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1: 日本@名無史さん 2017/07/13(木) 11:56:21.56
日本化を徹底した成功例だよな



テーマがテーマですので、荒れるようであれば、コメント欄は即時閉鎖します。







2: 日本@名無史さん 2017/07/13(木) 13:00:30.36
どっちも移民だから植民地支配とは違う

3: 日本@名無史さん 2017/07/15(土) 01:41:39.78
近世ならば植民地というか経済属国みたいな感じじゃない
琉球はともかくアイヌは国じゃないけど

4: 日本@名無史さん 2017/07/26(水) 19:38:53.85
琉球に関しては古琉球時代は和服を着て和船を使い本土と同じく二本差しの文化があってむしろ本土と見分けがつかなかった
それをすべて禁じて異国風を強調した格好を強要したのが薩摩
変わった名前が多いのも「大和めきたる名字」が禁止されたため

7: 日本@名無史さん 2017/07/30(日) 20:39:51.52
渡党〔中央文化に染まったアイヌ〕の蠣崎氏→松前藩

>>4

・松前藩は、他のアイヌに日本語教育をしなかった
(この点、教育受ける権利奪った、未開のままにした、と松前〔中央寄りアイヌ〕が叩かれる)

・幕府直轄時代、希望者には、和風の服装や髷を許し日本語を教育した
・明治政府が、日本語の読み書きや衛生など教育をした

(この点、アイヌ文化を奪った、と幕府や明治政府が叩かれる )
・・・どっちにしろ難癖つけられる・・・特に幕府はアイヌの山丹交易の借金払ってあげたのに

8: 日本@名無史さん 2017/07/30(日) 21:41:24.31
まあ、収奪も多かったからな。

6: 日本@名無史さん 2017/07/29(土) 22:00:45.10
中世に働き場を探して北上した移民のなかには、子供をアイヌ人に托すどころか、日本人からアイヌ人に同化した例があるらしい。
日本人の瑞穂の国の生活では、北の寒冷地には対応できなかったからな。
ずっと後に操船技術が向上して生活必需品が輸送できるようになって、日本人が入って行ったけど。

9: 日本@名無史さん 2017/07/31(月) 22:32:04.85
>1766年 - イワン・チョールヌイが国後場所に侵入。
>ロシア人として初めて得撫島(ウルップ島、後の得撫郡)以南に到達。
>周辺のアイヌから毛皮の取り立てや過酷な労働を課し、ウルップ島で多数の女性を集めてハーレムを作る(1769年まで)。

厚岸町の歴史物語
https://www.akkeshi-town.jp/syoukai/rekishi_bunka/history/rekishi/
>18世紀に入って千島列島に沿って南下し始めた。
>ロシア人が千島のアイヌに課した毛皮税は過酷で、同地のアイヌは南に逃れ始め、ロシア人もそれを追って南下した。

ナポレオン戦争によってロシアの注意が極東から離れなかったら、かなりの部分をロシアに奪われてただろう
フヴォストフ事件での敗北、津軽藩士殉難事件での大量死とボロボロだった

10: 日本@名無史さん 2017/07/31(月) 23:01:18.77
>>9
ソースにねーぞw

12: 日本@名無史さん 2017/08/01(火) 18:49:09.19
>過酷な労働を課し、ウルップ島で多数の女性を集めてハーレムを作る

ってのは大和民族よ真実に目覚めよ!!系の右翼ブログにしかなくソース無し
世界大百科事典だと1768年にヤサークを取り立てに一時的にウルップ島に渡航しただけの模様

蕃談や北槎聞略にもロシア人の住民統治は極めて寛容と記しており同様の記述なし

16: 日本@名無史さん 2017/08/01(火) 21:05:53.21
>>12
Wikipediaにもそれ書いているからなあw
酷いモンだ。

仮にハーレム作ってたら、その後千島アイヌが全員ロシア正教に深く帰依してた理由がわからんということになるからな。

17: 日本@名無史さん 2017/08/01(火) 22:24:48.68
チョールヌイの暴虐そのものは、アイヌvs日本人で論争する双方が主張してる
http://ocw.cc.sophia.ac.jp/?action=lecture_view_main_note&upload_id=983
侵略したコサック軍団は極めてガラ悪くて、乱暴狼藉自体は確かだし、資料はあるんだろ
アイヌが騙しうちで数十人もロシア人を殺し返すほどなんだし

あと、収奪した松前藩って渡党だし、実質アイヌ同士の収奪の面も大きかったのでは?

19: 日本@名無史さん 2017/08/01(火) 23:18:55.92
>>17
そのサイトに出てくるデンベイさんロシア側の記録だとアイヌに奴隷として使役されたところをコサック兵に救助されて解放されたのにネットだと逆にロシアが軟禁したように書かれていておいおいって思う

で問題なのはロシア、日本双方ともアイヌは好戦的で奴隷制を有する部族で決して温厚な連中ではないと記録していること縁

20: 日本@名無史さん 2017/08/01(火) 23:28:23.13
そりゃ、アイヌはチャシを作っていたほどだから、外敵を警戒してたんだよね。

特に千島アイヌは、和人だろうが、同じアイヌだろうが、決して心を許さずにできるだけ外部の人の接触を避けていたわけで。

21: 日本@名無史さん 2017/08/02(水) 22:29:48.56
カムチャッカ地方には
カムチャダール(カムチャツカの先住民・イテルメン)、クリルアイヌが混血・雑居
http://www.orthodox-jp.com/kushiro/bef/1_1.htm

◎1695年(元禄8年)暮 大阪の商人立川伝兵衛は6カ月漂流の後、カムチャッカ半島西部イーチャ川に漂着。原住民にとらえられ奴隷となる。
https://blogs.yahoo.co.jp/kaze_24yori/38523455.html
1697年コサックの隊長アトタトフに連れられ、ヤクーツク、モスクワへ送られる。

江戸時代ロシアへの漂流・抑留民 - 立正大学学術機関リポジトリ
http://repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/2415/1/KJ00000172731.pdf

伝兵衛は漂着すると40の小船に分乗した約200の原住民の襲撃を受けた、とあるし何かの資料では、約200のクリルアイヌが弓矢や斧で襲ってきたと見た気がする

22: 日本@名無史さん 2017/08/02(水) 23:53:18.48
天然痘がやってくるのを恐れて、基本的に外部の人間を入れなかったんだよ。

クリルアイヌってのは妙な言い方。クリルってのはアイヌ人のロシア語での呼称。
アイヌってのは日本語での呼称。なんで重なるんだ?

23: 日本@名無史さん 2017/08/03(木) 00:35:18.71
そもそも伝染病なんて概念なかったと思うがな、当時のアイヌに

狩猟民族が略奪でなり合いを立ててる例は世界中でかなりあるが例外にもれずアイヌもそうだっただけの話
アイヌ同士でも略奪しあってたしな

26: 日本@名無史さん 2017/08/03(木) 23:06:14.98
* 研究者・瀬川拓郎氏は
擦文・アイヌ→オホーツク文化人への、贈り物の女性の引き渡し、これを「女性が文化を他民族に広める」、の観点で考察してる

http://30932531.at.webry.info/201205/article_4.html

>擦文人やアイヌがそれほど親交関係にないオホーツク人を同化させた方法は、まず女性を贈答品として彼らに送ることであった。

土器製造など主に女性の仕事、母から子への文化伝達、は民族文化に重要
強い立場から他民族に贈り、「女性を通じて自文化を他民族に広める」形態

他民族を同化したアイヌは、狩猟民かつ交易の民として、本州や大陸と盛んに行き来
------------
* なお、アイヌは他の先住民を同化・駆逐して、13世紀ごろ広まった新しい民族だし、同化の他、他の部族をアイヌが駆逐・征服した英雄伝がある

知床「オロンコ岩」はアイヌが、先住民オロッコ(ウィルタの蔑称)を侵略・虐殺した口伝↓で有名
http://www.h3.dion.ne.jp/~oyama/boukenn-folder/bouken-ainu-dennsetu2.htm

29: 日本@名無史さん 2017/08/04(金) 01:24:14.63
>>26
そりゃ北海道は先住民族の抗争の地だったしな。
ギリヤーク(ニブヒ)とアイヌ・和人の連合軍の、奥尻島での戦いは日本側の史料にも残っている。

そもそも、ギリヤーク、オロッコ共に基本は沈黙外交なんで(この様子も日本側の史料にある)、極めて交流が難しいんだよね。

で、アイヌ以外の先住民族は平安時代には北海道の東側の海岸線を支配下に置いていた。
これをアイヌが退けて、アイヌが結局千島列島からカムチャッカ半島南部まで支配できたのは、和人とのラッコ皮やニシン、昆布などの交易で得た鉄製品によるものだ。

27: 日本@名無史さん 2017/08/03(木) 23:18:25.00
日本では土師は普通は男の仕事だし
世界的に見てもミケーネ人がカナン人を駆逐してカナンにミケーネ式土器が広がったり、逆にギリシャ本土ではドーリア人が侵入して研磨仕上陶器が広がったりしてるがな

つうか言語や名前にしてもそうだけど普通、文化は強い側、男側のものが残って被征服側、女側のものは残らない
女側のものが残ってるとしたらそれは征服以外の融合だろ

34: 日本@名無史さん 2017/08/05(土) 03:06:44.63
イザベラ・バードは「山アイヌは一夫多妻制であるのに対し、海岸アイヌは一夫一婦制」と書いているね。

アイヌ民族は通常は一夫一婦制の家庭を築いていたようであるが、身内や親族の中で、不幸にも夫に先立たれたりした女性がいると、生計を共にしながら面倒を見たりするなかで、変則的に一夫多妻になったりすることもあったらしい

という話もある

35: 日本@名無史さん 2017/08/05(土) 11:29:55.29
渡党(アイヌの一派)≒松前藩でなく、幕府のアイヌ慣習への積極関与はかなり後の時代
イザベラバードは幕末から明治

海岸といえばロシアのハリストス正教で従来の妾が禁止されてた北方組か

どのみちアイヌ(意味:人間、成人した良い人)は一民族では無いし、部族ごと慣習・言語がそうとう違い、政治宗教の統一性もない、アイヌ系各部族の総称

38: 日本@名無史さん 2017/08/06(日) 12:53:37.70
琉球・アイヌ共に中国王朝にも朝貢してたし、琉球ほど公でないがアイヌは山丹交易の毛皮朝貢システムに入ってた

アイヌ玉と琉球玉-「交易による蓄積」と「下賜による沈潜」 - 津田塾大学
http://www2.tsuda.ac.jp/kokken/48kano.pdf

アイヌの人にとって、数個のガラス・ビーズ、銀のコイン、光るなにかは幸せにする。
熊、狐、狼、アザラシの高価な毛皮が、「ほとんど価値のない数個のガラスと交換され、貴重な毛皮の財産を一対のブリキ耳飾りに用いる」(Lamdor, p.248)。

また、アイヌの少女にとって首飾りは、生涯における夢である。

サンタン交易では、アイヌは羆・エゾオオカミ・狐などを狩猟し、その毛皮と交換で中国製の派手な絹織物・官服、ガラス玉などを、大陸から入手して貴重品としてた

39: 日本@名無史さん 2017/08/10(木) 23:48:22.46
アイヌも琉球も、以前は中国に朝貢してた
アイヌ→古代中国の朝貢は、樺太や大陸の他民族をアイヌが侵略して、モンゴル帝国を怒らせて懲罰されたのが最初だったか

88: 日本@名無史さん 2018/12/22(土) 16:26:11.14
アイヌは13世紀に発生したのにロシア先住民ってことになりそう

89: 日本@名無史さん 2018/12/22(土) 23:25:20.83
アイヌ文化の発生をアイヌ民族の成立と捉えればね。
人種はそれ以前にもいたわけで…

101: 日本@名無史さん 2019/01/30(水) 13:40:37.07
これによると >アイヌ学入門 (講談社現代新書) | 瀬川 拓郎 

渡党 :「北海道南西にいた日本文化をかなり取り入れたアイヌ」

松前藩(←蠣崎氏:渡党=日本文化に染まったアイヌ一派)は弱小藩で幕府からエゾ地との独占「交易」権が与えられたが他のアイヌには、「心任せに(放任)」、支配するな、と幕府からクギ刺されてた

要するに、アイヌである渡党の松前に任せてアイヌ同士での委任統治だったけど弱いし放任が過ぎて、ロシアや清の勢力に入り込まれてた

107: 日本@名無史さん 2019/03/02(土) 22:59:41.69
オホーツク人と混ざって、アイヌ(新参者)が13世紀に登場し広まる前はウィルタやモヨロ人などの他、はるか古代から、和人も北海道に先住していたようだ

https://www.t-komazawa.ac.jp/column/net/backnumber/04/index.html
> 『日本書紀』など、日本古代の史料には「渡島」(わたりしま)という地名が登場する。
はじめて「渡島」の記録が登場するのは、7世紀のこと。

108: 日本@名無史さん 2019/03/02(土) 23:56:01.52
そりゃ、砂金を取りに北海道まで行った和人がいるからな。

ところが、あまりに早く北海道に渡った和人は、ついに越冬できず、アイヌ人に逆同化したという。
同化しなきゃ越冬できないんじゃ仕方ないよね。

114: 日本@名無史さん 2019/03/19(火) 23:16:03.11
アイヌは中国の歴代王朝に朝貢してたから

 北海道】樺太アイヌと清に朝貢関係、「カラフトナヨロ惣乙名文書」が国重文へ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1553003772/

115: 日本@名無史さん 2019/03/20(水) 23:16:40.25
> 【北海道】樺太アイヌと清に朝貢関係、「カラフトナヨロ惣乙名文書」が国重文へ

> 当時の樺太アイヌは清に朝貢して、見返りに妻を得ていたが、
> 冬に都へ来ると天然痘にかかるので、7~9月に到着するよう諭す内容になっている。

124: 日本@名無史さん 2019/10/04(金) 18:53:13.09
ほとんどの日本人のアイヌ観は人権派弁護士みたいな松浦武四郎が初めて見た時の和人の商人に強制労働をさせられるアイヌの哀れな姿から始まっているイメージが先行し過ぎていて
中世から近代にかけての和人とアイヌの血みどろの抗争の記憶が消されようとしている
アイヌは心優しいが勇敢に武器を持って闘う民族

125: 日本@名無史さん 2019/11/03(日) 14:15:11.51
そりゃ、松前藩は騙し撃ちしたからなw

アイヌ自身の抗争は確かにあったし、ギリヤークへの戦闘行為もあった。
(記録を見るとギリヤークの方が好戦的だったようだが)
アイヌの城であるチャシの存在が抗争の歴史を物語っている。

安東氏や松前氏は何だかんだ言って、アイヌ出身だろう。
婚姻関係から骨格は日本人化していたが、東北藤原氏とか清原氏もそうだったと思う。

引用元: ・アイヌ琉球とかいう植民地支配の成功例