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1: 無名武将@お腹せっぷく 2009/09/06(日) 19:04:34
どうなった








5: 無名武将@お腹せっぷく 2009/09/06(日) 21:01:49
劉禅が反乱を起こす

6: 無名武将@お腹せっぷく 2009/09/06(日) 21:33:37
劉禅が生きてるのにそれを差し置いて劉封が皇帝になるなんてのは有り得ない

15: 無名武将@お腹せっぷく 2009/09/06(日) 22:36:29
もっと早く蜀は滅んでただろうな。

何もできなくて臣下にお任せしていた劉禅だから持ったわけで
脳筋の劉封が、劉備ならともかく諸葛亮の言う事をおとなしく聞いたとは思えん。

17: 無名武将@お腹せっぷく 2009/09/07(月) 17:20:49
劉備時代は諸葛亮は一能臣であった
献策はするがリーダーではなかったろう
劉禅の代で、当主が若年ということもあって、諸葛亮体制へ移行する
もし劉封が後継者であれば、なんらかの衝突があっただろう
だが、その結果、万が一でもなんらかの化学変化が起こればあるいは・・・
という可能性はあったかもしれない

劉封にそこまでの器量があったか、はおくとしてそれでうまくいけば諸葛亮の負荷が軽くなるだろうし、李平の処置や再登用などの人事面の課題ももう少しいい解決があったかもしれないし、なにより、北伐で皇帝の親征が実現しただろう
高い確率で後継者問題で内紛だとは思うし、そのリスクを事前に避けるために劉封は死ななければならなかったのもわかるけれど

18: 無名武将@お腹せっぷく 2009/09/07(月) 19:11:19
>>17
まあ、諸葛亮って劉備が居るうちから蜀漢の丞相・録尚書事・司隷校尉なんだけどね

23: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/03(火) 02:40:23
案外面白い議題かもね、これ
まあしかし蜀は跡継ぎ問題とか縁がないな
劉備の子とかがそもそもほとんど出ないし

24: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/03(火) 16:18:14
劉禅は劉備の息子の中でもずば抜けて優秀だった為、跡継ぎ争いが起きなかった。
魏呉のような騒乱も起こらず、蜀を40年以上も維持しつづけたのは並大抵の事ではないよ。
暗君評価は言い掛かりもいいところ。

27: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/04(水) 21:53:55
名君は言い過ぎだが、少なくとも魏呉の何の権力もない幼帝や、クソみたいな暴君とは比べるまでもないだろうよ
自殺した劉禅の息子の話や、降伏後の宴会でのエピソードには悪意を感じる

28: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 17:27:31
陳寿が劉禅に対して逆恨みしてたんじゃね?

29: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 21:25:47
陳寿はそこまで批判してないような…
ネガキャンは注釈の方かな
まあありがちな晋の侵略を正当化するための歪曲だと思う

30: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 21:34:18
劉禅のことを陳寿は批判してないかもしれんが頭からっぽ扱いには違いないぞ

31: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 22:00:13
劉禅は蜀人の逆恨みと、晋のネガキャンで評価を大幅に落とした感じ
亡国の君主の宿命とも言える感じで仕方ないけど

32: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 22:43:13
「素絲」は亡国の旧主に対する精一杯のフォローだろう。
君主の一つの理想形であるし、「もとはといえば本人が原因ではなかった」と言っているのだから。
李密の「斉の桓公に次ぐべし」もこのような評価を受けてのもの。西晋の時点で既にこのような評価があった。

33: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 22:48:58
劉禅が明確に、「像がぶっ壊されても仕方がないどうしようもない暗君」というイメージになってしまうのは、講談が流行して劉備・関羽・諸葛亮などの礼賛が著しくなる宋代辺り以降じゃないかな。
物語の要請上、「劉備たちが必死に頑張って再建しようとした漢を滅ぼした奴は駄目な奴」ということになる。
根拠がないのでもっと前かもしれないが。

34: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 23:00:30
まあ決定的なのは演義だよね
演義で完全に劉禅の世間へのイメージが固定されてしまった感じ

35: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 23:43:25
まあ、もともと明君、賢君ではなかったからな
亡国さえなければ、または早死にしたら凡君で済んだだろうが

36: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 23:50:38
四十年以上も国を維持してるんだまんざら凡君でも無いんじゃないだろう

37: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/05(木) 23:52:51
>>36
国とっても一州だけ
つまり刺史レベル
40年間特に優れた治績はないが代わりがいないから転属していないと考えてみればいい

38: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/06(金) 00:00:31
>>37
その例えだと劉禅が凄い奴になっちゃうから駄目だよ
他の11州のうち8.5州が敵に回ってる状況で一州を維持したんだから

50: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/09(月) 20:17:43
劉封が脳筋てのは有り得ないだろ。
脳筋なら関羽に加勢して一網打尽にされてた筈。
むしろ劉封は私情を捨て、自分の行うべき行動を冷静に分析出来る知将。
劉備と関羽の絆の深さを見切れず、身を滅ぼす事になったのは残念だが。

51: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/09(月) 22:41:29
でも元々、孟達は関羽を支援するために荊州西部を攻め上がり、劉備はそれを監督させるために劉封を派遣したんだよな
つまりこの時点で劉備の意思は、関羽の北上を物質的にも支援して漢水を固めることにあった。
しかし孟達と劉封は動かなかった。
管轄下の軍には動かせない十分以上の理由があったとしても、自分の行うべき行動を果たしたとも言い難い。
勿論脳筋でもないが。
関羽が失敗したとしても江陵に撤退するからいいか、くらいの考えだったのかもしれない。
結局は、劉備側の誰もが、このタイミングでの呉の侵攻を予見し対応し切れなかった、に尽きるのだろう。

52: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/09(月) 23:49:54
援軍送らなかったのはともかく、のこのこ劉備の元に戻ったのは危機管理能力が無さすぎるよなあ
劉備なら分かってくれる、とでも思ったのだろうか

188: 無名武将@お腹せっぷく 2013/02/23(土) 18:22:45.89
>>52
軍才はあっても物事を情緒的にしか考えられない政治的欠陥があったのかもね
司馬遼太郎の義経みたいなものかな
政局や自分の立場に敏感な孟達からはさぞアホにみえて仕方なかったろうw
でも腰軽く立ち回った孟達も結局死んでるのが面白い

53: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/10(火) 19:15:36
殺そうとしたんだろ

54: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/10(火) 23:07:31
劉封が劉備を殺して何のメリットがあるんだ?

55: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/11(水) 05:48:11
蜀乗っ取れる

56: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/11(水) 09:45:05
などと思っていたんなら本当に脳筋だな
まあそれなら末期のセリフは出てこないだろうけど

63: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/18(水) 18:36:23
にしても劉封と劉禅の名を合わせて「封禅」とは、偶然にしてもよく出来てるもんだ

68: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/19(木) 19:47:02
>>63
偶然じゃない可能性もあるけどね。

65: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/18(水) 20:49:43
劉封が劉備殺して即位
孔明や張飛を率いて北伐に親征って夢があるな

66: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/18(水) 23:24:13
劉封には劉備のようなカリスマ性が無いから厳しい
個人的には劉禅以下だと思う

69: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/20(金) 15:10:12
劉禅は流石にカリスマ性なんか無いだろう。
よく孔明に政治を委ね善政を敷いたとか言われるが、実際は政治中枢を漢中に遷され君主としての実権を失い、成都で孔明のシンパに見張られて生活してたんだから。

劉封は、結果的に関羽を見殺しにした事で悪評が立ってるが、将を統括する司令官として前線に送られている所からも、かなり劉備に信頼されてた筈。
それに見殺しにしたのは成都にいる劉備も同じだしな。
曹操が曹仁救援の為に素早く対応したのとは対照的だ。

71: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/20(金) 18:28:08
>>69
でも劉備は関羽の死を劉封のせいにして恨んでるぞ

80: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/24(火) 20:21:00
>>71
劉封に責任転嫁する為の劉備の演技でしょ
ペテン師の劉備らしい見事な策略

72: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/22(日) 09:48:24
>>69
劉封は房陵攻略に続く上庸攻めの援軍として派遣されているので元は一人立ち出来る程には評価されてなかったように見える。
若かった事もあってここまでは古参の下で戦闘に参加してて多分これが最初の単独行動だろう。

ところが劉備は作戦を立案、単独で実行するつもりだった孟達を差し置いて援軍の劉封を昇進させていて、孟達にとっては納得いかない行賞だったはずだ。
結局、孟達は劉備に辞表提出した上で去ってるからな。
劉備としては箔を付けてやりたかったのかも知れんが。

この行賞の結果、劉封が孟達の上になっているので樊城攻めが順調な頃からの再三の援軍要請を蹴ったのも一応は劉封の責任問題になるだろう。
関羽が無理なプランで作戦行動していた可能性はあるんで劉封が悪いとまでは思わないが。
劉備と違って荊州の戦況はある程度知れていたはずだ。

73: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/23(月) 00:43:37
信頼というか、自分の親族を派遣して諸将を監督させるのは普通に行われることなので、孟達がここでことさらに不満を感じる理由はないだろう。そのための中郎将だろうし。

ただ劉封は軍事の専門家である孟達の意見を聞き尊重せねばならない立場だった。
少なくとも孟達はそれを期待しただろうが、二人は反目しあって劉封は孟達の「鼓吹」を奪うなどしてしまった。
当時の劉備軍の軍制がどうだったかはもはやわからないが、鼓吹とは本来、将軍幕府の属員として正式に賜るものと百官志などに明記があるもので、軍中の権威を維持する重要な儀礼要員だったはず。
関羽を救えなかったことの危機感とは別に、この二人の確執は小さくないものがあったのだろうね。

74: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/23(月) 12:44:06
二度も主君を裏切った孟達なんかと関わってしまったのが劉封の一番の不幸
結局運がなかったんだよ

77: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/24(火) 11:24:55
寝返り常習の孟達が印象悪いのは仕方ないが劉封も初めての大仕事で度量の無さを露呈してる。
この時期に上庸攻略したんなら漢水上流の掌握が目的だろうから何らかの形で関羽のサポートを期待されてたと思うんだが揉めてる場合か?

78: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/24(火) 18:00:39
揉めたというか上庸は本国との連絡線なんだからおいそれと手薄に出来ないよ
元を正せば守備兵まで投入した関羽が先を見れてない

82: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/24(火) 20:24:12
孟達が寝返ったのは関羽が敗死したことと劉封との不仲からだが、劉封の罪状のメインは孟達に裏切られて上庸周辺を失ったことじゃないかな

83: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/24(火) 22:04:21
期待に添えず、任務も果たせず、弁護もしてもらえず、言い訳すら出来ないんじゃ殺されても文句は言えんよなぁ

84: 無名武将@お腹せっぷく 2009/11/25(水) 01:43:22
一応賜死だけどな
対した違いじゃないけど

86: 無名武将@お腹せっぷく 2010/01/18(月) 04:39:46
一時は家督を継がせる気で養子にしたが、実子が生まれて跡目相続で揉める前に敗戦の罪を押し付けて殺させた、と割り切ると孔明も黒いなあ。
それだけ劉封の気性が激しいのか、劉禅に器量が足りないのが見えたか。

88: 無名武将@お腹せっぷく 2010/07/05(月) 18:44:08
実子が生まれたら養子が粛清されるのは

豊臣秀吉
福島正則

の例からも当然のこと

90: 無名武将@お腹せっぷく 2010/07/06(火) 19:22:39
孟達が劉封に降伏を勧めた手紙

「貴殿は劉備の実子でも無いのに多くの軍を任され、高い官職にあります。劉禅が太子に立てられ、先の関羽の出来事もあり、劉備は貴殿へ疑念を抱いております。貴殿がこの戦に敗るような事があれば劉備は貴殿を許さないでしょう。」

94: 無名武将@お腹せっぷく 2010/07/25(日) 09:44:33
>>90
孟達って 実はいいヤツ?

横山でも劉封自身が「いささかの友情を感じていた」なんて言っているし

97: 無名武将@お腹せっぷく 2010/09/11(土) 17:30:49
>>94
疑心暗鬼にさせて優しい手を差し伸べるのは現代の詐欺にも使われる謀略の常道

98: 無名武将@お腹せっぷく 2010/09/11(土) 19:23:37
>>97
でも現に孟達の予言通りになり、劉封も孟達の言葉を信じなかった事を悔やみながら殺されてるけどね。

95: 無名武将@お腹せっぷく 2010/09/11(土) 13:17:42
劉封があとをついだら劉禅どうなってしまうん?

98: 無名武将@お腹せっぷく 2010/09/11(土) 19:23:37
>>95
なんにもならないでしょ。
正史でも酒と女に溺れた以外、自主的に何かをやった形跡が無い人物だし。

102: 無名武将@お腹せっぷく 2010/12/26(日) 04:34:15
仮に劉封が劉備の後を継ぐ事があったとしても北伐に諸手を上げて賛成そうだ
結果、劉禅とそれほど違う結末を迎えたとも思えん

105: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/02(土) 16:37:10.90
自分で軍を率いれるから将兵の士気は上がるし孔明は内政に専念できるから過労死することも無かったかもな
でも能力が未知数すぎる

106: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/02(土) 16:48:13.43
劉備が漢中王に即位した時点で劉禅が太子になっている
これは劉封生前のこと
だから劉禅が死ぬか廃されない限り劉封に帝位継承の話しが転がりこむことはない
また、劉禅が死ぬか廃されても劉備には永と理の2人の実子がいる
この2人の方が継承順位が高いであろうから劉封が帝位を継ぐ状況はほぼありえないだろう

107: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/02(土) 19:49:32.49
劉備って別に劉禅以外に子供がいなかった訳でも無いし、劉禅が後継になったのは普通に優秀だったから、と考えるのが妥当。
劉璋の例なんかもあるし

109: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/02(土) 21:47:42.62
>>107
劉璋が劉焉の後を継げたのは、兄達が全員劉焉よりも先に死んだから。
別に 劉璋が優秀だったから というわけではない。

108: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/02(土) 20:43:02.88
劉備ってそんなに子供いたの?
将軍とかになってないの??

110: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/02(土) 22:28:41.36
>>108
劉永
劉備の漢中王に即位すると魯王に封じられ、9年後の劉禅時代に甘陵王に改封
黄皓と対立して讒言されて、朝廷参内が出入禁止を受ける

劉理
劉備の漢中王に即位すると粱王に封じられ、9年後の劉禅時代に安平王に改封
244年に死去

133: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/16(土) 23:35:23.43
劉封が継ぐ可能性は低いが生きていれば、将の人材不足が多少でも解消されただろうな

134: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/17(日) 10:07:50.80
脳筋が一人増えたところでな…

135: 無名武将@お腹せっぷく 2011/04/17(日) 18:14:18.10
その脳筋すら頭数が全く足りない状態になったんだけどね~
劉備が夷陵の戦いで有望株を根こそぎ連れて逝ったから
そのために馬謖のような実績もなく失敗ばかりの人材を持ちいらなければならない状態になってたのよ?

155: 無名武将@お腹せっぷく 2012/05/24(木) 11:00:21.94
劉封って家臣に軽んじられてなかったっけ?
実子じゃないのって当時的には、かなり意味のないものなんじゃ?

157: 無名武将@お腹せっぷく 2012/05/24(木) 14:04:34.06
当時の養子縁組はかなり強力だよ。
劉備がただの群雄で終わったら、劉封が継ぐ可能性もあっただろう。
ただ皇帝や王になるとそういうわけにはいかない。
少なくとも始祖(この場合は劉備)の血を継いでいなくてはならない。
劉封はこの劉備陣営の環境の変化に犠牲になったということだろう。

243: 無名武将@お腹せっぷく 2015/06/07(日) 08:02:34.53
>>157
特に漢の再興を旗印にしてるわけだから、劉の血統じゃないのが継ぐのはありえないわな。

161: 無名武将@お腹せっぷく 2012/07/21(土) 17:07:03.91
劉禅のほかに劉永と劉理もいるし、クーデターでも起こさないかぎり
跡を嗣げないんじゃないの?

引用元: ・劉備の後を劉封が継いでいたら