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1: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/03(月) 15:25:47
イングランドでは伝説の大王として知られていますが日本ではあまり知名度がないこの人
この人の業績や事績、7王国時代そのもの、さらには敵であるデーン人などについてもいろいろ語っちゃおうというスレです








200px-Alfred_the_Great



アルフレッド大王

アルフレッド大王(849年 - 899年10月26日、在位:871年 - 899年)は、イングランド七王国のウェセックス王。兄エゼルレッド王の死後、王位を継いだ。約100年続いたデーン人(北欧ヴァイキング)の侵攻を食い止め、衰退したイングランドのキリスト教文化を復興し、古英語での読み書きを習慣化した王として知られる。

アングロ・サクソン時代最大の王とも称せられ、イギリスの歴史において大王と称される君主である。 また、海上で敵を迎え撃ち、上陸を阻止するための海軍力の適正運用を行った初めての君主として、しばしば英国海軍の父と称される。




七王国

七王国とは、中世初期にグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が同島南部から中部にかけての地域に建国した7つの王国のこと。この時代をまた「七王国時代」とも呼ぶ。


 1. ノーサンブリア王国: イングランド北東部を支配したアングル人の王国。
  2. マーシア王国: イングランド中央部を支配した。7世紀ごろ勢力を誇ったアングル人の王国。
  3. イースト・アングリア王国: イングランド南東部イースト・アングリア地方、現在のノーフォーク、サフォーク周辺を支配したアングル人の王国。
   4.エセックス王国: イングランド南東部を支配したサクソン人の王国、現在のエセックス、ハートフォードシャー、ミドルセックス周辺を支配した。
  5.ウェセックス王国: イングランド南西部を支配したサクソン人の王国、最終的にドーセット、ハンプシャー周辺を中心に王国として形成されたが、前期の支配区域は最も北部であった。
  6. ケント王国: イングランド南東部、現在のケント周辺に形成されたジュート人の王国。最も早い時期にローマ系キリスト教を受け入れた地域である。
  7. サセックス王国: イングランド南部を支配したサクソン人の王国、現在のサリー、イースト・サセックス、ウェスト・サセックス周辺を支配した。


この王国たちが覇を競った時代は、ホノリウス帝がブリタンニアを放棄してから(409年、End of Roman rule in Britain)、ウェセックスのエグバート王がカレドニアを除くブリテン島を統一するまで(825年、エランダンの戦い)、と考えられている。実際にアングロ・サクソン人が建国した王国は7つのみではなく、多数の群小のアングロ・サクソン人および先住のブリトン人の小国家群とともに林立したが、次第にその中で有力な国家が周囲の小国を併呑して覇権を広げていった。

7つという王国の数は、これらの覇権を広げた有力な国を、後世7つの大国に代表させたものである。この王国群の中から後のイングランドが形成され、その領土は「アングル人の土地」という意味で「イングランド」と呼ばれることとなる。





3: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/03(月) 15:33:41
軍事的才能があるのかないのか疑問な人だな

7: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/03(月) 19:50:50
七王国時代の詳しい情報ってなかなか見つけられないよな、本当に文献や記述がないのかそれとも日本だから情報が得られないのか、イギリス行けば分かる?

10: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/04(火) 00:08:56
この時代を知るのにオススメの本とかあるかな?

11: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/04(火) 00:12:36
とりあえず、お手軽なとこでは、高橋博 『アルフレッド大王 英国知識人の原像』(朝日選書)とか。

14: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/05(水) 07:40:26
この人の最大領域って日本でいうとどれくらいの広さかな

24: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/06(木) 23:31:55
>>14
日本列島でいうとどれほどになるか分からないけど、とりあえずイングランドの半分くらい。

以下が878年のウェドモア協定 Treaty of Wedmore で取り決められたサクソン(赤)とデーン(青)の住み分け。ロンドンはこのときデーン領に帰属することになったが、のちに奪回されている。



457px-DanelawEngland



16: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/05(水) 08:00:18
英国人にとっての大王 the Great っていうとこの人とアレクサンダーとチャールズ(シャルルマーニュ)とクヌートかな

19: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/05(水) 23:22:00
この人一時期負けて山奥に隠棲したりしてるよね
そこから逆転したんだからすごいサクセスストーリーだね
でも>>16にあがってる他の大王と比べると感じが違うねw

20: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/05(水) 23:47:22
事績からしても本来は治世の名君というタイプだったのかも

28: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/07(金) 00:16:36
wiki にあるけど、Alfred は "elf-advice" で妖精の助言(を得る人)という意味なんだな。
現代に残るサクソン名って、あとは Edward や Oswald くらいか。
女子名にいたってはほとんどないような。

29: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/07(金) 00:18:31
そんなにロマンチックな意味の名前だったのか
すごいな

30: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/07(金) 00:20:09
英wikiによると
アルフレッドは大王と呼ばれる英国唯一の王なんだそうだな
ウィリアム征服王より上の扱いなのかしらん

200px-Bayeux_Tapestry_William


ウィリアム1世

ウィリアム1世(1027年 - 1087年9月9日)は、イングランド王(在位:1066年 - 1087年)。通称は征服王或いは、庶子王。ノルマンディー公(ギヨーム2世、在位:1035年 - 1087年)でもあった。イングランドを征服し(ノルマン・コンクエスト)、ノルマン朝を開いて現在のイギリス王室の開祖となった。


31: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/07(金) 23:39:38
大王というのは、強大なデーン人を果敢に撃退した武勇と、ラテン語を解し、自らも著述、法典の制定などをおこなった文雅の両面を評価されてのことだろう。

33: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 00:14:31
でも言ってみればイングランドの半分程しか支配してないこの人がイングランドを支配したウィリアムを差し置いて大王と呼ばれてるのはなんか面白いな

35: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 00:20:38
ウィリアムは所詮侵略者だからでしょ

ウィリアム治世後は支配階層の言語がフランス語になって下賎な者たちの言語が中世英語になったし

36: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 00:29:07
ウィリアムはノルマンディー公でイングランド征服して王になった後でもフランス王の臣下でもあるからな
さすがに形式上とはいえ誰かの家臣である者を大王と呼ぶのはためらわれるかな

37: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 00:34:48
ウィリアムには文化面の功績ってあったっけ?
文化面での功績が大きいアルフレッドとはそこら辺が違う気がする

49: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 15:13:02
>>37
まず建築だな
ノルマン式築城法によって築城された城は後のストロング・ボウのアイルランド征服以降のアイルランドでは暫く難攻不落の要塞と化した

文化ではない本当の意味での騎兵がイングランドに初めて導入された
それまではイングランドで乗馬兵は戦場では下馬して戦っていた
つまり常時乗馬して戦闘できる武具が導入されたことになる

51: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 20:27:39
>それまではイングランドで乗馬兵は戦場では下馬して戦っていた

その騎兵ならぬ乗馬歩兵のスタイルは、アルフレッドの時代にサクソンがデーンから学び取ったものらしいね。

53: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 20:32:47
>>51
とするとデーン人相手には歩兵戦闘のほうが有効だったのかな。
デーン人から学び取ったという事はデーン人も歩兵戦闘が主体なのか。
騎兵戦闘に何か問題でもあったんだろうか。
騎兵戦闘はローマの時代から当たり前に行われてるからカエサルが侵攻して以来ローマの属州だったイングランドにその戦法がなかったとは考えにくい気がする

52: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 20:28:24
フランスとかにも100年戦争時代にも下馬騎兵はいたし日本の戦国時代とかにも下馬騎兵はよくあったみたいだから必ずしも武具の導入が理由ではないのでは?
56: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 22:05:37
ウィリアムはアルフレッド大王の子孫であるマティルダと結婚する事でイングランドにつながりをもち、そのつながりをもとにイングランドの王位継承権を主張するんだよね 
意外にも両者はつながってる

58: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 22:36:57
>>56 
ウィリアムはか彼自身か先祖が母系でウェセックス王家に繋がっているんじゃ無かったか? 
エドワード証聖王から後継者に指名されたと称してた気がする

57: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 22:18:31
アルフレッド大王の子孫であるマティルダとの間にウィリアムがもうけた子供が次のイングランド王になって、その系譜はいろいろ王朝が変わっても血統ではつながってるからアルフレッド大王は一応現在の英国王室の祖先でもあるわけか 
なんか壮大な話だ

59: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 22:43:37
ノルマン朝の時代にもスコットランド王を通じてアルフレッド大王の血を受け継いだはず。

60: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 22:47:25
ウィリアムの母親は革なめし職人の娘のアーレッテってwikiに書いてあるね 
さすがに革なめし職人の娘がウェセックス王家に連なるとはとても…

104: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/14(金) 18:15:03
>>60 
ウィリアム1世の奥さんがフランドル伯ボールドウィン5世って人の娘でそっちがアルフレッド大王の子孫。 
ウィリアムの方も本人の母親じゃなくて何代か前のノルマンディー公家の后にアルフレッド大王の子孫がいたはず。

40: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 00:58:20
クヌート大王忘れていない?

44: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 08:42:05
>>40
英wikiによると
クヌート大王はデンマークの人という扱いらしい
だから英国で大王とよばれるのはアルフレッドだけなそうな

41: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 02:35:20
英語は30%がフランス語、もう30%がドイツ語、さらに30%がラテン語、
最後の10%がケルト語で出来ているというチャンポン言語だというのですが本当ですが?

43: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 02:55:16
>>41
まぁ国が近いから相互に影響し合ってはいるんじゃないの

42: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 02:51:42
アルフの時代だと語彙にラテン語やノルド語が入ってくる頃かな

47: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 10:54:44
死んだのは899年の10月26日か。
生まれたのはわかってなくても死亡の日はわかってるんだな

54: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/08(土) 21:56:20
デーン人が大陸で暴れずわざわざ海を超えてイングランドに攻め込んだのはなんでなんだろう
競合する他のゲルマン人がいないという理由だろうか

67: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 05:08:43
>>54
デーン人は大陸も襲っている。
むしろデンマークからは断然そちらのほうが近い。
デンマーク西岸を発して、まずフリースラント、ライン河口、北フランスが標的になる。イングランドはその次。

一方のノース人(ノルウェーヴァイキング)は、ノルウェー西岸から北海を横断、シェットランド、オークニー等の諸島を南下、スコットランド西北岸の島々、マン島、アイルランドを経て、ブリタニア西岸・南岸に至るというルートを主にとっていたらしい。
9世紀には以上の島々で入植や王国建設も開始されている。

アルフレッドの同時代人である、初代ノルマンディー公ロロもセーヌ川流域を荒らしまわっていたわけだし(厳密にいうと、彼はノース人だけど)。

68: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 06:23:20
ここまでデーン人に荒らされるとなると安定した農業収入を得られないとともにデーン人を恐れて逃亡する農民も後を絶たなかっただろうね
アルフな一種の支城構築策を施したとしても

70: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 09:17:49
>>68
途中から反撃して領域を拡大し条約を結んで棲み分けを行ったからそれからは安定してたんじゃないかな。
晩年にデーン人が条約破って攻めてきた時は防ぐどころか領土を奪って勝利してるし。
国力民力が充実してたんじゃないかな。


71: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 11:34:43
イングランドの庶民はケルト人がゲルマン化したものらしいが、アルフレッドたちはケルト人の血なんか引いてないだろうな

72: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 11:45:11
すると支配階級だったローマ人系の血だろうか

73: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 11:58:48
なんでそうなる。アルフたち支配層はゲルマン人そのもの、でいいだろ。

75: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 12:50:54
昔この人の事を知ってアーサー王伝説の原型だと思ってた時期がありました
恥ずかしい思い出です

82: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 22:49:57
>>75
ありがちだよね。
アルフの伝記を書いたのがアッサーというウェールズ僧(ちなみにアッサーという名はアーサーとは関係がなくヘブライ名であるとの事)でなんか紛らわしいし、侵略してくる「野蛮人」と戦ったという共通点もある。

78: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/09(日) 17:13:20
それにしても現代英語でも基本語彙の中に多数のノルド語由来の単語が有るのに(例:she,they,get,take,call,leg,law,lowなど)ブリトン語の形跡が全然無いのはどういうわけか?

84: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/10(月) 00:10:56
>>78
ブリトン語ないしケルト語起源の語は地名を除くとほとんど借りなかったといわれるね。
Thames 薄黒い
Kent    国境
London  荒々しい
Avon   川

あと、馴染みのあるものでは、car くらいかな。
wiktionaryによると、ケルト語の carr がラテン語、ノルマンフレンチに入って中世英語の carre になったらしい。

87: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/10(月) 11:15:46
>>78
ノルド語はかなり英語に浸透してるよね。国土の大半を占領されたとはいえ、基礎語彙までが入れ替わってしまったというのは凄まじい。
niman(取る)は消滅し、steorfan(死ぬ)は餓死の意に変わってしまった。
そこまで影響を受けなかったドイツ語ではそれぞれ nehmen, sterben として元の意味で残ってるけど。

90: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/10(月) 19:32:56
>>87
いわゆるデーンロウ地域では両民族が混在して居住し双方の単語をチャンポンにした言い方が生まれたと思われる
系統的にはちょっとばかり離れているが同系等言語だし同語源の単語が大多数融合は急速に進んだろう
しかし屈折の仕方はかなり違うので英語から屈折語としての性格がほとんど消失した原因になったのでは?

93: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/10(月) 21:02:31
>>90
そうだろうね。
OEDの編者の一人であるヘンリ・ブラッドリも『英語発達小史』で「屈折組織の単純化は、大量の外国人の同化吸収と異なる方言の混淆とによって助長される」と書いてる。

「二つの言語集団が一つの地域に住み、融合同化する。そしてその言語は著しく異なるタイプのものではなく、同一言語のあまり違わない二方言<中略>であったとする。さらに、語彙はこの二方言に大体共通で、屈折変化だけが著しく異なったとしよう。<中略>異なる二方言の場合には、いずれの言語集団も相手の言葉遣いを標準語とは認めたがらないから、暫くは同一方言内に二組の異なる屈折形が行われることになる。その結果、文法機能を示す屈折語尾についていずれを選ぶか、躊躇と不安が生まれ、そのため、やがて発音をあいまいにするようになり、ついには語尾を保存することが無意味になってしまう。」(42-43頁)

一見、他言語が流入して英語から屈折が失われたと聞くと、屈折語じゃない言語が入ったのかと考えがちだけど、古ノルド語は古英語同様、複雑な屈折語。
これは屈折の喪失について模式的で分かりやすい説明だと思う。

94: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/10(月) 21:24:03
問題は永住植民したデーン人の原住アングロサクソン人に対する人口比率じゃないのかな

イタリア、ヒスパニア、ガリアに植民したゲルマン人は瞬く間に現地人に吸収された
後代のアングロ・ノルマンやオールド・イングリッシュによるアイルランド植民も結局はゲール化したし

100: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/11(火) 18:22:46
>>94
イタリア・ヒスパニアはともかくガリア北部はゲルマンとケルトの混血がラテン系の言葉が話してるって感じで封建制や騎士道の発祥の地のせいかゲルマン的特色は濃いよ
実際大量のゲルマン農民がロワール川以北に移住したからね
ちなみにローマ系住民なんてのはほとんどケルトがローマ化したもの

95: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/10(月) 21:56:30
人口比率となるとかなり難しいと思うけど、ノルド語由来の地名が多数あるところからすると、相当な数が入植して町を建設したんじゃないのかしら。
中尾俊夫さんの『英語の歴史』によると、今日の英国の地名の一部にノルドを含むものは1400以上あり、大部分はランカシャー州、ヨークシャー州など北部イングランドに集中しているとの事。

リンク先の寺澤盾氏によると、-by(町)が付く地名が600、-thorp(村)が付く地名は300だそうで。-thwaite(放牧場)が付く地名もたくさんあるようだ。
http://www.asahi.com/english/weekly/0723/05.html

97: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/10(月) 23:56:20
>>95
デーン人も城塞都市を建設していたんだね
ノッティンガム
スタンフォード
ダービー
リンカーン
レスター
のいわゆる五城塞都市

デーン人支配下のこの五城塞都市地方とイーストアングリア、ノーサンブリアは調べたらアルフレッド大王時代に服したわけでなく
五城塞都市地方とイーストアングリアはアルフレッドの次代のエドワード治世時にノーサンブリアはそのまた次世代のエセルスタン治世時にそれぞれ服しているね

101: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/11(火) 18:45:25
>>97
The Five Boroughs(五市地方)か。こちらは北部ではなく、分割されたマーシア(イングランド中部)の東半分で、デーンにすればサクソンと向かい合う最前線だからブルフ(burh 城塞)が次々構築されたんだろうね。
ダービーを除くと、ローマないしサクソン由来の地名(ただ、wikiをみると、ダービーについてもノルド語由来説とローマ駐屯地由来説がある)だから町そのものはデーン到来以前からあったようだ。

デーン人によってブルフが築かれたところは、他にもヨーク、ノーサンプトン、ハンティンドン、ケンブリッジ、テンプスフォードなども。

98: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/11(火) 00:56:18
しかしアルフレッドは文化史からみても偉大だな
古英語で書かれた歴史書、法令、ラテン語文献からの翻訳(ローマからは非難されたという)を残してくれた
もしベーオウルフやアーサー王伝説ぐらいしか残っていなかったらこの時代の認識はどうだったんだろう?
百年戦争からテューダー朝の成立の時代はうっかりするとシェースクピアの影響でかなり歪められたものが国民の常識になっているというのに
ちょっと主観に過ぎたかなw

99: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/11(火) 08:14:07
ひょっとしたら暗黒時代になってたかもな
それかアルフレッドがいなければそのままデーン人に征服されてその後の歴史がかなり違ってたかもしれん

102: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/12(水) 00:41:45
アルフの英国史に残した偉業はアングロサクソン人を単一政体にまとめたことと文化面の貢献だけでなく司法機構と教育制度を整備したということもあると思う

103: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/12(水) 09:58:23
何気に随分広い範囲に業績がある人だよな
大王といわれるのも納得

105: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/16(日) 19:46:41
大王と言われる所以は

・果敢な戦闘指揮者だが根底には政治的に問題解決を目指した
・法を整備し民生にも目配りをした
・民度を上げるための文化事業に力を注いだ

主観的評価だが・・・

106: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/16(日) 20:17:53
なんだかんだいって一時期はデーン人に追い詰められて山奥に隠棲してたりするんだよね、この人
そこから盛り返して領土を奪い返しただけでなく拡大しデーン人と棲み分けをする条約を結ぶまでこぎつけ(しかもその条約はアルフレッド上位だったはず)
晩年には約束破って攻めてきたデーン人を破って領土拡大してるしね
他の7王国がことごとくデーン人に滅ぼされてるのをみたら驚異的な成果
しかも文化に対する貢献も非常に大きいしね
大王といわれるのも納得
とんでもなく凄い人だと思う

109: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/16(日) 21:41:01
>>106
でも全然有名じゃないよね日本では
この時代を詳しく研究してる人とかいないのかな?
この時代のイングランドはおもしろそうなのに日本語資料がないから困る
もっと注目されてもいい人物・地域だと思うんだけどねぇ

110: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/17(月) 05:30:50
まあよくも悪くもローカルヒーローだからな
活動範囲が結局イングランドに止まってるし
イングランドでは有名でも世界的にはそれほど有名じゃないのはおかしくない
北条時宗とか源頼朝とか大した人物だと思うけど日本以外じゃ知られてないでしょ

117: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/19(水) 21:52:45
イギリス中世史という本見てみた
確かにアルフレッドは地方の州制整備や文芸の奨励、法典編纂などに尽力したことはわかった
イースト・アングリアのデーン人王グスルムとの戦いは当初は防戦一方でチップナムでアルフレッドは敗北するがエディントンで雪辱し侵攻を一時的に停止させた
883年にロンドンを奪回しロチェスターの戦いに勝利しグスルム王と休戦協定を締結

問題なのはこの休戦協定の社会的地位の取り決め
サクソン人貴族はデーン人自由民と同列とする
サクソン人自由民はデーン人解放民、半自由民と同列とする

これって一種の不平等条約だよね
勝ったのになぜ?

118: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/19(水) 22:01:43
>>117
ウェドモーアの和議ではデーン王はアルフレッド大王の養子になり洗礼を受けてるからアルフレッド優位なんじゃ?
もともとウェセックス王国にとっては異国同然だったデーンロウに隔離したし
特にかかわりあう事がなくなったからでは?
ウェドモーアの和議

ウェドモーアの和議は、878年にイングランドのアルフレッド大王とデーン王グスルムの間に結ばれた和議。

デーン人がデーンロウ地域を保有し、デーン王グスランは洗礼を受け、イングランド王アルフレッドの養子になるという内容で、アルフレッド優位の下に結ばれた。
デーン人たちは、デーンロウ地域に居住し定住を許され、グスランはその地の支配者となった。886年にアルフレッド大王によってロンドンが奪還されたため、デーン人たちは勢力を失い、デーンロウにおいて農民化したが、アルフレッド大王の支配下には入らず独自性を残していった。


119: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/19(水) 23:14:39
>>118
そうですか
なかなかこの時代の本がないので詳細がわからず困りますね

とこでグスルムはイースト・アングリアの王でもう一人のデーン人の王ハーフダンはノーサンブリアの王
これってデーン人がアングル人の居住地域(北東~中東部イングランド)を完全制圧しているということ?
サクソン人のみがデーン人支配を逃れていた?
ジュード人を含むアングル人とサクソン人のある程度の混交はあったと思うけど

120: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/20(木) 12:17:59
この時代、デーン人とかアングロ人とかいうのは、民族的な差異ではなくて、単にどの王様の臣民かということくらいのものではないのか?
言語も習俗もさほど差異はなかったろうよ。

122: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/22(土) 03:07:41
>>120
上で言われているように言語に差異があるからこそ英語が変化したわけだし、キリスト教に教化されているか否かの違いもある。
アングロサクソンにとってデーン人はやはり蛮族、化外そのものであったことは確かだろう。

123: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/22(土) 23:14:40
アルフレッドの2代後のエセルスタン(アセルスタン)はなぜ大王の称号を得られなかったのだろう?

927年 デーン人のノーサンブリア王オーラフ・シフトリックサンを破りノーサンブリア制圧
戦後、ウェールズの首長の臣従を得る
929年 公文書でイングランド王を称する
937年 スコットランド王コンスタンティンとデーン人のダブリン首長グースフリットサンの連合軍をブルナンブルフで迎撃大勝

内政面でも賢人会議を拡充、地方行政も十人組を設置するなど
事実上の統一イングランド王としてアルフレッドの業績と比しても大王称号に相応しいと思うのだが

124: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/23(日) 04:32:10
称号といっても、ザ・グレートてのはあくまで後の英国人の評価だからねえ。
本拠のウェセックスまで攻め込まれた絶望的状況から盛り返して、戦争と同時に統治や文芸の復興まで行ったというのがポイントなのでは。

125: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/23(日) 08:07:20
>>124の人も言ってるけどアルフレッドの時代はデーン人が強大で他の7王国が次々と滅ぼされ、アルフレッド自身も追い詰められて一時は隠棲してる状態。
この状況から盛り返してデーン人を打ち破り優位な和議を結び晩年にもデーン人に勝利をおさめてるし、マーシアもウェールズも支配下においてる。
さらに内政や文化の充実にも務め国力を増大させ、アルフレッドが整備した防衛網によってアルフレッドの晩年以降デーン人の襲来は楽に撃破できるようになっていたようだね。
言ってみればアルフレッドの時代でウェセックスの優位と飛躍の下地は確立したわけだから
その遺産を用いて拡大していった後継者たちよりアルフレッドの評価が高いのは自然だと思う。

126: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/25(火) 20:46:59
称号といえば、覇王 bretwalda という語も、実際に存在していたか定かでなく、後代の年代記作者が作った可能性があるとwikiにあったな。

127: 世界@名無史さん 投稿日:2009/08/25(火) 23:34:39
史学徒的にありがたいのは「アングロサクソン年代記」の編纂。
イデオロギーとかプロパガンダの長期的な重要性をよく理解していた君主だな。

128: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/20(日) 13:14:59
『アルフレッド大王 英国知識人の原像』って本読んでるけど、アルフレッド大王が頑張ったのに結局サクソン王朝が潰れたのは残念だな。

今のエリザベス2世も女系の方でアルフレッドの血は繋がってるみたいだけど、アルフレッドが頑張ってなかったらサクソン王朝の血は完全断絶だったのかな?

132: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/24(木) 12:24:04
>>128
王家の血はなかなか滅ばないからね
何らかの形で残ったと思う

134: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/24(木) 22:58:40
>>132
さすがにヴァイキングとは血統は繋がってなかったんじゃないかな?

129: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/20(日) 22:12:45
最後のサクソン王もウェセックス王統とは直接関わりのないハロルド伯ですからねえ。
父親のゴドウィン伯はもと一介のセインに過ぎなかったといいますし。

130: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/23(水) 09:45:27
>>129
有力貴族ならどこかでウェセックス王統と血が繋がってるんじゃないか?
まあ、そのレベルの血縁ならウィリアムの方も繋がってるだろうが。

渡部昇一『講談・英語の歴史』(PHP新書)によるとノルマン・コンクェストは国王の交代以上にサクソン人の貴族・司教といった上流階級のほとんどがノルマン人に総取っ替えになった事が劇的らしい。

131: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/24(木) 02:16:14
ハロルドの妹すなわちゴドウィンの娘がアルフレッド王統最後の王 エドワード証聖王に嫁いではいましたが、ハロルドやゴドウィン自身は王家の血脈には属していなかったようです。とくに何もいわれていませんしね。
タダの騎士からウェセックス伯に登りつめたのは、クヌート大王の従者となったのがきっかけだそうです。

133: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/24(木) 13:41:46
七王国時代は蛮族そのものだから、王は王とは言えども夜盗の頭目くらいのものだし。

134: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/24(木) 22:58:40
>>133
ブリテン島への侵入直後ならともかく、王国が出来てある程度安定すれば蛮族では無いと思うけど。

137: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/26(土) 17:29:38
>>134
ブリテンの諸王が野蛮を脱したのは、ウイリアム一世以降だろう

140: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/26(土) 22:05:38
>>137
何を持って野蛮というかもあるけど
アルフレッド大王の時代にはカロリング朝の文化や装束もかなりブリテンに入ってきてたみたいよ
ウィリアムが入ってきて当時のフランスの文化が入ってきたとはいえ当時のフランスは王侯貴族に至るまで手掴みで物を食ってる野蛮人だったしね
フランスが華やかな文化を持つのはルネサンス以降にイタリアの文化が入ってきてからじゃないかな

141: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/26(土) 22:57:53
>>137
>何を持って野蛮というかもあるけど
個人的には部族単位での社会生活だと野蛮
国として機能してれば文明的ってイメージになる。
あくまでイメージなんだが。


142: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/27(日) 01:51:48
ノルマン朝以前が野蛮とは言わないが
大陸に比べて田舎って感はある。

150: 世界@名無史さん 投稿日:2009/09/27(日) 22:34:58
ちなみにこの時代に手掴みで肉とかを食ってた関係で汚れた手指を洗うための香り水が常備されてたそうだ
これがフィンガー・ボウルの起源か
つまり当時のフランス人はやっぱり手で焼いた肉や煮込み肉を食ってた事になる
昔の人間の方が野蛮に近い生活をしてたから手の皮が厚かったりするんだろうか

158: 世界@名無史さん 投稿日:2009/10/19(月) 23:09:39
アルフレッド大王の死後、イングランドやイギリスの国王で何でアルフレッドって名前の人出なかったんだろう?
ジョンと同じで永久欠番なの?

161: 世界@名無史さん 投稿日:2009/10/20(火) 19:52:05
>>158
アルフレッド大王やヴィクトリア女王みたいに偉人は、同じ名前にして万が一どうしようも無い奴だったら名前が傷付くから、逆にジョンとか評価の低い王様は縁起が悪いから同じ名前を付けないのだと思う。

160: 世界@名無史さん 投稿日:2009/10/20(火) 00:55:05
ノルマンフレンチの王が続いたわけだから、自然ヘンリやウィリアムやリチャードのような大陸系の名前が好まれたということでは。
おそらくアルフレッドという名はアングロサクソンの平民たちに人気があって、フランス人の王族たちにとっては農民の名前としか感じられなかったんだろう。

アングロサクソン風なエドワードがヘンリの次に多いのが気になるけど、英主エドワード1世に因んでのことだと思う。エドワード1世の命名については事情がよく分からないけど、祖父のジョンあたりから大陸情勢よりもイングランド国政やスコットランド、ウェールズ侵攻などに関心を向け始めたことに関わりがあるように感じる。

162: 世界@名無史さん 投稿日:2009/10/21(水) 03:04:27
とはいってもジョンは昔は名前つけるのを避けられるような忌み嫌われ方はしてないはず。
実際王族にジョンは何人かいるわけだし。
有名どころでジョン・オブ・ゴーントとか

ヴィクトリアは娘や子孫にもヴィクトリアがいるんじゃなかったっけ

164: 世界@名無史さん 投稿日:2009/10/21(水) 21:45:23
>>162
失地王、なんて不名誉な呼び方を贈られてるのに嫌われてなかったんか?

165: 世界@名無史さん 投稿日:2009/10/22(木) 00:10:06
そりゃ王権を大幅にゆずりわたしたりと情けない見られ方をされがちではあるし
全く嫌われてないってことはないだろうけどジョンの名がタブーになるほどじゃあないということ

失地王ってのは違うけどね。
ラックランドは本来欠地王の意味。
土地失ったのもかけてはいるだろうけど

引用元: ・アルフレッド大王と7王国時代



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