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147: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 07:35:21
100、70万石の譜代を作らなかったから幕末に幕府は薩長に負けたんだよ。

148: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 09:14:19
その場合は、4代が終わった時点くらいにその譜代が執権とか呼ばれちゃってるかもしれないけどね。
御三家ですら頼りにならなかったんだから、大身譜代がいても同じことだよ。

149: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 09:28:49
100万石の譜代大名がいて大老になったら他家には地位を渡さず天下人になってしまうかもしれない

165: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 20:43:06
鳥取藩の荒尾は家老の分際で、天守のある城も持っていて15000石。
他の大名家にこんな家臣はいない?

168: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 22:13:08
>>165
肥後の松井とか、淡路の稲田とか

177: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 23:44:40
>>165
伊達藩の片倉とか、前田藩の長とか
万石取り・実質上城主の家臣って、大藩には結構いるね

180: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 00:12:48
>>165
城持ち陪臣は結構いるな。附家老は除くと

紀伊大納言家
伊勢国田丸城 久野氏

松平加賀守家
能登国七尾城 本多氏
能登国穴溝城 長氏

松平薩摩守家
日向国都城城 島津氏

松平陸奥守家
陸奥国岩出山城 伊達氏
陸奥国白石城 片倉氏

細川越中守家
肥後国八代城 長岡氏

松平安芸守家
備後国三原城 浅野氏

松平大膳大夫家
周防国岩国城 吉川氏

松平因幡守家
因幡国米子城 荒尾氏

松平阿波守家
淡路国洲本城 稲田氏

166: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 20:47:13
新興の柳沢が称松平を許されて久松や奥平以外の譜代大名は反発しなかったのだろうか?
それこそ筆頭の井伊すら名乗れないのに

あと、御所号を許され歴史の長い佐竹・上杉・細川は称松平を逆に辞退したのに島津が松平を辞退しなかったのが疑問。毛利は初期に嫁を送り込まれたから仕方ないが

174: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 23:23:16
>>166
薩摩藩の初代藩主・家久が幕府へのごますりだったから。

参勤交代も薩摩藩が始めたと薩摩藩側の文書には明言されているがこれはどうなのかな。
それ以前から江戸への人質とか参勤は他藩でも行っていると思うのだが。

167: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 21:35:09
越前松平って、本家の格は御三家よりはるかに下だけど、一門の総石高は御三家(水戸には高松を加算しても)より、多くなるんだよな。

169: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 22:26:28
>>167
一外様だと一族そろっての石高って見方もあるだろうが
あえて言うなら徳川の分家である越前家単位での総石高って意味があるモノなのだろうか?

171: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 23:14:26
>>169
確かに越前家の流れを汲む大名家旗本家にどれだけのまとまりがあったのか疑問だな。
越前流と言えるような一門とらしきものを形成していたのだろうか?
その辺りは,御三家とその連技との関係と違う印象だな。

172: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 23:17:47
>>171
福井と津山で越前本家を争って犬猿の仲ですが

176: 日本@名無史さん 2009/12/04(金) 23:42:32
津山と越前の本宗争いは,その成立と経過からある意味必然だと思うが
その他の秀康系の各家は,どのような関係はどうだったのだろう。
秀康流としての一門意識があったのだろうか?

181: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 00:17:43
越前は,忠直,光長と下手を打って家を没落させたのに。
水戸は,家も家格をよく守りとおしたな。

184: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 02:40:08
>>181
藩祖が家光の兄貴分だったから

186: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 08:45:53
>>184
越前家は、藩祖が秀忠の実の兄貴だぞ。
二代目は、秀忠の娘婿で、家光のいとこで義兄
まあ、秀頼の義兄になるのだけど。

197: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 12:19:04
>>186
頼房の場合、家光から仲の悪い弟より、そなたを頼りにしておるぞという書状を送られたという話が伝わっているね。
「兄弟これあり候ても役に立たず候間 このうえは其方を兄弟同前に思い候まま いよいよ万時その心得あるべく候 謹言」だそうな。

182: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 00:26:42
水戸は定府ってのが大きいと思う。

185: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 06:47:36
自身が擁立した綱吉と反目になった光圀、藩政改革失敗で将軍候補失格の綱條
越前家並に幕府から因縁付けられたらヤバかったかも・・・

187: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 09:47:51
>>185
ある程度体制が固まった後だから問題ない。
尾張宗春なんてもっとマジやばかったが、結局尾張家の家格には影響しなかった

192: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 10:47:02
三百諸侯っていうけどさ、この日本に300はどう考えても大杉だよね。
豊臣時代はもっと大名の数はずっと少なかったわけだし

勢力分断して幕府の力を安定させようとしてたんだね。
その代り日本の発展を阻害してた気がする。

193: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 11:29:56
>>192
ずっと少ないということはないと思う。
今、手元の角川日本史辞典の織豊大名表の、関が原直前の大名のリストを数えてみたら、240もあった。
それに、家康の下に、三十以上の万石越えの家臣がいるから、それほど変わらないと思う。

195: 日本@名無史さん 2009/12/05(土) 11:37:33
240って意外に多いな。
地方は徳川、前田、毛利等の大大名で占められていたが畿内には小大名が分立してたのかね

214: 日本@名無史さん 2009/12/06(日) 08:17:51
参勤交代時
あんまり仲の良くない大名の城下町を通る場合があるとしたら
やっぱり極力宿を使わないようにしたりしたのだろうか?

215: 日本@名無史さん 2009/12/06(日) 08:35:03
仲の良くない大名という訳ではないが、諸侯の中で最小の喜連川氏は領地に奥州街道が通っていて宿場の稼ぎも収入源だったらしい。
仙台伊達氏などが喜連川を素通りして江戸に向かうと、喜連川氏も急遽江戸へ向けて出発し、城中でいやみを言ったとか。

242: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 22:31:07
>>215
喜連川の石高と格式のアンバランスさから来る財政難考えると嫌味のひとつもいっても良いような気がする。
イメージ的にバイトで生計立ててるのに愛車はフェラーリみたいなもんかな?

216: 日本@名無史さん 2009/12/06(日) 08:37:51
喜連川の当主の仕事は釣りをすることだったらしい。

220: 日本@名無史さん 2009/12/06(日) 15:21:11
三百諸侯で源氏・藤原氏以外ってどれぐらいいるの?

223: 日本@名無史さん 2009/12/06(日) 18:16:48
秋田・木下・毛利ぐらいかな?でかいとこは

228: 日本@名無史さん 2009/12/06(日) 23:19:00
>>223
「うちの先祖は、誰だかよくわかりません」

と、素直に申告した藩があったような。

230: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 00:07:30
>>228
確か七本槍の一人

231: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 00:38:24
前田 菅原朝臣
毛利 大江朝臣
藤堂 中原朝臣
織田 宗 平朝臣
田村 坂上大宿禰
木下 豊臣朝臣

241: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 22:23:13
豊臣姓をもらった上杉や細川がなぜ松平姓は拒否したのかよく分からん。

百姓上がりだと割り切って臣従できるが、豪族上がりの大名には頭は下げられん!とか?

243: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 22:42:18
>>241
豊臣姓と松平姓では格が違う。
細川も徳川姓なら貰ってやるって言ってる。
まあ細川は羽柴姓を先に受けてるから、そういう理由ではないけどw

260: 日本@名無史さん 2009/12/08(火) 09:15:53
>>243
>細川も徳川姓なら貰ってやるって言ってる。
そんな事いえる訳がない。ソースは?

関ヶ原前
羽柴忠興
長岡光(のちの忠利)

関ヶ原後
羽柴忠興
細川忠利(家康より本姓の細川を名乗ることを許され、秀忠より一字拝領)

大坂の陣後
細川忠興

この時、土井利勝が忠興に松平の御称号を請えと言ったが、先に忠利が家康に本姓を名乗ることを許されているので、こちらが本意だと断った。

268: 日本@名無史さん 2009/12/08(火) 19:13:37
>>260
原典が書いてないので弱いんだけど岩波新書の今谷明著「武家と天皇」の63ページに、細川忠興の言として
徳川ならば御願いなさるべきか。松平は源氏の名字にてもなく、羽柴と同意なり。
と書いてある。
上にも書いたけど原典不明。
まあ忠興の話ならおそらく大量に残ってる書簡が原典だろうけど。

245: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 23:22:44
「豊臣朝臣」と「松平」とでは(「徳川」でも)、格が全然違うよね。

あと、羽柴の頃はまだ時代が安定していなかったから、細川も必死だったっていうのもあるんじゃないかな?あくまでも想像だが。
徳川の世になって戦国が昔となり、安定してきはじめたら、古来の体面を気にする余裕も出てきた、と。

248: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 23:47:36
例えば毛利が松平をもらう時には、大江姓のまま松平だったんだよね?何か奇妙だ。

249: 日本@名無史さん 2009/12/07(月) 23:53:01
輝元は豊臣輝元として参議に補任されてる
小早川隆景、吉川広家も豊臣姓で侍従成

250: 日本@名無史さん 2009/12/08(火) 00:01:41
輝元・隆景・広家と一緒に諸太夫成した毛利の重臣8人も豊臣姓を給わってる
確認はしてないが、家康・秀忠も豊臣家康、秀忠で内府、中納言になってるはず

258: 日本@名無史さん 2009/12/08(火) 07:23:04
松平は「御称号」
豊臣賜姓とは趣を異にする

264: 日本@名無史さん 2009/12/08(火) 18:03:00
>>258
秀吉が豊臣姓を与えたのは、徳川でいえば源氏の本姓を与えるようなもので、秀吉が羽柴名字を与えたのが松平の称号授与に相当する。
主君が重臣に自分の名字を与えるのは、伊達・黒田・鍋島のような外様の大藩に例が多く、こうした門閥の家老・重臣が主家から拝領した名字を名乗っている。

271: 日本@名無史さん 2009/12/08(火) 21:27:53
>>264
藤堂もそうだね。
譜代だと奥平はそんな感じがする(浄瑠璃坂の仇討ち)

295: 日本@名無史さん 2009/12/09(水) 23:14:31
族譜のない大名ってちょっと恥ずかしいよね。

297: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 00:25:46
17世紀厨藩までならともかく18世紀位になると外様も親藩も譜代も関係なく婚姻関係が入り乱れて殿様にはもう○○家!っていうアイデンティティがあったのか疑問

家臣にはあったとは思うが

298: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 00:38:27
名族・名家ってのは所詮は伝統と実績が作るもの。
大本の出自がどうであれ、百年、二百年領主をやって
いれば立派な名族だよ。

299: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 00:40:09
江戸中期以降になるとある意味名家じゃない大名ってないよな

300: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 00:49:10
>>299
田沼 柳沢 間部 牧野辺り

302: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 00:52:18
>>300
柳沢 「いや、ウチは武田ゆかりだしぃ松平もらっているしぃ」

303: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 00:53:55
>>300
柳澤とか、甲斐源氏一門のむっちゃ名家だろ。

古来の名家が一度身分をやや落として、ふたたび側用人として世に現れた。
当時の感覚はそんなもんだとおもうよ。

304: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 00:59:41
柳沢は名家かもしらんが、真部はどう見ても名家じゃないな

305: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 01:01:00
間部は下手したら秀吉以上の出世だろアレどう見ても
家継があのまま存命したら北条執権になれたかもしれん

306: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 03:44:27
それにしても徳川は武田家が好きだよな。
何か間違えてたら滅ぼされていた相手なのに

314: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 20:17:09
>>306
好きというより状況がそうなっただけ。
武田は早い時期に滅びて、武田領を徳川が侵食した過程で譜代として取り込んだ。
武田領の有力国人は武田が滅んでも大部分温存されてたし。

315: 日本@名無史さん 2009/12/10(木) 20:19:39
信吉に武田の名跡つがせてるから、少なくとも好意的な感情を持っていたんだろうけどな

引用元: ・【大名】江戸三百諸侯について語ろう9【藩主