51n7YbaB+gL._SL500_



1: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/12(火) 01:32:00 ID:coSevre2
主君信長暗殺未遂事件、大の秀吉嫌いにして冬山登山の達人の成政について語ろう。

佐々成政資料館
http://narimasa.web.fc2.com/








2: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/12(火) 01:35:50 ID:xbsEHm6r
信長暗殺未遂事件って何の事ですか?
他の事例は知ってるけど。

6: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/12(火) 17:23:32 ID:ojQiwknP
>>2
暗殺というか謀反だな。信長公記にあるよ

5: 名無し議論スレにて投票方法審議中 2006/12/12(火) 14:54:04 ID:RBWsoDZf
前田利家と仲が悪いという風評を聞くが、実際はそんなに悪くなかったらしい

6: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/12(火) 17:23:32 ID:ojQiwknP
>>5
出奔中の利家を匿ったことがあるから最初は仲よかったんだろ
そのうち北陸でライバル同士になり
その後前田に自分の娘を嫁がせるのに反対したみたいだから越中時代にはこじれてたんだろう

9: 中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/12(火) 20:55:24 ID:ojQiwknP
内蔵助は黒母衣衆筆頭、又左衛門は赤母衣衆筆頭。信長はこの二人を競わせてたきらいがあるな
北陸時代にも内蔵助を先に取り立て、次いで又左を加増している

19: 人間七七四年 2007/03/09(金) 21:34:37 ID:6KdbsZ29
信長上洛時の母衣衆

黒母衣衆
佐々成政、毛利良勝、河尻秀隆、生駒勝介、水野忠光、津田信重、蜂屋頼隆、中川重政、松岡九郎次郎、中島主水正

赤母衣衆
織田越前守、前田利家、飯尾尚清、福富秀勝、塙直政、黒田次右衛門、毛利長秀、野々村正成、猪子一時


赤母衣衆が一人足りないのは、穴埋めに無能な奴を入れたりしない信長の力量だそうだ。

22: 人間七七四年 2007/04/09(月) 22:10:00 ID:+Q4cQM5Q
>>19
黒母衣衆の筆頭は川尻秀隆だ!

24: 人間七七四年 2007/05/23(水) 16:36:27 ID:5iodAwke
北政所を怒らせたのは作り話?

26: 人間七七四年 2007/05/24(木) 22:37:18 ID:MXwnxX5z
>>24
どうだろう。ただ回りの人をイライラさせるタイプではあったみたいだね。
無神経だったのかもしれない。行動力はあったんだけどね。

50: 人間七七四年 2007/10/24(水) 17:40:30 ID:2N1Mq1O8
高柳さんは成政が秀吉と不仲だったと言われるのはその後から遡って言われるようになっただけで
賤ヶ岳後には難しいこともなく和睦したと書いてるね

新発田重家に重家から秀吉に音信を通じるように勧めていたりしているんだそうだ

27: 人間七七四年 2007/05/25(金) 10:46:37 ID:vMRMd4GB
この人のお孫さんって徳川家光の正室なんだっけ。
まさか自分の孫が天下人の正室になるなんて思ってもいなかっただろうな。

30: 人間七七四年 2007/06/01(金) 22:25:51 ID:HPeSbHIC
狩野探幽もこの人の孫じゃなかった?

32: 人間七七四年 2007/06/02(土) 13:36:17 ID:faBm5rHq
赤母衣衆の中でいまいち影の薄い佐々

35: 人間七七四年 2007/06/03(日) 00:50:07 ID:IPOnMa3G
兄も織田家に捨て犬のように殺されたし、嫡男が誕生しても成人する前に死んでしまったし、その後男の子が生まれなかったり。

45: 人間七七四年 2007/10/01(月) 14:08:05 ID:Qh+p849k
本能寺後に正規軍わずか2000人で背後の上杉を防ぎつつ隣の前田戦を優勢に進めた猛将
織田家への忠義を捨てきれず最後は秀吉軍10万に降伏
小勢ながら秀吉軍10万人を北陸まで動かせたこの男は只者ではない
おそらく後の国主に事実歪曲されたのうだろうが、なぜか未だに歴史的評価は低い

47: 人間七七四年 2007/10/19(金) 00:04:33 ID:unNodpfW
>>45
勝家が賤ヶ岳で秀吉と戦えたのも佐々のお陰だしな
信長が利家に越中与えて佐々に能登与えてれば歴史も随分変わってたかもしれん

利家が戦場で裏切るって事もないだろうし

49: 人間七七四年 2007/10/24(水) 17:27:48 ID:oKk/FIlI
>>47
信長的には、武将の器量が佐々>前田って評価だったのかな?

52: 人間七七四年 2007/10/30(火) 15:54:52 ID:chN/SRts
賤ヶ岳直後は織田家を立てるのか潰すのか読めなかったのでは?
しかし踏み台にする事が明確になると再び戦闘状態に突入
信長直臣最後の砦が崩れていくことになる

56: 人間七七四年 2007/11/02(金) 15:36:10 ID:gdAt53Rj
当時の上杉ってゴタゴタしてたんじゃなかったっけ?
誰でも抑えられそう
つか前田って佐々に戦で勝ってるしね
そこまで戦下手とは思えないが

57: 人間七七四年 2007/11/02(金) 19:06:35 ID:1eSYXsWB
いやいや利家が佐々に勝ったのは終盤末森城攻めの囮部隊に勝っただけでその他は全敗て言うか撤退しまくってる
利家本人が攻めに移るのは秀吉自ら援軍としてきた時だから、それまでは戦う意思が無いて言うか完全守勢
しかし佐々の方も囮作戦成功させて一度だけ利家誘き出してるのに佐々本体は越中→金沢の行軍で道に迷って撤退してる事がある
決めた日時どおり囮と合流できれば大勝確定なのに(笑
冬の北アルプス横断する登山家大名が僅かな距離の富山金沢間の山中で迷うとは何事!

比較すると戦は佐々が上で 政治は利家は上じゃないかい?

58: 人間七七四年 2007/11/02(金) 19:10:43 ID:gu3aThZb

佐々は織田家命という気持ちは前田より上だったが
織田家命と吼えてる時代遅れの武将はたいてい時代の波に飲まれてる
(佐々、柴田、丹羽、などなど)

60: 人間七七四年 2007/11/04(日) 14:45:30 ID:SC46uAdm
秀吉に素直に降って前田の次男を養子に貰っていれば秀吉政権でも生き残れたし徳川政権になればさらに佐々家は栄えたであろう
惜しいことしたなあと

74: 人間七七四年 2008/01/30(水) 14:57:46 ID:9MIU5tkS
最近読んだ本に、成政は後漢書を引き合いにだして信長が浅井長政達の首を見世物にしたのを諌めたって話しがあったけど捏造?
成政は千田吟風という学者から古典を学んだと書いてあったけど

76: 人間七七四年 2008/01/31(木) 10:01:04 ID:07j+Wc3c
>>74
成政第二の逸話(俺の中で)を捏造扱いするな
他にも書き残されてるから

75: 人間七七四年 2008/01/30(水) 15:20:00 ID:tf6tokGj
さらさらって本当に史実じゃなかったの?

76: 人間七七四年 2008/01/31(木) 10:01:04 ID:07j+Wc3c
>>75
いまだ越前経由と言い張る某教授も居るけど冬の長野やその他に立ち寄った形跡があるし
アルプス越えしてるとされている

79: 人間七七四年 2008/02/02(土) 23:18:05 ID:MarQYOI9
>>75-76
伝承のコースは、現在の近代装備でも走破は難しいと聞くが。

84: 人間七七四年 2008/02/14(木) 20:05:40 ID:4bnVNO2O
>>79
山を越えする越中の方の面倒をみてくださり主君家康が大変喜んでおります
つー感じの本多正信の手紙が長野県に残ってたみたいで、確定したらしいよ

78: 人間七七四年 2008/02/02(土) 14:30:30 ID:N7d8lJD3
切腹時に帝から追悼の歌を賜った話が気になってます
天皇自らの追悼を受けた武将は佐々成政ただ一人と言われてますが
どんな関係だったのだろうか

81: 人間七七四年 2008/02/03(日) 01:40:20 ID:mzJPlX6R
成政って意外にインテリでセレブなの?

90: 人間七七四年 2008/05/25(日) 19:10:09 ID:A9sjy/eV
佐々は結構インテリだったみたいだな。
他の家臣と違い寝所に呼んで佐々の講釈を聞いたらしい。
そして佐々の訓戒にはよく耳を傾けたようだ。

93: 人間七七四年 2008/05/27(火) 05:11:42 ID:IPSBSxG9
信長は家臣の忠告聞くイメージがないからな
そういう中で恐れながらも諌言した成政はイィ!
あっさり間違い認める素直な信長もイィ!

94: 人間七七四年 2008/05/27(火) 21:49:13 ID:OeWbcPMJ
これだけの人物なのに、子孫は水戸徳川家の家臣になっただけ?

95: 人間七七四年 2008/05/27(火) 23:09:34 ID:u6/OO1Ri
佐々淳行氏も佐々氏の子孫だよ

96: 人間七七四年 2008/05/28(水) 13:16:03 ID:tRZIaSXw
有名じゃない所の子孫は九州の加藤家-細川家に仕えた者もいるし紀州家や越中前田家もかな
それより影武者に切腹させて本人三河へ入った説を子孫もいるんだし調べて欲しいなー
年齢一緒だし陣形の弱点助言するなんて絶対天海は佐々だろと思ってるのだが

364: 人間七七四年 2014/07/18(金) 01:01:18.93 ID:tVQlxwO3
>>96
佐々成政=天海僧正説ってのは初めて聞いたけど斬新だな。
明智光秀説はよく言われるけど。

101: 佐々成政ってどお? 2008/07/02(水) 15:48:55 ID:TaFvJvuZ
長女か次女が関白鷹司信房へ嫁ぎ、その娘が三代家光の正室。

公卿類別譜 ~公家の歴史~
摂家(せっけ)
鷹司 【たかつかさ】
http://www.geocities.jp/okugesan_com/takatsukasa.htmより

105: 人間七七四年 2008/07/22(火) 23:30:22 ID:dJ1tSS/f
>>101
初耳ですな。
どんな縁があったんだろ? 茶の湯とか??

130: 人間七七四年 2009/03/26(木) 15:52:45 ID:NJI5NRx4
>>105
成政の正室は、京都所司代村井貞勝の娘で、その縁で朝廷に出入りしていたのでは?
その証拠に成政が眠っている尼崎の法園寺に、後陽成天皇が彼の死をいたんで書いた書画があるらしい。

秀吉は「信長の忠臣」を嫌っていたのかもね。

http://www1.ocn.ne.jp/~sea-8/houonji/narimasa.htmlより

126: 人間七七四年 2009/03/08(日) 17:03:19 ID:rdZVVwhn
富山県民だが、現代において清正とか伊達とか上杉とか武田みたいに地元で思われてるってことはないな。
富山で生まれたわけでもなく、富山の発展に多大な功績があるわけでも無く、富山で死んだわけでもなく。前田以下で大伴家持と同じぐらいかね。
恥ずかしながら佐々祭りなるものをこのスレで初めて知った始末。

128: 人間七七四年 2009/03/08(日) 23:13:26 ID:b5MvUKjU
>>126
伊達・上杉・武田みたいな教科書に出てくるような全国区の知名度の武将と比較したら、大概の人物はそういう評価になるのでは。
東京とか埼玉で北条氏康って知ってる?って聞いても歴史好き以外の人はほとんど知らないだろうし。
逆に言ったら、地元出身でもないのに記念館設立の動きがあったり、祭りがあったりする事がそれなりに支持されているという証なんじゃないのかな

131: 人間七七四年 2009/03/26(木) 17:18:40 ID:+MxiVsPl
>>126
なんだったかな
富山で成政が堤だか何だかを築いてそれが領民に凄く喜ばれたんじゃなかったっけ
今でも使われてるだとか何とか

132: 人間七七四年 2009/04/03(金) 22:59:32 ID:cIWOvrCU
>>126
私は特に歴史好きな訳じゃないけど成政は大好きですよ。
佐々堤もそうだけど、「安住町」命名の話なんかも胸が熱くなりますね。

134: 人間七七四年 2009/04/06(月) 11:32:33 ID:X50aql/p
安住町の話とやらを教えてくれませんか?

135: 人間七七四年 2009/04/06(月) 19:25:36 ID:om+3q2dw
>>134
長く戦乱が続いた越中の地に、人々が安心して住めるようにって思いを込めたんじゃなかったっけ?

136: 人間七七四年 2009/04/07(火) 09:59:05 ID:YRnBc9ak
>>136
パツと見軍拡一筋なんだが民の心配までしていたんだねえ
だからこの規模で兵2万も集まったのかしら
元佐々家臣ってマイナーだが後に活躍する有名所がめっちゃ多い

137: 人間七七四年 2009/04/07(火) 13:04:39 ID:9ctnQ0La
>>136
まあ松倉山の膨大な金銀の力もあるでしょうけどね。
でも基本的に越中人に凄く愛された人なんだと思う。
後に前田がボロクソに悪評を流したにも関わらず、富山は数百年に渡って一貫して佐々贔屓だったしね。
わがままな(笑)越中人が佐々の下では見事に統率された軍行を見せてたし。

140: 人間七七四年 2009/04/16(木) 06:16:57 ID:6zzyfFNZ
富山でも地域によって違うだろ
西部のほうは利長関連で商売してるから前田家はおおむね好かれてる

147: 人間七七四年 2009/04/28(火) 14:06:29 ID:digfYAh9
>>140
正確には高岡市だけなんだよ前田家が好かれているのは。
銅器や漆器の産業を興してくれたので高岡では利長は神様的存在。
けど、それ以外の地域は前田家をあまり良くは思っていない。
というのも当初は加賀藩だけに税を納めていたんだが利常の時代に支藩の富山藩が出来たおかげで加賀藩と富山藩のふたつの藩に納税をしなくてはならなくなった。
つまり二重課税ね。
前田家としては課税が目的というよりも支藩を作って本家が取り潰されても前田の血筋が絶えない様にとの考えだったらしいが。
この二重課税のおかげで富山の領民は苦しめられて財産を隠す様な県民性へと変わっていった。
富山県東部では東部の中心地の魚津が上杉家ゆかりの地の米沢市と親交が深い事もあって上杉贔屓の人達が多いな。

148: 人間七七四年 2009/04/30(木) 22:55:19 ID:R2V0UBr7
佐々は堤防作ったり、何だかんだで統治が良かったよね

160: 人間七七四年 2009/09/08(火) 23:24:41 ID:K/s2cO0C
越中を収公された時に、滝川みたいに隠居してしまうとかは考えなかったのかな?

161: 人間七七四年 2009/09/09(水) 00:15:15 ID:ZRbWSGWL
再起を狙ってたんじゃない?

162: 人間七七四年 2009/09/09(水) 03:50:38 ID:nkgQhx1t
成政が隠居したら織田家を守る人がいなくなるし
下手に隠居されて信雄の側に行かれたら秀吉にとって脅威になる可能性もある

166: 人間七七四年 2009/09/11(金) 05:43:08 ID:e3+a8Hdk
佐々と利家の差は臨機応変に対応できるか否かの差だろ
うまく立ち回った利家は出世し、頑固な佐々はダメだったと

167: 人間七七四年 2009/09/11(金) 07:37:50 ID:tfV6hYEc
譜代とそうじゃない家臣の差だよ
織田家に対する忠誠心が根本的に違う

168: 人間七七四年 2009/09/11(金) 10:58:22 ID:lwk1zdoN
結局は結果がモノを言うからなぁ・・・
佐々の忠義心を天晴れとは思うが見習いたくはないな・・・

引用元: ・悲憤の武将・佐々成政