1: 日本@名無史さん 2005/11/12(土) 23:37:19
地主って何者?
歴史上での評価を聞きたい。
http://townweb.litcity.ne.jp/nakai/onko/top.htm
例えばこの村の大半は一つの家系みたいだね。

こういう世間から隔離された村の地主だったり
東京のど真ん中の地主って何者なの?

http://townweb.litcity.ne.jp/nakai/onko/nakai_fuudoki.htm

この家系図を見ると源満仲って人がこの地に下ってから何百年以上もこの地の主みたくなっているようだが・・・








3: 日本@名無史さん 2005/11/12(土) 23:42:51
つまり地主って何千年もその土地を守り続けていた人なの?
まあ東京みたくその土地の持ち主がどんどん変わり続ける土地もあれば田舎みたいに歴史のある土地もあるのだろうが・・・

6: 日本@名無史さん 2005/11/19(土) 14:29:11
地主の大半が源氏の子孫である可能性はある?

8: 2005/11/19(土) 18:23:25
可能性だけなら0ではないがほぼ無い。
どちらかと言えば地元民の可能性のほうが大きいだろう、立場上武士の経験がある豪農の家系と考えられるが源氏につながる可能性といえばほぼ皆無と見て間違いない

16: 日本@名無史さん 2005/11/20(日) 21:49:56
うちのじいちゃんは戦前まで小作人だった。
今は地域で1番の土地持ち。他の人達はバブル期にいろいろ手を出して土地を失ったらしい。

21: 日本@名無史さん 2005/11/21(月) 22:58:31
うちは源氏系の思いっきり血統のよい地主でした。
なんでも不作の時にご近所の人に土地を全部あげてしまったとか・・・

23: 日本@名無史さん 2005/11/21(月) 23:14:34
>>21
そういう没落した旧地主に代わって台頭してきた階層が、東東京・南埼玉・横浜・川崎、都市近郊地主の主流。

29: 日本@名無史さん 2006/01/07(土) 20:11:36
農地改革で没落した元地主は多いよね
やる気無くすし肉体労働に向かない体質の家系なので一代か二代で貧乏人の仲間入り

98: 日本@名無史さん 2007/01/15(月) 00:17:37
>>29
うちも敗戦のせいで普通の古い家になってしまった。
戦争さえ負けなきゃこんなことには・・。あー負け戦最悪。

30: 日本@名無史さん 2006/01/07(土) 21:27:18
まあそれ以前はおいしい思いをしてたんだから、いいだろ

31: 日本@名無史さん 2006/01/07(土) 21:35:47
>>30
そうでもないぞ
新興の地主は知らんが、村の相談役や仲介役とかやってたから。
今の町長とかの仕事とヤクザ関係を合わせたものだと思えばいい。

32: 日本@名無史さん 2006/01/07(土) 21:48:13
父方が新興地主で議員とかしてた。
工業関係の地域だったので、その地域一帯で原料から製品までを作って都市に運んでた。
一族総出で各監督から揉め事の仲裁、地域の人たちの面倒を見たりと暇なんてなかったとのこと。
他にも、地域の治安維持で役人と掛け合ったり、今で言うヤクザさんとつるんだりもしてたみたい。
戦後は、ほとんどを摂られちゃったけど、面倒をみたということで周りから助けてもらったって

33: 日本@名無史さん 2006/01/21(土) 18:47:19
日本一の土地持ちは誰なんだ。(面積で。)

42: 日本@名無史さん 2006/02/11(土) 02:24:31
>>33
天皇家
帝室林野管理局を調べろ

45: 日本@名無史さん 2006/02/11(土) 13:47:04
>>42
明治以降、中央集権国家形成の一環として皇室財産を積極的に増大させた結果、皇室が日本一の地主になったね。
もっとも、明治維新前までは、領主ではあっても地主ではなかったけど。

34: 日本@名無史さん 2006/01/21(土) 18:51:06
戦前だと酒田の本間だろ
小作人一万人

35: 日本@名無史さん 2006/01/21(土) 19:06:53
三千人だったか

38: 日本@名無史さん 2006/01/21(土) 19:51:09
鎌倉期・室町期の地頭→戦国期の国人→戦国時代の乗り切りに失敗→農民階級の大地主ってのは多そう。
「戦国時代の乗り切りに失敗」ってところで成功した者は小大名に。
大成功したのは毛利家ような大大名。

地主を「御館様」、地代を「年貢」とか言ってたところも多い。

39: 日本@名無史さん 2006/01/21(土) 20:02:00
>>38は戦国時代という動乱期に「上」から落ちてきて地主に落ち着いた例。

動乱期には逆に貧民から成りあがって地主クラスに到達した「下克上」的地主も。
豊臣秀吉にはなりきれなかった農民。

41: 日本@名無史さん 2006/02/11(土) 02:15:13
維新後地主ってのも多い
明治になって貨幣経済になった為に現金を持っていない百姓は難渋した
そこで土地を担保に金貸しをして次々に私有地を広げていった者がいる

62: 日本@名無史さん 2006/09/18(月) 12:26:14
地主と一口に言ってもいろいろある。
平安時代の地主は荘園領主で、領内に多数の農民や奴婢を従える大農場経営型の地主。
これは他のアジアにもよく見られる。
それに対し江戸時代の地主は農民地主で、土地を小作人に貸し与えるという形態の、土地私有制に基ずく地主。そしてその土地は売買や担保設定の対象になり、近代的な土地所有制度の上に成り立つ。
因みに西欧列強がアジアやアフリカ、中南米でプランテーション経営を展開したのは、それらの国々が元は平安時代型の地主制をとっていたからだ。だから西欧にとっては植民地経営をやりやすかったと言える。それに対し江戸時代は土地私有制が完成していたので、欧米は日本の植民地化にはあまり
乗り気ではなかったと思う。
これがもし平安時代にやって来たら、日本は即刻西欧の餌食になったはずだ。

63: 日本@名無史さん 2006/09/18(月) 12:35:43
>江戸時代は土地私有制が完成していた

土地制度史には相当の蓄積があると思うけど、いつの間にこんな説が出てきたの?
地租改正以前は、上級所有権はないままの、保有にすぎないって理解が通説だと思うけど

65: 日本@名無史さん 2006/09/18(月) 12:55:53
>63
日本は15世紀、近畿を中心に小家族制が発達する。
即ち夫婦と夫の両親、夫婦間に生まれた子供を一つの単位とし、この単位ごとに土地・家・財産を持つというもの。これは太閤検地で全国化する。
もちろん検地では田畑永代売買禁止令により完全な所有権は得られなかったが、永代禁止令は江戸時代では有効に機能せず、農民の土地売買は止めれなかった。
そこで17世紀末、勘定奉行荻原重秀は、相対(当事者間)による契約を優先させる処置をとり、永代禁止令は事実上無効化した。
これをもって土地私有制の基礎が固められたことは事実だろう。

81: 日本@名無史さん 2006/12/25(月) 21:01:43
「地主」は明治以降の地主・小作制度(半封建的)の農地所有者をいう。
土地所有を百姓が認められるようになったのは、年貢台帳に名前を記載されるようになってから。
本百姓が衰退して、小作と地主に百姓が分化して以降は耕作者と土地所有者が同じ人間ではなくなったいく。

82: 日本@名無史さん 2006/12/25(月) 22:40:59
>>81
>土地所有を百姓が認められるようになったのは、年貢台帳に名前を記載されるようになってから。

すみません、それ以前の土地所有権は誰がもっていたんでしょうか

84: 日本@名無史さん 2006/12/26(火) 18:35:24
>>82
荘園領主、荘官、地頭、・・・
といった人たちが重層的で複雑な所有関係を持っていた

86: 日本@名無史さん 2006/12/26(火) 18:43:15
内地の地主で大地主が多かったのは東北や新潟県。
関東や近畿だと、数町歩程度の不在地主が都会で商売や勤め人になってたりした。

88: 日本@名無史さん 2006/12/28(木) 00:53:33
宮尾登美子原作の「蔵」の主人公の家が、二百数十町歩の地主の家だったけど、ものすごい豪農っていう設定だったよ。あ、舞台は越後ね。

91: 日本@名無史さん 2006/12/28(木) 01:15:26
なんで新潟や東北に大地主が多いんだろう

92: 日本@名無史さん 2006/12/28(木) 07:37:19
>>91
幕藩権力が弱かったから、農民身分のまま大きな土地を所有できたのは。
と当てずっぽうなことを言ってみる。

他の地域だと、耕作者=所有者という感じで一度所有関係がリセットされている。
江戸時代中(とくに前期)はそのリセット状態が一応続いていた。
大規模に土地を所有するためには士分(領主)である必要があるけれど、江戸時代は領主所有権はどんどん弱体化し、いつのまにか徴税権だけになっていた。

103: 日本@名無史さん 2007/01/16(火) 01:02:44
土地無くなった後は、酒屋やったり、アパート経営したり、株やったり、いろんなことを並行して行って食いつないでた。
でもまあ、みんな小卒で稼いでる時代に、曽祖父母らやその前の人達は東京や県庁所在地やらに進学しにいったんだ。当時の小作の人々に対して負ったカルマを、いま返してると思っておこう・・。

って、なんで先祖の負い目を俺がー・・ 
遺産にはプラスとマイナスがあるのねん。。

104: 日本@名無史さん 2007/01/16(火) 02:05:26
文句ならアメリカへどうぞ

108: 日本@名無史さん 2007/01/22(月) 00:55:50
農地改革の際、竹は木なのか草なのかで問題になったらしい。

木にもあらず草にもあらぬ竹の世のはしに我が身はなりぬべらなり

古今集十八巻、高津内親王

竹藪は竹が木なら山林になり、竹が草なら農地になってしまう・・・

111: 日本@名無史さん 2007/01/22(月) 10:12:26
農地改革の際名前のついてない土地を当時の役員名にしてたが
うれるころの今になって個人がお金を受け取ってる、ほんまは共有公用用地

112: 日本@名無史さん 2007/01/23(火) 21:40:12
規模の大きい郡役所が廃止されて規模の小さい村役場時代に村の地図を書き換えて土地を取った地主は多いので、当時の小作は当然なにも言えないかも
戦後の法律も定着するまで混乱期にあり

115: 日本@名無史さん 2007/04/07(土) 15:56:08
地頭であった我が家はGHQに散々取られました。
今では戦後に取られた土地を金額に換算すると死にたくなります。
だから当家は今ではしがない一般庶民ですYO・・
祇園精舎の鐘の声 

120: 名無しさん@そうだ選挙に行こう 2007/07/29(日) 01:01:03
うちの曾ばあさんは自分でがんばった。
池袋は極東(朝鮮人で今でも多い)や鈴木(何故か戦後親子で区会議長孫はラブホテル王)といったヤクザが多くて自分で縄を張って疎開もせずにがんばった土地以外は縄を張って変なやつを居つかせた。
疎開した家の土地は不法占拠されて涙金で追い出されるか、借地権を設定され8割も土地を取られた。

125: 日本@名無史さん 2007/08/04(土) 18:10:57
うちは昔からの地主かと思ってたら、実は明治初めに銀行業で儲かった先祖が土地を買いあさって地主になった家だった。
今は農地改革や分割相続で普通の農家だけど。

138: 日本@名無史さん 2007/08/08(水) 22:32:42
田無の場合、農地の9割が東京市の商業資本の所有地だった
昭和恐慌で没落した在村地主や自作農の土地を借金の抵当に取ったわけだが
さすがにこんな状態では農地改革も仕方がない

149: 日本@名無史さん 2007/08/10(金) 07:41:11
東北・新潟地方を除くと、日本の大地主の大部分は明治維新のどさくさで成り上がった層だろう。
江戸時代には東北・新潟以外にはたいした地主はいなかったので。
鴻池は例外的。

江戸時代、下級所有権(耕作権)のほうが圧倒的に強かったとはいえ、上級所有権(領主権)は有名無実というほどは弱くないので、「地主化」は妨害されていた。

160: 日本@名無史さん 2007/10/18(木) 20:28:47
近畿でも地主いるよ
母方の家が苗字帯刀の地主だった
江戸時代は造り酒屋もやってた
まあ、太平洋戦争に負けて没収つか小作人にわけちゃったはめになるけど
戦争中は山の木材が高く売れて儲けたから戦争なんかで金か稼ぐのは良くないなw

162: 日本@名無史さん 2007/10/23(火) 01:10:49
うちの親の実家は元地主だが、農地改革で小作関係が無くなっても元小作人の村人が頻繁に茶を飲みに
家に集まって村の集会所みたいな感じだったらしい。

163: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 19:19:12
>>162
それだけ小作人から慕われた地主だったということだろう。
先祖のことを誇っていいぞ。

164: 日本@名無史さん 2007/10/24(水) 21:48:27
いいねえ。ウチは元小作の近所の連中から以下のように呼ばれてるよ。

曾爺さん・・・殿様
爺さん・・・・旦那様
親父・・・・・若
オレ・・・・・呼び捨て

orz

166: 日本@名無史さん 2007/10/27(土) 18:03:48
先祖が地主だったというだけで、実態の伴わない不肖の子孫なんだから仕方なかろう。

167: 日本@名無史さん 2007/10/27(土) 18:13:58
東京とか大都市に出てしまえば、先祖がなんであろうが関係ない。
地元に残ってると先祖を意識しすぎて、没落感を感じるんじゃないのか?

ま、地主なんて、地租改正後に成り上がった商人か百姓あがりだけどな。

169: 日本@名無史さん 2007/10/27(土) 20:25:41
友達のとこは見える一帯すべての土地の大地主で、バブルの頃は何百億って値がついてたけど、ご先祖さんの土地は売られへんわって笑ってた。
奈良時代あたりから続く家だって言ってたから、そこらの武家よりも全然古い。
皇室から下賜された品も見せてもらった。
大昔からの地主はなんだかんだいって強烈だわ

210: 日本@名無史さん 2007/12/14(金) 12:31:57
>>169
豪族の子孫じゃね?俺の地元にもそんな地主さんがいたよ。
先祖が豪族系の神主で天皇から広大な土地を下賜されてる。

172: 日本@名無史さん 2007/11/03(土) 00:52:05
藩からもらう給料が少ない下級武士には、郊外の土地を与えられて、そこに住んでいる百姓から年貢を取り立てていたっていうのは本当?
いわゆる「拝領町屋敷」なるもの。
拝領町屋敷には住む義務はなく、明治維新までは城下町に住んでいて、藩がなくなると、城下町に住むところがなくなり、拝領した土地に住み始め、そこで地主として生活していたというパターンもあるのかな?
その土地ではGHQが来るまで有力者でいたっていうやつ。
下級武士ではそういうやつもいたという話を聞いたんだが、これは事実だろうか?

175: 日本@名無史さん 2007/11/04(日) 13:17:25
>>172
長州藩なんかでも、経済的理由で武士の農村土着を認めていた。
井上馨の実家(上士、100石・大組)も山口の湯田温泉あたりに在住していて、息子の馨が萩で殿さまの小姓をつとめていた。

176: 日本@名無史さん 2007/11/29(木) 22:55:46
江戸時代、地元の殿様の財政を凌駕し農地改革でも土地を取られなかった
山林や塩田は対象から外れとられなかった
今も大地主、家は国の文化財で公開せず今も住んでいます
維持費用は結構かかるがね、ビクともしない。

祖父や祖母は、おカゴに乗って使用人を何人も引き連れ学校や病院にいっていました
今もお手伝いさんがいっぱいいます
いまでもお客さんには、お抹茶をだしてます
今でも祖父や祖母はお手伝いさんを呼ぶときには手をたたいて呼んでます。

今も旧暦を使用することが多い
真の旧家はどこでも旧暦と新暦を使い分けています。

186: 日本@名無史さん 2007/11/30(金) 04:32:36
どこだよwww

188: 日本@名無史さん 2007/11/30(金) 21:30:39
この文章から推察すると兵庫県だと思う、赤穂市だと思う
塩田は水田の10倍いいときには20倍儲かったらしく江戸時代塩田のみで1万石の地主がいた
岡山の野崎家は江戸後期から明治期に塩田王だが江戸中期において日本一の塩田地主は赤穂の地主だったようです
藩も貧乏な藩だから殿様超えても不思議でない
江戸後期大名貸しが焦げ付いたそうだが、茶会を頻繁に開き暮らしはまったくかわらなかったようである
明治初年のスーパーインフレで約20万両の利益を上げ、一気に持ち直し塩田を再び買い戻し銀行も経営、海防費を負担して勲章をもらったりしたそうだ
そのお家に東本願寺伝来の大名物の茶入れが伝わっているがおそらく廃仏毀釈の荒波で明治時代に行われた東本願寺宝物売り立てを行ったときに流失した物をインフレでもうけた金で手に入れたのだと思う
出ないと江戸時代にさすがに茶道具の最高峰、大名物は伝わらないと思う

189: 日本@名無史さん 2007/11/30(金) 21:32:35
赤穂市教育委員会資料などによると第二次世界大戦の後、塩田は農地改革でとられず他の地主に比べ影響は少なかったとあるからとられなかったのは間違いないでしょう

塩を取らなければ人間は生きていけないし今では考えられないような病気になる
戦後円滑に塩を生産、流通させるためとらなかったのでしょう
塩田も昭和46年まで存在し生産し続けた
その後大地主の土地は県立公園と住宅地になっています

塩田自体がかなり田舎で開発されにくいところにあるのがほとんどですが赤穂の塩田跡地は住宅地としてかなり整備されてます
塩田の地主の中でも住宅地持っている方は少ないでしょう
確かにお家は国の名勝だし今も公開せずお住みです
ただおじいさんはなくなりそれを気に美術品は赤穂市に寄贈されそのお家の名を冠した記念館が作られています
ただすべての美術品を寄贈されたわけでもないようです
寄贈されるときに維持管理費として別に一億寄付されています
美術品の中には大名物の茶入れをはじめ重文級のものもあり面白いものでは蹴鞠道具があります
鳥居家から免状をもらい歴代当主が蹴鞠をしていたようです
衣装や免状、さらには稽古帳まですべてありました
源氏物語屏風や三十六歌仙画帖、定家の掛け軸、重文級の茶道具
暮らしは貴族のような暮らしだったと推察できます。

193: 日本@名無史さん 2007/11/30(金) 22:28:02
殿様を凌いだというところからもやはり赤穂の地主だろう

194: 日本@名無史さん 2007/11/30(金) 22:34:26
山林地主なら島根の田部長右衛門家は、戦後もずっと地元の有力者として君臨しているな。
戦前の大地主のまま、存続している稀有な例。

197: 日本@名無史さん 2007/11/30(金) 23:25:13
地価が都会の万分の1のド田舎の土地を何万坪持っててもたいして価値ないんだけどね
山林も輸入木材に押されて不況だし

198: 日本@名無史さん 2007/12/01(土) 07:01:45
田部家の場合でもそうだが、ただ山林を持ってるだけではなく、他にも事業をやってたり、地方の名士としていろんな役職を引き受けたりしている。

201: 日本@名無史さん 2007/12/01(土) 10:14:12
・山林はGHQでも農地解放で手をつけなかった。
・江戸時代は全国の原生林以外の山々の多くははげ山に近い状態だった。
・化学肥料普及以前、第一次大戦前には里山は燃料及び肥料確保のために極めて重要な存在だった。
・江戸期の製鉄業は、燃料確保のための山林の買収が切実な問題だった。


山林を史学的に語る場合に必要な情報は他には?

213: 日本@名無史さん 2007/12/20(木) 00:41:47
ところで地主ってどうゆう経緯で成るわけ?
イマイチわからんのだよね。

222: 日本@名無史さん 2008/04/02(水) 10:36:11
在村の小地主はともかくいわゆる大地主はすべて商系だよ
青森県最大の地主・野辺地の野村家は回船問屋
七戸の盛田家は近江商人が土着した呉服商
山形県の有名な本間家も北前船で儲けた商人だし
すべて金貸し→質流れで土地を入手のパターン

226: 日本@名無史さん 2008/05/28(水) 00:26:08
瀬戸内の塩田地主ってどうなんでしょうね?
残念ながら専売制という悪法のせいで、今では塩田も塩漬けか、用途転用したりして残っていませんが。
塩田地主は浜旦那って呼ばれて、浜子(労働者)を雇用してたんですよね。
いわゆる資本家階級ってとこですか?
身分的にはどうだったんでしょう?
旦那って呼ばれるくらいだから悪くはないと思いますが。

230: 日本@名無史さん 2008/07/14(月) 22:53:11
赤穂の塩田地主の場合
茶室一棟なおすだけで一億以上かかった
もう一棟の茶室はいくらかかったかわかりません
そのほか土塀や蔵など直しています
いくら補助が出るといってもかなりの額だと思います
先祖代々の美術品を寄贈したときには一億円維持管理費として寄付し今は10億円で建てたホテルを経営しています
そのほかいまだ土地を住宅地を数多く所有し国の文化財に指定された屋敷にいまだ一般公開をほとんどすることなく普通に生活しています、維持費はいったいいくらかかるか
生活は慎ましいそうですがとてもそんな風には見えません。

231: 日本@名無史さん 2008/07/15(火) 08:17:43
文化財に指定された家に住むのって大変なんだよなあ
ちょっと補修したくてもうるさいから辟易しちゃって、みんな他の家に住んだりしてる

232: 日本@名無史さん 2008/07/20(日) 02:14:13
そういう家って、手放した後は役所が管理してくれたりするの?

233: 日本@名無史さん 2008/07/23(水) 01:12:58
大体が寄贈という形をとり市町村が管理するようです
ただ住んでいる人の息吹がなくなりガランとしたただの見学施設になってしまいます
まれに市町村が買い取る場合もあるようです。

234: 日本@名無史さん 2008/10/17(金) 01:50:45
俺も百町位の地主になれるように頑張る。

引用元: ・日本の地主の歴史