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1: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 22:14:51 ID:pCeyuhX/
秀吉に縁故採用されたのに上手い事立ち回って家康政権下でもそれなりに大封のまま明治へ
そんな浅野家について語りませう









2: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 22:18:41 ID:kgYNeJmT
あれ?浅野家は忠臣蔵の物語でたしか藩主切腹したよね
あれは分家ってこと?

4: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 22:32:48 ID:pCeyuhX/
>>2
赤穂藩5万3000石は浅野長政の三男、長重が起こした分家

本家の広島藩は42万6000石

3: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 22:19:15 ID:aqnx80Md
大政所のおかげ

5: 人間七七四年 投稿日:2008/01/25(金) 22:55:39 ID:SGI+GIW1
浅野と池田は特別なことしてないのに勝ち組
外様なのに紀伊や播磨といった大坂包囲網に組みこまれている

18: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 20:36:19 ID:fOGME8jM
>>5
家康の娘(で秀忠の姉だか妹だか)を孕ませ、産まれた子供は次の藩主という特別なことしてます
ちなみに福島正則は跡継ぎ(養子)の嫁に家康の養女をもらってたが秀次事件と似たような過程を経て身篭っていた家康養女を返却、そして以下略。


浅野 光晟

浅野 光晟(あさの みつあきら)は、安芸広島藩の第2代藩主。浅野宗家3代。

元和3年(1617年)8月12日、初代藩主・浅野長晟の次男として和歌山で生まれる。寛永4年(1627年)8月、元服し、さらに家康の外孫であることから松平姓を許されて松平安芸守を名乗った。


7: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 00:46:12 ID:gqN2C7ds
浅野長政は家康の碁仲間だったんだっけ?
家康暗殺計画に連座して蟄居してるが、当人同士で示し合わせてたのかな?

8: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 00:55:14 ID:BBfEQZC8
奉行筆頭格の長政が蟄居させられたおかげで、三成が関ヶ原に向けて自由に動くことができた。

10: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 04:35:38 ID:gqN2C7ds
>>8
やはり三成とは不仲だったのかな?
「内府が来るから頭巾を取れ」とわざわざ三成に忠告してるのは、意外な気もするけど。

13: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 14:31:50 ID:mXf+ixbV
>>10
三成と仲悪かったのは幸長じゃないか?

15: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 20:11:05 ID:gqN2C7ds
>>13
幸長が三成と不仲だったので、五奉行筆頭として長政は苦労してたというのが妥当な所か?

11: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 13:35:48 ID:voUum2p2
次男の長晟が徹底して親家康だったのがよかったのかな

12: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 13:48:17 ID:oJ/pFp14
家康暗殺なんてわざとらしい。事前に家康と打ち合わせたとしか思えない。

浅野長政は戦経験の少ない幸長(16)を心配して朝鮮出兵で清正(30)に幸長の世話を依頼。清正は快諾し幸長も武勇に誉れ高い清正と共に戦える事を喜び朝鮮では清正を父と呼び二人は朝鮮で生死を共にした。
幸長はこれ以後清正を自分の理想として行動するようになる。

幸長は清正にも劣らない勇将に育ち時代が徳川の世に移っていく中で清正と同じく豊臣に忠義を尽くす。しかし清正の死後僅か二年後に同じ病(?)で死去。その一年後に大阪の陣が始まる。
二人の死は豊臣家の崩壊を決定づけた。

っと贔屓本で読んだな

14: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 18:17:15 ID:BBfEQZC8
>>12
> 事前に家康と打ち合わせたとしか思えない。

それにしちゃ暗殺計画露見後の、豊臣内部の動揺が大きすぎる。
長政がかかわったかどうかはともかく、実際にそのような計画はあったのだろ。

15: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 20:11:05 ID:gqN2C7ds
>>14
浅野と連座したのは大野治長・土方雄久。
で、三者とも関ヶ原では東軍支持と。

16: 人間七七四年 投稿日:2008/01/26(土) 20:21:22 ID:BBfEQZC8
>>15
> 浅野と連座したのは大野治長・土方雄久。
> で、三者とも関ヶ原では東軍支持と。

そりゃあその三人は徳川の強烈な監視下にいるんだから、関ヶ原で東軍につくのは当然だろ。

19: 人間七七四年 投稿日:2008/01/27(日) 01:57:48 ID:QP4YSNp1
幸長が死んだタイミングがどうも怪しい。

24: 人間七七四年 投稿日:2008/02/01(金) 19:43:36 ID:4PUghb4J
上手い事世渡りしたもんだ。

42万石っていったら外様でも相当な大身だぞ。

25: 人間七七四年 投稿日:2008/02/03(日) 01:05:54 ID:BmJQ3a5X
とはいっても紀伊和歌山からおっぱわれたんだけどな
似たもの大名の池田も分裂させられている

26: 人間七七四年 投稿日:2008/02/03(日) 01:12:20 ID:UNo//ENW
和歌山より広島の方が良くない。
土地は豊かだし

28: 人間七七四年 投稿日:2008/02/03(日) 01:32:46 ID:wyb2SlMR
和歌山より広島のほうがいいよ
広島は超一等地

29: 白馬青牛 投稿日:2008/02/03(日) 01:51:34 ID:KfBhjzKM
>>26-28
平野部の少ない広島の土地が豊か?米食もハレの日か、江戸期の北前船の船員が呉れたもんを喜んで喰うたぐらいじゃし、広島県内の中部米作地帯でも主食は麦で、沿岸部は芋じゃ。豊かと云えるレベルじゃあるまい。

33: 人間七七四年 投稿日:2008/02/04(月) 23:10:14 ID:hhfeq1xP
>>29
浅野はよそ(大坂)でたくさん米を売ってたらしいがな。で、「芸候の商売上手」と言われた。
結局、米は売り物か。

30: 人間七七四年 投稿日:2008/02/04(月) 02:56:43 ID:biDEV3yY
関が原の後の加増でも浅野と池田はかなり贔屓されてるよな
浅野=紀伊和歌山、大坂及び真田親子の監視役
池田=播磨姫路、 大坂及び西国の監視役(毛利島津加藤福島)
あれだけ家康のために頑張った黒田と細川は九州だしな
豊臣滅亡後は池田は分裂させられたり減封されたり悲惨だが浅野は広島へ加増(毛利の監視)
分家は潰されたけどかなり恵まれてる

36: 人間七七四年 投稿日:2008/02/09(土) 21:07:28 ID:PFmQNPeD
>>30
池田が分裂って言っても、もともとの領土に加えて弟の分も大領もらってんだから文句は言えない
あとでグダグダになったのは督姫が欲をかきすぎたせい

32: 人間七七四年 投稿日:2008/02/04(月) 03:37:35 ID:E7OwcF0/
起請文案とかをみると、秀吉の亡くなる直前ぐらいから他の四大老の名前は書かれているのに浅野だけ名前なかったりするんだよね。

37: 人間七七四年 投稿日:2008/02/17(日) 18:34:26 ID:rBT2zlf8
>>32
ねねと長政組んだら、普通に豊臣家乗っ取られるからな。
まあ、あの二人はそんな気はなかったようだけどね。

34: 白馬青牛 投稿日:2008/02/06(水) 01:08:43 ID:dBqCl7Ik
和歌山県も平地に恵まれてないが、広島県も県土の70%は山地で、県内の耕地は、総面積のわずか11%、83%は山林じゃ。江戸期から階段状の石積み棚田を造ったもんじゃ。
豊かな沿岸部は、芋と魚が主食じゃし、中部の穀倉米作地帯でも麦が主食じゃった。飢饉に見舞われた寒冷地の県北部山地の方が、粟類の穀物や獣肉の併用で米食の頻度が多かったようじゃ。米は売り物が主で、庶民の口に入るんは、特別なハレの日じゃないか。
江戸期、広島から大阪へ売ったんは海産物の広島名物牡蠣もあるね。藩より商人の活動じゃけど。
牡蠣に含まれるグリコーゲン、亜鉛効用で、大阪人を江戸人のような味覚音痴にせんかっただけでも、良かったんじゃないか。

38: 人間七七四年 投稿日:2008/02/18(月) 23:41:04 ID:YxuiwHPb
>>34
しかし、そんなに米が収穫できないのに、なんで酒造業が盛んになったんだろう?

40: 白馬青牛 投稿日:2008/02/23(土) 22:06:26 ID:WU4hNvkR
>>38
広島の米作地帯は名醸の地で地造り酒屋も多かったが、裕福な層は別として、酒も米(普段は麦飯)と同様日常飲めるわけじゃない。
ハレの日や行事の特別なとき飲めるぐらいで、酒粕も同様。
自家用に出来る焼酎の方が飲む機会が多かったろう。

39: 人間七七四年 投稿日:2008/02/23(土) 11:20:24 ID:Z2CjCB8J
広島での知名度、人気
毛利>>>(よそ者の壁)>>>浅野≧福島

浅野氏の建てた藩校由来の学校をでた俺でもほとんど浅野氏についてはほとんど知らないや

40: 白馬青牛 投稿日:2008/02/23(土) 22:06:26 ID:WU4hNvkR
>>39
広島は毛利氏に愛着が強いね。毛利時代の国人衆の分家やその武士団の末裔が多いせえか、浅野氏の家臣の末裔でも、親戚や養子に、安芸の豪族がおるやら、自慢するもんがおる。
あんたあ、修道出身さんじゃね。

42: 人間七七四年 投稿日:2008/04/01(火) 06:30:15 ID:7ax1GNoh
米沢では、上杉直江吉良の次に
浅野>>>(地元出身)伊達政宗
の知名度
赤穂浪士があまりにも有名なのと上杉家中に大石氏がいたことも一因かも

43: 人間七七四年 投稿日:2008/04/01(火) 06:36:15 ID:7ax1GNoh
あと江戸屋敷が浅野上杉と近かったせいもある
忠臣蔵のドラマで「芸州の浅野本家が…」と登場人物が語るせいもある

44: 人間七七四年 投稿日:2008/04/01(火) 06:50:08 ID:7ax1GNoh
伊達政宗は有名だろうが、地元の英雄としてはピンとこない人が多いようだ。
浅野長政と政宗は何かの理由で仲違いしたみたいだね。
浅野家は和歌山でも有名なのは真田のドラマもあるが内政に秀でていたからだろうか。

46: 人間七七四年 投稿日:2008/10/13(月) 17:26:33 ID:DRASRMfT
浅野は地味だな
池田も地味だが毒饅頭と荒木又右衛門がある

有馬は何もないな

47: 人間七七四年 投稿日:2008/10/13(月) 17:40:47 ID:bxmomjJS
浅野には赤穂浪士がある

48: 人間七七四年 投稿日:2008/10/13(月) 18:55:35 ID:e1xplBiQ
赤穂藩には赤穂浪士がいるが
芸州浅野家はなんだろうな?商売上手と最後の大大名くらいか

63: 人間七七四年 投稿日:2009/01/18(日) 22:54:40 ID:MT5EOw53
>>48
吉宗の時の藩主が吉原の女郎を身請けしたり放蕩限りを尽くしたが、奥方が自害して以後心を入れ替えて名君になったって話がある。
本当か嘘か分からんが。

53: 人間七七四年 投稿日:2008/11/02(日) 14:58:31 ID:jwpxDTCM
お家騒動みたいなのもなかったのか。ネタがないからこそ最後まで続いたんだろう。

55: 人間七七四年 投稿日:2008/12/11(木) 00:44:04 ID:hAQAeV18
意外に知られていないけど、42万6000石の本家のほうは豊臣の血が入っているんだってね。
秀吉の姉、ともの子で、秀吉の養子になった秀勝の娘の完子の娘が嫁いできて子を産み、以降それが現在まで続いているようだ。
他家とはいえ、豊臣の血も完全に根絶やしになったわけでないようだし、42万6000石なら子孫としたら上出来だろう。

57: 人間七七四年 投稿日:2008/12/23(火) 08:35:52 ID:l6tdKfg1
豊臣のったってほぼ他人じゃん

58: 人間七七四年 投稿日:2008/12/23(火) 13:03:12 ID:Q9vXw7xF
まあ、家ってのは血よりも法人としての存続のほうが大切だったりするし。

65: 人間七七四年 投稿日:2009/01/22(木) 23:32:50 ID:B9MqCRZh
幕末この藩は薩長同盟の次ぐらいに同盟結んでかなり早い時期に旗色を決めていたけど全く空気でしたね
家老の辻とか、小御所会議とかでも参加したりとか第二次長州征伐では、幕府を無視した態度も少しは見せた
しかし空気だった

70: 人間七七四年 投稿日:2009/05/10(日) 16:17:59 ID:D5XZkSbH
>>65
薩長勢力に抗しえないとみての受動的な動きだったからな。
太平洋戦争序盤のタイみたいな。

まして、毛利からみたら歴史上の侵略者と受け取られかねないんですさまじく気を遣っていたんだろうなあ。
近未来の日中関係にも通じるものがある。

76: 人間七七四年 投稿日:2009/07/09(木) 19:07:13 ID:kkLcLeCm
>>65
いまひとつ藩論がまとまらなくて動けなかったらしい。

71: 人間七七四年 投稿日:2009/05/11(月) 23:33:57 ID:k0m8dHG3
あれだけ徳川に優遇されてたのに
幕末では真っ先に薩長に寝返ったな

77: 人間七七四年 投稿日:2009/07/09(木) 19:39:56 ID:wmQT32tH
芸州は早くから倒幕勢力に加担し、第二次長州征伐では長州を支持するなど、薩長は土佐以上に芸州に好感を持っていた。
しかし、王政復古の朝議の際に徳川擁護派に歩調を合わせたことに薩長は激怒、遂に薩長土肥から除外された。

78: 人間七七四年 投稿日:2009/07/10(金) 07:04:30 ID:P4FwtX2I
第一次は幕府側について、前線基地を提供したりしてるけどね。
そのへんが信用されなかった遠因ではないかと。

79: 人間七七四年 投稿日:2009/07/10(金) 07:18:00 ID:h09RmkXv
幕末の広島藩は、辻将曹の日和見がなあ。

89: 人間七七四年 投稿日:2010/02/02(火) 13:25:20 ID:guVn46V0
芸州藩は幕末に内高はそんなに高くない割に人口は多くて収入との釣り合いが取れず、貧乏だったから特に何も出来ず仕舞い
隣の福山藩鎮撫ぐらいは長州任せじゃなく出来りゃ良かったんだがな

93: 対朝賊軍事総裁 高田信弘 ◆2I5hlJuq8sNH 投稿日:2010/12/25(土) 23:17:25 ID:1SwKB2VM
>>89
あんまり優秀な人がいなかったこと、藩主が優秀でもそうせい候でもなかったからかもね
郷士差別の気風が薄かった点も影響してるかもしれんな

81: 人間七七四年 投稿日:2009/12/07(月) 18:28:52 ID:06GQaX7a
秀吉の親戚なのに、家康からは優遇されてるよな。

82: 人間七七四年 投稿日:2009/12/07(月) 18:44:14 ID:neftw+AW
>>81
浅野長政は家康と仲いいよ。
よく囲碁を2人でやってたんだが長政が死んでから家康も囲碁をやらなくなってしまった。

83: 人間七七四年 投稿日:2009/12/08(火) 23:22:38 ID:HMi3oHHd
そういえば長政が秀吉渡海の件で諫言して、秀吉が激怒して刀を抜いた時、長政を上手い事その場から連れ出して助けたのが家康だったな。

85: 人間七七四年 投稿日:2009/12/09(水) 03:38:21 ID:b3dvJ84h
浅野は似た者同士の池田とは仲良かったのか?

86: 人間七七四年 投稿日:2009/12/09(水) 09:43:23 ID:s4sdeOEe
池田の方が明らかに格上なんだがな
世代が違うから仲良くはないだろ

87: 人間七七四年 投稿日:2009/12/09(水) 18:18:26 ID:8+r+rdqQ
幸長の妻が輝政の妹だから繋がりはあった

90: 人間七七四年 投稿日:2010/05/28(金) 00:02:36 ID:5+0hzks5
甲斐一国をもらってたのは凄いな。過分とも言える沙汰だ。

91: 人間七七四年 投稿日:2010/05/31(月) 22:00:27 ID:wP5ompo0
甲斐は関東の徳川への直接の押さえ。東海道よりもずっとその意味合いが大きい。

92: 人間七七四年 投稿日:2010/12/25(土) 22:20:48 ID:4b3Uz4kw
五奉行筆頭の割にはパッとしない奴だな。

96: 人間七七四年 投稿日:2011/01/01(土) 16:11:41 ID:PLKrOQWw
赤穂の浅野家は、広島から領地を分けてもらったわけではないから、分家ではなくて別家でいいんだよね。

97: 人間七七四年 投稿日:2011/04/30(土) 21:50:25.81 ID:K2zsPcz9
関ヶ原の恩賞だったね。
だからこそ取り潰されそうになっても本家は不干渉だったのかな。

98: 人間七七四年 投稿日:2011/06/10(金) 00:31:51.03 ID:XW54X01t
勝手にやったことだし代も結構下ってるから本家としては知ったことではないよな。

109: 人間七七四年 投稿日:2013/10/17(木) 14:23:11.65 ID:vo/UBaTz
浅野長政に関するまとまった研究書とかおすすめの一般書ってあります?
この頃興味もつようになったけど、あんまり浅野関係って見かけないので探してる最中です

111: 人間七七四年 投稿日:2013/12/02(月) 00:03:39.17 ID:fcl7RmFs
>>109
『浅野長政とその時代』という本が出てる


引用元: ・【密かな】浅 野 家【勝ち組】





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