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1: 日本@名無史さん
長浜天皇
1896~1984 享年88歳

鹿児島県の硫黄島には西朝伝説が残っており、その島では長浜天皇が古くから天皇と呼ばれていた。その起源は第81代安徳天皇にまで遡るという。
壇ノ浦の戦いでわずか8歳にして入水して果てた安徳天皇は、この島に流れ着き生きながらえ66歳まで生きたと言われこの島には安徳帝の陵墓まである。








4: 日本@名無史さん
>>1
他にはないのか?

5: 日本@名無史さん
なら一番有名な熊澤天皇。
1890~1966 享年76歳

この人は自称天皇を語る上で一番有名だと思う。
実はこの人の父親も南朝天皇を語り時の明治政府に二度も承認を求めた
しかし認められず戦後の混乱期にGHQのマッカーサー元帥にも懇願し米誌ライフなどで大題的に取り上げられた。
天皇裕仁は戦争の全責任をとって退位せよと昭和天皇を相手取り裁判を起こしたが天皇は裁判で裁けないと却下されたりひそかに第118代大延天皇として即位したりした。
晩年には元公爵や元海軍大将などを立会人として法皇にもなったが最晩年は東京の侍従のアパートにひそかに暮らしすい臓がんで死去。
訃報は海外にも発信されたが報じるメディアは皆無だったとか

10: 日本@名無史さん
璽光尊
1903~1984 享年81歳

この人は自称天皇というよりも、戦後新たに天皇宣言した人である。
昭和21年に人間宣言した昭和天皇から天照大神が去って自分の身体に乗り移ったとしてこの年を霊寿元年と改元もしている。
翌年一月になると、15日に東京横浜方面に天変地異が起こると予言し噂が広まるにつれて、気象庁や警察に問い合わせが殺到した。
さらに献上品をした信者には、世の変革後に流通すると言って自前の紙幣まで作って渡したという。
信者の中には力士の双葉山という人物もいて、石川県警が璽光尊に出頭命令を出すと東京で今夜7時から大地震と大津波が起きたと発表。
県警はそのまま璽光尊の本部を包囲し璽光尊らを拘束。
一緒に立てこもっていた双葉山も乱闘を演じたが逮捕、その後璽光尊は精神鑑定で妄想癖と診断その後不起訴となり、各地を転々とし1984年にその生涯を閉じた。

11: 日本@名無史さん
大室天皇
1904~1996 享年92歳

この人物の主張は、明治天皇は北朝孝明帝の皇胤ではなくすりかえられた南朝系の皇子だったということである。
大室家の家譜によれば、第113代東山天皇から5代の正良親王の皇子 光良親王が吉野から今の山口県に落ち延びて、大室家を名乗りその末裔だという。
その後明治維新の際に、大室天皇の祖父の兄にあたる大室寅之助という人物が皇位を継ぐにふさわしい南朝の皇胤とされ、長州藩に擁立されて本物と入れ替えられて即位したという。また第二騎兵隊の屯所からかの伊藤博文がほぼ毎日大室家へ訪れたとか、尊攘派の公卿らが京都から長州へ脱走した時に、大室家に寄宿して寅之助を養育していたという言い伝えもある。

165: 日本@名無史さん
>>11
東山天皇の子孫なら北朝では?

167: 日本@名無史さん
>>165
大室の子孫って言いたいんじゃないの?

13: 日本@名無史さん
橘 天敬(画家)
1906~1984 享年77歳

炭鉱夫の息子として生まれたが明治帝の御落胤と称して、証拠品の御衣と宮中太刀があったと主張。
元皇族で元首相の東久邇宮稔彦に取り入り、耀禅宮義仁や小松中宮長仁などと皇族風の改名を繰り返し、さらに明治天皇の生母の実家中川家の養子と称して真言宗国分寺派から実体のない小松院天敬法親王の称号をもらい得意になっていたという。

14: 日本@名無史さん
三浦天皇
1904~1971 享年67歳

三浦天皇(三浦芳聖・みうらよしまさ)は、肉体的には南朝長慶天皇系の後胤(こういん・天皇の正室の子の意)、霊的には後醍醐天皇の第一皇子尊良(たかなが)親王の生まれ代わりを自称。
そして体の中にはスメラミコトの神霊が入っている、というつもりだった。
愛知県豊川市で「神風串呂(かんろ)講究会」を主宰。
全盛期(昭和30年代)には豊橋、岡崎、半田、島田など、10数カ所に道場を持ち、200人ほどの門弟を抱えていた。
神風串呂とは、地図の上に糸を張り、糸に沿った地名から、いろんなことを予言するものらしい。
父の没後、遺言通り家の蔵の瓶を開けると、そこには『三浦皇統家系譜』が。
これが、彼の思いこみ人生のスタートである。
そののち、宮内庁の役人に皇位を要求しに行き、(やっと)自分の間違いに気づいた彼は、
今度は近衛文麿のところへ行った。
第二次大戦が始まり、かなり困っている文麿に、「遷都しなければ大変なことになる」と神示を伝えに行ったが、既に大変なことになっていた文麿はそんなこと言われても・・・といった気持だった。
戦後も「再宣戦布告」を勧めたり、昭和天皇がタヌキにとりつかれていると言ったり。
「皇居を移さない限りタヌキは祟る。移せば天皇家は世界人類を救済できる真の天皇家になれる!!」
そんな彼の話を聞いてくれる人はやっぱり現れなかった。
・・・祟るのがタヌキでなかったら、聞いてもらえたかもしれないのに。

引用
http://kumism.boo.jp/history/archives/000079.html

17: 日本@名無史さん
アメリカ皇帝ノートン1世みたいな奴か。

118: 日本@名無史さん
ノートン1世は人気があったらしいね

119: 日本@名無史さん
そらノートンの発言は理に適うものばかりだったからな

18: 日本@名無史さん
工藤天皇
?~? ?歳(少なくとも56歳以上か?)

生年月日とかわからなかったんでスマソ。
主に1970年代に活動していたようである。主張としては、明治帝直系のひ孫だそうだ。
明治帝が明治41年に、長野県上田市を行幸した際の御落胤が彼の祖父にあたるらしい。
彼はソフト帽に黒のダブル、白い手袋に現金とマッチ箱大の金塊を入れたアタッシュケース、という格好で勤務先の印刷会社への道を闊歩していたそうで、皇居内の賢所という場所で昭和天皇と謁見した際に明仁(今上天皇)をよろしくと言われ、それに対し朕は即位するつもりはない、と言って断ったと自慢したそうである。ちなみに現職の天皇がこの賢所で人と会うことまずないらしい。
さらには20年後に56歳で思想界の王者になり、富士山麓に大宮殿を建て100歳で世界の、しいては108歳で宇宙の指導者になると予言して得意になっていたという話もある。

21: 日本@名無史さん
堀川辰吉郎
?~? ?歳(もう氏んでいると思われ)

これまた年齢不詳でスマソ。漏れの調査不足でして…
この御仁は明治帝と側室の千種任子との間に皇胤と主張している。
彼の実の娘であり太陽の会主催、国際問題評論家の中丸薫氏は堀川は大正天皇との皇位争奪に破れ、皇籍も与えられず井上馨に身柄を託されたという。その後右翼の遠山満に預けられて孫文の革命を助け、サンフランシスコ講和条約の裏の調整役を務めたと主張する。

中丸薫氏のプロフィール
http://www.taiyonokai.co.jp/profile.html

中丸薫氏の活動の歩み
http://www.taiyonokai.co.jp/ayumi.html

中丸薫氏が大室天皇を肯定か?
http://www.infact-j.com/komento.htm

27: 日本@名無史さん
東武皇帝
1847~1895 享年47歳

名前は北白川宮能久親王。伏見宮邦家親王の第9子として生まれその翌年第120代仁孝天皇の養子になる。
彼は1868年に徳川慶喜から朝廷に助命を嘆願してくれるよう頼まれ、京へ向かったがその途中で参内を拒絶される。
その後寛永寺に身を寄せた後白石を拠点に奥羽越列藩同盟が成立、江戸では上野戦争が起こる。
間一髪のところを脱出した親王は、軍艦で奥羽へ向かう。列藩同盟は、親王を帝と仰ぎ親王は東武皇帝として即位する。
そして1868年を大政元年と定めた。その様子を当時のニューヨークタイムスは日本の東北に新帝が立ち、明治帝と並立する状況になったと報じた。
ちなみに当時の東北には明治新政府と変わらない役職があり、あたかも新国家が成立したようだったという話も残っている。
東武皇帝が即位すると、時の仙台藩主は皇帝を手厚く城へ迎えた。ところが秋田、弘前藩が相次いで同盟から脱退。
さらに薩長軍が仙台藩を降伏させたことにより、皇帝は謹慎の身になるが、明治2年に許され再び親王に復帰する。
その後ドイツに留学し、帰国後は帝国陸軍に入隊。第六師団長などの職を経て、1895年近衛師団長になり日清戦争へ出征。
同年に台南で肺炎により病死した。遺体には陸軍大将の乃木希典などが別れを告げたという。
なお死後に陸軍大将に昇進している。

22: 日本@名無史さん
平将門新皇
903?~940 享年37?歳

彼は言わずと知れた有名人であり、自称天皇と言うより新皇を名乗ったと言った方がいいかもしれない。
彼は代50代桓武天皇の実の孫にあたり、父は鎮守府将軍良持である。
若いころは京で摂政藤原忠平に仕えていたが、父の急死で帰国。
父の跡を継いだが、田畑の争いなどで叔父の平良兼と対立、源護との争いでは伯父の国香を死なせてしまう。
源護の告発により、京に呼ばれ罪を問われたが恩赦で帰国できた。しかし、良兼の攻撃を受け再戦するハメになる。
良兼を追い詰めた将門は勢いに乗り常陸国守藤原維幾を捕らえて、官印と官庁の倉庫の鍵を奪った。
権守興世王の煽動もあり、下野、上野の国府を押さえついには八幡大菩薩の神託を受け、新皇を名乗るに至った。
今昔物語集という書物には、ある人物が八幡大菩薩の使者と偽って、将門に父祖の功労によって位を受けるべき子 将門に位を授けると語ったと記している。桓武帝は平姓賜っており、その孫にあたる将門平氏は八幡大菩薩(第15代応神天皇)の末裔になるという。
その神託に喜んだ将門は猿島郡石井郷を皇居とし、近辺の者を住んでいた坂東地区の国司に任命した。
この行動を時の朝廷は謀反と受け止め、追討軍が組織され派遣された。そして940年、戦闘中将門は額に矢を受け倒れることになる。

25: 日本@名無史さん
平将門がそうなら自天王もそうか?

28: 日本@名無史さん
>>25
自天王は自称じゃない。あのころは三種の神器は南朝にあったので正統は南朝であった。
自天王が殺されて神器が取り返されたのでそのまま南北朝が合一してその後南朝は自天王で途絶えたので再び北朝が皇統に戻った

29: 日本@名無史さん
3種の神器自体、少なくとも安徳の時にはなくなっているので、その議論は不毛では

31: 日本@名無史さん
>>29
いや壇ノ浦の時に無くなったのは剣のみで無くなった剣は朝廷の宝物の中からいい加減に選んだのが今の剣だとされている。

33: 日本@名無史さん
>>31
それは「草薙」が無くなったので、武力が武士に奪われたということを裏付けるための作り話であって、実際にはそれだけなくなるほうが不自然。
(当然いっしょに持っていたはず)

でもまあ、全部無いんです、じゃあその後の天皇の存在根拠にかかわるから「他はあることにした」だけじゃないの?

36: 日本@名無史さん
北畠親房だっけか?が書いてる奴が論拠になってるのだと思うが、なぜ幕府が出来たかということの理論付け(理論といえるレベルの話でもない)のために作った俗説にすぎない。

普通に考えると、壇ノ浦の時点で全部海の藻屑。

39: 日本@名無史さん
三種の神器喪失についてはいろいろ説があるからなんとも言えない。
まあ言えるのは朝廷がこれって言えば木の枝さえも宝剣になるから

40: 日本@名無史さん
鏡は箱に入って浮かんでたのを源氏方が回収したとか。

43: 日本@名無史さん
いや南北朝時代にどっちが正統かではたしかに神器が意味を持っていたよ。
現に自天王はそれを奪いにきた者に殺されてる

44: 日本@名無史さん
まあそういう意味ではそうともいえるけど
壊して別のものを神器と言い張っても別に問題はなさそうな感じ。

50: 日本@名無史さん
ちなみにあの時代北朝にも宝剣があったがそれは後醍醐帝が南朝作る時に北朝をだますために自身が作ったニセモノだし

52: 日本@名無史さん
道鏡法王
?~772 ?歳

道鏡は法相宗の義淵僧正の門流で、禅行で評判になり禅師となる。また密教行者でもあったらしい 道鏡は時の女帝孝謙上皇の看病をしたことにより寵愛を受けるようになり大臣禅師に昇格する。
孝謙はその後称徳天皇に再度即位する。その後道鏡は瞬く間に出世し756年には太政大臣、翌年には法王になった。
そしてついに皇位に目を付ける。大宰主神阿曾麻呂は道鏡に媚を売り、八幡神の託宣と偽り道鏡が皇位に就けば世は平定するだろうと語った。
これを受けさすがの称徳帝も道鏡の姿勢が気になったのか臣下の者に、夢で八幡の神が告げたいことがあると聞いたので行って来るようにと命令した。それお聞いた道鏡はその臣下が出立する日に私の即位のことだと思う、よい返事を持ってくれば高い地位を用意すると告げたという。
しかし臣下が聞いた託宣は、皇位を継ぐのは天皇家の血を引く者でなければならないということだったという。
これで道鏡の皇位への野望は潰えた。後日談として称徳帝は他界する二ヶ月前に道鏡一族から軍事権の大半を取り上げ 他界した後は、白壁王(のちの光仁天皇)に謀反のかどで下野国薬師寺別当に左遷され、その1年7ヵ月後に生涯を閉じる。

53: 日本@名無史さん
外村天皇

主に1950年代に活動。街頭で昭和天皇に退位を要求し、自己の即位を求める演説をした。
職業はブローカーらしい。

56: 日本@名無史さん
熊澤天皇は戦前に右翼に担がれてクーデターを起こしかけている

57: 日本@名無史さん
戦後「熊沢天皇」を称した熊沢家に対し、明治時代に、政府から公爵の爵位を贈りたいとの話しがあったというのは本当なの?

59: 日本@名無史さん
ただのデマ。明治には父親が政府に懇願していたがまったく相手にされなかった

61: 日本@名無史さん
芦原天皇とかいなかったか?
ガチの精神病だから取り上げないのか?

64: 日本@名無史さん
>>61
10年前、淡路島の選挙で自称「明治天皇の孫」が精神病院内から立候補している。
この件については、根本敬著「人生解毒波止場」を参照。

70: 日本@名無史さん
今後、天皇を自称する人でるんでしょうかね?
皇室自体、静かに無視されて行くんじゃないですか。

80: 日本@名無史さん
>>70
皇室が無くなったら絶対出てくる

74: 日本@名無史さん
佐藤天皇

日本人は全員皇族と主張。自分の名が、公職追放リスト名簿から漏れていることを遺憾として当局に横文字で具申したらしい。主に岡山県で戦後直後に活動。

83: 日本@名無史さん
植木天皇

この人は観音像から南朝の皇胤と啓示を受けたと主張。昭和27年に今上天皇よりも80日早く立太子礼を行う。
世界の10代の少年少女と協力して世界平和を守るという世界あじろな同盟を発足させている。

115: 日本@名無史さん
あー、そーそー。芦原将軍ってあったなー。
筒井も小説に書いてなかったっけ?

124: 日本@名無史さん
戦前までは自称天皇は結構いた
精神病棟にも「俺は天皇だ」という人がいたそうだが、戦後は「俺はマッカーサー」だど転向゙した人がいたそうだ

130: 日本@名無史さん
GWに熊澤天皇の祖、後醍醐天皇の曾孫(?)にあたる信雅王の墓をみつけた。
その墓には「信雅王○○(ここ忘れた)法親王」「熊澤氏始祖」と書いてあり、右側側面に「後醍醐天皇皇曾孫」と書いてあった

134: 日本@名無史さん
>>130
場所は?

135: 日本@名無史さん
詳しく書いちゃっていいのかな。
愛知県k市の市内では一番有名なお寺の塔頭の庭の奥

詳しく書いていいならかくけど

136: 日本@名無史さん
別に個人情報じゃあるまいしいいんでない?

137: 日本@名無史さん
うんじゃあかくわ
愛知県江南市の曼荼羅寺の奥のほうにある霊鷲院って言うお寺の庭の奥にある五輪塔
たまたまおまつりで庭も開放されていたので散策していたら奥のほうにあった。
戦後に今の熊澤さんが建てたらしく、裏に寄進夫婦の名前もあった。
その近くにご夫婦の墓もある
普段もあいているかどうかはわからない

155: 日本@名無史さん
武則天(ぶそくてん 623年 - 705年 在位690年 - 705年)

中国で唯一の女性の君主。
これまでの「皇帝」の名称を「天皇」と改め、自ら天皇に即位している。
中国では、三皇五帝という伝説の皇帝がおり、三皇はそれぞれ、泰皇・天皇・人皇と呼ばれているが、この三皇はあくまで架空の存在であり、実在する中国の「天皇」は、武則天のみである。

156: 155
失礼。間違いがあった

人皇→地皇

158: 155
天皇・地皇・人皇と、泰皇・天皇・地皇の両説あり。
史記の始皇本紀では、泰皇・天皇・地皇と記述されている。

159: 日本@名無史さん
三皇五帝(さんこうごてい)は、最初の世襲王朝とされる夏以前に中国を支配していた伝説上の帝王のこと。
三皇は神、五帝は聖人としての性格を持つと言われる。三皇は諸説あるが、一般に天皇、地皇、人皇とされる。
『史記』の三皇本記においては、三皇は伏羲氏、女渦氏、神農氏との記述も有る。
また、同始皇本紀では、天皇、地皇、泰皇と記述されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%9A%87%E4%BA%94%E5%B8%9D

ちなみに則天武后以外にも唐の皇帝は天皇位を使っている

161: 155
ちょっと勘違いがあった。
史記の始皇本紀では、泰皇・天皇・地皇と記述されているが、この記事においては、「三皇五帝のうち泰皇が一番偉い」という事で、始皇帝に泰皇を名乗る事を勧めたのだが、始皇帝は「三皇五帝と皇と帝をとって、皇帝と名乗る」と決めたとある。
則天武后が天皇を名乗った時に、遠慮して2番目を名乗ったとは考えにくい。
則天武后は三皇は天皇・地皇・人皇と考えていたと思われる。

168: 日本@名無史さん
今熊沢の子孫っているんだろうか

169: 日本@名無史さん
>>168
いるだろ。親戚とかも。。うんざりしてるとおもう。

171: 日本@名無史さん
>>169
本人没後に取材に行ったら、息子に「そっとしておいてくれ」と拒否されてた ムックを読んだことがあるな

172: 日本@名無史さん
結局正統性はわからずじまいか

182: 日本@名無史さん
どいつもこいつもボカサ陛下の足元にも及ばぬゴミばかり

183: 日本@名無史さん
ボカサ厨ウザイ
ノートンの足元にも及ばんよ

187: 日本@名無史さん
熊澤天皇のお孫さん?は奈良で将棋駒の彫り師やってるんじゃなかったっけ
斯界ではすごく有名なひとだよ

212: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/10(日) 02:43:20
熊沢が本当に南朝の子孫かわからんだろうが

216: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/12(火) 17:38:48
>>212
熊沢さん家には、昔、本物の「菊の御紋」が入ったモノがたくさんあったそうですから、本当に子孫だと思います。

217: 日本@名無史さん 投稿日:2005/07/12(火) 17:47:49
>>216
あのね、江戸時代には菊花紋の使用制限はありません
菊花紋を使っていた家はゴマンとあります
(たいていは皇室から下賜されたと称しているがw)

230: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/07(日) 01:50:01
足利義満は何天皇を名乗るつもりだったのだろうか。
それとも、天皇制廃止論者?

232: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/20(土) 12:26:26
義満は天皇になる気はなかったろう。

240: 日本@名無史さん 投稿日:2005/12/13(火) 23:40:38
>>232
義満は天皇なんてちんけなものではなく治天になりたかったんだよ。
実際扱いは治天だったし。摂関はじめ公家や朝廷は義満を治天として扱っていた。
死後に上皇の称号も贈ろうとしてたし。

235: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/05(水) 00:02:22
既存の皇室を取り潰して自分が天皇になろうって男がなんで南北朝の和解を斡旋したりするんだよw

170: 日本@名無史さん

自傷天皇は四条天皇

引用元: 自称天皇について語り尽くす



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