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1: 世界@名無史さん 2021/02/05(金) 18:32:41.30 0
宋・遼・西夏・金・元の歴史について語るスレッドです








78: 世界@名無史さん 2021/02/26(金) 23:06:28.81 0
宋との接触で中国の風俗が流れ込み、勇猛な騎馬民族の気風を失い、生活も華美となっていた遼の支配者たちは、松花江流域に土着していた女真族を理不尽に搾取したため、完顔部長の阿骨打に統一された女真の反乱を招き、敗戦を繰り返していた

中国に侵入した北方民族にはこのパターンが多いな

79: 世界@名無史さん 2021/02/27(土) 21:58:37.78 0
中国の一部を領土にしたことが契丹と女真の国や民族が消失したことの原因かもしれないと。

80: 世界@名無史さん 2021/02/27(土) 22:11:09.60 0
>>79
最大の原因は、毛沢東に弾圧されたこと

81: 世界@名無史さん 2021/02/27(土) 22:44:11.59 0
>>80
キタイは中共革命より遥か昔に溶解しちまってたぞ。

女真については、「日本が負けたこと」が最後の銃爪。
日本が負けてなきゃ満洲帝國は存続してた。
完全な傀儡国家として、だけどな。
存続してさえいりゃあ情勢によっちゃモンゴルみたいに自立する機会もあったろうに。

85: 世界@名無史さん 2021/02/27(土) 23:44:47.58 0
>>81
契丹は女真族同化したのと中途半端にモンゴルに先祖返りしてダウール族になったものがいる。

87: 世界@名無史さん 2021/02/28(日) 00:46:19.56 0
>>85
契丹語はモンゴル語ではない
側モンゴル言語だというがどうなんだろうねえ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9%E8%AA%9E

90: 世界@名無史さん 2021/02/28(日) 10:53:31.86 0
>>87
言語的にはモンゴル語ではないが契丹族の末裔と自他共に認めるダウール族はモンゴル語とバイリンガルになっている。
半農半牧の習俗からか清朝時代は満州族扱いでソロン八旗に入れられてた。
ラストエンペラー溥儀の皇后の婉容もダウール族。
中国のモンゴル族に聞いたらダウール族は民族衣装が似てるだけで顔立ちも言葉も違う異民族と言ってた。
ダウール族は顔は丸顔だけどモンゴル族よりも切れ長の目で目の間隔が狭い。
モンゴル族や満州族より日本人には親しみが持てる顔立ち。

91: 世界@名無史さん 2021/02/28(日) 22:30:47.08 0
契丹族がつくりあげた遼は、その盛期に総人口が400万人を超えたが、その内実ははなはだしい混成集団で、契丹人は五分の一足らずの75万人だった

92: 世界@名無史さん 2021/02/28(日) 22:44:43.23 0
>>91
五胡十六国以後、程度の差こそあれどの王朝も実態はそんなもんじゃないのかな。
〇〇族国家、なんてのは看板もしくはイデオロギーとして見とけばいい。

94: 世界@名無史さん 2021/03/01(月) 01:25:46.79 0
契丹人は女真人と一緒に元代には漢人に分類されたこともあり、女真人と融合して同化すすんだ。
耶律氏も伊拉里氏と表記されるようになり、清代には満州八旗の?藍旗の有力氏族となった。
一方、女真族も完顔氏も直系は滅亡したが、傍系は存続して?黄旗の有力氏族となった。
金末期の権臣の?石烈胡沙虎の一族の?石烈氏の子孫は清代に康熙帝の皇后を出した正黄旗の赫舎里氏。

106: 世界@名無史さん 2021/03/03(水) 18:35:42.72 0
中国の海上活動の話だけど、宋金が対峙したとき、南宋の海軍は金の海軍を1161年、山東沖で壊滅させて海域を制し、ために江南の米や塩が華北にひそかに売られてもさまたげるものはなかったという
南宋は長江の要所と、江蘇海岸、杭州湾、舟山列島、温州、福州、泉州、広州に海軍を配し、これが金やモンゴルの騎軍に対抗するうえで十分な抑止力になっていた

107: 世界@名無史さん 2021/03/04(木) 18:30:50.35 0
長江の要所ほんとに抑えていたの?
その割に襄陽とられてから滅亡一直線だったわけやが

108: 世界@名無史さん 2021/03/04(木) 22:15:48.82 0
金の海軍をえたモンゴルは、1268年に海からの南宋攻めを策したが、それをあきらめて漢水をくだる水軍戦に切り替えたほどだったとか

109: 世界@名無史さん 2021/03/05(金) 00:19:39.03 0
ことほど左様に勇名を馳せた南宋水軍がまるごとモンゴルに接収されたわけだが、海東の島国を攻めるに当っては何の役にも立たなかったという皮肉。

111: 世界@名無史さん 2021/03/05(金) 11:09:30.44 0
>>109
当時の海戦は艦載砲がないから弓や弩による矢の撃ち合いと接舷して切込みでしょ。
それなら接近戦での切り合いに強い鎌倉武士が圧倒的に有利。

113: 世界@名無史さん 2021/03/06(土) 01:38:15.61 0
>>111
日本側は接舷強襲、しかも夜襲を仕掛けてるからな。
モンゴル(南宋)水軍の艦上の恐慌は察するに余りある。

110: 世界@名無史さん 2021/03/05(金) 09:07:58.89 0
木造帆船の時代じゃ仕方ないよね
太平洋戦争中にも、ハルゼー艦隊が台風にあって大きな被害を出している

115: 世界@名無史さん 2021/03/06(土) 10:29:50.54 0
宋代に入り、海外貿易が飛躍的に進展した理由の一つに、外洋船舶の改良と航海技術の進歩、いいかえれば安全性の相対的増大があげられる
インド洋の貿易風の利用は、紀元後ヒッパロスによって明らかにされ、やがてそれはインド以東にも応用されるようになる
旧暦の5月から6月に、南風に乗って中国を訪れ、11月から12月に、北風を受けて中国を離れる
泉州郊外の九日山に残る、南宋の多数の石刻によってもそれは確認できる
また、北宋時代から、通信用の伝書鳩や、方向を知るための羅針盤の原型である指南針が、航海の実用に供されるようになった

116: 世界@名無史さん 2021/03/07(日) 09:26:29.39 0
伝書鳩は北宋からなのか
時代劇では、もっと前の時代でも欠かせないアイテムとして普通に登場するけど昔は遠隔地の連絡手段が本当になかったのだな

117: 世界@名無史さん 2021/03/07(日) 10:42:40.91 0
宋代に入ると、揚子江の土砂の堆積による水路と地形の変化により、繁栄を誇った揚州が後退し、中国沿海の南海貿易港としては、南から広州、泉州、明州、杭州が栄えたのだとか
ちなみに北宋時代には広州がもっとも殷賑をきわめたが、12世紀以降の南宋になると、それより北、福建省の泉州が台頭した

119: 世界@名無史さん 2021/03/07(日) 10:58:25.40 0
アラジンが魔法のランプを見つけたのも、泉州の港だった

123: 世界@名無史さん 2021/03/07(日) 14:44:22.63 0
南宋では海上交通と並んで、内陸の河川や運河の水運もめざましく発達したのだとか
長江の上流と中・下流の接点、各支流とか大運河と長江との合流点、さらに各支流や大運河の水路の要所に、水路の条件に合った船型の分化とか、特化した水運業が生じた

124: 世界@名無史さん 2021/03/08(月) 11:16:59.47 0
ずっと南宋のままでいたほうが幸せだったが、モンゴル帝国が出て来てしまうんだよなあ

125: 世界@名無史さん 2021/03/08(月) 14:11:42.43 0
北宋の国都開封、南宋の行在所臨安はともに世界一の繁栄を謳歌した100万都市だった
臨安の活発な商業活動についてはマルコ・ポーロも驚嘆の眼差しで書き記している

127: 世界@名無史さん 2021/03/08(月) 16:40:14.60 0
北方の騎馬民族にとっては、南宋の地形や風土は攻略しにくい苦手な環境
やりようによっては独立を維持できたのではないか?

128: 世界@名無史さん 2021/03/08(月) 18:14:54.33 0
1129年、金軍が江南に侵攻したが、江南のクリーク地帯は、騎馬戦中心の女真軍には不利なはずだった
しかし彼らは、李成はじめ、河北や山東の漢人の盗賊、降伏軍隊の集団を先兵として組織し、行動に役立てていた

1130年が明けて、暖かい季節を迎えると、江南の生活に慣れない北方民族の金軍は、北へ引き揚げ始めた

130: 世界@名無史さん 2021/03/10(水) 08:27:47.84 0
モンゴルが大理国に遠征したときには、サキャ派の手引きにより、クビライ軍は西から迂回し、東チベットを通って雲南に向かったが、亜熱帯地方での行軍は厳しく、兵の八割近くを失ったといわれるほど困難な遠征となった
モンゴル軍も、気候風土の異なる地域ではけっこう苦労してるんだよな

131: 世界@名無史さん 2021/03/10(水) 13:42:06.71 0
騎馬隊が使えないとこが駄目

132: 世界@名無史さん 2021/03/10(水) 14:25:06.02 0
森林と湿原だな、馬が苦手なのは

138: 世界@名無史さん 2021/03/16(火) 18:46:00.38 0
こいつらの末裔といま何族なの
絶滅した?

139: 世界@名無史さん 2021/03/17(水) 10:38:59.54 0
>>138
西夏のタングート族の末裔は青海省の羌族。
遼の契丹族は遼寧省のダウール族と一部の満州族。
金の女真族は満洲族で今でも金の宗室の完顔氏の末裔はいる。

166: 世界@名無史さん 2021/03/18(木) 19:49:55.47 0
日本史の七不思議のひとつ

鎌倉時代には2億銭もの宋銭が流れ込むほど日宋貿易は盛んだったにも拘わらず活版印刷、コークス製鉄法、火薬、羅針盤、ジャンク船といった宋代に発明された技術がまったく日本には伝わらなかった
羅針盤、活版印刷、火薬に至っては大陸の西端であるヨーロッパより伝来が遅い始末

167: 世界@名無史さん 2021/03/18(木) 20:06:29.44 0
それらはヨーロッパでは実際使われる産品だったのに対し日本では珍品扱いだったから

168: 世界@名無史さん 2021/03/18(木) 20:35:42.94 0
羅針盤の需要すらなかったのか
日本の船乗りはどうしてたんだ

169: 世界@名無史さん 2021/03/18(木) 20:43:40.44 0
勘合船も朱印船も水先案内人は雇った漢人や西洋人にやらしていた
明治に入るまで沿岸航法しか知らなかったというのだかそりゃ遣唐使も命がけですわ

170: 世界@名無史さん 2021/03/19(金) 14:43:21.22 0
>>169
逆にいえば、沿岸航法しか知らなかったのによく遣唐使なんてものを派遣し続けたなと思う
それだけ当時の日本は切羽詰まっていたのか?

172: 世界@名無史さん 2021/03/19(金) 15:44:53.17 0
>>170
逆だ
沿岸航法だけで間に合ってたのが原因

175: 世界@名無史さん 2021/03/19(金) 22:57:16.96 0
なんで宋銭なんかわざわざ輸入したんだ
日本で作れないわけじゃないだろ

179: 世界@名無史さん 2021/03/20(土) 10:21:30.94 0
銅輸出して銅銭貰ってくるとかアホみたいな話だが当時の日本の貨幣は単純な構造で私鋳銭が多く出回っていた
そのため反って絹のほうが公信性を持っていた有様なので宋銭の輸入は必須だった

また規矩術(建築学)、農学といった実学すらも自国で発展させるという気概はなく中国から先進のものを輸入することで満足していた
とくに宋から取り入れた建築様式の一つである貫という手法によって大幅に耐震性が向上し高層化が可能となり後に天守などの城郭建築に取り入れられている

また不思議な話だが木綿は鎌倉時代から生活必需品だったのにも関わらずこれも国産化しようとかそういう試みは一切なく宋からの輸入に頼っていた

180: 世界@名無史さん 2021/03/20(土) 11:37:37.56 0
中国も、綿が入ったのは後漢の時代とされてるが、栽培が盛んになったのは南宋時代だな
中世ヨーロッパでも、「アラビアには羊毛が生える植物があるらしい」とずっと不思議がられていた
綿の栽培は暑い国が有利で、北の国ではそう簡単に普及しない

254: 世界@名無史さん 2021/03/31(水) 09:26:15.97 0
宋銭というのは、当時の東アジア・東南アジアでは現代のドルのような存在だったのかな
要するに国際基軸通貨

255: 世界@名無史さん 2021/03/31(水) 10:20:16.99 0
>>254
ドルとは違って、各地で実際に使われていた
基軸通貨というより、共通通貨

258: 世界@名無史さん 2021/04/01(木) 09:34:51.76 0
唐代に鋳造された貨幣は毎年30余万貫程度だったが、宋代には経済の発展を反映して最高550余万貫に達したとか
国内はもちろん、東は高麗・日本から西はアフリカ大陸に至る地域に流通した

260: 世界@名無史さん 2021/04/25(日) 18:57:08.02 0
元朝って、テムルが死んだ1307年からわずか25年間に皇帝が8人も交代しているから、かなり不安定な王朝だよな
1328年には帝国を二分する内戦が起こっている

262: 世界@名無史さん 2021/04/25(日) 22:38:31.42 0
元朝の上都と大都とに分かれたハーン位継承争いにおいて、これまで皇帝の外戚として隠然たる勢力を有したフンギラト部は新興のキプチャク—メルキト軍閥に敗れた
このときまで、実はフンギラト氏族出身の母から生まれた皇子だけが元朝皇帝の地位につくことができた

遊牧民って、けっこう血統重視だよな

264: 世界@名無史さん 2021/04/26(月) 09:19:43.67 0
中国史では朱元璋が元の大都を攻撃し、恵宗が内モンゴルに逃れた時点で元朝は滅びたということになっているが、実はその後も恵宗の息子のアーユシュリーダラは、1372年に外モンゴルに侵入した明の15万の大軍を破って数万人を殺すという大勝利を収めており、けっこうしぶとい

265: 世界@名無史さん 2021/04/26(月) 09:38:42.08 0
モンゴル帝国期だけは、得意の「北方の野蛮人は、中華の文明に魅了されて漢人に同化されました」の理屈が適用できない
美化しようがないからな
「元朝は滅んだ」という建前になってる以上、なるべく「北元」のことには触れたくない

266: 世界@名無史さん 2021/04/26(月) 18:32:47.36 0
1634年に、内モンゴルが満州族の支配下に入った時点で、元朝崩壊後266年間続いた北元時代は終わった

17~18世紀には、異民族である満州人を自分たちのハーンに推戴することになったモンゴル人が、『蒙古源流』『黄金史綱』をはじめとする数多くの年代記を著し、自己の文化遺産をもう一度見直し、それまで伝えられた祖先の系譜や伝承をここで整理して書きとどめようとした

268: 世界@名無史さん 2021/04/26(月) 20:42:22.33 O
後金に降伏しなかったハルハ部(後元)が1688年にジュンガル帝国に滅ぼされるまで大元ウルスは辛うじて存続した(カラコルム陥落)

269: 世界@名無史さん 2021/04/26(月) 20:50:42.42 O
中国の地図史料では北元を吸収した清の西に「韃靼」と書かれているものが多い

270: 世界@名無史さん 2021/04/26(月) 22:59:39.54 0
清朝は、モンゴル人を終始、同盟者として扱い、その遊牧経済を保全する統治政策をとった
族長である王公は清の任命による世襲となり、旗界は厳しく定められたので、遊牧生活自体は以前とは大いに異なったものになったけれども、漢人の入植は禁止されており、領主間の戦争もなく、紛争はすべて裁判で処理されるようになったので、モンゴルには平和が訪れた

278: 世界@名無史さん 2021/04/28(水) 22:19:13.46 0
>>270
女真族に負けたのがかえって良かったのか!
漢族にとっても明時代より税負担は合理的で軽くなって良かったようだし

271: 世界@名無史さん 2021/04/27(火) 08:44:01.50 0
金は宋相手だと無双してたがモンゴル相手だととことん弱かった

272: 世界@名無史さん 2021/04/27(火) 09:01:52.51 0
>>271
金はアクダ時代の軽装弓騎兵から、南宋の歩兵を効率的になぎ倒す重装騎兵に変容してた。アクダ時代の軽装弓騎兵のままなら、モンゴルにも対応出来ただろう。

274: 世界@名無史さん 2021/04/27(火) 14:54:17.87 0
>>271
んなことはない
モンゴルは、金にも南宋にも大苦戦し、攻略に長い年月をかけている

275: 世界@名無史さん 2021/04/27(火) 22:50:46.71 0
金は生女真だけではなく、軍事拡大を遂げていく過程で、旧契丹支配下の渤海・熟女真・契丹・奚・漢人といった他民族をとりこんでいったんだよな

引用元: ・宋・遼・西夏・金・元