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1: 日本@名無史さん 2011/11/27(日) 23:56:59.25
語りましょう








2: 日本@名無史さん 2011/11/28(月) 01:46:20.13
倹約政策などマクロ経済的に害悪にしかならないということが、全く分からなかった松平定信と、ある程度分かっていた田沼主殿頭

9: 日本@名無史さん 2011/11/30(水) 05:34:00.15
>>2
佐藤雅美氏の「将軍たちの金庫番」によれば、田沼は言われるほどの重商主義ではなかったのでは?と推測されておられるけど、どうなんでしょ。
数字を見る限り、何か大きな景気刺激策をとったようにも見えず。

10: 戸浦六宏 2011/11/30(水) 20:28:51.46
同じく佐藤雅美の「主殿の税」によると封建制の矛盾の打破のほうに力を入れていた感じだねえ。大名への融資は商人ではなく、幕府が行うことにし、納められない大名の領地を取り上げ、統一国家をつくることを目指していたと。

5: 日本@名無史さん 2011/11/29(火) 00:51:59.70
朱子学を叩き込まれる上流階級のVIPに経済を理解しろというのは無理
金儲けは悪業、商人は悪人という考え方だし
農業こそ正業米を増産しろ年貢を搾り取れしかない

8: 日本@名無史さん 2011/11/29(火) 17:18:42.00
>>5
米本位制でやってる世の中なんだから、インフレになったら取りうる政策は倹約しかない

6: 日本@名無史さん 2011/11/29(火) 03:24:16.30
1744年
幕府直轄領462万石から取り立てた年貢収入180万石
これが最高記録

7: 神尾若狭守春央 2011/11/29(火) 14:05:36.78
しかし米の増産が幕府財政増にストレートに直結しませんでした

12: 日本@名無史さん 2011/12/03(土) 09:36:56.52
なんかの資料で、幕府開闢当時の米価を100とすると、元禄のころには70くらいで、時代が下がることに50を切るんだそうで。
そりゃあ、下っ端の武家は食っていけなくなりますわなー。
堂島の米の先物市場って、どのくらい政策に影響したんだろうか。
幕府は後年まで、博打としか見てなかったきらいがあるけど。

16: 日本@名無史さん 2011/12/11(日) 01:55:47.58
士農工商
商は詐なり

これを地で行った白河公の政治がうまくいかないのは道理
ただし尾張宗春の例があるので、放漫財政が必ず成功する保証は無い
運上や冥加金を取るだけでなく法人税を課税すればよかった

17: 日本@名無史さん 2011/12/11(日) 09:56:05.62
放漫財政ってのは、今でいうと公務員が庶民の数倍の給料もらってしかも賄賂もらいまくるってことなんで、結局うまく行くわけがない。

むしろ、お金を浪費するのが「公務員」じゃなくて「大奥」だったりするんだから得をするのは服飾・宝飾関係者とかだけで、その他の人にとってはものすごい無駄遣いにしかならん。

18: 日本@名無史さん 2011/12/11(日) 10:06:14.27
経済政策として効果があるのは、インフラ投資に結びつくときだけで、当時でいうと干拓事業とか、そういうのにお金をつぎ込むのは良い。
個人的な浪費を財政投資と混同するのは間違いで、尾張宗春なんかはただの浪費家だしその結果自滅しただけなんだが、なぜか日本史だとこういう人が、人気あるのな。

19: 日本@名無史さん 2011/12/11(日) 11:04:41.60
余計な浪費は控える一方で、長期的に民の利益になるような投資を行うのが善政なんで、その意味では儒教の教えとそれほど違わない。
ただもちろん、孔孟の時代と日本の江戸時代では経済の発展度合いが全然違うんで、都市には都市に見合った政策は必要。

朱子学を教え込まれるから云々っつーよりは、その人がどれくらい現実を見て政策を取っているか、ってだけの話だと思うな。

20: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 03:24:22.46
武士にコメを支給するコメ本位制が幕末まで残った点が悪い。
新田開発で収量が増えれば所得は下がるし、豊作で換金に急げばまた値下がり。
将軍と旗本の間に商人が介在し利ザヤを抜けば商人が太るだけ。

21: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 09:32:31.72
>>20
農家に米を換金させて、金で税を払わせるのか?
そんなことしたら、農家の負担がさらに大きくなって、大変なことになる

26: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 21:22:50.07
>>21
上方では商品作物の栽培が盛んになっていたから、領主代官と領民が話し合って代銀納に移行するケースも少なくなかった。米納はどちらにとっても損だからね。

23: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 09:45:13.11
>>20
織田信長が楽市楽座で商人に無税を敷いて城下町に集めたように、戦国期には多くの大名たちが楽市楽座を敷いた。
江戸時代もこれを引きずった部分があったんじゃないかな。
室町幕府などは幕府直轄領が少なかったせいもあって、商人たちに免許制の「座」を設けてそこから多額の税金を巻き上げていた。
ただし、特定商人との癒着、賄賂が横行した過去もある。 

24: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 09:56:07.54
要は、商人に対して効率的に課税することができなかったために商業の発達を見たのはいいが、反面武士と農民が没落した、ってことかね。
しかし幕府は仮に商人に課税して財政を黒にできたとしても、諸藩はそうはいかないだろう。
要は、経済の発展に伴って中央(都市部)と地方の格差が大きくなったわけだから、
地方の武士はどのみち没落する運命。 
25: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 10:38:43.92
>>24
諸藩にはそれぞれ城下町があるため、そこに課税できれば藩政は潤う。
基本的に江戸幕府収入は幕府直轄領からのみ。
直轄領以外の諸藩に属する城下町の商人からの税金を江戸幕府が徴収することはできない。
江戸時代は都会が潤い地方が疲弊したのならば、幕末に薩摩や長州と言った地方の雄藩が中央進出できなかったはず。

30: 日本@名無史さん 2011/12/13(火) 02:54:18.45
>>25
>諸藩にはそれぞれ城下町があるため、そこに課税できれば藩政は潤う。
>基本的に江戸幕府収入は幕府直轄領からのみ。
>直轄領以外の諸藩に属する城下町の商人からの税金を江戸幕府が徴収することはできない。

そりゃ当然そうだけど、商人から徴税して経済政策をとるなんてことができただろうものは、まず第一に江戸や大阪を支配していた幕府。
あとは名古屋、金沢など大都市を持っていた大藩だけで、一般的な、数万石程度の小藩では、そもそもそんな商業都市さえなかったのでは?
って言ってるわけだが。本当にそうだったかどうかは、きちんと文献と数字で調べて見ないとわからないけど。

31: 日本@名無史さん 2011/12/13(火) 08:02:36.89
>>30
数万石の小藩ならば、藩を維持する経費も少なくて済む。
数十万石の大藩ならば、幕府の命により参勤交代でもそれなりの人数を連れて行かねばならず、経費が掛かる。
数万石の小藩と数十万石の大藩の維持費が同じだと思ってる?
大藩の城下町はそれなりの規模のものが存在している。
江戸時代には武士階級は城下町に集住が命じられており、大藩になればなるほどその規模は拡大したわけだから。

27: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 21:39:06.61
鎖国下では少ないパイの奪い合いになるんだよな。
多くの藩が財政的に破綻寸前にまで追い込まれる中で、少数の藩だけが殖産興業に成功して幕末に活躍した。
渡辺崋山の三河田原藩は農学者の大倉永常を招いて本格的に財政のテコ入れをしたけど、結局はうまくいかずに永常と訣別してる。

但馬出石藩では凄まじい倹約と生糸専売で財政テコ入れをしたけど、倹約が極端すぎて内紛を招き、仙石騒動を招いた。原因は、出費を削られた先代藩主未亡人が親戚筋に当たる将軍家斉の娘に愚痴って、それが家斉の耳に届いてしまったため。
改革を推進する家老は藩主の座を簒奪せんとする大奸物として断罪され、藩は半知になった。しかし、その家老の切腹後も改革路線は幕府の目を盗んで推進された。

高松藩は砂糖、木綿、塩の生産で幕末には大変な富を築いたけど、文政期ごろには経済の分からない馬鹿な藩士どもによって搾取されし過ぎ、再生産するだけの富すら農民側には残らず、せっかく栽培の成功した甘蔗畑は施肥すらされずに生産量はがた落ちだった。改革者がでなければそのままだっただろう。

江戸中期以降にもなれば、大抵の藩はこんな風にのた打ち回っていた。

28: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 21:48:35.72
上方の銀本位制、江戸の金本位制の複合貨幣制度も経済混乱に拍車をかけた。

29: 日本@名無史さん 2011/12/12(月) 22:43:08.10
>>28
幕末混乱期の金流出を除いては、むしろ明らかにプラスに働いたんじゃないの?

江戸時代中後期は、気象学的な小氷河期に突入したため、生産力の地域差が如実に表れた時期だった。
東北日本の太平洋側では、度重なる飢饉で農村が著しく疲弊し、都市は流民で溢れた。
江戸を典型として、都市人口は膨張したが、これは「悪い意味での発展」だった。
それはいわば「第三世界的」あるいは「ローマクラブ的」な末期的状態で、安政江戸地震でその都市問題が爆発する。
1860年代の江戸は、ヨハネスブルグ的なカオス状態。

他方、西南日本や日本海側では、比較的飢饉の影響は少なく、商品経済が発展した。
特に畿内の平野部が典型だが、在郷農村の経済力が増して、経済の中枢を担うようになった。
大坂を筆頭として、旧来の大都市はかなり明白な衰退傾向で、元禄までのような活力を失っていく。

偶々ではあるが、前者の地域が金使い、後者の地域が銀使いだったから、現代の管理通貨体制で2つの通貨がある状態と同じで、マクロ経済的に自然と調整が行われることになる。

32: 日本@名無史さん 2011/12/13(火) 08:14:42.87
>>28
円ドルユーロが並立していて世界経済は混乱要素になっているだろうか。
むしろ、一極の思惑で全体が振り回されないから、ショックは緩和される。

幕府は改鋳で銭を得ようとした。金銀並立でなければ更に大混乱だっただろう。

39: 日本@名無史さん 2011/12/17(土) 23:22:52.11
武士はもともと親戚・同僚との付き合いにかかる出費が多く、社会の発展とともにそれにかかる費用は増大しても給料は上がらないため借金ばかり。

幕末に始まったことでなく暴れん坊将軍の時代にすでにそうだった。
どうみても構造的欠陥なのに幕府は1860年代までよく持ったものだ。

40: 日本@名無史さん 2011/12/17(土) 23:50:20.27
>>39
暴れん坊将軍どころか、犬公方末期あたりで、末端武士たちの生活は崩壊していったみたいですけどなー。敷地に長屋立てるなんてのは、このあたりから増加していった記憶。

余剰人員のリストラが非常に難しい体制だったというのも、幕府全体を歪ませた一因なんでしょうなあ。

41: 日本@名無史さん 2011/12/18(日) 00:39:46.39
>>40
由比小雪の乱が幕府に与えた影響は大と言わざるを得ない。
江戸時代は基本的にデフレ社会だから、現代と似ていると言える。

結局戦争が究極の公共事業で景気浮揚策なのよ。何故って造って壊れてまた造ってだから。その意味では秀吉の朝鮮出兵は景気浮揚策ではあった。攻められる方はたまったもんじゃないが。

42: 日本@名無史さん 2011/12/18(日) 01:57:56.07
>>41
更に戦争主体そのものは出費を回収できない。
潤うのは製・商・輸。
そこから徴税する仕組みを上手く作れるかどうかが味噌。

田沼は干拓事業で金吐き出しながら、それで儲けた商人やら開拓地主から徴税する発想できた点はスゴいと思う。
儒教的な松平定信デフレ路線だけでなく政策の幅を生んだ訳だし、それは幕末に通商が解放された際にも経済政策の手本の一つになって意味はあったと思う。

49: 日本@名無史さん 2011/12/18(日) 15:05:53.13
商業に課税するといっても、現代のように簿記もないし、企業の所得を補足できない。
暫定的に課税するとしたら、どんな方法があるか?

51: 日本@名無史さん 2011/12/18(日) 15:09:37.69
>>49
冥加金、定期的に富豪お取り潰し

53: 日本@名無史さん 2011/12/18(日) 16:15:45.67
お店の面積

54: 日本@名無史さん 2011/12/18(日) 16:22:20.91
>>49
商人に、売り上げ高を申告させるしかないだろ。
虚偽申告の罰則つきで。

55: 日本@名無史さん 2011/12/19(月) 08:35:13.68
虚偽を正確に見破る方法がねえだろ

60: 日本@名無史さん 2011/12/21(水) 23:00:43.17
商業への課税は、簿記理論が確立してから後の話だよ
逆に言えば、それまでは資本蓄積が何の障碍もなくすすんだから資本主義発展の原動力になった

63: 日本@名無史さん 2011/12/23(金) 04:37:29.32
>>60
明治大正期ですら、一番の財源は「酒税」だったものねえ。
物品税をとれば良かったのか? でも、算定手段がないか。

薩摩藩なんかは密貿易で儲けたようだけど、長州、土佐なんかはどうしてたんだろ?
長州は開墾しまくって、幕末期は実質100万石だったってホントかしらん?

64: 日本@名無史さん 2011/12/23(金) 08:41:37.62
>>63
長州は大阪から下関を回って日本海側に行く船に税金をかけていました。
海の関所ということです。腰荷方という専門の役人を置いていた。
村田清風の藩政改革が効いていたようで、ここも借財39ヶ年償還法を商人に飲ませている。

61: 日本@名無史さん 2011/12/21(水) 23:07:02.39
信長が占領する前の堺なんて完全に自治都市だったのにな
あの末裔が商都大阪の繁栄の基礎になっている

62: 日本@名無史さん 2011/12/22(木) 00:34:19.39
こないだ借金棒引き50周年説って論文がでてたなぁ。

堺はバックに寺社がついてたからで、自治都市、と一口で言うと少し誤解が生じる。
要は無政府状態で誰が「自治」を守ってくれたかというのを考えないと信長が単に狼藉簒奪者になってしまうんだけどね。
そういう風に言う人もいるから困ったもんだけど。

74: 日本@名無史さん 2011/12/29(木) 15:18:12.57
そういや吉宗は経済的にはバカ殿って話はどうなった?

76: 日本@名無史さん 2011/12/30(金) 00:35:55.94
>>74
米価管理をしようとして失敗したからね。
そもそも新田開発を奨励して収量が上がっているのに米価を維持する政策を考えるのが間違い。
つまり旗本はドインフレして生活に困ったわけ。
コメ本位制度を改めるべきだった。

77: 日本@名無史さん 2011/12/30(金) 10:18:24.06
>>76
> コメ本位制度を改めるべきだった。

具体的にどうやって改めるわけ?

85: 日本@名無史さん 2011/12/31(土) 18:14:23.29
>>76
井沢で悪いが、あの頃は確かに「商は卑しい」というのがあったからコメ本位をやめるというのは根本的価値観に抵触する
かなりの難題だったろうとは思う。

78: 日本@名無史さん 2011/12/30(金) 10:42:30.04
吉宗も経済的には、苦労したわりにそれほど成功したとは言いがたいが、宗春に比べればはるかにマシ。

歴史の分野って、研究者や小説家含め、誰もが
「今までと違う新しいことを言いたい」っていう強迫観念に駆られているから
「経済的には宗春の方が吉宗より偉かった」とかいう言説が、本気で主張されることになる。
これは吉宗自身の問題っつーよりは、歴史学の問題だね。

79: 日本@名無史さん 2011/12/30(金) 11:04:01.00
>>76-77
理想的には、こんなとこか?

・天領及び旗本所領地からの年貢米は、幕府が一括して管理。換金・換銀した上で、旗本・御家人への俸給は金銀で支払う。
・米の売却は、飢饉対応の備蓄米・米相場の安定などを目指し意図的に調整。相場には積極的に介入。
・諸藩にも同様の政策を奨励。自前で政策をとれない小藩については、幕府が代りに備蓄・換金を行う。
・内政面では、倹約を奨励。無駄は徹底的に省き、過度の贈収賄は厳しく処罰する。
・商人に対して課税。当面は、自己申告した売り上げ高に応じて課税をする他ないが、サンプル的に商店に見張りをつけ、売上高が正しく報告されているかを確認。
虚偽の申告は厳重処罰の対象とする。


まあ、実際には↑これを実現するのは、ムリだったろうけどね。

80: 日本@名無史さん 2011/12/30(金) 11:10:08.73
本当に本気で経済政策をやるなら、経済的生産性ゼロで米だけ消費する武士階級をまず淘汰しろって話になる

83: 日本@名無史さん 2011/12/30(金) 17:43:39.41
>>80
そうなんだよねえ……。
どう考えても幕府財務に置いて、最初に削るべきは人件費だものなー。
「無役」という存在があること自体おかしいし。

86: 日本@名無史さん 2011/12/31(土) 20:16:16.64
>>83
しかも幕末に戦になったら全く役に立たない旗本ばかりw
無嗣は絶家にすればよかったんだよなあ

87: 日本@名無史さん 2011/12/31(土) 21:54:31.45
>>86
由比正雪みたいな事件が乱発するから無理

引用元: ・徳川幕府の経済政策について