない?明以来、中国は貨幣としての銀の流通量を国家の統制下にいれていなかたことが最大の要因なのでは?」とお聞きしたのです。

98: 世界@名無史さん 03/03/27 01:22

バカを承知で質問てす!
国家がそのもの自体に価値のない借用証書としての紙幣や硬貨を発行した初めの時、それらはどうやって国民の手に渡ったのですか?
国民は物を国家に売って、その借用証書を得たのですか?まさか。

99: 日本@名無史さん 03/03/27 02:16

>>98
最初の紙幣は倉荷証券のようなものでした。
元になって国家が紙幣を流通させますが、これは国家による強制力の裏付けがあったからです。
貨幣については貴金属ですから自然と流通しました。

101: 98 03/03/27 02:47

>>99
ありがとう。国家が大商人を強制すると、それに関わる津々浦々の人々もその制度に従うしかなくなるか、、、。

100: 世界@名無史さん 03/03/27 02:18

日本の場合は役人の給与として与え、それが徐々に流通していくことを期待したが、結果は現物交換に逆戻り。

101: 98 03/03/27 02:47

>>100
役人がもらった給与はどこで使えたのかな、、? 

112: 山犬 ◆R200HRTAe. 03/06/13 21:57

>>101 
かなりの亀レスですが…。普通に、平城京内の東西の市など、畿内では使われていましたよ。
当時の役人が、購入した品物の値段を記した文書なども、東大寺文書に残ってます。

銭は大して需要が無いにもかかわらず、大量に発行されてしまったため、和同開珎が作られ始めた当初は、銭一文で米一升という交換レートが定められていましたが、奈良時代を通じてかなりのインフレが起き、貨幣価値は数十分の一に下落しています。
そんなわけで、何が何文で取引されていたかなど、具体的な数字は忘れましたが、油や氷などといった物が、かなりの高価で取引されていたことは、印象に残っています。

あと、金貨といえば、日本でも奈良時代に開基勝宝という金貨が発行されていますね。
これは、今までに発見された数が20数枚という、(今はもっと見つかっているかもしれませんが…)極めて貴重なコインです。

800px-Japan_known_coin_types_from_708_to_958
皇朝十二銭と関連銭貨(最上段中央「開基勝寳」のレプリカ)


開基勝宝

開基勝宝(かいきしょうほう)は、日本最初の金貨。円形に方孔が開き、文字「開基勝寳」は吉備真備の筆と伝わる。現存32品。

太政大臣である恵美押勝(藤原仲麻呂)の命により鋳造されたが、鋳造数は極少数であり、質量のばらつきが大きな貴金属貨幣であることから計数貨幣としては不適格であり、流通目的ではなく萬年通寳100枚で金貨一枚と価格設定することにより、銅銭の価値を高める狙いがあったとする説がある。
質量は寛政期出土のものが17.6グラムと大型であり、昭和時代、西大寺畑山出土のものは11.0~14.7グラムとばらつきが大きい。

昭和12年の発見の際、「賈行」と読める銀銭のかけらも同時に見つかった。この銀銭は史実に記載がなく、残りの文字もわからない謎の銀貨である。


115: 世界@名無史さん 03/06/15 14:07

>>112
補足させていただくと、開基勝宝は寺社の開基にあたって発行された一種の記念コインであって、実際に流通したものではないようですね。

116: 山犬 ◆R200HRTAe. 03/06/15 23:48

>>115
というか、実際には流通していなかった云々も書こうかと思いましたが、まぁ、言わなくてもわかるか、と思って書きませんでした。
一応、金銭(開基勝宝)・銀銭(太平元宝)・銅銭(万年通宝)の交換レートは便宜的にではありますが、定められていましたけどね。

開基勝宝は、現在見つかっているものは、結構重さにばらつきが大きいようですが、軽いものは、どこぞの不心得者が削りとったりしたのでしょうかね。
ギザ縁なんか付いてませんから、削ってもわかりにくいですし。

119: 世界@名無史さん 03/06/17 00:20

>>115
そういえば、銀銭(太平元宝)って、現品が無いんだっけ、、
拓本は残ってるけど。
それに、開基勝宝と一緒に「賈行」の二文字の銀銭のかけらが見つかったけど、あれの正体もまだ謎のはず。
あと、開基勝宝は江戸時代に一枚(皇室の御物)と昭和12年に31枚発見されたはず。もう出ないのかな、、

120: 山犬 ◆R200HRTAe. 03/06/17 18:07

>>119 
その通りです。昭和初期に唐招提寺で一枚見つかり、その後どこかに失われたと言う話ですね。拓本だけは残されていますが、果たして本物だったのか、それとも後世に作られた贋作なのか…。

あと、開基勝宝は32枚でしたか。うる覚えだったもので、どうも失礼しました。

121: 119 03/06/17 22:52

>>120
太平元宝に関しては、唐招提寺での一枚と、戦前に大阪の亀岡清太郎という人が持っていた(刀の目抜きに使ってたとか)一枚だそうで、両方とも拓本は残っています。
両者の書体が一致することから、信憑性は高いかもしれません。しかし、記録(天平宝字4年3月の銭貨改鋳の詔)では「大平元宝」となっていて、疑問が残ってるそうです。まぁ、「謎の銭」です。「富本銭」も出たことだし、いいかげん、新たに出てこないかな、、

あとネタとしてですが、後醍醐天皇が「乾坤通寶」なる銭を作ったとか、
勿論、現品はおろか拓本もありません。ネタですね、、

113: パシッチ ◆mWYugocC.c 03/06/15 11:01

そいやイラクの通貨がディナールだったけど、なんでユーゴと同じ貨幣単位だったんだろ……

114: あやめ 03/06/15 11:48

これは「イラクが何でユーゴと同じ貨幣単位なのか?」ではなく、「ユーゴが何でイラクと同じ貨幣単位なのか?」と問うべき事象でしょう。
"Dinar"はイスラム圏で最も普遍的な通貨(もしくは補助貨幣)です。
その起源はウマイヤ朝のカリフのアブドゥル-マリクが695A.D.の幣制改革に際してビザンティン金貨"Dinarius"に代わるものとして模制したものです。
ユーゴで使用されるようになったのはオスマン支配時代からでしょう。

117: パシッチ ◆mWYugocC.c 03/06/16 10:16

>>114
え、ディナールってディナル・アルプスと関係あると思ってたけど、違うのか。
デナリウス金貨から!?
8denarii


デナリウス

デナリウス(denarius)は古代ローマの小額の銀貨で、紀元前211年から造幣された。広く流通した硬貨だが徐々にその品質が低下していき、最終的にアントニニアヌス銀貨に置き換えられた。その名称はラテン語の dēnī に由来し「10倍」を意味する。当初、1デナリウスはその名の通り10アスに相当した。また、ディナールの語源とも言われている。

文語訳聖書、口語訳聖書、新改訳聖書ではデナリ、新共同訳聖書ではデナリオンと表記される。



123: 世界@名無史さん 03/07/03 01:28

私年号が作られたように私通貨(?)なるものが自社や民間の手で独自に発行されたことってありますっけ?

125: 世界@名無史さん 03/07/03 02:42

>>123
幕末には仙台通宝とか上州の鉛銭とか、地方独特の通貨が作られてるよ。
あと戦国期の武田氏の金貨とか、室町期には鐚銭といわれる私鋳銭が多かった。 

Sendaitsuho


仙台通宝

仙台通宝(せんだいつうほう)は、江戸時代に仙台藩が製造していた地方貨幣。銭文は「仙臺通寳」である。

元々仙台藩は、幕府の許可の下で寛永14年(1637年)および享保13年(1728年)に寛永通寳銅銭を、元文4年(1739年)および明和5年(1768年)からは石巻において鉄銭を鋳造していた実績があった。その後、天明の大飢饉の際に藩財政が逼迫したことをきっかけに、天明4年(1784年)に5年間の期限という条件で幕府の許可を得て、独自の地方貨である仙台通寳の鋳造に至った。
明和年間に石巻で寛永通寳鉄銭が多量に鋳造された時、全国的な銭相場下落を引き起こした経験から寛永通寳と区別するため銭文を「仙臺通寳」とし、撫角の形状として領内通用に限ったものとされる。

材質が悪いことから嫌われ、藩内でインフレーションを招く一因となったとされるが、経済的な裏付けが乏しかった藩札と異なり、少なからず諸国へ流通した形跡(盛岡藩内で偽造が行われた、広島藩内の遺跡から出土したなど)も見られる。



131: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 03/07/28 19:18

>>123
第一次大戦後のドイツでは史上まれに見るものすんぐぉいインフレに陥り、その際に地方の町々で町独自の貨幣(紙幣)を作っています。
また、中国の中華民国時代には町や商店、軍閥などがこぞって紙幣を発行し、経済が混乱した時期がありました。
フィリピンではスペイン統治時代から反政府組織や独立運動組織がさまざまな独自貨幣
を作り流通させていました。

日本だと江戸時代の藩札と言うのがありますね。
藩によっては藩内の商人に発行をまかせたところもあります。

それから、中国宋代の"飛銭"と言う約束手形のようなものが西域で盛んに流通していました。
日本では平安時代から室町時代頃に貴族が発行した"折り紙"というものもあります。
"折り紙"自体に何の裏づけも兌換性も無い信用だけのものだったので、乱発によってインフレになり、後の徳政令の原因にもなったらしい。

西郷札は西南戦争のときに西郷軍が発行した軍票。麻布に漆で印刷したもので、西郷人気もあり今でも多く残っています。

132: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 03/07/28 19:25

>>131
自己レス
西郷札の原料は麻布でなくて目の粗い綿布でした。
西南戦争中に宮崎県で作られたようですが、発行当初は不評で、実際に流通したのは2ヶ月程度、人気が出たのは西南戦争以後の西郷人気のためだったようです。

133: 世界@名無史さん 03/07/28 21:12

発行当初は不評×
軍票として不評○
骨董的見地と貨幣的見地混ぜる文章(・∀・)イクナイ!!

流通したのは2ヶ月程度×
西郷軍が物資調達で支払う時に、西郷ドンの威信で使われた、及び、無理やり使っただけで流通はほとんどしてない○

161: 世界@名無史さん 03/12/21 22:13

ミクロネシアのヤップ島ではいまでも巨大な石の貨幣が使われてたな。
はじめ見たときはマンガかと思った。

ヤップ島は、ミクロネシア連邦のヤップ州の州政府が置かれている西太平洋上の島である。

巨大な石の貨幣のようなものを用いていることで知られる。ただ、個々の石貨には価値が厳密に設定されているわけではない。石貨の価値を決めるのは個々の石貨の来歴であり、それを所有している者とそれを譲られる者の話し合いによって譲渡の条件が決定される。例えばこの石貨はサイズも大きく、白人が来る前からヤップにあったので極めて価値が高いから、あのパンの木何本と交換しよう、というような条件である。ま

た普通の貨幣のように人が携帯するものではなく、特に大きくて動かせないものは屋外の一定の場所に据えられた状態で、所有者が変わってもその場所は変わらない。よって、経済学的には石貨は貨幣とは見なさないとするのが今現在も続く主流派経済学での見解である。



162: 世界@名無史さん 03/12/22 23:21

>>161
愛知県のリトルワールドに行くとそれの実物が展示してある。
これを古銭ショップで売ったらいくらの値がつくのだろうかと思った。

163: 自転車小僧 ◆IBmI/K76EY 03/12/23 00:03

>>162
ヤップ島に行けばいくらでもあるけれど、基本的に家の売買、結婚の結納、家畜(ブタ)の取引などにのみ使われ、所有権が移るだけで置き場所は変わらないことがほとんど。
大きさだけでなく持ち主の由来やその石貨自体の来歴でも価値が変わる。
貨幣と言うより部族、集落内での信用であったり、地位であったりを示す象徴的な存在と言える。
たまに小型のものがオークションに出る事があるが、20~30万円くらいだったと思う。大体が最近作られたものでヤップ島島内では価値の低いものが多い。


引用元: ・      貨幣総合スレ