1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 12:00:51 ID:BhEsbDuv0
サルフの戦いは1619年、遼東に後金を建国したヌルハチが、明より発せられた討伐軍を破った戦い。
全軍を4つに分けて後金を包囲攻撃しようとした明軍に対し、ヌルハチは迅速な機動によって明軍の各部隊を各個撃破することで、自軍に数倍する大軍を打ち破った。
最初の大きな戦闘が撫順東方のサルフ(薩爾滸)で行われたために、戦役全体がサルフの戦いと呼ばれるよ
うになっている。
この戦いの勝利は、後金(後の清)隆盛への第一歩となった。








2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/29(月) 12:27:26 ID:MqGkT5ux0
世界の軍事史上でも屈指の、少数による各個撃破が実現した戦い。

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/30(火) 08:18:26 ID:uOw3Xu9i0
火器の装備において優る明軍に対し、その火器の威力を最大限に削ぐ戦術で、勝利を掴んだ点においても画期的な戦い。

8: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/01/30(火) 23:50:51 ID:jacbRNNr0
この頃のヌルハチ=満州族に明を倒そうなんていう気はなかったと思う。
遼東に独立国として割拠し、宋と遼あるいは金のような、歳幇を受け取れる関係を気づければ理想という感じだったんじゃないかな。
まさか内乱で超大国の明が崩壊するとは思わなかっただろうし。

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/01(木) 14:13:44 ID:VRwp1TmI0
結果的に大帝国となっても、創業時にそこまで考えていない場合は多いと思う。
金にしたって、靖康の変でああも呆気なく宋が倒れるとは思ってなかっただろうし。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/01(木) 23:58:22 ID:ek/UqHS30
ヌルハチってこの時かなりの年寄りだよな。
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/03/10(土) 23:07:57 ID:YRiHeE1N0
ヌルハチって1619年のサルフの戦いの時点で、もう結構な年寄りだね。

28: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 15:57:16 ID:KW5filkU0
毛利元就みたいなタイプかな。
老年になって花開いた。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/15(日) 23:41:57 ID:m6ZS4eDy0
サルフの戦いと、厳島の闘い。

何だかいろいろな面で似ているかも。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/04(金) 00:23:01 ID:Ew5bbp8r0
厳島の戦いでは、毛利元就率いる本隊が陶晴賢本陣の背後の山から駆け下り、
小早川隆景の別働隊が海岸から攻め寄せた。
軍勢を複数の部隊に分けて攻撃したという点では似ているかな?

ただ、サルフの戦いで特筆するべきは、やっぱり機動性でしょ。

31: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 01:54:04 ID:+q5rYEU+0
ヌルハチは、戦場での臨機応変な戦術が見事だったのに対して、毛利元就は、本番の戦いの前に、謀略の限りを駆使して、勝てる状況を作ったという点で、かなり違うと思う。

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 15:05:32 ID:fa2uKGSb0
>>31
比べるなら上杉謙信かな。
現場で臨機応変に陣を操り兵を駆り立てるのは謙信の得意とする所。
また、手取川の戦いにおいて、敵方の織田軍が大量の火縄銃を保持していたが、暗闇で射程を捉えにくいという弱点に着目し、夜襲を仕掛けることによりそれを封じ、見事な大勝利を得ている。

35: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/16(水) 23:05:12 ID:B0/ZBaIu0
>>34
スレ違いだが、手取川の戦いなんて地元の人間ですら知らなかった話だ。
昔から手取川では源義仲の軍勢が渡河に苦労した話ぐらいしか、昔の戦の話は語り継がれていない。
単なる小競り合いを大戦果にして宣伝した上杉側の捏造だよ。

38: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/05/18(金) 23:33:59 ID:3gWhZThV0
まあ、昔の戦いなんて、資料が少なくて実態がよく分からないものが、ほとんどだと思うよ。

今定説として出回っているものだって、いつ覆されるか分からんし。

14: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 21:21:51 ID:CTYZiQ4Z0
あまり知られていない明側の将軍について史料があったら誰か教えてください。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/08(木) 23:33:37 ID:O4XqRUOO0
>>14
明側の将軍って、楊鎬、馬林、杜松、李如柏、劉挺らのこと。

ええと李如柏が李成梁の息子で、楊鎬が、慶長の役でしくじった人だっけ。

18: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/12(月) 23:40:19 ID:5zSj65DP0
>>16
楊鎬は慶長の役で失敗やらかした人で、李如柏は文禄の役の碧蹄館の戦いで敗北した李如松の弟。
李成梁の息子たちだし、ヌルハチともいろいろ付き合いがあったんじゃないの。

19: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/14(水) 02:13:43 ID:ohJwvZzT0
そういう失敗した人をまた起用して、大将を任せてしまうのが当時の明朝。

20: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/17(土) 23:58:01 ID:rVE4gBJs0
贈賄とかして復職したんだろうか。

21: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/02/25(日) 16:07:20 ID:Y73BN7at0
そもそも明代を通じて、武官にまともな人材は少なかったからな。
たまに優秀な指揮官が現れるとその部隊は見違えるように強くなった。


47: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/06(水) 23:03:16 ID:QXYmkP8U0
日本の戦国時代の戦いだと、
どの戦いがサルフの戦いに似ているかな?

59: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/13(木) 21:33:27 ID:TJa87/1J0
>>47
やはり賤ヶ岳の戦いなんじゃないかな
機動力を活かした内線作戦で外線作戦をとる敵を撃破した、ってのが両戦役だと思うから
ただ秀吉の方が、ヌルハチよりも、一枚も二枚も上手かな
同じ迅速な機動と言っても、秀吉は歩兵、ヌルハチは騎馬、だったわけだからね

61: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/10(水) 22:02:11 ID:6QZRHWyi0
秀吉の用兵の要は、機動力と兵站を組み合わせた戦略的なものだと思うな。
対してヌルハチの用兵は、純粋な戦術色が強い。

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/10/25(木) 23:24:34 ID:EuS1yaiC0
豊臣秀吉は、戦いが始まるまでに、勝てる状況を作り上げるのに長けている。

48: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/07(木) 23:02:42 ID:xlrld0Lk0
長篠

49: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/06/08(金) 15:03:43 ID:+HIjuS7e0
サルフの戦いの要は、ヌルハチ率いる金軍の機動にある。
長篠の戦いに類似性はない。

51: こんな名無しでは、どうしようもないよ。 2007/06/22(金) 21:15:47 ID:oH79vyWu0
よく満州族と書かれるけど、正式には満洲族。つまり清と同じくさんずいがつきますね。
ヌルハチ=猪の皮という意味らしい。

52: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/09(月) 07:49:15 ID:9Euc/kpT0
満州は文殊菩薩の“文殊”から取ったものらしい。

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/07/13(金) 11:13:00 ID:Bdtke26y0
満州族にチベット仏教が浸透したのはいつ頃なのかな?

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/08/19(日) 01:40:50 ID:5YZjLQHH0
モンゴル経由じゃないよ?
中原進出前に一応モンゴルを征服しているし。

57: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/06(木) 23:57:40 ID:/Atb6jV80
文殊から満州国を名乗った時点で仏教は浸透しているだろう。

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/09/13(木) 15:13:36 ID:CnSPSLAq0
ヌルハチってまさに戦場の男だよな。
死んだのだって、戦傷が悪化したのが原因だし。

64: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/15(土) 22:38:43 ID:eRmVf0Bu0
サルフの戦いでは明軍の火力を上手く封じ込めたヌルハチだが、続く寧遠城攻めでは、明軍の火力に手痛い目に遭った。

66: 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/12/16(日) 13:57:02 ID:HedRd+QD0
サルフの戦いの結果は、遼東地域における覇権の確立であって、明を滅ぼして天下を取ることには直接繋がっていない。
ヌルハチにしても、遼東地域に独立国を打ち立てることが目的であって、明を滅ぼそうなんてまだ考えていなかっただろう。

明打倒を本格的に考え出したのは、二代目以降。

76: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/06(月) 11:24:24 ID:JV9XZcOX0
>>66
仮に中原進出にしくじって、遼東独立国家となった場合、どういう形態の国家になったんだろう?
朝鮮を直接併合しちゃうかな。

77: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/10/19(日) 10:29:28 ID:mcIOxDX60
アジア史的には中原進出失敗したほうが良かったのではないかと思う
周辺に脅威が存在するということは軍事的に活力を失わないという事だから

清が満州一帯~ウラジオ辺りまで
順(李自成)が中原
ジュンガルが蒙古高原

78: 名無しさん@お腹いっぱい。 2009/03/29(日) 05:29:31 ID:QharpyIW0
李自成が陝西を固めてもう少し慎重な戦略を選択していたら
かなりその後の展開が変わったかもしれない

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2008/09/25(木) 10:11:03 ID:82ReNkKC0
潘宗顔が馬林に協力してればずい分形勢変ったんだろにな

引用元: ・【ヌルハチ】サルフの戦い【開国の決戦】