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1: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/13(土) 19:54:53.20
没落武士で有名な人っている?








2: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/13(土) 20:01:58.37
>>1
名古屋藩の家老松平某は娘を女郎屋に入れたな。

3: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/13(土) 21:38:45.84
くわしく

44: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/24(水) 19:15:54.21
だいぶ前に読んだ記憶なので、不正確な部分があるかもしれないが、
この一家の姉妹の運命は壮絶で、父親がもう売り食いできるものがなくなると、嫁に出していた長女をだまして実家に連れもどし、そのまま女郎屋に叩き売った。
次女も女郎に叩き売られて、ラシャメンからからゆきに転売されてしまった。
三女は芸者に売られたが、運よく裕福な家に身請けされた。

とにかく、このろくでなし親父のせいで、娘たちはみんな苦界に沈められてしまった。

5: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/15(月) 08:33:58.37
明治時代、社会の指導的立場に士族が多かったのは事実だが、そういう立場に立てたのは士族全体のごく一部にすぎない。

官吏、軍人、警官、教員、会社員、新聞記者などになれたのは全体の1割ていどで、大半の元武士は人力車夫や荷車引き、農夫などの肉体労働者に転落した。

6: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/15(月) 08:50:35.44
興味深いのは、社会的に成功したものは下級武士出身者の方が多く、上級武士だった者は>>2のような境遇に転落した者が多い。
旗本も、男は人力車夫、女は芸者や遊女というパターンが多かった。

25: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/20(土) 18:23:31.05
>>6
総数はともかく
割合的には没落しても芸者や遊女にならなかった女性の方が多いけどな

4: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/13(土) 21:44:19.32
陸奥亮子

40: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/23(火) 21:48:31.02
>>4
芸妓と遊女は区別したほうがいいのでは
陸奥亮子は体を売る遊女とは別では?

48: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/26(金) 21:07:16.49
>>40
それは綺麗ごと
花街に勤める女性の多くは親兄弟の借金の肩代わりとして売られてきた娘であり実際には芸だけでは客が入らないし茶屋も儲からない
芸奴は表向きは芸を売る仕事だけど当然水揚げがあり大金を貢いでくれる決まった旦那を持ち旦那に体を提供する義務があった

陸奥亮子は17歳で陸奥宗光に身請けされたので芸奴時代はそれほど長くなかったがそれでも花街出身であるということはあまり評判の良いことではなかったよ
ちなみに亮子は宗光の後妻で、宗光の先妻も宗光が芸奴を見初めて水揚げ→身請けしたらしい
(宗光は最初の妻と死別後、亮子を水揚げ→身請けしている)

9: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/15(月) 19:48:33.93
藩閥世代よりあとの歴代首相を見ると、原敬が南部藩の家老の出だったのを除くと、高橋是清とか加藤高明とか若槻礼次郎など足軽とか下級武士の出が多い。
犬養とか浜口みたいな庄屋・郷士層の出もいるが、官僚・軍人の多かった戦前までは、全体的に下級士族の秀才出身の首相が多い。
士族出身者が激減し、地方の名望家=地主・豪農層出身が増加するのが戦後。
岸、池田、佐藤、福田、竹下などの55年体制時代の自民党の首相がそれに該当する。
ただし、岸、佐藤は長州藩の制度の関係で、農村に土着している正規の武士なので、士族であり地主という特殊ケースだが。

10: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/15(月) 20:14:55.63
加藤高明、二葉亭四迷、坪内逍遙。
いずれも尾張藩の下級武士の子で幕末生まれで明治前期に青年期を迎えた世代だが、やはりこの時代は下級武士の子がいろんな分野で活躍したことがわかるな。

官僚・政治家でも文化人でも、地主・豪農層が主流になるのは、そのあとの世代。

11: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/15(月) 20:32:37.82
下層武士層が活躍できた割合は全日本の下層武士層の何割だ?
ごくごくごくごくごくごくごくごく一部だが?しかも新政府関連が大半で、それ以外はずば抜けた能力発揮しないと逆に認められない。

大身地主郷農層は明治初期からそのまま名望家としてそのまま地元で活躍
また田中正三のような義民としても政治世界で大活躍
夏目漱石や与謝野など知な領域でも大活躍

下層武士層は大半が車夫や土方だろ
レベル違いすぎだろ

12: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/15(月) 23:35:43.75
るろうにの映画では、廃刀令後なのに普通に帯刀してる浪人がゴロゴロしてるんだが・・・

14: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/16(火) 17:21:50.72
>>12
廃刀令でてるのに帯刀、及びチョンマゲしてるやつらを強制取締りしていたのも村長たる庄屋
嘘じゃない。佐賀では村長からチョンマゲを強制的に断髪され、不貞浪士が一人ではなく、徒党を組んで村長宅を襲撃
県令より警察官がハケンされ、鎮圧されてるほど。

15: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/16(火) 18:01:38.30
士族の反乱が相次いだ事からもお察しだよな
反乱を鎮圧したのも士族っていうオチもあるけどね
西南戦争で、政府軍に居た旧幕府側だった者はここぞとばかりハッスルしたそうな

27: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/20(土) 20:20:33.82
五千円札の肖像画、樋口一葉が没落士族のイメージにぴったりくるな
女な上に戸籍上は士族じゃないけど、母親の方が武家の出で士族のプライドみたいなもんがあったが生活は苦しかった
針仕事などの内職すればいいのに、そういうのを蔑視して絶対にやらなかったんだよな

28: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/20(土) 21:00:59.65
一葉の両親って、どっちも甲州の農家の出で、親父が武家奉公で貯めた金で同心株買って八丁堀同心に成り上がったから、女戸主でも一葉自身も士族のはずだが。

32: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/21(日) 10:28:19.53
没落というイメージが強い明治時代の士族だが実際にはそんなことはない。
もちろん没落した士族はある程度いるのは事実だけど。
武士は教育水準が高かったんで公務員になることが多かったし金禄公債も中級武士なら十分生活の足しになった。
ある地方の生活水準を見ても士族の平均収入は全平均より上だった。

33: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/21(日) 11:14:58.93
公務員や知的な職業につけたのは1割くらい。
「武士の家計簿」を読んでも、大多数の旧藩士は悲惨な状況に陥ってる。

34: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/21(日) 17:58:52.25
帯刀出来るんで、警察に士族の求職殺到したらしい

35: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/21(日) 18:02:36.73
北海道に渡って、屯田兵などの開拓民になった士族も多い

36: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/21(日) 18:19:20.80
史料ベースで話がしたいね
そういう統計資料があるのか知らんけど

37: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/23(火) 02:01:55.77
資料はウィキでよかったらあるよ。
明治9年から20年あたりまでだと、

士族人口はおよそ200万、日本人はおよそ4000万。
つまり全人口の5%しか居なかった。
更に、公務員というか官員の総数が全体で8万ほど。
全員が士族だったとしても、8万/200万だぞ。

47: 日本@名無史さん 投稿日:2014/09/26(金) 18:05:36.45
明治十年代の東京府下での調査では、士族は人力車夫や荷車引きなどの都市細民となっている者が多い。

51: 日本@名無史さん 投稿日:2014/10/17(金) 15:55:49.83
ウチの爺さん婆さん達(明治末~大正生まれ)に肉体労働系はいないな
明治期には既に財産はなかったみたいだけど

54: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/02(日) 11:43:36.55
民権運動でテロやってた連中も、元を正せば士族が多いな。
豪農・豪商は地方政治への参加と国会開設の勅諭で軟化してる。

55: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/02(日) 16:43:12.16
幸徳秋水とか大杉栄とか?

67: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 16:15:08.41
>>55
幸徳秋水は1871(明治4)年11月5日、土佐山間の小都市である中村町の商家の子として生を享けた。
家は薬種問屋と酒造業を営み栄え、庄屋をつとめて苗字・帯刀を許されていた土地の名家として、数代続いてきた。
土佐は身分差別の激しい土地柄であり、在卿武士の階級である郷士以外は下に見られた。幸徳家は郷士の身分を買い、手に入れたのだ。
だが、所詮それは金で手に入れた身分、周囲はみな士族の子ばかりであったので、幸徳は少年時代、その不合理な身分差別の視線に苦しんだ。
その苦痛が秋水を平等な世を志向する自由民権へと目覚めさせる。

68: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 16:58:20.00
>>67
坂本龍馬と同じような境遇か。
龍馬も、あと数十年生まれるのが遅かったら幸徳秋水みたいになってたのかもな。
58: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/02(日) 21:32:21.81
明治2年地元の藩が家臣を等級別とした資料
※従前知行並扶持米遺置侯調
等級 比率(%)
一等士族 0,8
二等士族 1,3
三等士族 3,6
四等士族 11,2
五等士族 20,9
一等卒 21,5
二等卒 16,6
三等卒 24,1
合計 100,0
我が家は五等士族で藩(県)庁役人、本家が三等士族で教師のち村長

59: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 01:57:31.19
各等級が武家時代のどんな身分に相当するんだろう

60: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 10:55:31.52
比率的には、
一門
家老・年寄
物頭
馬廻
中小姓

卒は徒・足軽、小者、陸尺、中間の類だろう。

77: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 22:09:14.76
>>60
それに照らせば母方は家老・年寄り格だから祖父の代まで二等士族だな、速攻で没落したけど
父方は平安末までなら一等士族相当、中世以降は農民、百姓でも地主で庄屋なので「年貢が届く」

家系はそれなりでも戦後は金持ちだった事など一瞬も無い、全部農地解放で持って行かれた

61: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 12:12:41.65
上士=士族といっても、高取(石高表示)の馬廻もいれば、無足(現石扶持米表示)の中小姓もいる。

下士の出と誤解されてるが、西郷とか福沢は中小姓の出だから、最下級の無足の上士。
高取でも物頭クラスなら、相当の石高で金録公債もそこそこあるだろうから、上手に世渡りすれば村長くらいになってもおかしくない。

62: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 14:10:48.43
上手に世渡りしなきゃ村長にもなれない最下層の徒

ただ現実には西郷レベルでの小作まがいな卒レベルで村長になれてるのはほぼいない
幕臣で大身旗本レベルが、幕府解体後、所領だった村に村長としてなってるレベルが多いが、西郷レベルの最下層武士が地元の藩領内で村長古長になっていたなんて嘘も甚だしい

64: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 15:23:53.57
西郷は小姓与(こしょうぐみ)=中小姓だから、貧乏でも一応、上士の末端。
福沢も中小姓の家なので同様。
上士がすべて高取(石高表示)だったわけではない。
無足の扶持米取りの上士もいた。
徒とか足軽は、さらにその下。

65: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 15:27:11.81
徒士は全員れっきとした士族だろ?
足軽は卒とか士族に別れたらしいが

66: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 15:29:37.21
徒ごときが士族扱いなんて、藩によりけりだろ

69: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/03(月) 17:04:21.94
幸徳秋水の師である中江兆民は足軽身分

100: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/24(月) 08:37:00.42
明治時代の文学者に中下級武士の出身者が多いから、各作家の生涯をまとめた文学アルバムみたいな本を見ると、親や兄弟も含めて、大体、明治の武士の身の振り方がわかるな。

維新当時、現役武士だった連中は運のいい者が役人になれた他は、金録公債で食いつないでるが、最終的に隠居生活か帰農。
子ども世代は教育をつけた者が役人や知的専門職につくが、いまとちがって終身雇用じゃないから、けっこう身分が不安定で転職してるケースも多い。

明治以降に生まれた世代だと、親が商売で失敗したりして奉公に出されたりして、完全に平民化している。

101: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/24(月) 10:49:27.02
比較的メジャーな例だが、正岡子規の家は馬廻役の上士だったが、家族が少なかった上、母方のおじが出世してて、面倒みてくれたので公債だけで生活できた。
母子家庭だが、旧武士の格式を保持したまま息子が中学まで行けた。
(その後は旧藩主の給費生として上京)

子規の後輩で弟子の高浜虚子の家は、藩の剣術師範だった父は廃藩後に帰農。
息子たちは長男と次男は県庁の役人や教員になった。三男は勉強嫌いだったので職人の徒弟になり、末っ子の虚子は中学に行った。

103: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/30(日) 11:19:31.40
江戸時代の武士って浪人しても、寺子屋の師匠とか用心棒とか武士っぽい仕事して、周囲からも「先生」とか言われてたのに、なんで明治の失業士族は車夫や労働者に転落して、周囲からも先生扱いされなかったんだろ?

112: 日本@名無史さん 投稿日:2014/12/02(火) 01:12:29.75
目に見える財産がない貧乏暮らしに加えて刀も差せなくなった戸籍だけの士族を敬う人なんて誰もいないだろうね

106: 日本@名無史さん 投稿日:2014/11/30(日) 17:50:18.77
元武士なんだから明治時代に軍人になるのが自然な流れだと思うんだが
西南戦争などで士族を危険視する風潮になって、平民主体の軍隊にしちまったからな。
転落するしかなかった。

士族の反乱に加担しなかった、もしくは鎮圧する政府側にいた士族は陸軍海軍の大物になったりはしてる。
乃木希典とか立見尚文とかだな。


引用元: ・明治時代の武士



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