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2: 世界@名無史さん 2010/12/31(金) 01:30:03 0

オスマン史を知るのに良い文献を紹介しよう。

・永田雄三編『西アジア史Ⅱ―イラン・トルコ』(新版世界各国史9) 山川出版社、2002年
・佐藤次高編『西アジア史Ⅰ―アラブ』(新版世界各国史8) 山川出版社、2002年
・柴宜弘編『バルカン史』(新版世界各国史18) 山川出版社、1998年
・鈴木董『オスマン帝国―イスラム世界の「柔らかい専制」』 講談社、1992年
・鈴木董『オスマン帝国の解体―文化世界と国民国家』 筑摩書房、2000年
・鈴木董『オスマン帝国の権力とエリート』 東京大学出版会、1993年
・鈴木董『オスマン帝国とイスラム世界』 東京大学出版会、1997年
・鈴木董『イスラムの家からバベルの塔へ―オスマン帝国における諸民族の統合と共存』 リブロポート、1993年
・新井政美『トルコ近現代史―イスラム国家から国民国家へ』 みすず書房、2001年
・新井政美『オスマンvs.ヨーロッパ』(講談社選書メチエ) 講談社、2002年
・新井政美『オスマン帝国はなぜ崩壊したのか』 青土社、2009年
・永田雄三・羽田正『成熟のイスラーム社会』(世界の歴史15) 中央公論社、1998年
・永田雄三・加藤博『西アジア』(地域からの世界史8) 朝日新聞社、1993年
・林佳世子『オスマン帝国の時代』(世界史リブレット19) 山川出版社、1997年
・林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史10) 講談社、2008年
・『イスラーム・環インド洋世界 16-18世紀』(岩波講座世界歴史14) 岩波書店、2000年
・『イスラーム世界とアフリカ 18世紀末―20世紀初』(岩波講座世界歴史21) 岩波書店、1998年
・歴史学研究会編『世界史史料2 南アジア・イスラーム世界・アフリカ : 18世紀まで』 岩波書店、2009年
・歴史学研究会編『世界史史料8 帝国主義と各地の抵抗Ⅰ』 岩波書店、2009年

3: 世界@名無史さん 2010/12/31(金) 02:49:20 0
>>2
続き

・大塚和夫他編『岩波イスラーム辞典』 岩波書店、2002年
・日本イスラム協会編『新イスラム事典』 平凡社、2002年
・伊東孝之他監修『新訂増補 東欧を知る事典』 平凡社、2001年
・三浦徹・東長靖・黒木英充編
 『イスラーム研究ハンドブック』(講座イスラーム世界別巻) 栄光教育文化研究所、1995年
・小杉泰・林佳世子・東長靖編
 『イスラーム世界研究マニュアル』 名古屋大学出版会、2008年
・羽田正・三浦徹編『イスラム都市研究―歴史と展望』 東京大学出版会、1991年

5: 世界@名無史さん 2010/12/31(金) 09:25:49 0
>>2
インドの奴隷王朝とか、もっともマイナーな分野にも目を向けてほしいな。

6: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2010/12/31(金) 09:44:20 0
>>5
インドのデリー・スルタン朝は日本語文献が少ないね。
そういえばムガル帝国は建国にオスマン帝国が少しだけ、関わってるね。と言っても、バーブルがインド征服のための、武器(主に火器)をオスマン帝国から取り入れたというだけだけど。

311: 世界@名無史さん 2011/06/09(木) 00:29:41.05 0
>>1
兄弟殺し・幽閉の掟だけはいくない。
とどのつまり、スルタンもハーレムの奴隷だった。

312: 世界@名無史さん 2011/06/09(木) 01:50:52.70 0
>>311
兄弟殺しについては、17世紀以降行われなくなり、オスマン王家の最年長の男子がスルタン位を継承するパターンが出来上がる。
1876年に発布されたオスマン帝国憲法第3条には、
「オスマンの至高なるスルタン位はイスラームの偉大なるカリフ位を有し、古来の方法に従ってオスマン家の最年長男子に帰する。」
とある。とある。

また、オスマン帝国に限らずどの国においても、政策の立案から施行に至る過程の大部分を実際に担ったのは官僚である。
君主によるワンマン運営ばかりを絶対的なものとみなすな。
林佳世子『オスマン帝国500年の平和』(興亡の世界史10) 講談社 2008年。
大河原知樹・秋葉淳・藤波伸嘉訳「オスマン帝国憲法」
粕谷元編『トルコにおける議会制の展開―オスマン帝国からトルコ共和国へ』 東洋文庫 2007年。
などの近年の研究成果を参照せよ。

313: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/06/09(木) 06:01:30.16 0

>>312
オスマン帝国は一般的に専制君主による中央集権的な政治体制がとられたと、言われてるからね。まぁそれは間違いじゃないけどそうは言っても実際に多くの、政策の立案・施行などする場合は少なからず官僚の力を借りなければならない。
スレイマン1世などスルタン自身が有能で積極的に政治に関わってた時期だろうと、セリム2世みたいにあまり有能とは言えない場合だろうと官僚がそれらスルタンを、支えてるね。後に近代化政策を行なう時も多くのオスマン官僚が活躍してるしね。

322: 世界@名無史さん 2011/06/11(土) 23:40:19.62 0
スルタンに子ができなかったらどうなるの?

324: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/06/11(土) 23:53:06.51 0
>>322
だからオスマン帝国後期には兄弟殺しはなくなり幽閉するだけに留めた。
万が一の時に弟がスルタンになれるからね。まぁハーレム制度があったし、スルタンに子が出来なかったことはほとんどなく、兄弟殺しが行なわれてた前期オスマン帝国にはそういうスルタンはいなかったからね。不思議だけど。

315: 世界@名無史さん 2011/06/11(土) 01:51:43.01 0
オスマンには世襲の貴族が居なかった。

317: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/06/11(土) 05:35:38.59 0
>>315
まぁ世襲で同じ役職についてるのはあるけど、西欧みたいに正式に、国から称号をもらって世襲にさせるような貴族は確かにないかもね。

316: 世界@名無史さん 2011/06/11(土) 03:35:48.59 0
イェニチェリは世襲でしょ

317: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/06/11(土) 05:35:38.59 0
オスマン帝国における世襲された役職としては>>316の挙げている、イェニチェリの他にスィパーヒーや徴税請負人なんかもそうだったね。

323: 世界@名無史さん 2011/06/11(土) 23:40:50.03 0
イェニチェリはセクス禁止でしょ

324: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/06/11(土) 23:53:06.51 0
>>323
最初の頃こそそういう規則が守られてたけど時代と共に形骸化していき、17世紀頃には妻帯もして子供を作るようなイェニチェリは普通にいたよ。

327: 世界@名無史さん 2011/06/15(水) 17:41:45.77 0
オスマン帝国スルタンはハーレムの籠の中の鳥だから、ピョートル大帝のような人間が出なかった。

328: 世界@名無史さん 2011/06/15(水) 22:27:58.66 0
>>327
いい加減スルタンによるワンマン運営ばかりを絶対視するような見方はやめろ。
スルタンだけでなく、官僚以下の階層にも注目しろ。
近年では、庶民にも焦点を当てた社会史の研究成果が着々と出されているからそれらを参照しろ。

329: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/06/15(水) 22:51:01.17 0
>>328
スレイマン1世がオスマン帝国の官僚機構をかなり整備したこともあって、それ以降のオスマン帝国では官僚主導の政治が行なわれてた訳だしね。
スルタンの能力だけに注目すべきではないね。

333: 世界@名無史さん 2011/06/19(日) 23:11:46.35 0
>>328-329
スルタン主導による政治というとメフメト2世やスレイマン1世ばかりが注目されるが、スルタン主導による近代化を推進したセリム3世、マフムート2世、アブデュルハミト2世は無視するのかね?
スルタン主導による運営がいい、という奴らは、スレイマン1世ばかりを挙げるが、それ以外の(特にオスマン帝国近代の)スルタンを挙げないのはいかがなものか?

近年、研究がすすめられているオスマン帝国近代史への関心が薄すぎる。

335: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/06/19(日) 23:24:52.28 0
>>333
別にスルタン主導による政治が良いとは言ってないけど。17世紀以降の、オスマン帝国では官僚主導の政治になってたのだからスルタンばかりに、注目するべきじゃないよと言った訳で、別に近代オスマン帝国への関心が、薄い訳ではないよ。
まぁ、確かに近代になるとマフムト2世みたいに結構、リーダーシップを発揮するようになるスルタンも増えてるからね。その一方、タンジマートなどに見られるように近代は近代で官僚も活躍してたんだけど。
近代オスマン帝国はスルタン主導の時代(アブデュルハミト2世など)と官僚、主導の時代の両方があったからね。

363: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 18:49:45.84 0
オスマン・トルコって宗教的な寛容が特筆されることが多いけど
一時期の西洋に比べればマシってだけで普通に人間の尊厳とか無視する国家だよね

364: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 18:56:15.26 0
>>363
具体的に何のことを指して言ってるのか分かりかねるけど、まぁ時代によってはアルメニア人虐殺とかもやってるしね。
過度な理想化は良くないね。まぁ、当時のオスマン帝国が、西欧に比べ宗教的に寛容だったのは事実なんだけど。

365: 世界@名無史さん 2011/07/11(月) 21:50:06.80 0
アルメニア人虐殺は19世紀末から20世紀初頭に三回あったと思う。
大体ロシアでボグロムが行われた時期と重なっていると思う。
三回目はオスマン帝国が解体して、アルメニア人、トルコ人、ギリシャ人がそれぞれ武装勢力として戦闘を行っていた時期だわな。
アルメニア人救出作戦で英仏軍が各地を占領した。
直後にユダヤ人がパレスチナに入植を開始した。
アルメニア人虐殺はその後の欧米のコソボ・チェチェン・リビア等の内戦介入のモデルケースとなったと思う。

366: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/07/11(月) 21:55:03.80 0
>>365
そのせいで今でもトルコ人の中にはアルメニア人を英仏という、虎の威を借る狐みたいに思ってる人がいて、アルメニア人への、憎しみが未だに消えてないんだとどこかで聞いたけど実際はどうなんだろう?

377: 世界@名無史さん 2011/08/10(水) 18:19:36.29 O
イスラム教徒は宗教的義務として、ザカート(喜捨)をしなければならない。
これにより毎年自由に使えるお金のうち四分の一は貧者や社会的弱者へ寄付する事になる。

これは日本人のイメージする募金とは桁が違い、実質貧者救済の為の税金のようなもの。
たとえ住む地区は違っても同じ社会に属してサービスを受けている以上は、異教徒だからとタダ乗りされては困るし、それなら国家が税金を課すしかない。

ってアラブ人の友人が言ってて、それは一理あると思った。

378: ◆axCVsGomao 2011/08/12(金) 08:20:19.33 0
>>377
ザカートは義務だから税金みたいなもの
自由意志による寄付はサダカ

380: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/08/14(日) 15:11:18.88 0
>>377
林佳世子氏によるとオスマン帝国においてはザカートによる、女性たちなどの投資が帝国内の経済を支えてたみたいだね。
有力者たちがザカートの名目でモスクなどを運営することで、オスマン帝国の経済は回ってたと「興亡の世界史」に載ってた。

379: ◆axCVsGomao 2011/08/12(金) 08:20:52.90 0
モスクは寄付で運営されているんだっけ

381: 世界@名無史さん 2011/08/15(月) 12:46:47.78 0
>>379
ワクフってたしかに寄付の一種なんだろうけど
寄付と聞いて思い浮かべるイメージと違うからときどき困惑する
ワクフとはアラビア語で止めるという意味の動詞وَقَفَの名詞形で、イスラム社会では何らかの財産を基金として供出して利益を慈善事業として施すシステムを意味する。サダカ(寄付・寄進)の一種である。

狭義の意味としてはモスクに対して収めるお布施を指す場合もある。ウラマーなどのイスラム聖職者の中にはワクフから収入を得て生活している者も多く居る。
現代のイスラム教国ではワクフを管理する国家機関が存在しており、サウジアラビアのイスラム問題・ワクフ・宣教・教導省やエジプトのワクフ省などがある。
複数の宗教が混在するインドネシアでは宗教省のイスラム局がワクフを管理している。これによって、ワクフが実質的な地方税として機能しているところもある。

382: 世界@名無史さん 2011/08/16(火) 00:15:55.86 0
>>380-381
オスマン帝国では、ワクフ財の管財人は、19-20世紀には地方政治にも参加するようになった。
地方の行政評議会(meclis-i idare)には、裁判長(naib)や徴税官などと並んでワクフ管財人が参加する場合もあった。

383: 世界@名無史さん 2011/08/24(水) 22:20:42.60 0
ワクフはアタチュルクの改革対象になっていないの?

384: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/08/24(水) 22:38:29.45 0
>>383
ちゃんとなってるよ。ワクフを管理するワクフ省とかいうのを廃止して、さらに家族ワクフと呼ばれる脱税目的のワクフも禁止されてるからね。
現在は、政教分離の名のもとでワクフは一応私有化されてたと思うし。
家族ワクフ

オスマン帝国で流行したワクフを悪用した脱税を、原義のワクフと区別して家族ワクフと呼ぶ。
現代日本における宗教法人の財産と同様に、オスマン帝国の制度ではワクフに指定された土地建物などの財産およびそこから発生する利益は非課税となった。これを悪用して資産家が自分の土地や財産をモスクにワクフとして寄付して、自分自身がその財産の管理者やモスクを管理するウラマーなどになって利益の大半を経費などの名目で独占していた。
家族ワクフの拡大はオスマン帝国の税収を圧迫するほどにまで膨らみ、モスクの周囲にはワクフとして寄進された広大な土地が広がり、実質的にはモスク領地とも言うべき物が形成された。
これによってモスクに財産が集中し、モスクの建設や維持管理に大半が費やされるようになり豪華で壮大なモスクが各地に建設されるようになった
。オスマン帝国崩壊後に家族ワクフは禁止されるようになった。

387: 世界@名無史さん 2011/08/30(火) 21:24:09.98 0
オスマン帝国と大日本帝国、どこで差がついたか? 慢心、環境の違い。

リアルにどこよ? 

396: 世界@名無史さん 2011/09/10(土) 07:41:01.13 0
>>387
宗教じゃね?
シャーリアを捨てない限り、宗教改革を済ませて強大化した列強には対抗できない
特に科学技術の点では致命的。イスラムは12世紀以後世界の科学技術の進歩についていけなかった。
日本や信長以後は宗教が政治や生活まで規律することがなくなったからな

398: 世界@名無史さん 2011/09/12(月) 10:32:26.39 0
>>396
> 日本や信長以後は宗教が政治や生活まで規律することがなくなったからな

これはウソだろ。
信長以前と以後でそんなに違わないよ。

足利将軍は代々禅宗の熱心な修行者だったが、徳川将軍はそれほどでもなかった
(浄土宗に帰依していたが、宗派の性質上、修行とかそういう問題じゃなく熱心さもおのずから足利氏ほどじゃなかった)っていう点は違うけど。

401: 世界@名無史さん 2011/09/12(月) 11:52:45.40 0
>>398
社寺の領地が膨大で軍事組織を持っていたという点で中世はやはり江戸時代以降とは違う世界だったよ。

388: ◆axCVsGomao 2011/08/30(火) 23:04:13.47 0
西欧からの距離だろ

389: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/01(木) 15:25:51.76 0
>>388
近代オスマン帝国は日本以上にヨーロッパ列強諸国の干渉を、受けてたからね。
東方問題とかに代表されるように列強諸国の、利害が対立しやすい場所にあったし。とは言えオスマン帝国も、それを上手く利用することで生き延びてた面もあるんだけどね。
東方問題を見てるとオスマン帝国はバルカン半島を征服しない、ほうが良かったんじゃないかとすら思えてくる。そうすれば変な、列強同士の対立にも巻き込まれずじっくりと内政に励めたかも。
まぁ、列強の対立を利用できない分、オスマン帝国はもっと早く、滅んでたかも知れないけど、そこら辺は単なるIFの問題だしね。

390: 世界@名無史さん 2011/09/04(日) 08:53:05.57 0
>オスマン帝国はバルカン半島を征服しないほうが良かったんじゃないかとすら思えてくる。

オスマンが大を成した原因は、トルコ人が不得意な分野を他の民族に任せたからだけどな
海運・海軍はギリシア人など、海に慣れた民族にやらせていた
でもナショナリズムが勃興する時代になるとそれがうまくいかなくなった

391: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/04(日) 09:20:00.36 0
>>390
確かにオスマン帝国は多民族国家だったからこそ発展した訳だからね。
近代になっても官僚なんかには結構トルコ人以外の民族も多かったし。
まぁでも一方で近代になるとナショナリズムが盛んになってしまったから、そして列強がそれを利用しようとしたから近代化が進めにくくなったんだし。
上でも言ったようにだからこそ20世紀まで帝国を保てたという面もあるけど。

418: 世界@名無史さん 2011/09/14(水) 17:45:55.19 0
オスマンに易々とバルカン進出を許してしまったのは、異教徒との共存を否定する西欧十字軍の頑迷さが、ビザンツ人には受け入れ難く、それが結果的にオスマン進出を容易にしてしまった、という話がある。
オスマン支配とビザンツ支配には、共通点もあったのかも知れない。
この点で、ビザンツ地方領主とテュルク系地方領主が混在し、政治・軍事的には、宗教で線を引くことができないオスマン勃興期の小アジアの政治・社会情勢は、もっと日本語の研究文書が出てきて欲しいところ。

428: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/15(木) 17:14:06.62 0
>>418
「教皇の帽子をみるぐらいならスルタンのターバンを見るほうがマシ」というやつか。
まぁ西欧の支配でカトリックを強要されるぐらいならオスマン帝国の支配で正教を、守り抜いたほうがマシだという面は確かにあったかも知れないね。

432: 世界@名無史さん 2011/09/15(木) 21:41:28.55 O
ビザンツをギリシャ人の民族国家みたいなものにし、アナトリアのオスマンに対抗するのはやはりかなり難しかったか。

434: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/15(木) 21:53:14.02 0
>>432
末期ビザンツ帝国はローマ人という建前を捨てて自分たちはギリシャ人だという民族意識を持ってた人々も増えてきたから上手くいけば出来たかも知れないね。
でも、そうするにはニカイアとかエピロスなどの他のビザンツ亡命国家の扱いを、どうするかだよなぁ。上手く統一できればギリシャ人の民族国家となれたかもね。
とは言え、それだけで当時のオスマン帝国に対抗できるかどうかは微妙だけど。

438: 世界@名無史さん 2011/09/16(金) 15:11:05.27 O
ギリシャやブルガリアが独り立ちできるまではティムールに頑張ってもらわねば。

439: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/09/16(金) 17:19:34.87 0
>>438
確かにアンカラの戦いはビザンツ帝国の延命に役立ったけどティムール自身は、ビザンツよりはアナトリアのトルコ系諸侯のほうを重視してたように思える。
実際彼はオスマン帝国の支配に対抗するアナトリアのトルコ系諸侯を支援しながら、戦った訳だからね。ビザンツ帝国の延命はあくまで副作用のようなものだと思う。


496: 世界@名無史さん 2011/10/09(日) 23:24:43.98 0
黄金の鳥篭って帝国滅亡時までやってたの?

498: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/10/10(月) 06:56:57.33 0
>>496
18世紀頃にはなくなってたような気がする。アフメト3世とか弟だったけど若い頃、幽閉されてたっていう話は聞かないし(もしかしたらされてたかも知れないけど)。
具体的にいつ消えたかは知らないけど、流石に滅亡時まで続けてはないでしょ。

508: 世界@名無史さん 2011/10/10(月) 16:53:48.84 0
>>498
一部のスルタンが幽閉を免れただけでしっかりメフメト5世まで鳥篭内だぞ。

512: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/10/10(月) 22:38:11.46 0
>>508
あれ、そうなのか。アフメト3世とか一部のスルタンを除けば基本的には幽閉されてたんだ。
てっきり近代以降やらなくなったと思ってたよ。まぁハレムとかも割りと近代まであったしね。

523: 世界@名無史さん 2011/10/25(火) 23:32:26.81 0
仮に今でもオスマン帝国が存続していたらどうなっていんだろう?
第1次大戦時に何らかの理由で参戦しなかった場合とか

トルコ民族主義の高まりから正式に「オスマントルコ帝国」または「トルコ帝国」改名してクルド人やアラブ人から総すかん食らう可能性もあっただろうし
(実際実際オスマン帝国末期はトルコ人の知識人を中心にオスマン帝国のことをトルコ帝国と呼ぶ人も多かった)

ただクルド問題に関しては今のトルコ政府よりも柔軟にやったと思うし

パレスチナ問題や大シリア地方の独立がどうなっていたか気になるんだが
はっきり言って大英帝国でも嫌になったユダヤ人のテロ行為を当時落ち目のオスマン帝国が耐えられるとは思えないし

531: 世界@名無史さん 2011/10/31(月) 03:42:24.02 0
>>523
どういうスルタンの治世なのかにもよるがオーストリアは今頃、帝国の一部にされていたかもね

526: 世界@名無史さん 2011/10/30(日) 23:35:45.40 0
アルメニア人やセルビア人、ブルガリア人も犠牲にならずに済んだだろうか?
彼らがトルコ人と対立したのは欧米列強にナショナリズム煽られた結果じゃないかと思うんだが。
列強の植民地政策のしわ寄せをくらって、オスマントルコはそれまで温和に共存してきた諸民族を失ったんだよね。

あとクルド人問題やアルメニア人虐殺問題も、欧州側が必要以上にトルコの悪辣さを騒ぎ立ててるとこってない?
アルメニアロビーの強力さは向こうじゃ有名だし、EU加盟も阻止したいでしょ。

544: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/11/03(木) 11:57:01.41 0
>>526
最初のうちは確かに列強(特にロシア)がバルカン半島のスラヴ人の民族運動を、煽ってたのは否めないけど、途中からはわりと彼らの自発的な運動になってるよ。
ベルリン会議以降はむしろ東方問題という面倒事に巻き込まれるのを嫌ったため、バルカン半島で盛んになるナショナリズムを列強としても押さえ込みたかったしね。
単純に西欧の列強がオスマン帝国の解体のためにナショナリズムを煽ったたとは、言いにくいのが東方問題の難しいところでここら辺を巡る西欧の外交姿勢はもっと、複雑だからね。特に、イギリスなんか第1次世界大戦まではオスマン帝国の解体を、望んでなかったし。
アルメニア人虐殺とかは現在のEU問題と絡むからまた別だけど。

594: 世界@名無史さん 2011/11/19(土) 22:35:00.68 0
>>544
きっかけが大切だと思います。
最初に誰かがやると何事も増加するものです。

595: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/11/19(土) 22:49:58.58 0
>>594
まぁ、確かにそうだとは思うけどギリシャ独立戦争なんかはヨーロッパ列強諸国も、特に意図してナショナリズムを煽った訳ではないからね。全てのきっかけを列強に、帰するのもどうかという気はする。確かにロシアとかが煽ったことも結構あったけど。
セルビア蜂起は明らかに自発的だし、ギリシャ独立戦争も国外のギリシャ人たちが、ヨーロッパの古代ギリシャ文化に対する評価などから、自発的にナショナリズムに、目覚めたと言える。
列強もウィーン体制維持のため当初は戦争を望んでなかったし。オスマン帝国弱体化のためロシアとかがそれを後ろから後押ししてた面もあるけどね。

598: 世界@名無史さん 2011/11/20(日) 14:57:32.31 0
オスマン帝国はトルコ人国家ではないと言い張る人がいますよね。
支配層に様々な人種がいても元になったのはトルコだからトルコで良いと思います。
自称はオスマン家の崇高なる国家でも外国からはトルコと呼ばれているのに。

601: オツガイ ◆EAbyJft1LY 2011/11/26(土) 06:37:39.29 0
>>598
元になったのはトルコと言うけどどこら辺を持って元になったと言うのか微妙だと思う。
確かにオスマン帝国の場合、公用語がトルコ語(正確にはアラビア語やペルシャ語も、混じったオスマン語)だし、オスマン家の始祖はトルコ系と言われてるからその点では、トルコ国家と言えなくもないけど従来のイスラーム王朝的な要素やビザンツ帝国的な、要素も見られるからね。
だからヨーロッパからの他称はともかくそういった多民族的で、ハイブリッドな国家を一つの呼称で呼ぶ場合はオスマン帝国と呼んだほうが良いかな。
オスマントルコというと数ある要素のうちトルコ的要素だけを特別視することになるから。

599: 世界@名無史さん 2011/11/24(木) 23:24:45.50 0
そういう「民族」意識はそれこそ19世紀以降のものだし外部の名前がどうあれ、内部の人間は「ここはトルコ帝国だ」とは思ってなかったわけで
同じことはビザンツ帝国(ローマ帝国)と、西欧からの「ギリシャ帝国」呼ばわりとの関係でも言える

引用元: ・オスマン朝・オスマン帝国(04)